江田島って・・・どんなとこ?(ただいま試験中です。)

 
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おもしろ話題と画像の「どんなとこ 掲示版」   

* これより下の項目は製作途中で、現在30%が使用可能・・・(^_^;)です。 *
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高田 南胡子神社

高田グーグル地図D・沖胡神社 
「沖南胡子神社」からさらに南に下がった位置に牡蠣事業者専用の港、中田南漁港があります。
その魚港の荷揚げ場の一部を花崗岩石柱をもって玉垣とし、朱塗りの「南胡子神社」が建ちます。

2015-06-13 081 
青い銅葺屋根をのせた朱塗りの南胡子神社は江田島湾を背にし南を向いて建ちます。

2015-06-13 085 
社殿の前に建つ石碑には、胡子神社建立記念碑 昭和四十五年元旦 とあり、もう一つ別の石板に、胡子神社建立世話人として
山崎末一・秋元勉・原田実夫・片平勇・小笹山定雄・山本幾次・小川己稔・清次武夫・池本才松・古本英雄・山崎康・平井勝の名があり、

寄付者芳名かき業者の部として
山崎末一・小笹山定雄・片平勇・原田実夫・小川?稔・山本幾次・清次武夫・池本才松・石田章・石田勝・石田善理・原田春男・片平光秋・山崎康・古本久夫・古本英夫・古本幸夫・秋本勉・秋本智敏・下家九一・森野清・原田稔・井原義夫・橋本俊一・西原?男・西原一正・中下倉次・中下巌・山岡正悟・柳川清美・古本紀昭・小笹山譲・陣森節士・山崎利相・平本博
の御名があり、さらに一般寄付者大勢の芳名がつづきます。

2015-06-13 089 
中田南漁港の防波堤内とはいえ、北風や波しぶきがまともに吹き抜ける位置に建ちます。

台座の石垣は隙間なくぎっちりと組まれ、社殿はその上のぶ厚いコンクリート台に埋められたアンカーボルトできつく抑えてあります。

2015-06-13 084 
神社境内に大岩を建て、昭和四十五年春 牡蠣供養塔 高田牡蠣業者一同と深く刻まれています。

能美町誌によれば、元禄13年(1700)のころには安芸草津産の地蒔き、あるいは、ひび建て養殖で育てた牡蠣が大阪方面に出回っていたと云われます。
能美における牡蠣養殖は昭和3年(1928)広島市観音の住人が当地高田漁場において契約養殖を始めたのをきっかけとし、昭和13年になり高田村漁業者による簡易垂下方式(杭打ち式)が普及、数年のうちに牡蠣養殖に適する浅海海面は手狭となり昭和20年には飛渡瀬の漁業会とも合併し規模の拡大を図りました。
その後昭和23年(1948)には、筏垂下式養殖法も導入され、さらに昭和30年頃より筏の素材を柔軟性のある孟宗竹としたことにより、利用できる海面は一気に広がり、江田島市の牡蠣生産量は国内第一位あるいは第二位を争うほどに大発展を遂げました。

この大岩は、能美あるいは江田島市の「牡蠣発祥の地」記念碑でもあるわけ・・・(*^。^*)です。

高田かき筏19471215(昭22)A 
画像は昭和22年12月の中田港(高田、中町沖の海面)です。
牡蠣養殖の筏はまだ設置されていないようです。

中田港中央に見える白い船影は米軍爆撃機の攻撃により大破着底した日本海軍の重巡利根です

1966 09 13(S41)かき筏 
昭和41年9月の中田港です。
無数の牡蠣筏が見えますが、まだ係留技術が発展過渡期?のようで、筏も雑然と浮いています。

高田沖かき筏ぐーぐる2016 
現在の中田港の様子、統制され整然と浮かぶ筏群です。
これだと養殖管理作業で巡回する作業船も安心して走れそう・・・(*^。^*)です。

高田 沖南胡子神社

高田グーグル地図D・胡神社A 
高田沖南地区、二谷川が江田島湾へと注ぎ込む河口の左岸に「沖南胡子神社」が建ちます。

ちなみに川の右岸左岸とは、水の流れる方向(下流側)をみて右側が右岸、左側が左岸です。
これは、水の流れを中心に考えた見方で、護岸堤防の川側を「川表(かわおもて)」、宅地側の堤防法面を「川裏(かわうら)」と呼びます。

しかるに、堤防の内外をいう場合は、水の流れている川の中を「堤外地(ていがいち)」、宅地などがある生活圏を「堤内地(ていないち)」と呼び、こちらは人々を主体とした取り決めです。

以上は、ネット情報からのコピペ・・・m(__)mです。

2015-06-13 053 
沖南胡子神社の境内は道路より少し低い位置にあり、廻りを高い生垣で囲ってありますので、はじめてだと、「えっ、どこ?どこ?」て感じ・・・(*^。^*)です。

2014-04-30 002 076 
境内の木々は端正に刈り込まれており、庭園風にアレンジされています。
たまたま訪れたこの日、真紅の牡丹が大輪の花を咲かせ迎えてくれました。

2014-04-30 002 079 
社殿はコンパクトにまとめられて造られていますが、重厚で威厳のある雰囲気が漂います。

2014-04-30 002 081 
社殿右側に古そうな石碑が建ちますので、日付を確かめますと「昭和弐年旧十月二十日建之」と彫られています。

石碑には、「胡子神社寄附者」とあり

御眞影 石田徳松・加藤常太郎
十円 山本松太郎・十円 吉本文一・十円 加藤住太郎・十三円 宇品 木村常次郎・五円 アタダジマ 浜本三兵エ・七円 久保十一郎・八円 前田繁一・七円 大原米太郎・五円 橋本工場・五円 大谷若一・五円 水戸道一・五円 下井田清次・五円 永田森太郎・五円 荒神恵吉・五円 丸橋太郎一・五円 小舟友一・五円 小西徳松

高田村寄付者
十七円 河本清次郎・十五円 河本熊太郎・十円 河本常太郎・九円 丸吉小次郎・五円 荒神元次・五円 荒神信次・五円 河本鶴吉

三高村
五円 沖初蔵

中村
五円 中本三太郎・五円 久坂町 中本愛次

廿日市町
三十円 漁業組合・十円 豊田新一・十円 住吉米吉・五円 島本秀吉・五円 沖元政一・五円 荒神関太郎

廣島宇品
二十円 角見政義・十円 ??魚市場・十円 廣島魚市場・十円 古谷??・五円 藤岡??・五円 廣長文吉

草津町
二十円 音戸健吉・十円 井久魚市場

呉市
二十円 呉市魚市場・五円 武田保吉

發起者
四十二円 橋本松太郎・三十二円 丸吉作次郎・二十円 荒神玉次・二十四円 荒神長松・二十七円 荒神豊松・二十五円 沖本佐次郎・二十五円 小船乙吉・二十五円大下槌松・二十二円 河本信一・二十二円 荒神清造・二十二円 荒神一松・二十二円 大下新太郎・二十二円 橋本芳造・??? 中本岩造・二十二円 丸吉重次・二十二円 橋本与太郎・二十二円 大下仁市・二十二円 沖本保太郎・二十二円 沖本小市・二十二円 荒神鶴吉・二十二円 小松八郎・二十二円 河本芳松・二十二円 沖本鶴次郎・十七円 中本竹次・九円 中田?吉・十二円 沖中兼吉

大工統領 浜田京造
の、文字が読み取れます。

さらに、同時期だろうと思える別の小石碑に「胡子神社寄附芳名」とあって
十円 山本石工・五円 岡本礼一・五円 吉本円次郎・五円 オホハラ 石田喜作・五円 ヨシウラ 川原八郎・五円 アガ 高松泳造・五円 荒神為次・五円 吉本武一郎・二十円 浜田京造・七円 亀田石工・五円 竹原?一・五円 荒神久吉・五円 丸?源一・五円 ヒトノセ 初久?太郎
と、彫られます。

2015-06-13 058 
対する社殿の左にも沢山の方々の芳名が記された、昭和58年11月吉日の銅板を埋めた石碑もあります。
この年、おそらくは60年ぶりとなる大改築がなされたことでしょう。

2015-06-13 048 
事情は知りませんが、神社境内の直近に民家が迫っています。
と、いうよりも、民家の庭先に盛り土をして胡子神社を御招きした?って感じにも見えます。

あるいは、古くは渚の先の小さな神宿る小島だった場所なのかも?・・・(*^。^*)です。

2014-04-30 002 085
沖南胡子神社のすぐ脇に注ぐ二谷川河口と、はるか先には二谷川水源となる宇根山山系も見えます。

高田 荒神神社

高田グーグル地図D・荒神神社 
高田荒神神社は高田港の南、中谷造船所作業場の前にあります。

2014-04-30 002 105 
中谷造船所の巨大な防塵、防音壁で囲われた、すべり船台をバックにして高田荒神神社が建ちます。
境内への入口、左右の燈籠には「清明 荒神玉次」と彫られています。


2015-06-13 037 
荒神神社正面、まずは二拝二拍手一拝です。

能美町誌によりますと聖徳2年(1712)の頃、高田萩原の荒神の森にあったものを、八島を経て光泉寺へ、そののちさらに現在地に移設されたと云います。

2014-04-30 002 104 
格子戸の隙間から堂内部を拝見させていただきました・・・m(__)mです。

本殿の前には紫に染めた社幕が掛けられており、三つ巴の御紋と「奉納 大阪 荒神勝 平成十一年八月吉日」の文字が見えます。

堂内には寄進者芳名を記した木板も張られていますが、残念ながら判読ができませんでした。

2014-04-30 002 102 
境内の奥に重厚な石碑が建ちます。

「荒神神社寄附者」とあり、寄付金と芳名が彫られています。
三十円?とか二十円?とかの文字が見えますので、おそらくは大正末期か昭和初期頃の碑だろうと思います。

ちなみに、明治から昭和にかけての、教員(小学校?)の初任給は
明治19年 5円
明治30年 8円
明治33年 11円
大正7年  15円
大正9年  45円
昭和6年  50円
昭和16年 55円
昭和21年 400円
昭和23年 2000円
昭和26年 5050円
昭和32年 8000円
昭和40年 18700円
昭和50年 81104円
昭和55年 102336円
だった、そうです。

以上は、ネット情報「近現代・日本のお金」より・・・m(__)mです。

2014-04-30 002 099 
荒神神社とは中谷造船所の船台を挟んで、さらに南に小さな社が置かれています。

社名神名を記した碑がありませんので、何社なのか判別できませんが、能美町誌に、荒神神社を当地に招いたおり、近くにあった松の巨木を神として住吉神社を分祀したとありますので、おそらくはこの社が大松の枝下に祀られた住吉神社であろう???と思います。

2014-04-30 002 098 
石で組まれた台座の上に、花崗岩から削り出されたまだ新しいピカピカの祠が載せてあります。
後ろへと廻る前に、深く二拝、二拍手一拝・・・m(__)mです。

社の前の海には、かって巨大な松の枝が大きく張り出しており、その下を小魚が跳ね飛ぶ姿もみれたことでしょう。

その青い海は沖へと遠ざかりましたが、造船所で働く多くの作業員を見守り、その安全を願って・・・と、神様も昔のように、跳ねる小魚を見てるような暇はなくなりました・・・(^_^;)です。

青い海に代わって建った青い防塵壁、中央部に開けられた巨大なスライド扉は、中谷造船所の船台や作業場、浮きドックへの出入り口です。

高田 岩風呂神社

能美町高田グーグル地図A 岩風呂神社 
能美町高田は江田島湾と津久茂瀬戸に東面し、対岸は江田島町、背後となる西側は宇根山山系の尾根が沖美町三吉との境界線となり、南に隣接するのが能美町中町となる、能美島の北東端に位置します。

2015-10-16 015 
高田地区の守り神ともいえる岩風呂神社は江田島市内に現存する寺社の中ではもっとも標高の高い位置(約150m)に祀られています。

画像中央部付近の山(岩風呂山)尾根に針の先ほどに見える縦の筋が岩風呂神社例祭のために掲げられたのぼり旗で、そのすぐ左に社殿の屋根が点となって見えています。

ちなみに、一般には「岩風呂神社」ですが、「山神」とも「大山神社」とも「しろうくろうさま」ともいわれます。

2014-10-16 054 
一昔前までは、細い山道を杖を頼りにエッチラオッチラの参拝でしたが、平成になり付近の農道を延長してコンクリート舗装の車道が整備されました。

2014-10-16 055 
社殿や鳥居はまだ新しく、平成13年に一新されたばかりです。

2014-10-16 057 
例祭をまじかに控え、隅々まできれいに清掃がなされています。

2014-10-16 058 
拝殿の奥に仕切りをもうけて本殿とした、本殿拝殿併用方式の社殿です。

まずは深~く、二拝二拍手一拝・・・m(__)mです。

2014-10-16 060 
本殿の内からは、磨きあげた金属鏡があやしく光をはなちます。

拝殿奥に揚げられた大松の一枚板に、中町八幡神社攝社「 岩 風 呂 神 社 」

1、山名
岩風呂山

1、鎮座所
能美町高田岩風呂991番地

1、祭神
大山祇神
山野を司る農事神、海難救助航海 海の神

1、由緒
確証無之候得共
1)故人の伝ふる處昔玄海翁(1350年頃)と云ふ高僧が高田の里に来たり。
岩風呂山に登り頂上の大岩を一撃すると大岩は三つに割れ一つは越後国の高田の里に、一つは伊予国の高田の里に遠く飛散し。
此地に残りし大岩に四朗九郎と名付け、この岩を御神体として信仰すれば高田の里は五穀が稔り無病息災平穏であろうと告げて立ち去った。

2)中村八幡神社の座持が元亀元年(1570年)8月15日氏神社の祭式を仕舞ひおえて深更に帰り我が家にて少しの間眠り候と思いしに、白髪の老翁手に榊の枝を持ちて我は大山祇の神なり、此の郷の山野を守護可致、早く社を建て司祭と託宜、畢。
又夢覚めて見れば上件の榊の枝は枕許に立てり是夢なり。
依て村役人共に右次第を逐一語れば、頓社を造営し9月20日勧請す。

1、勧請
貞和年間(1345年頃)あるいは元亀元年(1570年)の二説あるも確証はない。

1、例祭
旧暦9月20日なれど、昭和初年頃より10月20日前後の日曜日とす。

1、社殿並に坪数
1)明治初年以前は不詳なれど、明治36年9月15日拝殿併用の社殿造営 木造5坪
2)昭和11年9月16日拝殿併用の社殿造営
3)昭和35年社殿老巧により修繕
4)平成13年5月13日拝殿併用社殿造営 木造6坪

1、境内
岩風呂山991番地 宅地1,815.04平米(549.6坪)
大鳥居1基・狛犬1対・燈籠1対

1、氏子
千五百余人

1、社人
中町 八幡神社 宮司第13代 原庸介

此の表示板は岩風呂神社境内の黒松(樹齢160余年)の幹の肥松を活用した縁りの表示であります。

2014-10-16 059 
奉納の絵馬には、中町出身藤本正 平成十三年十二月吉日とあります。

さらに、岩風呂神社社殿新築 寄付者芳名 平成十三年三月(順不同 敬称略)として

宗 崎
一万円 大石暢子 川口登 徳永智 徳永孝司 西田武 山崎政武 山崎豊 森志郎
八千円 池田久夫 大石忠義 大石テル子 大石三男 金井満男 河西春人 田尾武義 徳永敏 西田セツヨ 二藤三行 水口義昭 山崎チヨコ 山田サダノ 山中勲

小 方
五万円 岡組有限会社 田中武義 山本修二(呉服店)
二万円 小方憲三 藤原便 
一万円 安倍仁三郎 荒古江福一 石崎洋一 小野藤雅 加藤善人 小蔦九郎 新宮春年 林正作 平本トシ子 山田栄 山本カツミ
八千円 上向井サダ子 大段保 大段ミサコ 大原輝勝 大原久夫 岡香代子 岡満夫 小方重秋 小方敏夫 樫原千恵美 加藤義一 角田スミエ 川崎省治 川中利雄 川西松夫 川向正 北野サワヨ 久保繁人 小蔦英子 小中正治 迫田丈一 沢原照明 清水ミツエ 菖蒲田悟 新宮里見 新宮茂樹 新宮秀之 新宮雅宏 高宗鉄雄 田中章 田中照雄 谷本萬里子 津田千都子 戸田裕史 西田チカ子 萩原ハツミ 東原勝美 藤原静夫 古中中雄 本庄征二 前田幸秀 槇原靖元 丸子トシ子 間所俊男 松原正 丸橋政子 丸橋ヤイ子 山崎正光 山近望 若狭武 渡一明
五千円 木野照文 空本次男
四千円 石田近夫


二万円 原野秦弘
一万円 大原勇人 大原和義 大原重明 川向明光 木戸英三 木戸一幸 木戸登 松田文一 上向井敏則
八千円 上向井明信 胡子保 岡本勝 小畑ヨリ子 川向敏之 木下フジヱ 楠木博 重森道子 原野輝章 坂東哲二 松田光義
水戸セツヨ 山田清摩

間 所
五十万円 水島頼
十万円 中谷造船株式会社
五万円 川嵜幸雄
三万円 岡田年秋 津村裕滋
二万円 川西正彦 竹下悟 藤岡久子 
一万二千円 川向靖
一万円 大石靖 岡田広行 小方スマ子 岡本若水 亀田しず子 小松伸 下井田政喜 諏訪チエ子 竹内関夫 田盛孝文 花本節子 福永朝男 藤岡敏彦 藤岡幹生 森田保
八千円 植地梨絵 上諏訪貞 大原邦彦 岡田サミ子 小方光春 岡本勇壮 川井照子 河内洋司 川向チエ子 桑畑隆弘 河野秀直 五角憲作 五角昭二 五角義行 佐野精一 諏訪一男 諏訪健治 諏訪松子 瀬野恭文 空田又彦 高谷章良 高谷正和 谷哲彦 中谷敏義 二藤政則 萩本久美子 花本カズエ 浜田修三 原野隆 日当音一 一ツ井要 福川靖子 部谷成之 増田義夫 松井俊治 松岡伯恵 丸本誠二 丸本龍一 南里智子 向井美智江 山下肇 山野井宏 山本ハマエ 山村佳樹
五千円 浜井茂
四千円 川向達司


二万円 下田勇夫
一万八千円 藤本宗雄
一万五千円 鍵本哲彦
一万円 石田二三 岡田正子 川本一人 塩谷春光 中川清 流哲道 
八千円
大石主税 沖本静 鍵本勇 鍵本政人 加藤泉 加藤勝彦 加藤四朗 川谷茂 川向鉄夫 川本シズヱ 川本伯美 斉藤博嗣 空野恵美子 中川馨 中西浩昭 一ツ井信恵 一ツ井盛夫 副下マツ 松下正子 本崎八重子 本下マサ子 山野井佐子 山野井崇
三千円 川本ハルミ


二万円 空田有彦 山口卓夫
一万五千円 海谷則之 鍵本政夫
一万円 当原靖男 石川茂雄 大下貢 大福正行 鍵本積 片桐伸甫 下田ハルミ 竹本俊夫 棚林輝彦 田盛明見 寺西重邦 寺田久美子 浜本シズエ 槇原基 向井勢人 山口勇 山口照男
山口秀雄 山田博 山本章
八千円 池本輝子 大石美代子 大下シズエ 新田知子 向井チエコ 山口チヨミ 山本保 吉井敏信
六千円 久保文一


五十万円 新田カツ
1万五千円 山田千代枝
一万円 金川ミヲ子 西田薫 西田武子 松井五男 松井正一 山田雅子

下 井 田
十一万円 小松善槻
三万円 本崎保
一万円 加藤保 加藤フサヨ 小松勝彦 判野隆司 吉本正
八千円 石田一江 鬼本サカエ 鍵本玉枝 鍵本勝 加藤イトヨ 加藤清美 加藤武瑠 加藤秀夫 加藤政行 加藤ミチコ 加藤睦子 川崎栄己 川崎典彦 小松マサヨ 坂川明 下井田恵美子 下井田一二 下井田静人 下井田隆義 下井田民樹 下井田輝夫 下井田武徳 下井田芳則 田中幸男 二藤忠夫 浜岡福夫 前田憲治 松本スミ子 松本隆之 水口テル子 三崎義男 三崎より子 森井道行 山戸フミ子 渡辺信一

名 高 地
三万円 久保田進
二万円 中川文徳
一万円 大谷ウタ子 加藤軍一 堀沢敏子
八千円 胡子仁 大谷サミ子 久保田守 黒田昌彦 黒田渉 小松真一 小松タケ子 下井田薫 砂堀正 砂堀正治 砂堀実 住吉輝明 住吉正明 高林村次 竹本明 田中修二 中下孝則 長原敏博 流昭子 流政造 橋本八重子 坂東耕二 古沢京子 松葉ミヨ子 三崎宏夫 山崎カネミ 山崎志津江 山野井慧美子 山野井等 山野井ユキエ
五千円 田中孝 増田恵


一万円 大下守 沖本強 沖本年夫 沖本正 荒神敏博 小船義宣 丸吉茂明
八千円 荒神一洋
五千円 大下仁昭 小船淳二 丸吉茂喜
三千円 川端喜三一 
一万円 丸吉正松


三十万円 南部落一同
十万円 陣森水産
二万円 柳川貞男

前 田
三万円 林久光
八千円 大野薫 奥田敏久 荒神雄一郎 中田静馬 濵井幸孝 浜中勉 原上宏 前田和徳 前田照子 槇原隆

清 能 団 地
八千円 泉秀志 宇根川民夫 岡山保重 小川勝正 川嵜達也 加藤敏 表田啓太郎 茅原優 河野真人 喜多村昭宏 西塔敦 坂上鉄郎 下家吉量 高田修司 竹中進 徳永剛 古居俊彦 宮原千佳

町 外
百万円 東京都千代田区・加藤暠
十五万円 広島市南区・大儀正夫
十万円 広島市佐伯区・久保田勝見 広島市中区・山口キヨミ 広島市安佐北区・松田角一 広島市西区・吉本守
五万円 広島市中区・胡子忠行 大柿町飛渡瀬・大柿産業株式会社 広島市西区・岡崎又夫 広島市南区・東来軒加藤一憲 大柿町大原・浜野材木店 広島市南区・福田保男 広島市中区・部谷二三明 広島市西区・水戸正光
三万円 広島市佐伯区・岡崎勝芳 広島市南区・宇品東来軒加藤 能美町高田・田中繁行
二万円 広島市西区・大下喜太郎 広島市佐伯区・岡崎正通 広島市東区・荒神勇 広島市中区・松田巌 広島市東区・砂谷隆達 佐伯郡佐伯町・藤岡睦夫 広島市南区・山本正
一万五千円 能美町中町・原康介
一万円 広島市中区・海谷英爾 広島市西区・加藤忠正 沖美町三吉・川嵜信夫 能美町中町・川谷清 沖美町三吉・小園広国 広島市安佐南区・砂堀正之 沖美町美能・寺本繁樹 能美町中町・堂官みつえ 江田島町宮ノ原・前野えみ子 広島市佐伯区・森本照男 広島市南区・吉本一男
八千円 能美町高田・住本英子
一万円 能美町中町・島田水道

御神鏡奉納 大儀正夫
御鳥居奉納 石田二三
御狛犬奉納 流政秋 鍵本秀夫
御燈籠奉納 亀田孝充
御祠奉納 池田久夫 大石秀昭 川口登 河西春人 徳永智 徳永敏 西田武 水口義昭 山崎修治
参道土地提供 大石三男 川口登 木戸一幸 山崎栄章
の御名が記されています。

書き写しによる誤字脱字などありましたら・・・m(__)mです。

2014-10-16 075 
石風呂神社社殿の横手より、さらに石風呂山山頂へと延びる山道があります。

100mばかり登り傾斜も緩くなって、まもなく山頂では?と思える地点に、三つに割れた大石が道を塞ぎ、その元に銅板葺きの小さな祠が置かれていました。
傍には「四郎九郎岩」平成13年3月 施主 加藤暠 との標柱が立ちます。

神社由緒の玄海翁が一撃した岩の残骸なのかも?です。

さらに山頂方向に向かって山道が続いているようですが、足元が悪いのでここで引き返しました・・・(^_^;)です。

2014-10-16 076 
二代目あるいは三代目となる若松が曲を作って風情をかもす境内を、秋風がさわやかにはためきます。

2016-09-08 089 
境内の狛犬が見下ろす海面は江田島湾です。
画像中央部の尖ったシルエットが江田島町の古鷹山(394m)、右の奥で遠く霞む山々は呉市灰ヶ峰(737m)、さらに右には野呂山山系とその最高峰膳棚山(839.1m)まで見通せます。

鹿川 古地図

鹿川古地図全PNG  
上記地図は能美町誌に掲載されていた芸藩通史鹿川村絵地図を修正したものです。
判読が困難な地名が多く、除外した地名や誤記地名があります。

正確な地名を必要とする場合は、能美町誌あるいは芸藩通志の方をご覧ください。

注(1) :北側にある飛渡瀬との境界線が、中村の方に寄り過ぎている?ようなのですが、原画のままです。
注(2) :文久新開工事が開始されたのは文久元年(1861)です。

鹿川古地図PNG 
鹿川絵地図の右半分を拡大したものです。

「芸藩通志」文政8年(1825)に掲載の各村々の絵地図には村の中心部に必ず社倉と記載された建物が描かれています。
社倉とは古代中国の村々に置かれた食糧庫で、飢饉などのとき農民を救済するために平常から穀物を貯蔵しておいた倉のことです。

広島藩における社倉の起こりは海田市の儒者加藤缶楽(かとうふらく)の教えをうけた安芸郡矢野村の神官香川正直(かがわまさなお)の指導によって、矢野村・挿込村で寛延2年(1749)に社倉法を定め、凶作・飢饉に備えて村内の者が穀物を出し合って社倉に納めました。
備蓄穀物(主に麦)の徴収や保管配給は村民による自治運営でなされました。

その効果を認めた広島藩は明和7年(1770)「社倉法示教書」を公布し、広く領内に社倉設立を奨励、安永8年(1779)藩が元麦の下付けを下達したことにより、天明6年(1786)には町方及び郡中各村あますところなく社倉が造られ、以後明治初年まで存続したと云います。

ちなみに、享保17年(1732)の「享保の大飢饉」では冷夏と害虫により中国・四国・九州地方の西日本各地、中でもとりわけ瀬戸内海沿岸一帯が大凶作に見舞われ、島内においても甚大な数の餓死者を出しましたが、社倉が完備した時期の「天明の大飢饉」天明2年(1782)から天明8年(1788)においては、サツマイモ栽培の普及などもあって、島内村民の飢餓者は皆無だった(国郡志書出帳 文政2年1819年)と云われます。

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上の画像は、広島文化大百科「下筒賀の社倉」よりのコピペ・・・m(__)mです。

以下、山県郡安芸太田町「下筒賀の社倉」の説明文です。
明和7年(1770)、広島藩が社倉を制度として奨励し始めたため急速に普及。
各地に社倉が建った。下筒賀の社倉も、安永8年(1779)発起、建設されたものと見られている。
下筒賀の社倉は、穀物の搬出入に便利な往還沿いにある。木造2階建て、土壁、茅葺き屋根、建坪は約5坪(約16.53平方メートル)。広島県内に残る社倉の中では、創建時の形態をよく残しており、昭和36年(1961)11月1日県史跡に指定された。
土蔵の構造は、「坊主型」と呼ばれ、屋根と蔵の本体が別になっており、屋根を置いた形となっている。

鹿川やその他の村々の社倉も「下筒賀の社倉」と同じような造りだったろうと思われます・・・(*^。^*)です。

鹿川 いいとこ撮り 4/4

2015-06-23 087 
屋根の頂部に小屋根を乗せた建物は、その後サッシ窓を取り付けて改造されてはいますが、もとは葉タバコの火力乾燥施設です。
能美町誌によりますと葉タバコの栽培が始まったのは大正時代後期からで昭和40年代まで換金作物として盛んに栽培されたそうです。

農産物の生産種や量はその時々の時代背景により大きく変動します。
古来よりの米、麦、粟(あわ)はもちろんのこと、楮(こうぞ)、サツマイモ、エンドウ豆、梨、柑橘類(紀州ミカン・夏橙・温州ミカン・ネーブル・八朔)、除虫菊、茶、漬物用大根、養蚕、綿、砂糖キビ、和牛、乳牛、綿羊(ひつじ)、鶏、花き類、等々沢山の農産物が一時の輝きは見るものの、地域に根付いて数年長くても数十年でその価値を失い、消えていってしまいます。

現在江田島市では農業振興対策の一つとしてオリーブの栽培を奨励していますが、はたしていつまで?・・・(*^_^*)です。

ちなみに、鹿川古文書等の記録に江戸時代中期から後期の農産物として、
1、主食
米、麦、大豆、粟(あわ)、黍(きび)
2、野菜
あらいも(さといも)、牛蒡(ごぼう)、ちさ、ふき、ほうれん草、わけぎ、根深(ねぎ)、なすび、木瓜、うり、冬瓜、西瓜、南瓜(ぼうふら)、どうま(春菊)、めうが(みょうが)、らつけう(らっきょう)
3、商品作物とうとして
豌豆(えんどう)、小麦、ごま、稗(ひえ)、玉蜀黍(とうきび)、大根、空豆、猿豆(鞘えんどう?)、甘藷(さつまいも)、楮(こうぞ)、煙草、綿、茶、菜種、甘蔗(さとうきび)、西条柿、蜜柑、梨、などの栽培があったと云います。

2015-05-13 054 
私の好きな建物・・・(*^。^*)です。
通路に面して、下の階(半地下?)で牛などの動物を飼育し、二階が子供部屋、あるいは爺さんの隠居部屋?・・・。

木製の手すりにもたれ、団扇など使いながら中秋の月を眺めて見たいもの・・・(*^。^*)です。

2015-03-31 157 
川を挟んで向こう岸に、新聞の配達屋さん?です。
左から、スポーツニッポン、デイリースポーツ、日本経済新聞、産経新聞、毎日新聞、中国新聞、えっ、これだけ沢山取引先があるのに、読売新聞がありません。

きっと、ジャイアンツが嫌いなんだ・・・(*^。^*)です。

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無線用のアンテナが蜘蛛の巣のように張られた、アマチュア無線局です。

ここまで派手だとアマチュアとかじゃなく、もとは外国航路を往く大型客船の通信士とかをされてたんじゃ?・・・(*^。^*)って。

大型船の通信士といえばかっては花形職業、船長室に次ぐくらいの立派な部屋に真空管が何十本も赤く輝き、大型のヘッドホンから、トツー・トトツーツーって音が漏れ聞こえていました。

ちなみに、電磁波(電波)の存在はマックスウエルの電気と磁気に関する方程式により1873年に予測されていましたが、その電磁波を利用し実用的な無線電信へと大きく進化させたのはマルコーニで、1898年イギリスにおいて無線電信会社を創設、1899年にドーバー海峡横断の無線通信に成功します。
同年12月エレットラ号に船舶無線電信装置を初めて搭載、1901年大西洋横断無線にも成功しました。
かのタイタニックが遭難信号を発したのが1912年4月14日、この事故を教訓にして海難事故に関する国際間の条約が見直され、各無線局は緊急遭難信号を聴取する義務を負うこととなり、これにあわせて1915年(大正4年)日本においても無線電信法が制定されました。

当時の外洋客船無線室は6畳から8畳くらいの部屋を占拠して数台の送受信無線機を並べ、通信士数人を必要としました。
その大きな無線室が今は胸のポケットに入り、音声も画像も位置情報も瞬時に送受信できるおどろきの時代となりました。

2016-03-25 054 
私好みの玄関照明灯・・・(*^。^*)です。
中町の旧郵便局局舎にも付いてましたっけ。

玄関引き戸の上に取り付けられた、超繊細な欄間窓もすてきです。

2015-03-20 197 
運送会社さんの玄関脇に、「広島県トラック 厚生年金基金 加入事業所」とあります。
これだけしっかりと表示されていれば、台帳の記載漏れとか、納付漏れとか、後になって色々と世間を騒がすこともなかったろうに・・・(*^。^*)です。

2015-03-20 302 
細い路地の先に、花崗岩の分厚い切石で升に組まれた井戸がありました。

この地に人々が住み始めた当初から使われ、大切にされてきたのでしょうが、いましばらく必要とされる日は訪れない様子です。

2015-10-08 072 
路地脇にミカン箱くらいの木箱が投げ出されていました。

日本語文字の「登録商標」は右から左へと書かれ、英語は左から右に「EVRY HOUSU」、さらには、ひらがなで上から下へ「おてがる」って書かれています。

右から、左から、上からと、あまりおてがるな書き方じゃないと思うのですが・・・
ハウス食品の12皿分入りカレーの缶詰が12缶入っていた木箱です。

別の部分には浦上靖介商店謹製大阪の文字も見えます。
昭和35年に「株式会社ハウスカレー浦上商店」から「ハウス食品工業株式会社」に社名を変更したとありますので、この木箱はおそらく昭和35年以前のものでしょう・・・(*^。^*)ね。

2015-10-08 060 
鹿川旧街道の脇に見上げる高さに育ったサボテンがあります。
巨大ソテツあり、大サボテンありと南国情緒を身近に感じる街、鹿川・・・(*^。^*)です。

2015-06-23 040
農道の脇に、なんじゃこりゃあ~~~ ・・・(◎_◎;)です。

広島花博「グリーンフェスタひろしま'97」で使われたマスコット人形だろうと思うのですが???
「花卉の町」鹿川からも沢山の花々が出品され、博覧会会場を華やかに飾っただろうと・・・(*^。^*)です。

鹿川 いいとこ撮り 3/4

2016-03-25 021 
お家の裏山が桃園って、桃源郷のようなお家・・・(*^。^*)です。

お庭には、鹿川名物?ソテツの大樹が茂っています。
廻りを囲むイノシシ用の防護柵がなければもっと素敵に写るんですが、近年のイノシシ被害は尋常じゃありません。

堆肥とかの有機肥料を多量にすき込んだ良質な畑を一番最初に狙って来ます。
もしもイノシシ防護柵にわずかな隙間とかあれば、左っ側に見える二畝の畑(ニンニクとラッキョ?)など一晩で跡形もなく掘り返してしまいます。

イノシシがニンニクやラッキョを食べるかどうか知りませんが、手入れの良い畑には丸々と育ったミミズや芋虫などイノシシの大好物がいっぱいいますから・・・(^_^;)です。

2015-06-23 120 
もとは農作業用だった納屋の有効利用?、和風ビルトインガレージとして利用されています。

2015-03-31 176 
大矢地区の旧海軍貯油所に近い場所に建つ建物ですので、おそらくは戦前に造られた2軒長屋の海軍官舎だったろうと思われます。

2015-06-23 116 
もとは路地に面しても、多少の余裕をもって建てられたお家ですが、建築後に家の前を車が走るようになり、邪魔となった南向きの縁側を取り外し、軒下すれすれを車が行き交う、危険で風情の無いお家となってしまいました。

2015-06-23 122 
立派なお屋敷風のお家ですが、いまは住む人がいません。

庭の花畑だった場所に、夏草に埋もれながらもスイセンソウの赤花がしっかりとその縄張りを主張しています。

2015-06-23 134 
束石の基礎で造られた古いお家に、新しく布基礎モルタル造りのお家がドッキング。
息子夫婦の新居かも?・・・(*^。^*)です。

2015-11-10 113 
廻りの家々より少し高台にあったお家が一軒取り壊されました。
その跡地に植えられていた甘夏に、今年枝も折れんばかりに沢山の実がつきました。

2015-10-08 046 
特別大きなお家ではないのですが、玄関のガラスの引き戸は特注で一回り大きく作ってあります。
たとえばですが、横綱白鳳が訪れても大丈夫なように・・・(*^。^*)です。

2015-03-20 070 
島内(瀬戸内海地方)ではわりとメジャーな二重屋根構造のお家です。
庇を長く突き出し、夏の日差しや雨風を避けるためと、室内の天井を高く、あるいは中二階のスペース確保のためだと思いますが、そもそもの発祥地が?発案者は?・・・???(^_^;)です。

2015-10-08 042 
小さめのお家ですが、その分家族との距離は親密に・・・(*^。^*)です。
裏の自家用畑にはワケギが育っています。

ちなみに、ワケギはネギ属であるネギとタマネギの雑種です。
球根性の多年草でギリシアあるいはシベリア?が原産地とされる緑黄野菜です。
古くは南西諸島など亜熱帯地域で多く栽培されていましたが、現在ではポピュラーな野菜として西日本を中心として広く栽培されており、広島県尾道市及びその近隣で全国出荷量の9割を生産しています。

蛇足として、関東では「ワケギ」の使用は少なく、別品種の「分けネギ」や「アサツキ」をワケギと呼んでいたり、さらに本来のアサツキとは違う若い葉ネギをアサツキと呼んだりしていて、品種の混同がむちゃくちゃな野菜となっています。

以上ウィキペディア他よりのコピペ・・・m(__)mです。

鹿川 いいとこ撮り 2/4

2015-10-08 038 
鹿川地区においても敷地内に白壁の蔵を持つお家は多いのですが、家を新しく建て替えるさいには大方の蔵が取り壊しの運命に合うようです。

まだ白壁の傷みもなく、土台もきっちりと組まれた二階建てのりっぱな造りの蔵が健在でした。

2015-05-13 075 
あまり見ない「丸に一つ鱗内星」の家紋が付けられている蔵です。

ネット検索では
「鱗内星(うろこうちぼし)」は鱗紋のひとつ。
赤穂浪士の一人として知られる赤埴源蔵重賢が使用していた家紋。
彼は講談・浪曲・歌舞伎などでは赤垣源蔵の名で呼ばれており、そのことから「赤垣鱗」との別名もある。
赤埴という珍しい名字と、赤埴氏と同じく「鱗」を家紋としていることから源蔵は宇陀赤埴氏の一族と思われるが確証はない。とか?・・・(^_^;)です。

画像の蔵所有家と、宇陀赤埴氏一族との関係はまったく存じません。
ただ、深江大附だったか?赤穂浪士の墓とされる石碑があったような???・・・m(__)mです。

2015-12-13 016 
焼き板杉を張った、りっぱな長屋門です。

2015-06-23 098 
変形した造りの長屋門です。

2016-03-25 027 
お家の前を川が流れ道路とは橋で繋がる、とても贅沢で素敵な立地条件を備えたお家です。
ただ、自分で橋を掛けたり修理も自腹で、となると・・・(^_^;)です。

2015-06-23 086 
自分チ専用の橋って いいなぁ~~~ (*^。^*)です。

2015-03-20 210 
赤いレンガの塀で囲まれたお家です。
ちなみに明治の中期から大正末年の頃まで、隣町の中町や高田には沢山のレンガ工場があったと云います。

2016-05-26 095 
赤いレンガと小さく区切った窓ガラスの対比がとても素敵・・・(*^。^*)です。

2015-03-20 102 
扇風機やクーラーのない時代には、高い石垣を積んでその上にお家を建てれば、風通が良く夏の暑さや蠅蚊の飛来をもしのげる理想の生活空間でした。

2014-10-26 058 
傾斜地に建つ農家の一般的なレイアウトです。
農作業に必要な肥料や牛馬、その飼料や収穫物などの重量物を道路に近い納屋で管理し、家族の生活は細い石段を登ったその先奥で営みます。

2015-03-31 105 
牛馬を使った農作業にはとても便利で快適だったその高台での生活も、現代の軽トラとトラクター、そして家族の通勤用自家用車を必要とするご時世の到来は、まったく想定外の出来事です。

もしも今、電気、ガス、水道、ガソリンがストップしたら、・・・いったい、どうやって生活しましょうか?・・・(^_^;)です。

鹿川 いいとこ撮り 1/4

鹿川グーグル地図D 
能美町鹿川のグーグル地図です。

2015-03-20 206 
江田島市鹿川出張所兼鹿川公民館です。
この日は地域の親睦会?とかあったみたいで、皆さん大きな仕出し弁当をもって散会、お帰りになられるところ・・・(*^。^*)です。

戦国後期、毛利氏が大きく台頭する以前、この一帯は大原の能美氏を頭領として山野井氏、田中氏、中村氏と共に能美連合水軍とも呼ばれる一大勢力を誇っていました。

そのころ鹿川鬼崎の地に能美氏の水軍城があったとされますがその地を示す資料がありません。
おそらくはこの公民館が建つ小丘が鬼崎水軍城跡だろうと思うのですが?・・・。

2015-06-23 038 
江田島消防署能美出張所です。

江田島市消防本部は江田島町鷲部の江田島消防署所内に置かれ消防長のもとに
総務課
(庶務係・財政係・消防団係)
予防課
(予防係・指導係)
警防課
(警防係・救急係・通信指令係)があり

同所同本部に江田島消防署が付随し、消防署長のもとに
(第 1、2警防係・第 1、2消防係・第 1、2救急係)が編成配置されます。

さらに、広域対応の必要から鹿川に能美出張所が置かれており出張所長のもと
(第1・2警防係)が編成配置されています。

ちなみに、平成28年4月現在の総職員数は67名、内救急救命士11名、平均年齢38.6才の精鋭です。

平成27年中の建物火災は14件、林野火災0件、車両船舶等の火災7件、火災による死者0名負傷3名、急病その他による救急搬送は驚きの1363名、毎年住民の18人に1人がお世話になっております・・・(◎_◎;)です。

2016-05-26 052 
能美町鹿川文化センターです。
鹿川湾に面して建つ洗練されたデザインの建物はチョット見、大企業の保養所風です。

当文化センターでは地域住民を主導し、エコクラフト教室、和小物・パッチワーク教室、健康体操、いきいき百歳体操、料理教室など多彩な催しを企画発信しております。

2014-10-26 020 
東浜付近の高台から見た鹿川の街並みです。
いらかの向こうに霞むのは江田島市最高峰の宇根山(541.8m)です。

2016-05-14 037 
尾登地区を見下ろす高台から見た鹿川湾とその先の大矢地区、遠くは大黒神島の櫛ノ宇根山(459.9m)です。

2014-10-26 052 
尾登地区の高台に建つお家です。
真道山山系からの尾根の一つですが、眼下に鹿川の家々や新開干拓地を見渡せる絶景の丘です。

崖下に生える1本の大きな木は推定樹齢100年?くらいのムクロジです。
廻りに生育を妨げるような木々もないので、このままグングンと大きく育ってほしいものです。

ちなみに市内には江田島町津久茂に推定樹齢が300年?くらいの巨大ムクロジがあり江田島市指定の記念物とされています。

2015-10-08 027 
郷地区の高台から見た鹿川の中心部、画像中央付近に鹿川小学校が、右にJA鹿川が見えます。

2015-06-23 058 
荒神地区の高台から見た遠景は鹿川地区北部、スーパー藤三能美店のある方向です。
手前の土手に大きく伸びたシュロの木が2本あります。

子供の頃お祖母さんがシュロの葉っぱを裂いて籠を作ってくれたり、糸で編んで蠅たたきや、団扇を作ってもらった記憶があります。

そうそう、シュロ皮をメダカの水槽にも入れた記憶がありますし、垣根を作るには竹をシュロ縄で縛ったり、プラスチックやビニール、アルミ製品の無い時代、生活必需品として最大限に利用されていたシュロですが、今は庭木にするには汚らしく管理の面倒なただの雑木となってしまいました。

2015-03-20 252 
南からのそよ風で小さなさざ波が寄せる鹿川湾です。

何度も繰り返された干拓で白砂の浜はなくなりましたが、まだまだ海は広いな大きいな・・・(*^。^*)です。
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