江田島って・・・どんなとこ?(ただいま試験中です。)

 
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おもしろ話題と画像の「どんなとこ 掲示版」   

* これより下の項目は製作途中で、現在30%が使用可能・・・(^_^;)です。 *
江 田 島 の 景 色(地図と概要

江田島町  大柿町  能美町  沖美町

江 田 島 の 植 物  
 
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畑 沖恵美須神社

s-沖美町畑B・恵美須神社 
沖美町畑漁港(沖港ともいいます。)から海岸道路を隔てた埋め立て造成地に沖恵美須神社が建ちます。

s-DSCN2712.jpg 
この恵美須神社は旧畑魚港を冬の季節風から守る岬の突端にありました。
石段を上った先の今はコンクリートで固められた大岩により沿って建っていましたが、残念なことに平成3年の19号台風により倒壊しました。

s-2015-03-13 269 
岬の突端からこの地に移転し、再建が叶ったのは平成5年の10月です。

神殿脇には、移転再建に尽力された大勢の方々の芳名を刻んだ銅板が残されており、添え文として「平成三年台風十九号により神殿倒壊につき平成五年十月当地に再建されました」
と記され、平成5年十月吉日
代表世話人 沖漁業協同組合
  組合長理事 島津栄三 と、刻まれます。

s-2015-03-13 270 
二拝二拍手一拝 ・・・m(__)mです。

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撮影は2015年3月、平成5年(1993)の移転再建からすでに21年と半年、銅板葺きの恵美須さんにも目に見えないところで少しづつ傷みが出始めたご様子です。

s-2015-03-13 272 
境内には魚魂碑が建ち、「大海原をふるさととする魚介も等しく生命あり 我等はこの生命の上に生活を築き今日の繁栄を見る 願はくば魚介の霊よ安らかに ここに追弔の誠と感謝の意をこめて碑を建立す」
平成五年十月吉日
沖漁業協同組合 組合長理事 島津栄三 と、刻まれます。

s-DSCN2750.jpg 
後日、再び訪れると・・・

新たな石板も建ち
弐百萬円 江田島町 株式会社フルサワ 代表取締役 古澤成憲
五拾萬円 呉市 大新土木株式会社 代表取締役 新田清剛 
壱百萬円 呉市 ダイユウ技研土木株式会社 代表取締役 井場徳翁
弐拾萬円 能美金属工業団地協同組合 代表理事 古澤成憲
壱拾萬円 
久栄建設・五興石材・小林建設・澤岡鐵工所・三商・七福組・砂川組
空久保建設・空久保石材・坪稀・室来建設工業・三高運送・宮本海産
山根建設・・・などなど地元関連の業者名と寄付者の芳名が続きます。

添文として「平成五年当地に建立された神殿が著しく老朽損傷したため上記有名のご寄付によりここに新しく建立されました」
平成二十八年十月吉日
代表世話人 沖漁業協同組合 代表理事組合長 丸本秀夫 と、です。
(誤字脱字ありましたら・・・m(__)mです。)

s-DSCN0400 (2) 
23年で新しく再建された沖恵美須神社です。
あらためまして、二拝二拍手一拝。 
ま、ぶ、し~~~ (*^。^*)です。

s-DSCN0398.jpg 
神殿は真っすぐ畑漁港の方を向き、海の向こうの島影は大黒神島です。

s-DSCN0392.jpg 
今一度深く頭を垂れて・・・m(__)mです。

畑 荒神社

s-沖美町畑A・畑荒神社 
畑地区は西能美である沖美町、旧沖村の岡大王地区と是長地区とに挟まれた、宇根山の南西斜面に位置します。
(グーグル地図でははっきりしませんが、大黒神島の北西部も畑地区に入ります。)

畑地域の氏神、畑荒神社は岡大王地区との境界付近、宇根山から続く尾根の小丘を削って建ちます。

s-2015-03-13 206 
平成14年に再建された畑荒神社に祀られるのは
手置帆負神
屋船久久能智神
屋船豊受姫神
彦狭知神
の四神と、云われます。

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拝殿前で、二拝二拍手一拝・・・m(__)mです。

拝殿内の正面に「荒神社」の社額が掛けられており、左右には仁王様の額が奉納され、額下に沖美町畑  登地靖徳 平成14年11月吉日とプレートが付けられています。

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棟木には板が打ち付けてあり
正殿再建 十月吉日
議員 大?栄 大川秀郎
世話方 中本文吉 岡田岩吉 中田和助
さらに別板に 
世話方(イロハ順)
泉川柳吉 岡田吉松 岡田常太郎 岡田初吉 横田利助
竹本三次郎 空本藤一 坪木泰吉 中本常太郎 熊本庫次郎 
八木仁吉 松本實一 木戸出翁助 木村亀三郎 霜野群三郎
昭和六年十月二十五日再建
八幡神社神官 原勝彦
時ノ村長 神川登
大工棟梁 空久保準一 空久保久雄 鍵野宮夫
石工 川崎喜代次郎 川崎績 中田勇
左官 深江村 米田秀一
木挽 堀川茂 泊野柳一
御殿棟梁 梶亀一
労力奉仕 畑青年団員一同 時ノ支部長 増田宗雄 副支部長 前崎勇三

と、あります。
(誤字脱字は・・・m(__)mです。)

s-2015-03-13 223 
さらに別の古い板には
正殿再建 十月吉日
本村 加藤伊三吉 加藤重作
日日村 山口幸太郎
左官? 阿加村 ?千助
石工 畑村 泊野清吉
別板に
明治五年 壬申 九月吉日
世話方
森川愛之助 美田清介 大?米助 熊本幸次郎 山根林三郎 谷本谷三郎
森田?太郎 森本次助 尾田准一 山下秋年 前寄?七 伊反田儀一郎
平野栄? 田川虎年
棟梁
高田村 加藤伊三吉 加藤伊サ次郎 加藤重作 山口幸太郎
原田福次 栄田興吉
木挽
大王村 傅次
左官?
阿加村 千助
石工
當村 利?
(誤字脱字は・・・m(__)mです。阿加村は阿賀村です。)

s-2015-03-13 213 
拝殿内には他にも沢山の写真が額に入れ掛けられています。
おそらくは写真好きの地元有志の方が、荒神社再建後に昔の写真もまとめて現像し奉納されたものでしょう。

左は、昭和32年9月吉日 オタフク舞手 空久保渡
右の額は、昭和37年9月吉日 メンシシ舞手 田代良暁・佐野博隆

メンシシは何処で撮影されたのか不明ですが、オタフクは能美町中町の八幡神社本殿で撮影されたものです。

中町の八幡神社は、沖美町(旧沖村・旧三高村)と、能美町(中町・鹿川・高田)、5地区の総氏神さんで、毎年秋の例大祭はこの5地区が持ち回りで執り行います。
奉納の舞である、お多福や獅子、ダイバ(天狗の面を被り薙刀や刀をもって勇壮に舞う)も、当番となった地区の若者が演じます。

ちなみに提婆(ダイバ)とは、釈迦仏の弟子である、提婆達多(だいばだった)のことで、のち釈迦に違背し分派して新しい教団をつくったとされます。
他にも釈迦への敵対行為が多く、仏の道を邪魔する鬼にもたとえられましたが、死期を悟ると再び釈迦に帰依したため、許され地獄道を脱したとされます。

提婆の舞は江田島八幡宮、大原新宮八幡宮でも奉納されますが、共に荒ぶれる勇者の一面が強調された舞いとなっています。
また、四国(愛媛)にも提婆の風習が残りますが、こちらでは棒を振り回しながら神輿の先導を務めたり、反対に邪魔をしたりと入信、背信を繰り返した提婆達多をそのままに演じている様子です。

s-2015-03-13 215 (2) 
昭和42年9月吉日 オンシシ舞手 山西松雄・泊野己亜とあり、撮影場所は畑荒神社?だろうと・・・です。

s-2015-03-13 216 (2) 
昭和52年9月吉日 オタフク舞手 空久保稔、撮影場所は八幡神社本殿。

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昭和57年9月吉日 ダイバ舞手 空久保一美、撮影場所は八幡神社本殿。

s-2015-03-13 217 
昭和62年9月吉日 ダイバ舞手 空久保一美

平成9年9月吉日 ダイバ舞手 木原忍、共に撮影は八幡神社。

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平成4年9月吉日 オタフク舞手 空久保美幸、撮影は八幡神社。

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畑荒神社 取壊し安全祈願祭 荒神社にて平成14年8月8日・・・と。

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平成14年9月吉日 オンシシ舞手 神垣勝則・空久保雅樹、撮影場所は八幡神社。

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奉納寄進 鯨之歯 施向政助 昭和十四年八月吉日。

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再建された荒神社本殿です。
観音開きの頑丈な鉄扉は旧本殿の扉がそのまま再利用されました。

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再建された拝殿の右側面です。
まだ、新築の匂いが漂い、新瓦は銀色に輝いています。

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旧畑荒神社の大屋根に乗っていた鬼瓦です。

広く整地し直された境内の隅に、しっかりと固定し立て掛けてあります。
浮き出る模様は打ち出の小槌、信心深い畑の人々にはたくさんの幸せが振り出されました。

岡大王 いいとこ撮り 2/2

s-2016-09-15 018 
人口減少が甚だしい江田島市内にあって、さらに過疎化が懸念される旧沖村地区(是長・畑・岡大王)ですが、かっては廿日市や宇品は対岸であるという利便性を発揮し、経済的にも文化的にも他地域以上の発展を見ました。

現在の江田島市内にあっても他では見ることのない様な、すばらしくりっぱな石垣を組んだ大邸宅がこの旧沖村地区には沢山あります。

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往還道沿いに、高く積まれた石垣の上に土塀を築いたお城のようなお屋敷もあります。
さらにその広い邸内からはみ出したソテツは、広島県の天然記念物である鹿川の大ソテツを凌駕する勢いで育っています。

このような、お城の石垣にも匹敵するような巧みな石組みは江田島市内でも旧沖村地区、中でも是長地区で際立っており、農閑期に段々畑に石垣を積み上げる技術から発展したものとは全く異質なものです。

お城を築くことのできる、特殊技能を継承した石工の小集団が、旧沖村地区に移住し活動した可能性も十分に考えられます。

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県道沿いの路肩に二台の脱穀機が並べ置かれています。

より新型と思える手前の脱穀機には「KATAKURA」の名が入った片倉機器工業株式会社製の片倉式脱穀機です。

この片倉機器工業株式会社は長野県松本市にあり、昭和19年、空襲を逃れて疎開した三菱重工名古屋航空機製作所の技術者と設備を継承し、同21年農業機械の生産販売を始めました。

昭和30年動力脱穀機の日本工業規格第一次の表示許可を取得、昭和44年オールスチール製軽量自動脱穀機を開発、その後も多岐にわたる農業機器の開発を手掛け、「消費者を大切にしたもの造り」をモットーとし躍進を続けています。

画像の脱穀機は自動式には見えませんので、昭和30年~40年くらいの間に製造されたもの?でしょう。

s-DSCN0704.jpg 
主要部以外は木製の脱穀機です。

「TRADE HARAK」「MALUYO」と銘の入った脱穀機?です。
昭和40年代???まで、マルヨ式脱穀機として生産販売がされていた様子ですが仔細不明・・・(^^;)です。

おそらくは、昭和30年以前の動力式脱穀機だと思うのですが???・・・。

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左は、陶製の醤油樽で、上部をとても器用にくり抜いていあります。

右の火鉢のような陶製品は何でしょう???。
下部に穴が開いています???
縁の部分に「發明人 本藤光太」って、刻印も入っています。

二つとも、水に関する物のようですが???。
水には大変な難儀をする地区でしたので、屋根に降った雨水の集水枡?かも???・・・です。

s-DSCN0699.jpg 
お百姓さん必衰の文明利器、軽トラです。

マツダの「ニューポーターキャブ」、エンジンは三菱自工製2G23型4ストローク2気筒SOHC「バルカンS」550cc、発売は1977年(S52)からです。

フロント下部に自然対流式外気取り入れ口があり、作動は運転席に座ったまま足で蹴り上げる?だったと思います・・・(*^。^*)です。

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農道脇にクワの樹の古木がありました。
大正時代に試みられたと云われる養蚕のなごりかも?です。

ちなみに日本最大とされる桑の樹は群馬県沼田市の「薄根の大クワ」です。
薄根の大クワは、幹周り5.6m、樹高13.6m、推定樹齢1500年とされます。

当地岡大王の大クワは、幹周り約2m、樹高約7m、推定樹齢おおよそ100年???・・・(^^;)です。

s-DSCN0709.jpg 
農道脇や、家々を結ぶ小径の石垣の上にはよくスイセンが植えられています。

早春のまだ花の少ない時期に、心和むほのかな香りを漂わせます。

s-DSCN0721.jpg 
往還道沿いのわずかな平地を利用してトタン屋根が架けられ、その下で真っ白な大根が切り干しにされています。

年明けの爽やかな春風を受け小刻みに揺れます。

s-DSCN2532 (2)  
岡大王の沖、阿多田島との間にある航路を海外からの大型客船が広島港へと進みます。

江田島市内にあっても、もっとも早くに異国の新風を感じ取ることのできる土地柄・・・(*^。^*)です。

岡大王 いいとこ撮り 1/2

s-グーグル岡大王(PNG)b 
グーグル地図から沖美町岡大王地区を切り出したものです。

大黒神島の地図がはっきりしませんが、実際は大黒神島の左上、北西部分、島の1/3が畑地区で残り2/3の南東部分が岡大王地区となります。

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此のあたりで、もっとも古くから人々が住み着いたであろう付近の、展望の良い小丘の上に樹齢200年はありそうな柿の木が育ち、その下にカーテンの閉ざされたお家が残ります。

そもそも治安の悪い太古瀬戸内に点在した小部落には自衛力などありません。
集落は海からの外敵に備え、いつでも山中に逃れることができる場所であることを第一に、次には飲み水と食量、さらに住居や煮炊きに必要な木材などが確保できる地があれば、そこが楽園でした。

やがて近隣の統治者の庇護を受けるために、高い年貢を支払う代償として、最低限の安全と利権が得られる世となりますが、権力者に媚びる(責務を果たす)ことにより安全と利権が担保となる人間社会の定めが変わることは、今もこの先もありません。

一生、だれとも遭遇せず、一人で無人島に隠れ住む暮らしができれば別ですが・・・(*^。^*)です。

s-2013-11-21 002 019 
放任され、しばらく剪定を免れたモミジが大きく自己主張を始めてきました。

押さえられればしとやかに弱弱しく育つモミジの樹々も、ひとたび開放されればその勢いは思った以上に・・・(*^。^*)です。

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防風、あるいは崖の補強になればと残したアベマキ?の樹が、お家よりも大きくなりました。

s-DSCN0715.jpg 
つい最近までご隠居さんがお住まいだったみたい?、余分な飾りのない端正なお家です。

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かなり大きな農家をされておられるご様子で、納屋が2つもあって曲がり屋風にくっ付いて作られています。
もしかしたら、二階は子供部屋?だったのかも・・・(*^。^*)です。

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大きめの基礎石を組んだ上に、重厚な造りの土蔵が乗ります。
ご先祖様伝来のお宝が、ぎっしりと詰まっていそうな・・・(*^。^*)です。

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とても落ち着く設計のお家です。
格子のガラス戸玄関も、シンプルでいいなぁ~ ・・・(*^。^*)です。

s-DSCN7605.jpg 
小さめなお家だけど、これまた端正な造りです。
お百姓さん家じゃなさそうだから、御隠居さんは元は公務員(官吏さん)とか?か?、なぁ~ ・・・(*^。^*)です。

s-DSCN3918.jpg 
大石川を挟んだ北側に建っていますので、となりの畑地区?かもですが、その此方側に建つ沖農協の倉庫となります。

今の新しい畑魚港ができる前は、おそらくこの倉庫の前に直接船を繋いで、荷物の出し入れをやってたのだろうと思います。

建てられた時期は不明ですが、土壁に漆喰を上塗りした白壁造りです。

s-DSCN7853.jpg 
お屋敷の裏に急峻な段々畑を背負って建つ、農家造りのお家です。
右の納屋には牛が飼われていて、その下に広がる田んぼを耕し、敷き藁や牛糞は裏の段々畑に肥料として背負い上げていたのでしょう。

ちなみに、江戸後期の「芸藩通志」によれば、岡村の農家は66戸で牛の飼育数が26頭、大王村の農家は85戸で、30頭の使役牛が飼育されていたと記載されます。

昭和40年代となって化学肥料の急速な普及や、農作業の機械化により使役牛としての役割は終えましたが、今までの育成技術を生かし、乳牛や食肉牛の肥育が試みられました。

ただ、当地において広大な牧草地や飼料畑などは望むべくもなく、大半の飼料を輸入品にたより、さらに一家に1、2頭の零細経営では他地域、さらには海外の畜産業に太刀打つことはできません。

それでも、昭和後期までは各村々に一軒程度はあった畜産農家も、拡大する農産物自由化の荒波に呑まれ、ついには市内で牛を見ることはなくなりました。

学校帰り、田んぼを耕す牛さんの力強い姿にひかれ、遠回りをしてあぜ道に入り込み、レンゲの花を食べさせようと大声で牛を呼んで、まだ仕事中だとおじさんに怒鳴られたり・・・と。

そんな♪ 時代も♪ あったねと♪・・・(^^♪ です。

岡大王 能美金属工業団地

s-グーグル岡大王・工業団地 
岡大王の南端、大矢鼻から赤曲鼻の間の浅海を干拓して能美金属工業団地があります。

金属団地 
鹿川の大矢地区から大矢鼻、岡大王の赤曲鼻付近(横網代)は、戦前旧海軍の燃料保管庫として干拓造成がなされたもので、昭和22年の航空写真にも、燃料タンクのあった痕跡が沢山確認できます。

赤曲鼻農地 
これらの旧海軍用地は戦後農地として近隣住民に払い下げられましたが、鹿川大矢地区の南部は1953年、三菱系資本により買収され「鹿川ターミナル 株式会社」が設立されました。
現在総容量約76万キロリットルの原重油タンクを保有し、西日本の電力事業者や一般産業家向けに原重油の受け入れ、貯蔵・払い出しの業務を行っています。

大矢鼻より西側の大王横網代地区はその後も農地として葉タバコなどを栽培していましたが、販売価格の低迷や、連作障害、農業用水不足などの諸問題もあり、昭和45年に横網代地区の一括売却が決定、46年造成工事、47年ころより一部企業の操業が開始され、「能美金属工業団地協同組合」が発足、約20社の三菱造船下請会社が移転して、建造船の部品などの製造をはじめました。

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金属工業団地内の案内図です。

江田島市唯一となる工業団地内には、最盛期20社の造船業下請け企業が集中しましたが、その後の造船不況で半数が撤退することとなりました。

今に残る企業は精鋭中の精鋭、更なる技術の開発発展集約を目指し日本工業会をけん引すべく大きく活動を続けています。

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横網代の能美金属工業団地遠景です。
船体ブロックや、大型の部品も簡単に搬入搬出が可能な大きな天井クレーンのトラスレールが海上にまで張り出しています。

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金属工業団地に隣接する、フルサワ K K(旧古澤鋼材 KK)の船舶解体場で解体作業を待つ、護衛艦「ひえい」と、「SUPER LINER OGASAWARA(スーパーライナー オガサワラ)」です。

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ちなみにスーパーライナー オガサワラは、東京~小笠原間を乗客742名と貨物210トンを搭載し、速力38ノット約16.5時間で結ぶ夢の高速連絡船となる予定でしたが、往復の燃料費が2,500万円(2005年当時)掛かることから、購入元の小笠原海運が引き取りを拒否、完成後もPR活動等に使用されたのみで、長く建造造船所である、三井玉野造船所の岸壁に係留されたままとなっていました。

2012年になって解体が決定し、江田島市のフルサワ KKが受注、当地岡大王の赤曲鼻沖に回航されました。
(ウイキペディアより引用・・・m(__)mです。)

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2014年4月、解体場へ陸揚げされ艦首部分を残すのみとなった護衛艦「ひえい」です。

右側が艦首方向で、上甲板の中央に残った2つのドラム缶状のものは揚錨機、錨の上げ下ろしや係船用のロープを巻き取る作業で使用します。

船内の様子はわかりませんが、一般的にこの付近は倉庫として使われることが多く、錨鎖(錨用チェーン)庫、索具(ロープ)庫、ペイント庫、応急修理予備品庫などがあり、最下部にはソナードームやソナー探知機器がある?と思うのですが???です。

ちなみにヘリコプター搭載護衛艦「ひえい」は、石川島播磨重工業東京で1973年に進水1974年就役し、横須賀第51護衛隊に編入されました。
基準排水量5,050トン、全長153m、機関は蒸気タービンで70,000PS、最大速力31ノットで、5インチ速射砲、20mm機関砲、アスロック、シースパロー短SAM、短魚雷発射管を装備し、ヘリコプター3機を搭載しました。

武器など装備品を除く建造費は91億円???・・・とも。

最終所属は呉第4護衛隊、退役は2011年3月16日で、就役期間36年3ヶ月は歴代海自艦艇の中で最長、地球44周に相当する航海を無事に終え、当地で終焉を迎えることとなりました。
(ウイキペディアより引用・・・m(__)mです。)

s-DSCN0664.jpg 
昭和20年8月、人類史上最大最悪の戦が終結しました。
大きく深い反省と急速な復興とを果たしつつ、平和の時を長く満喫し続けた赤曲鼻の白砂に小さなさざ波が寄せます。

s-DSCN0660.jpg 
鉄サビのような赤い色をした花崗岩から名付けられたであろう赤曲鼻先端部です。
その先端を取り囲むように届くさざ波の向こう、大黒神島がさらなる大波到来を固く防ぐ格好で両袖を大きく広げます。

神風が吹くか、それとも台風か、できることなら薫風のままで ・・・ ・・・ です。

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その後の「オガサワラ」は2015年8月25日、沖美町岡大王から江田島町秋月の船舶解体場(フルサワ KK)へ、最後となる航海をタグボートに引かれていきました。

当時の東京都知事石原慎太郎の典子夫人により命名された「SUPER LINER OGASAWARA」は、2017年5月、すべてが解体されて、ただのアルミニュームの金属片となりました。

ちなみに研究費などを除く建造費は一説によれば115億円???とも。

岡大王 名勝「笠松」の跡

s-グーグル岡大王・笠松碑 
旧正光港の最奥、大王天満宮の乗る王城岬(鼻)の先端部に、かって「笠松」あるいは「さがり松」と呼ばれる古松がありました。

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古くより人々に名勝として親しまれた「笠松」の景観は、昭和50年ごろマツクイムシの猛攻により一瞬で消滅しました。

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平成になり、手狭となった県道36号線のバイパスとして海岸道路の拡張工事が進展。

削り取られる運命となった岬の先端部分に残った花崗岩の奇岩部分を移設し、新たに若松を添えて、名勝「笠松」の跡とし、旧正光港の埋め立て地にその由来が残されることになりました。

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笠松の枝下、岬の先端部に残っていた奇岩は、花崗岩の風化初期にできる方状節理とよばれるものです。
ちなみに、方状節理(ほうじょうせつり)は、花崗岩のような深成岩によく見られる現象で岩体が直方体状となる節理をいいます。

岩石の節理現象には、他にも玄武岩によく見られる柱状節理や放射状節理、安山岩の板状節理があり、著明なものは国の天然記念物に指定されることも多くあります。

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かって笠松をはじめ、松の古木で鬱蒼としていた天神の杜も、その岬を守るすべての松が枯死したことにより、急速に風化が進行、ついにはコンクリートによる崩壊防止工事を受けることとなりました。

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岬の先端を削り取ってコンクリートで固め、昔からの港を埋めて幅広のバイパス沖海岸道が完成しました。

笠松 
昭和50年2月の正光港と、鬱蒼とした木々の中にある大王天満宮です。

画像でははっきりしませんが、おそらく「笠松」も健在だったろうと思われます。

CIMG3940[1] 
画像は江田島町切串にあった、花崗岩の方状節理が著明な崖です。

大王「笠松」の枝下にあった花崗岩奇岩とそっくりな状態で、つい先年までは健在でしたがこれも地震などあったら危険だということで、ワイヤーネットとコンクリートで塗り固められ、崖下のお地蔵さまも安全な場所へとお引っ越しされました。

このような自然の奇岩や古木には古来精霊がやどるとされ、信仰の対象とされました。
大王の天神様も元々はこれと同じように、花崗岩奇岩と古木笠松の自然信仰が始まりであったやも???・・・(*^。^*)です。

岡大王 農道・沖離島農道

県道・往還道・農道AA  
旧沖村(是長・畑・岡大王)地区を縦断する道路として、江戸時代に道幅90cmで開通したとされる往還道、大正から昭和にかけ整備が進んだ県道36号線、平成に入って大きく改良された護岸兼用道路であるバイパス沖海岸線、集落の最上部を縦断して昭和後期に広島県離島振興計画により開通した沖離島農道があります。

s-2013-11-21 002 001 
沖離島農道は離島振興計画により昭和後期につくられたもので、当初は軽トラの離合にも不便な道幅でしたが、近年になり農業用水管の埋設と合わせ、道幅も大きく改良されました。

広島県離島振興地域指定a 
上図は「広島県離島振興計画(平成25~34年度)」からのコピペ・・・m(__)mです。

江田島市の一部(津久茂・高田・沖美・深江)は早瀬大橋架橋後もしばらく離島指定がなされていましたが、現在は解除され、あらたに「江能倉橋島地域半島振興計画」が始動することになります。

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普通車の離合も十分に可能な道幅に整備し直された沖離島農道です。

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集落の最上部を縦断しますので見通しも良く、岩国や大竹市の阿多田島、宮島まで一望できます。

眼下の大屋根は専念寺の本堂、その先、防波堤の内側が畑漁港です。

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農道は広くなり、対向車に気遣いする必要は無くなりましたが、急傾斜地につくられた農地は2、3mの幅もない段々畑の連続です。

当然、トラクターなどの重機が使えるわけもなく、今までどおり肩に背負って肥料を運び、クワでもって耕すか、せいぜい小型の耕運機を一段づつ畑の石垣越しに上げ下ろしして使うしかありません。

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お百姓さんの大変な苦労に応え、ジャガイモが宝石のような花をつけました。

地勢は急斜面ですが、花崗岩の風化土は作物の根っこを優しく包み、海風が揺らす葉っぱには、太陽からの光が溢れんばかりに注がれます。

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キャベツも今が成長の真っ盛り、大きく広げた葉っぱで太陽のエネルギーをすべて吸収、光合成反応をフル回転してガンガンと養分をため込んでいきます。

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整備された沖離島農道を一歩外れると、昔ながらの軽トラの離合も不自由な農道ばかりです。

季節は1月ですが、落ち葉や枯れ枝はきれいに取り除いてあり、お散歩だけのよそ者には理想の遊歩道、左右も前後も上下遠近も四季折々の最高の景観が演出されます。

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お城の石垣のように高く積まれた段々畑には、超小型の耕耘機を出し入れするのも一苦労です。

でもクワを使って耕すよりは格段にはかどりますし、女性でも・・・なんとか。

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平地の何倍もの重労働がともなう段々畑では、収益性の高い花き栽培などが適しますが、設備投資や栽培技術の習得、販売ルートの開拓など、またあらたな難問もいっぱい・・・。

温室内には管理手入れがゆき届いたスイトピーが色鮮やかに咲き競います。

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大黒神島と、海の青と、木々の新緑と、色とりどりの春の花・・・(*^。^*)です。

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夏みかんの向こうに広がる岡大王集落と、その先に伸びる半島の先端が赤曲鼻、さらにその向こうは深江沖野島、長島、はるか遠くに倉橋島の山並みまでが見通せます。

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岡大王地区の最南部、赤曲鼻の手前には巨大な温室設備を持つ、沖美ベジタ(有)があります。

建設業界からの異業種参入だそうですが、研究熱心で丁寧な作業管理、沖美町の豊かな自然環境とがうまく調和し、とても美味しいイチゴが育つといいます。
栽培品種は「紅ほっぺ」、大粒で色鮮やか、3月から5月に掛けてはイチゴ狩りも体験できます。

岡大王 県道36号線

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沖美地区(特に旧沖村)には急こう配な山裾がそのまま海岸へと落ち込む地形が多く、海岸沿いに道路を作るには近年の大型土木機械の登場が不可欠でした。

そのため、古くは耕作地を結ぶ農道と三吉(高松峠)や中村(雀峠)、鹿川(才越峠)とを結ぶ山越え道のみでしたが、江戸時代になり往環(おうかん)とよばれる90cm幅の道路が整備され、今もほぼそのままに、沖中央横断線(道幅は約3mに拡張)として是長、畑、岡大王を結びます。

現在の県道36号線の原型となる道路が整備された始めたのは大正7年で道幅は180cmでしたが、昭和6年になり、三高から沖(是長・畑・岡大王)、鹿川、大原を経由して大君までの間が県道認定を受けました。
才越え峠も昭和11年に5m幅に拡張され鹿川とを結ぶバスの運行(昭和13年 是長~鹿川)も始まりましたが、難工事であった是長と美能の間が完成したのは昭和35年で、三高とを結ぶバスの開通は昭和37年3月となってからでした。

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丸本真珠店さん前の県道36号線(広島県道36号高田沖美江田島線)です。
大型車同士の離合にはかなり神経を使いそうな道幅です。

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大王地区の丸本真珠店から、畑地区の元沖美町役場付近までは、県道沿いに小さいながらも数十軒の店が並び、沖地区の商店街通りとして昭和後期のころまでは賑わいもあったのですが、今は数店舗を残して休業状態となりました。

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寺野下酒店さんです。
ごく最近までは商いがあったようですが・・・。

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古くからのお店だったのでしょう。
柱に打ち付けたペプシコーラの看板が判読不能なくらい錆で覆われています。

ちなみにペプシコーラの日本本土内での販売開始(ボトリング)は1956年です。

一方のコカ・コーラは大正時代には輸入され、戦後進駐軍用にボトリングされていたといいますが、一般用にボトリングを開始したのは1957年です。

コーラ飲料が多くの人々に知られるようになったのは1962年、TVでCMが開始されてからのようです。
この看板も1960年ごろ、東京オリンピック(1964)の開催が決まったころに付けられた???。

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お酒、ペプシコーラの他にも、たばこ小賣所や、塩小賣所と、手広く商いをされていたようです。

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えっ?。
中国電力電球引換所の看板もあります・・・(*^。^*)です。

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数軒先へ進むと「学生服は乃木服」の看板が張られた元呉服商らしきお家もあります。

ちなみに、乃木服のブランド名は、昭和3年創業の備前織物(岡山市北区)より、乃木将軍学生服として出されたものですが、昭和55年廃業となり、のちニッショウ学生服と同様に、昭和被服総業が乃木服のブランド名を継承しています。

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散髪屋(理髪店)さんです。

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御料理、仕出し、食品雑貨の山井一馬商店さんです。

入り口のガラス戸には「広島歌謡コンサート」のポスターが張られており、出演者の香西かおり、新沼謙治、中村美津子、池田輝郎さんが笑顔でこちらを見ます。
上野学園ホール、開演は5月22日木曜日、午後の2時と夕方6時半、S席7,500円・・・です。

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このお家も広いアルミ戸の間口を持って、ご商売をされていた様子ですが・・・

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白壁に酒王千福の看板を揚げた、酒井酒店さんです。
キリンビールやタバコも商っておられます。

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畑地区との境界付近高台から見た、岡大王商店通り(県道36号)と、その上下に分断された岡大王集落の家々です。
センターラインもない狭幅の県道ですが、鋸の歯のように飛び出た幾つもの尾根を削り取り、深い谷を埋め、多くの民家の敷地を削って造られた、希少な交通路です。

現在は海岸線に沿った幅広いバイパス道を通る車が多くなりましたが、三輪バタンコや、ボンネットバスが頻繁に行き交った思い出の道。 昭和も遠くなりにけり・・・(*^。^*)です。

岡大王 小田港・正光港・畑漁港

小田港・正光港・畑漁港 
岡大王には南側から小田港、正光港、畑漁港と大規模な港が三つもあります。

かっては花崗岩の切り石で組んだ防波堤で囲われ、小さいけど風情のある港でしたが、平成に入ったころより、急速に近代化が施され、昔の情景を思い起こすよすがはまったく見当たりません。

その分、台風が近づいても増し舫い(ロープ)を一本多く取るだけで済むようになり、船を浜の奥に引き上げたり、他港に緊急避難する必要もなくなり、潮の満ち引きに関係なく安心して漁に出れるようになりました。

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旧小田港を埋めて沖に出し、大規模な近代化がなされた新小田港です。

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小田港とは防波堤一本を堺として、その北側に正光港が隣接します。

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正光港に舫う小型漁船です。
手前の桟橋の上に整然と並べてあるのは、タコ漁で使用するタコツボです。

昔は陶製の壺でしたが、近年はプラスチック製です。

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大王神社(天満宮)付近の高台から見た、南の方向です。
港の半分より手前が正光港で、その向こう南側が小田港です。

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畑漁港の南側(旧岡港)です。

北側の畑地区にはかって旅客船用桟橋(沖港)があり、是長港、美能港、三高港を経由し広島宇品港とを結ぶ定期航路がありました。

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畑漁港と道路を隔てて、沖漁業協同組合(岡大王・畑・是長)があります。

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県道36号線沿い、専念寺の南に丸本真珠店の看板が目立ちます。

えっ?、こんな田舎に(失礼。m(__)mです。)宝石販売店が???って、おどろいたのですが、実は真珠の養殖を本業(他に、アクセサリー修理,アクセサリーショップ,貴金属店,真珠,真珠卸,宝石加工,宝石貴金属リフォーム,宝石店)とされているようです。

中国新聞(2013年7月7日)記事によれば、水質の良い大黒神島付近でアコヤ貝を養殖、年間3万個の核入れ作業を行い、そのうちの6割程度(上質真珠は約5千個)が真珠として出荷されるといいます。

創業は1947年、最盛期には江田島市近海に40近い真珠の養殖業者が集まったこともありましたが、1967年の国内生産量125トンをピークに下降、2011年には20トンにまで落ち込みました。

現在江田島産真珠の養殖販売業は岡大王の「丸本真珠店」のみとなりました。

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小田港から南の赤曲鼻へと向かう途中、なんとも奇怪な船が数隻船首を道路側にして並びます。

映画撮影用の模型船?、木工船大工さんの練習用???・・・いえいえいえ・・・実は、ここはFRP船の造船所なのです。

外側から見える規則的に組まれた木材は、船形補強の骨材で、それにそって内側にスベスベした面を持つ船形が作られています。
その内側の船形に合わせてガラス繊維を何枚も張り合わせ、特殊な樹脂で固めます。
硬化した船体を形から抜き取ればFRP船の出来上がり?・・・って、まあそう簡単な作業ではなさそうですが、大小5、6種類の船形が用意されています。

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岡大王と大黒神島の間を行く小型漁船です。

船首に乗り、海面を凝視しながら船を進めていましたが、まさかカジキマグロの突きん棒漁じゃなさそうですし???・・・(^_^;)です。

昭和37年(小田港・正光港・畑漁港) 
昭和37年5月16日の航空写真です。

どの港も北側に防波堤が築かれており、湾口は南側に開けられています。
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