江田島って・・・どんなとこ?(ただいま試験中です。)

 
総  合  検  索  ペ  ー  ジ

  
おもしろ話題と画像の「どんなとこ 掲示版」   

* これより下の項目は製作途中で、現在30%が使用可能・・・(^_^;)です。 *
江 田 島 の 景 色(地図と概要

江田島町  大柿町  能美町  沖美町

江 田 島 の 植 物  
 
樹木目次    草花目次

常緑樹 落葉樹 野生草花 園芸草花 作物
樹の花・草の花
花色検索 
赤色っぽい花  
黄色っぽい花  
青色っぽい花  
白色っぽい花  
判りづらい花   
花じゃないかも    
スポンサーサイト

岡大王 無量山 専念寺

s-グーグル岡大王・専念寺 
浄土真宗本願寺派「無量山 専念寺」は江田島市最高峰の宇根山(541.8m)南面の山裾に沿う、岡大王集落のほぼ中央に建立されています。

s-2015-03-13 290 
南面する岡大王集落のひな壇中央に、ひと際大きな入母屋のいらかを乗せるのが、無量山専念寺です。

s-DSCN0739.jpg 
境内真下を横切る県道36号(高田沖美江田島線)から見上げた専念寺本堂の右側面です。

s-DSCN0741.jpg 
入母屋造りの専念寺本堂右側面、破風の部分です。
大屋根には大きな「獅子口(ししぐち)」が乗り破風部には、分厚い板を掘りぬいた懸魚がつけられています。

ちなみに獅子口の上に乗る三つの円筒は「経の巻」とよばれ、その下の山形模様を「綾筋(あやすじ)」、左右に大きく垂れさがる飾りは「鰭(ひれ)」といいます。

破風部の懸魚は「鏑懸魚(かぶらげぎょ)」が、左右と下についた「三ツ花懸魚」とよばれるものです。

s-2015-03-13 103 
県道から路地を上りますと、すぐに専念寺山門の前に来ます。
紅梅の自然仕立ての枝が、風格のある山門をいっそうと引き立てます。

s-2015-03-13 120 
山門の扉に付けられた釘隠し、形から「乳金物」ともよばれ、城郭や寺社など格式のある建物の門など目立つ場所に使われます。

s-2015-03-13 108 
山門をくぐり右手境内に、優美な曲線屋根をもつ白壁土蔵造りのお経堂が建ちます。
出入り口を風雨からまもる重厚な屋根は唐破風です。

毎年枝を刈り込まれたイチョウのシルエットはお坊さん?・・・(^_^;)です。

s-2015-03-13 115 
境内の海側、大きく切り出した花崗岩石材を巧みに組み上げて鐘楼が建ちます。
鐘つき棒、「撞木(しゅもく)」にはシュロの木が使われていて、鐘には「南無阿彌陀仏 昭和二十四年九月」の文字がみえます。

その前の釣り鐘は戦時の金属供出で行方知れずとなったのでしょう。

s-2015-03-13 117 
境内には昭和50年5月に広島県天然記念物に指定された樹齢4、5百年と云われる天蓋松「飛鶴の松」がありましたが昭和54年松枯れの被害により失われました。

代二代天蓋松となるべく、境内中央の日当たりに若松が植えられており笠形に剪定されています。

s-2015-03-13 111 
集落の規模からは想像を越す重厚な本堂が建ち、黄金の寺額「無量山」があげられています。

専念寺保存の古文書「能美島寺社古跡覚書帳」(1715年)によれば当山は11世紀ごろ付近の寺山において寺尾山門禅院洞蔵寺として創建されました。
のち文禄3年(1594年)僧是教が浄土真宗に改宗、その後当地に移りて「無量山 専念寺」として開基したと云います。
現在の本堂は安政5年(1858)から約5年の歳月をかけて完成したもので、柱や梁などには、大黒神島の原始林から切り出された木材が使われています。
また、この大事業には、空喜三右衛門氏が頭取世話人となり、全村民の協力があってなし終えたと伝えられています。

s-2015-03-13 128 
山側から見た、本堂の左側面です。

s-2016-09-15 169 
専念寺大伽藍と、その沖には伽藍の骨組みとなる大量の木材を供給した大黒神島が大きく横たわります。

岡大王 黄幡社 2/2

s-2015-03-13 172 
靴底の泥を払い、拝殿へと上らせていただきました。
長年の風雪に絶えた頑丈な社殿ですが、万が一に備えて斜めに補強材が入れられています。

s-2015-03-13 163 
拝殿奥、幣殿とを仕切る格子戸の上に「奉寄進 黄番社 明治二十四年九月吉日 願主 當村 長岡喜一郎 敬白」の社額があげられています。

この社額の他、黄幡(番)社再建の由来を示すものがないことから、現在の社殿は明治24年9月に再建されたものと伝わります。

ちなみに社額の左右にも寄進奉納品を止めた鉄釘が見えます。
長い年月を経る間に失われてしまったものも数多くあったことでしょう。

s-2016-09-15 164 
大屋根を支える頑丈な木組み(和小屋組み)がもろ見え・・・(*^。^*)です。

画像左から右上に棟木(むなぎ)と並行に伸びる粗削りの大木が桁(けた)と呼ばれる構造材です。
その棟木や桁に直交する湾曲した木材を梁(はり)とよび、これらの木組みを総称して小屋梁(こやばり)ともいいます。

神殿建造物は庇(ひさし)を長く突き出して造ることが多く、その庇の重量を内部にとり込むためにも桁や梁を大きくして、大屋根に乗る瓦の重量でもって長い庇を支える垂木(たるき)が下がらないように抑え込みます。

多くの社殿では棟木、あるいは桁に大工棟梁の名前や建築年月日、棟上げの儀式で使用した木槌や鉋、墨壺、鋸などを取り付け、奉納品とします。

黄幡社にも当然取り付けてあったと思われますが、今は行方知れずとなっております。

s-2015-03-13 166 
古い奉納絵馬があげられています。
奉寄進 大正十四?九月吉日 願主 青山千一 と読めますが?

s-2015-03-13 165 
刺繍?画でしょうか?
五本爪の龍(青龍?)と虎(白虎?)が競う絵馬が奉納されています。

s-2015-03-13 167 
奉納 平成16年3月吉日 広島市 藤本正 とあります。

s-2015-03-13 168 (2) 
画像が見難いのですが、一本爪(シングルアーム)の鉄製錨が奉納されています。
見た目で1m近い大きさがあります。
明治初期?百石くらいの帆船に積まれた錨?かも???・・・(*^。^*)です。

s-2015-03-13 170 
拝殿からみた岡地区と右は岡大王に隣接する畑地区となります。
海の向こうは岩国方面です。

s-2015-03-13 159 
拝殿を降りると、左に社殿を覆い尽くさんとそびえたつ大楠があり、脇に説明板が架けられています。

以下は説明板の要約・・・m(__)mです。
黄 幡 社 の 大 楠
目通し周囲 6.70m
樹高 25m
江田島市随一の巨木です。
主幹に空洞がありますが、大磐石のような根をどっしりおろし、1本の木で鎮守の森を形成しています。
まさに岡地区もシンボルといってもよいでしょう。
ちなみに、明治24年の再建にあたり、この大楠の枝から柱などの材料をとったとされ、そのことで現在の樹形が成ったと云われます。

s-2015-03-13 160 
たしかに大きな楠木ですし、社殿再建時に枝を切られたような窪みもみえます。

s-2016-09-15 166 
クスノキ(樟、楠)は、クスノキ科ニッケイ属の常緑高木で、幹周囲10m以上の巨樹になる個体も珍しくなく、木肌は綿密で、耐湿・耐久性に優れています。

そのため海上に建つ宮島(厳島神社)の大鳥居には古来よりクスノキが使用されています。
大鳥居は、平安時代から造られ始め、現在までに8回造り替えられているそうですが、永禄4年(1561)の厳島神社大鳥居の改築にあたりましては、当地、能美島より東西2本の眞柱(主柱)が搬出されています。

その西の眞柱は能美佐馬允氏社(大柿町大原新宮八幡宮?)から、東の眞柱は能美中村八幡宮(能美町中町八幡神社)から出されたものです。

ちなみに現在の大鳥居は、明治8年(1875)に再建されたものです。
高さ約16.6m
棟(大棟・笠木)の長さ24.2m
主柱周り9.9m
総重量は約60t
社殿から海に向かって右側(東側)の柱が福岡県久留米市、左側(西側)の柱が佐賀県佐賀市から取り寄せたものです。

クスノキの生育には、台湾、中国、ベトナムといった暖地が適しますが、広島県沿岸部では珍しい木ではなく、市の木、町の木として、広島市、福山市、三原市、安芸郡府中町、海田町で指定されています。

s-DSCN0726.jpg 
大楠の枝下に溶け込むように建つ、岡の鎮守の黄幡社・・・(*^。^*)です。

岡大王 黄幡社 1/2

s-グーグル岡大王・黄幡社 
岡大王の旧岡地区、山裾に沿った丘の上に「黄幡社(おうばん)」があります。
大王の天満宮と同様、岡の黄幡社も江田島市内では唯一の黄幡社となります。

ちなみに明治24年寄進の拝殿社額には「黄番社」と書かれています。
また、江田島町江南に「大判神社(おおばん?)」と呼ばれる祠がありますが黄幡につながるかは不明です。

s-2015-03-13 191 
黄幡社は、島内最大といわれる大楠の枝に優しく抱かれ守られています。

s-2015-03-13 150 (2) 
境内の地盤を守る石垣は何度も崩れたり積み替えらりしたのでしょう、角の尖ったのや丸く風化したものなどがあったり、大小もさまざまに積まれています。

s-2016-09-15 168 (2) 
村の鎮守にふさわしい、頑丈さと優美さ機能性をバランスさせたモデル的な建築仕様です。

s-2016-09-15 160 
鎮守様としては大きめに作られた社殿ですが、屋根に覆いかぶさる大楠との対比で小さく見えます・・・(*^。^*)です。

s-2015-03-13 158 
拝殿横の軒下に、何個もの電線ドラムが置かれています。
お祭りのあとに、電線ドラムをテーブル代わりにして盛大な飲み会とかがあった?のかも???・・・(*^。^*)です。

s-2015-03-13 156 
遅くなりましたが、拝殿正面にて「二拝二拍手一拝」・・・m(__)mです。

以下は、沖美町史よりの抜粋です。
岡の黄幡社は竈(かまど)や農業の神様である奥津日子神(おくつひこ)ほか四柱を祀っています。

古老の言い伝えによりますと、享禄年中(1528~1532)、岡村の森沢喜左ェ門・山田勘九郎という二人の村吏が夢を見た。
「森山の木末に幣帛がある。この村を守護する神であるから早く社を建て祀るべし」と。
直ちに二人は森山に行って見ると霊験神託たがわないことがわかったので村人と協議して社殿を建てた。
この神の鎮護により村内に火難がないので村民のこの神を尊敬することが日夜盛んなりと。

また能美島志には、「黄幡神社、岡村森山ニアリ、往古ヨリ六月虫祭り之節合祭ス」と記してあります。
尚、拝殿の正面の額に「奉寄進 黄番(黄幡)社 明治二十四年九月吉日 願主 當村 長岡喜一郎 敬白」と記されていますので現在の社殿はこの頃に再建されたものと伝わります。

ちなみに、ウイキペディアには黄幡神(おうばんしん)とは、九曜の一つである羅睺(らごう)を奉ったもので、集落の中心や三叉路、あるいは境や辻に、道祖神、守り神として祀られると。

s-2015-03-13 178 
拝殿の右側面です。
拝殿の一段上方には、常世との境を石柱の玉垣で囲った赤い屋根の本殿があります。

s-2015-03-13 173 (2) 
石工さんの腕前が光る花崗岩石組みの壇上に接着剤でくっつけたようにピッタリと本殿が乗ります。
現代のような大型の岩石切断ノコなどのない時代に、石ノミと玄能だけで叩き出した味のある岩肌と角の尖った直線の組み合わせが何とも言えません・・・(*^。^*)です。

s-2015-03-13 175 
本殿の破風部を飾るのは大王天満宮の「いのめ懸魚」とは違って「かぶら懸魚」が架けられています。
大楠の枝葉から漏れる優しい太陽光が本殿の屋根に虹を作り、拝殿の瓦屋根にキラリ反射します。

岡大王 天満宮(しるごき天神)

s-グーグル岡大王・天神社 
江田島市内で唯一、の天満宮である「しるごき天神」は沖美町大王の王城と呼ばれる岬の上に鎮座します。

古来、大王(大生)は、西能美の「中村、鹿川、高田、三吉、是長、大生(だいおう)」の一浦でした。
16世紀のころより三吉と高祖、是長と畑、大生(大王)と岡、の集落に分れますが、この新6浦が行政区画としての村と呼ばれたのは寛永15年(1638年)の浅野氏による検地が行われたのちとなります。

その後明治14年の記録では、三吉村376戸(2126人)、高祖村128戸(833人)、是長村236戸(1327人)、畑村241戸(1068人)、岡村154戸(776人)、大王村199戸(1017人)が暮らしておりましたが、明治16年に岡村と大王村が合併し岡大王村に、明治22年、三吉と高祖が合併し三高村に、是長と畑と岡大王が合併し沖村となりました。

さらに昭和31年となり沖村と三高村が合併して沖美町(1891戸・8447人)となり、字名として、岡、大王、畑、是長、美能、高祖、三吉をのこします。

そして平成16年、佐伯郡沖美町、佐伯郡能美町、佐伯郡大柿町、安芸郡江田島町が統合し江田島市沖美町字大王となりました。

s-DSCN0749.jpg 
天満宮は岬の先端、王城と云われる地に建ちます。

見晴らしの良い断崖の上ですので、古くは見張り用の砦とかがあったやも???ですが、大王(大生)、王城、ともに地名の由来は不明です。

が、・・・一説には壇ノ浦の戦い(1185年4月25日)で源氏に破れ敗退した平家の落ち武者が、安徳天皇を奉じて一時この地に立ち寄ったとも・・・???です。

以下は春先の妄想夢です。

寿永2年(1183年7月25日)木曽義仲に敗れ都を追われた平家一門は、安徳天皇を擁して西国へと逃れました。
一時は優勢となるも、一ノ谷の戦い(1184年3月20日)、さらに屋島の戦い(1185年3月22日)に敗れ、瀬戸内海を流浪したおりに大君(江田島市大柿町大君)の地において手厚い保護を受けました。

その後源平最後の決戦、壇ノ浦の戦い(4月25日)に敗れての敗走中、再び保護を受けるべく大君を目指した平家落ち武者の一団がおりました。

しかしながら、大君を目前に早瀬海峡の警備が物々しいことを察知し、宮島、大奈佐美島の方向へと向かうのですが、こちらは早瀬以上に警備が厳しいことを知ります。
そのため当時は無人島で、原生林に覆われた大黒神島に隠れ住むのですが、やがて対岸である当地(大王)の住人が知るところとなり、この地で匿われます。

しかし、浦々を厳しく探索する追手を警戒し背後の宇根山へ、さらに山越えして、平家落ち武者伝説を今に伝える能美町中町の高下地区へと移り住んだのでは???と・・・(^_^;)です。

さらなる蛇足となりますが、当地では宮島造営や音戸瀬戸拡張工事、造船、海運業などで平清盛とのつながりも深く、平家に恩義を感ずる者も数多くいたと思います。

s-2015-03-13 051 
かっては正面である海側から登る参道があったやも???ですが、今は裏側に参道がつきます。
手前が本殿、屋根にあげられた千木が外削ぎですので男の神様が祀られています。

この天満宮が「汁御器(しるごき)天神」と呼ばれるのは、大王の船頭さんが廿日市草津から肥料を運ぶ途中、船上での食事が終わり、器に残った梅干しの種を海中に投げ捨てようとするのですが、何度試みても種が器に残ったままとなり、そのことを中村八幡神社の神主に相談、「これは天神様の化身なり」として海を見下ろす岬の上に祠を建て祀ったことが始まりとされます。

s-2015-03-13 055 
南の方角に向いて建つ天満宮拝殿です。

のべつ浜から吹き上げる風も、雪交じりの冷たい北風も、南から近づく台風も、すべてをまともに受けて建ちますので並みの造りだと吹っ飛んでしまいます。

近年の想定外に発達する巨大台風に備え、鋼鉄のアームでしっかりとした補強が追加施工されています。

s-2015-03-13 058 
二拝二拍手一拝・・・m(__)mです。
拝殿正面には駿馬の額があげられており、奉納 平成16年3月吉日 広島市 藤本正の名があります。

s-2015-03-13 065 
屋根を支える垂木が合わさる中に、棟梁が奉納した木槌が留め置かれています。

ちなみに、現在の拝殿は昭和33年9月に再建されたものですが、1841年(天保12年)の再建記録も残っており、その時の総事業費は「十三貫百七十六匁二分五厘」であったと云います。

s-2015-03-13 068 
昭和33年9月再建時の棟札です。

祀神として八神の名が記されていますが、初めの「屋舩勺々廼智命(やふねくくのちのみこと?)」以下は判読が???・・・m(__)mです。
八神名の後に、記録として
棟札と同衫
奉再建志
奉納 棟梁 木挽 佐官 脇棟梁 石工
大下佐平 七十六才
山中春夫 四十六才
原口清三 三十九才
宮總代
今田敏美 四十三才
寺野下政一 七十七才
花崎泰造 五十八才
原田四市 五十六才
世話人
寺西豊市 五十四才
下西武 二十九才
吉野政一 三十九才
尾城啓 ?才
二本松万太郎 五十才
尾上明夫 三十五才
島津孝一 五十三才
中川伍一 五十一才
昭和参拾参年九月吉日
の文字が見えますが、転記ミスがありましたら・・・m(__)mです。

s-2015-03-13 062 
御寄附芳名札も貼られています。
右から
一金壱萬圓也 文部大臣 灘尾弘吉
一金参萬圓也 懸会議員 平塩五男
一金五萬圓也 広島市 田丸四郎
一金五萬圓也 神戸市 寺野下隆義
一金五萬圓也 神戸市 松尾政次郎
一金四萬圓也 大柿町 二矢川建設株式会社
一金弐萬圓也 畑 吉本関太郎
一金弐萬圓也 大柿町 中本正数
一金五千圓也 神??道具一式 広島市 中山良一
一金壱萬参千圓也 寺尾孝壐
一金壱萬圓也 花神安太郎
以下にも、ハワイや神戸在住者のご芳名が続きます。

s-2015-03-13 064 
説明文はありませんが、西能美地区の惣氏神である能美中町八幡神社の祭祀を沖美町の沖地区が授かった年に奉納舞いを演じた子供たちの集合写真です。

ちなみに、能美中町八幡神社の祭礼は9月中旬の(第三土曜日、日曜日)に行われます。
祭礼に伴う準備や祭りでの出し物(だいば ・おたふく・ 雄しし ・雌しし)は西能美の旧5ヶ村(鹿川村・中村・高田村・沖村・三高村)の持ち回り(かやっちょう)となります。

s-2015-03-13 057 
拝殿の左の木鼻には鋭いタッチで像が彫られています。

木鼻には獅子(しし)や像(ぞう)、あるいは獏(ばく)が彫られることが多いのですが、しるごき天神の木鼻は右が獅子、左には像です。

像と獏は共に長い鼻があり牙もあって、とてもよく似ていますが、一般に目の形状が三日月形で細長いのが像で、丸いギョロ目は獏だといいます。
さらに、耳が団扇のように大きいのが像で、犬のような尖った小さな耳は獏です。
他にも獏には体毛を表す渦のような模様が付きますが像にはありません・・・(*^。^*)です。

s-2015-03-13 075 
拝殿の入母屋破風(いりもやはふ)には、ハート型の穴があけられた猪の目懸魚(いのめげぎょ)が架けられています。

s-2015-03-13 056 
天満宮境内からの展望です。
いらかの向こうに見える港は中央から手前が正光港その先は小田港と呼ばれます。

s-DSCN0690.jpg 
昭和33年に再建された大王天満宮は、来年、2018年9月に築60年を迎えます。

高田 古地図・地質図

高田古地図PNG 
能美町誌に掲載された高田村の古地図(芸藩通史)を元にして書き写したものです。
地名など明瞭でない部分は適宜勝手な主観により創造して記載しています。

改悪となっている部分もありますので、正確には能美町誌、または芸藩通史でお確かめください・・・m(__)mです。

高田古地図南東PNG 
高田村の南東部です。

堀越城跡:それらしい地形が残り、近くにはお墓や耕作地がありますが、樹木が鬱蒼と茂り見晴らしはまったくききません。

小屋城跡:それらしい地形が残りますが、畑地となっておりまた周囲は竹藪や樹木で囲まれます。
南の真道山方向は視界があり、北の竹藪に堀?のような窪みもあります。

八瀬島:戦国のころ小屋城・北堀城の城主として八瀬島氏の名が残ります。

建外田藪:広島藩指定の矢竹の生育保存地です。

北堀城跡:登山道は不明です。

大将軍:位置不明。大将軍とは、本来は方位のことを司る星神(金星)で、陰陽道で祀る八将神の一とされます。

七天達磨:位置不明。意味不明なれど「七転達磨」とすれば、七転び八起の達磨となりますが???。

小城跡:山頂にクスノキの大木が見えますが、登山道は不明です。

光泉寺跡:江戸時代に書かれた「能美島志」宝暦13年(1763)に、光泉寺は高田邑にあり、今延命地蔵像あり、これを堂に安んず、傍に樹あり、其葉茶の如し、然れども其の名を識る者なし、土人これを無名木(ななしぎ)という。と伝わります。

光源寺:僧善了により天正13年乙酉(1585)に開かれ、僧受玄により寛文元年(1661)浄土真宗に帰依しました。

社倉:位置不明。明和7年(1770)広島藩は「社倉法示教書」を公布、広く領内に社倉設立を奨励、天明6年(1786)には町方及び郡中各村あますところなく社倉が造られ、以後明治初年まで存続したと云います。

高田古地図北西PNG 
高田村の北西部です。

えぼし岩:位置不明。烏帽子(えぼし)とは平安時代から近代にかけて和装での礼服着装の際に成人男性が被った帽子のことです。

シノ宮:位置不明。四之宮とは、その地域の中で4番目に社格が高いとされる神社のこと。

建岩風呂山:確証無之候得共。故人の伝ふる處昔玄海翁(1350年頃)と云ふ高僧が高田の里に来たり。岩風呂山に登り頂上の大岩を一撃すると大岩は三つに割れ一つは越後国の高田の里に、一つは伊予国の高田の里に遠く飛散し。此地に残りし大岩に四朗九郎と名付け、この岩を御神体とす。

アメノミ子:位置不明。天の皇子、アマテルの御子、皇太子のオシホミミといわれます。

ウシ口城門:位置不明。丑ノ口城門、十二支の丑の方向(北東微北)にある城門です。

明神ノ鼻迫門:位置不明。迫とは、山あいの小さな谷、あるいはせり出した崖のような地形を云います。

s-江田島大断層PNG 
沖美町是長から高田地区北部を横断し、江田島町津久茂まで、市内で唯一の断層が確認されています。

高田湯田地区の昔話に温泉が湧いていたと云いますのも、あるいは、この「江田島大断層?」が関係していたかも?・・・(^_^;)です。

ちなみに、この断層に並行して「是長鉱山」「三吉鉱山」「畑鉱山」「津久茂鉱山」があり、湯田の温泉、入鹿神社には湯に関係する大きな湯釜もありました。

これら鉱山からの金や銅の産出はごく僅かな量であり、採掘期間も数年ですが、江田島市内でこの断層付近以外に鉱山はありません。

そもそも、金(Au)は酸性の熱水に溶けやすく地上付近で熱水が冷めることにより析出します。
堆積岩である玖珂層群内の微量な金が花崗岩の熱で暖められ、金を含んだ熱水となって断層の割れ目に沿い、上昇して地表付近に集まったと思われます。

つまりは、金のあるところには熱水と熱水が上昇する通路(断層)がある。
江田島にも温泉が自噴する可能性がある?・・・と。

風が吹けば桶屋がもうかる・・・発想・・・(*^。^*)です。

地質図は「国立研究開発法人 産業技術総合研究所 / 地質調査総合センター」よりコピペ・・・m(__)mです。

19480407(S23)a.jpg 
昭和23年4月7日に撮影された高田地区の航空写真(国土地理院)です。

高田 いいとこ撮り 6/6

s-2014-10-16 045 
高田宗崎地区から見た対岸は、江田島町の津久茂地区です。
この津久茂村は安芸郡江田島村と合併する1925年(大正14年)2月まで、高田地区と同じ佐伯郡に属していました。

津久茂村と能美の高田村、中村との交流は古くからあり、お鉢山(津久茂山262.8m)が海岸まで迫る地形で耕地面積の限られる津久茂村には、高田、中村地区に耕作地を持つ者も多くいて、毎日農船を仕立て津久茂瀬戸を渡り、山地の開墾はもとより遠浅の中田湾に新開を干拓する事業にも多く加勢しておりました。

s-DSCN8649.jpg 
江田島町津久茂地区から見た高田の宗崎地区です。

余談となりますが、画像の右の小山を越した先に湯田とよばれる地名があります。
昔々の話として、この地には温泉が湧いておりました。

土地の人々はこの温泉を神聖なものとし、決して汚れ物を持ち込み洗濯をするなどのことはなかったのですが、それを知らなかったよそ者が温泉の湯水で洗濯を始めた途端、今までこんこんと湧き出ていた温泉水が普通の冷たい湧き水に変わったと云われております。

この湯田地区には、江田島市内で唯一の断層が東西方向に走っており、地底からの割れ目に沿って温泉水が湧き出ていたのでしょう。

たまたま、よそ者が温泉水で汚れ物を洗っていたそのときに、地震とかの地殻変動で温泉水脈が閉じられたことは十分考えられます。
ちなみに、そのよそ者が村人から責められることはなかったとか・・・。

将来、また画像のような白い湯けむりが立ち昇る日が来る?・・・かも?・・・(*^。^*)です。

s-2015-10-16 025 
高田では多くの家の屋敷内に柿の木が植えられています。
柿の木は年輪を重ねた和風のお家にとてもよく似合います。

s-DSCN0868.jpg 
野菜好きな鳥(ヒヨドリ?)がキャベツの葉っぱをつぎつぎとかじっていきます。

少し驚かせてやろうと、ウサギのぬいぐるみを持ち出し、うまい具合にディスプレーした???のですが・・・

s-2015-06-17 112 
収穫したタマネギの最適な貯蔵法・・・(*^。^*)です。

s-2015-04-23 120 
うぅ~~~ん。
残念、タマネギが長ネギになっちゃいましたぁ~~~ ・・・(^_^;)です。

s-2015-04-23 149 
此方は保存食用にとぶら下げてあるわけではありません。
まぁ~、緊急時の非常食として貴重な蛋白源にならなくもないのですが・・・

超巨大、キイロスズメバチの巣です。
最盛期には働き蜂だけで一千匹もの数になるとか・・・(^_^;)です。

s-DSCN8470.jpg 
農作業に使う耕運機です。
小回りが利くように?小型に作られていますので、おそらくビニールハウス内専用仕様じゃないかと思います。

s-2015-04-23 152 
背負い籠(しょいこ)と呼ばれます。
竹で編んでありますが、目が粗いので蜜柑とかジャガイモなどの小さなものは運べません。

当地では昭和40年頃まで、葉タバコの栽培が盛んでした。
タバコの葉っぱは、団扇の2、3倍はある大きな葉っぱですから網目から落ちることもなく乾燥場へと運ぶことができます。

キャベツや白菜、肥料作りのための落ち葉(シバ)なども運べたかも?です。

s-DSCN8471.jpg 
籐(トウ)を編んでで作られた乳母車(ベビーカー)です。

載せられている籐籠が地元高田で作られたものかどうかは不明ですが、大正10年頃より能美地区において、籐製バスケットや籐椅子、籐籠乳母車が盛んに作られたそうです。

もしも?その当時の製品であれば?、この籐籠乳母車で育った赤ちゃん、今は百歳・・・(*^。^*)ですね。

s-DSCN0908 (2) 
物怖じしない、高田の猫 ・・・(*^。^*)です。

高田 いいとこ撮り 5/6

s-2015-10-16 152 
農道わきの草むらには前衛芸術家創作???の、投げ込み生け花が普通に咲き並んでいます・・・(*^。^*)です。

s-2015-10-16 153 
セイタカアワダチソウとコスモス、遠い異国からやってきてまさか日本でここまで大きく花開こうとは・・・。
ちなみにセイタカアワダチソウは切り花用観葉植物として北アメリカから移入、コスモス(オオハルシャギク)はメキシコの高原地帯が原産でヨーロッパ経由で渡来したようです。

s-2016-03-31 039 
春先の自家用菜園です。
黄色い花はハクサイ、白い花はダイコンです。
孫が来れば食べさせてやろうと、少し多めに植えた残りが花開いたようすです。

眼下は高田の街並みと、その先の霞む江田島湾です。

s-DSCN0876.jpg 
水仙の上に枝を張り出して紅梅が咲きます。

s-DSCN0894 (2) 
立春前でも瀬戸の日差しで満開に、品種はカンコウバイだと思いますが?・・・(*^。^*)です。

s-2016-03-31 045 
庭先に植えられたシダレ桜です。
シダレ桜の手前にあった家屋は取り壊されて更地となりましたが、桜は記念樹としてそのまま残されています。

s-2016-03-31 080 
ビニールハウスの鉄骨材の前に植えられていたコマツナ?・・・野菜も、もともとは野草?・・・(^_^;)ですから・・・。

s-2016-03-31 059 
物置と路地との僅か20㎝の隙間に、タラノキと水仙が・・・。

s-DSCN8446.jpg 
皇帝ダリアが3m、負けず嫌いなサヤインゲン、伸ばせば5mはいけるのですが支柱が2mしかありませんので・・・(^_^;)です。

s-DSCN0871.jpg 
大きく育っても屋根よりちょっと低いキンカンと、それなりにがんばって屋根よりも高くなったトウジュロ・・・(*^。^*)です。

s-DSCN8447.jpg 
高田公民館、江田島市高田出張所です。

公民館前に書き出されている使用予定表には、三味線教室・楽習院カラオケ・民謡教室・広報仕分け作業・中、畑いきいきサロン・日本将棋連盟江能支部、じつに盛り沢山・・・(*^。^*)です。

高田 いいとこ撮り 4/6

2)江田島町南部 高田地区 
他地区に比べ特別にというわけではありませんが、高田地区でも花好きの方は沢山おられるようで、少しでも土地に余裕があれば何かしらの花木や草花が植え込んであります。

自然力だけの造形美はどれもみな素敵で美しいのですが、人の手や想いが加わることでもっと素敵に変わる造形もあります。

s-2014-10-16 042 
駐車スペースを残し、庭一杯に広げられた鉢植え植物の数々です。

お花屋さんとか、ご商売で鉢植え栽培をされている方を除けば、おそらくは江田島市内で一番?二番?じゃないだろうか、と思えるだけの数多くの鉢植えが並べてあります。

s-2015-06-13 159 
白い漆喰壁の土蔵の前に、真っ赤なタチアオイの花が林立します。

s-2015-06-13 171 
バックは黒い焼杉板の壁でも似合います・・・(*^。^*)です。

s-2015-06-17 116 
青色が清々しい、ラベンダー・グロッソの大株です。

s-2015-06-17 051 
通路と壁との僅かな隙間に、キンケイギクとスイセンソウが咲きます。

s-2015-10-16 143 
畑の隅っこの、ダリア・・・(*^。^*)です。

s-2015-07-28 033 
一気に背丈を伸ばした夏草に埋もれて、何故かサルスベリの花が一枝・・・です。

s-2015-10-16 086 
押し寄せる雑草の荒波に立ち向かう?・・・アサガオとコスモスの雄姿・・・(^_^;)です。

s-2015-04-23 159 
カキの花は小さくて目立たないのですが、燃えるような新緑は遠くからでも人の目を引きます。

s-2015-12-28 057 
スモモの若葉や花が開く前に、枝下のスイセンが一足早く日光浴・・・(*^。^*)です。

高田 いいとこ撮り(民家) 3/6

s-2016-03-31 066  
農業用ため池の脇に建つお家です。
赤い土壁の上に漆喰が白く塗られ、窓にはそれぞれ形を変えたガラス戸がはめ込まれています。

s-2016-03-31 067 
一枚のガラス戸に模様入りの小さなすりガラスが4×4の16枚、手の込んだ仕事が見えます。

s-2015-06-13 152 
小川の向こうの小さなお家、その小さなガラス戸の前に、小さな植木鉢が整然とかわいく並べられています。

s-2015-06-17 053 
黒く焼き焦がした杉板が寸分の狂いもなく水平に張られています。
ガラス窓も最適なバランス感覚取り付けられ、横に張られたポスターには「2015島ミュージック 音楽祭」・・・(*^。^*)だって。

s-2014-04-30 002 015 
超ロ~~~ングなお家、裏側です。

s-2014-04-30 002 100 
古い町屋の外壁は、ほとんどが土壁でその表面には白い漆喰が厚く塗られています。
その時代には、沢山のコテ職人さんが腕を競っていたのでしょう。

s-2014-04-30 002 064 
屋根の形が美しいお家です。

s-DSCN0920.jpg 
狭い建坪が最大限に工夫され利用されています。
「ハウルの動く城」の高田バージョン・・・(*^。^*)です。

s-2015-06-13 102 
お庭もきれいですが、玄関屋根の妻壁には素敵な旭日模様が入れられています。

s-2014-04-30 002 051 
毎日の手入れが行き届いた、整然としたお庭です。

s-2016-03-31 072 
広島城の天守閣にあるような廻り縁が付けられたお家、眺めもよさそう・・・(*^。^*)です。

s-2012-09-10 002 002 
明治から大正期にかけ、高田地区で盛んに生産された硬質煉瓦を土台にして造られた蔵です。
カレンダー
02 | 2017/03 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!