江田島青年の家の水晶

江田島地図2分割北(青年の家) 

ミカン畑の手入れをしているお兄さんに、「このあたりで水晶とか、変わった石を見たことはありませんか。」って、聞いたら「そうよのぉ~、こまい頃、青年の家の山で水晶掘ったことがあたのぉ~。」って・・・ヽ(〃^-^)/です。

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さっそく、すっとんで行きました。
お、おぉ~~~、小山の頂上に穴が開いています。

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(画像の左右70cm)
穴の回りにはペグマタイトが走り、立派な晶洞があっただろうと思われます。

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(画像の左右10cm)
付近には、ガラスのように透明な水晶片や、ピンクのカリ長石などが散乱していました。

ここで、一句 「なつくさや わるがきどもが ほったあと」・・・m(__)mです。
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呉花崗岩に貫入した珪長岩

 江田島地図2分割北(津久茂北)

この付近の呉花崗岩は、粗粒の黒雲母花崗岩ですが、岩体が冷却時にひび割れた?隙間を埋めるように、珪長岩(細粒石英質花崗岩)が貫入しています。

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風化によって、粗粒黒雲母花崗岩(呉花崗岩)が剥ぎ取られ、珪長岩の貫入面が広い範囲にむき出しとなっています。
珪長岩は呉花崗岩よりも少しだけ風化に強いようですが、方形にひび割れやすい性質があります。
数年前までは左下の花崗岩面にも珪長岩がタイルのように張り付いていたのですが・・・(^_^;)です。

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(画像の左右60cm)
あみだくじとかが出来そうなくらい、きれいにひび割れています。
この珪長岩は隙間が10cmくらいの割れ目に貫入していますが、場所によっては100m近い割れ目を埋めています。
また、珪長岩岩脈は同じ脈上で、しだいに班晶を示し花崗斑岩に変化することもあります。

津久茂北海岸の転石

江田島地図2分割北(津久茂北) 

この付近では、ペグマタイト由来の石英や長石のほか、玖珂層群由来の泥岩を見ることができます。

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(画像の左右120cm)
呉花崗岩の海食台の上に乗っかった、堆積岩です。
主には玖珂層群の泥岩ですが、この地層が出来たのは第四紀(従来は181万年前とされていましたが、2009年に258万年前と改められました。)以後だろうと思われます。
津久茂の山からの土石だけではなく、遠く中国山地、あるいはもっと遠い所から流れ着いた土石の可能性も大いにあります。

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(画像の左右30cm)
玖珂層群の変成された泥岩ですが、江田島花崗閃緑岩によるものか、呉花崗岩によるものかは不明です。

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(画像の左右20cm)
転石ではないのですが、高熱で溶かされたレンガや鉱犀も見ます。

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(画像の左右10cm)
珪化木かと疑うような古い時代の炭も見ますので、かってこの付近で銅あるいは鉄の小規模な精錬とかをやっていたのでは???です。

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(倍率約50倍)
5,6年前にこの付近で採取した砂から分離した磁鉄鉱です。
当時、近くの砂浜では島外からの砂を埋め立てて、観光アサリ堀場を作っていましたので、磁鉄鉱の由来は不明です。




ペグマタイトを含む海食崖と海食台

 江田島地図2分割北(津久茂北) 

この付近では呉花崗岩岩体の最上部が削り取られた、海食崖や海食台を見ることができます。

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(画像の左右120cm)
海食崖を横に走る厚さ15cmのペグマタイトです。

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ペグマタイトやシュリーレンが走り、小さな晶洞も見える海食崖です。
崖の上には玖珂層群が乗っかっているはずですが、草木に覆われた断崖の上ですので確認はできていません・・・(^_^;)です。

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(画像の左右80cm)
崖下には、呉花崗岩に捕獲された、玖珂層群の泥岩が大きな岩塊となって落ちています。


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海食台にも晶洞が波に削られています。

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波によって晶洞から剥ぎ取られたカリ長石ですが、石英が文字にも見えるため文象花崗岩とも呼ばれます。
まれには、波で削られ丸くなった水晶を拾うこともあります。

津久茂北海岸の水晶ガマ

江田島地図2分割北(津久茂北) 

海岸をとぼとぼと、たいした当ても無く、さまよい歩いていました。
ただ、この時は運よく980円のピッケルを手に持ち、デジカメとレジ袋と洗濯バサミをポケットに忍ばせていましたので、何かを予感していたのでは・・・(*^。^*)です。

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どこにでも見る、呉花崗岩の薄いピンク色をした岩壁なんですが、ちょっとした胸騒ぎを感じる一点があります。

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(画像の左右20cm)
ズルズルの岩肌をなんとかよじ登って、顔を近づけると、そこには回りの石英とは違った輝きがあります。
このままでは手も足も出せませんので、近くの浜からカキ筏の残骸の孟宗竹を引っぱって来て足場にし、何とか片手が自由に使える作業環境を整えました。

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(画像の左右120cm)
流れ着いた魚網のロープは命綱に利用し、ポケットのレジ袋を取り出して、木の根っこに洗濯バサミで固定します。
右手は松の枝を掴み左手だけで、ガマ(晶洞)をさぐります。

水晶採掘 

水晶は実物よりも誇張して書いていますが、他はちっとも大げさじゃありません・・・(^_^;)です。
足の下の竹ザオは岩盤の割れ目に差し込んで下から2m、さらに2m下が砂浜です。

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(画像の左右30cm)
決死の水晶採掘でしたが、成果はご覧のとおり・・・(^_^;)です。


津久茂西海岸の転石

江田島地図2分割北(津久茂西) 

この付近の海岸では、津久茂鉱山から採掘されたと思われる鉱石や、玖珂層群に貫入した江田島花崗閃緑岩によって作られた熱変成岩など、変化に富んだ転石が見られます。

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(画像の左右15cm)
ずっしりと重い斑銅鉱です。
海岸の波うち際に転石となっていたものですが、おそらく津久茂鉱山から掘り出され、船積される途中で、海中に転がり落ちたものだろうと、・・・。
あるいは、津久茂の瀬戸の海底から、流れの早い海流によって掘り起こされた、海底銅鉱脈の1部かも、と、イマジン・・・(*^。^*)です。

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(画像の左右7cm)
波に擦れて、角が丸くなってはいますが、方解石の斜方形結晶です。
津久茂鉱山の副産物として、掘り出されたものでは?と思いますが、もともと、玖珂層群は海洋プレートに乗せて運んできた、南海のサンゴを含んでおり、各所で石灰岩目的で採掘されています。
沖美町三高では、昭和40年ごろまでサンゴが熱変成した大理石を採掘していました。

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(画像の左右15cm)
江田島花崗閃緑岩の高熱で紫色に変質した玖珂層群の泥岩です。

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(倍率約10倍)
泥岩表面の拡大画像です。
高熱でグラニュー化した、石英、柘榴石、雲母が見えます。

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(倍率約50倍)
この付近で海岸の砂をパンニングすれば、鉄ばん柘榴石を分離することもできます。
ただし、島内には外部から大量に持ち込まれた砂や防波堤コンクリートの骨材などもありますので、起源には十分注意して下さい。

津久茂鉱山

江田島地図2分割北(津久茂鉱山) 

津久茂鉱山は、玖珂層群に江田島花崗閃緑岩が貫入したことで形成された、網状の鉱脈で主に銅鉱石を産出しました。

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戦前は、5、6人の鉱夫がいて、カンテラをたよりに脈を掘り進み、トロッコを使って鉱石を運び出し、舟で精錬所に送っていたそうです。

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入口まで水があって、中をうかがう事は出来ませんが、二股に別れているようです。
古老の話では、しばらく奥に進むと深い縦穴もあるそうですし、近くには別の坑道跡もあります。
小さな島の、小さな山にある鉱山ですが、結構本気で採掘されていたようです。

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付近には鉱山のズリを利用したミカン畑の石垣もあります。

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潮風の影響でアカタマ鉱が析出したズリ石です。  

津久茂鉱石(新) 
(地質標本登録データベースより)
今の鉱山跡からは想像もできない立派な鉱石が、筑波の倉庫?に眠っています・・・(*^。^*)です。

ピンクの呉花崗岩

江田島地図2分割北(津久茂西) 

この付近の古地名は赤石と呼ばれます。

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(画像の左右15cm)
赤石と呼ばれるのは、この付近の花崗岩が赤く輝いているからでしょう。
目にも鮮やかなピンクの花崗岩なのですが、残念なことに風化が進みクラックだらけです。

津久茂地質図(断層) 
(地質調査所資料より)
地質図を見ますと、この付近を北東から南西に、大きな断層(江田島大断層)が走っています。
この断層が出来たのは少なくとも、第四紀(170万年)よりも前のことで、それ以後の断層はいまだ江田島では確認されていません。
数年前に「江田島大断層」の断層面を探して見たのですが、正確な位置は確認できませんでした・・・(^_^;)です。

角閃石~石英閃緑班岩

江田島地図2分割北(津久茂西) 

花崗岩の隙間に、石英に包まれた黒っぽい岩石です。

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(画像の左右120cm)
白い珪質片岩に狭在する角閃岩で、愛媛県小安居島にも同じように出現するといいます。

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(画像の左右30cm)
0.1~0.5mmの角閃石、斜長石、単斜輝石、石英、黒雲母を含みます。
角閃石の結晶を顕微鏡で見ると緑褐色~緑色に見えます。

閃緑班岩

江田島地図2分割北(津久茂西) 

呉花崗岩を割って貫入した閃緑班岩です。

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(画像の左右2m)
玖珂層群の泥岩か、粘土のようにも見えますが、詳しく見てみると閃緑班岩又は、閃緑岩です。

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(画像の左右80cm)
割れ目の左に、閃緑班岩が貫入するときに、崩れ落ちて?上げて?捕獲された花崗岩の岩塊が黄色く見えます。

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(画像の左右50cm)
呉花崗岩の細粒部との境界面です。

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(画像の左右20cm)
波で洗われて、きれいになっていますが、風化した岩体は軟らかく、ナイフの先で簡単に削り取ることができます。

呉花崗岩中のペグマタイト

江田島地図2分割北(津久茂西) 

呉花崗岩にはペグマタイトができやすい性質があるようですが、どこにでもと言う訳ではありません。

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(画像の左右2m)
上の方に粗粒の呉花崗岩が固まった後も、石英質の残液が隙間を流動し、ペグマタイトを伴って層状に個結しました。
まれに晶洞内に小さな水晶を見ます。

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(画像の左右30cm)
層状のペグマタイトに、カリ長石と石英がぎっしり詰まっていますが、結晶面は見えません。



呉花崗岩のシュリーレン

江田島地図2分割北(津久茂西) 

シュリーレンとは花崗岩中に、黒雲母、角閃石などの有色鉱物が集まって、黒っぽい筋のように見える部分をいいます。

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(画像の左右120cm)
主には、花崗岩の岩体上部に数本の筋となって現れるようです。
また、割れ目などに沿って花崗岩が液状に流れたであろう、流路を示すこともあります。

イマジンしますと、風船のような形の花崗岩岩体が冷却し固まろうとする場合に表層にゴミ?が薄く集まるのですが、地中内の圧力や水分の作用でまた液体になったり、個体になったり?、たとえは悪いのですが、ホット牛乳の上に出来る薄い膜みたいな・・・(^_^;)です。

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(画像の左右120cm)
シュリーレンの層ができた、粗粒呉雲母花崗岩を割って貫入した、細粒の花崗岩(横幅60cm)があります。

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(画像の左右40cm)
粗粒の花崗岩と細粒花崗岩の境界面です。

呉花崗岩の上に乗る玖珂層群 泥岩

江田島地図2分割北(津久茂西) 

ユーラシア大陸の東岸に付加した玖珂層群の直下に貫入し、泥岩部と接触した呉花崗岩の最上部を見ることができます。

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(画像の左右2m)
シュリ-レン(有色鉱物の集まり)が著明な粗粒の呉花崗岩と玖珂層群の泥岩です。
シリューレンは花崗岩岩体の上部に水平に現れることが普通ですので、この付近の地層は8000万年から8600万年前(k-Ar年代測定)に、玖珂層群の下に貫入した呉花崗岩がそのままの状態で、冷え固まって今に残っていると考えられます。

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(画像の左右20cm)
呉花崗の岩貫入後に発生した断層も見えます。

CIMG1852 
(画像の左右15cm)
接触部分の拡大です。
目視判断では、呉花崗岩の熱による、泥岩の変成は少なかったようです。

イマジンですが、呉花崗岩の熱で焼かれる前に、江田島花崗閃緑岩の高熱にさらされていた玖珂層群は、岩体内の水分や熱に弱い鉱物が抜け出してしまったあとのヌケガラだった、と・・・(^_^;)です。

玖珂層群 層状チャート

江田島地図2分割北(津久茂西) 

この付近を観察すれば、江田島の数億年の歴史がすべて記録され残っています。

なを、当地域を解説したより正確な資料として、
広島県立教育センター作成の

「花崗岩とルーフペンダントの泥岩・チャートの地層-江田島市津久茂」
が、あります。

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海岸に突き出た小山は1億7千万年から1億4千万年前にイザナギプレートから海溝に落ち込んだ海洋底です。

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(画像の左右2m)
海溝にスベリ落ちた衝撃で複雑に変形しています。
白っぽく見える部分は、放散虫、黒っぽい部分は主に火山噴火の灰が降り積もったものです。

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(画像の左右7cm)
一般に放散虫が海底に1cm降り積もるのに数千年かかりますので、平和な?海が数万年続いた後に大規模火山の噴火があり、また数万年の穏やかな気候の後に大噴火で舞い上がった火山灰が海洋底に降り積もる、と、飽きることの無い繰り返しが永遠に続くのが、本来の地球のあり方なのかも・・・(^_^;)です。

CIMG4193 
(画像の左右40cm)
この層状チャートは先の画像にくらべ、、火山灰の部分がとても薄くなっています。
つまりは、火山が活発に活動している大陸周辺部から離れた場所で、火山灰が飛んでこない大洋の真ん中あたり、たとえばサイパン?グアム?のあたりで放散虫だけが降り積もった?・・・(^_^;)とか。

CIMG4195
(画像の左右40cm)
この薄っぺらなチャートができた頃は、数百年ごとのとても短いサイクルで火山が爆発していたとか、あるいは陸に近い場所で堆積したため、毎年雨季の時期に大陸からの泥水が降り積もったのではとか、色々イマジン・・・(*^。^*)です。

畑の隅っこの江田島花崗閃緑岩

江田島地図2分割北(津久茂南) 

風化を免れた江田島花崗閃緑岩があります。

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(画像の左右15cm)
中粒角閃石含有花崗閃緑岩とも呼ばれ、角閃石の1cm近い結晶が視認できます。
トーナル岩化した部分で、カリ長石が少なく、白い斜長石を多く含んでいます。

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(画像の左右15cm)
黒雲母の目立つ部分で、黒雲母トーナル岩とも呼ばれます。

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(画像の左右150cm)
海岸には、呉花崗岩に捕獲された江田島閃緑花崗岩もあります。

クマン岳登山道の帆かけ岩(中粒黒雲母花崗岩)

江田島地図2分割北(帆かけ岩) 

江田島町の最高峰、クマン岳(399.8m)の南約500mの登山道脇で風をはらんでいます。

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ほんの数十年前までは、眼下に見える江田内湾に、白い帆を大きく広げた舟が行き来していたことでしょう。
手前の海面が江田内、遠くには山口県の阿多田島や、周防大島が見えます。

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昭和53年6月1日、この帆かけ岩のすぐ下から火の手が上がり、火炎は2昼夜に渡って燃え広がり、江田島町森林面積の80%約1000haを焼失しました。
あれから30数年になりますが、いまだに焼け残って黒く炭化した木々や、煤けた岩肌を見ることがあります。

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右の尖った山が古鷹山山頂です。
完全焼失から30年、やっと緑を回復した山々です。
中腹を横切る林道は、森林火災のあと防火道として整備されました。

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ご参考までに・・・(*^。^*)です。

南極の石・巨大水晶・和田さんの黒水晶

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(画像の左右30cm)
江田島町内、民家の玄関先に南極の石・・・(*^。^*)です。
かって、南極観測船の乗員として活躍された方が多くお住まいの、この島には各家庭に1個ずつ南極の石が保管されています。
と、言うのはまったくの冗談ですが、南極ブーム?のころは、彼方此方の公共施設の展示スペースに飾られていました。

今は、南極からの持ち出しが禁止されているようですし???、飽きられ、捨てられる前になんとか・・・(^_^;)です。

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(水晶の高さ30cm)
民家の裏庭に、巨大水晶・・・(*^。^*)です。
写真の撮り方がまずいのですが、形は六角形で水晶そのものです。
ただ、石質が今一つ・・・(^_^;)かな。

島根県の浜田近辺にも巨大水晶の産地が有ったと聞きましたが、この水晶は多分、近くの山に転がっていたのを持ち帰ったのだろうと・・・(^_^;)です。

厳島砲台黒水晶(東大) 
(ネット検索画像)
江田島の島内で発見されたものでは有りませんが、すぐ隣の厳島で見つかった、巨大水晶です。
和田さんって方に引き取られ、東京の博物館に収蔵されています。

海上自衛隊第一術科学校の大講堂と教育参考館

江田島地図2分割北(海上自衛隊) 

大正6年(1917)当時約30万円かけて建設されたもので、国会議事堂(昭和16年完成)に使用されたものと同じ、倉橋町納の「桜みかげ」を使用した、と、言われていましたが、実際は別の産地の花崗岩ではないか?と諸説あります。

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以下、「海上自衛隊第一術科学校」ホームページより引用

鉄骨煉瓦石造の大講堂は大正6年(1917年)に兵学校生徒の入校式、卒業式また精神教育の場として建築されました。
外壁には瀬戸内海産の花崗岩を使い、内部はほぼ吹抜けとなっており、約2000名の収容能力があります。
90年以上経った今日も、変わらぬ姿で、建っております。

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現在は幹部候補生、自衛隊生徒等の入校式、卒業式等儀式に使用しております。

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この建物は教育参考館と呼ばれ、外装には真っ白い花崗岩が使用され、内装の大理石にはアンモナイトの化石を見ることが出来ます。
昭和11年(1936)に建築されました。

梵字の刻まれた、えびすの岩(花崗岩)

江田島地図2分割北(梵字) 

道路脇の畑(駐車場)の奥に大切に祭られています。

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(画像の左右90cm)
江田島町史によれば、
磨崖仏を簡略化した「種子」を刻む。
銘は阿弥陀の「種子」でキリークに円相を伴い、室町時代の造立。
と、あります。

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岩の大きさは縦2,7m横3,3mで、円相の直径60cm、種子の高さ35cmと言われます。
岩はおそらく江田島閃緑花崗岩で、風化を免れたコアストーンだと思いますが、恐れ多くて近づくことが出来ません。

長石巨晶と瑪瑙

江田島地図2分割北(自動車学校) 

江田島町史では、この付近で金雲母が採掘された?とか。

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(画像の左右15cm)
山から転げ落ちた、花崗閃緑班岩の大岩に長さ6cmの巨大長石結晶を見ました。

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(画像の左右15cm)
呉花崗岩の割れ目に瑪瑙が析出しています。
島内の石器時代の遺跡から、この瑪瑙で作った、矢尻とかナイフとかが出てくるかも?・・・(*^。^*)です。

風化の進んだ、閃緑班岩

江田島地図2分割南(秀崎) 

島内では、もっとも後の時代に貫入したと言われる閃緑班岩です。

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(画像の左右150m)
海岸の岩壁に幅50cm、長さ5mの露頭が確認できます。

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(画像の左右120cm)
閃緑班岩と呼ばれますので、本来は緑っぽい色をした岩石なのですが、長い年月の風化で、灰色に変色し堆積岩かと見まがうほどです。

風化の進んだ、黒雲母花崗斑岩

江田島地図2分割南(秀崎) 

この地域では、南北に走る黒雲母花崗斑岩岩脈の南側端部を見ることができます。

CIMG7584 

花崗斑岩の先端部は早瀬方向を指して海中へと消えます。
なお、花崗斑岩と、斜長石や有色鉱物を多く含む花崗閃緑班岩は、同じ脈の中でも漸移します。

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(画像の左右15cm)
白いツブツブは石英で、最大1cmくらいありますが、残念なことに結晶は不完全です。

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(画像の左右15cm)
不思議なことに、ひび割れの中心は丈夫なはずの、石英の部分から始まっているようです。
もう少し詳しく観察すれば、あらたな発見?があるかも・・・(*^。^*)です。

CIMG7573
(画像の左右50cm)
熱が加わった(ゴミを燃した?)と思える付近の花崗斑岩は、周りよりも赤い色に変色しています。
他の地域の花崗斑岩にも、同じように赤く変色した部分をよく見ますので、これもおもしろ発見に繋がるかも・・・(*^。^*)です。

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(画像の左右80cm)
左側のぶつぶつ岩盤が元から有った呉花崗岩で、右が後から貫入した花崗斑岩です。
境界面は直線的です。



堆積した珪石と閃緑班岩

江田島地図2分割北(小方) 

この付近の山を探検すれば面白そうな感じなのですが、鬱蒼としたジャングル状態で人が入り込むのを拒んでいます。

CIMG7618 

道路脇の堆積土です。

CIMG7628 
(画像の左右25cm)
その中には花崗岩や、花崗斑岩にまじって珪石(石英)の岩塊も多く含まれています。

古老の話を聞けば、戦時中はこの山の奥で、数人の人夫を雇って珪石を堀り出していたそうな。
その時の副産物として水晶もあり、地元の子供らはそれを貰って喜んでいたそうな。

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(画像の左右80cm)
もう少し南に進むと、道路脇に閃緑班岩の路頭もあります。

江田島花崗閃緑岩(中粒黒雲母花崗閃緑岩)

江田島地図2分割北(秋月林道) 

ほとんどの江田島花崗閃緑岩は、風化してマサ土になってしまったのですが、秋月林道を作る時に、風化の進んだ土中からコアストーンとなって掘り出された、江田島花崗閃緑岩が林道脇に数個並べてあります。

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(画像の左右2m)
林道脇で見れる、もっとも大きなコアストーンです。

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(画像の左右15cm)
ピンクのカリ長石が目立つ呉花崗岩に比べると、江田島花崗閃緑岩は角閃石を多く含有しているために青白っぽい色に見えます。

花崗閃緑班岩

江田島地図2分割北(中央) 

林道の山側から崩れ落ちた、花崗閃緑班岩です。

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(画像の左右15cm)
花崗岩よりも、風化に対して耐性があり、山の尾根や岬の先っちょに残ることが多いです。

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(画像の左右20cm)
そうは言っても数千万年の歳月は、岩をも砕く・・・(^_^;)です。

真っ黒いツブが黒雲母、灰色のツブツブが石英、ピンクっぽいツブツブがカリ長石、画像では判りづらいのですが、白ゴマのようなツブツブが斜長石で、これらを班昌と呼び、それ以外の全体を覆う灰色っぽいのを石基と呼び、沢山の小さな鉱物が寄り集まって出来ています。

で、この石基をもつ岩石は、花崗岩のような石基をもたない岩石にくらべ、冷却のスピードがより早かったためで、岩脈や地表に近い場所で個結した岩石の特徴になります。

この斑岩類よりも、もっと冷却スピ-ドが早い安山岩や玄武岩は石基ばかりとなって、班昌はほとんど目立たなくなります。

小用峠の国道487バイパス道

江田島地図2分割北(小用バイパス) 

国道バイパス工事のため、呉花崗岩の山が大きく削られました。

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これだけの大工事だと、珍しい鉱物がわんさか手に入るだろうと、大喜びしていました。

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(画像の左右15cm)
が、・・・掘れども掘れども、まったく均質な呉花崗岩(粗粒黒雲母花崗岩)が続くばかり。

CIMG4458 
(画像の左右30cm)
やっと、熱水が通っただろうと思える、粘土状に変質した割れ目に当たりました。

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(約50倍?)
持ち帰って、顕微鏡で覗いて見ると、ボロボロの石英の小石に、サイコロのような四角い鉱物が、1個だけくっついていました。
黄鉄鉱が変質した、升石と呼ばれるものです。

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(画像の左右12cm)
後日再び、削られた崖を丹念に観察しますと、数百年前?に土砂崩れで埋まったと思われる、花崗岩質の堆積土の中に、親指よりも一回り大きい黒水晶が、1個だけ頭を出していました。

大山鳴動して、黒水晶1個・・・(^_^;)でした。

細粒花崗閃緑班岩

江田島地図2分割北(古鷹林道) 

古鷹林道の小用側に・・・

CIMG7925 
(画像の左右40cm)
幅30cm長さ3mの有色細粒で、安山岩にも見える岩体が呉花崗岩に貫入しています。

CIMG7926 
(画像の左右40cm)
山の上の方なので、貫入後に急速に冷却された為???・・・(^_^;)です。

水晶山に鬼の足跡

江田島地図2分割北(水晶山) 

江田島町史によりますと、この水晶山には鬼が住み、今も鬼が歩いた足跡が残っているとか・・・(^_^;)です。

CIMG0075b 
(画像の左右80cm)
その、鬼の足跡が今も水晶山稜線にくっきりと残っています。

CIMG0073 
(画像の左右110cm)
折角のロマンを打ち壊すのは申し訳ないのですが、これは昔の子供たちが水晶を見つけるために掘った、穴の跡じゃないかと・・・(*^。^*)です。

CIMG1718 
(中央の山と、その右の山の中間に鬼の足跡)
この山は小用山又は水晶山とも呼ばれ、見た目よりも急峻な山です。
鬼は住まなくても、海賊が見張り所を作って、眼下を通る船を襲ったりするには、とても好都合な山です。

CIMG9208 
(画像の左右10cm)
水晶山と呼ばれるとおり、昭和の初期には子供たちが、親指くらいの水晶を沢山掘り出して遊んでいたそうです。
カケラくらいは残っているかも?と、延べ10日ばかり付近を徘徊しましたが、見つかったのは米粒くらいで、白く濁った水晶・・・(^_^;)でした。

割れ目に析出した鉄分を含む鉱物

江田島地図2分割北(高須ノ浜) 

呉花崗岩の岩盤割れ目から・・・

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(画像の左右30cm)
磁鉄鉱を含む鉱物が析出しています。

CIMG7414 
(画像の左右50cm)
鉄分を含む、熱水が上昇した跡だとしたら・・・
この下を掘れば、温泉が湧いて出るかも・・・ヽ(〃^-^)/ です。

石英閃緑岩

 江田島地図2分割北(高須ノ浜)

この地域で、石英閃緑岩が特に多く見られると言う訳ではありませんが、むき出しの岩壁や、波に洗われた花崗岩に捕獲された、黒いおむすびのような石英閃緑岩が目立ちます。

CIMG7408 
(画像の左右15cm)
呉花崗岩の他にも、音戸花崗閃緑岩や江田島花崗閃緑岩、岩脈の花崗斑岩や花崗閃緑班岩にも普通に包有されています。

CIMG7411 
(画像の左右15cm)
石質はそれぞれに個性があり、真っ黒なもの、ごま塩のようなツブツブが目立つもの、粘土のように見えるものなど様々で、大きさも最大で50cm近いものがあります。

CIMG7426 

数十年前までは、有料の海水浴場だった高須ノ浜の突端には、ペグマタイトや珪長岩の貫入も見られます。
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