小古江 古地図

小古江古地図完成図 
この古地図は大柿地区歴史資料館展示の「国郡志御用付指上候村絵図之控」を元にして、適宜に加筆した絵図です。
この改正(悪?)絵図には1819年(文政2年)から1862年(文久2年)の頃までの地名、地形を合せて記入しました。

小古江古地図東半分 
小古江から大原に向けては海岸道路がありますが、柿浦、ヒトノセ、鹿川へと通づるのは山越えの道です。
現在の国道487号である、小古江と鹿川とを結ぶ海岸道路は痕跡さえありません。

一方、姫宮社(塩竈明神社)から峰ヶ迫川までの海岸には広い塩田があり、塩濵、シホヤノモト、砂走、シホムカヒの地名があります。

小古江古地図西半分 
余防川の下流域は今と変わらぬくらいにまで干拓が進み、上流は谷に沿って大道山の中腹まで開墾されています。

小古江(1962-05-20) 
国土地理院の1962年(昭和38年)5月20日の空撮画像です。

小古江19750114(昭50) 
国土地理院の1975年(昭和50年)1月14日の空撮画像です。
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小古江 いいとこ撮り 2/2

2014-08-18 083 
澤医院と道路を挟んで対向する位置に、がっしりと組まれた石垣と幅広の石段がありその先に木戸を備えた大門があります。

2015-03-31 018 
大門の柱には木板の表札が掲げられ、「澤医院」と書かれています。
屋敷内には手入れをされた庭木が茂り、その奥にはどっしりと構える茅葺の家屋が見えます。

新病院ができるまでは、こちらで診察治療がなされていたのでしょう。

2015-03-31 020 
道なりに進むと、学校風の建物が廃墟となっています。

このあたりに、明治6年設立の「小古江小学校」があったと聞いていましたので、てっきりその廃校だと思ったのですが、部屋の感じから見て、どうやら澤医院の元の病室だったようです。

2015-06-10 058 
後日再訪しましたら、敷地の一部はお花畑に変わっていました。

古老に聞いた話では、小古江小学校が大古小学校と統合された時期は不明だが、小学校の校舎は戦後もしばらくあって、当時流行の洋裁教室として使われていたそうです。

今は雑木に覆われていて痕跡さえ見あたりませんが、澤医院病室の少し先にあったと云います。

2014-11-04 091 
小古江地区には多く藁ぶき屋根を残したお家がありますが、屋根ふきの職人さんがいなくなったせいでしょうか?、藁ぶき屋根をトタン板で覆い、少しでも長持ちをさせる工夫がなされています。

2014-11-04 092 
正面から撮影させていただきました・・・m(__)mです。

このままでも郷土資料館等として十分に使えそうな、とても良い雰囲気を残しています。


2015-03-31 030
高台にさらにもう一軒、一回り大きな藁ぶき屋根を乗せたお家がありました。


2015-03-31 031 
家々を繋ぐ小道は春まっさかり・・・(*^。^*)です。

2014-11-04 068 
農家の建物は農作業のできる広い前庭を囲んで、L字型につくられます。

2014-11-04 071 
右に土蔵、左に納屋を配置した、昭和後期の頃の農家風建築を集約したお家です。

2014-08-27 029 
土蔵の漆喰に、コテ絵でえびす様が描かれています。

2015-03-31 079 
田んぼだった跡地に、桜の若木が一斉に花開きます。

小古江 いいとこ撮り 1/2

5)大柿町南部・小古江 
小古江地区は大柿町と能美町、沖美町とを結ぶ陸上交通の要所ですが、古くは海上交通が盛んだったせいもあり、道路が重視され始めたのは近世になってからです。

2015-02-15 032 
小古江地区の海岸は大原湾に面しますが、遠浅のため大きな船が出入りする港には不向きです。
一方、干拓や製塩事業には利があり、江戸時代の中頃から明治の頃にかけ一大製塩場が築かれていました。
製塩事業が衰退した後、当地では昭和5年頃から画像に見るような杭打ち垂下法でカキ養殖業が始まったと云います。
ちなみに現在盛んにおこなわれている、安価な孟宗竹を利用した筏式垂下養殖法が発案されたのは昭和28年、これによりカキの大量生産が可能となりました。

2014-09-17 097 
今は廃家となっていますが、私の好きな縁側のあるお家です。

2014-09-17 099 
よけいな物に執着することがなければ十分な間取りですし、庭を挟んで前面を峰ヶ迫川が流れ、側面は大原湾となる、海好き、川好きにはたまらないロケーションに建ちます・・・(*^。^*)です。

2015-02-15 036 
瓦屋根に、藁ぶき屋根を被せた?ユニークだけど落ち着いた感じのするお家です。

2014-11-04 099 
峰ヶ迫地区平坦地の最奥部です。
もともとはこの付近まで入り江があったのでしょう。

2014-11-04 095 
江戸中期以前からあった干拓地です。

2014-08-27 025 
干拓地を一歩踏み出せばすべての土地が傾斜地形です。
平地を造り出すには山を削り、石垣を築いて雛段とする他ありません。

2014-08-18 050 
付近の山々はすべて花崗岩だとはいえ、石垣用の石材を切り出すのは大変・・・(^_^;)です。
石垣で囲まれた下の階は牛小屋で、上の階は納屋として乾燥飼料を保管したり、農機具や収穫物が格納されていました。

2014-08-18 052 
昭和40年代まで盛んに栽培されていた葉タバコの火力乾燥場です。
物置?にリフォームされたみたい・・・(*^。^*)です。

2015-06-10 046 
干拓地以外はみな階段状の農地です。
限られた水源から、すべての田んぼに均等に水を振り分けるのは・・・むつかしぞぉ~。

2015-02-15 043 
車の入ることの出来ない高台に造られたお家です。
器用にまとめられた品格のあるお家ですが・・・。

2015-03-31 039 
空き家となって数年、少し荒れ始めた庭に、ムスカリが群生します。

小古江 農道

小古江農道 
小古江地区では古くから遠浅の海を干拓し、また山肌を削っては雛段を重ね、長い年月を費して開墾が進められてきました。

そのため、山の頂にまで続く細い農道が縦横に張り巡らされていましたが、近年の農業や林業の不振により多くの農道や開墾地が雑木に覆われてしまい、その痕跡さえも失われようとしています。

上図、グリーンで示してあるのが今も利用できる農道、兼生活道路となります。

2015-03-31 072 
春、山桜が咲き始めました。

小古江大坪には大道山(192.5m)が、小古江桜には、立山(192.5m)がありますがいずれの山も登山道を見つけることができません・・・(^_^;)でした。

2015-03-31 037 
農道脇の枝垂桜も花盛りです。

2015-03-31 032 
元は田んぼだったなごりを残し、レンゲの花がそこかしこ・・・。

2015-06-10 056 
休耕田にはハナショウブが植えられました。

2015-03-31 082 
昭和20年代まではサトウキビが育てられていたと云います。
そのサトウキビを搾るための石臼・・・(*^_^*)です。

ちなみに、文政二年(1819年)国郡志書出帳に記された小古江村の産物を・・・(大柿町史よりコピペ)

植物
「竹木花実」

松・杉・栗・枇杷・梅・桜・椿・柳・桃・槇・柿・つつじ・樫・菊・牡丹・仏の座・あさがお・水仙・あやめ・かきつばた・撫子(なでしこ)・せきちく・千日紅・金銀草・しのふ

「五穀」

米・麦・大豆・粟・黍(きび)

「物産」

椿・わた・芋・そば・唐黍(とうきび)・大こん・大角豆・さや豆・小豆・猿豆・あらいも・牛蒡・ちさ・ふき・わけぎ・ねぶか・なすび・木瓜・うり・冬瓜・ほうふら(かぼちゃ)・○うま・めうが・ごま

「薬品」

桔梗・白朮(びゃくじゅつ)・半夏・忍冬・麦門・陳皮・防風・葛根・香附子

動物
「禽獣類」

鴨・ひよ・鳩・四十から・雲雀・雉子・すすめ・からす・鷺(さぎ)・鳶(とんび)・もす・ばん・鶯・ひわ・磯雀・かもめ・かうもり・蚊・ぶと・はい・せみ・とんぼ・蛍・けら・蟻・蛇・はたをり虫・犬・猫・兎口鹿・まみ・猪

「魚類」

鯛・かれい・なまこ・あなこ・さば・いわし・たこ・此代(このしろ)・いな・はて・かなす・海老・片握(?)・めばる・ちまき・白魚

・・・です。

2014-11-04 087 
タバコ葉の火力乾燥小屋です。
葉タバコは大正後期のころから昭和40年代まで盛んに栽培されていました。

2014-08-18 046 
農道を登り詰めた先で、おどろく光景に出会いました。

米造りには八十八の手間が掛かるといいますが、この田んぼにはその倍の手間隙が掛かっていそうです。

2014-08-18 043 
このすてきな稲田を作り出した、おじさん・・・

「我ながらよくやった」って、腰に手を当てて田んぼを眺めています。

まったく、すばらしい出来・・・(*^。^*)です。

2014-11-04 022 
秋の陽に、カキの実が赤く染まりました。

小古江 国道487号線

5)大柿町南部 小古江R487 
江田島市内を通過する唯一の国道が小古江地区の海岸を南北に走ります。

わずかな区間ですが、市内では最大級の道幅で作られており、歩行者や自転車も安心して通行ができます。

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能美町に近い小古江地区北部の国道海沿いに江田島市交流促進センター「ふれあいプラザ・さくら」があります。
平成8年3月、小規模生産者や高齢者等の所得の向上と社会活動の場、都市住民との交流拠点として旧大柿町が建設しました。

さくらには直売コーナーと食事コーナーがあり、直売コーナーでは、地元農家で生産された新鮮な野菜を安価で販売、食事コーナーでは、名物の大豆うどんや、手作り寿司などの昼軽食が提供されます。
また、農家の主婦グループが農水産物を使用して作ったクッキーなど加工品も販売されます。

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対岸から見た「ふれあいプラザ・さくら」です。

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元は曲がりくねった細い道幅の道路でしたが、いまは島内最大の道幅に改装されました。

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国道わきに大濵商店さんが、がんばります。
看板には酒王千福・酒類・タバコ・清涼飲料の文字が見えます。

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澤病院前バス停に揚げられた、江田島市バス運行路線図です。
この付近を最初に通過した定期乗り合いバスは、昭和5年(1930年)、芳本兄弟自動車商会による六人乗りT型フォード2台での柿浦~中村間の一日四往復が始まりだとされます。

当時バス停は無かったと思いますが、今のバス路線図に当てはめて見ますと・・・
柿浦桟橋―柿浦峠―大柿支所前―大柿高校前―大古農協前―峰ヶ迫―澤病院前―余防―鎌木―東浜―中浜―鹿川学校前―是長口―下郷―上郷―永田―宮山―迫田口―能美中学校―長石―中町桟橋 ってことに・・・(*^。^*)です。

2014-09-17 122 
バス停名にもある澤医院です。

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完成当時の澤医院です。(大柿地区歴史資料館よりコピペ)
現在の澤医院は画像手前の田んぼを埋め立てて造られています。

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国道の海側、大原湾に接して和船専門の造船所があります。

2015-02-15 031 
1,2年前?に伝馬船を新造進水させたとの話を聞き、急ぎ探し当てたのですが、残念。
新造船が造られる気配はありません。

ただ、鋸や電動工具、船材板やペンキ?などもそのままですので、注文さえあれば造ってくれるのでは???・・・です。

2014-08-11 120 
幅広のバイパス道がつくられ、旧道となった細い矢比津道に人影はありません。
数年前までは商いがあったようですが、・・・高級呉服、婦人服地の「いしざき」商店さんです。

小古江 余防川・峰ヶ迫川

5)大柿町南部・余防川・峰ヶ迫川 
余防川の流路延長は1.61㎞、流域面積は0.74㎢
峰ヶ迫川の流路延長は1.42㎞、流域面積は0.63㎢です。

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余防川の下流です。
この付近は古くから少しずつ干拓され、江戸時代末期にはほぼ現在の範囲にまで干拓が進んでいた様子です。

2015-02-15 039 
石で積まれた古い護岸のほとんどが丈夫なコンクリートにやりかえられましたが、ところどころにまだ石垣の見える部分もあります。

藁ぶき屋根をトタンで覆ったお家の前に、昔ながらの?丸木橋が架かります。

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余防川の中流部です。
護岸は明治以前に積まれた石垣だろうと思いますが???、橋は丸木橋から鉄骨製に変わっています。

2015-03-31 073 
流れも細くなった余防川の上流部です。
堰を作って流れを止め、左右に広がる田畑に必要なだけの水を流し込む水量分配用の設備が残ります。

今は耕作放棄地ばかりが目立ち、水を必要とする田畑はほんのわずかとなっていますが、回りの田畑が耕作されていた十数年前までは厳格な水量管理がされていただろうと思います。

2015-03-31 076 
田畑を潤す役目を解かれた水流。
必要とされる度合いは極端に減りましたが、それでも、ただひたすら下流域をめざして流れ下っていきます。

2015-02-15 047 
取り壊されたお屋敷跡に残る古井戸です。
大切な役目を終えた古井戸ですが、石柱で支えられたトタン屋根が陽光を受け、その付近の空気を暖めてくれたのでしょう。他所よりも一足先に春が来ました・・・(*^。^*)です。

2014-08-11 124 
峰ヶ迫川の下流部、護岸から手摺付きの縁が張り出し、庇の影が川面に写ります。
まさに、川船のようなお家です。

2014-08-11 126 
廃家となったこちらのお家は廊下が川に張り出しています。
このあたりの峰ヶ迫川は潮の満ち干に合わせ水位が大きく変化し、満潮時にはボラやクロダイ、コノシロなどの魚影が見えます。
いつの頃だったか、シロウオ(シラウオ?)獲りの網が出ていたような?、ふる~い記憶??がよぎります。

2015-06-10 042 
峰ヶ迫川の上流部、遥か向こうに大黒神島や大原湾を見下ろす絶景地に、まだ稲田が残っていました。
青い空を写した水田に緑の早苗が、今、植わったばかり・・・(*^。^*)です。

小古江 説教場・地蔵堂

5)大柿町南部 説教場 
小古江「澤医院」の前に「説教場」があります。

元の説教場は宮島にあったものを譲り受け、天日神社の麓に移築して寺小屋教育の場としても利用していたと云います。

説教場として今の位置に移った時期は不明ですが、塩田事業の終わった明治末期か大正の頃だろうと思います。
この場所にはそれまで塩を煮詰めるための塩釜小屋があったと云います。

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境内を囲む石垣は自然石を加工して、巧みに積み上げられています。

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内部は見えませんが、靴箱の大きさから推定し、50人は十分に入れそうです。

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仔細はわかりませんが、梵鐘には安政二年乙卯二月吉日 再鋳 の文字が打たれています。

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庇を延長し独特な景観となった大屋根はまだ新しそうに見えますので、戦後なっての大改装、あるいは建て替え?られている様子です。

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説教場とは道路を挟んで対向する、澤医院の敷地内?に小堂があり、お地蔵様が祀られています。

そばに石碑が建てられていて・・・
十方照光明 摂取天世人 地蔵能科徳 諸佛所護持
昭和三十三年仲春 宝持 義典 敬誌
と???、読めます。

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こちらのお地蔵様は、峯ヶ迫川の中流、川向こうにあります。
近くに橋がありませんので、川を挟んで対岸からのお参りになります・・・(*^_^*)です。

小古江 観音堂

5)大柿町南部 観音堂 
小古江地区峯ヶ迫集落を見下ろす高台に「観音堂」が建ちます。

もとは丸子山の頂上にあった尼院を、安政4年(1857)3月、観音堂と名付けて現在の地に移したと云われます。
毎年旧盆の9日には、部落をあげての祭がおこなわれます。

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お堂への登り口には大きく育ったクスノキが枝葉を広げ、冬の北西風を遮ってくれます。

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境内はいつもきれいに掃除がされていて、地域の方々の優しさと思い遣いが感じられます。

2014-08-18 062 
お堂の柱や屋根に大きな傷みはありませんので、戦後の再建だと思いますが、バランスのとれた落ち着きのある小堂です。

軒下に吊るしてある竹棹はお祭りの幟を立てる支柱です。

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屋根瓦には苔の生えた部分もありますが、雨水が侵入する恐れはありません。

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菊水模様が彫られた方形の露盤には小さなヒビが入っていますが、キッチリと補修がされています。

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観音堂屋根の向こうに、クスノキが力強く枝を張ります。

お堂を移した安政四年の頃の手植えだとすれば、まだ158年・・・
そんなもんかもなぁ~ ・・・(*^。^*)です。

注) あるクスノキは樹齢100年で幹回りが3.55m、樹高21mに育っているといます。

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観音堂の境内から見た大原湾と、その右奥に大黒神島です。

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境内には何基もの五輪塔が並べ置かれています。

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老桜の向こうに、今が育ち盛りのクスノキと、さらにその向こうに観音堂が小さく見えます。

小古江 塩竈明神社(姫宮)

5)大柿町南部 塩竈明神社 
小古江(おぶれ)地区を南北に走る国道487号線と海岸との間に「塩竈明神社」、別名「姫宮」があります。

祭神は塩浜大明神、祭礼は旧6月17日です。

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元は岬の先端だったろう大岩に添って建ちます。

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鳥居はありませんが二本の石柱が建ち、柱の裏面に「文部大臣 灘尾弘吉書 昭和33年11月吉日建之」とあります。

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「塩竈明神社」と墨書の社額が揚げられています。

これまで大原湾からの潮風は海側に立つ大岩が防いでくれていましたが、前回の想定を上回る大型台風の威力におどろいたのでしょう。

備えあれば、って事で、・・・何本ものロープで拝殿の柱と大岩の根元とを固く張り結んであります。

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本殿は欅材を使った頑丈で端正な造りです。
ビワを食べるサルの飾り彫刻もあり、釘隠し金物や擬宝珠もまだ新しい感じです。

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唐破風には唐草文様が彫られ、神紋として「三つ盛二重亀甲に剣花菱」が打ってあります。

この亀甲紋は、おめでたいとされる海亀が由来で、多くの神社で神紋とされています。
出雲大社は「二重亀甲に剣花菱」、厳島神社は当社と同じ「三つ盛二重亀甲に剣花菱」、櫛田神社は「三つ盛二重亀甲に五三桐」が用いられています。

2014-09-17 121 
境内は頑丈な花崗岩の玉垣で囲われています。

小古江古地図東半分  
小古江村の古地図です。
この絵図は大柿地区歴史資料館に展示されている文政二年(1819年)小古江村絵図をもとにした複製です。

当時は塩竈明神社とはよばれず、「常陸之姫宮社」であったようです。
平家の落人?女官の?哀愁秘話?がもととなった、小さなお宮があったのかも?・・・

常陸之姫宮社の社前は古くから干拓が進んではいましたが、宝暦元年(1751年)山野井氏による大規模な塩田開発が始まりました。
総面積8反9畝の塩浜を築き明治20年頃まで操業、年間55石が製塩され、塩焼ガマは今の説教場そばにあったと云います。

このころ、今まであった姫宮社に塩の神様と、塩を煮詰める竈(かまど)の神様を合わせて、お祀りしたのだろうと・・・(*^。^*)です。

小古江 天日神社 2/2

2014-08-27 051 
天日神社の拝殿と幣殿には沢山の奉納品が掲げられています。

拝殿正面には富士山の大絵馬が揚げられ、幣殿奥には乃木大将の写真や神社改築の記念木札も揚げられています。

ちなみに、これら木札の文字をたどりますと・・・

昭和47年11月 本殿屋根塗装方奉仕 大原峯 久保俊雄


昭和56年10月吉日 拝殿張替方奉仕 大工 林渡

昭和56年10月吉日 本殿廊下張替方奉仕 峯ヶ迫 沖要一 峯ヶ迫 空胤雄 郷 神田富士美

昭和63年8月15日 寄贈御殿戸扉 沖森太郎

平成元年5月吉日 贈避雷針一基 沖森太郎

平成元年12月吉日 贈神前御道具一式 森内装

平成22年10月吉日 拝殿張替方奉仕 大工 林正和

・・・と、読めます。

2014-08-27 053 
拝殿正面に大きく描かれた富士の大絵馬です。
文字は読みにくいのですが、湖?に小島が浮いていますので河口湖の北岸から見た富士山でしょうか???

大絵馬にある富士山の遠望位置を訂正します。

小古江の天日神社にある、大絵馬のモデルになった風景は、静岡県沼津市内浦より登った発端丈山という山の登山道の展望台(付近)からのものです。
ブログの記事に河口湖からの写真かも、と書かれていたため・・・


沼津市在住の方からご教示をいただきました。
ありがとうございます・・・(*^。^*)です。

2014-08-27 054 
この絵馬は「算額」とよばれるものです。
奉納 小古江 久保八十七 が読み取れます。

以下、日経サイエンス「算額に見る江戸時代の幾何学」からのコピペ・・・m(__)mです。

 鎖国下にあった江戸時代,神社仏閣の軒下に美しく彩色を施して幾何の問題を記した絵馬「算額」を掲げる習慣があった。絵馬はもともと本物の馬のかわりに馬の絵を板に描いて神社に奉納したものだが,算額では馬ではなく数学の問題を記してある。算額が神社仏閣に奉納されたのは,困難な問題をやり遂げたことに対する神への感謝であったか,あるいは他の参拝者に「解けるものなら解いてごらん」と挑戦したものかもしれない。
 現存する最古の算額は栃木県の1683年のもので,確認されているだけで日本全国で880枚以上の算額が見つかっている。算額に記されているのはほとんどがユークリッド幾何学の問題だ。そのレベルについても,西欧の数学より何年も早く高度な定理を扱っていたものも少なくない・・・・・・つづく。

2014-08-27 058 
2010年記念ふる里航空撮影 奉納 神田行夫 平成23年9月吉日

2014-08-27 059 
画像は見えませんが・・・
奉納 昭和二十六年九月吉日 丸石キエ 山口ヤスノ 住本フイノ 本家沖タマノ?
ご長寿御祝いの奉納だったのかも?・・・(*^。^*)です。

2014-08-27 055 
うぅ~~~ん。
仙人像のような人影がうっすらと見えますが??? 

2014-08-27 065 
映画「ラストエンペラー」で見た紫禁城のようにも見えますが???

2014-08-27 056 
残念ながら裏地の板目しか見ることができません。
過去を残すことも大事ですが、時と共に朽ち果てるのは自然の大原則です。

多くの神社は、屋根はあるものの雨風を遮る壁は最小限、早く朽ちることを前提に造られているようにもみえます。

2014-08-27 072 
乃木希典陸軍大将です。
奉寄進 昭和六年度九月吉日 當村 空直太朗

2014-08-27 069 
軍艦のブリキ模型です。
日清、日露戦争の当時活躍した軍艦でしょうが、艦名は見えません。

2014-08-27 077 
乃木大将の奉納が昭和6年ですので、おそらく同じ時期に奉納されたものでしょう。
細部にこだわらなければ、主砲の砲身が二本、煙突が二本ありますので、「戦艦三笠」ってことで・・・。

おそらく、雑誌の付録絵図あたりをもとに作られたのでしょうが、「いい仕事されてますねぇ~」 ・・・(*^。^*)です。

小古江 天日神社 1/2

5)大柿町南部 天日神社 
天日神社は小古江地区の集落を見下ろす尾根の中腹に、木立に囲まれてひっそりとたたずみます。

祭神は、天ノオシホミミノ命、国常の命、天一神と云い、祭礼は旧9月15日です。

ある夜のこと、当地江頭家主の夢枕に、槍を持った白髪老人が立ち、「我は天ノオシホミミノ命なるぞ、この地に永久に祀り給え」と告げ、江頭家の守護神とされました。
のち、地域の氏神となり盛んなるときは、峰ヶ迫と余防の若衆がはやし太鼓で、多いに張り争ったとか・・・

2015-03-31 059 
周囲の木々が大きく育ち、遠望はききませんんが、木立をぬう春風が遠く大原湾の潮の香を届けます。

2014-11-04 076 
大原湾へと長く伸びる山の尾根を削って作った境内に、いかにも村の鎮守様という雰囲気を濃縮して建ちます。

2014-08-27 049 
拝殿正面の白壁に「天日神社」と墨書した扁額(へんがく)が掲げられています。

2014-08-27 074 
柱と頭貫の上にがっしりと組み合わせた斗栱(ときょう)が乗り、その複雑な力配分により重い庇を軽々と支えます。

2014-08-27 061 
拝殿の屋根は複雑怪奇な木組みをもって器用に支えられています。

2014-08-27 073 
幣殿から注連縄(しめなわ)の向こうに本殿を拝みます。

2014-08-27 076 
本殿の前から幣殿、拝殿を見ます。

2014-08-27 038 
拝殿の鬼瓦です。
見えない部分があるのですが、「﨑」?と書かれているような???

2014-08-27 041 
本殿を横から見ます。
小さいながら回廊や朱塗りの手摺が付いた凝った造りになっています。


2014-08-27 044 
頭貫や虹梁、海老虹梁に丁寧な彫が入っています。

2014-08-27 043 
本殿の千木は外削ぎですので、祭神の天ノオシホミミノ命(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命)は男の神様であることになります。

2014-11-04 079 
本殿の屋根には千木と共に鰹木も3本乗ります。
奇数の場合はこれも男神を示すものだといわれます。

深江 深江村絵図 (芸藩通志1825年)

深江村古地図複製(大柿町誌)  
この深江村絵図は、大柿町誌(平成6年)に掲載の芸藩通志(文政8年)1825年の絵図をコピペしたものです。

不明瞭な図や文字を適宜改変してありますので、改悪となった部分も多くあります。
正確を期する場合は、大柿町誌をご覧ください・・・m(__)mです。

これを見ますと、島戸新開や釣付(附)新開は、とうに完成されていたようです。
沖ノ山(沖野島)の生けすや、チウシ?付近の定置網?、カメガシラの防波堤、田中川の堤門、田中池など必要十分な大工事が、江戸時代にはすでに出来ていたとはおどろきです。

また、カメガハシ、カメガシラ、キトウなど亀に由来する地名が多いのは当時ウミガメが多く生息し、村民に馴れ親しまれていたのでは?、もしかして??食べられていた???・・・(*^。^*)です。

2015-07-19 099 (1024x769) 
画像はベニイトトンボの雄です。

近年になって、珍しい種類のトンボだとされる、このベニイトトンボが江田島市内の各所で再発見されています。

十年ばかり前に江田島町切串、長谷川上流にあった山田を整備し、ビオトープがつくられましたが、ベニイトトンボの最初の目撃情報がこのビオトープであったため、このベニイトトンボは水草などに付着して島外から移入されたのだろうと云われてきました。

その後、ベニイトトンボの行動半径からは少し無理があるんじゃ?、って場所から見つかり、今年になって2,3の地元の方から「うぅ~~ん、断定は出来ないけど、子供の頃に見たことがあるよ」って・・・(◎_◎;)です。

今まで、水の乏しい江田島にいるトンボは、シオカラとオニヤンマくらいだろうと思って見向きもしなかったのですが、古沼をじっくり観察するとけっこうな数のトンボが飛び交っています。

深江村絵図にも、釣付新開、田中池、タメヒロ池?、ヲク池??と古い時代に造られた池が今もそのままに残っています。
数日日照りが続けば干上がってしまう小さな小川しかない島では、人々が住み着いて最初にするのは水を溜めることのできる池をつくることです。

江戸時代よりも、もっと古くにつくられただろう池は島内にまだまだ沢山残っています。
それらの古池には、他所では見られない生物が生息していても不思議じゃないのかも・・・(*^。^*)です。

ベニイトトンボ発見場所(20150825) 
星印は今までにベニイトトンボの生息が確認された場所です。

2015-07-31 177 (1024x769) 
ベニイトトンボと同じ仲間のキイトトンボです。
色は違うけどそっくり、とくに雌同士はよく似ています。

2015-08-04 255 (1024x768) 
アジアイトトンボ?それともアオモンイトトンボ?? ・・・

2015-08-03 083 (1024x767) 
アジアイトトンボ?? ・・・かも。

2015-08-02 134 (1024x767) 
ショウジョウトンボ?みたい ・・・(^_^;)です。

2015-08-18 148 (1024x770) 
ギンヤンマ?って、こんなにきれいでしたっけ・・・

2015-07-31 351 (1024x770)
大きな川なんてないんですが、瑠璃色の鳥、カワセミもよく見ます。
3羽いたから、たぶんひな鳥が孵ったばかり? ・・・かな。

深江19470313(昭22) 
ご参考までに・・・
昭和22年、1947年3月13日の深江、大原地区です。
当時は山の頂まで段々畑が続き、少しでも水流があれば田んぼが作られていました。
トンボには住みづらい小さなため池も含めれば、数百?くらいはあったかも? ・・・(*^_^*)です。

深江 いいとこ撮り 5/5

2014-09-25 044 
深江地区の路地裏散策は、家々が密集している分、面白さも濃縮されます。

近年になって道幅も広く拡充された、県道300号線に面するお家の壁に船の備品が展示してあります。
上の白壁には、和船で使用する櫓(ろ)が掛けられています。

櫓(ろ)は中国あるいはインド、東南アジアが発祥とされ、小型船の人力推進装置としては大変なすぐれものです。
八ノ字運動をする櫓板に発生する揚力を、推進力に替える働きはプロペラと同じ原理です。

画像左、4つの浮き輪の間あるのは、櫂(かい)です。
低速で移動する場合、櫓(ろ)と同じく揚力を利用して進むこともできますが、普通は水を掻いて推力とします。
原理としては外輪船(水車)と同じです。

中央は舵輪です。
近年の船は油圧を利用しますので、車と同じような小さな舵輪(ハンドル)ですが、ロープやワイヤー、チェーンを巻き取って直接人力で舵を動かすにはこのような大きな舵輪が必要です。

オレンジの蛍光色で塗られているのは救命浮環です。

赤く塗られたオノは防火斧とよばれ、ふつうに薪割りに使う斧と大差ありませんが、船でお風呂用に薪を割ったりはしません。

緊急時に脱出用ドアーや窓を壊したり、危険なロープや電線を叩き切ったり・・・・と、あと無人島に漂着した場合にも役立つ?かも? ・・・(*^。^*) です。

2014-09-25 046 
お庭の塀に並べられた3匹のカエルさん。
赤い魚網ブイに口と鼻の穴をあけ、目のまわりと、お腹の部分に白いペンキが塗ってあります。
すばらしい、発想力 ・・・(*^。^*)です。

右は船の停泊灯?マスト灯?・・・かな?
時化の海でも遠くまで光がとどくように防水で、レンズ効果のあるカバーガラスで覆われています。

2014-09-25 082 
中央にぶら下がっているのは、号鐘(タイムベル)です。

もとは船内に時を知らせるための鐘ですが、霧が発生した時の警笛(鐘)音や、緊急事態を知らせることにも使えます。

2014-09-25 080 
旧道脇に、昔ふうの板張り小屋がのこります。
場所柄からの想像ですが、イワシ漁の網などを保管する漁師小屋?だったんじゃ?・・・?です。

横の空き地には、ベニタデや黄色いコスモスの間からススキの穂も伸び出し、秋本番を告げようとしています。

2014-09-25 262 
母屋の前には広い庭があり、ガラス戸で囲われた離れ部屋には深い庇で守られた縁側が付きます。

悠久の時をじっくりと味わえそうなすてきなお家ですが、家人が訪れるのは週末のみ?・・・かな?

2014-02-03 002 084 
白壁の蔵の屋根から伸びる一本の万年煙突・・・
まさか、蔵をお風呂に改装???

湯船を少し大きくして、サウナを併設すれば、「湯う游う 蔵温泉」とかって名前でお客さん呼べるんじゃ・・・(*^。^*)です。

2014-10-29 114 
港町とはいっても平地は限られます。
多くの家々の裏には急な崖が立ちはだかり、まさに危険と背中合わせです。

何世代にもわたり築き上げた石垣が青く苔生し、日当たりの良い隙間にはサボテンが育ちます。

2014-10-29 080 
昔見たことのある電力積算計が残っていました。

6478.0KWh 普通電力量計MF-80形 交流単相2線式 1976年製 三菱電機株式会社
外カバーには「有効期限31年8月」????? 日本電気計器検定所のシールも貼られていました。

2015-02-23 083
深江地区の路地裏に面する崖には、なぜかノシランをよく目にします。

大群落に発展している崖地もありますので、たぶん地元の方々が保護されているのだと思います。
お盆のころ、ツバキの枝下や竹藪の日陰に白い清楚な花を付けます。

深江 いいとこ撮り 4/5

2015-02-23 064 
深江地区の北部大附には現役の長屋門を持つお屋敷があります。

土台となる敷石は花崗岩を整形加工して隙間なく並べ、縦に張り付けた杉の板壁には黒く焼きが入っています。

2015-02-23 062 
観音開きの丈夫そうな門扉にも焼きを入れてありますが、板材は斜めに張られデザイン性も考慮した造りです。

また石段の上には犬除け?の格子柵が取り出せる仕掛けとなっています。

2015-02-23 057 
内部の様子はわかりませんが、納屋や作業場、予備の小部屋として使われているようです。

2015-05-10 032 
海風の強い海岸沿いの建物は庇を短く、二階の高さも低く設計されます。
家族の多かった戦後の一時期、母屋に続く離れの部屋として造られたようですが、今は無人・・・

2015-05-10 064 
玄関の引き戸を開けたら広い土間があり、部屋は田ノ字形に4室、南向きの開放された縁側と、その前に作業場としても使える広く平らな庭があり、多用途(主に農家)に使える標準型設計のお家です。

発祥は江戸時代後期、広まったのは明治に入ってからです。
当時は藁ぶき屋根でしたが、昭和初期のころからは瓦葺が主流となります。

2014-12-22 048 
ペンキで塗られた板材を水平に張り付けた、洋風な感じのする建物です。

2014-09-25 085 
空き家となったお家の庭、昔育てていたルリコウが種を落して広がり、夏草の中に瞬く紅い星を演出します。

2015-05-21 107 
手の込んだ造りの重厚な蔵です。
ご先祖様の集めたお宝が、ぎっしりと詰め込まれてるんでしょう・・・(*^。^*)ね。

2014-12-22 121 
二階の高さを抑えた土壁のお家です。
裏の軒下に、稲はぜに使う丸太や竹材、木製梯子が格納されています。
長い煙突は、灯油式お風呂用ボイラーの排煙口に取り付けられています。

2014-12-22 124 
広い敷地のお屋敷に建てられた、重厚な木製門です。
老巧化が進んでいますが、大きな柱で重い瓦屋根をしっかりと支えています。

年代を感じる軒丸瓦は三つ巴、四隅を飾る留蓋には宝珠が乗っています。

2014-12-22 081 
敷地に合わせて変形屋根と壁をもつお家です。

一部の窓はアルミサッシに替えられていますが、丁寧に塗られた土壁が目に穏やかなぬくもりを届けます。お風呂は薪焚き、煙突に書かれた名は「火口用 特製万年煙突」・・・(*^。^*)です。

深江 いいとこ撮り 3/5

2015-05-10 061 
港町はどこも狭い土地を目いっぱいに家々が立ち並びますが、中でも深江市街の混みようは江田島市内随一でしょう。

近年になって立ち退きや埋め立て、小川の暗渠化などで車の入れる道路が整備されてはきましたが、いまだに自動二輪車さえ入り辛い路地が数多く残ります。

そのことは、いままで大水害や大火などの大きな災害を受けることなく、安全快適な社会が長く続いた証でもあるのですが、それ以上の大変革である車万能の社会が一気に訪れた事の弊害をまともに受けることになりました。
車社会に必要な、平らで幅広い通路と、駐車スペースが確保できない路地奥の多くの家々は廃屋や移転を余儀なくされることになりました。

深江には街の規模の割に多くの商店や事業所が建ち、ある種分業的な微妙なバランスを保って商品をさばき、銭金を回していたのですが、近隣に大型店舗ができたり、遠方まで車で出かけて大量に購入する生活様式へと変わった途端、歯車が掛けた空回りとなり、一時百軒近くもあった商店や事業所が一挙に大激減しました。

車道から一寸の猶予もなく建てられた(道路用地に接収された?)ガラス引き戸の元商店が残ります。
看板が外されていますので、想像になりますが文房具や、アイスキャンデー、ラムネ、三ツ矢サイダーなんかも売ってたんでしょう。
何万回も開け閉めされたガラスの引き戸は硬く閉じられ、白いカーテンが引かれています。

2015-05-10 067 
雨戸が閉じられていますが、その奥にはりっぱな二階桟敷がありそうです。
商品を置くスペースとかは無さそうですので、大宴席が可能な割烹?、小料理屋さん?だったのかも?

2015-05-10 070 
軽トラがやっとの路地に酒屋さんがあります。
ごく最近までは営業されていた様子ですが・・・

2015-05-10 074 
大看板に、「たばこ、高級清酒 譽 駒 ホマレコマ販売店、中田酒店」とあります。

2015-05-10 073 
庇を支える分厚い腕木には、鷹を思わせる彫刻が彫られ景気の良かった時代を偲ばせます。
丸いプラスチック看板に、「最高の品質 ダ イ ヤ 焼 酎 」、裏側には、「スーパー 銘 清 酒 初 日 」、ともに共和発酵工業の製品でしたが、平成14年、酒類事業をアサヒビールに譲渡しました。

2015-05-10 108 
軽四輪の通行も無理な細い路地にも商店が軒を連ねます。

こちらのお店もごく最近カーテンを閉めたようです。
内部は見えませんが、表の段ボールに、梅干しとかリョーユーパンの文字が見えますので、生鮮食料品店だったんでしょう。

2015-05-10 109 
軒下に放置された台秤に「さつまいもべにはるか」と書かれた段ボールが乗っています。
とおく、茨木県から運ばれたものです。

かって、当地の畑の半分は甘藷畑だったこともあったのですが・・・

2014-12-22 133 
また別の路地には衣料品店が・・・
2,3年前までシャッターは上げられていたのですが・・・

2015-05-21 074 
かなり以前に閉められたようです。
当時はハイカラだった出窓風ショーウインドウには何が飾られてたんでしょう。

2015-05-10 115 
ま~だ、まだ、車の止めれる道路脇には、元気な商店も残っています。
上河内食料品店さん、がんばってね。

2015-05-10 116 
すぐ、隣に沖井商店さん、目の前の深江漁港とその向こうに大黒神島と夕日が一望に見渡せる二階桟敷は、まだまだ、使えそう・・・(*^。^*)です。

深江 いいとこ撮り 2/5

2015-05-21 083 
旧深江港の南側高台から深江港最奥部を望みます。

小型船の舫う港の奥に煙突が一本垂直に立ちます。

2015-05-10 082 
屋根から飛び出たように見える煙突は、かって深江港の象徴でもあった、お風呂屋さんの煙突です。

2014-10-29 096 
昭和40年代のころまでは、どの地区にも1、2軒のお風呂屋さんがあり、地域住民のすべてが集う社交の場でもありました。

ちなみに、江田島市内にあって各家庭ごとにお風呂がつくられ始めたのは昭和40年5月、広島太田川の水が海底送水管を通って、江田島町小用の前早世浄水場に送られるようになってからです。

それまでは各集落ごとに小川の水を溜めての簡易水道か、海水の混じる井戸水を汲み上げて使うほかに水を都合するすべはありませんでした。
各家庭の風呂桶に水を張るだけの水量をまかなうことは、とても、とても・・・(^_^;)でした。

以下は蛇足になりますが・・・
温泉浴や行水は昔から有ったでしょうが、お風呂の原形は、仏教ともに中国から伝来したサウナ形式(蒸し風呂)のものでした。
当初はお坊さんの身体を浄めるためのもの(儀式)でしたが、施しとしてお寺の浴堂を庶民にも開放、布教の広がりとともに各地に波及しました。

その発展形として考案された(東大寺大勧進職 重源 1121~1206)石風呂が瀬戸内一帯に普及し、一般庶民も気兼ねなく利用できるようになりました。
(瀬戸内には石風呂の地名が数多く残り、竹原市忠海 旅館岩乃屋では今も海岸の洞窟を利用した石風呂サウナを営業中です。)

江戸時代初期には、サウナ形式の大衆浴場「お風呂」のほかに、個人宅においては五右衛門風呂型式の首までお湯につかる「温」「薬湯」も広まりました。

大衆浴場がサウナ(蒸し風呂)形式から、現代のお湯(湯船)形式となったのは明治に入ってからですが、水の乏しい瀬戸内では、昭和初期まで蒸し風呂形式が主流だったようです。

2015-05-10 075 
正面から見るお風呂屋さんです。

湯上り客は二階座敷で、ビール片手に涼んでいったんでしょうね。
ときには、宴席に発展したり・・・(*^。^*)です。

2014-10-29 095 
廃業となってもう数十年は経過したようです。
100kgは測れる台バカリにも、奥の木製ロッカーにも白く埃が積もっていました。

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玄関土間に置かれているのは、ローバーミニ1300?でしょうか。
お風呂屋の御主人、車好きだったんでしょう・・・(*^。^*)ね。

2014-10-29 084 
大きなお風呂やさんだったようですが、賑やかだった往時を残すものはありません。

2014-10-29 086 
男性客と目を合わさないよう、近所の女、子供はこちらの裏口から入っていたのかも???
ガラス戸に子供の喜びそうな切り絵が貼り付けてあります。

2014-10-29 087 
三角窓をもった車(トヨペットコロナ3代目?)です。
風呂焚き用の薪や古材をはこんだんでしょうね。

2014-10-29 088 
空高くそびえる煙突、お日様がぶつかる高さ・・・(^_^;)です。

深江 いいとこ撮り 1/5

 5)大柿町南部 深江地区
近年になって、深江魚港が大改修され、またカキ生産業が飛躍的な発展を見せていますが、本来この深江地区は漁業よりも農業の方により大きな生活基盤をおいていました。

地図だけから見ると、南北に長い海岸線をもち、沖野島、長島、我島さらにその先に広がる大きな海面を占有し、黄幡の洲とよばれる養魚場などもつくられてはいましたが、毎年の決まった現金収入は浜干しされたカタクチイワシくらいなもので、それも肥料用の出荷ともなれば労力に見合う収入にはほど遠い金額でした。

以下の資料は、大柿町(深江・大原・小古江・飛渡瀬・柿浦・大君)の昭和30年10月1日(合併1年後)のものです。
全人口17,982人、就業者7,321人の内、農業2,414人、漁業444人、鉱業57人、建設業551人、製造業1,397人、卸売小売業651人、金融保険業28人、運輸通信及びその他の公益事業559人、サービス業1,024人、公務員196人

当時は農業の全盛期、しかも深江よりも農業の盛んだった大原、小古江、飛渡瀬のデーターと混ざっていますが、深江地区にかぎっても大同小異、漁業就業者は農業就業者の1/5以下です。

単純比較にはなりませんが、生産量においても、米495t、麦750t、甘藷3,183t、に対し、水産は86t、他に真珠養殖などでの収入もありましたが、当時も漁業専従での生活はたいへん厳しいものがありました。
(大柿町史より)

2014-09-25 042 
深江港の一等地に今も残る深江農協の倉庫です。
昭和30年代のころに作られた?と想像しますが、今も現役で使われる丈夫な建物です。

当時、作った作物はすべてが売れる時代であり、また化学肥料や、農薬の普及、小型耕うん機や揚水ポンプ、脱穀機などの新製品に助けられ、農業は一大繁栄期を謳歌しました。

農業資材や、化学肥料などで満杯となっなった倉庫の前は沢山の人や車で賑わい、目の前の港は資材運搬船がひっきりなしに行交っていたことでしょう。

2015-02-23 076 
深江大附農協支所の購買所です。

超ノスタルジックなガラス戸が入口を塞ぎます。
施錠が掛けられていますが、中はがらんどう、ガラス戸はとうの昔に締め切られてしまいました。

2014-09-25 096 
大きなはずみ車をもつ「ヤンマーエース NT65K形」石油発動機です。

右の発動機と左の揚水ポンプをVベルトで結び、井戸水や川の水を田んぼに吸い揚げます。
回転数1800回転で2,5馬力、2000回転で3,0馬力の出力があります。

2014-09-25 098 
ヤンマー製耕うん機です。

小回りがきくので、小さな棚田や段々畑でも楽に耕すことができます。
別売?の荷台車を取り付ければ、重い蜜柑箱を積んで細い農道を往くことも可能です。

2015-05-10 110 
温州ミカンの選別機です。

左から投入したミカンが、回転する二つスクリューの上を右に進み、その隙間の違いから、小さいの、中ぐらい、大きいの、と選別されて転げ落ちてきます。
「松山市安城寺町 仙波農機所」と名が入っています。

100413 004 
大八車の車輪です。

車体は見当たりませんが、車輪はそのままに軒下に取り込んでありました。
米や麦、芋、蜜柑とか重い荷を沢山運んだんでしょう。
もう使われることはありませんが、大きな働きをしてくれた両車輪、捨てるのは忍びなく・・・

2014-09-25 226 
田船です。

干拓地の泥深い田んぼで、刈り取った稲が泥水に濡れないように船に乗せてあぜ道まで押しました。

2014-12-22 096 
背負子です。

人が段差のある細い道を重量物を持って運ぶのには最適な、万能運搬補助具?です。
現代生活にも背負子の利点は十分に生かせると思いますが、玄関脇に置くには、なんかなぁ~・・・(*^。^*)です。

2015-05-21 104 
右にある土蔵のような建物は、葉たばこの火力乾燥場です。
畑で収穫した、タバコ草の葉っぱを、縄や竿に引っ掛け乾燥場に何段にも並べ、下から火を焚いて乾燥させます。

当地では、葉タバコの栽培も盛んで、昭和50年ころまでは米や蜜柑と並んで農家の貴重な収入源でしたが、過酷な労働条件に加え、高齢化、輸入量の拡大、喫煙率低下、などなどの要因により葉タバコを栽培する農家は皆無となりました。

2015-04-09 118 
田んぼの畔に立つのは「元祖モグラーズ」とよばれる、モグラ撃退用の特製風車です。
発案時期は不明ですが、科学技術庁長官賞を受賞したすぐれもので、「鳥追いモグラーズ」やイノシシ除けぬいぐるみ「猪キング」などと共に有限会社「森長ウッド」広島市安佐北区可部で製造販売されています。

2015-04-09 135 
元祖モグラーズの風車の下、レンゲの花車が春風に揺れていました・・・(*^。^*)です。

深江 記念碑・記念物ほか

5)大柿町南部 深江地区 
深江地区に見る、記念碑、記念物的・・・な、もの、など、を列挙します。

2015-04-09 171 
沖野島へと渡る手前、島戸の入り江に「魚魂」の碑と「畜魂」の碑が併設されて建ちます。
「魚魂」 衆議院議員 森井忠良

2015-04-09 168 
「畜魂」 参議院議員 源田実

碑文には・・・
真如界には自他の差別なく一心法界には生仏の仮名なし 然りと雖も諸縁によりて業果を六道に感じ報命を四生に受く 今現に羽毛魚畜類にその生を受くるもの 重苦はそも奈何あらん 然るに吾等人間多数の生命と蹂躙し無数の生命の犠牲なくしては人命を完うし難しこれ当然のことには非ず 唯々、痛恨懴悔の他はなし これに因りてみ仏の慈光を蒙りて生死諸悪の本を抜断され速かに得脱の善縁を得ん事を念じて
吾等懴悔の意をあつめて魚畜類の諸霊をなぐさめるべく此の碑を建立せり
浄土真宗 宗顕寺住職 慈摂書
昭和五十七年三月吉日 江口昭三建之
・・・ 合掌 m(__)mです。

2014-05-07 002 117 
陀峯山への登山道でもある椿林道から見た、新開地区と沖野島とを結ぶ沖野島農道橋「黄幡大橋」と、その先の「黄幡の生洲」です。

この黄幡大橋は能美島と倉橋島を結ぶ全長623.5mの「早瀬大橋」(昭和48年10月27日開通)をのぞけば、市内唯一の島と島とを結ぶ夢の懸け橋?、しかも、早瀬大橋よりも古く、昭和47年4月に完成しました・・・(^_^;)です。

黄幡1974 
昭和49年12月の「黄幡の生洲」です。
古く万治二年(1979年)のころから、潮通しの良い湾の入り口を仕切り「いけす」としてして使われていました。
今では当時の痕跡もありませんが、この画像にはまだ仕切の杭がはっきりと写っています。

2015-06-10 036 
沖野島の北端に海の駅「沖野島マリーナ」があります。
ヨットなど小型船の係留設備をもち、クラブハウスやメンテナンスヤードなどの設備もあって、休日などは各地から集まったセーラーで賑わっています。

この地では明治24年11月、農務省よりの真珠貝移植計画をうけ、幼貝の移植育成事業がおこなわれました。
ただ、当時は半円真珠も研究段階の状態で、明治38年になってやっと御木本幸吉により真円真珠が生産されるという、真珠黎明期です。

戦後も大君の王泊でミツワ真珠が養殖事業を手掛けるなど、あるていどの発展をみましたが、いずれの事業も数年、数十年で廃業、現在では江田島市沖美町岡大王の「丸本真珠店」さんが、広島県内で一貫生産を手掛ける唯一の真珠店となりました。
ちなみに丸本真珠の養殖場は大黒神島近海です。

2014-09-25 150 
田中川農道を上り詰めた先に、今は使われなくなった大きな牛舎がぽつんと残ります。

牛舎の軒下に 「鎮魂」 小松牧場 昭和60年1月吉日 と大書された、大石が建てられています。

碑文には・・・
第二小松牧場造成工事記念
自分の歩んだ道を自分の目と心でふりかえり多くの恩人に感謝すると共に自ら正すべき所は正し、人間としての重大な権利と義務責任の双方を自覚し、果たせ。
その為には、修養と生活設計の目標を樹て、悔いのない月、日、を生きる為の基盤とせよ。
一九八八年一月 昭規

記念碑や付近の状況から察するに、牛肉などのバーベキュー設備を整えた「小松観光牧場」があったようです。

100628 093 
もと深江小学校の正門前にある、深江老人集会所は、もと深江村村役場の跡地に建ちます。
その道路側に建つ青銅座像は村役場の建設に多大な貢献をされた「灘田玉八翁」です。

そえられた碑文には・・・
故灘田玉八翁は立志傅成功の人資性謹嚴にして公共心篤く且つ慈善に富む今回令嗣灘田義雄氏は岳父の遺志に基き本村役場敷地及廳舎購入資金として巨額の金員を寄附せらる仍て本村は此の篤志を偲び翁の座像を建て以て彰功す
昭和十三年五月 深江村村戸主會長 村長 濵岡若太郎
・・・と、です。

ちなみに、深江村は昭和29年11月3日、大柿町と合併しました。

2015-05-10 095 
深江市街地の北、畝山の中腹に、大きな大きなクスノキがあります。

楠部家の庭で、歴代当主に保護され大きく育ったのでしょう、「楠部の大楠」とよばれます。
いま、楠部家のお屋敷は移転しましたが、大楠の枝下には楠部家歴代のお墓が整然と並びます。

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推定樹齢は4、5百年?くらい、成長の途中でヤブツバキを巻き込み、幹の途中からツバキの枝が生え出ているように見えます。
広島県下で第5位の巨樹ともいわれており、南向きの山腹で、たっぷりの日差しを浴び、この先も百年、2百年、3百年・・・とさらに大きく育つことでしょう。

ちなみに、日本でもっとも古木とされるクスノキは樹齢3千年と云われる、柞原八幡の大クス(大分県大分市八幡)と、川古のクス(佐賀県武雄市若木町川古 日子神社)の二本があります。

宮島の大鳥居に使われることがなければ、あと2千5百年は十分に生き抜くことができそう・・・(*^。^*)です。

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深江地区の北部にある、大附の海浜公園です。
とは、云っても今は訪れる人も多くはないのですが、昭和の一時期には海水浴客で細い海岸線道路が身動き取れないほどの人、人、人であふれたことも・・・(^_^;)あります。

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自然の残る海岸線で、生物相も豊富なのですが、海砂の採取??あるいは防波堤の工事???、しだいに砂浜が減少し、テトラポットで大波を遮る状況になってしまいました。

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大附の海岸線を守る自然林です。
山に自然がもどれば、やがては直下の砂浜も、またその先の海も生き物も、連鎖して素敵な調べを奏でます。

深江 オリーブ園

5)大柿町南部 深江オリーブ園 
江田島市最南端の地に、小豆島にも匹敵するオリーブの一大生産拠点をつくろうと現在全市をあげて(オリーブの島計画)奮闘中です。

直接のきっかけとなったのは、民間の会社がゴルフ用地として開発すべく取得していた114ヘクタールもの土地が、そのまま江田島市へ譲与されたことによって始まりました。

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広大な無償譲与地の有効利用と、地域振興策とを兼ねたモデル事業として、江田島市主導のもとにオリーブ園造成工事がはじまりました。

画像は山林伐採が終わった、2012年6月の状況(西の沖野島方向)です。

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南の親休鼻方向です。
今回は、約7ヘクタール(造成規模約13ヘクタール)のオリーブ園地を造成する予定で、造成総事業費は約2億5000万円とか。

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この付近の地質はすべて、花崗岩が風化したまさ土です。
しかも、かなりな深層まで風化されていますので、造成作業自体は容易です。

ただ、先年の広島市北部で起きた土砂災害に見るように、雨に対してきわめて流出しやすい性質をもちますので、豪雨に対する土止め作業や、反対に晴天となった場合の土壌固化の防止、無機質土壌の改良、暴風対策、など、ハードルは結構高いところにあります。

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造成中の丘から南東の秀地、柿木鼻方向をみます。
表層の土壌は細粒に風化が進んでいます。
白いのは長石が風化しカオリン化したもので、もう少し大量にあれば、陶石、陶土として焼き物に利用できるのですが・・・(^_^;)です。

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まもなく削り取られる丘の上、ヤマツツジが最後となる花を満開に咲かせました。

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2012年11月、小山が一つ無くなりました。

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2013年11月 椿林道から見るオリーブ園造成地です。
沖には、我島、長島が浮かびます。

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2015年3月 早くに植えた樹は腰の高さ以上に育っています。
今年の秋には収穫があるかも・・・(*^。^*)です。

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当初計画の植栽は、ほぼ完了しました。

オリーブ栽培収支目標 
江田島市HPからのコピペで、「オリーブの収穫、収益表」・・・m(__)mです。
平成50年(2038年)には、収益2億7,720万円かぁ~~~。

深江オリブ園 2015 
グーグル地図にもオリーブ園がはっきりと写る広さとなりました。
譲与地はまだまだ、101ヘクタールもあります。

平成24年の香川県オリーブ収穫量は153t、全国シェアーの96.8%です。
(農林水産省 特産果樹生産動態等調査 香川(153t) 大分(3t) 熊本(2t))

このままだと23年後(平成50年)には江田島市のオリーブ収穫量は396tですので全国シェアーの71%を締めることとなり、オリーブの島計画、大、大、大成功ぉ~~~ ・ ・ ・ 正夢 (◎_◎;) です。

深江 さとうみ科学館(もと深江小学校)

5)大柿町南部 さとうみ科学館 
県道300号線を深江港へと下るその沿線南側に、もとの深江小学校を利用した「さとうみ科学館」大柿自然環境体験学習交流館があります。

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深江小学校は明治6年(1873年)の創設以来、129年の歴史をもちましたが、2002年3月(平成14年)に廃校となり、学区は大古小学校に統合されました。
ただ、2005年からの鹿川小学校大改築に伴い、2006年3月までの1年間、鹿川小学校代替え校舎として使用されました。

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市内に残る廃校となった多くの小中学校校舎や施設が、ほぼ放置状態にある中、唯一、多くの児童、生徒あるいは研修生などを受け入れ、自然学習の指導支援をする教育施設、「さとうみ科学館」として存続しています。

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廃校となって13年になりますが、校舎入口には「大柿町立深江小学校」の文字と学校章が残されています。

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深江小学校校章は、桜花と校舎を見下ろす丸小山に建つ「十王堂」の宝珠をデザインした中に深の文字が入れられています。

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玄関庇に「大柿町立深江小学校」の文字を残したまま、玄関脇の表札は「さとうみ科学館」・・・(*^。^*)です。

「さとうみ科学館」
とは、以下コピペ・・・m(__)mです。

広島湾に浮かぶ能美島にある大柿町は、瀬戸内の美しい自然に恵まれています。
この豊かですばらしい自然環境を活かそうと、平成12年1月、大柿町町制45周年記念事業として「大柿町海辺の生き物調査団」が発足され、身近な海辺にすむ生き物を調べていく中で、自然に親しみ、自然に学ぶ活動を行ないました。
記念事業は、2年間の期限付きでしたが、このような活動を今後も形を変えながら継続し、得られた財産(標本、写真、資料、人材など)を環境教育の教材として活用していこうと、平成14年4月、廃校となった旧深江小学校を活用して「大柿町自然環境体験学習交流館(環境館)」が設置されました。
平成16年11月、江能四町が合併して江田島市となり、施設名も、「大柿自然環境体験学習交流館」に変更され、江田島市教育委員会生涯学習部生涯学習課所管の施設になりました。
平成22年7月には「さとうみ科学館」という愛称も決定し、平成25年度から学校教育課の所管となりました。

さとうみ科学館では、小中高等学校の枠にとらわれず、個人やグループの自主的な学習を支援し、「市民に開かれた研究機関」として、身近な自然に直接ふれながら、「海辺の自然」、「ふるさとの自然」をテーマとした科学研究や環境学習の場を企画・運営しています。

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展示品のカブトガニ脱皮殻(腹部側)です。

江田島近海(江田島湾)に生息するカブトガニの経年調査も、業務の一環で、館内にはカブトガニの脱皮殻が多数保管されており、また偶然捕獲された生態が一時的に飼育されていることもあります。

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教室を改造し設置した、科学館スタッフの手作り水族館です。

昨年、さとうみ科学館スタッフが捕獲した、変なヤドカリが、今年2月に新種のヤドカリであると判明、「エタジマホンヤドカリ」と命名されました。

このエタジマホンヤドカリ、新種の割には強健で飼育も容易、水槽内で卵のふ化なども観察されたとか・・・
常設展示がされています。

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体育館を利用して、毎年市内小学校児童の科学観察発表会が開催されます。

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四方を海に囲まれた環境ではあっても、直接海の生き物と接触する機会は限られます。

定期的な自然観察会の他にも、理科教育の一環として釣附海岸などで野外観察授業が行なわれます。
でも、雨が降り出したりしたら、急遽、館内の展示水槽から集めた生き物をたらいに放ち、ナマコやタコ、ウニやカニにも素手で触ってもらいます。

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地域の方々が定期的に整備されているグラウンド。
今日は、お父さんが息子二人にノックの猛特訓? ・・・(*^。^*)です。

戦後の一時期、この狭い敷地に対向し、中学校も併設されていたとか。

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校庭の隅っこに、昭和52年度卒業生の記念碑がのこります。
って、昭和40年生まれだから、今年は50歳 ・ ・ ・ (*^。^*) で・す・よ・ねぇ~。

深江国民学校B 
昭和22年3月の深江地区航空写真です。
当時の小学校はまだ国民学校と呼ばれており、同年4月から現在の6・3・3制へと変わり、深江村立小学校となりました。

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追加画像です。(2017/02/26)

深江在住の方よりご提供頂いた写真です。
「深江尋常高等小学學校上棟間祭」昭和三年五月十五日と見えます。

深江 県道・農道 2/2

田中川農道空撮1974 
昭和49年12月の田中川付近の空撮画像です。
当時八王寺農道は計画もありませんし、田中川農道も舗装整備がされているのは下流域の一部のみです。

農道の多くが手押し耕うん機も入らぬ、未整備状態にもかかわらず、田んぼや畑、果樹園は今では想像もつかない山の頂まで耕されていいます。

ちなみに、明治15年の深江村普通物産表によれば
米(43町1反)・うるち米(3町8反)・裸麦(74町)・粟(1町5反)・大豆(3町5反)・小豆(3町1反)・蕎麦(1町5反)・空豆(1町4反)・甘藷(30町)

明治15年深江村特有物産表に
実綿(33円)・葉煙草(38円)・茶(13円)・甘藷(450円)・木綿(4800円)とあります。

さらに、深江村の明治14年と昭和33年の土地利用状況では田(554反→662反)、畑(1,009反→963反)と、ほとんど変わらぬ耕地面積です。

つまりは、山の頂まで余すところなく土地が耕されていたのは遠く明治のころ、あるいはそれ以前からの変わらぬ風景として、昭和の後期まで続いていたのです。

(10反=1町≒1ヘクタールです。また明治中期の頃の1円は、今の2万円くらいとも云われますが????です。)

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田中川に沿って登る田中川農道です。

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一足先に刈り取りが終わり、稲はぜに架けられた早場米です。

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稲穂が垂れ、ヒガンバナの咲く農道は日光東照宮の日暮門よりもあでやか・・・(*^。^*)です。

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お百姓様、ありがとう・・・m(__)mございます。

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お地蔵様、ありがとう・・・m(__)mございます。

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市街地の裏手もはるか山の頂まで細い道が続いていましたが、今残るのはご先祖様が祀られた墓所までがやっと・・・

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地域の宝だったため池も・・・

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やがて少しづつ堆積した土砂で埋まり、稲穂の代わりにキショウブが黄金色に輝きます。

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陀峯山系の清水を集めて下る鳴河川を水源に、田植えがされたばかりの田んぼです。
お米、美味しいでしょうねぇ~~~ ・ ・ ・ (*^。^*)です。

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人のいなくなった山野はイノシシさんの楽園です。
高品質の野菜や果物を求め、団体で爆買(食)ツアーに訪れます・・・(^_^;)です。

深江 県道・農道 1/2

5)大柿町南部 深江農道 
能美島東岸の柿浦を始点に大原を横断し西岸の深江と通ず県道300号線がこの地区のメイン道路となります。
この300号線は親休鼻の付け根ともいえる釣附橋まで南下し、途中の新開からはいまだ未開通の南部海岸道路(県道121号線)に枝分かれします。
他には、大原から深江市街地をバイパスして南部海岸道路につなぐ八王寺農道がありますが、その他の道路は軽自動車がやっと離合できる程度の生活兼農(林)用道路があるのみです。

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深江市街地の北部、畝山(116,6m)の中腹を縫う環状農道から見た沖野島方向、眼下は深江漁港です。
四月上旬、梨の花が満開となっていました。

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カメラを西に振ると、はるか沖合に沖美町岡大王の大黒神島が入ります。
手前の尾根筋には今も数段の蜜柑畑が健在ですが、かって昭和50年代までは画像に写るすべてが蜜柑の緑の葉っぱで覆われていました。

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それまでのレモンやグレープフルーツの自由化に加え、1991年(平成3年)オレンジの輸入自由化により、日本産みかんの消費量は大きく減少しました。
自由化から5年後の1996年には、国産みかんの消費量は最盛期の3分の1近くになったと云います。

それまでの過剰な生産や、消費選択多様化の変化があったとはいえ、零細なみかん農家にとっては有無を言わさずの大打撃、他の果樹や作物への転換も試みられはしましたが・・・

転作の生育試験で植えたのか?カリンの樹が一本だけ、農道脇でピンクの花を咲かせていました。

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精巧な擬似のカラスに守られた、お花畑がありました。
手先の器用なお百姓さんが作る小菊は、なんとか採算が取れているみたい・・・(*^。^*)です。

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この環状農道には、たくさんのポエムがただよいます。

おてゝつないで のみちをゆけば
みんなかわいい 小鳥になって
うたをうたえば くつがなる
はれたみそらに くつがなる

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みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船がとおく かすんでる

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大きな栗の木の下で
あなたとわたし
なかよく遊びましょう
大きな栗の木の下で

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1番
さいた さいた チューリップのはなが
ならんだ ならんだあか しろ きいろ
どのはな みても きれいだな

2番
ゆれる ゆれる チューリップのはなが
かぜにゆれてにこにこ わらう
どのはな みても かわいいな

3番
かぜに ゆれる チューリップのはなに
とぶよ とぶよちょうちょが とぶよ
ちょうちょと はなと あそんでる

3番まであるとは知りませんでした・・・(*^。^*)です。

2014-10-29 106 
春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た

花がさく 花がさく どこにさく
山にさく 里にさく 野にもさく

鳥がなく 鳥がなく どこでなく
山でなく 里でなく 野でもなく

2014-10-29 109 
1 雨降りお月さん 雲のかげ
  お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
  一人でからかさ さして行く
  からかさないときゃ 誰とゆく
  シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
  お馬にゆられて ぬれてゆく

2 急がにゃお馬よ 夜が明けよう
  手綱の下から ちょいと見たりゃ
  お袖でお顔を かくしてる
  お袖は濡れても 干しゃ乾く
  雨降りお月さん 雲のかげ
  お馬にゆられて ぬれてゆく

3 雨降りお月さん 雲のかげ
  お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
  一人でからかさ さして行く
  からかさないときゃ 誰とゆく
  シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
  お馬にゆられて ぬれてゆく

農道は、ぽ・え・む だなぁ~ ・・・(*^。^*)です。

深江 深江漁港

5)大柿町南部 深江漁港 
文政二年(1819年)広島藩に提出した「国郡志御用ニ付下調書出帳」によれば、深江村海産物として、煎海鼠(イリナマコ)、鯛(タイ)、鱸(スズキ)、玉口魚(グチ?)、海鼠(ナマコ)、栄螺(サザエ)、鯵(アジ)、鰯(イワシ)、小貝、めばる、蛸(タコ)を産したとあります。

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画像は大柿地区歴史資料館展示の、昭和24、25年ころの深江漁港です。

画像をみると、当時すでに整然とした護岸が組まれており、干潮時に船底点検が可能な広い台場のある、すばらしく機能的な港があったようです。

撮影の経緯は不明ですが、さらに港を改築する相談かも? ・・・(*^。^*)です。

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津波、高潮ハザードマップが掲示されています。
これを見ると、戦後の深江港改築は目を見張るスピードで進んだようです。

とくに南西からの風波を遮る長大な防波堤と、湾内南側の埋め立てによる土地造成により、最新の施設設備を備えた近代漁港へと大変貌しました。

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南岸埋め立て部につくられた、最新の係留桟橋と陸上漁業施設です。

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防波堤からみた旧深江漁港方向です。
専業漁船に混ざり、一般レジャーボートの係留も多く見ます。


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深江漁港最奥部の様子です。

昭和25、26年頃にあった石垣の防波堤はコンクリートの下に埋もれたようです。

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半農半漁、あるいはレジャー的要素の強い漁船が多い中、いかにも漁船らしい船が一隻係留されていました。
「克己丸」、土佐のカツオ一本釣り漁船のようなスマートな船型ですが・・・
遊漁船仕様に改装されているような???
いずれにしても静穏な瀬戸内海で使うには惜しいような、すてきな船型です。

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湾内北側は防波堤こそコンクリートで固められていますが、まだ昔の穏やかな情緒が残る落ち着いた雰囲気です。

砂浜があって、その奥の松の木の枝下に櫓を乗せた木造船が引き揚げられている、そんな光景はもう見ることができなくなりました。

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深江漁港の奥部、古くからの港部分です。

湾手前のコンクリート建物が深江農協、漁協は対岸にあり農協よりも小さく見えます。
いまは農業目的で深江港を使うことはほとんどありませんが、かって、昭和後期のころまでは、肥料や農業資材の搬入、収穫物の穀類、芋や野菜、蜜柑などを満載した農船がひっきりなしに出入りしていました。

また、早朝一番に広島の市場に野菜や花卉を運ぶ運搬船(番船)は、帰りには生活用品を満載し各商店に積み荷を分配していました。

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南岸の新しく埋め立てられた一画に、慰霊碑「海はわすれない」が建ちます。

この碑は戦時中、米軍機により投下敷設された機雷により、戦後の昭和23年、昭和25年の二度にわたる漁船の触雷爆発事故(長島沖)による犠牲者の御霊を祀ったものです。

後備の石板には

犠 牲 者 氏 名

昭和二十三年五月二十五日
深江地区
上河内傅造 天野浩

昭和二十五年七月二十七日
深江地区
樋上舛夫 樋上秋義 川中繁
江野脇斉 天野辰夫 天野勝一
久保久一 重田亀一 尾勢六太郎
古本善二 鬼頭清八 江口秋義
江口豊 江口厚 江野脇キクノ
山下マサコ 楠部マツコ 部屋ミスノ
大原地区
山根新太郎 宮本光五郎
柿浦地区
小倉石寿徳 中岡積 山本定夫
山本洋右

合掌 ・ ・ ・ m(__)mです。

江田島西部機雷敷設図 
画像は「呉戦災を記録する会」HPの「広島湾ー呉軍港の機雷投下敷設図」から、その一部をコピペさせていただきました・・・m(__)mです。

○や●が米軍爆撃機B29より投下した機雷の敷設位置です。
上空からのパラシュート投下ですので正確な位置ではありませんし、着水衝撃などで予期しない爆破設定となったりで、戦後の掃海作業でも処理できなかった機雷が相当数残りました。

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追加画像です。(2017/02/26)

深江在住の方よりご提供頂いた深江漁港の写真です。
手前の木造和船に「HS3-1410?」の文字が見えます。遠景には現在と同じ鉄筋コンクリート造りの深江農業協同組合やその前に乗用車がみえます。
昭和30年代後半から40年くらい?の撮影だと思われますが???。

深江 親休鼻 2/2

グーグル親休鼻 
親休鼻は能美島の最南端、簡単には近づけません。

半島の西側海岸のルートだと茶臼山から海岸に沿って約3km、ただ歩くだけなら1時間チョットの距離ですが、岩場あり~の、砂地あり~の、ゴロタ石あり~の・・・(^_^;)です。

半島の東海岸に沿ってだと残り100mの位置で断崖絶壁となり歩いては到達できません。
どうしてもっていうなら、その100mを泳ぎきれば親休鼻先端にタッチすることができます。

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半島東の付け根、秀地から入り、東側の海岸沿いに南進して行き止まり近くの小山に登ってみました。
右先端の断崖部から100mばかり先が親休鼻です。

青い海の遥か海上に霞む、とんがった山が周防大島の嵩山で、左隅に柱島の山裾が少し写ります。

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左から伸びる島影は倉橋島の善太郎鼻から大向鼻、右手前のなだらかな島が柱島です。

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東側の海岸にも風波にさらされ、岩肌を削られた奇岩がいっぱい・・・(*^。^*)です。

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こちら西側海岸も東に負けず劣らず、奇怪な岩肌が屏風のようにそびえます。
で、もって、崖の上から、だれかに呼ばれたような・・・???

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潮が満ちるまでにはまだ少し余裕があるので、ちょっと寄り道を・・・。

フリークライマーのような強い握力や筋力は持ち合わせていませんので、カッコ悪いのですが浜辺の漂流物の中から使えそうなものを集め、それらを利用して岩をよじ登ります。

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岩山の上から私を呼んでいたのは、水晶さんのご家族でした。

数千万年もの間、暗くて冷たい岩穴に閉じ込められていた水晶さんたち、やっと潮風と陽の光を浴びることができました。

めでたし、めでたし・・・(*^。^*)です。

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この岩穴は、水晶さんのお家ではありません。

採石作業で作られた爆裂岩です。
花崗岩の岩肌にドリルで穴をうがち、ダイナマイトを装填して爆破した痕跡です。

ダイナマイトが使用される以前は、岩盤に数センチ間隔で石ノミを打ち込み、クサビによる破壊力だけで石を切り出していました。

島内でも古い石垣には、そのクサビ穴の跡が残った石材があります。

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だいぶ潮が満ちたようです。
急いでかえらなくっちゃ~。

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急いで帰る途中、おや、おやおやぁ~~~。
花崗岩の小石に混ざって、ゴロリ黒光りする石があります。

ペットボトルと同じサイズの水晶さん。
長い年月、打ち寄せる波で削らて角がありませんが、まさしく水晶さん。

「オラァ~もう、波と遊ぶのもあきたから、おまえさんチに連れてってくれよ~」
どうぞ、どうぞ、大歓迎します・・・(*^。^*)です。

深江 親休鼻 1/2

5)大柿町南部 親休鼻 
江田島市内において、もっとも人の手の届きがたい地、放任された土地がこの親休鼻(おやきゅうばな)へと続く半島です。

とは言いましても、昭和後期の頃まで、少しでも水が確保できる沢筋はすべてが人の手によって耕されており、急斜面に生える雑木も多くが燃料として切り出されていました。

また、海岸の岩場は便利の良いところから順にダイナマイトをかけられ、石材採取の好適地とされて大いに賑わいました。

この地が人々に忘れられ、自然へと回帰し始めたのは、昭和60年代に入ってからです。

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茶臼山までは車で入ることができますが、その先は潮のひいた海岸線をひたすら歩く以外に道はありません。

岩場を4、5百メートル進むと、ひろ~い砂浜に出ます。

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砂浜のエンドは花崗岩アーチのくぐり抜けです。

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ここも元はくぐり抜けだったようですが、天井が落ちて切通しになりました。

ちなみに、満ち潮となれば切通しは水深3mの水路となります。

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まだ潮の引く時間帯なら先へ進んでも良いのですが、すでに潮が満ちる時間に変わったなら、もう何をおいても急いで引き返さないと・・・(^_^;)です。

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ここまで登れば潮をかぶる心配はありませんが、足場は最悪です。

右には長島が見え、はるか半島の先端には烏帽子岩が見えます。

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波と風で削りだされた一つ一つの岩がそれぞれに個性を持ち、どれもが造形美の極みに達しています。

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イノシシも躊躇するような崖の上に、なんとシランがお花畑をつくっています。
どっから種が飛んできたのか?、野生のシランは初めて見ました。

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花崗岩のわずかな隙間に育つ、ハマボッスの清花。
咲き乱れる浜払子(ハマボッス)の下に頭を下げれば、少しは煩悩を振り払っていただけるかも・・・(*^。^*)です。

極端な痩せ地ですので特別な植物は見ませんが、シラン、ハマボッス、スミレ、コオニユリ、ユウスゲ、キジカクシ、キキョウ、ハマナデシコ、ノギクの仲間、セリ科の植物などを見ます。

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親休鼻の先端から飛び石で続く岩礁と、最先端の烏帽子岩です。
栄養塩類が豊富なようで、ヒジキやホンダワラが分厚いマットレスのように岩礁の上を覆います。

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対岸の沖野島から見た親休鼻先端部と、その沖合でサメのヒレのように飛び出したのが烏帽子岩です。

霞む遠景は倉橋島の山々です。

深江 長島・我島

5)大柿町南部 沖野島・長島・我島 
沖野島の南2000m、親休鼻(おやきゅうばな)の西500mばかりの沖合に2つの島、長島と我島(わがしま)が浮かびます。
長島(面積0.22㎢、周囲1.8㎞)、我島(周囲0.3㎞)普段2島は7、8mの海峡で隔てられていますが、最大に潮が引けば飛び移ることのできる距離にあります。

長島・我島(グーグル) 
画像はグ-グル地図(2015年)です。
長島の左上、雨滴のようにくっ付いて見えるのが我島(わがしま)です。

我島で波を遮られた海面は、一時期真珠貝の養殖が行なわれたこともありますが、いまは砕石運搬船の停泊地となっています。

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大柿地区歴史資料館に展示されている、「我島(長島)の図」です。
作者は江戸中期の狂歌師芥川貞佐、号は桃緑斎で「桃緑斎 貞佐」です。
(中央部手前の半島のように飛び出している小山が我島、背後が長島です。大黒髪島方向からの鳥瞰図です。)

大柿地区資料館の説明書きに・・・

我 島 、 奈 賀 島 ( 長 島 )

古歌に和田海の、おきところこそ、うたてけり、こはわがしまぞ、これはなが島、一におきところこそ、うきたれば、こる我島そに作る。
歌枕名寄に、當国に繋たり、懐中抄に見ゆ、読人を記せず、能美島、深江村、牛鼻西北海上十町許に二小島あり、一は我島と称し、周五町許、一はなか島と称し、周一里餘、是和歌所詠なりといふ、厳島道芝記に、此歌を神詠として、我島は厳島の事とす。
今歌の意を考るに我身の所置よからずして、われはわが島に居り、汝はなが島に居りて、同じく住むことを得ずとの意なるべし。
されば男女相おもうのうたなり、恐らくは、神詠の託する所にあらず。

  俳師風律、此島に至り、句を題す
       千代やへむ、こる我しまの松露とり
                 (芸藩通志巻五十四による)

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貞佐の「我島の図」にもあるように、我島近海は今も漁場としてにぎわいます。
この日は、シラス漁の魚船が入り乱れ、何度も網を巻き上げていました。

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普段は無人島ですが地権者や、漁協関係者のご厚意で、夏休み市内の小学5、6年生を引率しての体験学習会が開かれます。
(主催 さとうみ科学館)

画像左に我島の全景、背後に採石場が白く見えるのが大黒神島です。

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静寂無垢、透きとおる無人島の海辺はまさに別世界。
海には慣れ親しんでいる島の子供らも、始めて体験する異常空間に尋常では無いはしゃぎようです。

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周囲1800mの海岸を潮の引く2時間で一周します。
見たことの無い磯の生物に興味津々、歩は止まりますが時は止まりません。
急がねば、やがて満ち潮に転じた潮はすぐに胸元まで達します。

全島が花崗岩で土などなさそうな島ですが、岩の割れ目に水が浸み、苔、草、そして木々へと成長します。

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島の東側、親休鼻から見た長島です。
我島は長島の陰に入って見ることができません。

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長島から海を隔てた、その西には米海軍海兵隊岩国基地があります。
訓練飛行の航空機が何度も上空を通過します。

ちなみに、長島山頂は88m、右に出っぱっている小山は我島です。

長島・我島アーカイブ
長島、我島のアーカイブ航空写真画像です。
左は、昭和22年、右は昭和50年、木々の緑は確実に増えています。

深江 沖野島

5)大柿町南部 沖野島・長島・我島 
深江に属する島として、沖野島(面積0.83㎢、周囲5.7㎞)、長島(面積0.22㎢、周囲1.8㎞)、我島(周囲0.3㎞)の3島があります。

沖野島はかっては孤島でしたが、昭和47年架橋により深江新開地区と地続きとなりました。

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深江市街の北、畝山の中腹から見た沖野島です。

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陀峯山への登山道、椿林道から見た沖野島です。
その先、山肌に採石場が白く見えるのは大黒神島です。

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橋を渡るまえの、県道300号線(島戸)から見た沖野島です。
穏やかそうに見える瀬戸の海ですが、長い年月をかければ硬い花崗岩にも大穴を開けることができ、干潮時にはくぐり抜けが可能な洞窟(黄幡の通し穴)もあります。

また、左の入り江は「黄幡の生洲」と呼ばれ、昭和中期の頃まで、入口を網で囲い大きな生けすとして使用されていました。

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同じく、対岸の島戸から見た海の駅「沖野島マリーナ」です。
係留保管された大型ヨットのメインマストが林立します。

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沖野島と深江新開を繋ぐ橋が無かった頃は、農船と呼ばれる頑丈な小船に、肥料や農耕具を積んで日帰りの通い農業がいとなまれていました。
乏しい水源をやりくりし、米、麦、サツマイモ、戦後はミカン栽培も盛んでしたが、はるか西のはて、知る人ぞ知るの辺鄙な島でした。
ところが、昭和59年NTTの保養研修施設「マリントーク」が建設され一躍、リゾートアイランドとして脚光を浴びました。
そのまま、バブルが続けばゴルフ場や宇品からの定期船なども期待されましたが、現在は他所に転売され辛うじて維持管理がされている状態です。

夏休みになっても人っ子ひとりいないプライベートビーチです。

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元マリントークの私有地からはなれ、沖野島の最南端付近に広がる広大な小石の浜です。

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見た目はきれいな海岸ですが、小石には鋭いカキの殻がびっしり付いていて素足で歩くことはできません。しかも、山越えの道はありませんので、引き潮の時間帯を狙って海岸沿いを1時間、ゴロタ石の上を歩いて来るのみです。

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沖野島の最南端に立つ、親子岩です。
5m近い高さのどっしりとした大岩ですが、満潮となれば頂部をわずかに残して海中に沈みます。

爽快な気分となって沖に浮かぶ長島や我島、往きあう船をのんびりと眺めていたら、12時間後に再び干潮となるまで崖の上から垂れる松の枝につかまって待つことになります。

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植生が豊かとは言えない、表土の薄い痩せ地ばかりの小島ですが、おそらく市内最大のカンコノキが大きく枝を張ります。
鹿が食べないので宮島ではよく見る樹ですが、江田島市内では他の木々や蔦類の日陰となって大きく育つ前に枯れてしまうようです。

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ユウスゲは海岸の絶壁から流れ出る清水の周りで目にします。
汚染された水や空気を好まないようで、人家から遠く、日差しを遮るような大木が育たない場所によく見ます。

今年は確認できませんでしたが、この付近ではピンクの花色が一段と濃いササユリも見ました。

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木陰の下に、他所では見ることの無い清楚な色合いのタツナミソウも自生します。
十字架のような蛾はたぶん、トリバガかその仲間・・・(^_^;)です。

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この島は全島が花崗岩でできています。
同じ花崗岩でも、風化の度合いや僅かな成分の違いでおもしろい形が出来上がります。

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ええなぁ~~~、じつにええわぁ~~~ ・ ・ ・ (*^。^*)です。

深江 円佛山・茶臼山

5)大柿町南部 円佛山・茶臼山 
登山道が見つからず登ったことはありませんが、田中川の南には円佛山122.7m(大柿町史では円仏山121.4m)があります。

さらに深江新開から海岸沿いに南に1kmばかり下った位置には茶臼山11mがあります。

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深江市街地の北側、中郷の高所から見たなだらかな山容をした円佛山です。
画像左は元深江小学校(現さとうみ科学館)、中央に十王堂の乗る丸子山があり、そのはるか延長が円佛山です。

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近年の港湾整備で、一段と大きく使いやすくなった深江漁港を挟んで、その背面を守る円佛山です。
この円佛山中腹には宗顕寺の前身とも云える真言宗妙華山妙顕寺があったとされます。

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深江地区の南海上に浮かぶ島々・・・
画像左から、親休鼻(半島)、茶臼山、岩礁、長島、岩礁(せんたく岩)、我島です。
なんのこともない画像ですが・・・

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海上に浮かぶ茶臼山、なんのこともない画像ですが・・・
実は、この茶臼山は国土地理院の地図上で、広島県内にある山頂標高点として、もっとも低い11mとして記載されているのです。

平たく言えば国が認めた広島県内でもっとも低い山。 だってことに、なっていた、のですが・・・

実は近年の再測の結果、今まで第2位だった瀬戸田町宮原の城山が茶臼山と同列の11mとなって記載されてしまいましたので、今は城山と同列1位となります。

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満潮になりますと最大4m近くも水深が上昇し歩いて茶臼山に行くことはできませんが、潮が引けば簡単に上陸することができます。

画像は、2007年5月19日の午後4時頃です。
江田島の自然と海の生物に親しんでもらうため、「さとうみ科学館」主催による自然観察会の様子です。
潮の引いた砂浜に広がる緑のじゅうたんは、今ではあまり見られなくなったアマモの大群落です。

アマモの生える浅海は小魚の楽園ですが海砂採取や埋め立て、海水透明度の悪化などで、今日瀬戸内のアマモは瀕死の状態にあると云います。
かって化学肥料の無かった頃は、遠浅の海で無尽蔵に繁茂するアマモを刈り取って田畑の肥料に使ったりもしたとか、何処にでもある見慣れた海草だったと伝え聞きます。

以下、NHKエコチャンネルよりコピペ・・・m(__)mです。

海 と 生 き る  2013年6月14日 放送
アマモには野菜などの成長に欠かせないカリという養分がたくさん含まれています。
昭和30年代まで、瀬戸内の島々の農業に、アマモは肥料として欠かせない存在でした。
その後、カリ鉱石で作った肥料にとって代わられると、アマモは見向きもされない存在になりました。…

茶臼山国土地理院 
国土地理院電子地図に、はっきりと茶臼山11と記載があります。

瀬戸田城山11m 
参考として、瀬戸田町宮原の城山も・・・
海岸の防波堤の根元に「城山11」と記載があります。

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大柿町深江の茶臼山と瀬戸田城山とが一位同列というのは少しがっくりですが、最高のロケーションにそびえる標高11mの茶臼山は、荒波に洗われた花崗岩のムキムキ肌、さらに青松がフサフサと茂り潮風になびきます。

と、身内びいき・・・(*^。^*)です。

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泳ぎに自信があれば別ですが、茶臼山に登れるのは干潮時の数時間のみです。

画像は茶臼山山頂11mから南の方向を見た画像です。
海面から山頂までを、10秒で登れる山はたぶんこの茶臼山だけだろうと思います。

山頂に三角点表示はありませんが(石柱を埋めるだけの広さがない?)、松の枝を避ければ絶景かな全周を見渡すことができます。

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近くの岩礁でウミウが羽を広げてアピールします。
ガハハハハ、ギャーギャー言うなよ、「こっちの方がもっと低いぜ」って・・・(*^。^*)です。

深江 鳴河川・井戸・池

5)大柿町南部・田中川・鳴河川 
大窪寺の前を流れる鳴河川は陀峯山山系の急峻な花崗岩を削って水尻灘へと注ぎ込みます。

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昭和20年9月の枕崎台風により、鳴河川は土石の下に埋もれてしまいましたが、たくさんの人々の努力により、りっぱに復興することができました。
(大柿地区歴史資料館蔵)

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その後の農業不振により多くの田畑が耕作放棄されましたが、農道脇でお地蔵さんが見守ってくれている田んぼだけは今もかわらず、すてきな田園風情を見せてくれます。

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田んぼを見守てくれているお地蔵さんの後ろは堅い花崗岩の断崖となっていますが、ただ一ヶ所小さな割れ目が開き、清水がこんこんと湧き出ます。

軽トラの荷台に空のペットボトルを5、60本載せ、わざに水汲みに来られる方も・・・(*^。^*)です。

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深江新開からさらに海岸線を南に下がると、小さな橋に釣附橋とあります。
水量豊かに見えますが、すべて海水、自然豊かな川岸に見えますのは実は元海岸線、埋め立てによってつくられた人工の川?です。

この川の上流にも農地がありましたが、耕作環境が悪いことからゴルフ用地となり、その後諸事情あって江田島市に譲与されました。
江田島市では、オリーブ栽培を地域振興の目玉と位置づけ、市の主導で土地を造成、民間会社に栽培委託し、やがては全島を観光オリーブ園化すべく奮闘中です。

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釣附橋を渡った先に大きな調整池が広がります。
遠浅の海岸を閉め切り、いずれは埋め立てて農地(養魚場?)とする予定だったのが、そのまんま???・・・

いまは水鳥の休息地、マガモやバン?などが飛来し、イトトンボやチョウトンボが乱舞するビオトープとなっています。

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深江大附に残る調整池です。
池の真ん中に橋が架かり人が渡ることもできます。
私のもっとも好きな景観で、広島市の縮景園にも劣らない風情があるとおもいます・・・(^_^;)です。

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今も使用されている共同井戸です。
もともと地下水脈の貧弱な当地にあって、汚水水路の不備により多くの井戸が汚染され使うことができなくなりました。

近年になりやっと下水道管が配備され、汚水が水路や地下水に流れ込む危険が少なくなりました。
井戸にスイカやウリを投げ込んだり、ダイコンやホウレンソウが洗えるきれいな地下水が復活することを願います。

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個人宅にある井戸場です。
お米を磨ぐのも、手洗濯もすべてこの井戸場で済ませていたことでしょう。
あっ、風呂水汲むのは大変だったでしょうね。

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まっ、滑車を利用すれば、子供でも五右衛門風呂の水くらいは汲めたかも・・・(*^。^*)です。

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文明の利器登場。
手押し井戸ポンプ「津田式ケーボー号」です。

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雛段状に並んだ田んぼの最上段につくられた農業用ため池です。

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これまで水を流していた田んぼがつくられなくなり、だ~れもため池を必要とする人はいません。
稲穂のかわりに、キショウブの花が黄金に輝きます。

深江 田中川

5)大柿町南部・田中川・鳴河川 
深江地区を流れる川は田中川と鳴河川の二本だけだと言っても良いでしょう。
田中川は流路延長2.12km、流域面積1.26㎢
鳴河川はそれぞれ1.72km、0.82㎢です。

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平成5年現在深江はもとより、大柿町内においても2級河川として指定を受けているのは唯一この田中川のみです。
それだけ重要とされるのは、この川が人々の暮らしにもっとも密着した、必要不可欠な恵みの川だったからです。

と、いってもわずか2kmを流れ下る川に流域の住民皆を満足させるだけの水量はありません。
画像では満杯に水を湛えた水量豊かな川に見えますが、今は満ち潮、すべての水は海水と同じ濃度の塩分を含んでいます。

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河口から500mばかり遡った田中川の中流部です。

このあたりまでくれば海水が登る心配はありませんが、見るからにか細い流れです。
今、流域の田畑は荒れ放題、昔のように我田引水に目の色を変えることはありませんが、それでもこれだけの水量しかありません。
10日も雨が降らなければ干上がってしまいます・・・(^_^;)です。

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川は二級河川として整備されましたが、むかしの田園風景は今いずこ・・・

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よかった・・・(*^。^*)です。
まだ、田んぼがありました。
そろそろ代掻きの準備かなぁ~。

2014-09-25 114 
やった。
まもなく、黄金の穂がなびきます。

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お百姓さんにとって、いちばん嬉しいとき・・・(*^。^*)です。
イノシシさん、スズメさん遠慮してくださいね。

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田中川上流に造られたため池です。

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いまは、ほとんど整備がされていないようですが・・・

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乾燥地にも強いコバノミツバツツジですが、やっぱ水があったほうが良いに決まってま~す・・・(*^。^*)です。
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