切串 屋形石
普通には半島全部を屋形石と呼びますが、正確には半島の先端部が屋形石で、ピークは標高28.0mです。
昭和??年まで先端部の退息所(宿舎)には灯台守が住み込み、その北300mの岩礁の上に立つ、屋形石灯台を維持管理していました。
古鷹山山頂から見た屋形石の半島です。
この半島はすべて、私有地(中国化薬)となっています。
左下に見える大きな建物は、切串小学校と、今は廃校となった切串中学校です。
画像は2003年2月に船上から撮影した、屋形石最北部の灯台守宿舎(退息所)です。
石造りの屋形石灯標(灯台)は、画像の右に切れて見えません・・・ m(__)m です。
屋形石の先端から北に300mの岩礁の上に、石造りの屋形石灯標(灯台)が設置されたのは、明治37年2月ですが、それに先立ち明治36年3月に灯台守の退息所(住宅、事務所、倉庫、浴室や井戸)が、半島先端部に作られ今に残っています。
灯標も退息所も100年の風雪に耐え、いまだ健在ですが、退息所の建物は付近の土地と共に、戦後民間企業(中国化薬)に払い下げられ、陸上からは近づくことができません。
灯標は昭和59年3月、電源を太陽電池(蓄電池)に変更し、毎夜660カンデラの白光を点滅させ、船舶の安全航行を見守っています。
屋形石半島の付け根から北の先端部を見ます。
左の島は峠島です。
この半島には、多数の地下壕?がくり抜かれています。
リフォームすれば、桟橋付きのリゾートハウスとして、十分使えそう?・・・(*^。^*)です。
マイボートを玄関横付けに、魚釣りも朝飯前にできます。
半島は粒の荒い花崗岩でできており、波で削られて口を開いた岩の隙間に、きれいな水晶を見つけることもできます。
屋形石の沖は呉港への主要航路で、海上自衛隊の艦船 や、IHI呉造船所で作られる、数十万トンの巨大船が行き来します。
多くの海岸線は中国化薬の工場と、海上自衛隊の重要施設で占拠され、許可証をもたない者は立ち入ることができません。
が、・・・ある意味、乱開発から自然を守ってくれていたりもします・・・(^_^;)です。
スポンサーサイト