FC2ブログ

秋月 梅谷山大行寺

2)江田島町南部・秋月大行寺 
秋月の町は、傾斜のきつい東向きの雛段に、三人官女、五人囃子と、雛飾りのように整然と並びます。
その雛段の中央に、浄土真宗本願寺派梅谷山大行寺が門を構えます。
 

2012-09-09 002 145  
雛段に並ぶ秋月の家々には、日の出と同時に朝日が水平に差し込みますが、海面に写る日光とが二重になった光軸が、真っ先に照らし出すのが、大行寺本堂の前に掲げられた、この梅谷山の寺額です。
 
2012-09-09 002 140 
「広島県仏堂明細帳」(明治16年ころ?)に、広島県管下安芸国安芸郡江田島村字秋付浦真宗道場、天保13年(1842)再建、との記録から、前身はそれ以前にさかのぼることができます。
また、当時の信徒は1145人ともあります。

昭和17年、道場から「秋月教会」となり、昭和28年の宗教法人法により「大行寺」となりました。

2012-09-09 002 142 
現在、本堂の屋根を修理中です。

1103017b 051 
消火用水として、本堂の屋根に降った雨水を貯めおきます。

101128 028 
いらかの波に、ひときわ大きくうねるのが、大行寺本堂の大屋根・・・(*^。^*)です。
スポンサーサイト



秋月 導神社

2)江田島町南部・秋月神社 
秋月の地名は、秋付とも呼ばれ、古くは近郷の小型船が、冬の北風を避けるために、秋になれば、この港に船をつなぎ替えた事からだ、とも言われます。

また、秋月からさらに南に下がった位置には、フユノ浦と呼ばれる地名もあります。

2012-10-19 002 033 
秋月港から、少し南に下がった丘の上に、秋月導神社が鎮座します。
石組の大きな鳥居が建ち、丘の上まで真直ぐに続く花崗岩の階段には、ちょっとした驚きを感じます。

2012-10-19 002 036 
花崗岩の急な石段を登り切った境内には、日本刀のような反りのある大鳥居がそびえ、石柱には明治44年4月吉日の文字が刻まれています。

秋月導神社の元は、若宮(本宮は不明)として小さな祠で祭られたようですが、享保9年の大飢饉を収めるため、秋月の北方イケハマに社殿が造営されました。
その後、明治44年には大鳥居も造られていましたが、秋月弾薬庫の拡張に伴い、昭和14年4月に当地、タカノに移転再建されました。

古記録には、秋付に若宮ありと記載され、本宮の分霊を祭っていましたが、享保の建立から15年経った屋根補修の棟板には黄幡大明神(スサノオ尊に結びつく猛神)とあり、その後には天狗様の原形といわれる、猿田彦尊も合祀されました。


2012-10-19 002 046 
大きな社殿(拝殿)ではありませんが、品格がただようりっぱな造りです。

2012-10-19 002 050  
畏れ多く、内部をうかがうことはできませんが、秋月導神社本殿です。

2012-10-19 002 038 
拝殿内部です。
秋月出身者同級生の、還暦祝いを記した奉納が多く見られます。


2012-10-19 002 042 
お祭りの奉納品に付けられた、お札が集めてあります。

CIMG2567 (800x601) 
境内には桜の老木も多く、お花見には最適の場所・・・(*^。^*)です。

CIMG2572 (800x600) 
ただ、帰りの石段は勾配が急で、海まで一直線ですので、飲み過ぎにはご注意・・・(*^_^*)です。

s-2016-04-06 018 (1280x960)  
そして今年も桜咲く・・・(*^。^*)です。

秋月地区古地図(1825) 
江田島町秋月付近の古地図です。

秋月(秋付?)の北に若宮、若宮鼻があります。
南に下った位置には、フユノ浦もありますが、現在のように海岸を行く道路はなく、山の尾根を伝い、あるいは谷筋から登り、低い峠を越えて隣の集落へと通じていたようです。

また、秋月から小用に向かう峠を、今は「しびれ峠」と呼びますが、この地図には「耳タレ山」、他の記録に「日本のぞき」などの記載もあって???です。
カレンダー
09 | 2012/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!