鷲部 説教所(教円寺)・薬師堂・毘沙門堂

江田島湾と、背後の山々に挟まれ、南北に長い海岸線に並ぶ狭小な鷲部の街並みですが、その北よりの部分に僅かな緩傾斜地を利用して、鷲部説教所が建ちます。

広島市寺町の「光円寺」より仏像を譲り受け、天保8年(1837年)に説教所を開きました。
そのごの遷移もありましたが、現堂宇は明治14年に「光円寺」本堂を移築したものです。

簡素な造りですが、お堂の正面には立派な彫り物もあり、ずっしりとした安定感のある本堂です。

昭和56年、従来の瓦葺を、銅板に葺き替えた際に見つかった棟札には、
明治14年巳雚旧9月15日
棟梁当村 岩本権八
小工当村 山本亀助
小工切串 小松徳平
と、記されてありました。
巳雚の意味がわからないのですが・・・
この年、明治14年の干支は辛巳で、辛はつらい、苦しい、むごい、などを連想しますので、同じカンの音をとって、雚とし、歓、よろこぶ、に替えたのでは?・・・(*^_^*)です。

葺き替えで降ろした鬼瓦には、現代的なセンスの花が彫り込まれています。
江戸時代の作だと思いますが、はて?何の花でしょう。

境内から路地を挟んだ向かいに、小堂が2つ並びます。
名や由来書きが見当たらないのですが、古地図を見れば江戸中期、この付近に薬師と、毘沙門が祭られていたようです。
おそらく、近年になって此方の方へ移築されたのだろうと思います。

野菜畑の向こうに見える円教寺本堂です。
今は、中央地区にある教法寺の鷲部説教所として、信者を集めています。

説教所に通じる路地、大きく張り出したロウバイの枝に、黄色く透き通った蝋細工のような花弁が輝きます。