農道廻りには人家も多く、生活道路として頻繁に車が行きかいます。
数年前までは、山の頂まで、みかん、ミカン、蜜柑、でした。
晩秋の、からっ風が木々の隙間を、ひゅ~~、ひゅうひゅ~~・・・と。
陽光で温まった石垣を背にすれば、一つ一つの石が風の音を反射し、遠くに人の話し声が聞こえてきます。
おうよ。
のつんぼ~が、げんきやっちょるかいのぉ。
おうおう。
の~たれぇが、なが~こと、みんかったのぉ~
こね~なとこさぁ来て、だれがぁ、いがてからぁ~おもぉ~て、たまげこくったがやぁ~
ばかたれ~が。
われも、ちゅうがくんときの、こずらげぇな顔つきが、こね~なやわろぉなっとるで。
やちのぉ~
ここんとこ、おとなしゅうしとるげなが、われのわるさ~しらんやつらぁ、このしまにゃあ、おらんちゅ~じゃに。
まぁ、やげろぉしかぁ~話は、今度のおりせに、同窓会やるっちゅうけえ、そんときにおいといてのぉ~
わがたぁ~らぁ、みかんどがんすっとやぁ~
おう、おう、わがたぁ~とこの畑も、お~かた、みかんがうわっちょるげなのぉ~
こまったもんでよぉ~
じつぁのぉ~、そげなことで、われを探してきたじゃがのぉ~
わしらぁ、組合の元気な衆集めて、うつらかしちゃろ~おもぉ~てのぉ~
まぁ~、わしらがほざいたかて、んならぁ~、どがぁ~もこがぁ~もじゃろうが、こがなことでもせにゃ~、腹の虫がもてんがじゃけぇ~なぁ~
ほいでのぉ~
われも、こっちのほうの組合じゃあ、ごおぎなもんじゃげなでのぉ~
ほ~かいや、どだい、おおげなことになりよるのぉ~
わしらじゃけて~の~、むなくそがわる~うて、みんな衆で、むしゃんこうゆうとるが、どがいも、もってきばがなぁ~でのぉ・・・
わりゃ~なんぞ、つてがあるんかい。
おや、おや・・・
小春日和の石垣に背もたれていたら、うとうとと、・・・夢の世界をさまよってきました。
注記 : 夢で見た?会話の中に、江田島方言を多く取り入れたつもりですが、中には関西弁や土佐、肥後弁なども入り込んでいるかも?・・・m(__)mです。
江田島市の方言は、大きくは旧佐伯郡の能美島と、安芸郡の江田島に二分されるかと、思いますが、実はもっともっと局所的で、小さな岬を一つを越えた、浦々で大きく違っています。
しかも、お互いに、「○○のやつら、言葉があろう~てのぉ~・・・」って、・・・(^_^;)です。
旧町史などにも、方言を集めた記載がありますし、島内にも個人的趣味で集めておられる方もいます。
深入りを始めたら、抜けられなくなりそうですので、早々に・・・(*^。^*)です。
鷲部地区では、ハッサクや夏ミカンも多く植わっています。
・・・江田島町のミカン栽培・・・
古く、中国浙江省から、熊本県八代市に小ミカンが伝り、高田みかんとして大切に栽培されていましたが、16世紀のころ、和歌山県有田に移植され、キシュウミカンと名付けられて、大量に生産されました。
また、ウンシュウミカンは紀元1500年ごろの、鹿児島県出水郡長島町が原生地といわれ、中国から伝わった柑橘の中から突然変異したとされます。
親は明らかではありませんが、近年のゲノム解析の結果では、クネンボと構造が似るそうです。
当初は長島密柑と呼ばれ、まったく人気がありませんでしたが、江戸時代後期から徐々にキシュウミカンにとって代わり、明治後期には各地で栽培が盛んとなって、名前も新たにウンシュウ(温州)ミカンと呼ばれるようになりました。
1619(元和5年) 津久茂村のミカンを藩主に献上(山野井文書)
1819(文政2年) 津久茂村の産物「ミカン・ダイダイ・リンゴ・ビワ」(芸藩通志)
1887(明治20年)切串に山口県萩よりダイダイ伝わる。
1892(明治25年)切串・鷲部にダイダイの苗が大量入荷
1900(明治33年)中郷奥小路(現、中央)に兵庫県伊丹よりウンシュウミカンの苗を移入
1920(大正9年)御殿山(現、中央)のネーブル畑を、海軍が接収
戦時中は、多くのミカン畑が食料増産政策のために、イモやムギ、キビやソバ畑に強制転換されました。
(1943年6月4日)「食糧増産応急対策要綱」閣議決定
(1945年8月15日)三国共同宣言(ポツダム宣言)を受諾・終戦
1952(昭和27年)愛媛県温泉郡に柑橘視察派遣
1957(昭和32年)宮ノ原で柑橘技術指導講習会・小用柑橘組合結成
1960(昭和35年)農林漁業地域の指定を受ける。
1961(昭和36年)この年、町内に移植された柑橘類の苗木6万2000本
1963(昭和38年)異常寒波襲来
1965(昭和40年)宮ノ原に柑橘選果場が新築落成
1966(昭和41年)大干ばつ
1971(昭和46年)江田島観光みかん組合結成
1972(昭和47年)グレープフルーツの輸入自由化
1978(昭和53年)江田島大規模林野火災
1981(昭和56年)異常寒波襲来・被害果樹園緊急対策が講じられる。
1991(平成3年)オレンジの輸入自由化
1992(平成4年)オレンジジュースの輸入自由化
この辺りには、立派な棚田が何段も重なっていました。
傾斜の緩い土地は、石垣を積んで水平にならし、ため池を作って水を引きます。
いま、・・・ため池には土が盛られ、車が何台も止められています。
斜面に点在する、いらかの向こうに、穏やかな江田島湾です。
農道のアスファルトにこぼれ落ちた、イチジク科のツル性樹木、イタビカズラです。
ちっちゃい実ですが、甘酸っぱくって、とてもおいしい野生の果実です。
子供のころ、親父に連れられ、風呂焚き用の薪を集めに、裏山に登りました。
「おい、これを食べてみろ」って、指さされましたが、始めて見るものだし、なかなか食べる気になれずに、うじうじしていた自分が・・・(^_^;)です。
当時は、必要に迫られてではありますが、親の仕事を手伝い、多くのことを直接、親から学んだ気がします。
だからでしょう。 学校には遊ぶために行っていました・・・(*^。^*)です。
あっ
イタビカズラの仲間には、雄樹と雌樹とがあって、雄樹も外見は同じような実が付きますが、此方はまずくて食べることはできません。
しかも、雄樹は普通に見ますが、雌樹は私の知る限り、島内にこの一本だけです。
お百姓さんが、畑を耕すまでの数日、イヌフグリさんとホトケノザさんが世間話で盛り上がっていました。
お鉢山の上に乗る、ゴハン雲?
農道に、春を告げる水仙の花が香ります。