中央 いいとこ撮り 1/3

2)江田島町南部・中央地区 
中央地区(本浦・中郷・向側・矢ノ浦・山田)は江田島町(村)の中心として古くから賑わい、行政の中心地でもありました。
干拓が進み唯一の平地であった本浦(現国有無番地)は、明治21年海軍兵学校用地として接収されましたが、同時に多くの海軍関係者が移入することになり、文化経済教育インフラ整備など、他の市町村に先がけた発展を見ることができました。

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海軍の用地造成による、土石採取のために切り崩された半島切羽面に残る高台、東西南の三方がはるか下方に見渡せる場所に、お城のようなお家が建ちます。

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現代の山城(半島高台)から南を望む景観です。
右には遠く飛渡瀬に続く江田島湾が広がり、饅頭のような姿の中世の山城、鷲部亀山城が眼下に見えます。

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島内には、まだまだたくさんの防空壕が残りますが、ほとんどは入口を塞がれて立ち入ることはできません。
この、手掘り?の個人防空壕には電線が引っ張り込まれていますので、いまだ現役なのかも・・・(*^。^*)です。 


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温州ミカンは手入れが悪いとすぐに枯れてしまいますが、夏ミカンの樹はあるていど放任されても・・・(^_^;)です。

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まもなく雑木に覆われ、樹下に埋もれそうな山裾の夏ミカン畑です。

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向側から山田に抜ける峠道に、なんとも風情のあるお墓を見つけました。

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こんな素敵な場所だったら、悠久の時をゆったりと過ごせそう・・・(*^。^*)です。

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北風を古鷹山に遮られた山裾に、旧江田島町役場、現江田島市江田島支所が民家の瓦屋根を圧倒してそびえます。

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江田島市の未来を背負い、五色に光り輝く江田島支所の雄姿 ・・・(*^。^*)です。
 
ちなみに明治11年11月、郡区町村編成法により、同年12月から江田島村と呼称されました。
発足時の村役場の位置は不明ですが、昭和初期には現海上自衛隊第一術科学校校内の体育館がある付近に、神田川と対面してありました。
が、昭和17年海軍兵学校の拡張により、神田川は南に流路を変えられ、村役場は江田島八幡神社の北方、現在は廃園となっている江田島向側幼稚園の場所に移築され、昭和26年10月1日からの町制施行により、建物はそのままに江田島町役場と改称しました。

のち、江田島小学校が統合移転した跡地を受け、昭和51年(1976年)9月、鉄筋コンクリート地下1回地上3階の江田島町庁舎が完成、平成16年(2004年)11月1日、江田島町、大柿町、能美町、沖美町4町の合併による、江田島市制に移行するまで江田島町発展の舵とりを担いました。

蛇足となりますが、礎石の下にはステンレスボールのタイムカプセルが埋められ、その中には現金(C号券と呼ばれる、聖徳太子が印刷された1万円紙幣で、1958年から1986年まで発行されました)他が、ギッシリと詰め込まれているとか?・・・(*^。^*)です。

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江田島支所の裏門に残る一本の老桜、昭和44
年9月までこの地にあった、旧江田島小学校校門前に植えられていた桜だと思います・・・(*^。^*)が?

昭和10年の江田島村役場 
昭和十年当時の江田島役場、警察署、江田島八幡神社を示す概略図です。

この貴重な回想図は、山田在住の浜本達司氏が「昭和10年頃 矢ノ浦区概略図」として作成されたものの一部をコピーしたもので、「ふるさと交流館」にも同じものが掲示されています。

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上記略図を遡る、大正初期の写真は、「せんだん」 江田島従道小学校の記録、からの拝借画像・・・ m(__)m です。

兵学校との境界、南進する神田川沿いに多くの民家が並びますが、画像が不鮮明のため役場があるかどうかは???です。
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中央 旧下士卒集会所

2)江田島町南部・中央・下士官集会所 
旧兵学校の門を出て、路地坂を左に100mばかり登ったところに、下士官と兵卒の集会所であった「下士卒集会所」と呼ばれる建物があります。 

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この白い洋館は明治後期、兵学校に勤務する下士官や水兵の集会所(休息や談笑、待ち合わせや軽い飲食、社交の場?)として作られたものです。

戦後民間に払い下げられていたようですが、外観から見る限りは当時のままに保たれています。

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実はごく最近まで、この建物を戦前の江田島村役場の跡だろうと、勝手に想像していたのですが・・・(^_^;)です。

坂道をキャリーを引いて登る、戦前生まれのぱみゅぱみゅお姉さんに、「江田島では物を大切にするんですねぇ。これって、昔の役場だったんですか?」「へえっ、あんたぁ? こりゃあのぉ~、昔の海軍さんの・・・」
え、えぇ~~~、超あかっぱじ~ ・・・(~_~;)でした。

で、その旧江田島村役場は江田島八幡宮の北、今は廃園となった旧江田島向側保育園のあった場所だそうで、もう一つ別にあった下士卒集会所は昭和50年に焼失し、跡地には現JA呉江田島支所が建てられたとか・・・


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周りは民家に囲まれていますが、屋根の向こうには兵学校の大講堂が見えます。

ちなみに、将校の集会所としては、明治21年(1888年)兵学校校内の高台に、「集会所」として赤煉瓦のりっぱな建物が造られました。
現在は「水交館」呼ばれ、校内行事、国内外の来賓の接遇や、映画、TVの撮影(坂の上の雲)などに使用され、ほぼ当時のままに残されています。


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みかんの丘から見た、下士卒集会所の全景です。

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さらにその上、古鷹登山道脇に咲くソメイヨシノの大木です。

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丘の上、古鷹登山道脇の桜花が、春風にあおられて、ひらり、またひらりと舞おりてきます。

中央 学びの館

2)江田島町南部・中央・ふるさと交流館・学びの館・江田島支所 
「学びの館」は、平成14年10月、久枝家跡地を活用し、自然観察や郷土のふれあい体験の場として、また久枝家寄贈品や旧江田島町所蔵資料を中心とした風俗資料の保管展示を行う施設として設立されました。

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木造2階建てで、1階には展示室・体験学習室・学習室(和室)、2階には、展示室・研修室があります。
展示室は、旧海軍兵学校内に建立されていた八方園神社にちなんで、八角形の屋根にしてあります。


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江田島の発展に尽力し、大正6年に逝去された久枝家十八代、久枝与三吉翁の胸像です。

久枝家は伊予河野水軍の流れをくみ、貞和2年(1346年)江田島町鷲部亀山城に居を構え、元亀年間までの約220年間、芸南地域の水軍として活躍しました。
その後、亀山からこの地に居を移し、文禄2年(1593年)久枝重安が江田島庄官となり、代々庄屋として善政を勤めました。


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旧久枝邸の外塀を復元したものです。

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見とれるようなりっぱな石組です。

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瓦葺の大門は、久枝家屋号の「田屋」から「田屋の門」と呼ばれます。

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修復された田屋の門や、漆喰の蔵は明治の建築様式を今に伝えます。

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広い園内には、流水池があり蛍の飼育もされています。

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常設展示の青銅鏡です。
唐草と鳳凰を配した平安時代の「八稜鏡」(直径13センチ)で、1886年(明治19年)に海軍兵学校の建設工事で、宮ノ原妃崎鼻(キサキバナ)で発見されました。
県内でも数例しかない、貴重な資料です。

中央 ふるさと交流館

2)江田島町南部・中央・ふるさと交流館・学びの館・江田島支所 
平成5年4月15日、ふるさと創生事業の一環として、江田島町の唯一最大観光資源である、海上自衛隊第一術科学校(旧海軍兵学校)見学者の便をはかって、学校正門前にふるさと交流館が建てられました。

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ふるさと交流館の正面です。

旧海軍兵学校の生徒たちの休養の場であった生徒倶楽部の一つ「橋中生徒倶楽部」の面影を残した建物で、海上自衛隊第1術科学校の見学者の休憩所、町民の憩いの場として親しまれています。また、展示室には旧海軍兵学校ゆかりの品々も展示されています。

以上、 江田島市商工観光課施設ガイドよりのコピペ・・・(^_^;)です。


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二階展示室にある、海軍兵学校生徒が使用していた自習机です。
 
注:館長の許可を頂いて、ノーフラッシュによる撮影です。

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海軍兵学校の卒業証書と短剣です。

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桜に錨のベルトバックルです。

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海軍将官の儀礼用帽子(二角帽子またはナポレオンハットとも・・・)です。

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旧海軍兵学校生徒館(通称赤レンガ)の屋根瓦です。
生徒館の屋根は建築当初は日本瓦葺でしたが、明治38年の安芸灘地震後にスレート葺に替えられました。

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GHQ時代の兵学校校内案内図?です。

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GHQ時代あるいはその直後の、兵学校全景航空写真だと思われます。
トンネル校舎と呼ばれた、江田島中学校がはっきり写っていますので、昭和23年以降昭和39年以前?です。


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狭い展示室ですが、1943年(昭和18年)6月8日12時10分、山口県柱島沖で第三砲塔付近から突然白煙を吹き上げ主砲火薬庫が大爆発、謎の爆沈をした戦艦陸奥の遺品も陳列されています。

中央 農道 2/2

2A)江田島町南部・鷲部・中央農道 
江田島って言えば、海軍兵学校を抜きにしては語れません。
その兵学校(現海上自衛隊第一術科学校他)の全体が、もっとも画になって見えるのが、この農道からの眺め・・・(*^。^*)です。


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向側農道開通記念(平成10年10月吉日)

へぇ~、農道が出来たのはわりと最近のようです。
それまでは、このすてきな景色はお百姓さんの独り占め?

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畑仕事で汗をかき、この景色をながめながらお昼のお弁当を広げる・・・
い・い・な・ぁ~~~~~(*^。^*)です。

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兵学校の面する江田島湾、現海上自衛隊第一術科学校の沖に浮かぶのは、最新鋭のヘリコプター空母です。

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東洋のアナポリスとも呼ばれる、日本海軍兵学校の全景です。

ちなみに、メリーランド州アナポリスにある米海軍兵学校には海上自衛隊から、一等海佐と三等海佐が1名ずつ連絡官として派遣されており、同校の教官としても勤務していて、逆にアメリカ海軍からも大尉が1名、江田島の海上自衛隊幹部候補生学校に派遣され、同様に教官として勤務しているのだとか・・・ウィキペディアより(^_^;)です。

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中央が通称赤煉瓦と呼ばれる建物で、明治26年(1893)に海軍兵学校生徒館として建築されました。
現在、第一術科学校の庁舎として使用されている手前の白い建物は、昭和16年(1941)に海軍兵学校の庁舎として建設されました。


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大講堂と呼ばれる画像中央のどっしりとした建物は、鉄骨煉瓦を心材とした石造で、外壁には瀬戸内海産の白い花崗岩が貼られています。
大正6年(1917年)に兵学校生徒の入校式、卒業式また教育の場として建築されました。

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春霞にゆらぐ白亜の殿堂、大講堂の正面画像です。

中央 農道 1/2

2A)江田島町南部・鷲部・中央農道 
本来は農道なのでしょうが、生活道路でもあり、林道みたいな部分もあり・・・(*^。^*)です。

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昨今では珍しい光景、真面目に管理されたミカンの段々畑です。

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わずか2年ばかり前までは、人もうらやむ立派なミカン園だったのですが・・・

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お百姓さんが住んでいた石垣の上の屋敷は崩れさり、丹精込めた庭に、残されていたサルスベリの木がただ一本、照りつける真夏の陽光と、根元を覆う雑草に立ち向かっていました。

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農地の外れで、現世を見守るご先祖様のため息が・・・(~_~;)です。

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荒れた畑の縁に、ホトケノザが集まって陣取り合戦・・・(*^_^*)です。

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緩やかに傾斜する農地の向こうに、旧海軍兵学校の赤煉瓦・・・

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画像にミカンを写し込むのは、一苦労 いや、もう無理かも・・・

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いま元気が良いのは、高圧線の鉄塔と、携帯電話の地上局だけかも・・・(^_^;)です

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鉄塔下の木の枝に、空き家となったウスタビガの繭が風にユラリ、揺られていました。

中央 県道44号線 2/2

2A)江田島町南部・県道44(鷲部・中央) 
平地の少ない島では、どこも最低限の道路幅しか確保されないのですが、江田島町は海軍兵学校があったせいか、他所に比べれば広めの道路が整備されています。 

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平成22年1月1日、旧江田島中学校の跡地に新校舎を建設し、今までの江田島小、鷲部小、江南小、秋月小に加え、小用小、宮ノ原小、津久茂小学校がこの地で同窓となりました。 

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高台から見た江田島小学校です。
県道44号線の海側、江田島湾の潮風が吹き抜ける、まばゆいばかりのモダンな新校舎です。

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そのまま県道を北上すると、江田島八幡神社前のバス停です。
石段の下には、元治元年(1864年)農作物の害虫除け祈願成就に奉して出雲神社が建立されました。


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建立時には浜から海へと向かった参道も、今は黒いアスファルト道路で遮断されます。
たとえ神様といえども、白線を引いた横断歩道を渡らないと、えらい目に遭います・・・(^_^;)です。 

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中央地区と、旧 海軍兵学校用地(現 国有無番地)を分けるのは神田川と、鉄筋コンクリートのぶ厚い壁です。
塀の内側には、松や桜、カイズカイブキなどが整然と並びます。
島内の史跡では、そのほとんどが松くい虫の被害で倒れたのですが、戦前?に植えられた松の木が、きれいに手入れされて今に残っているのには感心します。

余談になりますが、かっては塀の上にとぐろを巻いて有刺鉄線が張られていましたが、今はレーザー光線???・・・(*^_^*)かな?。

術科学校正門 
塀の向こう、国有無番地に通ずる、海上自衛隊第一術科学校の正門です。
ただし、海軍でいう表門(正門)とは江田島湾に浮かぶ桟橋であって、陸上に通ずる此方の門は裏門と呼ぶのだそうです。

私のカメラよりもきれいに撮れている、Google マップからの画像です。
 

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県道44号線に続く路地裏です。
かっては、ネオンサインに彩られたスタンドバーやパチンコ店、映画館?もあったようですが・・・
「止まれ」って書かれても、このままじゃ・・・(^_^;)です。

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 江田島銘醸の酒蔵です。
お酒は古鷹山の軟水を利用し、手間ひまかけた「麹ぶた製法」で作られます。

以下、PR文書のコピペ・・・(*^。^*)です。 

明治40年(1907年)創業の江田島銘醸は、旧海軍兵学校で知られる江田島の蔵元で、戦前は「ホマレ」という銘柄で呼ばれ、「海軍御用酒」として兵学校関係者に親しまれてきました。

看板商品の「同期の桜 純米吟醸 純米原酒」をはじめとする「同期の桜」シリーズや、「古鷹」リーズなど、ネーミングやデザインは江田島ならではです。

社長の住岡氏が杜氏として酒造りに打ち込み、米の旨味がしっかりと出た、酒が主役になるような味を追及します。
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