国有無番地(旧海軍兵学校) 水交館

旧海軍兵学校構内図B 
戦後、進駐軍から海上自衛隊に移管されたのち、水交館と命名され国内外のVIP接遇等に使用されています。

構内の建物としてはもっとも古く、明治21年8月に兵学校が築地から移転する前の4月には完成していました。
当初は集会所とされましたが、のち、「文庫館」、「図書館」、「会議所」、「将校集会所」として使用され、戦後は進駐軍牧師の宿舎となっていました。

ちなみに、北海道庁の旧赤レンガ庁舎が建てられたのも、明治21年(1888年)のことです。

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特別に希望して、許可をとらない限りは、通常一般見学者の立ち入りはできません。
国有無番地の塀の外、北側のミカン山(通称御殿山)に登って写した、水交館の裏っかわ・・・(^_^;)です。

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水交館手前のロータリー(車回し)です。

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左正面です。

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屋根は瓦葺きです。

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左から見た表玄関です。

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建物の左側にある日本庭園です。

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普段の見学コースからは外れていますが、綺麗に整備してあります。 

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2008年9月、水交館とその日本庭園を利用して、NHKテレビドラマ「坂の上の雲」が撮影されました。

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撮影スタッフの中に知り合いの方がおられましたので、便宜をはかっていただきました・・・(*^。^*)です。
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国有無番地(旧海軍兵学校) 教育参考館

旧海軍兵学校正門 
赤レンガの西端を回ると、ソメイヨシノの枝を透かして、なんと・・・ギリシャ神殿風の真っ白い建物が見えてきます。

この「教育参考館」は日本海軍創設以来の貴重な資料を収集展示し、兵学校生徒やその関係者の教育参考とするため、兵学校卒業者や一般有志の寄付をつのり、昭和10年2月に起工、昭和11年3月(1936年)に完成しました。

鉄筋コンクリートの建物ですが、表面には白い花崗岩が張られ、入り口に立つ巨大な6本の花崗岩円柱を潜れば、「信は荘厳より生ず」を実感できます。

 

内部の収蔵品には勝海舟や坂本龍馬から、敗戦にいたるまでの沢山の資料が整然と展示され、奥に進むにつれ見学者の多くが目頭を押さえるしぐさを見せます。


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着工から、わずか1年あまりで建てられたとは思えない重厚な作りです。
内部にはイタリア産の、アンモナイト化石が見える大理石も貼られていますが、館内は撮影禁止・・・(^_^;)です。 

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2009年4月9日撮影

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2010年4月5日撮影

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2013年3月31日撮影
桜の満開日は年を追って早くなってるんじゃ・・・(^_^;)です。 

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フェニックス(カナリーヤシ)の向こうの教育参考館です。
改修前の2003年12月に撮影しましたので、白い花崗岩が薄黒く汚れています。


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教育参考館は平成17年(2005年)から20年にかけ、内外装の改修工事がおこなわれ、築70年の汚れが一掃されて、眩いばかりの花崗岩白肌が現れました。

教育参考館の周りには、野外展示物として真珠湾攻撃に使用した特殊潜航艇「甲標的(甲型)」や、戦艦「大和」の主砲砲弾などが展示されています

国有無番地(旧海軍兵学校) 赤レンガ 2/2

旧海軍兵学校正門 
赤レンガが完成したのは明治26年3月です。

古鷹の裾野を削り取った土石で干拓された地に、松の杭を打ち込み、栗石を敷き詰めた上にコンクリート基礎を作って、イギリス積みに赤いレンガを積み上げました。

当初の屋根は瓦葺でしたが、明治38年6月の安芸灘地震による被害補修でスレート葺きに変えられ、屋根の形も切妻から寄棟作りに変えられました。

また、いつの頃なのかは不明(戦後?)ですが、屋根裏の明り取りドーマーウインドウも取り外されました。

 

建築から百年、老巧が目立ち耐震性能にも問題があることから、昭和末年の予備調査を元に、平成4年改修工事に着工、平成16年6月建物内部を鉄骨で補強し、外観もきれいに整えて建築当初を彷彿とする兵学校生徒館(現幹部候補生学校庁舎)が現れました。


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2013年3月31日、入校式を翌日に控え、クラス(班員?)の記念撮影かも・・・(*^。^*)です。

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平成の大修理を終え、汚れを落とした赤いレンガが青空に映えます。

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南西の側から見た全景です。

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南西のかどっこです。
明治の石工が、ノミと玄能で仕上げた最上級の花崗岩が貼られています。

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西側出入り口です。

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長身のイギリス人が設計したせいか、天井がたか~~~い・・・(*^。^*)です。

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東側出入り口と左右が反転しているだけで、まったく同じ作りです。

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西側から回り込んで見た、赤レンガの裏側です。

国有無番地(旧海軍兵学校) 赤レンガ 1/2

旧海軍兵学校正門 
大講堂を出れば、すぐ目の前に赤いレンガ造りの建物が広がります。
っていうか、大講堂ホールに入る前に興味を惹かれてしまい、引率者による講堂内部の説明はうわの空だったりします・・・(^_^;)です。

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現在は海上自衛隊幹部候補生学校庁舎として使用されている、通称「赤レンガ」と呼ばれるこの建物は、明治26年3月、海軍兵学校生徒館として落成ました。

設計はイギリス人建築家の、J・ダイアック氏で、同年(1893年)6月15日、江田島湾に係留の東京丸より移転した兵学校生徒の、生活や学習の場となり、昭和20年の敗戦まで多くの海軍士官を育てる学び舎となりました。

戦後の混迷や進駐軍占拠による破壊をも免れ、明治黎明の歴史建造物として、また、当初の目的を継承した現役の建物であって、さらなる歴史を刻みつつこの地に残ります。


ちなみに、明治21年8月1日、海軍兵学校が東京築地より江田島に移転した当初は赤レンガ造りの生徒館は未完であり、生徒館(赤レンガ)が完成するまでの5年間、生徒の勉学や生活の場は江田島湾の桟橋に係留された東京丸でした。
 

記 : 「東京丸」とは、明治3年に米国から購入した、排水量1.400トンの木造船で、海軍運輸船として使用されましたが、明治5年、北海道メノコナイ沖で座礁沈没しました。

のちに引き上げて改装し、明治21年江田島に回航、学習船東京丸となって活用されました。


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赤レンガ(生徒館)の東側出入り口から見た内部です。
右奥は中庭に続きますので、北からの反射光が館内通路を柔らかく照らします。 
左側は各室へのドアーが並び、中央最奥に見える西側出入り口と東側は完璧なシンメトリーになっています。

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西側から廻り込んで見た中庭(裏側)です。
大講堂と同じく、玄関側よりもりっぱに見えます・・・(^_^;)です。

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再び戻って、大講堂側から見た満開の桜と赤レンガ(生徒館)表側です。

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生徒館前に整列する、幹部候補生です。
その周りを取り巻くのは鬼教官、候補生の一挙手一投足、帽子の曲がりや、制服の筋目、靴先の僅かな砂塵さえ見逃すことはありません。

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赤レンガの前に並ぶ松の樹は、皆、真っ直ぐ天に伸びます。
毎朝毎晩、数分おきに聞こえる「きおつけぇ~~~」の怒鳴り声に震え上がっているのだとか。 

もっとも近年になって、女性自衛官(ウエーブ)を多く見るようになり、中に腰つきの柔い松も現れ始めました・・・(*^。^*)です。  

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左右対象な生徒館正面入り口です。
使用された赤レンガは、イギリスより一個ずつ紙に包まれて運ばれたとか、あるいは東広島市安芸津で焼かれたものだとか、諸説あります。

分析器にかければ瞬時に判明するでしょうが、明治期にはイギリスより多数の軍艦を購入していますので、回航時のバラストとしてレンガを積み込み、持ち帰った可能性は十分あると感じます。

また、これをきっかけに江田島市内でも各所でレンガが焼かれるようになったとか・・・(*^。^*)です。
 

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入口の表札は「海上自衛隊 幹部候補生学校」と、墨書されています。

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青空に錨のマークが、キンピカと光ります・・・(*^。^*)です。

国有無番地(旧海軍兵学校) 大講堂 2/2

旧海軍兵学校正門 
だれもが知る大講堂として、東大安田講堂(大正14年7月竣工)、早大大熊講堂(昭和2年10月竣工)がありますが、江田島兵学校大講堂(大正6年3月竣工)は、それらを圧倒して古くに建てられています。

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講堂ホールへの出入り口は3ヶ所あり、観音開きの折れ戸で黒く塗られた重厚な作りです。

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2000人が収容できるホールの床は、厚さが15cmもある花崗岩石板の四隅を落とし、変形八角形(オクタゴン)としたモザイク貼なんですが、正式な呼び名がわかりません・・・m(__)mです。
中央正面の日章旗(国旗)と軍艦旗(自衛艦旗)の下は玉座と呼ばれ、演壇よりもさらに上段にあって、天皇陛下が行幸の時にのみ使用されます。
 

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花崗岩の床から5段上がって演壇があり、演卓の裏で見えませんが、さらに3段上がった檀上が玉座です。
普段の玉座には天皇陛下の座る椅子(いし)は設置されません。

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私が記録したのはこの紋章?だけですが、兵学校時代の建物にはいろいろにデザインされた紋章?や、飾り?の類を多く見ることができます。
しかも、すべてが統一されているわけではなく、その場限り?といった感じで、それぞれの場所に違うデザインで取り付けられています。

直径10cmたらずのこの白い紋章?も、大講堂の玉座周りに数個が貼られていますが、海軍?皇室?六弁花を図案化したものなのでしょうが、なに?なぜ??、
・・・(^_^;)です。 

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アーチ状の天井と天井灯です。 

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天井灯は舵輪をイメージしたものだと思いますが、舵輪の支柱は12本、ランプは6個、吊り下げチェーンは3本・・・です。

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赤レンガの側から見た大講堂です。

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カエデ葉の舞う講堂の裏手です。
普段人が入らない場所も綺麗に掃除されています。

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手入れされた松の枝越しに見る大講堂です。

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2009年9月14日残暑の中、涼しげな白の制服で赤レンガの前に整列する幹部候補生です。
普通の学校よりはちょっと厳しいみたいですが、翌年3月には大講堂に列席して卒業証書を戴き、即日海上自衛隊幹部自衛官三等海尉を拝任します。

国有無番地(旧海軍兵学校) 大講堂 1/2

旧海軍兵学校正門 
大講堂は旧海軍兵学校時代の大正6年3月31日、総工費40万円を要して完成しました。
計画は明治45年、日清戦争で賠償移管された軍艦(鎮遠)などの売却費用を原資とし、鉄筋レンガ積みを心材に、表面には徳山産の白い花崗岩が貼られています。

なを、同年代のレンガ積み花崗岩化粧の建物では、日本銀行本店が有名です。

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東側のミカン畑から見た大講堂の全景です。
建設当初は屋根に明り取り用のドーマがありましたが、過去何度かの改装修理で簡略化され、平成の大修理(平成8年3月~平成10年3月)では、全面スペイン産のスレート瓦に葺き替えられています。

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観音堂付近の高台から見る大講堂正面です。

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正門を入って見る大講堂です。

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売店や食堂のある、江田島クラブからのガラス越し撮影です。
車寄せのある右側が大講堂正面玄関ですが、一般の見学者には解放されていません。

儀式や行事などでのVIP専用ですが、近年の大型車両だとかなり窮屈な出入りになりそう・・・(^_^;)です。

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運よく通りがかった、超美人の婦人自衛官(ウエーブ)さんに画像中央に入っていただきました・・・(*^。^*)です。
TVで航空自衛隊の「空飛ぶ広報室」ってドラマをやっていますが、「海に浮かぶ広報室」逆バージョンなら主役で使えそうな方でした。


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玄関扉です。
重厚ですが小さな扉です。


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車寄せスロープにも真っ白い花崗岩が使われています。

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庇の銅板が緑青に染まり、白い花崗岩の大講堂に良く調和します。

桜の前を行くのは幹部自衛官です。
上着の袖口に巻かれた金帯(周章)の幅と数で階級を表します。
袖口に金帯を巻く階級表示の始まりは、イギリス貴族の袖飾りからだろうと思いますが詳しいことは???・・・(^_^;)です。

ちなみに日本海軍として制服が制定されたのは明治3年11月です。
当初は最上部金帯の一部がダイヤ形に曲げられ角袖と呼ばれましたが、明治4年12月に〇形(ループ)に改められ、大正3年には金帯から縞織黒毛線(帯)となって敗戦まで用いられました。

現在の自衛隊で制服の袖口に金帯(周章)を巻くのは海上自衛隊の幹部自衛官と準海尉、幹部候補生の冬服だけです。
(儀礼用の第二種礼装冬服では陸海空とも飾り?としての金帯が付きます。)

また、旧海軍では最上部の金帯(縞織黒毛線)に付いていた〇型(ループ)はなくなり、代わりに金の桜が刺繍されます。
ただし、赤レンガに学ぶ幹部候補生は桜ではなくて金の錨が刺繍されます。

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大講堂の裏側?です。
広いアーチの石段と大きくて荘厳な入口に、私は近年まで、こちらが表だとばかり思っていました・・・(^_^;)です。
反対側がVIP専用玄関だからって、こちらが裏口とは思えませんので、講堂用出入り口?、式場エントランス?呼び方は不明ですが、行事や式典の参列者用出入り口です。 
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