大原特借宿舎 大原飛行場跡地

グーグル飛行場跡2017 
かって江田島には 飛 行 場 がありました。

現在はニュージーランドに移住されているご婦人が、先日TV番組の海外ロケの中で「私は津久茂の出身です。若いころ飛行場建設の作業員として働いたことがあります。」・・・と。

それまでも、又聞きのさらに又聞きで江田島大原に飛行場があったと聞いた記憶はあったのですが、「江田島町史」などを見ても記載がないので、おそらくは先の大戦後期、本土防衛の最終措置として飛行場建設を始めたが、結局敗戦時には未完の、幻の飛行場で終わったのだろうと思っていました。

で・・・、今一度「江田島町史」のページをめくり直して見ましたが、飛行場に関する資料は見当たりません。

ならばと津久茂を訪ね、偶々お会いしたご年配の方にお尋ねすると「飛行場はありました。戦後になって進駐軍が作ったもので、埋め立て用土は青年の家付近の山を削り、飛行の障害となる滑走路先端の「小島」は火薬を使って爆破し平らにしました。
それでも大きな飛行機は無理で小型のプロペラ機ばかりでしたが、米軍江田島キャンプが呉市広町へ移転するまで使用されていました。キャンプ移転の前には地区の名士や子供らを招待して江田島や広島湾上空を遊覧飛行するイベントもありました。」と・・・(*^。^*)です。

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画像は古鷹山系登山道から見た大原地区とその先の津久茂地区です。
津久茂山の左下に細長い空き地(飛行場跡)が見えます。

以下に「江田島町史」を元に、大原地区(飛行場)に関係すると思われる年表を列記します。
17・05・14 大原分校建設工事地鎮祭
17・11・21 大原分校地で総裁宮殿下閲兵式
19・10・01 兵学校大原分校開校
20・03・19 グラマン機初めて江田島来襲、生徒3名戦死
20・07・28 艦載機投弾、戦艦榛名・巡洋艦大淀・利根・出雲・特務艦摂津沈没
20・08・15 終戦
20・08・18 兵学校生徒休暇帰省・残務整理希望者約100名残留
20・09・17 枕崎台風(江田島村内における死者252名・家屋流失約200棟)
20・10・01 (海軍兵学校第75期生卒業)
20・10・05 先遣隊員米軍MP9名海軍兵学校に進駐
20・10・末頃 米陸軍砲兵大隊兵学校進駐・接収業務開始
20・12・01 海軍兵学校閉校
21・02・?? 英豪軍旧兵学校に進駐
21・03・14 米軍兵学校を撤収す
21・05・16 旧海軍兵学校全施設を「英連邦軍総司令部」と定む・基地内施設の建設ラッシュとなる
22・04・?? 旧軍部他の資材払い下げにより、宮ノ原、小用、江南、大須小学校の新築、改築に着工
24・02・?? 旧兵学校の「英連邦軍総司令部」呉に移駐
24・02・?? 米軍教育司令部を設置・連合陸軍の術科教育開始(3週間~6ヶ月)
25・04・?? 大原海岸で火薬の爆破処理
25・06・25 朝鮮戦争勃発
25・08・23 警察予備隊教育施設「江田島学校」設置
27・04・26 海上保安庁に海上警備隊創設
28・05・23 江田島米軍キャンプ内で日米懇談会
29・02・?? 江田島町、米駐留軍消防協定成立
29・03・01 駐留軍接収地先海面一部制限解除
29・06・09 防衛庁新設・海上自衛隊発足
29・07・01 海上自衛隊呉地方総監部開庁
30・12・01 米軍江田島キャンプ(駐屯地)、呉市広町に移転
31・01・10 米軍江田島キャンプ(旧海軍兵学校)返還式
31・01・16 米軍江田島キャンプ跡に海上自衛隊術科学校を横須賀より移転
31・03・01 海上自衛隊術科学校生111名入校
31・05・16 海上自衛隊術科学校開庁式
32・03・03 米軍江田島大原演習場地区を返還
32・05・10 術科学校内に幹部候補生学校を併置
33・04・01 術科学校を、第一術科学校に改称
上記年表に 誤字脱字などがありましたら・・・m(__)mです。正確を期する場合は、江田島町史(昭和33年3月・昭和57年3月・平成13年10月発行)にてご確認下さい。

年表中にも直に飛行場に関す記事記載はありませんが、飛行場の建設は米陸軍砲兵大隊が兵学校へ進駐した昭和20年10月末ごろから準備され始め、「英連邦軍総司令部」が旧兵学校を引き継いだ後の昭和22年中には完成し運用されていと思われます。

その後、昭和24年2月、英連邦軍にかわり再び米陸軍が駐屯しましたが、海上自衛隊に引き渡す昭和31年1月まで通算で約8年間、江田島大原飛行場を継続使用しました。

s-大原分校重火器配置図 
画像は、連合軍への「海軍兵学校大原分校 引渡物品目録」に付随する大原地区の略図です。

中央部には東西学生館があり、右回りに各科講堂、養浩館敷地、倉庫、柔剣道場、兵舎、車庫、庁舎、表桟橋などの文字が見えますが、飛行場あるいは航空機格納庫などの文字はみあたりません。

下表には主たる引渡物品となる、12.7cm並装高角砲、8cm高角砲、25mm並装機銃、25mm単装機銃、13mm単装機銃の文字が見えます。

s-大原分校舟艇保管図 
引渡目録に付随する大原地区の海岸線略図です。

左上に等高線で示される小島崎があり、そこから水雷機関講堂までの海岸は埋め立て未完地となっています。

つまりは、日本軍による飛行場建設は予定にも無かったようで、別資料によりますと埋め立て完了後には、小島崎付近にスベリを作り水上航空機の揚収施設や、航空機の座学講堂を作る予定があったと云われます。

上記2図面は「アジア歴史資料センター」よりのコピペ・・・m(__)mです。

大原19470318 
「英連邦軍総司令部」統治時代の大原地区航空写真(地理院空中写真閲覧サービスよりコピペ)です。

敗戦時には護岸工事が建設途中で止まっていましたが、画像の昭和22年3月現在、滑走路用地の護岸は完成しており、埋め立て作業は継続進行中のようにみえます。

ニュージーランドに移住されたご婦人が飛行場建設の作業に従事されていたのはこの頃のことだったやも?・・・です。

ちなみに、滑走路の南先端にあって、航空機の発着障害となっていた小島(小島崎)はすでに爆破された後の様子で、白く輝いて写っています。

蛇足となりますが、中国地方5県と四国地方4県は当時「英連邦軍総司令部」の統治下におかれ、総司令部のあった江田島の旧海軍兵学校一帯は、昭和21年5月から24年2月の間、これら9県の政治中枢でもありました。

大原19480112 
昭和23年1月、滑走路の埋め立て工事はすべて完了している様子で、滑走路北側には機体整備庫?格納庫?らしき建物?も・・・???です。

大原19620730 
大原飛行場は、昭和24年2月再び米陸軍の駐屯(キャンプ)するところとなりましたが、昭和31年1月、日本国に返還、海上自衛隊の教育施設として利用することとなりました。

跡地の一部は江田島町に返還されましたが、旧海軍兵学校付近は海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校となって今に残り、旧海軍兵学校大原分校跡地は海上自衛隊第11海上訓練支援隊として再生利用がなされています。

画像は米軍キャンプが撤退し、海上自衛隊に移管されて6年が経過した昭和37年7月のものです。
格納庫?らしき建物も健在で、滑走路も少し整備すればまだ使用出来なくもない状態?・・・(^^;)です。

飛行艇カタリナ 
画像はウイキペディアよりコピペした「PBY カタリナ飛行艇」です。

「マーチン PBY飛行艇」と共に米軍に多用された航空機で、波静かな江田島湾は最適な離発着場であり、緊急物資や人員輸送など、大原飛行場の完成後も重用されました。
(英連邦軍は「ショート サンダーランド飛行艇」を使用?)

米軍飛行艇は昭和20年10月、先遣隊として米軍MP9名が海軍兵学校に進駐する前にも、被弾大破し着底した、戦艦榛名や重巡洋艦利根の状況視察に訪れたと云います。

江田島小用沖に大破着底した戦艦榛名の視察隊員は、飛行艇から降ろしたゴムボートで、戦々恐々おびえる小用村民を前に上陸、付近の民家に立ち寄って飲料水を要求、好奇心で集まる子供らにガムなどを与えて立ち去りました。
「なぁ~んだ、あいつら鬼じゃないじゃないか。」と、皆々胸をなでおろしたといいます。

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昭和56年9月の画像です。

滑走路としての使用は全く見られず、さらに南端部には津久茂小学校の鉄筋コンクリート3階建て校舎が大きく立ちはだかっています。

それまでの津久茂小学校は画像左下、現津久茂老人集会所・津久茂児童公園の一帯でしたが、古い木造校舎と狭小なグラウンドでしたので、昭和55年4月滑走路南端の国有地譲渡を受けて新しく建て替えられました。

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現在の海軍兵学校大原分校跡地の様子です。

周辺部の土地は民間等に払い下げられましたが、中心部と滑走路跡地は海上自衛隊占有地となり、基地内の施設なども更新整備が進められています。

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滑走路跡地は現在、一術校学生、幹部候補生の陸上戦闘野外訓練場となっており、自然発生の草木を利用し、敵陣強襲攻撃やゲリラ戦法戦闘訓練などに使用されています。

廻りは鉄条網で囲われ一般人の入場は出来ませんが、国道487号線と直に隣接します。
何気に歩道を歩いていると、突然に草むらからライフル銃を持った隊員が数十人あらわれ、大声を出しながら猪突猛進する様子に一瞬自身の立場に戸惑うこともあります。

ただし、これは明らかに訓練ですので、決して反撃には出ないように・・・(*^。^*)です。

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時代の流れ、小型航空機の役目はヘリコプタや垂直離発着機で十二分に対応できるようになり、海に浮かぶ飛行場として大型の護衛艦が多数建造されましたので、大原地区に滑走路を再開する必要などはまったくなくなりました。
(ドローンの訓練場???)

画像は大原飛行場跡地のすぐ沖に浮かぶ、全長197mの巨大甲板とヘリコプター11機を搭載するヘリコプター搭載護衛艦 「ひゅうが」13,950tです。

さらに、現在最新鋭の護衛艦である「かが」は全長248m、ヘリコプター14機、排水量19,500t、速力30ノットです。

♪ まわる~まわる~よ~ 時代~はまわる~ ♪ 
・・・ですが、婦女子も総動員し突貫工事で飛行場をつくったりするような、時代が再びまわってこないように ・・・ ・・・ ・・・m(__)mです。
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大原特借宿舎 地区内の施設

1)江田島町北部・大原特借宿舎 
地名の大原特借宿舎が示すとおり、3棟の鉄筋コンクリート4階建ての海上自衛隊官舎が目立ちますが、このフェンスに囲まれた地区には、海上自衛隊の最強部隊、「特別警備隊」隊員の養成施設、他、特殊な部隊や重要な施設が隠されて??? ・・・(^_^;)います。

大原特借宿舎グーグル空撮 
大原特借宿舎地区のグーグル空撮です。

A :この地区に出入りするには、唯一、この石風呂川に架かる橋を渡ります。
B :3棟の鉄筋コンクリート製、4階建て官舎です。
C :屋内防火訓練施設です。
D :屋外防水訓練施設です。
E :特殊車両操縦訓練教習場です。
F :屋内武道場および、屋内射撃訓練施設です。
G :特別警備隊の養成隊員用に、座学実習講堂、兼宿舎です。
H :対ゲリラ戦、野外訓練場です。
Ⅰ :強襲用ゴムボートの、揚陸施設です。
J :標的機整備場です。


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周りをミカン畑に囲まれ、ルーラル感いっぱいの中に・・・

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外部からの侵入者を早めに探知し対処をし易くするために、基地の周りは国道487号のアスファルト舗装道路で囲い、境界線上はすべて鉄条網が張られたフェンスで防護されています。

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艦船で発生する火災を想定して作られた、屋内防火訓練場です。

場内は、艦船のエンジンルームや狭い船内を模した部屋に分けられ、実際に大量の油を撒いて火をつけ、高温と、どす黒い煤煙の中で消火訓練が行なわれます。

足元のグレーチングから立ち上る炎に、眉毛が焼けてなくなるのは普通で、訓練終了後には頬や額にオロナインを塗る隊員が何人も出ます。

さらに、この建物の隣には、屋外防水実習場があります。

艦船の衝突事故による浸水や、高圧海水管の破裂などを想定した訓練施設で、小雪が舞う中でも全身ずぶ濡れで、浸水破孔に板や角材を押し当て、ロープやくさびを利用して止水します。
うまく浸水を止めることができなければ、水位は、膝、胸、頭上まで上がり、立ち泳ぎを始めるまで、送水ポンプの元栓は全開したままです。


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特別警備隊養成員専用の訓練施設?です。

内部を見たわけではありjませんので、あくまでも外観からの想像ですが・・・
左の頑丈そうな建物は屋内武道場?、兼、屋内射撃訓練場?です。
普通の射撃訓練の他にも、市街地を模したり、小部屋などに分割され、ハリウッド映画に見るようなゲリラ戦のセットが組まれている???と、想像・・・(^_^;)です。

右の建物は座学講堂で、爆発物や火器の構造、取り扱い、防御法・・・他、任務に必要な特別な教務が行なわれている???はず・・・(^_^;)です。
講堂側面の壁は、スパイダーマンのようによじ登ったり、屋上からロープ1本で降下するための垂直壁
???・・・(^_^;)です。

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強襲用特殊ゴムボートで江田島湾を全力疾走する、特別警備隊の養成隊員です。


ちなみに、「海上自衛隊特別警備隊」が発足の引き金となったのは、1999年(平成11年)3月22日の能登半島沖不審船事件で、「海上警備行動」が発令されたにもかかわらず、体制の不備により、2隻の不審船を臨検することもできずに取り逃がした、苦い経験を払拭するためです。
最大の危険が想定される状況下であっても、最大の効果をもって不審な船等の制圧を行い、有効な臨検ができる特殊集団を養成するために、2001年(平成13年)3月27日当地、江田島において開隊しました。

さらに、・・・「海上警備行動」が発せられる事態とは、強力な武器を所持していると見られる艦船・不審船に対し、海上保安庁での対応を超えていると判断されたときに、防衛大臣の命令により発令される、海上における治安維持のための行動である。・・・と、ウィキペデァからのコピペ・・・m(__)mです。


2013-07-17 002 012 
しばしば江田島湾の大原沖に現れ、不審な形状をしたオレンジ色の物体を積み込んでいるのは訓練支援艦の「てんりゅう」です。

オレンジ色の不審物体は、標的機と呼ばれるもので、大原特借宿舎地区内にある、海上自衛隊第31航空群に属する、「標的機整備隊」で組み立てられ整備されています。

ちなみに、現在海上自衛隊で使用する標的機は、ファイアー・ビー高速標的曳航機と、チャカIII高速標的機です。

共にターボジェット推進で、時速1000kmに近い亜音速で飛行し、護衛艦搭載の5インチ速射砲や艦対空ミサイルの訓練標的とされます。


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最大8機の標的機を搭載、人知れず江田島湾を後にして、太平洋上に指定された射撃訓練海面へと向かいます。
なを、訓練支援艦として「くろべ」2,200t、「てんりゅう」2,450t、共に、呉港を母港とします。

大原特借宿舎 海上自衛隊官舎

1)江田島町北部・大原特借宿舎 
昭和初期のころまで、当地には津久江と呼ばれる入り江があり、石風呂川からの堆積土砂を覆って葦原が広がっていました。

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昭和5年5月16日、日本海軍水路部刊行の海図です。
小規模な塩田とかはあったかも???ですが、農地としては未開です。

2013-01-04 002 008 (800x592) 
敗戦前夜?の海軍兵学校大原分校(現大原特借宿舎地区)の見取図です。

海軍兵学校大原分校は海軍士官の戦時増員を目的に、昭和十九年十月一日に開校され 敗戦後の昭和二十年十二月一日付で閉校となりました。

 

生徒は 七十四期(昭和17年12月1日入校・昭和20年3月30日卒業) 七十五期(昭和18年12月1日入校・昭和20年10月1日みなし卒業) 七十六期(昭和19年10月9日入校) 七十七期(昭和20年4月10日入校)の合計で四千二百有余名に及ぶとされます。

 

また敗戦時には、江田島本校、大原分校、岩国分校(久賀に移転)、舞鶴分校、及び針尾分校から防府分校へ移転した七十八期(予科)生徒(昭和20年4月3日入校)を含め、15.129名の生徒が在籍していました。

(見取図は図書「海軍兵学校・海軍機関学校・海軍経理学校」1984年からのコピペ・・・m(__)mです。この図面は大原分校完成予定図であり、敗戦処理による進駐軍への引き渡し当時には図左上の埋め立て地や、水雷講堂より南の諸施設は未完のままでした。)

兵学校大原分校S20AB 
敗戦後、連邦軍への引き渡し物件を記した図面です。
今の「青年の家」付近には対空用に高射砲や機銃が設置されていました。

(アジ研資料のコピペ・・・m(__)mです。)

兵学校大原分校S20BB 
「大原分校防空壕要図」です。
図の左、津久茂山の東面や「江田島青年の家」付近には、多数の防空壕が掘られています。

(アジ研資料のコピペ・・・m(__)mです。)


12040002.jpg 
旧海軍兵学校大原分校の正門付近と、それに通ず、石風呂川に架かる橋です。
大原分校時代を残す史跡はありませんが、画像中央、カイズカイブキの枝下に「海軍兵学校 大原分校之碑」が建立されています。


2012-12-11 002 015 
国道487号線を爆走?する軽トラと、石風呂川を挟んで大原特借宿舎地区内に建つ三棟の海上自衛隊官舎です。

2013-03-03 002 057 (800x587) 
古鷹林道から眼下に見る、大原特借宿舎地区(海軍兵学校大原分校跡)です。
事項で説明しますが、この大原特借宿舎地区には、宿舎以外に海上自衛隊の秘密?基地(施設)が紛れ込んでいます。

宮ノ原 いいとこ撮り 1/1

1)miyanohara.jpg 
現宮ノ原地区は、江田島町新住居表示実施日の平成6年2月21日から、旧宮ノ原地区が1丁目と2丁目に、石風呂地区と大原地区が宮ノ原3丁目に指定されました。
 
ちなみに、それまでの江田島町は地番制で、一万九千番台の地番に枝番も加わった、とても分かり難い住居表示でした。

2013-02-25 002 049 
東南の高台から見た宮ノ原の街並みです。

南西に江田島湾が広がり、北東に古鷹山、クマン岳、大原山が北風を遮ってそびえ、その山裾にミカン畑が広がります。


2013-02-25 002 040 
車社会の洗礼を受ける前に作られた、りっぱなお庭です。

今なら高級車が鎮座する位置に、ソテツが大きく枝葉を広げ、周りを梅の古木や南天、サザンカで囲んだ、純和風庭園です。


2013-08-26 002 014 
お宝の詰まった土蔵は、漆喰も白く眩く輝きます。
災難除けのお札は、参議院議員???


2013-08-26 002 012 
両側に商家の並ぶ、昔の宮ノ原メインストリートです。
今は、国道487号線が海側を並行して走ります。


2013-08-26 002 011 
ほんの少し前まで、古鷹山の伏流水を使って「小栗トーフ店」がありました。
ほんの少し前まで、地元の一番おいしい水を使って、各地区に一軒の豆腐屋さんがありました。
ほんの少し前まで、豆腐屋さんの横には醤油屋さんがあり、その隣では味噌を売っていました。
ほんの少し前まで、お米屋さんがあり、酒屋さんがあり、八百屋さん、魚屋さん、下駄屋さん、呉服屋さん、電気、ガス、金物、文房具・・・  
 
2013-08-26 002 013 
ほんの少し前まで、お店の中に数人のお婆さんが寄り合って、通りに向かって好き勝手にしゃべっていました。

2012-11-19 002 039 
だいぶ前のことですが、当時は超ハイカラな赤レンガのお風呂でした。

2013-08-26 002 051 
立派な石組の土台が朽ちることはありませんが、雨に打たれ、風にとばされ、土壁の砂粒が一粒また一粒と剥がれ落ちていきます。
アベリアの白い花、サルスベリの赤い花、むかしむかしの栄華の華々・・・(*^。^*)です。


2013-08-26 002 048 
草生す、旧江田島町漁業協同組合の資材倉庫・・・(*^_^*)です。

2013-08-26 002 049 
板塀が剥がれ、内部の竹組とそれを塞ぐ壁土が・・・
粗末な作りですが、しっかりとした職人さんの仕事が見えます。


2013-03-31 002 005 
石風呂の住宅地に建つ、超近代的アートは・・・
建設省国土地理院制作、作品名「電子基準点」 No.960666 です。

ちなみに、「電子基準点」は、日本全国1.240ヶ所に設置され、国土地理院がGPSで常時観測をしています。
この点は、地殻変動の監視、各種測量の基準点として利用されており、リアルタイムでデータの提供が行われています。

宮ノ原 元 宮ノ原小学校

1)江田島町北部・元宮ノ原小学校 
江田島町が多くの人々でごった返したのは、皮肉にも敗戦直後の動乱期、昭和22年の21.093人(男10.321人、 女11.772人)です。

以後、世上は安定したにもかかわらず、人口の減少は右下がりに続き、平成25年9月1日で江田島町の人口は9.469人(男4,677人、女4,792人)と激減しました。

ちなみに、江田島町(9.469人)、大柿町(7.619人)、能美町(5.588人)、沖美町(3.432人)、を合わせての江田島市総人口は26.108人(外国人484人を含む)・・・(^_^;)です。


2013-08-26 002 032 
平成19年3月に閉校となった宮ノ原小学校です。
南に江田島湾がまぶしく開き、古鷹山系から吹き降ろす風は蜜柑の花香を吹き寄せていました。


2013-08-26 002 017 
黒い御影石の表札は輝いていますが、鉄の門扉には赤錆が・・・

2013-08-26 002 019 
閉校記念碑
創立
1946(昭和21)年4月
閉校
2007(平成19)年3月

宮ノ原小学校校歌
1、古鷹山に あかねさし ・・・
2、青一色の 江田の海 ・・・
3、そよ風吹いて しおかおる ・・・

2013-08-26 002 020 
卒業記念碑?・・・

2013-08-26 002 023 
ある日から、だぁ~~れも来なくなった・・・

2013-08-26 002 018 (800x601) 
夏休みの午後
少年が一人でやってきて、キーパーのいないポストにボールを蹴り込んでいました。


2013-08-26 002 015 
小学校の向かいに、保育園が健在でした。
平成25年9月1日の宮ノ原地区、男390人、女493人・・・(*^。^*)です。

宮ノ原 農道

1)江田島町北部・宮ノ原 農道 
宮ノ原地区の農地は古鷹山系の南西面に広がります。
晴天が続けば10日で干上がる谷川が数本あり、ひとたび大雨が降れば花崗岩の岩山を流れ下る水流は怒涛となって谷を削ります。

長年にわたり浸食された谷は深く、農地を囲むような環状農道の取り付ができません。
そのため、昔からある川に沿った狭小な道が自然発生的に農道となって使用されています。 

2012-11-19 002 034 
農道脇に、色づき始めたデコポン?・・・(*^^*)です。

 

みかんの分類は交雑種もあり複雑怪奇なのですが・・・

ミカン属には、


オレンジ類として、ネーブルオレンジ・福原オレンジ・ベルガモットなど

 

グレープフルーツ類として、グレ-プフルーツなど

 

香酸柑橘類として、カボス・三宝柑・スダチ・ダイダイ・ユズ・レモンなど

 

雑柑類として、夏ミカン・ハサック・日向夏など

 

タンゴール類として、デコポン・イヨカン・せとか・タンカンなど

 

タンゼロ類として、スイートスプリング・タンジェロなど

 

ブンタン類として、晩白柚・ブンタンなど

 

ミカン類として、温州ミカン・紀州ミカン・タチバナ・ポンカンなど、が有り


他にカラタチ属キンカンが有ります。

 

・・・以上、ウィキペディアからのコピペ・・・m(__)mです。

蛇足になりますが、
我が家の庭でも、イヨカンの種から育てた新品種?を育成中・・・(^_^;)です。


2013-08-26 002 039 
水流で削り取られた谷沿いの急斜面に、石垣を組んで作られたミカン畑(山)です。

2012-12-11 002 057 
人の昇り降りも危険な急斜面へは、ケーブルリフトを使って、収穫したミカンや肥料を運びます。

2012-11-19 002 035 
谷沿いの急斜面よりは、まだましな畑ですが、花崗岩が風化した真砂土は少しの雨でも崩れ落ちます。

2012-12-11 002 039 
斜面の緩い畑は、モノレール式の農業資材運搬機が使われます。
島内では、通称「ちぐさ鉄道」ともよばれる、愛媛県の「ちぐさ技研工業KK」が開発したものが多く使われています。

ちなみに、昭和53年の江田島町内でのモノレール設置は39ヶ所、総延長5.742mと記録されています。
収穫量は、ミカン5.060t、ナツミカン111t、ハッサク64t、ネーブル254tでした。
 

2012-12-11 002 029 
宮ノ原大原地区のミカン畑です。
最盛期の昭和40年代には、すべての山々が蜜柑一色でした。

2013-08-26 002 040 
農道の終点で、肥料小屋代わりに使われていた、マツダの「B360」ビーバンです。

2013-02-25 002 039 
ご先祖様が、丹精込めた段々畑・・・(*^_^*)です。

宮ノ原 国道487号線

1)江田島町北部・宮ノ原R287 
中央地区から御殿山トンネルを抜けると、眼前に江田島湾が広がります。
御殿山トンネルは、戦時中、海軍の工事として始まりましたが、敗戦により中断、戦後江田島町が工事を引き継ぎ開通させました。
のち、1993年国道487号線に昇格制定されました。


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JA呉 宮之原物流基地です。
元は、昭和40年10月「江田島農業協同組合 宮ノ原選果場」として新築落成したものです。

ごく小規模なミカン栽培(キシュウミカン)は江戸時代からあったと云われますが、ウンシュウミカンの苗が導入されたのは明治33年です。
戦時中は食料増産のため、イモやムギ畑に強制転換されるなどもあって、本格的にミカン類が栽培され始めたのは、昭和32年、宮ノ原で柑橘技術指導講習会が開かれた頃からになります。

以後、宮ノ原地区のミカン栽培は活発で、ネーブルやデコポンの導入、温室栽培など他地区に先がけたミカン栽培を実践しています。


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もとは宮ノ原駐在所でしたが、現在「宮ノ原コミュニティーホール」と表札が・・・(^_^;)です。

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渡川河口から見た宮ノ原の街並みと、背景に古鷹山です。
国道はこの渡川橋を通ります。


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宮ノ原石風呂地区です。
戦時中、海軍官舎用地として造成されましたが、戦後民間に払い下げられました。

ちなみに、石風呂とは海岸の洞窟などを利用して作った、一種のサウナ風呂です。

約800年前、重源上人が、周防国で東大寺再建の木材を運び出す、役夫の保養のために作った「石風呂」が各地に広まったといわれます。

 

今の江田島に石風呂洞窟はありませんが、地名として、鷲部地区、宮ノ原地区に残っています


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石風呂地区への登り口は、法面が花崗岩の石材で組まれ、満開の桜並木で飾られています。

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宮ノ原大原地区には、陶芸「江田島焼」の窯元、沖山工房があります。
江田島特産のカキ殻を利用した陶器、など、など、斬新な作品が数多く作り出されています。


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特別養護老人ホーム「誠心園」です。
わたくしも、そろそろ予約を入れとかなければ・・・(^_^;)です。

宮ノ原 宮ノ原漁港

1)江田島町北部・宮ノ原漁港  
宮ノ原漁港は江田島町内で、もっとも早い時期に近代化漁港として整備された良港です。

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宮ノ原地区の背後、クマン岳登山道から見た宮ノ原漁港と、江田島湾を埋め尽くすカキ筏群です。

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カキ筏の移動作業を終え、小型タグボート「一栄丸」が入港します。
潮の流れが速い瀬戸の水道を、カキ筏を引いて走るのには高い技量が必要です。


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港内でしばし休息中の作業船「第十八喜代丸」です。
カキ筏を決められた場所に正確に設置するための作業船です。


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年期は入っていますが、まだまだ現役です。

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漁港の防波堤から見た、宮ノ原の家々です。
背景中央に、とんがって見えるのが古鷹山(394m)です。


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防波堤先端から見た、波穏やかな江田島湾です。
中央、海面上の黒点は海上自衛隊の護衛艦、右側、黒っぽい山のトップが能美町の真道山です。


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防波堤突端の水銀灯に、カモメが・・・(*^。^*)です。

宮ノ原 大原山・帆立岩

1)江田島町北部・帆立岩・大原山 
宮ノ原地区の背後には古鷹からクマン岳を結ぶ尾根が続きます。
その途中、クマン岳に登る登山道の途中に「帆立岩」があります。
大原山は地区の最北にそびえますが、登山道は未整備です。


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帆立岩です。
板状に風化した中粒の黒雲母花崗岩が、江田島湾から吹き抜ける南風を受け止めます。


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岩尾根に直立する帆立岩の高さは5m、眼下に宮ノ原漁港、対岸は能美町中町です。

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花崗岩風化の妙として、尾根や岩山上に奇怪な岩塊を残すことは良くあります。
一般的には、サイコロのような立方体に風化しますが、タマネギ状であったり、船形であったり、真円に近い球形であったり、その大きな球体が真ん中から真っ二つに割れていたり、奇抜な造形をもつ花崗岩は島内各所に点在します。


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尾根道から見た江田島湾、遠く山口県の島々も見えます。

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大原山の中腹、農道の終点です。
わずか十数年前、見渡すかぎりのミカン畑だったのが、いまは雑木が生い茂りイノシシの楽園となっています。
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