大須 大須瀬戸

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フェリーの船長から頂いた、「廣島彎 1/75000」昭和5年6月7日海軍水路部発行の海図です。
大須瀬戸最狭部の大須椎ノ木鼻から似島外方ノ鼻まで約800m、最大水深42m、潮流は下げ潮流1kt、上げ潮流3/4ktで、海底電線が横切っています。

ちなみに戦後の海図には、大須山(259m)、大原山(343m)と標高が記されていますが、当時(戦前)の海図では広島、呉湾近辺の標高が故意に抹消されています。


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瀬戸に向かう大型貨物船、江田島市(能美海上ロッジ・中町・高田)と広島(宇品)を結ぶ高速艇、長く伸ばしたロープの先にカキ筏を結び全力で引っ張る小型タグボートです。

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かっては大須港へも立ち寄っていた市営フェリーですが、現時点ではこの航路を走るフェリーは無く、似島の北側を廻り、江田島(三高)と広島(宇品)を結ぶ航路(江田島汽船)に集約されています。

(画像は2003年3月11日のものです。)
 

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似島下高山をバックに、マツダの車を運ぶ自動車専用運搬船「第二東洋丸」です。

ちなみに「第二東洋丸」は2008年10月30日、呉市にある「警固屋船渠株式会社」の第二工場で進水、大阪の海運会社「三徳船舶株式会社」が保有管理し、マツダで作った自動車を広島から東京や千葉に運びます。

全長115m幅20mで、載貨重量が3605DWT、 総トン数4898GT:乗用車715台と、 トレーラーシャーシ40台を搭載できます。


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艦番号DE-229、 艦名あぶくま、 三井造船玉野事業所において19881231日進水、 19891221日竣工、護衛艦隊第12護衛隊に所属し呉基地に配備されました。

呉港を出港してから約30分後に大須瀬戸を通過します。


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呉港に帰投するため、瀬戸へと急ぐ、輸送艦「しもきた」です。

艦番号LST-4002、艦名しもきた、 三井造船玉野事業所において20001129日進水、 2002312日竣工、 第一輸送隊に所属し呉基地に配備されました。


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「しもきた」は先日、1月15日午前8時ごろ、阿多田島沖合において、釣り船「とびうお」と衝突した「おおすみ」艦番号401と同型艦で、全長 178.0m、全幅 25.8m、 深さ 17.0m、基準排水量が8,900 tで最大速力は22ktです。

衝突現場は大須瀬戸から西に20分くらいの航路上です。
 

潜水艦(大須瀬戸) 
Google マップで見る大須瀬戸です。
航跡をのこして呉港に向かう潜水艦が写っています。


潜水艦(大須瀬戸)A 
大須瀬戸を行く潜水艦の拡大画像・・・(*^。^*)です。

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大須林道からもよく見えます・・・(*^。^*)です。

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真下に大須瀬戸を見ながら、ゆうゆう飛行船が往くこともあります・・・(*^。^*)です。
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大須 大須林道

1)江田島町北部(大須林道・海岸周回・県道297号)a 
大須から大須砲台跡(大須山)を経由し、幸ノ浦峠までの全線が開通したのは2、3年前です。 

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大須から大須砲台(大須山)に登る途中、木々の間から大須地区が一望できます。
手前が大須集落の甍、右に白く3階建ての元大須小学校があり、防波堤手前の赤い桟橋が大須フェリーの発着場・・・(^_^;)でした。
大須瀬戸を挟んで、対岸には似島が大きく横たわり、さらに広島市の五日市方面が遠望できます。
三角形の山は似島の下高山(203.1m)で、安芸小富士はもう少し右になります。


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南側、津久茂瀬戸の方向です。
山桜の花が白く輝き、春霞の海面にはカキ筏が整然と並びます。

ちなみに、カキ筏(12m×25m)にはホタテガイの貝殻を串刺しにした、長さ10m(5m×2本)のワイヤーが700本海中に吊るされ、1本5mのワイヤーからは100個~150個の大粒カキが収穫できます。

とすると、カキ筏1台で14,000~21,000個、殻つきのカキ1個を100円として140万円~210万円なり~~~ ・・・ヽ(^o^)丿です。

注) カキ筏のサイズは地域により10m×20mだったり、ワイヤーの全長も水深やプランクトンの浮遊状態により10m~6m等さまざま、1台当たりのワイヤー本数も600本~800本、もちろんカキの収穫量も天候その他の状況により激変します。
いわゆる「みずもの」・・・(^_^;)です。


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中央に見える三高山(砲台山401.8m)の尾根には日露戦争を控え急遽構築された「三高山堡塁」があります。
この三高山堡塁は西日本最大規模とも云われ、280mm榴弾砲6門、ピッカーズ式9連加砲や、弾薬庫等を備えた総面積6万坪の巨大な堡塁で、併設の大那沙美島砲台、鶴原山砲台、鷹ノ巣低砲台、岸根砲台、鷹ノ巣高砲台、室浜砲台、大君砲台、早瀬第一堡塁、早瀬第二堡塁、休石砲台、高烏堡塁、大空山堡塁と、広島市段原の要塞司令部をもって、広島湾要塞とし1926年(大正15年)8月1日まで広島湾と呉軍港の防備に当たりました。

今は「創造の森森林公園・砲台山」として整備されていますが、「夏草や 兵どもが ・・・」 (^_^;)です。


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三高砲台山の右に鶴原山砲台、さらに岩根砲台の乗る岩根鼻、奈佐美瀬戸を挟んで大奈佐美砲台の有った大奈佐美島、背後は鷹ノ巣高砲台、低砲台のある宮島です。

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大須瀬戸に向かう巨大鉱石運搬船です。
船名が分かりませんので目測ですが、おそらくパナマックス型のバラ積船(鉱石運搬船)・・・(^_^;)です。

 

ちなみに「パナマックス」とは、パナマ運河を通航できる最大船型という意味で、長さ900フィート(約274m)以内、幅106フィート(約32m)で、喫水12m(熱帯淡水において)、最大高が57.91m以内の船で、ばら積み船の場合は載貨重量トン(D/W)が6万〜68,000トンクラスの船を指します。

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青い海に弧を描いて進むのは、宇品港から高田、中町港に向かう旧江田島市営フェリー(現在この航路は高速艇のみ運行)です。

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広島市街や元宇品のプリンスホテル、宇品灯台も見えます。

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北側直下には幸ノ浦、右上、切串から沖へ伸びる屋形石の岬、飛行機雲の先には矢野の絵下山デジタルTV電波送信用鉄塔がかすかに・・・(*^。^*)です。

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幸ノ浦から切串にかけて、江田島では珍しく平地が広がりますが、元は山、広島市の海岸埋め立てで土石が削り取られた跡です。
40年が経過し、やっと緑が・・・(^_^;)です。


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眼下は幸ノ浦地区、おむすび形の島は峠島です。

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林道を彩るゲンカイツツジ、3月20日ごろから咲きはじめ約1ヶ月楽しむことができます。
ちなみに、ゲンカイツツジは日当たりを好みますので、高木の多い林内よりも林道工事で削られた法面や岩肌の見える荒れた土地で本領を発揮・・・(*^。^*)です。

大須 北西部海岸道路

1)江田島町北部(大須林道・海岸周回・県道297号)a 
津久茂から海岸沿いに差須浜、大須、幸ノ浦までの農業用道路が開通したのは昭和48年5月、一般車両も通行できるように大須港、差須浜港をまたぐ橋が架けられたのが、昭和54年9月になってからです。

また、現在でも一部離合が困難な個所があり、順次道幅を広げる工事が行なわれています。


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津久茂側から見た、差須浜の方向です。

ほぼ全線にわたり道路の路肩が堤防の役割をしていますので、純粋に自然海岸と呼ばれる場所は少ないのですが、まだ自然と触れ合うことのできる海岸線が残っています。

最新の土木技術を駆使した、道路兼用であって手軽に「さと海」に親しみ、遊べる親水海岸道路とかにするなら、いつやるの? いまでしょう・・・(*^。^*)です。
 

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これは、杭打式垂下とよばれるカキの養殖法です。
大正末期に発案され昭和20年代には全盛となりましたが、今は水深の深い沖合でカキ筏を使った、筏式垂下養殖法が一般的です。

現在、このような杭打式垂下法はカキの採苗や、幼貝の生育を一時的抑制する生育調整、幼貝を空気中に露出させることにより、風や日光などに当てて耐病性を向上させる目的、等で使われています。


広島県のカキ養殖海面(江田島近海) 

ちなみに、広島湾から江田島市周辺にかけての海域は、県内でもとくにカキ養殖に適していて、江田島市のほぼ全周が赤く塗られたカキの養殖海面となっています。

カキ生産量 
県別のカキ生産量では広島県が断トツの一位、江田島市のカキ生産量を示す最新のデータは見当たりませんが、養殖海面の広さから見ても第一位、あるいはそれに次ぐ生産量を誇っていることに間違いはないとおもいます・・・(*^。^*)です。

注) 上の図は広島県水産海洋技術センターで作成された「広島県のかき養殖漁場」のコピペ、下の表「カキむき身県別生産量」は広島市農林水産振興センター水産部HPからのコピペ・・・m(__)mです。

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人の作った人工物ではありますが、今は風景の一部として自然と同化しています。

ちなみに松の枝下に見えるサーモンピンクの部分は、花崗岩中に時々見ることのできる、ペグマタイトと呼ばれるもので、後期白亜紀(1億年~6500万年前)この地域の花崗岩が固化する直前に濃集し、最後にゆっくりと固まったために大きな結晶と化したものです。

ピンク色の部分がカリ長石、灰色半透明の部分が石英で、黒っぽい雲母などを含むこともありますし、その成長過程で空洞が生じた場合などは、そこで自由成長を始めた石英が水晶となって残る場合もあります・・・(*^。^*)です。


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南の方向に津久茂山、右の山裾からが津久茂瀬戸で、さらには江田島湾へと続きます。

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西の沖合には、白い灯台の安渡島(10.6m)が浮かび、貨物船やタグボートが行き交います。
手前に浮かぶのはカキ筏、それに舫っているのは釣り船みたいです。
左上、背景でとんがっているのは宮島の霊峰、岩船岳です。


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差須浜(大須2丁目)の集落を過ぎると、鼻グリの岬が大きく海へと突き出し、その先にある大須(大須1丁目)の集落とを完全に2分します。
気のとおくなる歳月を、瀬戸の急流と寄せる荒波で削られた花崗岩岩肌は、島内唯一の奇怪な造形美を作り出しています。


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穏やかに見える波頭ではあっても、まさに「涓滴岩を穿つ」・・・(*^_^*)です。

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大須瀬戸を往く巨大鉱石運搬船、呉の日新製鋼所へ鉄鉱石を運びます。

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瀬戸を吹く潮風に若松が耐えます。

大須 差須浜の石切山

1)江田島町北部・差須浜石切山 
「石切山」って呼ばれているかどうかは不明ですが、差須浜の南に、かって沢山の石を切り出した断崖絶壁があります。

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昭和の40年代まで稼働していた石切場です。
画像に見えるピークの標高が112m、その最上部の大岩にまで削岩用ドリルの痕跡が残っています。


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昔は登山道もあったようですが、今はイノシシのお散歩コースとなって踏み固められた獣道をトレースして登ります。
乾燥地で日当たりが良いせいか、イバラの類が多く、うっかり踏み込むとサルトリイバラならず、人捕りイバラ・・・
場所は違いますが昔、両手両足首元を巻かれ、10分ばかりまったく身動きが取れなかったこともあります。
画像は、人の血を吸って真紅に染まったサルトリイバラの実・・・(^_^;)です。


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頂上付近の断崖から見る絶景、石柱にはL字の切込みがありますので、標高標識ではなくて境界線標識のようです。
このあたりの尾根から北側に戦時中に作られた、丸いすり鉢状の遺構や、兵舎跡と思われる平坦面がありますので、国有地境界?を示す標識なのかも・・・です。


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左に断崖絶壁を見ながら石切山の尾根を北に進むと、直径10m位の廻りを石で囲ったすり鉢状サークルが2つあります。
作りは荒いですが、天端石に切れ込みがあったり、下部には水抜き?用に開けられた穴などもあり、プロの石工さんの技が見えます。


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ネット資料「呉周辺の防空砲台」によりますと、大須山防空高角砲台の付属設備として構築されたもので、150cm探照灯や、空中聴音装置などの設置跡だと思われます。
石積みサークルの縁から見た西の方向には、広島湾への出入口となる奈佐美瀬戸や、その向こうには宮島の霊峰、弥山も見えます。


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北の方向に目をやると眼下に差須浜の集落、そして似島と安芸小富士、その向こうに霞むのが広島市の江波から廿日市あたりです。

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すり鉢状サークルの脇に、戦後になって積まれただろう無名の石碑が立っています。
工事中の事故、あるいは米軍航空機の攻撃により亡くなられた方がおられたのかも・・・
黙祷 ・・・ m(__)mです。


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さらに石碑の裏側には、風化し真砂土となった尾根の一部を土塁代わりに利用した50坪くらいの平坦地があります。
コンクリートで作られたトイレの一部らしきものも残っており、探照灯や聴音装置を運用管理する兵員舎、あるいは発電機建屋などが置かれていたのでは?・・・


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余談となりますが・・・
かって日本中の町や村々では、それぞれに近くの山から石を切だして整形し、家々の土台としたり、石畳を敷き、路肩を固め、護岸工事から、防波堤、ほぼすべての工事において、その地域の石が重用されていました。
よく、日本は木の文化、西洋は石文化だといいますが湿潤な大地から木の建造物を守るその基礎は石ですし、加藤清正の熊本城しかり、西洋に負けない石積み技術とその建造物は今も沢山残っています。

ただ近年になって、コンクリートが万能と吹聴されるにいたり、古い石積みは取り壊され、またはコンクリートを盛り上げて埋められるという情けなさ、崩れたのなら積なおし、増設も縮小も自由自在、しかも無限に再利用ができる、エコな日本の石文化が忘れられようとしています。

今、生コンを運ぶミキサー車を見ない日はありませんが、切石の角をハンマーで叩いて一つずつ丁寧に積み上げる現場や、鉢巻をし腰に分厚いエプロンを着けた石工さんの姿を見ることはほぼ皆無です。

画像は、切串、小用間の林道にある石積みです。
昭和53年の江田島町大規模林野火災の復旧工事として、昭和60年頃に作られた広場の土手を補強するものです。
おそらく江田島町(現江田島市)のからむ公共事業で、石積みが使用された最後のもので、のちのちは指定文化財となるかもの貴重な歴史遺産?・・・(^_^;)です。

大須 大須山・大須防空高角砲台跡

1)江田島町北部・大須山 
大須地区の背後にそびえる、標高259.5mの大須山は、広島湾やその入口である奈佐美瀬戸が一望できる絶景の地です。

そのため太平洋戦争(大東亜戦争)初期、敵航空機の飛来を想定した防空用高角砲陣地が構築されました。


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近年になり、大須林道が整備されたため、大須山防空高角砲台跡へは車で上ることができるようになりました。

ネット資料「呉周辺の防空砲台」によりますと「大須山防空高角砲台」が計画されたのは昭和16年2月、当初3基の高角砲を設置する予定でしたが、昭和17年7月、89式40口径12.7cm連装高角砲2基をもって竣工したとあります。

同時に付近の山々や見通しの良い尾根を利用し、150cm探照灯や、空中聴音装置などが配置され、密林の奥にはこれらの設置跡や管理用兵舎の痕跡が今も埋もれています。

ともあれ、林道ピークの駐車場から大須山山頂に向かう途中、最初に目にするのがこの赤レンガで作られた兵舎です。

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窓枠から覗いた内部です。
設計は良さそうですが、造りは雑に見えます。


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付近には水源となる谷川などはありませんので、屋根に降った雨水を利用していたのかも・・・

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天井や裏側を囲む壁は崩れ落ち、往時を想像する手掛かりはありません。

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兵舎の横を通って高台に出ますと、コンクートの大きなすり鉢状窪地が三つ、おむすび形に配置されています。

画像にあるすり鉢状の遺構は、89式40口径12.7cm連装高角砲の設置跡です。
この砲は、日本海軍が高角砲としてはじめて設計したもので、昭和7年に正式採用となりました。
砲弾重量23kgを装薬34.32kgを使用して、最大射程14,622m、高度9,439mまで打ち上げることができました。

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林道の完成に合わせ、一度はきれいに整備されましたが・・・

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砲台跡から見る、広島宇品の方向です。

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砲台跡を離れ、大須山山頂に向かう登山道から・・・

対岸の似島にそびえる安芸小富士(278.1m)がもっとも美しく見える場所です。


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右にカメラをふると、奥に元宇品、右の小島が江田島と宇品の中間に浮かぶ峠島です。

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大須山頂上(259.5m)に埋められた三角点の石柱です。

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真冬の澄み切った青空のもと、雑木林にすこ~し暖かい風が吹くと、そこに妖精たちが現れます・・・(*^。^*)です。

大須 大須フェリー桟橋・大須港・差須浜港

江田島航路(2014-01-10) 
上図は江田島市HP「バス・船時刻表 路線検索」 よりコピペした航路図です。

江田島市では航路やバス路線の見直し作業をしておりますので、上記航路等をご利用の場合、江田島市HP等で最新の情報を取得更新してください・・・m(__)mです。

2014年1月10日現在、大須港に立ち寄る定期航路はありません。

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大須フェリー用桟橋と大須港待合所です。
かって通勤通学の人々でにぎわった大須桟橋ですが、先年、定期航路から除外されました。
いつの日か再びの賑わいを夢見て、・・・(*^_^*)です。


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この付近の航路幅はわずか数百メートル、大須瀬戸はひっきりなしに大型船が行き交いますが、大須港に立ち寄る船はありません。


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この付近の道路が整備されるにあたり、旧大須港を内に取り込んで、海側にバイパス道を作りました。
そのため、道路が防波堤代わりとなり、港への船の出入りは道路に架かる橋の下を潜るという、当地では斬新な港が出来上がりました。

画像にはバイパス道路兼堤防と、今は廃校となった大須小学校、その右に旧大須港への出入り口となる橋が見えます。 

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バイパス道路の橋から見た旧大須港、港へ伸びる傾斜はスベリと呼ばれるもので、船を整備したり、陸に揚げ降ろしするためのものです。

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今は道路の外側に作られた新港が主に利用され、こちらの旧大須港は台風などが予想される場合の避難港として使われているみたい?・・・(*^_^*)です。

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旧大須港とまったく同じ作りとなった、差須浜港です。

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港の大部分がコンクリトで補強されていますが、右奥に見える石積みは昔の差須浜港を風波から守った堤防の一部です。

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半農半漁、ずっと昔からそうやって生活ができていたはずなんですが・・・

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大須林道から見た大須地区の家並みです。
廃校となった小学校と、道路の手前に旧大須港、外に新大須港とフェリー桟橋、航路幅数百メートルの大須瀬戸を挟んで対岸似島が見えます。

大須 大須川?

グーグル地図(北部江田島町)川名 
大須、差須浜の地区は、島内でもっとも風光明媚な地域ですが、当世、電気や水道そして車道のない暮らしは成り立ちません。

大須地区には小さな谷川が二本ありますが、急勾配の山裾から直に海へと流れ落ちますし、西の差須浜地区には、その谷川さえもありません。

花崗岩の岩肌を下る谷川には、途中に水を溜めるような場所もなく、少しの日照りにもやきもきする生活が長く続きました。

その大須、差須浜地区に待望の簡易水道が設置されたのは、東隣の幸ノ浦地区も含め、昭和45年6月で、両地区全129戸への給水が始まりました。

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大須地区には2本の小川が流れますが、これは東側を流れる水源です。
かぼそい流れですが、整備された庭園を思わせるすてきな景観です。

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残念ながら、その岩清水からほんの数m下流は、コンクリーで縁取られ、家庭排水も混じった汚水路に早変わり・・・(^_^;)です。

また、西を流れる谷川はコンクリートで覆われた暗渠となり、川ではあっても簡易車道としての役割が重要視されています。
 

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西隣りの差須浜地区には谷川らしいものはなく、崖下(現在は道路下)に湧く清水や、手掘りの井戸が利用されていました。 

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大須地区と差須浜地区を分ける岬の高台に、手入れはされていますが、年代を感じる給水タンクが稼働中です。
昭和45年6月の簡易水道設置に合わせ作られたものですが、昭和53年10月、すべての施設が江能水道企業団に統合されました。


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給水タンクのある岬の高台から見た差須浜地区の家並です。

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又、その岬を削って平成14年3月、農業集落排水処理場として大須浄化センターが稼働を始めましました。
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