飛渡瀬 梅迫川・高須川

4)能美町・沖美町南部(梅迫川・高須川) 
飛渡瀬地区には地区の最南部江田島市総合運動公園付近を源流とする梅迫川と、能美町との境界に位置する真道山(286,6m)から流れ下る高須川とがあります。

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梅迫川の最下流部、っていうか、江田島湾の最奥、内海港(北飛渡瀬港)の一部?です。 大潮の時期ともなれば、防波堤を越さんばかりに潮が満ちてきます。

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枝下で人目を避けて休んでいたマガモさん、突然にカメラを向けられて焦っています。

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春、4月5月となると、沢山の緋鯉や真鯉が風を切って泳ぎはじまます。

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両岸を石垣で組んで、まるで用水路のような梅迫川です。

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江田島では珍しく平地を流れるために、中流域?にまで海水が入ってきます。
川底に生える、緑色の綺麗な藻はスジアオノリ?・・・たぶん (^_^;)です。

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梅迫川上流部の棚田です。
しばらく前まではどの田んぼにも人影があって、秋には黄金色に染まっていたのですが・・・

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早春の高須川上流部、お爺さんが一人農作業中です。

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小春日和の2012年11月27日、稲刈りが終わった後の田んぼで、刈り取った稲株から再び新緑が芽吹いています。
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飛渡瀬 軍艦大淀慰霊碑・慰霊堂

4)能美町・沖美町南部 軍艦大淀慰霊碑 
江田島湾の最奥、北飛渡瀬港からさらに先へと続く防波堤をそのまま北上すると、若桜の下に軍艦大淀慰霊碑と、小さな慰霊堂がみえます。

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軍艦大淀慰霊碑へと通ず、防波堤兼用の細いコンクリート道です。 
正面に霞む尖った山が古鷹山、そして軍艦「大淀」の最後の活躍と、その最期をみとった内海が防波堤の右、春風を受けさざ波をたてます。

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桜花の下、黒御影石には大淀のシルエット画と、「軍艦大淀戦没者碑誌」が刻まれています。

以下、碑誌の全文・・・m(__)mです。

 太平洋戦争の末期、日本国内は長期にわたる戦争のため、あらゆる物資が極度に欠乏し、南海に数々の功績を残した当時の最新鋭巡洋艦大淀も、重油不足により乗組将兵と共に江田島湾の奥深く、飛渡瀬内海沖にその英姿をかくしていた。

 昭和二十年七月二十四日未明のこと米国海軍機動部隊は、突如として土佐沖に姿を現し艦砲射撃を行うと同時に、艦載機による本土攻撃をはじめた。不幸にも大淀はそれらの艦載機の発見する処となり、約一時間におよぶ波状攻撃を受けた。大淀乗組の将兵はこれに屈することなく機銃、高角砲、主砲までも砲門を開き迎撃を敢行した。然し航空機の波状攻撃にはおよばず、戰死傷者続出し、艦内各所に火災が発生し猛威をふるうに至った。米海軍艦載機はその後も攻撃の手をゆるめることなく、五日間断続的に攻撃を繰り返した。

 艦上に炸裂する爆弾、天空も裂けよとばかりに火を吹く主砲、そして高角砲、間断なくうち続けられる機銃、せまい内海を尊い血潮で紅に染めつつ勇敢なる将兵は激戦を続けた。このような極限状況下にあって、当時の飛渡瀬警防団および国防婦人会は、戦闘の合間をぬって燃え続ける艦の消火活動や負傷者の救出、手当等に必死の活躍を続けた。然しその甲斐もなく、昭和二十年七月二十八日、遂に軍艦大淀は十発以上もの至近弾直撃弾により浸水はなはだしく、横転し内海沖に没した。この間、草間四朗大尉以下二百四十余名の若き生命は、祖国の栄光を信じつつこの内海に散華された。

 多くの遺体を荼毘にふす煙は、飛渡瀬の空を三昼夜覆い、純朴な島民の涙をさそった。再び繰り返してはならない、戦争の惨状を後世に伝えると共に英霊の冥福と平和への願いをこめて慰霊碑は建立された。

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花崗岩自然石に大きく、軍艦大淀戦没者之碑と・・・

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斎垣の奥には、岡山常男氏作成の(軽)巡洋艦大淀模型が展示されています。

ちなみに、軽巡洋艦大淀の艦名は宮崎県の大淀川に由来し、潜水艦部隊の旗艦となるべく建造されましたが、のちに改装され、194454日から同年929日までの間、大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦となりました。

 

起工 1941214 呉工廠

進水 194242

就役 1943228

 

基準排水量 8,146トン

全長 192.0m

全幅 16.6m

最大速力 35.5ノット

航続距離 18ノット/8,700海里

 

主砲 三年式 15.5cm60口径)三連装砲2

高角砲 九八年式 10cm65口径)連装砲4

乗員 730

 

19457281200時頃に江田島湾内海において米軍航空機との熾烈な戦闘の末、被弾転覆着底しました。

 

なを、1947年9月頃?から1948年7月頃?にかけ、転覆した船体を復元して引き揚げ、ドック(呉造船所)まで曳航し解体されました。

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建立は、昭和42年12月、草間四郎大尉以下乗員240余柱の英霊が祀られます。
季節をとわず、碑前に生花が絶えることはありません。

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さらには、木仏を安置した慰霊堂が凜として建ちます。

利根・大淀1947-12-15B 
画像は、国土地理院アーカイブからのコピペ・・・m(__)mです。

米軍撮影1947年12月15日、江田島湾最奥、内海に浮揚作業中の「大淀」が、さらに能美町の中町沖には重巡洋艦「利根」の艦影も見えます。

飛渡瀬 毘沙門堂

4)能美町・沖美町南部 毘沙門堂 
能美島志(1763年)に、飛渡瀬村毘沙門原に毘沙門堂あり。

当時すでに毘沙門原との地名があることから、毘沙門堂の建立はそれ以前であったと想像できます。

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鬱蒼とした木々の下、小さな丘の頂へと、端正に組まれた石段が続きます。

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銀瓦のお堂の屋根に、秋の木漏れ日がまぶしく反射します。

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お堂正面の格子戸にはガラスがはめ込まれ、堂内の様子が見え隠れします。

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整然と組まれた垂木の上には、重量感のあるいぶし銀の瓦屋根が乗り、四季の雨風をさえぎって営々本堂を守っています。

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毘沙門堂の境内に植えられた大桧の枝下には、赤い前垂れを着たお地蔵様が・・・

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お堂の裏に、文禄四年(1594年)の毘沙門堂建立を記す石柱が建ちます。

文禄四年と言えばまだ豊臣秀吉が全盛のころ、四天王とされる武神毘沙門天が尊ばれる時代背景があったのかも・・・(*^。^*)です。

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昭和57年、毘沙門堂改新築の寄附者芳名が残ります。

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毘沙門堂の小丘から、飛渡瀬内海の小落へと下る秋の小道・・・

柿木の葉っぱも残り少なくなりましたが、枝先の数枚が飛渡瀬を駆け抜ける海風になびきます。

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画像は新聞切り抜き記事で、原画は「大柿地区歴史資料館」に保管されています。

 

大柿町の毘沙門堂

150年ぶりに改築

きょう地区民らが落成式

 

佐伯郡大柿町飛渡瀬の金比羅堂が改築され三日、地区の人たちによって落成式が行われる。改築は約百五十年ぶり。

毘沙門堂は文禄四年(1596年)同地区にあった極楽寺本尊の十一面観音と並び祭っていた毘沙門天を、高僧が現在地の毘沙門原に堂を建立、安置したと伝えられている。その後、文政十年(1828年)再建されたらしく堂守の同所、鉄工業岩崎伝吉さん(62)の話では「今回が二度目の改築になる」という。

改築費用は、約十メートルの参道修理を含め六百万円。金毘羅原の門徒四十二戸をはじめ地区出身者たちから浄財を集めた。

新しい毘沙門堂は、旧堂よりも一回り大きく鉄骨組みのヒノキ造りで約十七平方メートル。岩崎さんと長男の光さん(34)の二人が、仕事の合間をみて七月から三カ月がかりでこつこつ建設した。

落成式では、岩崎家に仮安置してある本尊の金比羅天と不動明王をみこしに乗せて新しい堂に安置、法要を営むほか、紅白のモチを出席者に配って完成を祝う。
 昭和57年11月3日

飛渡瀬 妙覚寺

4)能美町・沖美町南部 妙覚寺 
飛渡瀬地区の中心部、旧道から少し西に登った高台に浄土真宗「妙覚寺」が建ちます。

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古い時代に積まれた石垣の上、どっしりと建つ山門がむかえます。

ちなみに、お寺の門を山門または三門とよびますが、山はお寺の山号たとえば「寂静山妙覚寺」にある寂静山から、三は悟りを得る為に通る三解脱門(一切を空と観ずる空解脱、一切に差別相のないことを観ずる無相解脱、さらに願求の念を捨てる無願解脱の三三昧)の教えからお寺の入り口にも解脱の門であるとし三門と・・・(*^_^*)です。

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開基は室町のころに建立されたと云われる極楽寺(真言宗)でしたが、のちの慶長元年(1596年)浄土真宗に帰依し「寂静山見寿院妙覚寺」の寺号公称を許されたと云われます。

 

極楽山(現竈神社)から当地に伽藍を移した時期は不明ですが、正徳四年(1714)の火災により、木仏ご本尊さまを残すのみで全てを消失、宝暦五年(1755)五月十二日、現在の妙覚寺本堂の棟上に至ったと云われます。
のち、昭和59年の大修復を終え、平成13年には江戸時代の石組を残したままの鐘楼が新築されました。

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再建当時に植えられたと思われる大イチョウが、妙覚寺伽藍を見下ろします。

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寂静山(じゃくじょうざん)の山号が寺額(扁額)として掲げられています。

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昭和59年の大改修で彫られたと思われる木鼻とよばれる部分で、正面を向くのは獅子、左を向いて彫られているのは獏であろうと思われます。

ちなみに、象と獏の彫はよく似ていますが、獏の耳は立ち、象は耳を垂らして彫ると云います。

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本堂の軒丸瓦には蟹(カニ)?と彫られているようですが???
蟹が泡を吹いて、火難を防ぐ???

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平成13年に作られた鐘楼と、その脇には枝垂桜が植えられています。

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落ち着きと、風格のある山門です。
 
ちなみに山門の軒丸瓦は極楽寺と同じ三つ巴の火難除けと、桃をイメージする宝珠が乗っていますので、大正のころの修復?ではないかと想像します。

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境内を眼下する大イチョウ、その右には大正11年、宝珠を乗せたお経堂(経蔵)が建ちます。

飛渡瀬 胡子神社・飛渡瀬港

4)能美町・沖美町南部・胡子神社・飛渡瀬港 
かって海水路のあった飛渡瀬地区は、北の江田島湾(内海)と南の呉湾側(外海)と2つの港を持ちます。

また、海の神である胡子神社は北飛渡瀬港(内海港)のそば、江田島湾に面して建立されています。

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えびす神社は胡、胡子、恵比寿、蛭子などたくさんの表記で呼ばれますが、島内では胡あるいは胡子とされます。

蛭子神(ひるこ)系えびす神社の総本である西宮総本社を頂点として、日本には約3500社のえびす神社があるといわれ、海上や漁業の神様として全国津々浦々に祀られています。

ちなみに毎年の1月10日、TV報道で話題になる、開門と共に一番福を取るため230メートル先の本殿を目指して一目散に駆ける行事が行なわれるのが、この西宮神社の「十日戎開門神事福男選び」と呼ばれる行事です。

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お参りしようと近づくと、突然猫さんが頭をもたげ威圧してきます。

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違うって。
賽銭泥棒じゃないって。
お酒も嫌いじゃないけど、神様にお供えしたものは持っていきませんって・・・(^_^;)です。
 
ちなみに、お供えのカップ酒は、呉市にある千福酒造で醸造された「上撰Vパック青180ml」

アルコール分15,5度、希望小売価格200円(税別)・・・(*^。^*)です。


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裏側もしっかりとセコムされています・・・(*^_^*)です。

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江田島湾を挟んで、秋月林道から見た北飛渡瀬港(内海港)、 のどかで波静かな船溜まり・・・(*^。^*)です。

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桟橋に通ずる石組の突堤です。
建設時期は不明ですが、石の並びが戦前っぽい感じです。

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今までに見たタグボートの中では、もっともお気に入りの配色がされています。

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こんなペンキの塗り方って、好きだなぁ~~~ ・・・(*^。^*)です。

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波の静かな江田島湾の最奥ですので、カキの種苗にも好適地なんでしょう。
かきひびが整然と並びます。

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呉湾に面した南飛渡瀬港(外海港)です。
此方側にも石組の防波堤が現役で使われています。

青空のもと、呉湾の向こうに横たわるのは倉橋島の山々になります。

飛渡瀬 極楽寺・稲荷社

4)能美町・沖美町南部 竈神社・極楽寺・稲荷社 
竈神社と境内を同じくして、極楽寺と稲荷社が建ちます。

と、いうか?・・・明治19年、同じ境内に竈(かまど)神社が大きく再建されるまでは、この丘を極楽寺と呼んでいた?ようです。

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詳しい資料がありませんのでわかりかねますが、極楽寺開基は天文(1532年~1555年)のころで、お堂は大正のころに再建されたようです。

また、大柿町誌に極楽寺、飛渡瀬山中にあり、遺跡の上に観音像を安置している。との記載があります。

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お堂正面には寺額「極楽寺」と、妖しげな彫像が・・・

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妖女を彫ったその下に・・・

南無観音勢士菩薩
  御利益
正月拾七八ハ初観音
七月九日ニ参拝スルオ方ハ四万八千八日参拝ナサレタ程ノ御利益アリ
毎月十七八日ハ御命日ナリ
 大正拾三年八月
   當村 発起者
 御参拝者様

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軒丸瓦(あぶみ瓦)には、火難を避けるための三つ巴が彫られています。
軒飾りには獅子が乗り、堂の頭頂部には宝珠が乗っています。

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桃をデザイン化した、とても立派な宝珠(擬宝珠)です。

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境内入口には極楽寺開祖、了尊法師の慰霊塔が建ちます。

文面を要約しますと、極楽寺は山号を極楽山と云い、御本尊は十一面観音像で弘法大師之作と云。
天文八年に城州(山城の国)嵯峨法林寺において出家した了尊法師によって開基、伝々・・・

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裏に回ると、傾斜地を巧みに利用した石組がお堂をしっかりと支えています。 

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いわれは不明ですが、朱に染められたお稲荷社が境内に華やかな色どりを添えます。

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建立は新しい感じですが、ずっしりと重みを感じる造りとなっています。

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商売繁盛、家内安全、江田島がもっともっともうかりますように・・・(*^。^*)です。

飛渡瀬 竈神社 2/2

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竈神社拝殿に掲げられた奉納品の数々・・・

宮大工さんの緻密な設計が丸々見て取れる、天井の木組みから下がる大提灯です。
提灯に描かれた三つ巴は、同じ境内に建つ極楽寺の瓦にも多用されています。

巴とは、人が腹ばいになる姿を現す象形文字ですが、図柄が水が渦巻くさまを現しているとし、平安末期の建物に葺かれた軒丸瓦などに、火災除けとしてこの巴紋を施しました。

さらに三つ巴は、八幡様の神紋ともされました。

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奉納 昭和63年7月祥日 有限会社 大幸建設
画は信長の演じる「敦盛」、人生五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり・・・

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奉納 昭和五十九年九月吉日 大迫 ハル

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古そうな天狗?さん

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奉納 平成十年八月吉日 大倉 山観 作

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昭和五十五年吉 藤坂

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昭和五十八年吉 藤坂 作

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馬 神馬 駿馬 ・・・(*^。^*)です。

ちなみに、「駿馬痴漢を乗せて走る」ってことわざも・・・(^_^;)です。

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救命艇が赤い色ですので、日本丸?・・・(*^。^*)みたい。

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御神輿の上に取り付ける鳳凰・・・(*^。^*)かも。

ちなみに、古代ユダヤの聖櫃(アーク)と日本の神輿(みこし)は、良く似ている・・・とか???

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天井から下げられた大提灯には・・・
平成二十三年九月吉日 大井康喜 大井康裕
 
牡丹の花に乱舞するチョウチョの絵・・・

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神殿の屋根が銅葺に替えられた、昭和63年(1988)に降ろされた鬼瓦です。

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鯱(鯱鉾・魚虎・しゃちほこ)の対です。
ちなみに、しゃちほこの発案者は織田信長、安土城の屋根をキンピカに飾ったとか?・・・

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狛犬(こまいぬ)も対となって残っています。

ちなみに起源は古代オリエントにあり、のちにインドで仏様の守護獣(ライオン)であったものが、中国唐の時代に獅子となり、仏教とともに朝鮮半島を経て伝わったとされ、高麗犬とも呼ばれます。

飛渡瀬 竈神社 1/2

4)能美町・沖美町南部 竈神社・極楽寺・稲荷社 
飛渡瀬の地名は、かっての安芸郡江田島町と、佐伯郡大柿町とを分かって南北に通船が可能な水路があり、その水路は人が飛び越せる程度の瀬であったことから・・・だと、云われます。
(江戸時代前期の頃?)

2004年11月、安芸郡江田島町と佐伯郡大柿町、能美町、沖美町の4町合併により江田島市となりましたが、明治期に海軍兵学校が江田島(村)へ移転するまでは、面積でも人口や経済力でも勝っていた能美島(東西能美島)が優勢であり、ここ飛渡瀬の地で能美島に接するする枝のような島である江田島の名を冠とすることを嫌ってのすったもんだもありました。

ちなみに合併当時は3万を超していた人口も2014年2月26日現在、江田島町9,395名、大柿町7,595名、能美町5,577名、沖美町3,417名、総計で25,984名と大激減しました。

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飛渡瀬地区の緑に囲まれた小さな丘の上、明治のころ氏神社としての竈神社(かまど神社)が建立されました。


  竈神社由緒
 


     祭 事 記


祭 神

     奥津日子命 奥津比売命 金山彦命

 相殿  市杵島比売命 狭依比売命 素戔嗚命
 大山祇命

祭 礼  春 祭 四月

     秋 祭 十月

     例大祭 九月(四年に一度)

 

       由 来 記 

当杜の起源は詳らかではないが、荒神を祀ることに始まったと言われる。
正徳五年(一七一五)には、この境内に荒
神社が存在したことが知られ、文政二年(一八一九)の記録によると、この杜は年々三、六、九月の三回、大原の神主小方氏を招き祭礼を行っている。明治に至り神祇改革に関する太政官布告があり、これに基づいて同五年(一八七二)四月八日、火の神、金山彦命を合祀して杜号を竈神社に改めたと伝えられている。

         

       沿    革

明治十九年(一八八六)海軍兵学校(現在江田島の第一術科学校)開設予定敷地内に在った鷹宮神杜の杜殿を申し受け、現在の拝殿、幣殿を建立したが、故あってこの頃から、当神社をこの地域の氏神社とした。

大正四年(一九一五)本殿の改修及び大鳥居、石燈籠等の寄進によって神域を整え、更に昭和十七年(一九四二)の神殿修復を経て、昭和六十三年(一九八八)に各社殿の銅板葺、神輿蔵の建替、参詣道の補繕等の大改修を行い、神威の高掲を図り、この神境に具現した。

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大鳥居の脇、見上げる大きさの忠魂碑が建ちます。

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最上部には砲弾が乗せられ、裏に昭和7年9月 在郷軍人會の名が見えます。

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狛犬を配し、端正でバランスのとれた拝殿が建ちます。

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手入れも行き届き、境内もきれいに掃き清められています。

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お祭りの準備中?だったかも・・・(*^。^*)です。

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本殿の千木も力強く・・・

ちなみに千木には男千木、女千木の別がありますが、この竈神社は男千木のようです。
祭神の奥津日子命(男)と奥津比売命(女)はともに大年神の御子神で食べ物を煮炊きするかまどの神様とされます。
のちに合祀された金山彦命(男?)はイザナミ神(女)の嘔吐物から化生した火の神で、鉱山や鍛冶場に祀られます。


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本殿を乗せる石組台座です。

築石一式
大正四年九月吉日
寄附者
盛本梅太郎

すてきな石組・・・(*^。^*)です。

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