柿浦 楠田川・倉川湧泉井

4)能美町・沖美町南部 楠田川・倉川 
柿浦地区最大の川、楠田川が地区の最北部を東に流れます。
大柿町史によれば流路延長920m、流域面積が0,48平方キロメートルです。

他にも急峻な谷を駆け下りる流路500mにも及ばない小川が数本ありますが、すべてコンクリートで蓋をされ、水路としてよりも生活道路として重要されています。

2014-05-19 002 147 
イノシシ被害や農業者の高齢化で、ほんの一区画だけが残った、楠田川の水を引く田んぼです。

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赤レンガで丁寧に組まれた、貯水タンクです。

地図に名の無い小さな小川も、かっては地域住民の命を左右するものとして、一滴の水も粗末にすることなく蓄えられ、最大の配慮をもって分配されていました。

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中郷地区を流れ下る小川(倉川?)の最下流部分です。
打ち寄せる瀬戸の波がゴミを逆流させないように、格子の扉が下ろされています。

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最下流から数十メートル遡った位置にある、古い民家です。

左下に、コンクリートで固められた小川があり、さらにその上をコンクリートの蓋で覆って、生活道路として使用されています。

この民家が作られた当時、部屋のガラス戸を開けて手摺にもたれれば、すぐ下の水路をクロダイやコノシロが勢いよく泳ぐ姿が見られたでしょう。

この手摺のある濡れ縁は、右に見える厠への渡り廊下を兼用します。
同じような造りの廊下と厠の配置は、この地区で同時代(昭和初期?)に造られた民家に共通していて、今でも古いお家に多見されます。

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前記、柿浦荒神社 2/2 で掲載した、「落人のさと 中郷(二位の谷)古しるべ」墨書板の脇にさらにもう一枚、「倉川伝承記(湧水井)」なる板が掲げられています。

内容は「落人のさと・・・」の一部と、ほぼ同じですが・・・

倉川伝承記(湧泉井)


此処には今は無き倉川の在り、古老の語る伝承の荒ましを積年の聞き取りを基に記するものとする。

今を去る千余年の昔、いづくの地よりか、遠浅の浦を伝い船人が此地に落ちのびて来た。

七戸半かまちの者の二戸の先住者により中郷は拓かれた。との、村の由来が今に語り継がれる。

始め此地をニイの谷と呼び無人の谷間に密かな発祥の明かりをともすとされ是をいつの頃よりか中の谷と改め、文化年間には中の合から中郷えと移り変わるとされる。

時に集落十余戸を数ゆ。

生業については谷間にて農耕に向かづ、すべて船稼業に頼るとは糧の乏しきを哀れにも語り伝へる。

寛政八年六月、及び其後の度重なる大小風水害による海面を埋立てる迠は、船が倉川に横着けされ、飲み水を汲み取って居た。

故に船川として永く大舟主、末友左衛門尉の所有に置かれ、元禄年間に至り、時の有力者、倉田氏の手に移り、以来、倉川の名が残る。と、古老の語り伝える処。

是より約百八十年を経て、明治初年に戸長木村倉次氏の名義となり、其の一字を用い、倉川となる。の、二説在りて今日に至るも、舟川より倉川に終る用の変還を見るに往時は、水枯水餓饉も頻発し其の都度遠くより水乞いに水豊かな倉川道に行列し先を争ら。

此の時は長老指図のもとに若衆等が提灯を立て、水配りに不眠の夜を明かしたとの水物語りさえも残る。

為に水場は命に次ぐものとされ厳に水の掟を定め春秋の二度、井戸替、水神祭の習俗行事も明治末までは堅く守り継がれて来た。

古説倉川が海に続いて居たに就いては大正始め頃に於いてもなを、エビ、ハゼ、の小魚が住む白砂清流を保ち、昔の名残りと見える海石も多く散見され、此の石を洗濯台に上半身裸で洗物をする女性風俗、朝夕は水桶を天秤棒で担う水運び姿、入浴の替りに水浴びをする者、漬物用の四斗樽を川砂で磨くもの、総じて歌や音頭に合わせ釣瓶水を汲上げる仕草は今昔さながらに一景の水場風俗を織りなす。

思らに昭和四十年上水道普及による井戸無用化へと進み、同五十五年の山崩れに惜くも石囲いの一切が地中に没して往時の影を何一つ残さず、此侭では遠からず其の名さえも風化させて行くであろう時風化させてはならぬ郷千年の無形遺跡として湧泉井倉川伝承記を今玆に標し、懐古の事蹟を後世に永く語り継がねばなりません。


昭和五十六年水無月  奥田権太郎 文識

           武本 巽  書

 

いづくより 流れ来られし 方ならん 千年の古びし 井にぞ問いかく

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湧泉井倉川から、さらに谷を遡った位置に「北迫中郷ポンプ所」があり、今も清水を汲み上げています。
平成18年8月の江田島市、呉市大断水では付近住民の大きな支えとなったことでしょう。

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今は使われることのなくなった崖下の湧水井・・・
かろうじてコンクリトで塗り固められることなく、壁面に小さな口を開きます。

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旧柿浦街道の商店街だった位置に、一つの井戸が大切に守られています。

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金比羅神社の直下、かっては大賑わいの井戸だったんでしょう・・・(*^。^*)です。

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柿浦 鳶ヶ鼻

4)能美町・沖美町南部 鳶ヶ鼻 
柿浦港を台風の風波から守る、絶好の位置に突き出した岬を鳶ヶ鼻(とびがはな)と呼びます。

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柿浦港防波堤灯台(白)の向こう、満潮時には陸から離れて小島に見えるのが鳶ヶ鼻の先端、さらに沖(左)の方に暗礁(浅瀬)を示す、緑の灯標が小さく見えます。

緑の灯標は港の入口や航路を示すもので、大柿港に入港する船舶はこの灯台を左に見ながら進みます。
この緑の灯台と鳶ヶ鼻の間には浅瀬(障害)があることを知らせます。

当然ですが、出航船は緑の灯台を右に見て沖の早瀬水道へと進みます。

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柿浦港防波堤に建つ、この大きな灯台は

柿浦港沖中防波堤西灯台
かきうらこうおきなかぼうはていにしとうだい)

位置  
北緯341046秒 東経1322829

初点灯   1983年(昭和58年)120

塗色        白色

構造        塔形 コンクリート造

灯質        単閃緑光 毎3秒に1閃光

光度        120カンデラ

光達距離 5.5海里 約10.2km

高さ        平均水面上から灯火まで12.74m

地上から頂部まで9.48m

上記はすべて・・・
HP:呉市要約筆記サークル「灯だい」

灯台フォトギャラリーからのコピペ・・・m(__)mです。

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南側から見た鳶ヶ鼻先端です。
左側向こうに、江南地区の燃料タンク群が、さらに遠くには呉市街や近郊が霞んで見えます。

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満潮時には黒く見える部分がすべて海中に没します。

鳶ヶ鼻地質図 地質調査総合センター 
上記画像は「産業技術総合研究所 地質調査総合センター」20万分の1 地質図のコピペ・・・(^_^;)です。

江田島市内にみる岬や鼻と呼ばれる、海に突き出した部分の多くが、周りの花崗岩よりも風化に強い花崗斑岩(後期白亜紀の珪長質火山岩類貫入岩)と呼ばれるものです。
江田島・能美島の母体である、呉花崗岩が地下数千メートル(10km?)で自然冷却し、固まる寸前あるいは直後の地殻変動で無数のひび割れが生じその割れ目を押し広げて溶岩が流れ込み(貫入)、急冷したものが花崗斑岩と呼ばれるものです。
花崗岩に比べ、より急速に冷却したため、一部の例外を除き結晶粒子が細かく、風化に耐性があります。
 
ちなみに花崗岩も地表まで吹き出せば火山噴火と呼ばれ、溶岩や火砕流となりますが、地下10km位の位置に留まり、200万年から300万年をかけてゆっくりと周りの岩石と同じ温度に冷やされ、さらに8千万年を要して隆起し、上層の10kmにおよぶ堆積岩等が風化消滅して、花崗岩本体の最上部が現れているのが今の江田島市です。

詳しくは http://wakiwakidonn.blog97.fc2.com/blog-category-11.html へ・・・(*^。^*)です。

花崗岩岩体の最上部には、花崗岩が結晶する際に取り残された、一部の元素(物質)のみが濃縮された晶洞(ガマ)とよばれるものができやすく、その晶洞内には数百万年かかってゆっくり作られた水晶や、長石の素晴らしい結晶が作られています。

参考として http://wakiwakidonn.blog97.fc2.com/blog-entry-3173.html ・・・(*^。^*)です。

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潮が引けば鳶ヶ鼻先端まで歩いていけます。

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鳶ヶ鼻で、鳶(トビ)を見つけることはできませんでしたが、近くの浜辺にカワウを発見。

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1970年代には、国内生息数3000羽以下にまで激減しましたが、現在は少し増えすぎたようで害鳥として嫌われ始めているとか・・・(^_^;)です。

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柿浦地区には特筆される山は見えませんが、能美島志に柿浦山(御堂山)との記載があります。
柿浦山がいずれなのか不明ですが、小高い丘の上から見た鳶ヶ鼻です。

柿浦港防波堤の先に鳶ヶ鼻、その先に引島があり、早瀬水道の向こうが倉橋島となります。

柿浦 妙覚寺 2/2

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寺社の屋根瓦はいずれも凝った造りで、しかも多種の部材がうまく組み合わされて荘厳な大屋根を形成します。
部材それぞれに形状が違い使用目的も異なり、さらにそのすべてに名称がつけられています。
残念なことにその説明に足る知識がありませんので、画像だけを掲示します。

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太陽光の位置や撮影場所が良かったせいで遠くの屋根瓦を身近に写すことができました。

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本堂横には車寄せ風の出入り口が付随します。

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本堂とは違う、優しい感じの鬼瓦が乗ります。

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東司(トイレ)の鬼瓦です。
本堂の軒丸瓦にも「蟹」と書かれています。
また、飛渡瀬寂静山妙覚寺の軒丸瓦も同じく「蟹」とあります。

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改築前の本堂に乗っていた鬼瓦が展示してあります。

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上と同じものでしょうが、微妙にデザインが違うような?・・・

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ほんまもんの「鬼」瓦・・・(*^。^*)です。

柿浦 妙覚寺 1/2

4)能美町・沖美町南部  柿浦妙覚寺 
柿浦中郷地区の急斜面から流下った土石がやっと均された、小規模ですが、いわゆる扇状地のかなめに柿浦妙覚寺の伽藍が建ちます。

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狭い敷地を目いっぱいに本堂の庇が覆い被さります。
決して大きなお寺ではありませんが、均整がとれたがっちりした造りです。

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寺額には、金泥をもって「光雲山」とあり、浄土真宗本願寺派光雲山妙覚寺の威容を堅持します。

ちなみに、飛渡瀬にも同じく妙覚寺がありますが山号を「寂静山」(じゃくじょうざん)とし、浄土真宗本願寺派寂静山妙覚寺となります。
仔細は存じませんが飛渡瀬の妙覚寺が本家筋にあたるのでは?・・・

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頭貫の木鼻を飾る彫刻は獏、切れ味のよいノミで深く鋭く彫られています。

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高欄(手すり)を支える支柱には真鍮の擬宝珠が輝き、細部まで丁寧に作られた様子がうかがえます。

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回廊の上に、時計を模したような円盤が掲げられています。
この円盤と、時計の針?が何を意味するのか解りかねますが、柿浦説教所、再建と書かれた文字、多数の人名が読み取れます。
想像ですが、元は説教所としてあった小さなお堂を、光雲山妙覚寺に発展させるための祈願書?・・・

あるいは、寄付金集めのルーレット板???・・・(*^。^*)です。

2014-06-16 002 (108) 
境内の一角にはずっしりとした鐘楼がかまえられ、青銅の大鐘が垂下します。
「昭和二十三年八月鋳造」の文字と、沢山の寄付者御芳名が彫られています。

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境内の内も外も綺麗に手入れされ、早春の花々がこぼれるように咲きほこります。

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2014年4月10日、お釈迦様の誕生会、花まつりとかがあるのかな?・・・(*^。^*)です。

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内も外も、仏も人も、み~~~んな、みんなで、花まつり・・・(*^。^*)です。

柿浦 胡子神社

4)能美町・沖美町南部  柿浦えびす神社 
柿浦港は近年になり大々的に整備され、かっての面影は微塵もありません。

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柿浦胡子神社がいつ頃から祀られたのかはわかりませんが、かっては波しぶきを浴びる位置だった境内も二重三重の防波堤に守られ、さらには昭和63年の改築により、花崗岩石柱による重厚な玉垣で飾られています。

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境内に胡子神社の経歴を示す白板が立ちちます。

それによれば

建築年月日 不詳 木造瓦葺1棟 拝殿 木造瓦葺1棟

昭和22年11月20日 新築建替え 社殿 木造銅板葺1棟 大工山本美達、末中内兵衛

昭和63年11月吉日 神殿及び境内の改築 大工山本木策 基礎工事山根建設 石材工事鴻上石材

以下、寄付者芳名・・・

柿浦アーカイブ19480107
国土地理院アーカイブ航空写真(昭和23年米軍航空機撮影)のコピペ・・・m(__)mです。

この時代、すでに現在地に鎮座、付近には当時のコンクリート護岸の一部が残っています。

2014-05-22 002 008 
しめ縄(注連縄)に挟みこまれた紙垂(四手)が五月の風にそよぎます。

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しめ縄は、社にむかって右の方を本と呼び太く作ってあるのが普通ですが、全国の神社にはそれぞれに個性的なしめ縄が張られています。
今話題の出雲大社では、日本最大といわれる重量が4,4トンのしめ縄が、左右を逆に張られているとか・・・

2014-03-31 002 159 
客船待合所とペンキ書されたプレハブ小屋が・・・
柿浦港にはかって、定期航路があり、当然ながら待合所もありました

大柿町航路乗客数(S32)  
上表は「大柿町史(H6,11,3)」のコピペ・・・m(__)mです。

昭和32年、現呉市倉橋島の鹿老渡、室尾、重生から、大柿町の大君、柿浦を経由して広島宇品までの航路が健在でした。

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胡子神社のすぐ隣には、かって食堂だった建物が残ります。
往時には、港で荷揚げ作業をする沖仲仕さんや、網を繕う漁師さん、定期船を待つ商いのおじさんおばさんで、ごった返しの大繁盛店 だったんでしょう。

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胡子神社に対向し、鉄筋コンクリート二階建の大柿町漁業協同組合です。

ちなみに江田島市には、美能、沖、三高、内能美、鹿川、大原、深江、大柿町、東江、江田島、切串と、全11漁協が存在します。

柿浦 客神祠

4)能美町・沖美町南部  柿浦下岡神社 
柿浦下岡地区にある大谷病院から谷沿いの小道を登った先に社殿がありますが、社名額が掲げられていません。
運悪く地元の人にお会いすることもなく、社名も祀神も不明のままでの掲載となりますが、またの良き御縁を期待して・・・(*^。^*)です。

その後、御縁ありまして「客神祠」なり、と・・・m(__)mです。
祭神は「大国主の命」であるとされます。

蛇足となりますが、厳島神社の回廊に入ってすぐの一番大きな拝殿が客神社(まろうどじんじゃ)です。
ここには天忍穂耳命(あめのおしほのみこと)天穂日命(あめのほひのみこと)天津彦根命(あまつひこねのみこと)活津彦根命(いくつひこねのみこと)熊野櫞樟日命(くまのくすのひのみこと)が祭られており、 厳島神社の祭典はここから始めるならわしになっている・・・と。
(「安芸の宮島」よりのコピペ・・・m(__)mです。)

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軽自動車も行き止まりとなる坂道の終点に瓦を乗せて造った、りっぱな井戸があります。
今はめったに使われることもなくなり、周りを壁で囲ってありますが、往時は里人の寄り合う賑わいの場だったろうことは想像に余りありです。

賑わいの井戸から、さらに石垣1段分の小道を登ったその先に無名の社が建ちます。

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拝殿真正面から最奥、御神体の居まで真っ直ぐに見通せます。
多くの神社では、二重三重の扉で覆われ、厳重に施錠までがほどこされる昨今ですが、これぞまさしく日本の神を祀るのにふさわしい、おおらかであっけらかんとした神の居住まいの見本、原点です。

ただ、冬場の北風はさむいぞぉ~~~ ・・・(*^。^*)です。

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戦後の築だと思いますが、ずっしりと威圧感のある、なのに親しみを感じるすてきな設計です。

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本殿側面の白壁に、バランスのとれた屋根が乗ります。

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社の横には、最奥高台に建つ民家へのぼる手摺付きの小道と、さらにその上のミカン畑へと続く小道が共用します。

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社から下には柿浦下岡地区と、さらには柿浦港、その港を台風の風波から守る鳶ヶ鼻と、その先に呉湾、倉橋島早瀬の山並みが見えます。

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この社が、以下のどれに当たるのかは不明ですが・・・

大柿大原の久保利右衛門が宝暦13年(1763)能美島各村の地勢・社(小祠)・寺院(小堂)などを記した「能美島志」によれば・・・

1)客神祠 柿浦村山中にあり、(伝)大国玉(主)の命を祀る。

2)金毘羅祠 柿浦村海岸にあり。

3)大上皇祠 柿浦村海岸にあり、大神宮、蛭子の命、宇賀神を祀る。

4)堺神 柿浦、大原両村堺の山上にあり、道祖神ともいう。

5)御堂山 柿浦山にあり。


(上記は、大柿町史よりコピペ・・・
m(__)mです。)
・・・
と、あります。

柿浦 金比羅神社

4)能美町・沖美町南部  柿浦こんぴら神社 
各地に祭られている金比羅神社のそもそもは、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本宮として、その主祭神である大物主神を祀る神社です。
江戸時代、船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広まり、全国に約600社があるとされます。

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旧道から人一人が通れる路地に入り、崖のような急こう配の石段を登った先に金比羅神社の社殿が見えます。

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一段一段、花崗岩の切石を並べた参道から、柿浦の旧市街やその先の呉湾が一望できます。

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金比羅さんって海の神様なのに、なんだってこんな急な石段の上にあるんでしょう・・・(^_^;)ね。

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アベマキの大樹の枝下、斜面から削りだした僅かな平地に、頑丈な基礎を築いて金比羅社殿が建ちます。

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まだ再建後数十年?、カンナで削りだした白木が輝きます。

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瓦屋根もやっと古色がにじむ程度、アベマキの葉から垂れる水滴をはじきます。

ちなみに、アベマキはクヌギとよく似た樹で、共にシイタケ栽培の原木としても使用されますが、葉っぱの裏に細かい毛が密生し白っぽく見えること、また樹皮が厚いことからコルククヌギとも呼ばれて区別されます。 が、両種の中間的性質をもち判別できかねる樹も多いとか・・・

アベマキの樹皮は戦時中、戦闘機座席のクッション材として使用されたとか、ワイン瓶などのコルク栓としても代用されたとか?耳にした記憶があります・・・(*^_^*)です。

さらなる蛇足となりますが、鬼瓦の下、破風に取り付けられた妻飾りを懸魚(げぎょ・けんぎょ)と呼び、建物を火災から守るため魚を模した飾りを懸けて火伏のまじないとします。

真ん中の飛び出した棒を六葉(ろくよう)、左右に伸びる飾りを鰭(ひれ)中央に垂れ下がる飾りを拝懸魚(おがみげぎょ)あるいは文様により蕪懸魚(かぶらげぎょ)猪目懸魚(いのめげぎょ)などなどの名がありますが、当金比羅堂の懸魚は蕪懸魚鰭付(かぶらげぎょひれつき)と呼べるものです。

柿浦地区では、神社仏閣の他、一般の民家にも懸魚を取り付けた華麗な破風を多く見ます。

2014-03-31 002 139 
社殿の脇に小さな祠があり、衣を朱でそめられた石のお地蔵様が配されています。

明治の神仏分離が令されるまでは、本家香川の金刀比羅宮でさえ、主祭神の大物主の他、十一面観音像が本尊であったりしました。

日本国は、八百万の神々がみな仲良く暮らせる、とても住みやすいところ・・・(*^。^*)です。
 
2014-06-30 203 
新緑の柿浦金比羅神社境内から・・・
この方向って、もしや遠く本家琴平金刀比羅宮の・・・
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