柿浦 農道・野道 1/2

4)能美町・沖美町南部 柿浦農地農道 
柿浦地区では農地に適する土地は僅かです。

飛渡瀬地区との境界に近い、楠田川に沿って上流へと続く道が唯一農道とよべるのですが、上流部の農地はイノシシやアナグマの被害をまともに受けて休耕地となっています。

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荒神社の上にある丘の頂です。

山桜に交じって、桃や梅の花が咲きますが、作業小屋の屋根に降る雨水を溜めただけでは安定した収量を確保することはできません。

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遠くに満開の山桜、谷筋の肥えた地勢を生かしてミカンやウメが栽培されています。

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農作業用の軽トラックが入れるのは、右に見える人家の庭先まで・・・
白い花はスモモです。

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お手てをつないでは通れない細い、野道をゆけば♪・・・(*^。^*)です。

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野道をゆけば、丘の頂に・・・

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街を見下ろす丘の頂はたいていが墓地・・・

中央に見える小さな島は隣町の引島・・・(*^_^*)です。

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ハッサク(八朔)畑です。

ハッサクは江戸時代の末期、因島で発見された雑柑の一つで、島内での自然交配により、たまたま芽吹いた苗から実ったとされます。
その雑柑の味に興味を持った浄土寺住職により、明治の中期にハッサクと名して販売促進を図ったと云われます。

ちなみにハッサクの命名に関して諸説ありますが、苗木を堀り上げていざ販売するにあたり、名前を付ようと、たまたまその日が八朔でしたので、商品名ハッサク(八朔)と名付けたのでは?と、・・・ 私見・・・(^_^;)です。

昔は中日(春分・秋分)の縁日に合わせ苗木市などが開かれていましたので、八朔に苗木を掘り上げるのはごく普通かと・・・

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畑というより庭園・・・(*^。^*)です。

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集落の向こうの丘に、征夷大将軍社のお堂が見えます。

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ナツミカン?、アマナツミカン??、ハッサク???

ナツミカンは江戸中期、山口県長門に漂着した文旦系柑橘の種から発芽したものと言われ、商品名のナツミカン(夏蜜柑)は明治中期、大阪商人により名付けられたと云います。

アマナツミカン(甘夏蜜柑)は昭和初期にナツミカンの枝変わりとして、大分で発見されたものです。

ハッサクは前記の通りですが、さらに命名の新説として「大阪商人名付け親説」を・・・

当時すでに有名になっていた、山口産の夏蜜柑に対し、それとよく似た因島雑柑の名前を何としよう・・・
で、夏蜜柑とは似てるけど違う、なら安芸にもひっかけて秋蜜柑、うぅ~~ん、それじゃ売れそうな名前じゃないし、もっと良い名は・・・そうだ! 秋といえば八朔、ハッサクで決まりじゃぁ~~~って・・・まったくの空想・・・(^_^;)です。
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柿浦 町景色 3/3

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戦前とか、昭和初期とかの古い建物ばかりを紹介しましたが、古くて現代生活にマッチしない家々は次々と取り壊され、住宅展示場とかで見るパナホームとか積水、住友林業仕様の家々に建替えられています。

が、便利主義の今ご時世にあっても、ご当地様式を引き継ぐお屋敷も何軒かは残っています。
昔からのご当地様式を熟知した大工さんや左官さん、屋根屋さんや石工さんの腕前が随所に光る傑作の一軒です。

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街から少し山手に入った位置に、おっとビックリの登り窯です。
今しばらくは使われていないようですが・・・

柿浦地区に窯元があるって話は聞いたことがなかったのですが、これだけの立派な登り窯は趣味の範囲を超えています。

まもなく、個展即売会が盛大に開かれることを期待しています・・・(*^。^*)です。

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路地横に特異な形の倉庫?が建ちます。

屋根に換気専用の小屋根が載り、倉庫の床よりも一段高い位置にある路地から、さらに1mばかりの隙間を作って三つの木戸が??? ・・・(^_^;)です。

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納屋の庇の下は、長物の格納場所です。

手作りの木製ラックには杉の支柱や水道パイプ、木の枝を利用して作ったアングルに竹で作った梯子がひっかけてあります。

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ヤギとプリマスロックとウコッケイと・・・

ヤギやヒツジやニワトリ、昭和の40年頃まではほとんどの農家の庭先で、普通に見ることができたのですが・・・

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ガレージの入口になんと、牛乳の運搬容器(牛乳輸送缶)・・・

昔は当地にも乳牛の飼育小屋があったんでしょうね。
ちなみに、20L用ステンレス輸送缶、19,000円で今も販売されています。

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なつかしついでに・・・
ヒューズ付歯型スイッチです。

子供の頃、玄関の上に取り付けられていて、しょっちゅうヒューズが飛んでいました。
始めは親父の仕事でしたが、そのうちに私が任されるようになりました。

まだ、背が低いので踏台に載ってヒューズを交換するんですが、不安定な姿勢ですので2,3回は感電したり、踏台から落ちたりしました。
そうそう、その当時の懐中電灯は今の筒型じゃなく、キュービック型で上に取っ手が付いてましたっけ・・・(^_^;)です。

ちなみに、磁器製歯型スイッチはヒューズ別売の550円で販売されています。 
お子様やお孫様の教育用に、玄関上に取り付けられることをおすすめします・・・(*^。^*)です。

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高台にあるお屋敷の法面から、今を盛りのオニユリが・・・

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掲示板に張られた「新宮八幡宮例祭」女神輿担ぎ手大募集の張り紙です。

新宮八幡宮は柿浦地区から峠を越えた、西隣の大原にあり大柿町民の氏神として祭られています。
祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の三神で、承平二年(932年)の創建とされます。

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高齢化率37.5%(H24/3/31)の江田島市にあって、一躍老人介護の先鋒となるべく発展中の大谷リハビリテーション病院です。

以下、医療法人大谷会 大谷リハビリテーション病院 の紹介文からコピペ・・・(^_^;)です。

当院は、昭和18年の発足以来、江田島島内の皆様はもとより近隣の島々の皆様にご愛顧いただいてまいりました。「安心して喜ばれる地域医療」の病院理念の下、地域医療の中核を担うべく、職員一丸となって日々研鑽を重ねております。

平成15年4月には、病院を法人化するとともに、“大谷リハビリテーション病院”と名称を変更し、運動とリハビリテーションを中心としたチーム医療体制づくりに取り組み、地域の中核となって医療の提供を推し進めているところでございます。

リハビリテーションのスタッフは、現在では、理学療法士(PT)26名、作業療法士(OT)13名、言語聴覚士(ST)2名と、充実した体制となり、これからも、日進月歩する医療とともに、弛まず職員の教育研修を推し進め、地域の皆様のニーズに対応しながら、常に信頼・安心される病院であるよう努力し続ける所存でございます。

以下省略・・・ (平成24年1月)

柿浦 町景色 2/3

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今は住む人もなく空き家となっていますが、昭和初期の柿浦を代表する民家です。

南向きの玄関から土間に入り、奥は台所、右には風呂や厠があり、左の敷台を上がると田の字型に区切られた4部屋があります。庭に向かって縁側があり、ガラス戸が大きく開かれます。

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同じ民家の右側面です。

正面からだと、入母屋の簡単な造りに見えますが、細部には機能的アイデアがいっぱいの、とても凝った造りとなっています。

厠や貯蔵倉庫、お風呂や調理場となる部分です。
いやいや、昔の人はスゴイなぁ~ ・・・(*^。^*)です。

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入母屋の最上部に載る鬼瓦、さらにその上にシビが立ちます。

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外観、ほぼ同じような入母屋民家ですが、このお家も無人となったようです。

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建築年代は上記民家よりも新しいと思いますが、屋根の組み合わせにセンスの良さを感じます。

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土壁に、骨組みの編竹を覗かせただけの通風兼明り取りと、薄いセメント瓦で葺かれた、超ノスタルジックな納屋です。

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小さいけど、とてもいい感じのお家です。

婆さんや、庭の草がええように芽吹いたで。 
こないだ孫が送った饅頭、出してみぃや・・・(*^。^*)です。

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元は納屋として造られたものをリフォームしたんでしょうか?。
とても興味を引く設計アイデアです。

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上記のお家の右側側面です。
路地に面して、木製のベランダが張出します。

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柿浦地区では、ほとんどのお家に木製ベランダ(手摺付き縁側?)が取り付けられています。

寺院の回廊のように周りを囲ったお家も・・・(*^。^*)です。

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急斜面にぎっしりと家々が建ち並び、それらが細い路地で縦横に結ばれています。

一本の幹が上に向かうにつれ次第に細く枝分かれし、枝の先々で大きな黄金の実を結ぶ夏みかんのように・・・

柿浦 町景色 1/3

4)能美町・沖美町南部 柿浦町 
柿浦地区は、元々多くの人々が暮らせるだけの農地や飲料水に恵まれた土地ではなく、風除けになる小さな港と、そこに集まる小舟に給水できる程度の水がまかなえる、風待ち中継港として発展しました。

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柿浦から西隣の大原へと抜ける、旧街道の一つ常道の峠から見た柿浦の南側街並です。

海に面して中央にこんもりと見える緑が鳶ヶ鼻で、その先は早瀬の瀬戸、さらに倉橋島の山並み、左側最奥の山は呉市の休山です。

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目を左側、北の方向に転じますと、中央に白く見えるのが柿浦小学校校舎、さらに外海を挟んで江田島町の江南地区が見えます。

画像右側の最奥で霞むのは呉市市街地と灰ヶ峰です。

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中郷地区、荒神社のある丘の頂から見た柿浦中郷の谷筋とその先に柿浦小学校、近代化整備が成った柿浦港の一部が見えます。

海の向こうは倉橋島、音戸町渡子付近です。

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金比羅神社上の丘からみた柿浦町中心部と南側の街並、右奥が陀峯山です。

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傾斜地に石垣を築いて造った、柿浦を代表するような民家です。
左に母屋と庭があり、右側に納屋が建ちます。

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納屋は傾斜を利用し一階が家畜小屋や農機具置き場、二階が物置や、ベランダ付の離れ家として利用されます。

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近代になって干拓や造成が進み、平地も作り出されていますが、古くはほぼすべての家々が急傾斜に石垣を築いて建てられ、路地は荷物を背負った人が歩ける程度の道幅しか確保されていませんでした。

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大正から昭和初期に建てられた多くの民家では、生活の便をはかるためと敷地を有効利用するために、厠は母屋のすぐ脇に建てられ、やっと人が歩ける程度の幅で作られた濡れ縁で繋がります。

厠の汲み取り口は、人々の往来する路地に向いています。

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倉庫の屋根から突き出した電柱です。

敷地を有効に利用しようと、電柱の廻りをブロックとトタンで囲い、倉庫としています。
ま、これはユーモアと茶目っ気と、少しのもったいない精神から・・・(*^。^*)です。

柿浦 旧柿浦街道 3/3

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旧柿浦街道と県道44号線が交差する付近には、今も賑わいが残ります。

暖簾の下にまで山盛りに積み上げられたお花の数々、「お好み焼き」って書いてなければ花屋さんと見間違うかも・・・(*^。^*)です。

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街の写真屋さん「重長写真店」です。

このビルには、昔を伝える沢山の画像がいっぱい詰まった、街の歴史博物館かも・・・(*^。^*)です。

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ファミリーマート「ふじい」商店です。

赤を基調に白字の商店名が引き立ち、窓ガラスの白枠には引き締め効果が・・・センスの良い店構えです。

でも?、「ファミリーマート」って白を基調に青文字と緑のストライプで集客する、チェーン店だったんじゃ???・・・(^_^;)です。

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生鮮・青物・果物の「大盛食料品店」です。

となりのたばこ屋さん「住谷たばこ店」の青いテントとも調和が取れていますし、柿浦の看板屋さんはセンス良いみたい・・・(*^。^*)です。

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一軒のお家を半分づつ、右側のお店は看板が錆びて判読不能。

左側も、ここ数年扉が開かれた形跡がありませんが、「バンビ」サントリー生ビールって看板がのこっています。
「お兄さん久しぶり、今日はゆっくりしていきなさいよ」小柄で小鹿のようなスラリとした足のママさんがビールを注いでくれてたんでしょう。

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ふるさとの醤油「濱口醤油醸造場」です。

古びた格子戸がとてもええ感じです。
それに、チラリ見える店内も、昔からの木製棚。
まさか、空の一升瓶を提げて行って、柄杓で量り売りとかじゃ・・・(*^。^*)です。

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いつ頃作られたのか、淡い水色の看板に「雁木角に玉」の紋、香味第一、濱口醤油醸造場。

その下に「日本農林規格認定工場」日本醤油技術センターのJAS認定、左の柱に小さく、全国商工会連合会の「商工会員証」 、舵輪のようなマークの意味は、おそらく手を繋ぐ人々の輪の中に商工会のS字がいれられたのだと・・・(^_^;)推測です。

さらに白く光る小さなプレートは日本赤十字社の「社員」の章です。
お店の歴史がすべて一間の間口に集約されています。

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もう、だいぶ前に商いは止めて・・・

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当時は高価だったろうガラスを、建具屋さんが最高の演出で・・・

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とおい、とおい・・・ 懐かしさの残るガラス戸・・・(*^_^*)です。

柿浦 旧柿浦街道 2/3

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もとは、お寿し屋さんです。
つい先年通りがかったときには、まだ暖簾がはためいていました。

地魚なら港まで100m、タイ、アジ、タチウオ、コハダ、ママカリ、タコ、イカ、エビ、シャコ、ヨナキ、トリガイ、アワビ、漁師さん分けてくれんさいや。
マグロやサバ、カツオ、イクラやウニ、ノリは仲買さん、昼前に届けてくれんさいよ。

そうそう、突き出しにするけぇ~、小イワシとアサリも追加じゃぁ~。
アサリの酒蒸しは女、子供に人気じゃし、イワシは三度洗やぁ~タイよりもうまいけぇのぉ~。

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何屋さんだったのかなぁ~

間口はアルミ戸で7枚、看板は取り払われています。
アルミ戸の家はお好み焼き屋さんと雑貨屋さんじゃ・・・って、ご教示いただききましたm(__)mです。

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りっぱなショーウインドーがありますが、商いとしては細々と・・・

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これを見れば、もう文房具屋さんしか思いつきません。

ちなみに、株式会社トンボ鉛筆の前身は大正2年の浅草に始まり、昭和2年に「トンボ印」を商標としました。
トンボのデザイン画が商標採用されったのは昭和32年、もとは下向きのトンボだったのですが、平成23年になって看板のトンボと同じように、上向きトンボに変更されました。


なのに???、どう見てもこの看板は平成23年よりも、ず~~と以前に作成された感がありますし???。
看板作りのおじさん、トンボが上向きとなることを前もって予知して??? ・・・(^_^;)です。

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古居文具店に掲げられた看板を左側から

 

スポーツ用品 CARP

赤い逆三角形にCARP うぅ~~~ん??? 聞いたことがないなぁ~~~???

 

コクヨ 事務用品・ノート・便箋

「コクヨ株式会社」は1905年、「黒田表紙店」として創業、1917年、朝日に桜、中央に「誉国」と横書きしてコクヨ商標としました。

看板にある変形KOKUYOのロゴが使われたのは、1981年(昭和56年)から2007年(平成17年)までで、200510月に創業100周年を迎えるとともにグラデーションの入ったKOKUYOに一新されました。

 

ぺんてる 絵具・サインペン

「ぺんてる株式会社」は1946 (昭和21)の大日本文具株式会社設立に始まり、1971 (昭和46)に社名を「ぺんてる株式会社」としました。

 

ちなみに、「ぺんてる」の社名由来は、画材専門メーカーとして創業したことからつけられたもので、ペインディングと、パステルを合わせて「ぺんてる」です。

また、筆記具の総称であるペン(Pen)と、伝える・表現するのテル(Tell)の意味も合わせて「ぺんてる」とし、製品や事業内容を象徴します。

 

看板にあるような、龍をぺんてるの商標として使った記録は見当たりません???・・・(^_^;)です。

 

コーリン鉛筆

コーリン鉛筆の商標、三角形の横顔画は大正末から昭和初期の輸出商品の商標として作られたもので、「コーリン」とはアイルランド語で、美人女性の名前?だと云われます。


そもそもは、
1916年(大正5年)「赤木廣八商店」として東京市神田で開業、人気となった商品名コーリンから、昭和22年「コーリン鉛筆株式会社」に改称、1982年(昭和57年)に、三角形の美人顔の向きを左向きに180度変えました。


が、
1997年(平成9年)事業の拡大に失敗し倒産。

のち2009年(平成21年) 「株式会社コーリン色鉛筆」を設立、顔の向きを右向きに戻して、操業を再開しました。

 

看板のコーリン三角顔商標は左を向いていますので、昭和57年から平成9年までのコーリン商標となります。

 

万年筆・ボールペン

看板画のつけペンだけではなく、メーカー商品も取り揃えています・・・(*^^*)です。

ちなみに、昭和40年代初頭までは銀行や郵便局には一般的に、振込用紙の記入用にはボールペンではなくインク壷とつけペンがセットで備えられていた(ウィキペディア)・・・と。

 

ギターペイント

ギターペイントは「寺西化学工業株式会社」の登録商標で、操業は1916年、大阪市に本社を置き、文具・事務用品の製造販売をおこないます。

 

1951年発売のギターペイントは「お空の色はどんな色、お山の色はどんな色、夕焼けの色は?ギターペイント」というテレビCMで、一躍有名になりました。

 

看板にある「?マーク」は1953年発売のマジックインキをイメージして書かれたものでしょう。

 

シャチハタ モルト朱肉

シャチハタ(鯱旗)工業株式会社は、1925(大正14)年に、名古屋市において舟橋商会を創業し「万年スタンプ台」を開発、発売したのが前身です。

 

1941(昭和16)年 舟橋商会を改組し、シヤチハタ工業株式会社を設立、1965年(昭和40年) 看板商品となるインキ浸透印「Xスタンパー」発売。

簡易スタンプ印といえばシャチハタと呼ばれるようになりました。

 ちなみに、モルト朱肉は廃番になり、補充用のモルト朱の油のみ販売しておりますと、シャチハタHPより・・・

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まだカーテンを開けばお店が開けそうな感じですが・・・

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金物屋さんの店先?かなぁ~
赤い酒瓶ケースの2倍くらいの大きさをしたはずみ車が付いた、超大型の単気筒発動機です。

昭和の40年代くらいまでは大活躍したんでしょうが、これだけ大きかったら耳をつんざく大音響を立てて回転してたんでしょうねぇ~。

ぜひとも、どっかの博物館に展示してもらいたいしろもの・・・(*^。^*)です。

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現役の花屋さん。
店先には沢山の草花の種と、胡蝶蘭の大鉢が・・・

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路地側のガラス戸に、鉄棒を上手に曲げて造ったガードがはめ込まれています。
鉄工場のおじさんが、ハンドメイドで作ったんでしょうね。
すてきなデザインに仕上がっています。

この頑丈なお家は、質屋さんだったのかも???・・・(^_^;)です。

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柿浦商店街に沿って、いま光ケーブルが展張されています。

毎朝、奥から取り出した商品を店先に順序良く並べ、はたきで埃をはらったり通りに打ち水をするおばさんや、鉢巻をまいて重い木箱を山盛りに積んだリヤカーを押すお兄さん、長いことみかけませんねぇ~。
やっぱ、光にはかなわないよなぁ~ ・・・(*^。^*)です。

柿浦 旧柿浦街道 1/3

柿浦旧街道 
現在の県道44号線は江田島町中央から大柿町大君を結び、遠回りをする国道487号線のバイパス道路となっています。

旧柿浦街道はそれと並行しますが、軽自動車がやっと対向できるだけの狭い道幅でしたので、昭和40年代に今の県道44号線が幹線道として整備され、1973年(昭和48年)の早瀬大橋の開通に相まって、以後市内最大の交通量をさばいています。

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県道44号線との北側分岐点付近にある製材所の材木加工工場です。

農地の少ない柿浦地区では、他地区にくらべ漁業や海運業、建設業が盛んです。
そのため、海上輸送された木材の貯蔵や加工を行う製材業も盛んに行われていましたが、物流がトラックによる陸上輸送に変わり、地の利を得ていた製材業もかってのようには・・・です。

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街の小さな鉄工工場です。

早朝から周りがうす暗くなるまで、カンカン、ガリガリ、トッテンカン、溶接火花もバリバリと飛び跳ねて、好景気に沸いた時代もありましたが・・・

もともとは、村の鍛冶屋さんだったのかも??? ・・・(*^_^*)です。

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鉄工工場の横は直、自宅玄関になります。

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手をかけて造られた、センスの良い蔵が残っています。

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日焼けて白くなったカーテンの向こうにはどんな商品が並んでいたのでしょう。

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右の路地に入れば金比羅神社へ続く急な石段、その下で酒屋さん?とか経営してたんでしょうか。

ちなみに、看板の清酒「大内山」は呉市中央の大内山酒造(株)で作られていて、最近まで酒蔵とレンガ積み?の四角い煙突がのこっていたのですが、今は???・・・です。

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元は、文具店でした。

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入口のもっとも目立つ場所に、「プラチナ オネスト66」の看板です。

ちなみに、オネスト66とは1957年(昭和32年)にプラチナ萬年筆が発売したカートリッジインキ方式を採用した「プラチナ オネスト60」の改良型で、「プラチナ オネスト66」として1960年(昭和35年)に販売が開始された、インクビンが不要の萬年筆です。

しかし、人気はいまいちで、翌年には後継となる18金ペンの「プラチナ18」が販売されました。

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文具店は少年を守ります。

江田島警察署・少年補導協助員会・江能四町教育委員会、と ・・・(*^。^*)です。

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すべての四輪車がこの大きさなら、狭い道路も4車線に・・・(*^_^*)です。

柿浦 赤レンガ建造物

4)能美町・沖美町南部 柿浦旧市街 
大通りから離れ生活道路に入ると、コンクリートブロックに囲まれた家々ばかりがつづきます。
そんななかに紅一点、赤いレンガで囲まれたお家を見ると気分が華やいできます。

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とくに、この柿浦の町に赤レンガが多いという訳ではありませんが、・・・

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古いものを長く大切に使っている感がただよいます。

2014-07-19 010 
地区の定期的な大掃除や会合を呼びかける張り紙などもよく目にしますし、古くからの住民同士の繋がりが、いまだに強く残っているのでしょう。

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この赤レンガの壁が、いつ作られたものか聞いた訳ではありませんが、見た感じだと大正期ごろかなぁ~~~?。

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以上4点の赤レンガ画像は、香味第一「濱口醤油醸造場」さんの醸造蔵を囲う赤レンガ壁でした。

店先には控えめながら「美味しいふるさとの醤油、1本から販売中 お気軽にどうぞ」の、のぼりも立っています。

2014-06-16 002 (50) 
家の周りをぐるりと囲むブロック塀は好きになれないのですが、赤レンガなら・・・(*^。^*)です。

2014-06-16 002 (51) 
海軍兵学校の赤レンガを積んだ職人さんが???・・・

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残念ながら母屋の方はすでに解体され、敷地を囲む赤レンガの塀だけが残っています・・・

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上記とは別の赤レンガ塀ですが、造りがよく似ています・・・

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戦前に作られた、地区の真水を溜めおく貯水タンクです。

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古い官舎風の建物を囲むのは、赤ではなく黒い色をしたレンガです。

丁寧に積まれてはいますが、レンガ自体の材質が悪く風化が進んでいますので、おそらく戦時中に石炭ガラとか?を利用して作られた代用レンガ?ではないかと???・・・まったくの想像・・・(^_^;)です。

柿浦 柿浦小学校

4)能美町・沖美町南部  柿浦小学校 
江田島市の東側、呉湾に面しては、小用小学校、秋月小学校、柿浦小学校、大君小学校の4校がありましたが、今に残るのはこの柿浦小学校が1校だけとなりました。

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江田島市立柿浦小学校は、交通量の多い県道44号線に接して直に校門が開きます。

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校門を入ってすぐの場所に、荒削りの花崗岩で作られた旧校門門柱が残り、「柿浦尋常小学校」と彫られた大理石プレートがピッタリと収まっ ています。

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そして、柿浦小学校校歌を記した石版が・・・

作詞 岡本 喜代蔵
作曲 山本 秀

瀬戸の内海 いやきよく
続く白浜 銀の波
幸ある島に はぐくまれ
とわに伸びゆく 柿浦校

めぐりて広き わたつみの
心とけあい 手をとりて
遠き光を あおぎつつ
希望高なる 柿浦校

光みなぎる 朝の海
あふるるいきに 三百の
心ひとすじ 学びてぞ
ああ限りなき みちゆかん

校歌が作られた当時の児童数は約300名、平成25年5月1日の柿浦小学校児童数は43名です。

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ゆとりのない狭小な学校敷地ですが、高く大きく石を組んで、二宮尊徳先生之像が建ちます。

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植えられた経緯は不明ですが、校門から校舎玄関に向かう通路に、トウジュロがきっちり等間隔に植えられています。

ちなみに、ワジュロ(和棕櫚)は単に棕櫚(しゅろ)とよばれ、中国南部から日本南部が原生地とされます。
トウジュロ(唐棕櫚)は中国が原産で江戸時代に庭園樹として移入されたものです。

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春休みの校庭、少年野球のクラブが練習中でした。

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表は大柿町史(H6,11,3)からコピペ・・・m(__)mです。

明治初年、大柿町(村)管内にも多くの学校が開校されていますが、今も同名で残るのは「柿浦小学校」のみで、大原小学校が現「大古小学校」に佐伯中学校が現「大柿中学校」となり全7校中3校が残ります。

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先年大きく埋め立てられた、沖の方から見る柿浦小学校校舎です。

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校庭の金網に宿根性のリュウキュウアサガオ(オーシャンブルーまたはノアサガオ)が大きく蔓を伸ばして絡みます。
その金網の外、今はコンクりーとの小道となっていますが、もともとは柿浦小学校を波浪から守る防波堤でした。

柿浦 柿浦港に見る船

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小型底曳き網漁船
当地でもっとも普通に見る漁船です。

夫婦で乗り込み、後部から4m×1mくらいの鉄枠に張られた網を降ろして、海底を数十分間引きまわします。

海底の状況や、時期、操船技量により漁獲量や魚種は大きく左右されますが、カレイやヒラメ、タイ、メバル、タコ、ガザミ、エビ、シャコ、ナマコ、大型貝類など瀬戸内海に生息するほぼすべての幸を一網打尽に・・・とはなかなか・・・(^_^;)です。

一時期は底曳き景気に沸いたこともありますが、現状は船の燃料代がやっとで、乗り組むのはみな古希を目前にした老夫婦ばかりです。


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貨物運搬船?
当初は釣り船?として作られた感じですが貨物運搬目的に改造されています。
想像ですが、番船?として地区の農産物を呉市場に運び、帰りには商店主に頼まれた日用雑貨を満載して届けたのでは?・・・

かって大活躍した船も、ここ数年まったく使われることもなく、ただ朽ち果てるのを待っている状態です。

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小型巻き網漁船
最新の高出力エンジンを搭載し、小イワシやシラスを専門に追っかけます。

通常は見張り用高速船×1隻、巻き網漁船×2隻、運搬兼警戒船×1隻の、計4隻で船団を組みます。
見張り用の高速船が見つけた小イワシの群れに、網を搭載した2隻の巻き網漁船が近付き、タイミングをみはからって一気に網をおとし、2隻が扇形に開いて小イワシの群れを追います。

フルスロットルで小イワシの群れの前に出たら網を閉じて船上に巻揚げます。
すくい取った小イワシは、もう1隻の運搬船に積み込み全速力で加工工場まで運びます。
鮮度の良い状態で熱湯にくぐらせたものは、より品質の高いイリコや釜揚げシラスとなって高価に取引されます。
 
網元は小道水産、船名は「第三・第五水産丸」です。

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ちなみに、上記の小道水産とは別の網元ですが、巻き網漁船の「第十二・第十三誠運丸」の二隻がシラスで満杯となった網を乗員総出、力一杯に引き揚げていました。

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釣り船
手前2隻とも釣り船ですが、右の小さな船は普段はサラリーマン、土日のみ沖で小魚を釣っての…半遊漁船、行動範囲も早瀬水道から倉橋沖くらいまでになります。

中央は昔ながらの本格的な釣り船で、専業漁師仕様となっています。
早瀬水道でタイやタチウオを釣ったり、遠く諸島水道くらいまでは十分に行動範囲に入ります。
時期によっては、イカ籠漁や延縄、僚船と協力して網を引いたりもできる万能タイプの漁船です。
船名は「かもめ」、でも、もう羽をひろげて大海に飛び立つことはなさそう・・・(*^_^*)です。

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台船
甲板に何もない状態だと台船あるいはデッキバージとよばれ、さまざまな大型貨物をワイヤーで固定したり、物によっては鉄の甲板に直接溶接したりもして大型貨物や重量物を運びます。
通常自前の推進装置を持たず、タグボートに曳航されたり、横抱きされて目的地に移動します。

画像の台船は長期間の行動ができるように、居住施設が追加され、救命兼作業用ボートが搭載されています。
居住施設には真水タンクや冷蔵庫、トイレやシャワーもあり、電源はポーダブル発電機により供給されます。

現在は長期行動のできる大型クレーン船仕様になっていますが、手前にある大型クレーン車は、キャタピラー付きで陸上仕様のものをそのまま搭載していますので不要となれば即座に降ろして、空きスペースをつくることができます。

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大型グレーン専用台船・作業支援船
前記の台船とは違い、こちらの台船、(有)浜先海事「第二住吉号」は設計段階から長期行動可能な大型クレーン専用台船として造られており、クレーンも固定式となっています。
重量物品の海上移動なども請け負いますが、主には港湾工事などに従事し、大型コンクリートブロックの運搬据え付けなどを得意とします。

手前の小舟「第七住吉丸」はクレーン台船「第二住吉号」の作業支援用で、台船を海上に固定するアンカーの設置や揚収、もやい索の展張、乗員の移動や台船の微動調整等に使用されます。

「第二住吉号」には操舵室らしいものが無いので、自力推進装置(プロペラ)は付いてない?と思います。
よって、移動時にはタグボートあるいはプッシャーボートが必要です。

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土石運搬船
採石場で土石を搭載し、指定された海面まで運び、正確な位置に適正量を投入、港湾や岸壁の基礎となる捨石の運搬船「こうけん」です。

船首と左舷前部に開閉可能なアプローチ桟橋をもち、土石の搭載や陸揚げ、海中投入に利用します。
また、船首部分には二本のポールがあって、海底に打ち込むことにより船を固定してより正確な作業ができます。
海中への土石投入には後部の固定クレーンのほか、大型バケットローダーを神業的に操って迅速に作業を進めます。

土石運搬船「こうけん」自体には推進装置はありませんので、後部に専用プッシャーボートがぴったりと合体して移動します。

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海上ガソリン・軽油スタンド仕様のボックスバージ
利用者が少ないのか?あまり役に立ってはいないようですが・・・(^_^;)です。

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海上休憩所
室内にはソファーにテーブル、テレビが見えますので、バーカウンターや冷蔵庫もきっとあると思います。
でも、沖に浮かぶ休息所までの定期船はありませんので、休息するには泳いで渡らなくっちゃ・・・(^_^;)です。

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夏になれば、大君地区の市営長浜海水浴場に移動します。


ちなみに今年の営業日は、7月19日(土)~8月24日(日)までです。


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最新の係留施設の端っこに、いまにも浸水しそうな老巧船が・・・
ヒロ2261 HS3-16530 「漁宝丸」 ウインチや大きな生けすがありますので、底曳き漁が全盛のころには、きっと大活躍をした・・・(*^_^*)です。


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