大君 引島

5)大柿町南部・引島・長島・我島 
引島(ひきしま)は、先年廃止となった、市営大君桟橋の沖200mに浮かぶ、外周が500mの細長い島です。

鬼あるいは弁慶の怪力で引き伸ばされたとか引っ張ってこられたとかの伝説をもち、「大君まちおこし」の象徴にもされている地元民自慢の島です。

ちなみに、沖野島、我島、長島は大柿町深江に属し、大黒神島は沖美町岡大王に属します。

水晶プロット(江田島2012) 
このような細長い島が海上に残ったのは、鬼や弁慶の怪力以上に、自然のメカニズムから生まれるさまざまな力の集合があったからです。

大柿町はすべて花崗岩の上に存在しますが、この広島花崗岩類は約8千万年前に中国大陸南方の沿岸、地下10kmで作られたといわれます。

江田島市の地質図をみると南北方向にいくつもの筋が入っていますが、この筋は広島花崗岩類(呉花崗岩)が固結する寸前に、さらなる地殻変動でより深部から割れ目を伝って上昇した、やや珪質分が多く浸食に強い花崗岩類(花崗斑岩や珪長岩)です。

そのため、長い年月による風化浸食にも耐えて、残った花崗斑岩岩脈の一部が引島の骨格となりました。

他にも市内各所でみる岬の先端部分には、花崗岩類の中でもわりと浸食に強い花崗斑岩や珪長岩が残っています。
 
ちなみに地質図は「産業技術総合研究所 地質調査総合センター」の刊行図書で、水晶やペグマタイトの産出位置情報は2012年現在のものです。
詳しくは、 http://wakiwakidonn.blog97.fc2.com/blog-category-11.html をご参照ください。

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もとの市営大君桟橋から見た引島です。

まったくの無人島で、島とを結ぶ連絡船はありません。
古老の話では度胸試しも兼ねて泳いで渡ったとか、また島には祠があって信仰の対象とされたこともあったとか・・・(*^。^*)です。

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もとの大君小学校付近から見た引島です。

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大君集落の南の高台から・・・
右の三階建て建物はもと大柿高等学校大君分校、中央がもと大君小学校、カキ筏の向こうに引島の全景です。

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甍の上に乗る引島、そのむこうには呉港、さらには造船所が製鉄所が・・・

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春かすみ ゆらぐ引島 しまおこし ・・・(*^。^*)です。

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引島の手前、呉の造船所(旧海軍呉工廠)で働く職工さんの専用船として大活躍した「平安丸」が何重にも舫いを掛けられています。
あれから十年、エンジンが回り煙突から煙が出ることはありません。


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沖を往く船は絶えませんが、かっては生活の拠点であり通勤通学でごったがえした大君桟橋に、いま人影を見ることはありません。

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春、丘の上に咲くたんぽぽ、立ちのぼる草の香に蜃気楼のごとく浮かぶ引島・・・
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大君 水晶山(仮称)

5)大柿町南部 大君南部の水晶山 
水晶は江田島市内の各所で産出しますが、水晶山と呼ばれるのは江田島町小用にある水晶山189m(または小用山とも)のみです。

他に水晶山と云われる山はありませんが、島内の古老に水晶の話を求めれば、「水晶よのぉ~~」 「わしらがこまいごらぁ~どっこにでも拾えたがのぉ~」 「そうじゃのぉ~ 大君の天狗岩にいってみんさいや」 「あっちゃならまだあるじゃろぉ~て」 「あのごらぁ~学校の遠足いやぁ山に登るぐらいしかなかったでのぉ~」 「ほいでもってのぉ~、木の枝でもってそこらぁ~掘りゃなんぼでも水晶が出よったで」  「まあ、みんなよってわけこして、ほいでもポケットにいっぱいは拾えたでのぉ~」

同じような話は、大君小学校だけでなくその他の小学校でも・・・、多い少ないはあるにせよ、学校の近くにある水晶の拾える山を選んで登っていたようです。

また、その当時は島内にも各地に小規模な鉱山があって、農閑期には銅や鉄、石灰、石英や長石を掘り出すこともあったとか・・・。

また、戦後しばらくは島内いたるところで小規模な採石場が稼働していたため、水晶など子供以外には見向きもされなかったようです。

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・・・が、聞くと見るとは大違い。

何度か天狗岩に登り(車で)付近を捜してみましたが、落ちているのは石英のカケラばかりで水晶と呼べるものはただの一本も見つけられませんでした。

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・・・で、水晶を見つけるのは諦め、海岸におりて色のきれいな貝殻とかを探していました。

貝殻を拾うのに邪魔だった小石を足で蹴っ飛ばすと、ひっくり返った小石の裏に窪みがあって、キラリ輝きます。

はじめて、自分で見つけた水晶らしい水晶です。

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海岸に水晶が落っこちてるってことは、上の岩山からに間違いないだろう。

・・・って、さっそく鉱物採集図鑑に図解説明されている服装を真似、道具はホームセンターで買い求めて、いざゆかん。

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風もさわやか、景色も最高、おにぎりもうま~~~い。
でも、かくれんぼが上手な水晶さんはそう簡単には見つかりません。

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頭頂を照らしていた太陽が西に傾き、自分の影がやけに足長に感じてきます。

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がっくり疲れてイノシシ道を下ると、その先に黒っぽい塊が・・・

な~~んてこった。
踏まないように避けると、傾いた太陽光でピカリ、目に反射光が届きます。

イノシシの糞が光る。
え、えぇ~~~。
糞じゃないよ。
水晶だよ。
それも紫水晶じゃないかぁ~~~。

おっそろしいビギナーズラック、しばらくは手がふるえました。
踏まなくて良かった~~~って・・・(*^。^*)です。

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とうぜん翌日も同じコースをたどりましたが・・・
二匹目のドジョウが見つかることはありません。

コバノミツバツツジの紫花、水晶も枝先に咲いてくれたら見つけやすいのになぁ~~~。

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尾根を這い、谷を越えて・・・

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垂直に近い岩盤に小さな空洞があり、風化した長石の砂の中で八千万年もの長い間・・・
ひたすらに眠っていた煙水晶さんたち・・・(*^。^*)です。

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カリ長石の表面から、タケノコのように伸びだした色黒の煙水晶さん・・・(*^。^*)です。

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四月中旬、ザイフリボクの花が散ってしまうと、岩山は暑くて登ることができません。

大君 大君南部の奇岩

5)大柿町南部 大君町南部の奇岩 
大君の南部には、風化浸食真っ只中の花崗岩がむき出しとなり、世にも奇怪な造形美で出迎えてくれます。

ただ、それらを個々に見るためには、林道や海岸道路から外れ、尾根を登ったり谷を渡ったりと、少しだけですが基礎的な体力が必要となります。

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丈ノ内展望台の直下に見えた頭がい骨状の丸い巨岩です。

展望台の手前から下に降り、トラーバースして廻り込めば頭がい骨岩の真横に出ます。
横から見てもやっぱ頭蓋骨・・・(*^。^*)です。

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もう少し下がった位置から見ると、上手にお座りができた坊やにも・・・

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頭がい骨岩からさらに100mくらい下がって谷を渡った位置に、なんとも不安定な巨石が三段積みに・・・

谷底側を細い花崗岩の柱でつっかえて、やっとバランスを保っています。

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一度下を回ったことがありますが、冷や汗もの、もしも地震とかが有ったら・・・(^_^;)です。

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西洋のプロレスラーのような顔つきと、隆々とした胸の筋肉・・・

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わんぱく小僧が怒られて泣いているようにも・・・

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花崗岩の精霊・・・(*^_^*)かも

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おさるさん?・・・

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中国始皇帝陵兵馬俑から出土した文官の横顔にも・・・

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ハンマーで叩いたわけでもないのに、摩訶不思議・・・

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撮影したのが2007年4月7日、もう谷底に落っこちているかも・・・(^_^;)です。

大君 天狗岩・羅漢岩・丈ノ内・追の浦

5)大柿町南部 天狗岩・羅漢岩・丈ノ内・追の浦 
大君町の南には、風雨に削られたむき出しの花崗岩からなる岩山が続きます。
緑に覆われた山々は、それはそれ、大いなる安らぎを感じますが、雨にあらわれ一糸まとわぬ岩肌もこれはこれ、大自然の壮大さを直に実感、感嘆することができます。

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天狗岩と呼ばれる花崗岩岩体株の頂部です。
この頂部付近は浸食に強い石英質が豊富に含まれていたため、風化から取り残されました。

地元古老の話では、小学校の遠足といえば必ずこの天狗岩までのぼり、付近に散らばる水晶をポケットに一杯に詰め込んで帰ったもんだ・・・と。

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天狗岩から見る早瀬水道と、唯一江田島市から市外へと繋がる早瀬大橋です。 
この、早瀬大橋のおかげで、天狗様のように空が飛べない我々でも簡単に本土に渡ることができます。

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陀峯山山系から伸びる尾根のひとつですが、風化に強い部分が脈状に残り、さらに複雑な風化システムにより奇岩となって続く様が、聖人修行僧が何人も並んでいるかのように見えるため、羅漢岩と呼ばれます。

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私には風雪に耐える、十三羅漢像に見えますが???

花崗岩方丈節理の進行過程とも・・・

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最上部に位置する羅漢さんの頂部に登らせて頂きました・・・m(__)mです。

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丈ノ内展望台の最先端にある、方丈節理岩の上で・・・

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展望台眼下十数メートル下に・・・人の頭がい骨のような丸い岩が今にも転がり落ちそうです。

左下の砂浜は花崗岩が風化し白砂となったもので、江田島市営の長浜海水浴場です。

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丈ノ内展望台(標高約220m)のある花崗岩ブロックを下の、追の浦から見上げています。

展望台岩株の右端、今にも転がり落ちそうなのが、頭がい骨状の丸い大岩です。
計測したことはありませんが、直径が10mくらい・・・(^_^;)です。

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丈ノ内展望台から、追の浦渓谷をのぞき見・・・(*^_^*)です。

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隠地林道から見る、左に丈ノ内展望台、右が秋色に染まった追の浦渓谷です。

大君 深道山・空山

5)大柿町南部 深道山・空山 
大君町の南西には陀峯山山系の山々が控えますが陀峯山(438m)や高清水山(355.5m)は西隣の大原町に属します。
大柿町史によれば深道山(ふかどうざん)330.5m、空山(そらやま)227.9m、字大君村にありと記され、現在の国土地理院地図とは標高差がありますが、まあそれは・・・(^_^;)です。

ちなみに、陀峯山と書かれ、標高も432.6mで国土地理院の438mとは5m以上の差があります。
まっ、山頂と三角点位置は同じ場所でないことが多いですし、ほか もろもろの理由が?・・・
さらには陀峯山と命名されたのは戦後であって、以前は大原山と呼ばれていたとか・・・(*^。^*)です。

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対岸の倉橋島から見た陀峯山山系、左のピークが陀峯山、右のピークが深道山(327m)です。

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空山(234m)には未登頂ですが、深道山には数度の登頂経験があります。
ただ、登山道と呼べるものはありませんので、尾根筋や獣道を適当に選んで上を目指します。

隠地林道を登って、追の浦渓谷の看板から尾根伝いに分け入りますと楽に登れますが、南の海岸標高0mからゆっくり登る方が爽快感がありますし、運が良ければ途中、転がり落ちた水晶を拾ったりもできます。

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深道山頂上から見た早瀬水道と、水道をまたぎ倉橋島へと伸びる早瀬大橋です。

山頂には戦時中に作られたであろう半円の石組や、ドーナツ状に掘られた塹壕らしき窪地が残ります。
対空用の高射砲陣地か、見張り所のようなものがあったのかも???・・・です。

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左上のピークが深道山山頂です。
南の海岸から登るにはまずはこの尾根のいずれかに取り付き、足をすべらさないように一歩ずつ前進します。

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秋風に吹かれ、奇岩の列(羅漢岩)を眺めながら・・・

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春は青い海に、ヤマツツジの赤がひときわ輝きを増します。

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眼下には青い空を写し、二重に光る群青の瀬戸が・・・。

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深道山をとりまく林道脇に、「呉要塞第三区地帯標」と書かれた標石が立ちます。
当時、この付近一帯は一般人の立ち入りが禁じられていたと云います。

大君 浄圓寺

5)大柿町南部 南城山浄圓寺 
大君の町を横断する国道を離れ、高台を縫う環状道路へと進むと、一見してお寺とわかる大屋根が見えてきます。

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南中する太陽光を白銀の光にかえて輝くのは、浄土真宗本願寺派南城山浄圓寺の大伽藍です。

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大屋根に乗る鬼瓦が何重にも邪気を払います。

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御影石を敷いた階段の上、山門の屋根が大きく張り出します。

石碑に刻まれた「 浄 圓 寺 由 来 」には

創立は應永二年(1395年)柳誉の開基 真言宗南城山大寿院と号す

十四代住 崇傅 慶長五年(1600年)浄土真宗に帰依改宗 南城山浄圓寺と改称し今日に至る 崇傅は毛利大膳大夫廣元の子 紋所は長門三ツ星

平成元年三月

十六代住 釋教夫 とあります。

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山門を見上げれば、かの左甚五郎には及ばないとしても、・・・

屋根を支える小屋づかの下で、鬼が笑い?、右下の力士?は桃から生まれた桃太郎?・・・
画像には見えませんが、この力士と対になる左の彫り物が???・・・
一見の価値あり、是非ご自分の目でお確かめ下さい・・・(*^。^*)です。

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他にもたくさんのからくりがありそうですが、浅学の私には・・・(^_^;)です。

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鐘楼も凝った作りに・・・

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大屋根をかぶる本堂です。
軒丸瓦にはすべてに、長門三ツ星(毛利氏)の家紋が入っています。

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黒漆板に金泥で「南城山」の寺額が架かります。

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本堂の彫刻も素晴らしい出来です。
頭貫は南城山薬師堂と同じく象の彫り物です。

大君 南城山薬師堂

5)大柿町南部 南城山 
大柿町誌によれば、大君村山中に薬師坊あり。 瑠璃光仏像(薬師如来)があって茅葺きの小堂に安置している。 出典 能美島誌 宝暦十三年(1762年)とあります。

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大君の集落を一望する小高い尾根に、斜面を削り取って小さなお堂が建ちます。

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正面に掲げられた扁額(へんがく)には南城山と記されています。

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庇を支える柱には、大きな頭貫が組み込まれ木鼻には象が彫られています。

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今のお堂が建てられたのは明治か大正のころと想像しますが、その当時にお堂の頂部に乗っかっていた、宝珠が大事に保管されています。

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参拝者を見ることはありませんでしたが、境内はいつも小奇麗に手入れがされています。

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お堂の前の見晴らしの良い場所に、五輪塔が並びます。

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春の日差しを受け、イチョウの新芽も大きく膨らんできます。
引島の向こう、漁船のエンジン音が沖からの風に乗って、強く、弱く、いつまでも響きます。

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屋根瓦は近年になって葺き替えられたのかも?・・・(*^。^*)です。

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6月12日、木枯らしに舞っていた黄色いイチョウの葉も今は土にかえり、春に芽生えた新芽が、青々として陽光を浴びています。
たぶん、来年も、その先も、づぅ~~~っと・・・(*^。^*)です。

大君 平家口碑・荒神社・胡子神社

5)大柿町南部 平家口碑・荒神社・胡子神社 
江田島市の東南端に位置する大君町には町名でもある「大君(おおきみ)」さらには「王泊(おうどまり)」、「匿宮山(かくれみやま)」と、いわくありげな地名が残ります。

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地名「大君」の発祥由来を示す「平家口碑」が、倉橋島、音戸大橋を介し本土とを結ぶ早瀬大橋のたもとに建ちます。

平 家 口 碑
安徳天皇と三種神器を奉じた平宗盛の率いる軍勢は、源義経の急追を逃れ軍船を連らねて長門国壇浦に向う途次、当地(多海 - 大美)に上陸した。 当地の豪族秀栄は快く一行を迎えた。 宗盛は大いに喜び、地名を「大君」と改めるように命じた。 それ以来全国的にも珍しい地名が生まれた。 そのほかにも王泊、匿宮山、御立山など、往古を偲ぶ地名が現存している。
昭和五十六年四月
大柿町
大柿町観光協会

以下はウィキペディア等からのコピペ・・・(^_^;)ですが、大君、大泊の地名発祥に関わるとされる、安徳天皇について紹介します。

 

81代安徳天皇は、第80代高倉天皇と平清盛の娘徳子との間に誕生、在位は治承4422日(1180518日)から、寿永4324日(1185425日)で、諱は言仁(ときひと)です。

 

治承21112日(11781222日)に生誕

治承21215日に立太子

治承4221日に践祚

治承4422日に即位

治承4年に福原行幸、半年後に京都に還幸

寿永2725日源義仲の入京に伴い、三種の神器とともに都落ちする。

寿永298日後鳥羽天皇が践祚(元暦元年)

寿永27月の都落ちの後、大宰府を経て屋島に行宮を置いた。

寿永4年(元暦2年)219日(1185322日)の屋島の戦いに敗れ厳島を経由、彦島へ逃れる。

寿永4年(元暦2年)324日(1185425日)壇ノ浦の戦いに敗れ入水す。

 

安徳天皇が都を落ち、大宰府、屋島、厳島、彦島と流浪したのは寿永27月から寿永43月までの二年弱です。

その間に屋島での行宮(仮宮)はありましたが、大方は源氏方の急襲を恐れて瀬戸の島々を漂浪する船上生活であったと思われます。

 

よって、早瀬瀬戸の急流に守られ源氏方には手出しが難しい、能美島の南東端である此の大君の地を安徳天皇の一時休息の場としたことは、十分に考察できる範囲です。

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大君荒神社です。

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平成十二年十月に建替えられたばかりで、まだ新建材の香が漂います。

ちなみに、石碑には「魂」 平成大改修
平成十二年十月吉日
施主
荒地栄一
荒地ヒメコ
亀本孝
亀本正美
荒地賢二 と刻まれています。

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この先も大君の地名が残る限り、この街の甍を見続けてくれることでしょう。

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大君胡子神社です。

今は沖の方まで埋められ小川の岸となりましたが、昭和の30年ころまでは波止の先端に在って早朝の暗闇を灯明で照らし、あわただしく出入りする漁船を眼下に収めていました。

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小川をはさんで対岸には、元広島県立大柿高校大君分校(2009年廃止)の校舎が残ります。

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真新しい紙垂が、川面を抜ける春風に揺らぎます。

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画像は国土地理院アーカイブ、昭和23年1月7日(1948年)、米軍航空機による撮影です。

画像中央上部に、元大君小学校(2009年廃校)、ほぼ中央部に元の大君漁港、右に整然と並ぶ建物が紡績工場です。

柿浦 農道・野道 2/2

2014-04-10 002 105 
モモの花びらが、ヒラリ、またヒラリ・・・

2014-03-31 002 084 
だれが植えたのか、丘の上に水仙の花がゆれます。

2014-03-31 002 109 
人の気配に驚いて一羽のトンビが舞い上がりました。
鳶ヶ鼻の方へ向かって・・・

2014-04-10 002 127 
もう少し傾斜がゆるくて、もう少し水があったら・・・

2014-04-10 002 129 (1024x768) 
どこが畑で、どこが法面・・・

2014-04-10 002 130 
ラッキョが整列。
まえぇ~~ならえ。
おい、押すなよ、落ちちゃうよぉ~~~。

2014-04-10 002 131 (1024x762) 
陽光を浴び、タマネギの葉っぱが一気に育ち始めました。
空気の綺麗な丘の上で育つサヤエンドウは、鳥さんたちも大好物・・・。

2014-04-10 002 138 (1024x768) 
鳥よりも、もっともっと厄介なのがイノシシさんやアナグマさん・・・。
とうとう人間さんのほうが檻の中に入ることに・・・(^_^;)です。

2014-04-10 002 141 (1024x768) 
おっとり型のカキの木からも新芽が芽吹き始めました。

2014-04-10 002 143 (1024x768) 
何世代にもわたり人の力だけで作られた自然との協調美、荒野にするには三年で十分です。

2014-05-22 002 074 
マリーゴールドが2種・・・
虫よけ効果があると聞いたことがありますが、イノシシにはムリでしょうねぇ~。
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