大君 長浜海水浴場・南部海岸道

江田島市地図グーグル 市内海水浴場・海の駅 
周囲を海に囲まれた総面積91,44平方キロの江田島市、外周の総延長距離は不明ですが少なめに見ても100km以上はあると思います。

その100㎞以上はある海岸線のうち、海水浴場として整備されているのはわずか3ヶ所(長浜・入鹿・長瀬)、砂浜の総延長は2kmもないのでは???・・・(^_^;)です。

(注):上図にある赤い星印は海水浴場としての整備はされていませんが、満潮時でも砂浜が現れていて、安全に十分気を付ければ泳ぐことが可能な海岸です。
ただし、車では近づけなかったり、駐車スペースがごくわずかな場所がほとんど・・・m(__)mです。
また、海の駅にはヨットやボートの係留設備等が設置されています。

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この長浜海水浴場は、夏期のみの営業ですが、駐車場にも十分なゆとりがあり、トイレやシャワーが完備されています。

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沖に浮かぶ「海の家」は夏期の営業期間に合わせて設置され、普段は大君港に係留保管されています。

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この年は台風とかの影響もなかったようで、10月下旬であっても沖に係留したままとなっていました。

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2014年8月4日、晴天の月曜日ですが人影は、ま・ば・ら ・・・(*^。^*)です。

長浜・王泊(1974-12-25) 
昭和49年(1974.12.25)撮影の国土地理院アーカイブ画像です。

当時すでに早瀬大橋は開通(1973.10.28)していましたが、それより南部へと続く道は、王泊で行き止まりとなっており、長浜の海岸へは山を越えて歩いて行くか、船をチャーターする以外にすべはありませんでした。

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かって、牛馬も難渋する険しい山道しかなかった能美島の南部海岸でしたが、陸上自衛隊第13師団の手により、昭和59年2月、当時としては広すぎるくらいの道幅で、能美島南部海岸道路が完成しました。

海岸を占有して巨大な採石場があり、一般人は途中の黒嶽までしか入れませんが、緊急車両等であれば黒嶽、秀地を経由して島の西側、深江地区へと南部海岸を一周することができます。

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隠地林道から見下ろす、長浜の白砂と青松、そして海の青・・・(*^。^*)です。

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長浜海岸を見下ろす岩山の上、真紅に燃えるヤマツツジが季節を春から新緑の燃える夏へと繋ぎます。
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大君 早瀬瀬戸・早瀬大橋

5)大柿町南部 早瀬瀬戸・早瀬大橋 
江田島市能美島と呉市倉橋島を分かつ、幅300mにも満たない狭水道を早瀬瀬戸と呼びます。

最狭部の水深は15m、最大潮流は北流で4.5Kt、南流が3.75Ktです。

江田島市(江田島、能美島)は、昭和48年10月に早瀬大橋が完成したことにより、倉橋島と結ばれ、さらに音戸大橋を経由して本土と繋がりました。

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呉市倉橋島から見た早瀬瀬戸と、それをまたぐ早瀬大橋です。

瀬戸に架かる大橋の全長は625.5mで、橋脚の間(支間長)が222m、桁下の高さを36mとしたことにより、3千トン級の船でも水道を安全に航行することができます。

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能美島の側から見た早瀬瀬戸と早瀬大橋です。

小型漁船等も含めれば、400隻 / 1日の船舶が航行します。
画像の左から右へと南下中の船舶は、内航船と呼ばれる 500t以下の貨物船です。

ちなみに、500t以下の船舶だと船員資格や乗組定員の要件が有利なことから経済船型と呼ばれ、一般貨物船や小型タンカーとして数多く建造されてきましたが、その根拠となる船舶のトン数には、目的によってさまざまな種類があります。

良く使われるトン数としては、「総トン数」(GT)と「載貨(さいか)重量トン数」(DW)があります。

(その他にも、純トン数、排水トン数、パナマ運河トン数、スエズ運河トン数などがあります。)

まず、「総トン数」とは、船の“容積”に係数を掛けた数字で表わされますから、総トン数が大きいほど“大きな船”ということになります。

また、「載貨重量トン数」は、その船が積むことのできる貨物の重量を示しています。

つまり、同じ大きさ(総トン数)の船でも、積みこむ貨物の種類(重さ)や船の構造、貨物の積み方によって積める貨物の重さ(載貨重量トン数)が異なってきます。

たとえば、内航一般貨物船の「嘉祥丸(三洋海運)」の場合・・・

嘉祥丸(三洋海運)
(上記説明と嘉祥丸要目は、JSA日本船主協会HPよりのコピペ・・・m(__)mです。)

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江田島側から見た早瀬大橋です。

早瀬大橋は国庫補助を受け、昭和42年広島県の事業として着工されましたが、その牽引となったのは、江田島、能美島住民による「十円募金運動」がきっかけで、募金の総額は当時で三百万円を超えたと云われます。

完成は昭和48年10月28日、橋長 623.5m、有効幅員 9.5m、支間長 222m、桁下高さ 36m、上部工形式 3径間連続下曲弦プラットトラス橋、塗装色はレタスグリーンと呼ばれる薄い青緑色です。

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水道をぬける春風に満開の采振り木(ザイフリボク)が揺れます。

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早瀬水道に真っすぐ航跡を刻んで南下する小型船は、江田島町国有無番地「海上自衛隊第一術科学校」所属の練習船13号(YTE13)です。

排水量 170t
全長 35m
全幅 7.4m
出力 2,200PS
速力 16kn

練習船12号と共に、第一術科学校や幹部候補生学校の学生に操船や航法を体験させ、将来の護衛艦等操船の基礎となる初級教育航海実習を行ないます。

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早瀬水道を最狭部へと北進する、総トン数6,126トンの貨物船「せどろす」です。

 

商船三井内航会社所属の貨物船で、メキシコ塩の国内ストックヤードである三ツ子島(広島県呉市)から全国へ向けた保税塩輸送の専航船として就航します。

 

船種船名 貨物船せどろす

総トン数 6,126(GT)

重量トン数 11,022(DW)

全長 112.00メートル

機関の種類 ディーゼル機関

出力 3,309キロワット

竣工 2006年4月18日

建造 伯方造船(愛媛県今治市)

 

空荷だから通れるみたいですけど、満載の一万一千トンまで積んだら、たぶん無理かも???・・・(^_^;)です。

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早瀬瀬戸南口には「マリンピア王泊」と呼ばれ、連絡船を係留し改装した海鮮料理屋や、釣り堀などがありました。
その後、連絡船は処分されたようですが???・・・です。

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追加画像です。

大柿歴史民俗資料館に、レストランとして使われていた連絡船が係留されている当時の写真が保管されていました・・・(*^。^*)です。

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安徳天皇が泊まられたとの伝説が残るこの地は、八百数十年が経った今でもすばらしい景観がのこります。

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王泊の入り江に乱舞するツツジの花弁。

屋島の戦いの後、壇ノ浦へと向かう途中であったなら、まさにこの時期、このツツジの乱舞をご覧になったことでしょう。


大君 隠地林道

 5)大柿町南部 隠地林道・椿林道・陀峯登山道 
大君セブンイレブンとユウホウ紡績との間を流れる大君川に沿って上流へと続く道が隠地林道です。

途中で大君川を外れ、早瀬水道を左に見ながら進むと、やがて陀峯山登山道に接続し陀峯山山頂へと至ります。

どちらかというと、軽自動車で登るのがお勧めですが、陀峯山山頂に設置する通信機材を満載した10tトラックに遭遇し、驚いたこともあります。

ちなみに、陀峯山山頂へはこの隠地林道と、深江新開からの椿林道、大原河内からの陀峯山登山道の3ルートがあり、いずれも普通車で頂上まで行けます。

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途中の大君川から外れる位置に隠地林道開通記念碑が建てられています。

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林道入り口付近にある、小さなジャガイモ畑です。
イノシシやアナグマの侵入を防ぐため、トタン板で厳重な囲いがされています。

林道開通の当初は、田畑や果樹園などもあり一部には杉や桧の造林もされたようですが、元来岩肌がむき出しの乾燥土壌が多く、また高齢化や害獣の影響をまともに受けて、隠地の林野は元の自然状態に戻ろうとしています。

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大君川を水源に、林道の左右にはりっぱな棚田が幾重にも続いていましたが、もはやセイタカアワダチソウでさえ生育が困難な荒地へと・・・

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害獣対策はすでにお手上げ状態ですが、手をこまねいているわけにもいかないようで・・・(^_^;)です。

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天狗岩付近まで登ると、雑木の切れ間に瀬戸の絶景が楽しめます。

東の方向には、昭和48年(1978年)開通の早瀬大橋(623.5m)と、倉橋島早瀬地区の家並みが望めます。

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紅葉の向こうには、倉橋島の名山である火山山頂(408m)を見通すことができます。

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林道から見る天狗岩、その先には日露の開戦に備え明治34年(1901年)に完成した、大君低砲台を構える常ヶ石崎が張り出します。

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市内でもっとも急峻な谷、追の浦渓谷も眼下に一望です。

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遥か南に目をやれば、洋上訓練を終え早瀬水道を通って呉港へと向かう掃海艇からの「水道を通る。航海保安配置に付け」って、スピーカー音が風に乗ります。

ちなみに、海上自衛隊呉基地には掃海隊群直轄艦である「掃海母艦ぶんご」と、第一掃海隊「掃海艇いずしま・あいしま・みやじま」、さらに第101掃海隊「掃海艇まえじま・くめじま」が配備されています。

大君 大君港・大君桟橋

5)大柿町南部 大君港・大君桟橋 
なぜか?、大君桟橋は港や街の中心部から少し外れた場所、引島の正面にあります。

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昭和23年の国土地理院アーカイブ画像で見ても大君桟橋は現在と同じ位置、引島の前にあります。

画像中央部に四角く見えるのが、大君小学校で、その下にある入江が当時の大君港ですが、現在は水路部分を残して、大柿高校大君分校(廃校)用地として埋められています。

その右の大きな施設が紡績会社(現 株式会社ユウホウ)、今はその沖側を埋めて国道487号線が走ります。

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大柿高等学校大君分校(2009年3月廃校)の正門前に残る旧大君港の石組護岸と、下に降りる石段です。

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大君小学校(2009年3月廃校)の沖を埋め、平成10年(1998年)、近代的な浮桟橋を備えた大君港が港築されました。

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大君定期船桟橋とその桟橋の沖に浮かぶ引島です。

平成21年ころまでは定期船航路として使用されていたようですが、今は通勤通学客がこの桟橋に立ち寄ることはありません。

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プレハブの待合室前に椅子が出されていますが、誰が利用するんでしょう・・・

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一本のアラカシの木の下に公衆電話が残ります。

もしもし、とおさぁ~ん。
なにやっとぉ~ん。

今日は一便早いので帰るゆうとったじゃろ~。
もぉ~~~、ええかがんにしてえやぁ。

はよぉきてや!
ガチャン・・・

この電話を利用した女学生さんも、今は自分の息子や娘に・・・(^_^;)でしょうね。

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桟橋の隣に大昭汽船の「第二平安丸」が舫われています。

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呉市にある造船所や製鉄所に、職工(工員)さんを送り迎えするために作られた専用船です。

1968年の竣工で総トン数が135t、僚船「こがね丸」とともに大君から柿浦経由で元の呉海軍工廠(戦後はIHI呉造船所、日新製鋼所)への専用航路船として運行されていました。
最盛期には毎日七、八百名もの工員さんを送り迎えしたそうですが、2009年4月をもって廃止となりました。

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今は浮桟橋の代用として使われているようです。

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初代「平安丸」と「こがね」の画は、柿浦出身の郷土史家「奥本久雄」氏の風土記及び自伝である「雲のごとく -私の歩んだ道ー 」の挿絵(奥本氏自筆)をコピペしたもの・・・m(__)mです。

第二平安丸が竣工したのが、1968年(昭和43年)とされますので、まさに間一髪で描かれた初代「平安丸」です。

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最近の機能的でスマートな船もわるくはないけど、昔の船型もいいなぁ~ ・・・(*^。^*)です。

大君 大君川・平後川・王泊清水

5)大柿町南部 大君川・平後川・王泊清水 
大君を流れる川には、大君川(全長1420m)と平後川(630m)があります。
他にも南部の天狗岩や羅漢岩、追の浦渓谷の花崗岩を刻む急流がありますが、水量が不安定なこともあり有効利用されることはほとんどありません。

また、市営長浜海水浴場に向かう途中の道路脇に、花崗岩の割れ目をつたって清水が流れ落ちる水場(仮称 王泊清水)があります。
日照りが続けば枯れることもありますが、わざにペットボトルに汲んで持ち帰る方もおられるようで、この清水でお茶などをたてると美味しくいただけそう・・・(*^。^*)です。

ただ、保健所の水質検査とかは受けていないと思いますので、かならず煮沸し自己責任でご利用ください。

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大君川の中流部に石組みの、取水兼砂防ダムがあります。

大君川はこの地区で最も高い山、深道山を水源としますので、島内でも珍しく水量が多く安定した水源となる川です。

ただ、この大君川の水を当てにして、明治25年(1892年)島内では最大規模の紡績会社が下流のデルタを埋めて誘致されました。

よって、地元大君住民の水源としてはごく限られた利用にとどまったようです。

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大君川から取水した原水を浄化殺菌し配水するために作られた水道設備です。

主には工業用水としての利用でしたが現在紡績会社はほぼ休業状態、さらに大君地区(江田島市)の水源は遠く広島市を流れる太田川から海底送水管を利用して安定供給されています。

島内では水量が豊かな川とはいえ、干ばつの年には大君住民だけの水源としても不安が残ります。
そのようなわけで今は使われることがなくなりましたが、非常時に備え江田島市企業局水道事業の手により、現状維持の手入れがされています。

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非常用としてあっても、できれば非常が起こらないことを・・・(^_^;)です。

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大君の街を二分して流れる平後川です。

前方の橋は国道487号線に架かる大君橋、満ち潮となれば護岸石垣の3/4まで潮に浸かります。
舫ってある小舟は当地でも珍しい木造の和船(主動力は船外機仕様)です。

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干潮時、お家の前で川遊びを楽しむお父さんと息子さん・・・(*^。^*)です。

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道路脇にコンクリート造りの大きなプールが???

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プールにはゴミが入らないようトタン屋根で覆ってありますが、隙間から覗くと貯水池のようです。

往時は水が淀むこともなかったでしょうが、いまはほとんど使われることもなく非常用(防火用?)として残されているみたいです。

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いまは木々や夏草に埋もれて見向きもされませんが、チョットでも水がにじみ出そうな谷筋には、必ず貯水用のタンクが作られていて、たとえ一滴の水であろうと無駄になることはありませんでした。

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民家の庭先にある井戸です。

分厚い花崗岩が升形に組まれていて、その当時井戸水がいかに重要であったかをものがたります。
今は使われることも無く、厚い鉄板で蓋がされ、次世代、次々世代のために?大切に残されています。
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