大君 いいとこ撮り 路地裏 6/6

2012-11-09 002 031 
元大君市営桟橋の近くに「平塩記念郷土館」の表札を掲げた門柱があります。

ここは、平塩五郎氏(明治39年1月~昭和55年10月)の生家です。
広島県議会議員、同議長を歴任、江能上水道の設置や早瀬大橋架橋に貢献されました。

2012-11-09 002 033 
現在、諸事情により一般の入館はできないようですが、お庭の手入れは行き届いています。

2014-03-27 002 226 
ピンク色に塗られた元大君郵便局です。
ユウホウ紡績工場の西門前に残ります。

2014-06-03 002 052 
「大昭汽船株式会社」と大書された御門の前に、「宇品へ七里 呉へ三里」と刻まれた石柱が建ちます。

大昭汽船株式会社は、平安丸やこがね丸を所有し、大君、柿浦と呉を結ぶ定期航路を運営していましたが利用客の激減により2009年4月、航路が廃止されました。

2014-06-03 002 057 
海岸近くの廃材?置き場に、「蒲刈港田戸防波堤灯台 初点 昭和46年12月 改築昭和61年12月」と名板の入った、灯台台座が保管されていました。

2014-06-03 002 062 
たぶん、灯台用の巨大ガラスレンズ?

2014-06-03 002 069 
大きなお船の錨(アンカー)も・・・

ちなみに、船の錨には多種あって、これは「無かん錨(ストックレスアンカー)」または「引き込み錨」と呼ばれるものです。
錨としての把持力は「有かん錨(ストックアンカー)」に劣りますが、船体への巻揚げや格納作業が容易で、見た目もスマートなことから、明治以降の大型、中型船ではごく一般的な錨となりました。

軍艦などの前部(よく見える位置)に格納されているのも、この「無かん錨」です。

古くは軍艦でも多用され、デザイン画などでよく見る、ぞくに「海軍錨」とも呼ばれる把持力の強い「有かん錨」やその改良型は、予備あるいは副錨として軍艦の後部などあまり人目に付かない位置に格納されています。

さらに、現代の潜水艦では船底海面下の見えない位置で錨を揚げ降ろしするため、より確実に作業ができるよう、引っ掛かりの少ない、キノコ型の「マッシュルームアンカー」を使用します。

2014-06-03 002 072 
旧道脇に大きな舵輪の飾られたお屋敷があります。
船会社の社長さん?、会長さん?のお家、かも・・・(*^。^*)です。

2014-08-17 026 
「大君 浜井病院」 内科、外科、消化器科、胃腸科、リハビリテーション科、放射線科をもちます。

2014-08-17 059 
お家の裏に、陶器のユタンポが・・・

2014-10-09 049 
旧大君小学校グラウンドで、・・・運動会のおしらせです。

「大君まちづくり協議会」 まぁ~だ まだ 元 気 でぇ~~~す。
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大君 いいとこ撮り 路地裏 5/6

2014-08-17 021 
路地とはいえ車道に面して、とても開放的なお家です。

ガラス戸の入る前は、ご近所様がお茶しに集まる縁側?だったのかも・・・

2014-08-17 023 
荒物、金物、陶器、進物用品の浜田商店さんです。

2014-08-17 025 
国道べりですので、すこ~~~しだけ埃を被った商品もございますが、まだまだ現役でがんばってます。

2014-08-17 051 
昭和後期の建物だと思いますが、地域の古い様式を受けた造りとなっています。

2014-08-17 115 
急な斜面をうまく利用し、たくさんの家々が建てられていましたが、今は急速な勢いで空き家となって・・・

景色と気分は最高、喧騒から離れ、食べ物も空気もうまいんですけどねぇ~~~。

2014-08-17 140 
扇風機やクーラーのない時代は、この窓を開けきって露台に横座りとなり、左手を手摺に、右手には団扇をもって沖往く船やお月さんを、ただ眺めてたんでしょうねぇ~ ・・・(*^。^*)です。

2014-08-17 141 
急な傾斜地をうまく利用した、半地下式二階建ての納屋です。

2014-10-09 064 
見渡す限りがミカン畑だった時代もありました。

2014-10-09 065 
ご先祖様はみ~んな仲良く、高層マンション暮らし・・・(*^。^*)です。

101005 062 
土壁、縁台、格子戸、入母屋・・・。

大君 いいとこ撮り 路地裏 4/6

2014-03-27 002 204 
小さなお家ですけど、あっちこっちたくさん手をかけて造られた、とても興味を引くお家です。

ベランダの手すりも、壁のペンキ塗装も、たぶんおじいさん?の日曜大工?・・・(*^。^*)です。

2014-03-27 002 205 
屋根の組み合わせライン、ええなぁ~~~。

2014-03-27 002 214 
狭い路地には必須?の、風の通る目隠し用板塀・・・

2014-03-27 002 218 
せめて、もう百年残しておきたい建物です。

2014-06-12 002 (16) 
裏の木戸を開け、前掛けを付けた丁稚奉公の兄ちゃんとかが出て来そうな雰囲気・・・(*^。^*)です。

2014-06-12 002 (74) 
このお家も、ええなぁ~~~

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こういう二階の窓も、好きだなぁ~~~

2014-06-12 002 (95) 
引島の手前、桟橋へと続くメイン道路も今は山手にバイパスが通じ、裏通りになっちゃいました。

2014-08-17 014 
古くからある格式の高そうなお家です。

手前にもお家があったみたいですが、更地にされ雑草が生えないように黒いシートで保護されています。

2014-08-17 018 (1024x750) 
よかったです。
まだ、元気な子供たちが路地裏をはしゃぎまわっていました・・・(*^。^*)です。

大君 いいとこ撮り 路地裏 3/6

2014-03-27 002 054 
日当たりが良く、見晴らしのきく裏山の尾根は、もうご先祖様で満席です。

2014-03-27 002 120 
江田島にもグラスファイバーの蜘蛛の糸が張りめぐらされ、大きなスパイダーネットが構築されました。
さて、さて、なにが引っかかるかな?・・・(^_^;)です。

2014-03-27 002 124 
静かで見晴らしの良いお屋敷ですが、四輪車は入ってこれません。

2014-03-27 002 130 
むかしの職人さん?・・・手の込んだ造りです。

2014-03-27 002 163 
来世の別荘、青い海を眼下にバーベキューが楽しめるお庭が売り・・・(*^。^*)です。

2014-03-27 002 196 
この、お二階でお酒などいただいたら、もうたまらなくうまいだろうなぁ~~~。

2014-03-27 002 198 
高台のお家は生活には不便ですが、気分は爽快、長生きできそぉ~~~

ちなみに、2014年7月25日、江田島市男性の最高齢106歳の誕生日を迎えられたのは、当大柿町在住の 二井 賢 さん・・・(*^。^*)です。
(広報えたじま 2014年9月 第119号より) 

2014-03-27 002 200 
メイン道路は斜度10度、最大道幅が1mで、法肩が背丈を越す石垣、反対側は深く掘り込まれた排水路・・・です。

2014-03-27 002 202 
降り注ぐ陽光を目いっぱいに浴びて育つ、ネギにダイコン、ホウレンソウ・・・

2014-03-27 002 203 
昭和の30年代って、どこのお家もみなこんなだった気がします。
で、自転車はもっと無骨でスタンドや荷台が大きく、「十人乗っても大丈夫」・・・(*^。^*)でした。

大君 いいとこ撮り 路地裏 2/6

2014-08-17 153 
トタンで覆われていますが、むかしなつかし藁ぶきのお家が・・・

2014-03-27 002 209 
お家の裏側・・・

今は無人のようですが、障子や板戸を取り外し、アルミサッシに改築された様子です。

2014-10-09 053 
手入れはされていませんが、裏庭の柿の木からは大きな赤い実が・・・

2014-10-09 052 
・・・です。

2014-03-27 002 215 
表に回ってみましたが、庭木が茂りすぎていて・・・

2014-10-09 046 
人とすれ違うのも難渋しそうな細い坂道を右に左にと、ジグザグに登ります。

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少し開けた位置からは、街が一望、遠く呉湾のすべてが見通せます。

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あっ、ここにも良い感じのお家・・・

2014-03-27 002 162 
住人のいなくなったお庭はしだいに荒れ始めていますが、庭の隅に植えられた夏蜜柑は枝も折れんばかりに・・・です。

101005 071 
やがて、人の住まなくなったお家は取り壊されて・・・

そして、 ・ ・ ・ モミの木は残った。

大君 いいとこ撮り 路地裏 1/6

5)大柿町南部 大君 街景色 
大君地区は早瀬大橋の開通により、それまでと一転、もっとも陸上交通の便に恵まれた江田島市の陸の玄関口となりました。

その便利さが災いしたのか、マイカーによる島外通勤者が増え、やがては本土に移転、戦後爆発的に増加した住民も、早瀬大橋開通の昭和40年代からは目に見えて減少しました。

2014-03-27 002 036 
かって街道の四差路に位置した一角に、とても印象に残る一軒のお家があります。

おそらは戦前の造りだと思いますが???・・・

2014-03-27 002 037 
「リポビタンD」ののぼり旗が見えますので、お薬屋さんだったのかも?・・・

ちなみに、「リポビタンD」は大正製薬が1962年に開発し、医薬品として販売されていましたが、改正薬事法により2009年からは一般商店での販売が可能となりました。

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凝った造りです。

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格子やガラス戸が、これまたいい感じ・・・
煙突が二つありますので、一つが炊事用、もう一つはお風呂?

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白壁は剥がれはじめていますが、立派な蔵が・・

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きっちりと積んだ石組の基礎が、まだ新品のよう・・・

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ちなみに、壁に打ち付けられた看板「清酒譽駒」をネット検索してみましたが???でした。

2014-03-27 002 040 
・・・です。

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大君商店街四差路通り・・・

大君 いいとこ撮り 野道 2/2

2014-03-27 002 100 
丘のうえから・・・ 大君地区の家々と元大君小学校、紡績工場も一望です。

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小山の稜線には、ご先祖様のお墓が途切れることなく並び、その墓石の縁まで段々畑が続きます。

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桃の木にピンクのお花が・・・

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夏蜜柑が・・・

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おじいさんが植えたタラノキ、新芽がすこ~~し、膨らんで・・・

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おじいさんのこれからの計画は、タラノキの下をシバザクラで一面ピンクに染めること?・・・(*^。^*)かも?

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小道の土手に植えられたソメイヨシノが3分咲き・・・(*^。^*)です。

2014-03-27 002 144 
夏蜜柑、すっぱい味が敬遠されるのか昔のようには売れません・・・

2014-10-04 049 
10月、再び小丘に登ろうと野道を行くと、センダングサが針の小山となって道を塞ぎます。
登るのを諦め、ふと脇を見ると、アキグミが赤く色づき始めていました。

大君 いいとこ撮り 野道 1/2

5)大柿町南部 大君 野道 
それまで手厚く保護されてきた日本の農業も、昭和45年(1970年)政府による米の買い入れ制限、いわゆる減反政策の始まりにより、作れば売れる農業から世界市場原理の激流へ、どっぷりさらされることになりました。

戦中、戦後の食糧危機から脱却すべく、山の頂まで続いた段々畑や、糸を引くような細い水路に頼った米作りが採算ラインに乗ることはあろうはずもなく、急峻な山腹に何重にも石垣を重ねた、砦のような農地も、瞬時に元の原野に帰することとなりました。

かって、早瀬の南、常ヶ石崎や、陀峯山山頂間近まで続いた農地ですが、今は庭先の菜園と、家の裏数段の蜜柑畑のみが残ります。

  
2014-03-27 002 047 (746x1024) 
九条ネギ、サニーレタス、黄色い花はコマツナ?そして水仙の花咲く庭先の菜園。

お家の裏山は、ミカンと、ウメやモモの果樹園・・・(*^。^*)です。

2014-03-27 002 057 
お孫さんが帰省した時のために、残しておいた葉ミカン。
今年の春休みには、帰って来なかったみたい?・・・です。

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芽吹きの季節。

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春は、ええなぁ~~~。

2014-03-27 002 069 
おむすび、持ってくれば良かった。

2014-03-27 002 072 
丘の上から見る引島と・・・

2014-03-27 002 084 (1024x764) 
タンポポの丘・・・

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青い海の見える丘・・・(*^。^*)です。

大君 もと大君小学校 ・ もと大柿高校大君分校

5)大柿町南部 大君地区文教施設  
平成24年4月1日現在の江田島市総人口は26,744人(内、住基外外国人443名を含む)です。

地区別人口分布率は、江田島町36.0%、能美町20.7%、沖美町12.8%、そして大柿町が28.8%、そのうちの3.4%である909人が大君地区に帰住します。

大柿町史によれば、大君地区の人口は昭和35年(1960年)で2,966名、大柿高校大君分校が設置された1964年の翌年、昭和40年が2,723名です。

目に見えて人口が減少する中、慣れ親しんだ大君漁港を埋めて、昭和39年、県立大君高等学校が誘致されたのは、設置目的が、当時の能美紡績従業員に対する高校教育が主眼であったとしても、古来より続くこの地区の教育熱心で向上心を養う風土に大きく影響された結果であったと思います。

ただただ残念なことは、その後も続くさらなる人口の流出に歯止めがかかることも無く、待望をもって迎えられた高等学校に続き、区民同窓の学び舎であった小学校、幼稚園までもが・・・です。

2014-10-09 011 
国道487号線と県道44号線の分岐点、大柿町立大君小学校と彫り込まれた門柱が残ります。

明治7年(1874年)教員1名、児童数42名をもって始められた古い歴史をもつ大君小学校ではありましたが、平成21年3月31日(2009年)廃校、在学児童は大原地区にある大古小学校に編入されることとなりました。

2014-03-27 002 003 
校門を入って右奥には旧校門門柱が対となってのこり、手入れされた皐月や若松の枝下、巨石で組まれた台座の上で二宮尊徳像が、今は無人となった小学校校舎を向いて建ちます。

門柱には大正五年六月と刻まれ、
寄附人発起人
能美支店長 藤野・・・
同 社員   加藤・・・
村会議員   高森・・・
助役勲八等 西岡・・・
校長      伊豆野・・・
寄附人
村会議員   奥平・・・
同        平野・・・
同        平林・・・
同        有井・・・
お名の部分は、申し訳ございません。 若草に遮られて・・・m(__)mです。

2014-03-27 002 009 
元大君小学校玄関、時計はいまだ現役、廃校からさらに5年の時を刻み、平成26年3月27日の午前9時39分を指しています。

2014-03-27 002 016 
明治初期に帰化したオオイヌフグリ、明治後期に持ち込まれたとされるセイヨウタンポポ、共に大君小学校開校の明治7年にはまだ見ることのできなかった、異国の珍花・・・(*^。^*)です。

2014-03-27 002 014 
3月27日(木)快晴
まだ春休中なのになぁ~~~。

だぁ~~~れも
雲梯、滑り台、ジャングルジム、遊びにくる子供はいません。

2014-03-27 002 013 
体育用具庫の壁とシャッターには、平成16年度卒業生が描くお魚さんたち・・・
画の種類から推測すると、卒業生は9名???だったのかも・・・。

2014-03-27 002 017 
軽石のブロックに刻まれているのは自画像のようです。
はっきり読み取れませんが、1978年?、卒業生は23名???・・・

2014-03-27 002 097 
大君小学校の北にある丘の上からの眺めです。

北風の強い日には波を被りそうな小学校の体育館、そして画像右上には大君高校の三階建て校舎と、さらに奥には紡績工場の建物群がつづきます。

画像上部の小山には、南城と云われるお城、あるいは砦があったとされますが、今は基礎の痕跡もみいだせません。

2014-03-27 002 142 
小学校の西にある小丘から見た、校舎、体育館とグラウンド、沖には引島が横たわります。
むかし、小学校と引島の間の海面は学童らの夏の遊び場だったとか・・・

蛇足・・・(^_^;)です。

大君小学校が木造から今の鉄筋三階建てに改築されたのは昭和48年3月です。

校舎がまだ木造だった頃、先生や父兄が協力して全国から沢山の珍しい石の標本を集め、岩石庭園?として子供らの理科教育に役立てたとか・・・

その発想や誠心に共感を受けた大柿町の他の学校でも、石庭や珍石を並べたスペースが取られていて、今に子供らの好奇心や探求心をくすぐり続けています。

2014-03-27 002 233 
もと、広島県立大柿高等学校大君分校の正門と校舎です。
校舎はもとの大君漁港を埋めて造られ、左に見える水路はその漁港のなごりです。

学校正門に通ずるのは一本のコンクリート橋で、日本ひろしと言えども海を渡る橋が直接校門へと繋がるのは、この大君高校をおいて他にはないだろうと・・・(*^。^*)です。

昭和39年(1964年)、当時の能美紡績(現 株式会社ユウホウ)従業員の高校教育を主目的に定時制高等学校として創設されましたが、紡績不況によるその後の人員流失により平成21年(2009年)大君小学校と時を同じくして廃止されました。

2014-06-12 002 (5) 
どうです。
すてきなロケーションでしょう。

この海面(旧大君漁港)は今も国道下の暗渠を通って海と繋がり、小型のボートなら出入り可能です。

2014-03-27 002 028 
もと、江田島市立(大柿町立)大君保育園です。

人の出入りはあるようですが、幼児のキャアキャアと燥ぎ騒ぐ声は聞こえてきません。
閉園は同じく、2009年3月31日です。

大君 ユウホウ紡績工場

5)大柿町南部 ユウホウ KK 能美工場 
今話題の「富岡製糸場」(絹糸)の開業は明治5年(1872年)ですが、当地大君に「朝日紡績」(綿糸)が設立されたのは明治30年(1897年)、本格操業は明治32年であって、これには地元有志の誘致活動が功を得た。と、大柿町史にあります。

 

島内においては古くより、婦女による農閑期の機織りが盛んに行われ、江戸時代後期には能美木綿ブランドとして、大阪あたりまで運ばれていました。

 

原料となる綿は当地での栽培品だけでは不足で、大方は問屋が手配した綿を当地で加工し、綿布に織り上げた製品を再び問屋が回収。

手間賃としてのお代ですのでわずかな金額ですが、それでも他に働き口のない当地においては、冬場の貴重な収入源でした。

 

その僅かな収入源も、明治20年ごろからは活発化した工業製品に押され、内職の域を出ない能美木綿は衰退の一途でした。

 

そんな時期、降ってわいた紡績工場の操業に、大柿村も国旗や提灯を送って祝い、この紡績工場の女工さんとなることは、近隣婦女子の憧れであったとか・・・

2014-06-12 002 (83) 
画像の右 2/3 が、明治30年本格操業の「朝日紡績 能美工場」、のち何度も名前が変わり、現在は「株式会社 ユウホウ能美工場」です。

左に、元県立大柿高校 大君分校、さらに左奥に元市立大君小学校、沖には引島が見えます。

2014-06-12 002 (66) 
この紡績工場の最大の特徴とされるのが、操業当時からあるこの工場の屋根に取り付けられた明り取りです。
すべてが真南に向けて取り付けられています。

2014-10-27 049 
正門の位置は何度か変わったようですが?・・・
たぶん、旧正門と旧守衛室?・・・(^_^;)です。

2012-11-09 002 013 
私が通った小学校、中学校も、たしかこんな感じ・・・(*^。^*)でした。

2014-10-09 013 
多分、幹部社員の社宅? ・・・(*^。^*)です。

2014-03-27 002 229 
二世帯分が、くっ付いた造りです。

2014-03-27 002 232 
この建物、だれかに研究室だって聞いたような???

静かで空気もうまいし、STAPの小保方さん、ここでなら良い実験結果がだせます・・・(*^。^*)よ。

2014-10-09 017 
大きな造りですが、長屋仕様の社宅??? ・・・(*^。^*)です。

2014-06-12 002 (26) 
アルプスの少女 ハイジに出て来そうな二輪の木製手押し車。
フォークリフトが全盛の時代では、もう出番は無いかも?・・・(*^。^*)です。

2014-08-19 029 (1024x692) 
朝日紡績とよばれていた頃の、工場内部の様子です。
(原画は大原地区歴史資料館)
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