大原 観音堂

5)大柿町南部・馬場観音堂 
大原馬場地区の丘の上に、「観音堂」あるいは「馬場観音堂」と呼ばれる古びたお堂が建ちます。

2014-09-15 061 
馬場観音堂へと続く細い石段です。

お盆まえ、一度きれいに刈られたあとに再び芽生え始めた夏草です。
すてきな演出、自然いっぱい、若草萌ゆる緑の参道・・・(*^。^*)です。

CIMG2970.jpg 
桜吹雪の舞う、表参道最上部から見た馬場観音堂の正面です。

CIMG2968.jpg 
境内に立てられた、説明板には・・・

大柿町重要文化財(平成4年1月17日指定)
馬場の木造「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」立像
高さ 46.0cm  幅 15.8cm  材質 杉

大原馬場の観音堂には、安永2年(1773)2月に寄進された石燈籠が一対あり、棟札に弘化4年(1847)再建とあるが創建の年代は定かでない。
堂内には一木造りの菩薩像が納められており、胴体に対して頭部が大きく、素朴ではあるが姿態は、非常に優しさを感じさせる。
江戸時代前期の作と認められる。

大柿町教育委員会・・・と。

2014-10-15 114 
1847年の再建と云われる観音堂。
さすがに168年の風雪は重く、両脇を4本の桧の丸太で支えられてはいますが、まぁ~だ、まだ・・・

2014-09-15 081 
小堂の割には、りっぱすぎる組み石の土台です。
何においても基礎がしっかりしたものは・・・

2014-09-15 077 
観音堂正面に揚げられた銅板額に・・・

功 徳 参 詣 日
正月一日     百日
二月三十日   九十日 (注:当時は和暦、寛政暦を使用していました。)
三月四日     百日
四月十八日   百日
五月十八日   四百日
六月十八日   四百日
七月十日     四万六千日
八月二十四日  四千日
九月二十日   四千日
十月十九日   四百日
十一月七日   六千日
十二月十九日  四千日

天保六乙未年(1835年)四月吉祥日 願主 當村住 白井保定百拝

・・・と、記されています。

2014-09-15 074 
観音堂正面の格子戸越しに、「聖観世音菩薩」様を拝顔することができました。
江戸時代初期に造られた木造立仏像だと云われます。

「聖観世音菩薩」とは、ウィキペディアの記載を要約しますと・・・

「正観音」ともいわれ、六観音の一尊でもある。
観音菩薩像には、さまざまな形態のものがあるが、このうち、多面多臂などの超人間的な姿ではない、一面二臂の像を指して「聖観音」と称している。
「正観音」と書くこともある。大慈の観音として、六観音の役割では地獄道を化益するという。
もともとは「正法妙如来(しょうほうみょうにょらい)」という仏であったが、衆生の救済のため人間界に近い菩薩の身となった。
・・・と。

CIMG2977.jpg 
観音堂の後方には沢山のお墓が並びます。

2014-09-15 087 
この先も、聖観音様の大慈をもって、世に蔓延る地獄道を化益いただきたく、御願い申し上げ奉ります・・・m(__)mです。

2014-09-15 065 
馬場観音堂の乗る丘から、谷津を挟んだ先の丘に「天理教愛町分教会 愛栄町布教所」の伽藍が遠望されます。

天理教とは、以下ウィキペディアからの要約・・・m(__)mです。

江戸時代末に成立した新宗教の一つで、教祖「中山みき」の提唱する教義「陽気ぐらし」という世界、皆が神の前に生かされているという謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て助け合うことにより、平和で豊かな喜びに満ちた世の実現をめざす・・・と、説きます。  
奈良県天理市を、人類のふるさと、聖地「ぢば」と称し、神殿、礼拝所、教祖殿が建ちます。
スポンサーサイト

大原 薬師堂

5)大柿町南部・薬師堂 
薬師堂は宝持寺から西に200mばかり行った丘の上に建ちます。

CIMG2136.jpg 
一般には大原の薬師堂と呼ばれますが、お堂の右の柱には「医王山 薬師堂」と左柱には「第六十七番本尊 薬師如来」と墨書された古札が架かります。

大柿町史には、「医王寺」大原村山麓にあり、傍の丘に薬師善逝の霊像がある。 景色よし、安美の詩(七絶)がある。 病気平癒所。・・・と、記載されています。

CIMG2992_2015012314391503a.jpg 
建立の経緯は不明ですが江戸時代後期には宝持寺の末寺?となっていたようです。

2014-09-14 053 
現在のお堂はまだしっかりと建っていますので、明治あるいは大正の頃の再建?では、と???・・・(^_^;)想像です。

2014-09-14 047 
お堂の頂部には、何段にも重ねた台の上にネギ坊主を模したと云われる宝珠(ほうじゅ)が乗ります。
ちなみに、宝珠を乗せる方形の台を露盤(ろばん)と呼び、その上のお椀を伏せたような半球を伏鉢(ふくばち)、ハスの花を模した台を請花(うけばな)と呼びます。

2014-09-14 050 
透明感を増した9月の日差しが、桜葉を透かしてお堂の銀屋根に降りそそぎます。

2013-03-15 002 038 
境内の前庭には一本の石柱が建ち、「薬師經石塔」と彫り込まれています。

この石柱の由来について、江田島市教育委員会編集の「江田島市指定の文化財」から抜粋しますと・・・

大柿町重要文化財(平成4年1月17日指定)

薬師堂の経石塔(きょうせきとう)

江戸時代

大柿町大原(宝持寺)

高さ83cm 幅18.5mm 台座の高さ58cm

 

大原の薬師堂の境内にみかげ石でできた経石塔がある。

4年に一度は訪れるという洪水や干ばつで、相次ぐ飢饉により死亡した人々の霊を供養するため、宝持寺住職の発願で薬師経を一字一石に写して埋め、経塚にして建てられた石塔である。

表に「薬師経石塔」、側に「当邑横苑消除一石一字写者也 安永2年(1773)癸巳5月吉旦 現宝持寺敬白」と刻されている。

経石は一部掘り出され大柿地区歴史資料館で保管展示している。

・・・と。

CIMG2996.jpg 
4月、桜花舞う・・・

CIMG2997 (800x600) 
ええなぁ~~~・・・

CIMG2989 (800x585) 
げに、極楽浄土とはこんなとこかも・・・

CIMG2986 (800x600) 
花は散る。 春、かぜにふかれて・・・

大原 宝持寺 2/2

2014-09-14 034 
移築された山門に 嶺雲山 寶持寺と、門標の白文字がかがやきます。

2014-09-14 036 
けして大きくはない山門ですが、しっかりと丁寧に造られていて、この先もこの大原の地で悠久の年月を刻み続けます。

2014-09-14 037 
改装された屋根瓦が南中する陽光をうけて、渋い銀の光を放ちます。

2012-11-06 002 003 
元の宝持寺境内から見た、新宝持寺本堂です。

右の大木は「ナギ」です。
島内に自生樹を見たことはありませんが、神社仏閣の境内や大きなお庭の庭園樹としてまれに見ることがあります。

ナギはマキ科の常緑樹で雌雄異株、台湾や本州南岸などの温暖な地方での自生はありますが、一般には植栽されたものが多く、和歌山県熊野速玉大社では樹齢千年、天然記念物のナギが御神木とされます。

ナギは凪に通じ、漁民や航海安全、旅行者の護符となったり、葉っぱが丈夫でちぎれ難いことから夫婦円満、男女の仲を取り持つとされ女性の鏡の裏に貼り付けられたり、また黒く熟した実から油を搾り神殿の灯明とされたり、材は堅く樹皮もきれいなことから床柱に利用されたり・・・と。

ちなみに30年ばかり前、因島の植物園に植栽されていたナギの樹下に黒い種を見つけ、5粒ほど持ち帰って庭に植えましたが、すべてが芽を出し3年で背丈程度まで成長しました。
狭い庭ですので、旺盛な生育速度におどろきすべてを伐採しましたが、自生は珍しくとも栽培自体は容易な植物です。

2014-09-14 043 
元の宝持寺境内は整地され、墓苑として整備されつつあります。
一本だけ残ったナギの幹には大きな傷跡が残り、枝も数本折り取られていて、1999年の豪雨災害の跡をいまだとどめています。

2014-09-14 044 
墓苑の中央には六地蔵がおかれ、背後に光明と彫り込まれた石祠が建ちます。

以下、ウィキペディアからのコピペ・・・m(__)mです。

日本では、地蔵菩薩の像を六体並べて祀った六地蔵像が各地で見られます。
これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は六種の世界に生まれ変わりを繰り返す)に基づき、六道のそれぞれを六種の地蔵が救うとする説から生まれたもので、六地蔵の個々の名称については一定しません。

地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いのですが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もあります。

さらに、その像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持ちますが、持物や呼称の統一もありません。

ちなみに、此方の六地蔵尊の御名は・・・
地持地蔵尊 鶏兜地蔵尊 宝印地蔵尊 宝陵地蔵尊 陀羅尼地蔵尊 法性地蔵尊の六体・・・m(__)mです。

2014-09-15 023 
墓苑をさらに進むと観音堂が見えます。
先の土石流災害で流されたお堂の再建か?、あるいは大災害に遭ったこの地に眠るご先祖様を慰安慰労し、つづく世代の大慈大悲を本誓とし建てられたのでしょう。

2014-09-15 024 
・・・m(__)mです。

2014-09-15 029 
観音堂の前はおじいさんのお散歩道、さらに向こうに大原の家並みが折り重なってつづきます。

大原 宝持寺 1/2

5)大柿町南部 嶺雲山宝持寺 
新宮八幡社の大鳥居下を洗う八幡川を上流へ500mばかり遡った対岸に、曹洞宗嶺雲山「宝持寺」(ほうじじ)があります。

宝持寺・薬師堂(1980頃) 
空撮画像は国土地理院(1980年ごろ)よりコピペ・・・m(__)mです。

当時の宝持寺は現在地より北東に100mばかり行った山裾にありましたが、1999年6月29日の豪雨により裏山が100mの高さから大石をともなって一気に崩れ落ちました。

御本尊の「延命地蔵尊」、寺宝の「釈迦般若画像」は、危うくも本堂倒壊の直前に運び出されましたが、境内は一瞬で大転石に覆われ見る影もなかったと云います。

2014-09-14 041 
未曽有の大災害から十年をへて、新たな地に宝持寺の再建案が起こり、2012年5月13日、本堂と山門を完成、近隣住民三百名を集めて盛大な落慶式が執り行われました。

2013-03-15 002 056 
再建の手は緩やかですが、着実に一石づつ要所を定めて配します。

110624b 016 
画像は2011年6月で、落慶法要の一年前です。
この山門は他所から移築されたものですが、由来については失念しました・・・m(__)mです。

2014-09-14 035 
2014年9月、落慶法要から早一年半、手つかずだった境内もやっと整いました。

2014-09-14 038 
本堂は禅寺風の落ち着いた造りで、境内の奥には、借景を生かして禅庭園も構築されつつあります。
1999年の豪雨で土石流となって流れ落ちた転石も、十数年の歳月をえて苔生し、庭園内に枯山水の景色となって生かされます。

2013-03-15 002 053 

宝持寺について、大柿町史(能美島志1763年)によれば・・・

 

嶺雲山「宝持寺」は大原村にあり、曹洞宗であって「延命地蔵」を本尊とする。

旧は密教にして大同年中(806年~810年)のころ建つ。

中世兵乱により寺院頽廃するを山野井氏(当地豪族)、洞雲寺(廿日市)十五世 骨岫禅師を招きて再興、祖先の菩提所とされた。 と・・・

 

ちなみに、曹洞宗(そうとうしゅう)とは、禅宗の一派(曹洞宗・臨済宗・黄檗宗)で、今から八百年ほど前の鎌倉時代、道元禅師(どうげんぜんじ1200~1253)が正伝の仏法を中国から日本に伝え、瑩山禅師(けいざんぜんじ1268~1325)が全国に広めて曹洞宗の礎を築きました。

曹洞宗本山は二寺あって、福井県にある大本山永平寺(だいほんざん えいへいじ)と、横浜市にある大本山總持寺(だいほんざん そうじじ)です。

2013-03-15 002 055 
山門の前を滔々として八幡川が流れ下り、その清水を利用して耕作される田畑が山裾をめざし幾重にも広がります。

ただ、自然の恵みと自然の猛威は表裏一体、時に陀峯山山系の濁流を集め逆巻く大蛇となって流域に営む人々を襲います。

大原 明慶寺 2/2

2014-10-15 006 
本堂とは書院?を介して結ばれている庫裡、屋根はトタン板で覆ってはありますが、本来は藁ぶき屋根のようです。

2014-05-07 002 003 
庫裡への出入りに使われる裏門の門扉には、武田氏の家紋である武田菱(四つ割菱)と七宝に剣片喰と思える家紋がデザインされています。

2014-10-15 021 
庫裡の側から、山門、鐘楼、お経堂(お経蔵)をみます。

2013-03-15 002 006 
大切な経典を火災から守るために作られたを白壁土蔵のお経堂です。

2014-10-15 010 
島内では他に目にしない、袴腰を取り付けた立派な造りの大鐘楼(天保十年・1839年建立)です。
檀上高く上げられた梵鐘の音は大原の隅々まで響き渡ることでしょう。

2014-10-15 019 
境内の隅に台座に乗せられた鬼瓦が・・・
その台座に貼られたプレーの説明書によりますと

明慶寺鬼瓦・泉州堺の産

1814(文化11)年 本堂再建から1979(昭和54)年 屋根替えまでは現本堂大棟両端に居て念仏者を守っていた。 と、あります。

2014-10-15 022 
昭和54年、160年ぶりの大改修を終え、新たに乗せられた大鬼瓦が寸暇もなく人間界の四周を睨みます。

2014-05-07 002 156 
五月、新緑萌えるケヤキの枝下を・・・

2014-10-15 029 
山門前の空き地は子供らの遊び場に・・・
使われなくなった酒樽?を利用して、子供らの秘密基地?

2013-03-15 002 018 
早春、トサミズキの黄花の向こうに、明慶寺の大屋根・・・

大原 明慶寺 1/2

5)大柿町南部 青木妙慶寺 
大原平野の最奥、新宮八幡社とは八幡川を挟んだ対岸の高台に浄土真宗東本願寺派「明慶寺」があります。

2014-11-24 071 (1024x759) 
新宮八幡社の境内から、八幡川を挟んで西の高台に明慶寺の大伽藍を臨むことができます。
明慶寺境内やその周りに植えられたケヤキの紅葉が色を添えます。

2013-03-15 002 002 
国道487号線から枝分かれした道を高台の方へ登ると、石垣と焼杉板の壁で囲われた一見武家屋敷風の建物が目にはいります。

2013-03-15 002 009 
さらに歩を進めると、広い石段を積み上げた先に山門と鐘楼が・・・。
その、どっしりと構える山門横の塀には銅板がはめ込まれ、明慶寺の由緒が書き込まれています。

 明 慶 寺 由 緒

当山の開基は、甲斐の国・山梨県出身、十六世紀後半の戦国時代に、戦国武将の武田信玄、織田信長、豊臣秀吉などに従って各地を転戦する間に、念仏の宗旨に出会い、父助市の勧めで、堺の善教寺にて剃髪得度した長坂藤四郎こと釈道栄と伝えられている。

秀吉が起こした文禄・慶長の役(朝鮮侵略)の植民集団大動員に従い、佐賀県の名護屋に赴くが、秀吉の企てが失敗したため、この能美島へ渡来、遅くとも1598年末ごろ、一寺を開いたと、推定される。

江戸時代の初期、1636・寛永十三年、西本願寺より、阿弥陀如来木仏尊像(現存)と寺号「明慶寺」が認可され、また、元禄・宝永の代わり目、1690~1710年ころ、松右衛門が、現在地の寺地を寄進し、五間四面の本堂と四本柱の鐘撞堂が出来ている。

1716・正徳六年には、総門徒中の意向を容れ、第六代住職・釈秀管が尽力し、明慶寺は、西派の上寺・広寂寺の羈絆を離れ、転派、東本願寺末寺となった。

現在の本堂は三度目の建立であり、1814・文化十一年に上棟、現鐘楼は1839・天保十年に完成、いずれも第十代住職・釈恵暁の時代である。

明慶寺の梵鐘が、朝な夕な鳴り響いてきた年月は、今ではすでに三百星霜。

南無阿弥陀仏の信心を獲得してきた門信徒の歴史は、開基以来、四百星霜を重ねてきている。

1998(平成10)年3月25日   明慶寺門徒総代会一同

 

ちなみに、大柿町史(能美島志1763年)の記載では、

青木山「妙慶寺」 大原村 真宗東本願寺派 大永年中(1521~1527年) 山野井入道宗和の母妙慶尼の建立・・・と、あります。

2014-05-07 002 004 
この日おとずれたときは、春の法要(永代経?)とかの準備でしょうか?山門や本堂正面にりっぱな寺幕が掛けられていました。

2014-05-07 002 005 
門徒のお婆さん?が本堂の階段を何度も、丁寧に掃き清めて・・・m(__)mです。

2013-03-15 002 003 
木々の芽が膨らむ3月、境内に入りまずびっくりしたのは、すっくと伸びるケヤキの樹です。
まだ、植えられて数十年の若木ですが、ケヤキは江田島には自生しませんし、植栽樹もまれです。

始めの画像にも見える秋の紅葉と、天に向かって背伸びする元気いっぱいの樹形はとても好きです。

2013-03-15 002 007 
本堂の造りもよけいな飾りを控え、禅寺にも似たシックな落ち着きを感じます。

2014-10-15 008 
その本堂には銀色に輝く大屋根が乗ります。

2014-10-15 013 
本堂正面に揚げられた寺額には「青木山明慶寺」 昭和五十五年春彼岸 寺苑老巨松材 空外?とあります。

境内に古くからあった老松を製材し書かれた、由緒ある寺額のようです。

大原 金毘羅神社・松尾霊社

5)大柿町南部 金毘羅神社・松尾霊社 
大原湾の東、矢比津地区を南北に走る旧街道を見下ろして「金比羅神社」が建ちます。

さらに、大原地区の守りの要であった、能美城の址地には松尾霊社が祀られていると云います。

2015-02-15 017 
矢比津金比羅神社は、大原と小古江とを結ぶ旧街道の崖の上に建ちます。

金比羅神社の総本宮は、香川県仲多度郡琴平町にある「金刀比羅宮」で、祭神は「大物主命」とされます。

2015-02-15 014 
この金比羅神社が建てられた年代は不明ですが、大原湾を眼下に見渡せるこの地に海上交通の守り神を祀ったことは、至極当然のことだったと想われます。

2014-08-11 107 
切妻破風には、丁寧に彫刻された蕪懸魚(かぶらげぎょ)が付けられています。

蕪懸魚の中心についている飾りは六葉(ろくよう)と呼ばれ、 六枚の葉の形をした図柄から六葉と呼ばれていますが、 当社にあるような四角形のものや、 五角形、八角形、菊などがとりつけられることもあります。
さらに、一般的な六葉には葉っぱの合わせ目に、猪の目と呼ばれるハート形の穴が六つ見られますが、当社のは丸い穴が四つ・・・(*^。^*)です。

2014-08-11 108 
神域とを分ける格子戸・・・

2015-02-15 013 
二拝二拍手一拝し、格子戸越しに参らせていただきました。

当社には大物主命の他にも二神?が祀られており、しめ縄が張られた下に、鏡餅と蜜柑とお酒が捧げられ、ロウソクが立ちます。

さらに手前に、おこわ?、お塩?、お水?が盛られていました。

ふかく、ふか~く、一礼 ・・・ m(__)m です。

金毘羅神社 
昭和50年1月の大原湾近辺の航空写真です。

2013-03-15 002 037 (1024x741) 
竹藪となって丸く見える小丘が、能美城址です。
この地には、能美城を築いたとされる能美氏の子孫、山野井家が祀る霊廟「松尾霊社」があったと云われますが・・・

ちなみに松尾神社は、京都府京都市西京区の松尾大社を総本社とします。
祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)は、山の地主神であり、農耕(治水)を司る神でもあり、転じて酒造の守り神ともされます。

2014-05-07 002 133 
小丘の上は平らに整地され、小城があったろう気配を感じさせますが、松尾霊社らしき祠はみあたりませんでした。

今は「大原ふれあい広場」として整備されています。
ちなみに、登り口に立てられた説明板には・・・

大原ふれあい広場
能美島志によればこの地は、能美城址であったとされています。
これに思いを寄せられた重長政行氏が、平成元年九月大柿町に寄贈されたものであります。

ここは、史跡と文化財を巡りながら、健康づくりを進めようというユニークなコースとして、広島県健康への道百選に指定された散策路の中ほどにあり、健康づくりと交流や憩いの施設として平成三年度地域福祉推進特別対策事業で整備しました。

悠久の歴史を懐古しながら、この町に住んでよかったと実感できるまちづくりの実現を願い、この広場を「大原ふれあい広場」と名づけます。

平成四年三月 大柿町長 平口武
・・・と。

2014-09-14 065 
能美城址の小丘から見る、大原の街並と大原湾、対岸は小古江余防地区です。

松尾霊社 
昭和50年1月の松尾霊社(能美城址)近辺の航空写真です。

お百姓さんがもっとも活気あった時代・・・
小丘の頂、能美城址の平地も余すところなく耕され、蜜柑の大木が数十本青々とした葉っぱを日に輝かせています。

大原 胡子神社・汐明神

5)大柿町南部 胡子神社・汐明神 
「能美島志」に「小島恵比寿祠」大原村堤防の中にあり、と記載されるのが、この「胡子神社」であろうと思います。
また、「汐明神」とは古くこの地域で行われていた製塩業の神様を祀るもので、大原村大津計(大附?)の浦にあった?ある??「塩竈明神祠」と同じ祀神だと思いますが仔細は不明・・・m(__)mです。

2014-09-17 039 
この付近が八幡川からの堆積土や干拓事業により、いつごろから陸地となったのか定かではありませんが、能美島志(1763年)に大原村堤防の中とあることからも、江戸中期のころにはすでに神社を祀るほどの磐石な地盤が出来上がっていただろうと推定します。

2014-09-17 047 
まだ新しさが残る花崗岩切石の台座の上、朱に塗られた胡子神社がどっしりと建ちます。

2014-09-17 045 
境内の脇に「胡子神社修復工事寄附者芳名」の石板が建ちます。
一金 壱佰万円也 大原漁業協同組合員一同
一金 参拾万円也 堀 幸雄
一金 拾万円也   沖 一雄
仝 山本輝夫・山根勝・沖和晴・水本実幸・岡崎孝志・山根石蔵・沖清一・山根敏夫・上田尾鉄工所・山根敏政・平井康雄・・・
他、大勢の方々の芳名が刻まれています。
 

石板の裏を拝見しますと
この胡子神社は左記芳名者により昭和四年十一月に建立された
旧立石寄附者
一金 参拾円也 発起人一同
一金 十五円也 沖 栄次
仝 須本亀吉・石田勝次・芸南病院・山根梅太郎・沖勘次・石田時次・山根徳太郎
一金 壱参円也 沖徳太郎
一金 拾円也 沖伍平
仝 浅木攝・須本友太郎・沢病院・二又酒造場・山根和作・須本初造・丸井米問屋・沖石丈吉・沖惣一・灘尾酒造場・沖要吉・佐々木清一・沖粂次・沖亀一・大原信用組合・森川音吉・沖定吉・沖助次・沖孫太郎・須本石造・沖本権三郎・山根粂一・浜口徳太郎・濱勘一・沖亀吉・須本菊次郎・沖亀松・熊美鉄工所・石田鶴吉・沖市松・二間伝一・山崎兄弟商会・沖吉太郎・石田方一・森川キク・森川次太郎
一金 八円也 沖チヨ

昭和六十年十一月吉日建立
修復委員 沖一雄・沖和晴・山本輝人・山根敏政・山根勝・水本実幸・三宅忠道・山根石蔵・岡崎孝志・沖清一・平井建設株式会社
施工者 石工事 鴻上石材店
・・・と。

2014-09-17 042 
傍に、魚之碑も・・・

2014-09-17 048 
昭和六十年十一月再建・・・
はや、三十年の歳月が・・・

2014-09-17 049 
時はながれ、賑わった門前の商店街に往時の活気はありません。



2014-08-11 085
胡子神社から南東へ百メートルばかり行った旧道脇に「汐神社」が建ちます。
いわれは不明ですが、神殿のサカキは青く、お酒もいけそう・・・<m(__)m>です。

傍には、昭和四十二年の豪雨災害で呉市二河川に流れていたと云われる不動明王が建ちます。

大原 荒神社

5)大柿町南部 大原荒神社 
急峻な陀峯連山の山肌を削り大原湾へと流れ込む八幡川、その流れも緩み始めるこの地に、斜面を均し水を引いて農地を開墾していただろう人々の最大の関心は、干ばつや風水害などの自然災害をいかに回避し安定した生活を維持できるかに尽きます。

人知ではいかにもしがたい自然の猛威には神以外にたよるすべはなく、神より他に収めることはできません。

ちなみに、荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようで、各県の荒神社の数を挙げますと、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)のように中国、四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めています。
(ウィキペディアよりコピペ・・・m(__)mです。)

荒ぶる神々を敬い荒ぶれる神々鎮めるため、この地にも荒神社が建てられました。

2014-10-15 032 
昭和の50年頃までは、荒神社の周りはすべて水田で埋め尽くされていました。
その水田から僅かにもり上がった境内には若桜が育ち、春風を受けて舞う花びらの下、牛を操り苗代の準備をするお百姓さんらが集まっては世間話に笑い、泥の付いた足を投げ出して一休みする場所でした。

2014-10-15 034 
今、人々が集うのは祭の一時期だけ・・・

2014-10-15 039 
正面に張られたしめ縄が寂しく風に揺れます。

2014-10-15 040 
神殿入口の戸はガッシリとロックされています。

子供の頃に見たようなデザインのこの錠前、刻印の「SKC LOOK NO800-1」をたよりに検索しますと、「南京錠・鍵メーカーSKC(小庄金物株式会社・大阪)」、がヒットしました。


この錠前は南京錠の倉庫錠と呼ばれるもので、カニが手を開くように左右扇形に開きます。


ちなみに、小庄金物は
1941 小庄末廣が大阪市南区にて小庄末廣商店を創業したことに始まり、・・・学校などの団体様や、運送業・倉庫業など流通業の皆様を中心に、様々な場所・用途で使用されている南京錠などのアナログな鍵のご要望にお応えします。弊社では自社ブランドであるSKCの南京錠やロックについてセミオーダー、別注対応も承っており、南京錠・鍵メーカーとしてお客様のご要望のひとつひとつを実現します。

・・・と、ありましたが、画像と同じような錠前はすでに販売終了となったようです。

2014-10-15 035 
境内片隅に「荒神社再建記念碑」灘尾弘吉書が建ちます。
裏書を見ますと、昭和三十五年五月五日竣工と・・・。

2014-10-15 041 
いつ頃からこの地に祀られたのか定かではありませんが「能美島誌」宝暦13年(1763年)には、「荒神祠大原村にあり地神なり」との記録があります。

ちなみに、当時の人々はどんな動植物に興味を抱き生活に利用していたのでしょう。

文政二年(1819)の「国郡志書出帳」に記載された近隣の深江村、飛渡瀬村、小古江村の産品を列挙してみます。


深 江 村 の 産 品

 草木花実

松・栗・楠・枇杷(ビワ)・梅・桜・椿・橙(ダイダイ)・柿・杜鵑花(サツキ)・女郎花(オミナエシ)・土筆(ツクシ)・菊・菖蒲(ショウブ)・水仙・南天

 薬品

桔梗(キキョウ)・半夏(カラスビシャク)・白朮(オケラ)・砂参(ハマボウフウ?・ツリガネニンジン?)・防風(ボウフウ?・ハマボウフウ?)・芍薬(シャクヤク)・香附子(ハマスゲ)・天門冬(クサスギカズラ)・麦門冬(ジャノヒゲ)

 物産

蕎麦(ソバ)・唐黍(トウキビ)・大根・大角豆(ササゲ)・緑豆(リョクトウ?)・猿豆(エンドウ)・荒芋(サトイモ)・牛房(ゴボウ)・白瓜(シロウリ)・黄瓜(キュウリ)・唐瓜(キュウリ?・マクワウリ?・カボチャ?)・冬瓜(トウガン)・茄子(ナス)

 五穀

米・麦・粟(アワ)・大豆・小豆(アズキ)

 禽獣類

野鶏(キジ)・鳩・山鳥・鴈(ガン)・鴨・白鷺(シラサギ)・ひはり(ヒバリ)・鳶(トビ)・目白(メジロ)・蕉(スズメ??)・鶯(ウグイス)・螢(ホタル)・狐(キツネ)・狸(タヌキ)・雞(ニワトリ)・猫・犬・海獺(スナメリ??)・山獺(アナグマ??)・鼬(イタチ)・蛇(ヘビ)・ひはかり(???)・蚯蚓(ミミズ)・蟻(アリ)・蜂(ハチ)・あぶ

 海産

煎海鼠(イリナマコ)・鯛(タイ)・鱸(スズキ)・玉口魚(?)海鼠(ナマコ)・榮螺(サザエ)・鰺(アジ)・鰯(イワシ)・小貝(?)・鮴(メバル??)蛸(タコ)

飛 渡 瀬 村 の 産 品

 草木花実の類

マツ・クス・カシ・スギ・クリ・シイ・ヤナギ・エノキ・カキ・マキ・ビワ・ナンテン・ネズ?・ツバキ・タケ・サクラ・ウメ・キリ・クワ・ロウ(ハゼノキ?)・アオキ・モモ・ナシ・サンショウ・フジ・ツツジ・スイセン・ノギク・アサガオ・オニアザミ・ナデシコ・ケイトウ・オミナエシ・アオイ・ショウブ

 諸薬の類

キキョウ・オケラ・ハマスゲ・ハマボウフウ?・カラスビシャク・ジャノヒゲ・ブクリョウ(キノコ)・ボウフウ?・ハクトウカ(モモ)・ベニバナ・ニンドウ・マニ(アサ)・ゴバイシ(ヌルデ)

 物産の類

コメ・ムギ・ダイズ・アズキ・ソバ・アワ・キビ・ヒエ・ササゲ・トウキビ・ケシ・エンドウ・コウゾ・ワタ・タバコ・チャ・リュウキュウイモ・サトイモ・ヤマノイモ・ダイコン・ゴボウ・ネギ・フキ・ミョウガ・セリ・ナズナ・アカザ・ワラビ・ツクシ・ヒツリ??・ユリ・トウガラシ・タデ・ホウフラ(カボチャ)・キュウリ・ナス・ラッキョ・トウガン・ツワブキ・ヨメナ・ミツバ

 鳥の類

ニワトリ・キジ・ウグイス・ハト・ホトトギス・スズメ・ヒヨドリ・トビ・サンコウチョウ?・カラス・カモメ・サギ・ヤマドリ・ツバメ・カワセミ・メジロ・バン

 獣の類

イヌ・ネコ・シカ・キツネ・イノシシ・ネズミ・ウサギ・マミ(タヌキ?アナグマ?)・モグラ・テン

 虫の類

ホタル・セミ・チョウ・アブ・ハチ・ハエ・キリギリス・ケラ・アリ・カタツムリ・クチナワ??・ムカデ・トンボ・カエル

 海中生類

タイ・ハモ・スズキ・ハマチ・アナゴ・イワシ・エイ・タコ・カレイ・メバル・タナゴ・チヌ・イカ・アジ・マテガイ・アサリ・ハマグリ・ツブ

 

小 古 江 村 の 産 品

 竹木花実

マツ・スギ・クリ・ビワ・ウメ・サクラ・ツバキ・ヤナギ・モモ・マキ・カキ・ツツジ・カシ・キク・ボタン・ホトケノザ・アサガオ・スイセン・アヤメ・カキツバタ・ナデシコ・セキチク・センニチコウ・キンギンソウ?・シノブ

 五穀

コメ・ムギ・ダイズ・アワ・キビ

 物産

ツバキ・ワタ・イモ・ソバ・トウキビ・ダイコン・ササゲ・サヤマメ・アズキ・ソラマメ・エンドウ・サトイモ・ゴボウ・チシャ・フキ・ワケギ・ネギ・ナス・キユウリ・ウリ・トウガン・ホウフラ(カボチャ)・クチウマ??・ミョウガ・ゴマ

 薬品

キキョウ・オケラ・カラスビシャク・ニンドウ・ジャノヒゲ・チンピ(ミカン)・ボウフウ?・クズ・ハマスゲ

 禽獣類

カモ・ヒヨドリ・シジュウカラ・ヒバリ・キジ・スズメ・カラス・サギ・トビ・モズ・バン・ウグイス・ヒワ・チドリ・カモメ・コウモリ・カ・ブト・ハエ・セミ・トンボ・ホタル・ケラ・アリ・ヘビ・ハタオリムシ(キリギリス)・イヌ・ネコ・ウサギ・シカ・マミ(タヌキ?・アナグマ?)・カワウソ?

 魚類

タイ・カレイ・ナマコ・アナゴ・サバ・イワシ・タコ・此代(コノシロ)・ボラ・ハテ(ハタ?・マテガイ?)・カナス(カマス?)・エビ・片握(ハゲ?)・メバル・チマキ(ヒイラギ?)・シラウオ

以上「大柿町史」よりコピペ・・・m(__)mです。

大原荒神社19480107

画像は1948年(昭和23年)1月7日のアーカイブ空撮画像です。


大原荒神社は画像のほぼ中央、田んぼの中に小さく写っています。

右上のこんもりした小山が新宮八幡社で、現在大柿中学校のある場所は、昭和20年の水害(枕崎台風)で土砂が堆積して白く写っています。

大原 叶枩神社

5)大柿町南部 叶松神社 
大原地区の北端、大原湾を北西風から守る岬の先端に「叶枩神社」(かのうまつ神社)が鎮座します。

ちなみに枩は松の異体字で、動用字とも呼ばれ、読みも意味もまったく同じです。
おなじような異体字には、峰と峯、町と甼、郡と羣などがあります。

叶松神社A 
グーグルマップでみる、大原湾です。
湾最奥の小舟を守るかのように突き出た岬の先端に叶枩神社があり、古来帆船の行き交う風光明媚な地であったようで、新宮八幡社に奉納された歌にも詠まれました。

春の歌 「叶松帰帆」
   帰る帆に ゆきあたらふぞ 春の雁
                    茈姜

2014-10-29 115 
元は岬の先端付近にポツンと離れてと祀られていたのでしょうが、今は社殿と隣家の屋根が接するまでに奥まった位置で鎮座します。

2014-09-17 077 
がっしりとした造りの社殿には、重厚な銅葺きの屋根が乗ります。

2014-09-17 073 
「叶枩神社」の祀神ははっきりしませんが、大国主?とも客神?とも・・・

蛇足になりますが、山口県山陽小野田市に叶松と呼ばれる地名があります・・・(^_^;)です。


2014-09-17 076 
正面と左右の格子戸はピカピカの朱塗りで仕上げてあります。

2014-09-17 070 
境内がとても狭いことを除けば、社殿の周りも綺麗に掃き清められていて、この地域の人々により大切に維持管理がなされている様子が伝わってきます。

2014-09-17 067 
朱塗りの社殿が周囲の煩雑な景色を引き締め、威厳のある空間を作り出しています。
カレンダー
12 | 2015/01 | 02
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!