大原 国道487号・県道300号

5)大柿町南部 国道487・県道300 
大原地区を南北に貫く国道487号線は、南の大君(早瀬大橋)と北の小古江、鹿川、中町、高田を繋ぐ大動脈です。
また県道300号線は東の柿浦と西の深江、さらにその南の海岸(釣附橋)までを繋ぎ、大原の中心部で国道487号と交差します。

大原地図1975 
今は国道487号と呼ばれる大動脈も、昭和50年当時はまだまったくの手つかずで、八幡川沿いに蛇行して走る旧道の大君線は対向する大型車にはきわめて不便な道幅でした。

画像で見れば、県道300号のほうがより早くに整備改良が進められています。

大原地図1981 
今までは、さほどに重要視されていなかった大君へと続く道も、昭和48年(1973年)の早瀬大橋開通と共に道路幅拡張整備の声が高まり、早瀬大橋開通から8年後の昭和56年になり、やっと大原地区内でも道路の拡張やバイパス工事が始まりました。

画像では矢比津バイパスはすでに完成し、大柿高等学校から大柿中学校グラウンドの手前まで新道のラインが引かれ、その道路用地に白く盛り土がなされていく様子が見えます。

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大柿町の大君から江田島町の切串までの道(一部海上)が、国道487号に制定されたのは平成5年4月1日(1993年)です。
それを祝って大原地区の中心部、国道487号の路脇に「一般国道四八七号 昇格記念」の石碑が建てられました。

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大原から小古江、鹿川へと続く、矢比津地区の旧道です。

往時は大原地区でもっとも賑わいのあった商店街筋ですが、海沿いに幅広のバイパス道ができたせいもあってか、人や車の行き交いは突然に途絶えてしまいました。

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旧道と大原港とに挟まれた好位置にあり、船具などを商う大店でしたが、しばらく見ぬ間に大看板に有った商店名は消しとられたようです。

閉ざされた窓のカーテン越しにステンレス光沢の船具がキラリ光を反射します。

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大柿地区歴史資料館展示の、大原、柿浦間道路改良完成記念(昭和12年)の祝賀パレードを写した一コマです。

古来大原と柿浦とを結ぶ街道は最重要であり、古くから開けてはいましたが、途中の峠道は急こう配で車の通行には難渋しました。
そのため昭和12年、難所であった福連木峠を大きく切り崩して車の通行を助けることになりました。

ちなみに大柿町に最初の自動車が現れたのは大正15年の頃で、昭和2年頃からは乗り合いのバスが運行、柿浦から大原、鹿川を経由して能美町の中町(中村)の間を往復しました。

その後呉市営バスが江能線として延長開通したのが昭和19年、長く市民の足として親しまれてきましたが、収益の悪化により呉市営バスが撤退したため、2008年4月、第三セクターの「江田島バス株式会社」が江田島市内の路線を引き継ぎました。

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上のセピア写真とほぼ同じ位置を写したもので、右の方向が柿浦との境となる福連木峠です。

その後も何度かの改良工事を行い、かってこの福連木峠が難所であったことを知る人は少なくなりましたが、今も県道300号線として大原と柿浦とを結ぶ最重要道です。

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県道300号線は衆議院議長でもあった、灘尾弘吉氏(1899~1994年)の生家(木綿の製造・醤油醸造)前を通過し、すぐに国道478号と交差します。

軒下には新宮八幡宮の祭礼をひかえて、しめ縄が張られています。

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県道300号が整備される前の、大原から深江地区へと続く旧道です。

銘木を扱うお店だったようで、小さなお家ですがしゃれた感じの店構えです。
色のかすれた看板には、株式会社 光田銘木店 創業大正14年 高級建築材、変木銘木、天井板〇〇、北山・吉野産杉丸太?などが読み取れます。
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大原 大原港

5)大柿町南部 大原港 
天然の良港である大原港は、漁船の泊地として、また和船や木造漁船・農船の建造修理をする小規模な造船業で栄えていましたが、時代は木造船からFRP船へと変わり、家内工業的な当地の造船所ではFRPでの新造船造りは難しく、長年培った木造船造りの伝統技術を後世へと引繋ぐことができなくなりました。

また、今まで海上輸送にのみ頼っていた木材や鋼材、生活物資の移入、当地で生産された農産物や海産物、加工品の移出もすべてがトラックによる陸上輸送一本となり、海運物流拠点としての大原港の役目はすでに過去のものとなってしまいました。

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丘の上から見た、大原湾の最奥部です。

かって大原湾の最奥には木材を組んだ筏が海面を覆いつくし、焼玉エンジンをフルスロットルとしたはしけが力強く筏を引く姿がありました。
また、陸上の製材所では一日中糸鋸の歯が回転し、辺りにはラワン材や松材を引いた木くずの匂いが四六時中漂っていました。

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水畑地区の屋根越しに見る大原湾、対岸は矢比津地区です。
両地区とも全面は大原湾、背後は急峻な崖で、そのわずかな隙間に多くの家々が密集します。

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近年になり、港湾整備が進みましたが・・・

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小型底曳き網漁船の「海光丸」です。

底曳き網漁にも各種の漁法がありますが、このタイプの漁船はマンガンと呼ばれる爪歯の着いた鉄枠に網を付けて海底を引き回し、どろ砂に潜っているカレイやエビ、ナマコをすくい取ります。

底質の違いや対象魚種、漁区や漁協ごとの取り決めで、マンガンに爪歯のないものもありますし鉄枠の構造や網の取り付け法にも千差万別、操業期間や操業時間などにも取り決めがあります。

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すべりに引き上げて、船底や船体を整備塗装中の「住宝丸」です。

この漁船も小型底引き網漁船ですが、先の「海光丸」のような鉄枠は使わずに、網だけを海底に下ろし、十数メートルの張り竿を使って左右に大きく広げた網を巧みに操作し、より広い面積の海底を引き回します。

地域により名称は異なりますが一般的な漁業許可証の分類として、「えびこぎ網」「なまここぎ網」「けた網」「貝けた網」「なまこけた網」等の許可証に分類されるみたい・・・(*^。^*)です。

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「住宝丸」と同タイプの小型底引き網漁船「第三藤丸」の魚網巻揚げ機です。

このタイプの漁船が得意とする「えびこぎ網」漁は夜間操業ですので、危険な作業スペースである巻き取りドラムの付近はきれいに整頓され、作業に必要な道具類はホルダーやフックを取り付けて定所に置き、使い勝手が良いように工夫して配置されています。

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大柿町歴史資料館に展示の大原湾内の写真です。

「鉄輪松」とあるのは、今の叶枩神社付近だと思いますので対岸の家々は水畑地区?。
帆船は風の力を利用して、打たせ網漁(えびこぎ)をする漁船です。

大原地図1899 
明治32年の大原湾付近の地図(国土地理院)です。

原画ではないので不鮮明ですが、大原湾付近の地形は今とほとんど変わらず、この頃にはすでに干拓事業も終り、大原湾の堤防もきっちりと築かれていたようです。

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丘の上から見た大附の方向です。

今も少しづつですが、港の整備は継続中です。
新規に最新式の桟橋が増設されました。

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大原湾の南、小古江付近から見る、大原湾の入口付近と、はるか南には陀峯山の山容がシルエットとなって見えます。

手前海面に見えるのは、杭打ち式垂下と呼ばれるカキの養殖棚です。
現在主流である筏式垂下法が開発されるまでは、この杭打ち式や、ひび建、地蒔き、で養殖されていましたが、今はカキ幼貝の生育調整などに利用されています。

大原 陀峯山山系

陀峯山山系山名 
国土地理院地図にみる陀峯山山系の山々です。

赤字で記載した山名と標高は、大柿町史に記載されたそのままです。
大柿町史と地理院地図では、ピークとなる山頂位置や三角点設置位置など計測点が違うため、標高数字はそれぞれに違っています。
また、空山と深道山は大君地区の山です。

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倉橋島から早瀬水道越しに見た陀峯山山系です。

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倉橋島「火山」の登山道から見た北西方向で、画像中央部に早瀬大橋、左が能美島南部陀峯山山系の山々です。

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倉橋島重生付近から見た、一本松山(323,5m)です。
採石事業により、すでに山頂部は削られてしまった?かも・・・(^_^;)です。

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南部海岸の岩山に登ってみた、一本松山の東側斜面です。
画像は2013年1月の撮影です。

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同じく岩山の上から見た、東側方向で眼下に長瀬鼻や開発中の南部海岸別荘地が見えます。

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南の方向には倉橋島の善太郎鼻が突き出し、遠く安芸灘に浮かぶ島々が逆光に影絵をみせます。

昭和18年6月8日、戦艦陸奥が弾薬庫の爆発により謎の爆沈をした柱島泊地や、その先の周防大島もくっきり・・・(*^。^*)です。

ちなみに、戦艦陸奥は爆沈前に行われた大改装で主砲の45口径41cm連装砲4基が新型に換装(昭和10年)されました。
このとき、それまで使っていた主砲4基のうちの第4砲塔が江田島町の海軍兵学校に教材用として陸揚げされ、現在も当時のままに海上自衛隊第一術科学校校内において保管展示がされています。

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洋上訓練を終え呉港に帰投する海上自衛隊の掃海艇です。
大型の護衛艦等は江田島を時計回りに迂回して呉港に入りますが、小型の艦艇は江田島(能美島)と倉橋島の間にある早瀬水道を通過して呉港へと向かいます。

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大原水畑地区の丘の上から見た陀峯山山系です。
陀峯山は画像中央やや右の少し窪んだ部分で、左のピークに陀峯山頂と彫られた石碑があり、右がTV電波塔のある陀峯山最頂部です。

5)大柿町南部 隠地林道・椿林道・陀峯登山道 
陀峯山山系を三分割するように三本の林道兼登山道があり、いずれも陀峯山山頂に繋がります。

もっとも古くに整備されたのが昭和43年完成の陀峯山登山道で、その2年前の昭和41年、陀峯山最頂部に大柿テレビ局(NHK)が完成し運用を開始しました。

今は「大柿デジタルテレビ放送所」となって、日本放送協会広島放送局・中国放送・広島テレビ放送・広島ホームテレビ・テレビ新広島の5局が共有する電波塔が立ちます。
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