深江 親休鼻 2/2

グーグル親休鼻 
親休鼻は能美島の最南端、簡単には近づけません。

半島の西側海岸のルートだと茶臼山から海岸に沿って約3km、ただ歩くだけなら1時間チョットの距離ですが、岩場あり~の、砂地あり~の、ゴロタ石あり~の・・・(^_^;)です。

半島の東海岸に沿ってだと残り100mの位置で断崖絶壁となり歩いては到達できません。
どうしてもっていうなら、その100mを泳ぎきれば親休鼻先端にタッチすることができます。

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半島東の付け根、秀地から入り、東側の海岸沿いに南進して行き止まり近くの小山に登ってみました。
右先端の断崖部から100mばかり先が親休鼻です。

青い海の遥か海上に霞む、とんがった山が周防大島の嵩山で、左隅に柱島の山裾が少し写ります。

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左から伸びる島影は倉橋島の善太郎鼻から大向鼻、右手前のなだらかな島が柱島です。

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東側の海岸にも風波にさらされ、岩肌を削られた奇岩がいっぱい・・・(*^。^*)です。

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こちら西側海岸も東に負けず劣らず、奇怪な岩肌が屏風のようにそびえます。
で、もって、崖の上から、だれかに呼ばれたような・・・???

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潮が満ちるまでにはまだ少し余裕があるので、ちょっと寄り道を・・・。

フリークライマーのような強い握力や筋力は持ち合わせていませんので、カッコ悪いのですが浜辺の漂流物の中から使えそうなものを集め、それらを利用して岩をよじ登ります。

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岩山の上から私を呼んでいたのは、水晶さんのご家族でした。

数千万年もの間、暗くて冷たい岩穴に閉じ込められていた水晶さんたち、やっと潮風と陽の光を浴びることができました。

めでたし、めでたし・・・(*^。^*)です。

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この岩穴は、水晶さんのお家ではありません。

採石作業で作られた爆裂岩です。
花崗岩の岩肌にドリルで穴をうがち、ダイナマイトを装填して爆破した痕跡です。

ダイナマイトが使用される以前は、岩盤に数センチ間隔で石ノミを打ち込み、クサビによる破壊力だけで石を切り出していました。

島内でも古い石垣には、そのクサビ穴の跡が残った石材があります。

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だいぶ潮が満ちたようです。
急いでかえらなくっちゃ~。

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急いで帰る途中、おや、おやおやぁ~~~。
花崗岩の小石に混ざって、ゴロリ黒光りする石があります。

ペットボトルと同じサイズの水晶さん。
長い年月、打ち寄せる波で削らて角がありませんが、まさしく水晶さん。

「オラァ~もう、波と遊ぶのもあきたから、おまえさんチに連れてってくれよ~」
どうぞ、どうぞ、大歓迎します・・・(*^。^*)です。
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深江 親休鼻 1/2

5)大柿町南部 親休鼻 
江田島市内において、もっとも人の手の届きがたい地、放任された土地がこの親休鼻(おやきゅうばな)へと続く半島です。

とは言いましても、昭和後期の頃まで、少しでも水が確保できる沢筋はすべてが人の手によって耕されており、急斜面に生える雑木も多くが燃料として切り出されていました。

また、海岸の岩場は便利の良いところから順にダイナマイトをかけられ、石材採取の好適地とされて大いに賑わいました。

この地が人々に忘れられ、自然へと回帰し始めたのは、昭和60年代に入ってからです。

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茶臼山までは車で入ることができますが、その先は潮のひいた海岸線をひたすら歩く以外に道はありません。

岩場を4、5百メートル進むと、ひろ~い砂浜に出ます。

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砂浜のエンドは花崗岩アーチのくぐり抜けです。

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ここも元はくぐり抜けだったようですが、天井が落ちて切通しになりました。

ちなみに、満ち潮となれば切通しは水深3mの水路となります。

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まだ潮の引く時間帯なら先へ進んでも良いのですが、すでに潮が満ちる時間に変わったなら、もう何をおいても急いで引き返さないと・・・(^_^;)です。

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ここまで登れば潮をかぶる心配はありませんが、足場は最悪です。

右には長島が見え、はるか半島の先端には烏帽子岩が見えます。

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波と風で削りだされた一つ一つの岩がそれぞれに個性を持ち、どれもが造形美の極みに達しています。

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イノシシも躊躇するような崖の上に、なんとシランがお花畑をつくっています。
どっから種が飛んできたのか?、野生のシランは初めて見ました。

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花崗岩のわずかな隙間に育つ、ハマボッスの清花。
咲き乱れる浜払子(ハマボッス)の下に頭を下げれば、少しは煩悩を振り払っていただけるかも・・・(*^。^*)です。

極端な痩せ地ですので特別な植物は見ませんが、シラン、ハマボッス、スミレ、コオニユリ、ユウスゲ、キジカクシ、キキョウ、ハマナデシコ、ノギクの仲間、セリ科の植物などを見ます。

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親休鼻の先端から飛び石で続く岩礁と、最先端の烏帽子岩です。
栄養塩類が豊富なようで、ヒジキやホンダワラが分厚いマットレスのように岩礁の上を覆います。

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対岸の沖野島から見た親休鼻先端部と、その沖合でサメのヒレのように飛び出したのが烏帽子岩です。

霞む遠景は倉橋島の山々です。

深江 長島・我島

5)大柿町南部 沖野島・長島・我島 
沖野島の南2000m、親休鼻(おやきゅうばな)の西500mばかりの沖合に2つの島、長島と我島(わがしま)が浮かびます。
長島(面積0.22㎢、周囲1.8㎞)、我島(周囲0.3㎞)普段2島は7、8mの海峡で隔てられていますが、最大に潮が引けば飛び移ることのできる距離にあります。

長島・我島(グーグル) 
画像はグ-グル地図(2015年)です。
長島の左上、雨滴のようにくっ付いて見えるのが我島(わがしま)です。

我島で波を遮られた海面は、一時期真珠貝の養殖が行なわれたこともありますが、いまは砕石運搬船の停泊地となっています。

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大柿地区歴史資料館に展示されている、「我島(長島)の図」です。
作者は江戸中期の狂歌師芥川貞佐、号は桃緑斎で「桃緑斎 貞佐」です。
(中央部手前の半島のように飛び出している小山が我島、背後が長島です。大黒髪島方向からの鳥瞰図です。)

大柿地区資料館の説明書きに・・・

我 島 、 奈 賀 島 ( 長 島 )

古歌に和田海の、おきところこそ、うたてけり、こはわがしまぞ、これはなが島、一におきところこそ、うきたれば、こる我島そに作る。
歌枕名寄に、當国に繋たり、懐中抄に見ゆ、読人を記せず、能美島、深江村、牛鼻西北海上十町許に二小島あり、一は我島と称し、周五町許、一はなか島と称し、周一里餘、是和歌所詠なりといふ、厳島道芝記に、此歌を神詠として、我島は厳島の事とす。
今歌の意を考るに我身の所置よからずして、われはわが島に居り、汝はなが島に居りて、同じく住むことを得ずとの意なるべし。
されば男女相おもうのうたなり、恐らくは、神詠の託する所にあらず。

  俳師風律、此島に至り、句を題す
       千代やへむ、こる我しまの松露とり
                 (芸藩通志巻五十四による)

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貞佐の「我島の図」にもあるように、我島近海は今も漁場としてにぎわいます。
この日は、シラス漁の魚船が入り乱れ、何度も網を巻き上げていました。

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普段は無人島ですが地権者や、漁協関係者のご厚意で、夏休み市内の小学5、6年生を引率しての体験学習会が開かれます。
(主催 さとうみ科学館)

画像左に我島の全景、背後に採石場が白く見えるのが大黒神島です。

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静寂無垢、透きとおる無人島の海辺はまさに別世界。
海には慣れ親しんでいる島の子供らも、始めて体験する異常空間に尋常では無いはしゃぎようです。

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周囲1800mの海岸を潮の引く2時間で一周します。
見たことの無い磯の生物に興味津々、歩は止まりますが時は止まりません。
急がねば、やがて満ち潮に転じた潮はすぐに胸元まで達します。

全島が花崗岩で土などなさそうな島ですが、岩の割れ目に水が浸み、苔、草、そして木々へと成長します。

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島の東側、親休鼻から見た長島です。
我島は長島の陰に入って見ることができません。

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長島から海を隔てた、その西には米海軍海兵隊岩国基地があります。
訓練飛行の航空機が何度も上空を通過します。

ちなみに、長島山頂は88m、右に出っぱっている小山は我島です。

長島・我島アーカイブ
長島、我島のアーカイブ航空写真画像です。
左は、昭和22年、右は昭和50年、木々の緑は確実に増えています。

深江 沖野島

5)大柿町南部 沖野島・長島・我島 
深江に属する島として、沖野島(面積0.83㎢、周囲5.7㎞)、長島(面積0.22㎢、周囲1.8㎞)、我島(周囲0.3㎞)の3島があります。

沖野島はかっては孤島でしたが、昭和47年架橋により深江新開地区と地続きとなりました。

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深江市街の北、畝山の中腹から見た沖野島です。

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陀峯山への登山道、椿林道から見た沖野島です。
その先、山肌に採石場が白く見えるのは大黒神島です。

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橋を渡るまえの、県道300号線(島戸)から見た沖野島です。
穏やかそうに見える瀬戸の海ですが、長い年月をかければ硬い花崗岩にも大穴を開けることができ、干潮時にはくぐり抜けが可能な洞窟(黄幡の通し穴)もあります。

また、左の入り江は「黄幡の生洲」と呼ばれ、昭和中期の頃まで、入口を網で囲い大きな生けすとして使用されていました。

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同じく、対岸の島戸から見た海の駅「沖野島マリーナ」です。
係留保管された大型ヨットのメインマストが林立します。

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沖野島と深江新開を繋ぐ橋が無かった頃は、農船と呼ばれる頑丈な小船に、肥料や農耕具を積んで日帰りの通い農業がいとなまれていました。
乏しい水源をやりくりし、米、麦、サツマイモ、戦後はミカン栽培も盛んでしたが、はるか西のはて、知る人ぞ知るの辺鄙な島でした。
ところが、昭和59年NTTの保養研修施設「マリントーク」が建設され一躍、リゾートアイランドとして脚光を浴びました。
そのまま、バブルが続けばゴルフ場や宇品からの定期船なども期待されましたが、現在は他所に転売され辛うじて維持管理がされている状態です。

夏休みになっても人っ子ひとりいないプライベートビーチです。

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元マリントークの私有地からはなれ、沖野島の最南端付近に広がる広大な小石の浜です。

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見た目はきれいな海岸ですが、小石には鋭いカキの殻がびっしり付いていて素足で歩くことはできません。しかも、山越えの道はありませんので、引き潮の時間帯を狙って海岸沿いを1時間、ゴロタ石の上を歩いて来るのみです。

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沖野島の最南端に立つ、親子岩です。
5m近い高さのどっしりとした大岩ですが、満潮となれば頂部をわずかに残して海中に沈みます。

爽快な気分となって沖に浮かぶ長島や我島、往きあう船をのんびりと眺めていたら、12時間後に再び干潮となるまで崖の上から垂れる松の枝につかまって待つことになります。

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植生が豊かとは言えない、表土の薄い痩せ地ばかりの小島ですが、おそらく市内最大のカンコノキが大きく枝を張ります。
鹿が食べないので宮島ではよく見る樹ですが、江田島市内では他の木々や蔦類の日陰となって大きく育つ前に枯れてしまうようです。

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ユウスゲは海岸の絶壁から流れ出る清水の周りで目にします。
汚染された水や空気を好まないようで、人家から遠く、日差しを遮るような大木が育たない場所によく見ます。

今年は確認できませんでしたが、この付近ではピンクの花色が一段と濃いササユリも見ました。

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木陰の下に、他所では見ることの無い清楚な色合いのタツナミソウも自生します。
十字架のような蛾はたぶん、トリバガかその仲間・・・(^_^;)です。

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この島は全島が花崗岩でできています。
同じ花崗岩でも、風化の度合いや僅かな成分の違いでおもしろい形が出来上がります。

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ええなぁ~~~、じつにええわぁ~~~ ・ ・ ・ (*^。^*)です。

深江 円佛山・茶臼山

5)大柿町南部 円佛山・茶臼山 
登山道が見つからず登ったことはありませんが、田中川の南には円佛山122.7m(大柿町史では円仏山121.4m)があります。

さらに深江新開から海岸沿いに南に1kmばかり下った位置には茶臼山11mがあります。

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深江市街地の北側、中郷の高所から見たなだらかな山容をした円佛山です。
画像左は元深江小学校(現さとうみ科学館)、中央に十王堂の乗る丸子山があり、そのはるか延長が円佛山です。

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近年の港湾整備で、一段と大きく使いやすくなった深江漁港を挟んで、その背面を守る円佛山です。
この円佛山中腹には宗顕寺の前身とも云える真言宗妙華山妙顕寺があったとされます。

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深江地区の南海上に浮かぶ島々・・・
画像左から、親休鼻(半島)、茶臼山、岩礁、長島、岩礁(せんたく岩)、我島です。
なんのこともない画像ですが・・・

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海上に浮かぶ茶臼山、なんのこともない画像ですが・・・
実は、この茶臼山は国土地理院の地図上で、広島県内にある山頂標高点として、もっとも低い11mとして記載されているのです。

平たく言えば国が認めた広島県内でもっとも低い山。 だってことに、なっていた、のですが・・・

実は近年の再測の結果、今まで第2位だった瀬戸田町宮原の城山が茶臼山と同列の11mとなって記載されてしまいましたので、今は城山と同列1位となります。

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満潮になりますと最大4m近くも水深が上昇し歩いて茶臼山に行くことはできませんが、潮が引けば簡単に上陸することができます。

画像は、2007年5月19日の午後4時頃です。
江田島の自然と海の生物に親しんでもらうため、「さとうみ科学館」主催による自然観察会の様子です。
潮の引いた砂浜に広がる緑のじゅうたんは、今ではあまり見られなくなったアマモの大群落です。

アマモの生える浅海は小魚の楽園ですが海砂採取や埋め立て、海水透明度の悪化などで、今日瀬戸内のアマモは瀕死の状態にあると云います。
かって化学肥料の無かった頃は、遠浅の海で無尽蔵に繁茂するアマモを刈り取って田畑の肥料に使ったりもしたとか、何処にでもある見慣れた海草だったと伝え聞きます。

以下、NHKエコチャンネルよりコピペ・・・m(__)mです。

海 と 生 き る  2013年6月14日 放送
アマモには野菜などの成長に欠かせないカリという養分がたくさん含まれています。
昭和30年代まで、瀬戸内の島々の農業に、アマモは肥料として欠かせない存在でした。
その後、カリ鉱石で作った肥料にとって代わられると、アマモは見向きもされない存在になりました。…

茶臼山国土地理院 
国土地理院電子地図に、はっきりと茶臼山11と記載があります。

瀬戸田城山11m 
参考として、瀬戸田町宮原の城山も・・・
海岸の防波堤の根元に「城山11」と記載があります。

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大柿町深江の茶臼山と瀬戸田城山とが一位同列というのは少しがっくりですが、最高のロケーションにそびえる標高11mの茶臼山は、荒波に洗われた花崗岩のムキムキ肌、さらに青松がフサフサと茂り潮風になびきます。

と、身内びいき・・・(*^。^*)です。

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泳ぎに自信があれば別ですが、茶臼山に登れるのは干潮時の数時間のみです。

画像は茶臼山山頂11mから南の方向を見た画像です。
海面から山頂までを、10秒で登れる山はたぶんこの茶臼山だけだろうと思います。

山頂に三角点表示はありませんが(石柱を埋めるだけの広さがない?)、松の枝を避ければ絶景かな全周を見渡すことができます。

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近くの岩礁でウミウが羽を広げてアピールします。
ガハハハハ、ギャーギャー言うなよ、「こっちの方がもっと低いぜ」って・・・(*^。^*)です。

深江 鳴河川・井戸・池

5)大柿町南部・田中川・鳴河川 
大窪寺の前を流れる鳴河川は陀峯山山系の急峻な花崗岩を削って水尻灘へと注ぎ込みます。

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昭和20年9月の枕崎台風により、鳴河川は土石の下に埋もれてしまいましたが、たくさんの人々の努力により、りっぱに復興することができました。
(大柿地区歴史資料館蔵)

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その後の農業不振により多くの田畑が耕作放棄されましたが、農道脇でお地蔵さんが見守ってくれている田んぼだけは今もかわらず、すてきな田園風情を見せてくれます。

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田んぼを見守てくれているお地蔵さんの後ろは堅い花崗岩の断崖となっていますが、ただ一ヶ所小さな割れ目が開き、清水がこんこんと湧き出ます。

軽トラの荷台に空のペットボトルを5、60本載せ、わざに水汲みに来られる方も・・・(*^。^*)です。

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深江新開からさらに海岸線を南に下がると、小さな橋に釣附橋とあります。
水量豊かに見えますが、すべて海水、自然豊かな川岸に見えますのは実は元海岸線、埋め立てによってつくられた人工の川?です。

この川の上流にも農地がありましたが、耕作環境が悪いことからゴルフ用地となり、その後諸事情あって江田島市に譲与されました。
江田島市では、オリーブ栽培を地域振興の目玉と位置づけ、市の主導で土地を造成、民間会社に栽培委託し、やがては全島を観光オリーブ園化すべく奮闘中です。

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釣附橋を渡った先に大きな調整池が広がります。
遠浅の海岸を閉め切り、いずれは埋め立てて農地(養魚場?)とする予定だったのが、そのまんま???・・・

いまは水鳥の休息地、マガモやバン?などが飛来し、イトトンボやチョウトンボが乱舞するビオトープとなっています。

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深江大附に残る調整池です。
池の真ん中に橋が架かり人が渡ることもできます。
私のもっとも好きな景観で、広島市の縮景園にも劣らない風情があるとおもいます・・・(^_^;)です。

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今も使用されている共同井戸です。
もともと地下水脈の貧弱な当地にあって、汚水水路の不備により多くの井戸が汚染され使うことができなくなりました。

近年になりやっと下水道管が配備され、汚水が水路や地下水に流れ込む危険が少なくなりました。
井戸にスイカやウリを投げ込んだり、ダイコンやホウレンソウが洗えるきれいな地下水が復活することを願います。

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個人宅にある井戸場です。
お米を磨ぐのも、手洗濯もすべてこの井戸場で済ませていたことでしょう。
あっ、風呂水汲むのは大変だったでしょうね。

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まっ、滑車を利用すれば、子供でも五右衛門風呂の水くらいは汲めたかも・・・(*^。^*)です。

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文明の利器登場。
手押し井戸ポンプ「津田式ケーボー号」です。

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雛段状に並んだ田んぼの最上段につくられた農業用ため池です。

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これまで水を流していた田んぼがつくられなくなり、だ~れもため池を必要とする人はいません。
稲穂のかわりに、キショウブの花が黄金に輝きます。

深江 田中川

5)大柿町南部・田中川・鳴河川 
深江地区を流れる川は田中川と鳴河川の二本だけだと言っても良いでしょう。
田中川は流路延長2.12km、流域面積1.26㎢
鳴河川はそれぞれ1.72km、0.82㎢です。

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平成5年現在深江はもとより、大柿町内においても2級河川として指定を受けているのは唯一この田中川のみです。
それだけ重要とされるのは、この川が人々の暮らしにもっとも密着した、必要不可欠な恵みの川だったからです。

と、いってもわずか2kmを流れ下る川に流域の住民皆を満足させるだけの水量はありません。
画像では満杯に水を湛えた水量豊かな川に見えますが、今は満ち潮、すべての水は海水と同じ濃度の塩分を含んでいます。

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河口から500mばかり遡った田中川の中流部です。

このあたりまでくれば海水が登る心配はありませんが、見るからにか細い流れです。
今、流域の田畑は荒れ放題、昔のように我田引水に目の色を変えることはありませんが、それでもこれだけの水量しかありません。
10日も雨が降らなければ干上がってしまいます・・・(^_^;)です。

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川は二級河川として整備されましたが、むかしの田園風景は今いずこ・・・

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よかった・・・(*^。^*)です。
まだ、田んぼがありました。
そろそろ代掻きの準備かなぁ~。

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やった。
まもなく、黄金の穂がなびきます。

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お百姓さんにとって、いちばん嬉しいとき・・・(*^。^*)です。
イノシシさん、スズメさん遠慮してくださいね。

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田中川上流に造られたため池です。

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いまは、ほとんど整備がされていないようですが・・・

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乾燥地にも強いコバノミツバツツジですが、やっぱ水があったほうが良いに決まってま~す・・・(*^。^*)です。

深江 薬師堂

5)大柿町南部 深江薬師寺 
能美島志(1763年)にも記載のある、薬師堂は深江中畦と呼ばれる尾根の先端近くにあります。

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元深江小学校(現さとうみ科学館)の東側、もとは小さな段々畑に囲まれていただろう傾斜地を削って小さな瓦葺のお堂が建ちます。

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お堂の表札には、「第十一番本尊薬師如来 薬師院 藤井寺」とあります。
切妻屋根を乗せた小さなお堂ですが、ガラス格子など細部に凝った造りを見せます。

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引き戸を控えめに開かせていただき、深く一礼しました。

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薬師如来さまは、厨子の中にお座りになっており、黄金の光を放っておられました。
合掌 ・ ・ ・  m(__)m です。

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引き戸を閉ざそうとしたその時、左奥から青白く光芒がさします。
 え、えっ。 
  ええ~~~っ。
なんと、大ウミガメの甲羅が立て掛けてあります。
甲羅の長さは目測で1m、おそらくアオウミガメだと思いますが・・・?です。

ちなみに、薬師堂のすぐ下にある「さとうみ科学館」には甲羅長が1mちかいオサガメが展示してあり、むかし深江の沖で漁網にかかったものだと云います。

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薬師堂の屋根の向こう、ときに大ウミガメが迷い込む豊饒の海が広がり、その海を守るかのように大黒神島が両袖を開きます。

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薬師堂の建つ小丘から見る深江の家々です。

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振り返って尾根の方向には、ず~っとはるか先の峰までご先祖様の墓標が続きます。
合掌 ・ ・ ・  m(__)m です。


深江 十王堂

5)大柿町南部 十王堂 
過密する深江の街を押し分けるように突き出した半島の先端、丸子山に十王堂が建ちます。

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人々が移り住み、この町が大きく発展するまで、十王堂の建つ崖下には、はるか先まで白砂が輝き青松林がつづいていたことでしょう。

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たて込む民家との間の狭い路地を抜け急な石段を登り切ったその足元、木漏れ日がそそぎタツナミソウの青い花が風に揺れていました。

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見上げれば、松材を斜めに引いた荒削りの板に十王堂と名が入ります。

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もともとから扉が有ったものかは不明ですが、まともに吹き付ける海風を避けるため今は頑丈なアルミの引き戸がはめ込まれています。

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堂内にはさらに格子戸があり、奥の祭壇に座位の木造仏三体が安置されています。

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方形屋根をまとめた頂部に乗る露盤(ろばん)には蓮の花がはいっています。
その上に伏鉢がかぶさり、平頭と呼ばれる円管が入り最上部に宝珠が乗ります。

これら一体を露盤宝珠と呼びますが・・・
以下コピペ ・・・ m(__)mです。

露盤宝珠 (ろばんほうじゅ)
屋恨を真上から見たとき、方形、六角形や八角形の場合は、各面が頂部の一点に 集まるため、そこで雨仕舞いが必要になります。
日本の古建築ではこの頂部に、露盤宝珠を取り付け ます。
ただ露盤宝珠は単に雨仕舞いだけでなく、多分に装飾的な意味も持ちあわせているものです。
露盤の上に伏鉢や平頭、受花(請花)を入れたり、また宝珠に炎のような装飾が付けば火焔宝珠といいます。

2014-02-03 002 075 
お堂の横には背中に梵字の入った石仏が、なぜか海を背にして立ちます。

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境内から見る大黒神島はほぼ真西に位置し、足元には飛び移れる近さに家々の屋根が迫ります。

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振り返れば、ススキが受花となり宝珠に日が入って輝きを放ち、まさに火炎宝珠となって四方を照らし始めていました。

深江 大窪寺

5)大柿町南部 大窪寺 
深江地区の南部に新開と呼ばれる部落があり、その新開を潤す鳴河川を少し遡ったところに真言宗大覚寺派 水尻山大窪寺(嵯峨御所)が建ちます。

2014-01-08 001 004 
新開と呼ばれる干拓地は今は葦原となってしまいましたが、その葦原の先に何やら・・・
目をこすりパチクリすると黄色い衣を召した大仏さまが見えてきます。

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県道とは名ばかり、小型車の離合も困難な細い道の先、瓦屋根の上に大仏さまが・・・

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今は見慣れてしまいましたが、初めてお目にかかったときには、日ごろの不浄不摂生を見透かされたような気がして、三歩後ずさりをしてしまいました・・・m(__)mです。

2013-11-29 002 006 
お傍まで近づきますと不安定な屋根瓦の上ではなく、鉄筋コンクリト造りのしっかりした本堂の屋上にゆったりと趺坐される大仏さまです。

本堂正面の寺額に大窪寺と太く墨書されています。
大窪寺の創建時期は不明ですが現本堂の落慶は昭和41年、大仏さまは先代の御住職が門徒衆のご協力の元に手ずからお造りになったとか・・・。

コンクリート製でペンキ塗装、胎内は空洞となっていて先代が納めた木造仏が安置してあるとか・・・。

注 :大窪寺との直接的なつながりは不明ですが、能美島志によれば寛治五年(1091年)能美庄が高野山領となるのに関連し、大原村山麓に真言密教 福納寺が建てられていたとか・・・(^_^;)です。

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本堂脇に建つお堂です。

堂内には立像の薬師如来さまが安置され、表札に第八十八番本尊薬師如来 水尻山大窪寺 奉納者 神戸市石崎平吉と。

ちなみに水尻とは、お堂の前を流れる鳴河川が流れ込む茶臼山と沖野島との間の水尻灘を指します。

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簡素ですが鐘楼も備えられ、南無大師遍照金剛と名の入った梵鐘が架かります。

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大窪寺の前を流れる鳴河川を遡りますと、今では数少なくなった田んぼがあり、その田んぼを見下ろすようにお地蔵さまが何体も並びます。

不思議といえば、いつ通りがかってもお供えの花はいきいきとし、炎天の夏も極寒の冬も途切れることなく咲いています。

2015-03-06 015 
新開部落の中央にそびえるムクノキの古木です。
その大きなムクノキに背中を合わせて、また一体のお地蔵さまが立たれます。
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