小古江 農道

小古江農道 
小古江地区では古くから遠浅の海を干拓し、また山肌を削っては雛段を重ね、長い年月を費して開墾が進められてきました。

そのため、山の頂にまで続く細い農道が縦横に張り巡らされていましたが、近年の農業や林業の不振により多くの農道や開墾地が雑木に覆われてしまい、その痕跡さえも失われようとしています。

上図、グリーンで示してあるのが今も利用できる農道、兼生活道路となります。

2015-03-31 072 
春、山桜が咲き始めました。

小古江大坪には大道山(192.5m)が、小古江桜には、立山(192.5m)がありますがいずれの山も登山道を見つけることができません・・・(^_^;)でした。

2015-03-31 037 
農道脇の枝垂桜も花盛りです。

2015-03-31 032 
元は田んぼだったなごりを残し、レンゲの花がそこかしこ・・・。

2015-06-10 056 
休耕田にはハナショウブが植えられました。

2015-03-31 082 
昭和20年代まではサトウキビが育てられていたと云います。
そのサトウキビを搾るための石臼・・・(*^_^*)です。

ちなみに、文政二年(1819年)国郡志書出帳に記された小古江村の産物を・・・(大柿町史よりコピペ)

植物
「竹木花実」

松・杉・栗・枇杷・梅・桜・椿・柳・桃・槇・柿・つつじ・樫・菊・牡丹・仏の座・あさがお・水仙・あやめ・かきつばた・撫子(なでしこ)・せきちく・千日紅・金銀草・しのふ

「五穀」

米・麦・大豆・粟・黍(きび)

「物産」

椿・わた・芋・そば・唐黍(とうきび)・大こん・大角豆・さや豆・小豆・猿豆・あらいも・牛蒡・ちさ・ふき・わけぎ・ねぶか・なすび・木瓜・うり・冬瓜・ほうふら(かぼちゃ)・○うま・めうが・ごま

「薬品」

桔梗・白朮(びゃくじゅつ)・半夏・忍冬・麦門・陳皮・防風・葛根・香附子

動物
「禽獣類」

鴨・ひよ・鳩・四十から・雲雀・雉子・すすめ・からす・鷺(さぎ)・鳶(とんび)・もす・ばん・鶯・ひわ・磯雀・かもめ・かうもり・蚊・ぶと・はい・せみ・とんぼ・蛍・けら・蟻・蛇・はたをり虫・犬・猫・兎口鹿・まみ・猪

「魚類」

鯛・かれい・なまこ・あなこ・さば・いわし・たこ・此代(このしろ)・いな・はて・かなす・海老・片握(?)・めばる・ちまき・白魚

・・・です。

2014-11-04 087 
タバコ葉の火力乾燥小屋です。
葉タバコは大正後期のころから昭和40年代まで盛んに栽培されていました。

2014-08-18 046 
農道を登り詰めた先で、おどろく光景に出会いました。

米造りには八十八の手間が掛かるといいますが、この田んぼにはその倍の手間隙が掛かっていそうです。

2014-08-18 043 
このすてきな稲田を作り出した、おじさん・・・

「我ながらよくやった」って、腰に手を当てて田んぼを眺めています。

まったく、すばらしい出来・・・(*^。^*)です。

2014-11-04 022 
秋の陽に、カキの実が赤く染まりました。
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小古江 国道487号線

5)大柿町南部 小古江R487 
江田島市内を通過する唯一の国道が小古江地区の海岸を南北に走ります。

わずかな区間ですが、市内では最大級の道幅で作られており、歩行者や自転車も安心して通行ができます。

2012-12-07 002 009 
能美町に近い小古江地区北部の国道海沿いに江田島市交流促進センター「ふれあいプラザ・さくら」があります。
平成8年3月、小規模生産者や高齢者等の所得の向上と社会活動の場、都市住民との交流拠点として旧大柿町が建設しました。

さくらには直売コーナーと食事コーナーがあり、直売コーナーでは、地元農家で生産された新鮮な野菜を安価で販売、食事コーナーでは、名物の大豆うどんや、手作り寿司などの昼軽食が提供されます。
また、農家の主婦グループが農水産物を使用して作ったクッキーなど加工品も販売されます。

2014-09-25 234 
対岸から見た「ふれあいプラザ・さくら」です。

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元は曲がりくねった細い道幅の道路でしたが、いまは島内最大の道幅に改装されました。

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国道わきに大濵商店さんが、がんばります。
看板には酒王千福・酒類・タバコ・清涼飲料の文字が見えます。

2015-03-31 086 
澤病院前バス停に揚げられた、江田島市バス運行路線図です。
この付近を最初に通過した定期乗り合いバスは、昭和5年(1930年)、芳本兄弟自動車商会による六人乗りT型フォード2台での柿浦~中村間の一日四往復が始まりだとされます。

当時バス停は無かったと思いますが、今のバス路線図に当てはめて見ますと・・・
柿浦桟橋―柿浦峠―大柿支所前―大柿高校前―大古農協前―峰ヶ迫―澤病院前―余防―鎌木―東浜―中浜―鹿川学校前―是長口―下郷―上郷―永田―宮山―迫田口―能美中学校―長石―中町桟橋 ってことに・・・(*^。^*)です。

2014-09-17 122 
バス停名にもある澤医院です。

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完成当時の澤医院です。(大柿地区歴史資料館よりコピペ)
現在の澤医院は画像手前の田んぼを埋め立てて造られています。

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国道の海側、大原湾に接して和船専門の造船所があります。

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1,2年前?に伝馬船を新造進水させたとの話を聞き、急ぎ探し当てたのですが、残念。
新造船が造られる気配はありません。

ただ、鋸や電動工具、船材板やペンキ?などもそのままですので、注文さえあれば造ってくれるのでは???・・・です。

2014-08-11 120 
幅広のバイパス道がつくられ、旧道となった細い矢比津道に人影はありません。
数年前までは商いがあったようですが、・・・高級呉服、婦人服地の「いしざき」商店さんです。

小古江 余防川・峰ヶ迫川

5)大柿町南部・余防川・峰ヶ迫川 
余防川の流路延長は1.61㎞、流域面積は0.74㎢
峰ヶ迫川の流路延長は1.42㎞、流域面積は0.63㎢です。

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余防川の下流です。
この付近は古くから少しずつ干拓され、江戸時代末期にはほぼ現在の範囲にまで干拓が進んでいた様子です。

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石で積まれた古い護岸のほとんどが丈夫なコンクリートにやりかえられましたが、ところどころにまだ石垣の見える部分もあります。

藁ぶき屋根をトタンで覆ったお家の前に、昔ながらの?丸木橋が架かります。

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余防川の中流部です。
護岸は明治以前に積まれた石垣だろうと思いますが???、橋は丸木橋から鉄骨製に変わっています。

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流れも細くなった余防川の上流部です。
堰を作って流れを止め、左右に広がる田畑に必要なだけの水を流し込む水量分配用の設備が残ります。

今は耕作放棄地ばかりが目立ち、水を必要とする田畑はほんのわずかとなっていますが、回りの田畑が耕作されていた十数年前までは厳格な水量管理がされていただろうと思います。

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田畑を潤す役目を解かれた水流。
必要とされる度合いは極端に減りましたが、それでも、ただひたすら下流域をめざして流れ下っていきます。

2015-02-15 047 
取り壊されたお屋敷跡に残る古井戸です。
大切な役目を終えた古井戸ですが、石柱で支えられたトタン屋根が陽光を受け、その付近の空気を暖めてくれたのでしょう。他所よりも一足先に春が来ました・・・(*^。^*)です。

2014-08-11 124 
峰ヶ迫川の下流部、護岸から手摺付きの縁が張り出し、庇の影が川面に写ります。
まさに、川船のようなお家です。

2014-08-11 126 
廃家となったこちらのお家は廊下が川に張り出しています。
このあたりの峰ヶ迫川は潮の満ち干に合わせ水位が大きく変化し、満潮時にはボラやクロダイ、コノシロなどの魚影が見えます。
いつの頃だったか、シロウオ(シラウオ?)獲りの網が出ていたような?、ふる~い記憶??がよぎります。

2015-06-10 042 
峰ヶ迫川の上流部、遥か向こうに大黒神島や大原湾を見下ろす絶景地に、まだ稲田が残っていました。
青い空を写した水田に緑の早苗が、今、植わったばかり・・・(*^。^*)です。

小古江 説教場・地蔵堂

5)大柿町南部 説教場 
小古江「澤医院」の前に「説教場」があります。

元の説教場は宮島にあったものを譲り受け、天日神社の麓に移築して寺小屋教育の場としても利用していたと云います。

説教場として今の位置に移った時期は不明ですが、塩田事業の終わった明治末期か大正の頃だろうと思います。
この場所にはそれまで塩を煮詰めるための塩釜小屋があったと云います。

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境内を囲む石垣は自然石を加工して、巧みに積み上げられています。

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内部は見えませんが、靴箱の大きさから推定し、50人は十分に入れそうです。

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仔細はわかりませんが、梵鐘には安政二年乙卯二月吉日 再鋳 の文字が打たれています。

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庇を延長し独特な景観となった大屋根はまだ新しそうに見えますので、戦後なっての大改装、あるいは建て替え?られている様子です。

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説教場とは道路を挟んで対向する、澤医院の敷地内?に小堂があり、お地蔵様が祀られています。

そばに石碑が建てられていて・・・
十方照光明 摂取天世人 地蔵能科徳 諸佛所護持
昭和三十三年仲春 宝持 義典 敬誌
と???、読めます。

2014-08-11 129 
こちらのお地蔵様は、峯ヶ迫川の中流、川向こうにあります。
近くに橋がありませんので、川を挟んで対岸からのお参りになります・・・(*^_^*)です。

小古江 観音堂

5)大柿町南部 観音堂 
小古江地区峯ヶ迫集落を見下ろす高台に「観音堂」が建ちます。

もとは丸子山の頂上にあった尼院を、安政4年(1857)3月、観音堂と名付けて現在の地に移したと云われます。
毎年旧盆の9日には、部落をあげての祭がおこなわれます。

2014-08-27 088 
お堂への登り口には大きく育ったクスノキが枝葉を広げ、冬の北西風を遮ってくれます。

2014-11-04 084 
境内はいつもきれいに掃除がされていて、地域の方々の優しさと思い遣いが感じられます。

2014-08-18 062 
お堂の柱や屋根に大きな傷みはありませんので、戦後の再建だと思いますが、バランスのとれた落ち着きのある小堂です。

軒下に吊るしてある竹棹はお祭りの幟を立てる支柱です。

2015-03-31 042 
屋根瓦には苔の生えた部分もありますが、雨水が侵入する恐れはありません。

2015-03-31 044 
菊水模様が彫られた方形の露盤には小さなヒビが入っていますが、キッチリと補修がされています。

2015-03-31 047 
観音堂屋根の向こうに、クスノキが力強く枝を張ります。

お堂を移した安政四年の頃の手植えだとすれば、まだ158年・・・
そんなもんかもなぁ~ ・・・(*^。^*)です。

注) あるクスノキは樹齢100年で幹回りが3.55m、樹高21mに育っているといます。

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観音堂の境内から見た大原湾と、その右奥に大黒神島です。

2014-08-18 074 
境内には何基もの五輪塔が並べ置かれています。

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老桜の向こうに、今が育ち盛りのクスノキと、さらにその向こうに観音堂が小さく見えます。

小古江 塩竈明神社(姫宮)

5)大柿町南部 塩竈明神社 
小古江(おぶれ)地区を南北に走る国道487号線と海岸との間に「塩竈明神社」、別名「姫宮」があります。

祭神は塩浜大明神、祭礼は旧6月17日です。

2015-02-15 025 
元は岬の先端だったろう大岩に添って建ちます。

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鳥居はありませんが二本の石柱が建ち、柱の裏面に「文部大臣 灘尾弘吉書 昭和33年11月吉日建之」とあります。

2014-09-17 107 
「塩竈明神社」と墨書の社額が揚げられています。

これまで大原湾からの潮風は海側に立つ大岩が防いでくれていましたが、前回の想定を上回る大型台風の威力におどろいたのでしょう。

備えあれば、って事で、・・・何本ものロープで拝殿の柱と大岩の根元とを固く張り結んであります。

2014-09-17 110 
本殿は欅材を使った頑丈で端正な造りです。
ビワを食べるサルの飾り彫刻もあり、釘隠し金物や擬宝珠もまだ新しい感じです。

2014-09-17 112 
唐破風には唐草文様が彫られ、神紋として「三つ盛二重亀甲に剣花菱」が打ってあります。

この亀甲紋は、おめでたいとされる海亀が由来で、多くの神社で神紋とされています。
出雲大社は「二重亀甲に剣花菱」、厳島神社は当社と同じ「三つ盛二重亀甲に剣花菱」、櫛田神社は「三つ盛二重亀甲に五三桐」が用いられています。

2014-09-17 121 
境内は頑丈な花崗岩の玉垣で囲われています。

小古江古地図東半分  
小古江村の古地図です。
この絵図は大柿地区歴史資料館に展示されている文政二年(1819年)小古江村絵図をもとにした複製です。

当時は塩竈明神社とはよばれず、「常陸之姫宮社」であったようです。
平家の落人?女官の?哀愁秘話?がもととなった、小さなお宮があったのかも?・・・

常陸之姫宮社の社前は古くから干拓が進んではいましたが、宝暦元年(1751年)山野井氏による大規模な塩田開発が始まりました。
総面積8反9畝の塩浜を築き明治20年頃まで操業、年間55石が製塩され、塩焼ガマは今の説教場そばにあったと云います。

このころ、今まであった姫宮社に塩の神様と、塩を煮詰める竈(かまど)の神様を合わせて、お祀りしたのだろうと・・・(*^。^*)です。

小古江 天日神社 2/2

2014-08-27 051 
天日神社の拝殿と幣殿には沢山の奉納品が掲げられています。

拝殿正面には富士山の大絵馬が揚げられ、幣殿奥には乃木大将の写真や神社改築の記念木札も揚げられています。

ちなみに、これら木札の文字をたどりますと・・・

昭和47年11月 本殿屋根塗装方奉仕 大原峯 久保俊雄


昭和56年10月吉日 拝殿張替方奉仕 大工 林渡

昭和56年10月吉日 本殿廊下張替方奉仕 峯ヶ迫 沖要一 峯ヶ迫 空胤雄 郷 神田富士美

昭和63年8月15日 寄贈御殿戸扉 沖森太郎

平成元年5月吉日 贈避雷針一基 沖森太郎

平成元年12月吉日 贈神前御道具一式 森内装

平成22年10月吉日 拝殿張替方奉仕 大工 林正和

・・・と、読めます。

2014-08-27 053 
拝殿正面に大きく描かれた富士の大絵馬です。
文字は読みにくいのですが、湖?に小島が浮いていますので河口湖の北岸から見た富士山でしょうか???

大絵馬にある富士山の遠望位置を訂正します。

小古江の天日神社にある、大絵馬のモデルになった風景は、静岡県沼津市内浦より登った発端丈山という山の登山道の展望台(付近)からのものです。
ブログの記事に河口湖からの写真かも、と書かれていたため・・・


沼津市在住の方からご教示をいただきました。
ありがとうございます・・・(*^。^*)です。

2014-08-27 054 
この絵馬は「算額」とよばれるものです。
奉納 小古江 久保八十七 が読み取れます。

以下、日経サイエンス「算額に見る江戸時代の幾何学」からのコピペ・・・m(__)mです。

 鎖国下にあった江戸時代,神社仏閣の軒下に美しく彩色を施して幾何の問題を記した絵馬「算額」を掲げる習慣があった。絵馬はもともと本物の馬のかわりに馬の絵を板に描いて神社に奉納したものだが,算額では馬ではなく数学の問題を記してある。算額が神社仏閣に奉納されたのは,困難な問題をやり遂げたことに対する神への感謝であったか,あるいは他の参拝者に「解けるものなら解いてごらん」と挑戦したものかもしれない。
 現存する最古の算額は栃木県の1683年のもので,確認されているだけで日本全国で880枚以上の算額が見つかっている。算額に記されているのはほとんどがユークリッド幾何学の問題だ。そのレベルについても,西欧の数学より何年も早く高度な定理を扱っていたものも少なくない・・・・・・つづく。

2014-08-27 058 
2010年記念ふる里航空撮影 奉納 神田行夫 平成23年9月吉日

2014-08-27 059 
画像は見えませんが・・・
奉納 昭和二十六年九月吉日 丸石キエ 山口ヤスノ 住本フイノ 本家沖タマノ?
ご長寿御祝いの奉納だったのかも?・・・(*^。^*)です。

2014-08-27 055 
うぅ~~~ん。
仙人像のような人影がうっすらと見えますが??? 

2014-08-27 065 
映画「ラストエンペラー」で見た紫禁城のようにも見えますが???

2014-08-27 056 
残念ながら裏地の板目しか見ることができません。
過去を残すことも大事ですが、時と共に朽ち果てるのは自然の大原則です。

多くの神社は、屋根はあるものの雨風を遮る壁は最小限、早く朽ちることを前提に造られているようにもみえます。

2014-08-27 072 
乃木希典陸軍大将です。
奉寄進 昭和六年度九月吉日 當村 空直太朗

2014-08-27 069 
軍艦のブリキ模型です。
日清、日露戦争の当時活躍した軍艦でしょうが、艦名は見えません。

2014-08-27 077 
乃木大将の奉納が昭和6年ですので、おそらく同じ時期に奉納されたものでしょう。
細部にこだわらなければ、主砲の砲身が二本、煙突が二本ありますので、「戦艦三笠」ってことで・・・。

おそらく、雑誌の付録絵図あたりをもとに作られたのでしょうが、「いい仕事されてますねぇ~」 ・・・(*^。^*)です。

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