中町 八幡神社 2/3

2014-09-03 022 
靴の泥を払い、拝殿へと上らせていただきました。
深~~~く、二拝し、二拍手と一拝 ・・・m(__)mです。

2014-09-03 023 
拝殿にはたくさんの奉納品がある隙間に、秋季例大祭(2014年9月)のポスターが張られていました。

八幡神社の祭神は応神天皇、神功皇后他7柱神で、「神社明細帳」によると、「神亀年中(724~729)神託により一宇建立 豊前国(大分県)宇佐神宮より別祀す」とある。
西能美島旧5ヶ村の氏神で、毎年9月の祭礼には数千人の参拝者があり、島最大の行事である。永禄2年(1560)毛利元就が厳島神社を改修した時、大鳥居の東の柱は中村の八幡神社の森から供出し、その代償として神輿2丁を拝領している。
(大願寺文書より)
厳島神社の大鳥居は、高さ16m、周囲9.9mもあるが、その用材として使用された樹木が神社の境内から供出されたことは、いかに大きな森であったかを示すものである。

以上、能美町誌(平成7年7月)からのコピペ・・・(^_^;)です。

ちなみに、この地域に伝わる祭のハイライトである、ダイバ・オタフク・シシの出しものは、無形文化財に値するとも云われる古い時代のものです。
ダイバとは猿田彦神の化身であり、おどろおどろしい天狗の面で薙刀を振り回し豪快な踊りを披露します。
オタフクも巫女の衣装で薙刀の舞を披露、シシには雄獅子、雌獅子がおり、ユーモラスに踊ります。
かれらは社殿において舞を奉納する他、八幡神社から浜宮(中町桟橋公園内の御旅所)への神輿巡幸の露払いもします。

これら八幡神社の出しものは、能美町(中町・鹿川・高田)、沖美町(東沖・西沖)の5地区の持ち回りにより毎年9月に盛大に奉納されています。
また、沖美町地区からは、大漁旗をなびかせた船を仕立てての加勢となり、にぎやかさも倍増します。

2014-09-03 045 
拝殿から見た、参道の方向です。
八幡神社は亀山の山上に建ちますが、周囲をすべて背の高い樹木に覆われていて視界は境内のみです。

2014-04-03 002 174 
右の階段から拝殿を下り、正面の方に廻りますと、左右の狛犬が、なんかなぁ~~~???です。

2014-09-03 047 
拝殿にに向かって左の狛犬は阿吽の吽で口を閉じています。

2014-09-03 046 
拝殿に向かって右の狛犬は阿吽の阿で、口を開いています。
でも、それだけじゃなくって、体型とか毛の様子とか、微妙な違いを感じます。

仔細はわかりませんが、どうやら建てられた年代が違うようです。

2015-10-23 033 
拝殿の奥には一分の隙間もなく積み上げられた台座の上に、銅葺き屋根の美しい曲線をもった、八幡神社本殿が建ちます。

2015-10-23 039 
一般的な神社では、拝殿と本殿とを屋根付きの幣殿(へいでん)で繋ぎますが、当八幡神社は幣殿と本殿との間隔が長く取られていて、幣殿と本殿との間に石畳が敷かれています。

2014-04-03 002 164 
画像は拝殿に続く幣殿の本殿に正対する出入り口?です。
本殿へはこの幣殿の出入り口から石畳に下りて向かうことになります。

出入り口は、唐破風屋根を銅板で葺いた豪華な造りです。

2015-10-23 057 
本殿よりも拝殿の方が立派なお宮が多い中、当八幡神社の本殿は、威厳に満ちた端正な造りで、その前に建つ幣殿、拝殿を圧倒します。

2015-10-23 067 
本殿の千木の上、澄みわたる大空から秋日が眩しく照らします。

スポンサーサイト

中町 八幡神社 1/3

4)能美町・沖美町南部 八幡神社 
江田島市の地図を切り抜き、紐に吊るせば、その重心点に当たりそうな位置に能美八幡神社があります。

2014-04-03 002 026 
八幡神社の乗る小山は亀山とも呼ばれ、古くは江田島湾に突き出した半島の先端部で、水軍の防衛拠点の一つでもあったと云われます。

当社は江田島市内の神社仏閣では最も広い鎮守の杜を有し、巨木が鬱蒼と茂る林内には島内でも珍しいとされる樹木が茂ります。

2015-10-23 021 
参拝道入口に建つ標柱(しめばしら)には、宣揚文(せんようぶん)が深く刻まれています。

陸軍中将 田部正壮 書(のち広島市長)、建立は大正三年十月です。

2015-10-23 023 
光り輝く燈籠を左に、八幡神社と彫られた社額の下をくぐります。

2014-04-03 002 126 
八幡神社正面に続く石段の下には大きなクスノキが枝をひろげます。
永禄2年(1560)に、毛利元就が厳島神社を改修した時の大鳥居の柱は、当八幡神社の境内から切り出したと云われます。

能美八幡神社(昭和37年) 
昭和37年の国土地理院空撮画像です。

水の乏しい山の尾根以外は、すべて耕作地に開墾されていた時代ですが、鎮守の杜だけは辛うじて残っています。
能美中学校は空撮前年の昭和36年の9月1日落成、それまでの高田教場、中村教場、鹿川教場を統合しました。
(まだ真新しいので校舎の屋根もグラウンドも光輝いています・・・(*^。^*)です。)

中町八幡神社樹木 
戦中戦後の大騒動に耐えて残った八幡神社境内には、島内でも珍しい樹木があります。

以下、八幡神社境内の樹木を調べた記録がありましたのでそれを転記します。

ヒコビアミニレター  No. 338 (2008年2月4日)

2008年1月27日の第463回植物観察会は江田島市能美島中町の真道山(286.6 m)で行なわれた.
中町フェリー桟橋に9:40集合.参加者37名.最初に訪れたのは,桟橋の南方約800 mにある,中町八幡神社の社叢である.
直径50 cm内外のコジイ(ツブラジイ)林には,タイミンタチバナ,コバンモチ,ミミズバイ,ヤマビワなどの希少種のほかにクロキ,クロバイ,サカキ,ヤブツバキ,ヤブニッケイ,カナメモチ,カクレミノ,ネズミモチ,カゴノキ,シロダモ,ヒサカキ,マンリョウ,クスノキ,モッコク,シャシャンボなどの常緑広葉樹が見られた.

社叢に残された植物から,能美島の原植生がスダジイ-ミミズバイ群集に属する照葉樹林であったことを知ることが出来た.・・・(G. Toyohara 記)

以上「植物観察会(ヒコビア植物観察会)」のレポートのコピペ・・・m(__)mです。

2015-10-23 048 
石段を登り切りますと、広い境内の向こうに建つ八幡神社拝殿に正対します。

2014-04-03 002 128 
毎日掃除がされているようで、広い境内で春風に舞うのは盛りを過ぎた桜の花弁のみです。

2015-10-23 051 
境内が広いく、回りを囲む巨樹のせいもあって、拝殿が小さく見えます。

2014-04-03 002 173 
拝殿の右側です。
参拝者が込み合わないように、出口専用の階段が付きます。
また、重い屋根を乗せた拝殿を地震や風雪から守るために、ワイヤーがクロスして張られています。

2014-04-03 002 158 
拝殿正面に廻り、しめ縄の手前でまずは一礼しました・・・m(__)mです。

小古江 古地図

小古江古地図完成図 
この古地図は大柿地区歴史資料館展示の「国郡志御用付指上候村絵図之控」を元にして、適宜に加筆した絵図です。
この改正(悪?)絵図には1819年(文政2年)から1862年(文久2年)の頃までの地名、地形を合せて記入しました。

小古江古地図東半分 
小古江から大原に向けては海岸道路がありますが、柿浦、ヒトノセ、鹿川へと通づるのは山越えの道です。
現在の国道487号である、小古江と鹿川とを結ぶ海岸道路は痕跡さえありません。

一方、姫宮社(塩竈明神社)から峰ヶ迫川までの海岸には広い塩田があり、塩濵、シホヤノモト、砂走、シホムカヒの地名があります。

小古江古地図西半分 
余防川の下流域は今と変わらぬくらいにまで干拓が進み、上流は谷に沿って大道山の中腹まで開墾されています。

小古江(1962-05-20) 
国土地理院の1962年(昭和38年)5月20日の空撮画像です。

小古江19750114(昭50) 
国土地理院の1975年(昭和50年)1月14日の空撮画像です。

小古江 いいとこ撮り 2/2

2014-08-18 083 
澤医院と道路を挟んで対向する位置に、がっしりと組まれた石垣と幅広の石段がありその先に木戸を備えた大門があります。

2015-03-31 018 
大門の柱には木板の表札が掲げられ、「澤医院」と書かれています。
屋敷内には手入れをされた庭木が茂り、その奥にはどっしりと構える茅葺の家屋が見えます。

新病院ができるまでは、こちらで診察治療がなされていたのでしょう。

2015-03-31 020 
道なりに進むと、学校風の建物が廃墟となっています。

このあたりに、明治6年設立の「小古江小学校」があったと聞いていましたので、てっきりその廃校だと思ったのですが、部屋の感じから見て、どうやら澤医院の元の病室だったようです。

2015-06-10 058 
後日再訪しましたら、敷地の一部はお花畑に変わっていました。

古老に聞いた話では、小古江小学校が大古小学校と統合された時期は不明だが、小学校の校舎は戦後もしばらくあって、当時流行の洋裁教室として使われていたそうです。

今は雑木に覆われていて痕跡さえ見あたりませんが、澤医院病室の少し先にあったと云います。

2014-11-04 091 
小古江地区には多く藁ぶき屋根を残したお家がありますが、屋根ふきの職人さんがいなくなったせいでしょうか?、藁ぶき屋根をトタン板で覆い、少しでも長持ちをさせる工夫がなされています。

2014-11-04 092 
正面から撮影させていただきました・・・m(__)mです。

このままでも郷土資料館等として十分に使えそうな、とても良い雰囲気を残しています。


2015-03-31 030
高台にさらにもう一軒、一回り大きな藁ぶき屋根を乗せたお家がありました。


2015-03-31 031 
家々を繋ぐ小道は春まっさかり・・・(*^。^*)です。

2014-11-04 068 
農家の建物は農作業のできる広い前庭を囲んで、L字型につくられます。

2014-11-04 071 
右に土蔵、左に納屋を配置した、昭和後期の頃の農家風建築を集約したお家です。

2014-08-27 029 
土蔵の漆喰に、コテ絵でえびす様が描かれています。

2015-03-31 079 
田んぼだった跡地に、桜の若木が一斉に花開きます。

小古江 いいとこ撮り 1/2

5)大柿町南部・小古江 
小古江地区は大柿町と能美町、沖美町とを結ぶ陸上交通の要所ですが、古くは海上交通が盛んだったせいもあり、道路が重視され始めたのは近世になってからです。

2015-02-15 032 
小古江地区の海岸は大原湾に面しますが、遠浅のため大きな船が出入りする港には不向きです。
一方、干拓や製塩事業には利があり、江戸時代の中頃から明治の頃にかけ一大製塩場が築かれていました。
製塩事業が衰退した後、当地では昭和5年頃から画像に見るような杭打ち垂下法でカキ養殖業が始まったと云います。
ちなみに現在盛んにおこなわれている、安価な孟宗竹を利用した筏式垂下養殖法が発案されたのは昭和28年、これによりカキの大量生産が可能となりました。

2014-09-17 097 
今は廃家となっていますが、私の好きな縁側のあるお家です。

2014-09-17 099 
よけいな物に執着することがなければ十分な間取りですし、庭を挟んで前面を峰ヶ迫川が流れ、側面は大原湾となる、海好き、川好きにはたまらないロケーションに建ちます・・・(*^。^*)です。

2015-02-15 036 
瓦屋根に、藁ぶき屋根を被せた?ユニークだけど落ち着いた感じのするお家です。

2014-11-04 099 
峰ヶ迫地区平坦地の最奥部です。
もともとはこの付近まで入り江があったのでしょう。

2014-11-04 095 
江戸中期以前からあった干拓地です。

2014-08-27 025 
干拓地を一歩踏み出せばすべての土地が傾斜地形です。
平地を造り出すには山を削り、石垣を築いて雛段とする他ありません。

2014-08-18 050 
付近の山々はすべて花崗岩だとはいえ、石垣用の石材を切り出すのは大変・・・(^_^;)です。
石垣で囲まれた下の階は牛小屋で、上の階は納屋として乾燥飼料を保管したり、農機具や収穫物が格納されていました。

2014-08-18 052 
昭和40年代まで盛んに栽培されていた葉タバコの火力乾燥場です。
物置?にリフォームされたみたい・・・(*^。^*)です。

2015-06-10 046 
干拓地以外はみな階段状の農地です。
限られた水源から、すべての田んぼに均等に水を振り分けるのは・・・むつかしぞぉ~。

2015-02-15 043 
車の入ることの出来ない高台に造られたお家です。
器用にまとめられた品格のあるお家ですが・・・。

2015-03-31 039 
空き家となって数年、少し荒れ始めた庭に、ムスカリが群生します。
カレンダー
09 | 2015/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!