中町 恵美須神社

2)江田島町南部 恵美須神社 
昭和56年4月吉日、中町見浪に恵美須神社が建立されました。

「えびす」は七福神の一柱であり、七福神の中では唯一の日本発祥の神とされます。
漢字表記では「夷」、「戎」、「胡」、「胡子」、「蛭子」、「恵比須」、「恵美須」を当てます。
「えびす」を称する神としては「蛭子命(ひるこのみこと)」あるいは「事代主神(ことしろぬしかみ)」とされることが多いのですが、古くは毘沙門天や不動明王であったりもします。
江田島市内では豊漁豊作の神、商売繁盛の神として敬拝され、浦々の漁港ごとに社が祀られています。

ちなみに広島市中区の胡子神社では、毎年11月18日から20日にかけ胡子大祭(えびす講)が執り行なわれます。
周辺の商店街も協賛し、付近の道路は夜遅くまで大勢の人々で賑わいます。

2015-11-11 029 
落ち葉の季節ですが、毎朝きれいに掃き清められています。

2015-11-11 030 
恵美須神社の境内と江田島湾との間を国道487号線が通過します。

古来より中町は交通の要所でもあったのですが、波静かな江田島湾を背景に海上交通が主流となっており、頻繁に行き来する連絡船で直接、広島(宇品)と結ばれていました。
そのためもあってか、陸上交通の発展は他地区よりも少し出遅れてしまったようです。

中町地区を、大型の車両が安心して走れる幅広い道路が完成したのは、昭和50年代も中盤に入ってからです。

2012-12-13 002 064 
鳥居をくぐろうとすると、左の方になんでしょう? 不思議なものが目に止まりましたので参拝の前に確認することに・・・

2015-11-11 042 
五重塔です。
しかも製作材料となっているのは、カキの養殖で使用するプラスチックのパイプです。
すべてが手作り、高さが2m以上もある大作・・・(*^。^*)でした。

2015-11-11 034 
あらためまして、ニ拝二拍手一拝・・・m(__)mです。

2015-11-11 036 
社殿側面には、「笑う門には福来たる」 えびすさま の笑い顔がレリーフされています。

2015-11-11 038 
恵美須神社は、道路工事に伴う海岸の埋め立てにより生じた土地に建ちますが、島内に建立されている「えびす神社」としては、もっとも広い境内を占有しています。

2015-11-11 040 
鳥居の根元を大錨が抑えます。
これは、唐人錨あるいは二爪錨とも呼ばれ、丸い穴に木材の丸棒、あるいは鉄棒を差し入れ、二つの爪のうち何方かが画像のように海底に突き刺さることによって船を固定します。
大きな錨ですので、北前船や打瀬船とかの大型和船で使用されていたものなのかも???・・・です。

ちなみに、能美町誌によれば、幕末のころには高田や中村の大船が、北前船となって日本海にも多く進出していたとか・・・

2015-11-11 044 
手前のコンクリート壁は昭和55年ころまで使用されていた護岸堤防です。
いまは恵美須神社の向こう、国道487号線が護岸堤防となって見浪地区の家々を守ります。

中町空撮(1975 1981 2015) 
国土地理院、グーグルからの参考画像です。
恵美須神社は1981年9月の画像から見ることができます。
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中町 御山祇神社・大山祇神社

2)江田島町南部・高下大山祇神社 
中町が高田と接する北側の高台に高下(こうげ)集落があります。
その高下集落の人々が氏神と崇める大山祇神を祀る社が集落内に二社あります。

高下集落の中央、家々が庇を接する中に「大山祇神社」が建ち、高台にある高下集落へと向かう新道の入口の丘には「御山祇神社」が建ちます。

2015-11-16 049 
この「御山祇神社」は、高下集落へと登る新道(宇根山登山道)入口の丘の上に鎮座します。
社殿庇の下、中央には「折敷に縮三文字」愛媛県大三島町宮浦に建つ「大山祇神社」と同じ御紋が見えます。

2015-11-16 055 
晩秋の11月、境内の周りに植えられた桜の樹からは、朱に色づいた葉っぱがひっきりなしに舞い降りてきます。

2015-11-16 058 
境内に据えられた石板には・・・

御山祇神社由来
西暦一一八五年二月屋島の戦で源義経の軍に敗れた平宗盛は安徳天皇を奉じ壇の浦に向ふ途中、大柿町大君に立寄った時一部の将兵が落ちのびた。
その将兵が立て籠ったのが高下の山中であり私達の祖先である。
又の再起に想いを馳せながら培った行跡、狸城跡家敷田畑汗と涙の結昌の跡が今尚山中に残っております。
その先祖が狸城の岩穴に合祀したのが、山の神(大山祇大神)、大日如来、十一面観世音菩薩、の三神佛である。
後世世の中が安定するにつれて下へ下へと移動するにつれ、お宮を放置するに至った。
喜びにつけ悲しみにつけ先祖を供養し神や佛に通ふ心こそすべての道徳の根源であり、祖先が尊崇した守護神佛を祭り今世の喜びを悟ることこそ私達の務めであると思います。
ここに高下発祥八00年を記念し御山祇神社の再建を致しました。
昭和六十乙丑年霜月吉日
御山祇神社再建委員
発起人 片山守 岩田繁夫 堂野崎一男 山下貞夫 堂官唯一
岩田香風書

御山祇神社再建寄付者芳名
岩田繁夫 片山守 大一建設興業KK 堂官唯一 堂野崎一男 岩田良一 山下貞夫 堂野崎頼人 梅河内隆義 竹野内俊男 河賀早夫 沖元石材店 田中早苗 南郷花子 上河内要 中島勝 梅河内美敏 福井靖治 木下庄一 木下行義 木下勇 新宅正三 山下巧 堂野崎秀登 松井静馬 高田正明 楠政雪 山本馨 高田義明 久保田庄次 二井内文左ヱ門 堂官司 堂野崎実 堂野崎弘 堂野崎辰行 奥河内武人 奥田秋雄 河賀敏昭 片山里巳 竹野内義清 津島サトコ 梅河内若松 楠英雄 柳田章 北中積

木野本勝美 新宅文夫 日野本住人 岩田馨 岩田節 岩田正記 堂官猛 堂野崎悟 片山正 片山進 片平重登 立畑勝 奥河内勉 楠松雄 楠勝之進 柳田政美 山本忠男 前城源一 松原武 北中昭一 北中満 富樫良三 堂野崎昭 河賀庄平 河内正規 河内義数 片平司 中畠政夫 中島輝夫 藤本撤 胡麻田ソノ 御堂岡勝敏 平野力太郎 楠章夫 小神田俊夫 河西清子 高田信幸 藤本国雄 伊藤万次 堂下久一 堂野崎平 戸田初江 大下玉次 早稲本武雄

河賀健司 片平豊 片平卓 立畑保 立畑敏則 竹野内正義 竹野内俊彦 竹野内博之 高田輝明 高田忠男 中本石蔵 中本千世美 中本一義 中島一 梅河内研二 久保田鈴子 楠隆夫 柳田貞一 前城美智男 佐々木正身 木下勝 新宅勇夫 新宅守 新宅登 新宅オシモ 松原アキコ 木下キテ 片山豊 片山卓
・・・です。

2015-11-16 046 
建立時に植えられた桜も大きく育ち、春には薄桃色の雲となって丘を覆うことでしょう。

2012-12-13 002 030 
高下(こうげ)集落の中心に建つ「大山祇神社」です。

2015-04-23 103 
境内石板に記されたままに・・・

大山祇神社の由来
曰能美島誌山神有中村荒原或
曰所祭大山積命也
高下の祖先は古文書にある如く大山積の命をお祭りしていた我々の祖先に感謝
昭和六十年十一月十二日大三島の日本総鎮守大山祇神社より御分霊を受けて再建致しました。
昭和六十二年二月吉日 梅河内高義

大山祇神社再建寄附者芳名
山本正幸 山下巧 高田義明 山下貞夫 木下庄一 奥河内勉 堂野崎頼人 岩田繁夫 楠サダヨ 楠松雄 福井清治 松原武 山本馨 山井義広 山田勲二 山本悦男 加藤軍一 炭本晶利 宇田治 渡辺輝夫 大本一夫 平上利之 上田啓 重信政行 向井義雄 梅河内若松 梅河内辰男 梅河内美敏 梅河内敏博 梅河内修二 須川隆広

誤字脱字ありましたら・・・m(__)mです。

2012-12-13 002 035 
季節は12月中旬、高下集落の家々を結ぶ細道には手すりが付けられていて、それを利用して大根が干されていました。
遠くに霞むのは呉市の灰ヶ峰(736.8m)、江田島湾から吹き昇る風はまだ秋の風・・・(*^。^*)でした。

高下・大山祇神社 
昭和50年、国土地理院の空撮画像(中央が高下集落、が神社)です。
二つの社殿が建てられる、その十年前の画像です。
当時は高下を経由して宇根山(野登呂山541.8m)へと続く登山道(農林道)はありません。

その後に開通した宇根山登山道の8合目あたりに「寺屋敷慰霊碑」と彫られた大石が据えられています。
おそらくその辺りが高下部民の発祥の地、狸城を構え平家再興を願ったもののふの住処だったのでしょう。

ちなみに「高下」の語源は、高原の草地、田畑に適さない芝地を指す。 と、・・・です。

中町 森木神社(荒神堂)

2)江田島町南部 森木神社 
森木神社(荒神堂)は大後地区の南、宇根山山系の頂から江田島湾へと下る稜線の先端近くに建ちます。

2014-08-01 133 
北東に下る尾根の小道に沿って、ご先祖様の墓標が数百メートル続きますが、その下端近くをクロガネモチの大木が大枝を張って塞ぎます。

2014-08-01 134 
クロガネモチは、大柿町大原の阿弥陀堂にある推定樹齢500年の巨木が広島県天然記念物に指定されていますが、その樹にも負けず劣らずの威容を示しています。

2014-08-01 141 
そのクロガネモチの枝下に森木神社の名を掲げた木製の鳥居が建ちます。

2014-08-01 140 
先ほどまでジィ~ジィ~とやかましく鳴いていたセミの声がピタリと止まります。

鳴き声がしなくなるとかえって気になります。
えっ、どこどこ?。

なぁ~~~んと、森本神社と記された社額に・・・(*^。^*)です。

2014-08-01 142 
青葉を広げた枝下を流れる微風に、額の汗が止まります。

2014-08-01 143 
お堂の柱にラミネート加工されたA4の紙が止めてあります。

そのまんまをコピペさせていただきました・・・m(__)mです。

ふるさとの民話 江田島・能美島
   森木の「神さん木」


森木(地名=小高い丘の上にある)にゃあクロガネモチの大けな木が二本あった。
一本は枯れて、今ぁ一本だけになっとるがノ、根元の周りが六~七メートルはあるかのう。
この木は春になると花をいっぱい咲かせるんで、その蜜を吸いに蜜蜂がマア来るは来るは、群ごうてやって来るんじゃ。
その時には、蜜蜂の羽の音が森木じゅうに広がってのう、ちょうど飛行機が通る時のような音がするんよ。
ほいじゃが、今までにただの一遍も実を付けたこたぁ無あ。
あれだけ花が咲くのに実が無ぁいうのは不思議なことでぇ。
この木の下に祠があるんじゃが、ナシテ(なぜ)あるかいうたらノ、こういういわれがあるんじゃそうな。
昔から夏になるとノ、この島は水が少のうなって、どこでも困りよったんよ。
この森木は高ぁ所にあるんで、特別に困りよった。
毎日丘の下へ水ぅ汲みに行くなぁアマナ業(ちょっとやそっとの苦労)じゃあなかったんよ。
ほいで、この丘に井戸を掘ろういう話が出たんじゃが、「高ぁ丘の上に掘っても、水が出るんかのう?」言うて、みんな二の足を踏んだのよ。
じゃが、「ここに井戸がありゃあ、みんなが楽になるでぇ」いうんで、あのクロガネモチの木の傍に掘ることにしたんじゃ。
そうして掘ってみたら、なんときれいな水が出て来たんよ。
ほいで、よう見るとノ、その水はクロガネモチの根を伝わって土の中から湧いて来よったんじゃげな。
「こりゃあ、この木に神さんが宿っとってんじゃ。そして、わしらに水を恵んでくれたんじゃ。有難いこっちゃ」言うて、みんな喜んだ。
それで、この木の下に祠を建てて、水神さんを祀ったんよ。
(話者 木戸代作)

2014-08-01 147 
この枝下を何人が通りすぎて往ったのでしょう。

2014-12-10 098 
何人が梢を見上げ、ため息をもらしたでしょう。

2015-11-09 071 
一年ぶりに訪れてみました。
晩秋の日差しを受け梢の先は輝いていましたが、こころなしか下枝の葉っぱが減ってきたような・・・。

中町 二宮神社

2)江田島町南部 二宮神社 
二宮神社は中町保育園の裏手にある、小さな丘の上に鎮座します。

能美町誌やその付図説明によれば・・・

二宮神社(東天寺山・堀城跡)
八幡神社の末社で、祭神は 品陀和気命(応神天皇)、あるいは高良神であるとも云われます。
昔は海に接していて、元禄の頃(1688~1704)名跡を絶った松田善之進の居城であったと伝えられ、掘城とも呼ばれていました。
また麓(ふもと)部落にある城山(麓城跡)は、掘城の後備えであったと云われます。

明治初期の廃仏毀釈騒動で一時は八幡神社に合祀されましたが、のち村の鎮守の神として再建されました。
古くは境内に神木とされる柿木があり、その実を食べると吃(どもり)を患ふと云われていました。

蛇足です。
あるご婦人から、子供のころにお爺さんに聞いた話だとの前置きのあと、むか~し、この中村(中町)において、二宮と堀城、養源(玄)寺の3手に分かれての大戦があったとか・・・
おそらく戦国の騒乱で、目まぐるしく変わる政権に振り回された結果の惨事だったのでしょう。
勝敗はどうであれ、付近の村々をも巻き込んだ悲惨な結果とななっただろうことは・・・です。

2015-04-23 029 
大鳥居には昭和十二年九月吉日・・・と。

能美水軍が割拠した時代には、掘城があったとされる小丘ですが周りを藪に囲まれてしまい、眼下に広がる江田島湾をや対岸にそびえる古鷹の頂を見通すことはできません。

2015-04-23 035 
正面から見た拝殿です。

2015-04-23 038 
境内は広くはないのですが、石燈籠や幟立ての石柱もあり、コンパクトにバランスよく配されています。

2015-04-23 039 
拝殿の内部です。

2015-04-23 040 
拝殿天井部の木組みです。

2015-04-23 043 
拝殿からか少し離して登りの石段があり、その頂部に本殿が載ります。

2015-04-23 046 
緻密に造られた本殿の屋根部です。

2015-04-23 050 
本殿木組みの要所に付けられた釘隠しとなる金具で、六葉金具とも呼ばれます。
♡型の穴は猪の目透かしと呼ばれる伝統的な文様で、古墳時代にはすでに用いられていたとか・・・。

2015-04-23 051 
本殿を載せる石組に小さく、寄贈者 神戸市 三浦士郎の名が刻まれていました。

2015-04-23 052 
またまたの蛇足になりますが、とう二宮神社は二宮金次郎(尊徳)さんとは無関係で、中町(能美)八幡神社に次ぐ神社という意味での二宮です。

2015-11-09 043 
本殿と拝殿の右側面です。
一般的な拝殿は、こちらの向きを正面としますが、当社拝殿は入母屋造りの破風面を正面に据えた珍しい造りとなっています。

中町 八幡神社 3/3

2014-09-03 024 
拝殿には数々の奉納品が納められています。
平成に入ってからの新しい品から、文字や絵がかすれてしまい内容が読み取れなくなった古い時代の奉納品まで・・・

馬上で矢を放つ若武者の大絵馬です。
奉納絵馬に説明書きはありませんが、源平屋島の合戦で手柄をたてた那須与一を描いたものです。
奉納平成元年八月吉日、左下に瀬戸中 達雄の落款が見えます。

2014-09-03 025 
奉 額 納
明治四十二年九月吉日
神宮在住中村長石〇〇
瀬戸土井亀太郎 谷崎佐蔵 塩谷房吉 山口〇市 小倉政市 高橋亀太郎 宮木仁市 藤井光吉 藤崎國平 土井力太郎 田尾谷次郎 繁村佐吉 山口和吉 瀬戸土井鶴松 塩谷政市 谷崎吉蔵 中野仁作
津島幸一郎 一柳徳松 宮下良市 永瀬光市 小田正吉 蔦井五市 竹中政市
迫田
川中四市 横田吉太郎 石橋清市 向井清太郎 岩山喜市
世話人
杉浦友太郎 塩谷房吉 瀬戸土井〇太郎 谷崎〇蔵 山口〇市
と、???読めます。
(誤字がありましたら ・・・ m(__)m です。)

2014-09-03 026 
奉納
平成二年四月吉日
藤本正画 迫田出身
寄贈者
高田 田中武義
中町 棚田正一
鹿川 猪垣弘志

拝殿には、藤本正氏による大絵馬が他にも数点奉納されています。

2014-09-03 027 
騎馬大合戦を描いたものですが、・・・
槍を持っての戦いですので、おそらく? 羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家の賤ヶ岳の戦いの一場面「賤ヶ岳の七本槍」を描いたものでは??? ・・・

2014-09-03 028 
おぼろに・・・ですが「四季混題」?と、読めるような・・・
風光明媚な当地の四季を書き記したものでしょうが・・・
残念ながら私には読めません・・・m(__)m
高田村 田中〇〇 奉納は大正〇年〇〇・・・です。

2014-09-03 029 
奉納 昭和廿五年
柔道 教師 山本無左郎
門下有段者
四段 大谷若一 三段 山本俊吉 石田〇吉 小山謙一 下井田徳松 田盛治郎一 山野井峯雄 山本政市 大谷軍平 森島増一  松田俊一 加藤仁一郎 二段 小松喜一郎 小方忠松 山野井倉次 木原竹次 中下庄太郎 住吉良造 森戸浩吉 住吉芳人
講五段 山本久市 講三段 丸橋正雄 津田泰三 上向井堪 下田稚登 津田慶蔵 山口秀雄 田盛次勝 鍵本貞雄 小松進 松井光男 二段 福田久太郎 武二段 藤岡卓郎 講二段 山本正 松井里見 二段 一井新一 講初段 欲本佐渡海 下井田繁人 上向井弘司 新宮〇松 初段 水戸仁市 上向井謙三 下向井政一 木下米造 秋本数馬 原田實夫 講初段 部谷二三〇 水戸六市 水島倉人 初段 棚田三市 部谷武市 二藤忠夫 川向庄一 藤本辰男 川本繁夫 鍵本信夫 加藤儀一
(誤字がありましたら・・・m(__)mです。)

2014-09-03 031 
色彩は抜け、下絵の線だけが残っています。
線をたどりますと、二本マストに帆を張ったグリガンチン型帆船が描かれています。

ちなみに、ブリガンチンとは・・・
帆装形式による帆船の分類名称の一つ。
2本マストの前檣 (ぜんしょう) に横帆を装備し,大檣に縦帆を装備するというスクーナーとブリッグとの折衷式帆装を特徴とするもので,この形式は 19世紀後半に確立した。
国内では、明治中期から大正期にかけて内航用帆船として使われた。
と、・・・ブリタニカ・三省堂大辞林

奉納年月、奉納者名は不明です。

2014-09-03 033 
奉納 當村 小池中吉太郎 敬白
明治九年八月吉祥日と、書かれている?ような???・・・
絵は判別不能 ・・・ (^_^;)です。

2014-09-03 036 
中央に千成瓢箪の纏(まとい)があり、大将らしき人物の鎧には桐の紋が見えますので、豊臣側の合戦陣内に敵武者が攻め入った場面???だろうと思いますが??? ・・・(^_^;)です。

奉納年は明治二十九年???
奉納者名として・・・
當村
平野杢太郎
中川九三郎
向井今〇
梶本岩次
島田徳三郎
中本粂太郎 と、見えます。

2014-09-03 039 
奉納 昭和貮年 八月吉日
沖村字畑
河地武平
川崎喜代太郎 と、あります。

2014-09-03 040 
明治三十年九月吉日
津久茂村? 〇本兵〇 ???

絵には老松の枝下に巨大な壺が置いてあり、その松の根に女性?が寄り掛かり、まどろむ?ような?・・・

2014-09-03 041 
奉寄進 明治参拾四年 辛丑(かのとうし) 九月吉日 門人中 
三高村 難波一流 第拾貮世 三王六右エ門
門人
目録
江田 橋本貞平 ・・・ ・・・ ・・・

以下、門人の出身地名のみを列挙します。
三吉・八木・柳井・備后?・鹿川・向田・中村・江田・秋付・ヒトノセ・高田・セト・・・
など、・・・です。

ちなみに、難波一流とは・・・
天文元年(1532)戦国武将、竹内中務大輔源久盛によって創始された日本最古の柔術「竹内流」から派生したのが「難波一甫流」で創始者は難波一甫斎久永です。
その難波一甫流を元に、再発展したのが、三王氏の開く「難波一流」一門だろうと・・・???

寄せ集めのネット資料から・・・(^_^;)です。
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