中町 川(高下・麓・大後・迫田・胡) ・ 井戸

2)江田島町南部 中町河川名 
中町地区は西の宇根山山系と東の真道山山系に囲まれたすり鉢状地形の中にあり、島内ではもっとも雨水集水量に恵まれた土地です。

高下地区を流れ下る川を高下川(こうげ)と呼びますが、高下から下流の高田地区に流れ込むあたりからは二谷川(にたに)と別名で呼ばれます。

麓川(ふもと)は支流の見浪川(みなみ)と合流し、さらに下って大後川(おおご)とも合流して江田島湾へと注ぎます。

迫田川(さこた)の下流は農地の灌漑用水路となって枝分かれし、砂漠に注ぐワジのように地図上から消えています。

胡川(えべす)は最下流部の10mが、なぜか?水の元川(みずのもと)と別名で呼ばれています。

2015-11-16 086 
麓川の上流部です。
昭和後期のころまでは、さらに上流へ1kmくらいまで水路が整備されており、その両脇には棚田が延々と続いていましたが、今は草木に覆われてしまい立ち入ることもできなくなりました。

2015-04-23 076 
近年になり下水道も整備され、川の水質は格段に向上しましたが、農業用水としての利用はほとんどなくなり、たださらさらと流れ下るのみ・・・(^_^;)です。

2015-09-23 042 
よその地区にも似た状況はありますが、特に中町地区においては、川の流れに沿って生活道路兼農道が並走し、さらに家並みがそれに沿って上流へと、三位一体の平行線なって続く特徴があります。

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人家と道路とが川の両岸を挟み、堤防を兼ね備えます。

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多くの人家の土台がそのまま川の堤防となっています。

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家と川と道路は常にセットで存在します。

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左から家並み、道路、川、田んぼ・・・(*^。^*)です。

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大後川中流部、家並み、道路、川、田んぼ・・・(*^。^*)です。

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迫田川の中流部です。

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右が麓川、左が大後川です。

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他の地区に比べ共同井戸は少ないのですが、川から離れた高台には井戸が掘られており、お屋敷内にはそれぞれに自前の井戸があります。

中町保育園のセンダンの大木の元、花崗岩の巨石を枡に組んだ井戸が残ります。

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水に恵まれているとはいえ、川から離れた高台には簡単に水を引くことはできません。
屋根に降った雨水を溜める専用?の大かめです。
なぜか?雨水の注ぎ口と思える部分に、菊の花が活けてあります・・・(*^。^*)です。

100509 077 
川のすぐ近くにある、もとは田んぼだったろうと思える空地です。
田んぼの真ん中に、わざわざに井戸を掘る必要は無いように思えますが、渇水期の用水は皆の取り合いとなり、当地の小さな川ではたちまちに干上がってしまうことでしょう。
そうなった場合に備えての、自家用の灌漑井戸?だろうと・・・(^_^;)思います。
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中町 お地蔵さま

中町 お地蔵様 
地蔵信仰は奈良時代に伝来し、14、15世紀には、民衆の間にも浸透してきたとされます。
天上界から地獄界まで六道を巡る地蔵菩薩は、恐ろしい閻魔大王の化身だとされる半面、恵まれた環境に無く徳を積むことのできない一般庶民を、地獄の鬼から守る慈悲深い仏でもあります。
江戸時代に入り、地域を守る道祖神や、庶民の病や労苦を引き取る身代わり仏となり、より民衆に密着した信仰対象となりました。

2015-04-23 094 
[A]
「六地蔵」は、麓地区から高下地区に向かう旧道の上にあります。

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周りを木立で囲まれ、薄暗くなった堂内ですが、お揃いの赤い装束をまとったお地蔵さまが六体ならびます。
合唱・・・です。

2015-04-23 097 
お堂の脇に広がる田んぼは数年耕す人もない様子で、背丈ほどの雑草がさんさんと注ぐ陽を受け、風にさやさやと揺れていました。

2015-11-16 038 
[B]
麓川が支流と交わる位置に「お地蔵さま」が一体あります。
右の道を上れば、六地蔵、さらに高下地区へと続く旧道です。

2015-11-16 037 
まさに川の合流点、豪雨が襲えばお地蔵様の足元まで水が寄せそうな場所です。

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[C]
見浪地区、国道487号線の脇に建つ「お地蔵さま」です。
お堂脇の石柱には、「平成二十三年六月吉日 漁多助・クニコにより改装」と、彫られています。

2015-09-23 224 
[D]
麓川中流の川沿いに建つ「地蔵菩薩」です。

2012-09-22 002 017 
堂内には般若心経の書かれた白板に、「地蔵菩薩供養 小山益伴」の文字が見えます。

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[E]
二宮神社に向かう参道の脇にとても立派なお堂が建ちます。

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堂内には大きなお地蔵さまが一体おかれ、台座に「寶性地蔵」と彫り込まれています。

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[F]
中町(旧中村)の中心街から海岸へと伸びる旧道脇に「開運地蔵」があります。
傍に立つ石柱には「開運地蔵 寛政五年好日 土井家(萬兵衛)奉斎」とあります。

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いつも、綺麗なお花で飾ってあります。
深~く ・・・ 「合掌」 ・・・(*^。^*)です。

中町 観音堂・養源寺址

2)江田島町南部 養源寺跡
観音堂は迫田(追田?とも)と呼ばれる地区の中ほどに建ちます。
もとは禅寺、養源(玄)寺のあった地であると云います。

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観音堂の前にはソメイヨシノの古木があり、大枝が小さなお堂を覆い隠してます。

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簡素な造りですが、毎日のお手入れが行き届き、気持ちの和む佇まいです。

2015-10-23 080 
観音開きの戸を片側だけ開かせていただきました。

合唱。
観音様は金箔がまぶしい厨子の中に立たれれており、周りの仏具も整然と配置されています。

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観音堂のすぐ横手に小さな石柱が建ちます。

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石柱正面には「観音堂之由緒」と彫られています。
両側面と背面にもたくさんの小文字が見えますが、細い彫り溝を苔が埋めます。

一文字づつ指でなどれば判読できそうですが、年月かけて着いた味のある苔を払い落とすのは忍びなく・・・(*^_^*)です。

2015-10-23 087 
付近には五輪塔の一部だろうと思われる石材もあります。

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迫田の観音堂は背後の宇根山(542.2m)から、細い谷となって流れ下った土石が溜る、扇状地形の要に建ちます。
今は荒れ地が目立ちますが、宇根山から供給される清らかな水に恵まれ、島内でも突出した農業振興地だったろうと・・・。

中町 徳正寺

2)江田島町南部 徳正寺 
徳正寺は中町と江田島湾がほぼ一望できる高台に、さらに石垣を重ねて建ちます。

100311 056 
浄土真宗本願寺派 「擁護山 徳正寺」の山門(寺門)です。
(画像は2010年3月のものです。)

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現在(2015年11月)の徳正寺山門です。
平成の大修理が始まり、山門の屋根もすべての瓦をはぎ取りました。

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本堂正面付近の工事現場です。

2015-11-09 058 
複雑に組まれた足場や防塵シートに覆われて、内部を見ることはできませんが、とても複雑で手の込んだ作業が進みつつあるようです。

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本堂大屋根に乗る瓦もすべて降ろされたようで、今は仮葺きのトタン板が本堂を守ります。

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傾斜地に建つ徳正寺を支える石垣です。
海側の地盤の弱い位置には重量の軽い庫裡がたちます。

2015-11-09 068 
本堂に近い側の石垣は大石を使い、積み方もより丁寧なつくりとなっています。

2015-11-11 145 
まだ、モミジの芽吹く前から工事が始まったと記憶しますが、仮屋根の向こうに沈む太陽に、モミジ葉が赤く染まる季節の到来です。

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3年ほど前(2012年12月)の画像です。
来年のいまごろには、新しい大屋根を乗せた徳正寺伽藍が、金色、銀色に光り輝いているはずです。

ちなみに能美町誌付録図には
徳正寺
現存する阿弥陀如来像は、神亀年間(724~729)創建の八幡神社に祭られていたという。
文禄4年(1595)僧長雲が、浄土真宗に改宗、山号を擁護山徳正寺と改め、周辺に点在していた禅宗道場を合併して開基したと伝えられている。
文化2年(1805)建立の鐘楼は、基礎の石組に特徴があり、石工技術としては優れたものと言われる。 と・・・

中町 船霊社

2)江田島町南部 船魂神社 
船霊社(船魂社、又は船玉社とも)は、能美海上ロッジの北、潮が満ちれば島となるトトウガ鼻の先端に祀られています。

ちなみに、市内で多く使われている「○○鼻」の地名について
海上に突き出た陸地である「岬」や「埼・崎」と同義語となりますが、一般的には、より大規模に突き出た陸地から、「半島」-「岬」-「埼・崎」・「鼻」というような順番で使われています。
ただし、命名に規定があるわけではなく、地図(2万5千分の1)にも載らない小さな半島(滋賀県烏丸半島)があったりもします。
また、「○○鼻」とされる地名は西日本に多くあり、大分、愛媛、香川、広島、岡山、島根の順に使用頻度が高い、とか・・・

さらに蛇足しますと、中国ではこのような地形を、「角」と表記し、朝鮮半島では「串」と表されるとか・・・

以上ネット情報の切り貼り・・・<m(__)m>です。

2015-03-20 047 
海上に浮かぶ白い建物が国民宿舎「能美海上ロッジ」です。
その右海上に二つ、島のように見えるのがトトウガ鼻の先端部です。

2013-11-21 002 044 
干満差は最大で4m近くありますので、満潮時には船がなければ近づけません。

2015-11-21 164 
だいぶ潮が引いてきました。

2015-11-21 165 (2) 
トトウガ鼻先端には南面する赤い鳥居が建ち、その背後の大岩に船霊社が乗ります。

2015-11-21 171 
ここまで潮が引けば船霊社まで歩いて行くことができます。

2015-11-21 182 
近くまで寄ってびっくり!

なんと赤い鳥居は塩化ビニール?の大口径パイプで作られています。
塩ビパイプが素材の鳥居はおそらく国内唯一、世界でも類例のない独自発想、かと・・・(*^。^*)です。

2015-11-21 191 
社の近傍には石板があり

入魂式 昭和四十年八月十六日
落成式 同 ? 年八月十?日
世話人
中宮友石 矢野利郎 漁為吉 水野源一 橋本卯一 清次武夫

他に・・・
千代八千代幸を求めて出入船 中空友石

千代八千代汲めども尽きぬ海の幸 漁為吉

能美よいとこ何時でもおいで
花に柑橘 海の牡蠣
中でも優れし海上ロッチ
海水浴に潮干狩り
太公望にも夢があり
向井登志男

と読める碑が立てられています。

社は風波で削られ脆くなった岩塊の頂部に置かれています。
建立された当時には参拝用の石段もあたろうかと思われますが、その後、荒波に削り取られたようです。
大岩をよじ登り、社前に立つにはロッククライミング初級?程度の技量が必要かも・・・(*^。^*)です。

2015-11-21 198 
やっとの思いで、社前に這い登ることができましたが、頂部の広さは前後に2、3m、横幅は1mもない馬の背地形です。

ぎりぎりのスペースでお参りしましたが、立ち木やイバラのツルも絡んでいて身動きできません。

2015-11-21 227 
船霊社へは、この付近から参拝するのがベストのようです。

2013-11-21 002 037 
後ろを振り返れば、みるみるうちに潮は満ち、船霊社へと続いていた数本の足跡はすべて波に飲み込まれてしまいました。

能美中町の船霊社由来として記されたものを知りませんが、ウィキペディアによれば

船霊(ふなだま)とは海の民が航海の安全を願う神であり船玉とも表記する。
また、地方により、フナダマサン、フナダンサン、オフナサマなど、様々な異名がある。

天平宝字6年(762年)に嵐にあった遣渤海使船能登で、無事の帰国を船霊に祈ったことがあり、起源は相当古いようである。

また、大辞林には
船中にまつられる船の守護神。
住吉大明神・猿田彦神・綿津見神など。
春日・八幡・大日・薬師なども数え入れ十二船玉という。
男女一対の人形や、さいころ二個・五穀・銭一二文・女の髪などを神体とし,帆柱の受け材である筒の下部に穴をあけて封じ込める。 ・・・と。
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