中町 御建 坪崎山

グーグル地図坪崎 
胡川河口に登山口のある、真道山千本桜林道を登り、途中のわき道を200mばかり進んだ位置に、7、80cmの石柱が一本建ちます。
(画像はグーグル地図2016です。)

2015-12-13 039 
今にも草木に埋もれようとする花崗岩石柱には「従是北中村御建坪崎山・従是南飛渡瀬村御留落走山」と(難読文字が多く推定ですが)彫られています。

つまりは、これより北は中村の御建山で坪崎山、これより南は飛渡瀬村の御留山で落走山である。と、記した境界標石です。

ちなみに、享保10年(1725年)とされる記録によれば
御建山として
高田(岩風呂山) 中村(坪崎山・大後寺迫山) 鹿川(新蔵山・阿じろ山)
御建藪として
高田(升田上山藪) 中村(高下山神山)
御留山として
中村(飛渡瀬堺落走山) 鹿川(大矢藤浦山)
と、あります。
(能美町誌より)

御建山とは江戸時代、幕藩領主の管理下にあった保護林、または占有林の汎称で、入山や伐採を禁じ幕藩用に供するための良質木材を育成しました。
御建藪とは主には水害防護、あるいは弓矢材料の資源保護を目的として入山、伐採を禁じました。
御留山も御建山に準じますが、水源涵養や砂防などの治山の目的で設定した場合もあったり、近隣住民の紛争調停を目的に、入り会い権を設定するなどの住民保護を目的とした用例もあったようです。

中村古地図(南半分)  
能美町誌にある、芸藩通史 (1825年)の写し「中村」の絵図の南側半分を現代訳しました。
(原画の読み取れない文字は適宜に訳しましたので、正確を期す場合は能美町誌をご覧ください。)

これを見ますと、飛渡瀬村との境に、建坪崎山がありその坪崎山に接して、落走山入合(入会)とあります。
この落走山を入会としたことには土地所有を巡って中村と飛渡瀬の間で争いが生じたことを推察させます。

むか~し、むかし、婚姻は親が決めるものであって、それより他の男女の恋愛沙汰は許されない時代があったそうです。

飛渡瀬村で育った大工見習いの若者が、中村の御屋敷普請に出入りする内、その家のお嬢様と恋仲となりました。

大工見習いと、お屋敷のお嬢様では釣り合うはずもなく、悲観にくれた二人は手を取り合って入水、亡骸は別れ別れに両村にもどされ荼毘に付されました。

ところが、あろうことか、遠く山を隔てて立ち昇った二筋の荼毘の煙が真道山の真上で交わり、大渦となって天空に消え去ったと云います。

この昔話、もしや落走山が入り会いになったことと繋がるのでは?・・・(*^_^*)です。

松ヶ鼻1975・02・13(昭50) 
国土地理院 1975・02・13(昭50) 

坪崎山は、ほぼ全山がミカン山に見えます。
トトウガ鼻には国民宿舎「能美海上ロッジ」が見えます。

松ヶ鼻1981・09・17(昭56) 
国土地理院1981・09・17(昭56) 

沢山あったミカン山が減ってきたような・・・
松ヶ鼻にかんぽの宿「安芸能美」が見えます。

松ヶ鼻2008・06・13(平20) 
国土地理院 2008・06・13(平20)

長瀬海水浴場が整備され、「シーサイド温泉のうみ」ができています。

111222b 010 (2) 
坪崎山のミカン畑は少なくなりましたが、国道沿いのふもとに観光みかん園「川西農園みかん畑」が健在です。

もぎ取りみかん食べ放題、入園料(大人500円・小人400円)の、みかん農園入口・・・(*^。^*)です。

こうした、家族で一日を楽しめる観光みかん園、かっては市内に数十ヶ所もあったのですが、現在江田島市商工観光課に登録されているのは以下の3農園のみとなりました。

【川西農園みかん畑/電話0823-45-5341】
所在地
江田島市能美町中町4618
料金
大人500円(中学生以上)/子供400円※40名以上団体割引有
アクセス
中町港から徒歩15分・三高港から車で15分

【平木観光農園/電話0823-43-0315】
所在地
江田島市江田島町切串
料金
大人600円(中学生以上)/子供500円※20名以上団体割引有
アクセス
切串港から約2キロ,小用港から約4キロ
※切串港,小用港からは送迎バスがあります(要予約)

【久保農園/電話0823-43-0246】
所在地
江田島市江田島町切串1-8-15
料金
大人500円(中学生以上)/子供400円※15名以上団体割引有
アクセス
切串港(吹越桟橋)から300メートル(徒歩3~4分)
切串港(西沖桟橋)から800メートル(徒歩10分)

2015-12-13 044 
落走山と思われるあたりから見た東の方角です。
江田島湾の最奥である内海と対岸は江田島町鷲部、はるか遠くに霞むピークは呉市の灰ヶ峰です。

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中町 真道山 2/2

真道山(150) 
真道山への登頂には4本のルートがあります。

千本桜の並木道を登る千本桜林道林道は真道山の北、胡川河口が登山口です。
その千本桜林道の延長でもある鹿川林道は真道山の南、鹿川水源地に登山口があって、この2本は山頂間近まで車で上ることができます。

能美遊歩道は真道山の西、真道山森林公園に登山口があり、森林公園管理者により整備されています。

東の飛渡瀬遊歩道は古くからあった登山道ですが、廃道寸前となっていたものを近年になり地元の有志が再開通させました。

100329 058 
千本桜林道がもっとも美しいのは4月初旬のソメイヨシノが満開のころです。

ただ、この時期は車が頻繁に行き来しますので、のんびりと散策するにはちょっと・・・(^_^;)かも。
画像は山桜が咲き始めた3月の下旬、8合目あたりからみた津久茂の瀬戸方向です。

2016-01-22 107 
1月中旬、7合目あたりの桜並木、まったくの枯れ木状態です。

スローペースで往復3時間、鳥の声が聞こえただけで、猫の子一匹見ることもなく下山しました・・・(*^。^*)です。

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能美遊歩道登山口のある、真道山森林公園です。
公園にはバーベキュー台や炊事場、トイレやシャワーを完備しています。

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遊歩道入口付近にある千手観音です。
古くは遊歩道沿いに数十体の観音様が建てられ、ミニ札所巡りができましたが、現在残るのは数体の観音様だけです。

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距離は短いのですが、その分急坂となります。
沿道の木々は鬱蒼とし、森林浴にはよろしいのですが遠視界はありません。

2014-04-26 002 011 
千本桜林道と交差する位置に大きな石碑が建ちます。

「 鳥 群 魚 躍 」???
傍石に
早稲本臥石先生、名は武雄大正四年一月十六日当地中村五八八番地に生誕される。
長じて広島県師範学校に進まれてより勉学に思索に詩歌に更には書の道絵画の道にと情熱を注いで精進され大いにその稟性を錬磨される。
昭和九年師範学校を卒業されるや郷里中村尋常高等小学校訓導に任じられ爾来能美町内小中学校や大柿・三高各中学校を歴任、鹿川小学校長を最後に三十九年間に亘る教職を退かれる。
その後も能美町公民館長或いは、各種講座講師として教導に尽瘁され、生涯をかけて教育発展に大きく貢献される。先生は性まことに質朴円満にして尚志剛毅の人、芸術の師人の道の師として心より敬慕する者数知れず。
先生傘寿を迎えられるに当たり有志相集い、茲に先生の墨跡を刻して碑となしその高潔なる仁徳と大いなる事蹟を讃えるものである。
   平成五年十月
早稲本武雄先生記念碑建立世話人会
と、・・・です。

2016-01-22 082 
飛渡瀬遊歩道の6合目あたりです。
降り積もった芝で足元は悪いのですが、踏みしめる落ち葉の匂いが気分を爽快にします。

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真冬の透き通る日差しを受け、タマミズキの真っ赤な実がめいっぱいに光り輝きます。
タマミズキは、普段まったく目立たない木ですが、この時期だけは他の木々を圧倒してその美しさを表現します。

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8合目あたりに、一体の寶性地蔵(ほうしょうじぞう)が建ちます。
寶性地蔵は六地蔵の一つで無縁諸精霊、或いは継承者のいない精霊の菩提を弔う仏様とされます。
台座には昭和十五年四月建之 寄附者 小尻和作・石工 山木宝一とあります。


2016-01-22 078 
足元に花入れはありますが、最近のお参りがあった形跡はありません。
ただ、お花がおかれる位置に、朝露のごとく光る透明な水晶が立て掛けてありました。
深~~~く、合掌・・・です。

2016-01-22 068 
9合目くらいの位置に花崗岩の標柱が立ちます。
一辺に「海兵養地」と彫られています。

江田島市観光ガイドに・・・以下コピペ・・・m(__)mです。

真道山は旧江田島海軍兵学校生徒の訓練場として、また同校に「昭和十一年十一月十五日真道山山頂五千坪ヲ本校養浩館ニテ購入、桜千本楠楓栗六十九本ヲ植ユ」と記録に残されているように、生徒の憩いの場としても使用されていました。しかし、この憩いの空間も戦中戦後の荒廃・山林火災などで消失し、旧海兵出身者たちが、かつての美しい山への懐旧の念に燃え、能美町と協力して登山道に沿って全国各種の桜千本を植栽しました。春には、真道山千本桜で桜並木を楽しむ人々も多くいます。

と、の記載がありますので、かって(今も?)この標柱から上は「海軍兵学校養浩館」の所有地であったのでしょう。

中町 真道山 1/2

2)江田島町南部 真道山 
真道山山頂(286.6m)は能美町中町と能美町鹿川、大柿町飛渡瀬との境界上にあります。

行政区分では大柿町飛渡瀬とされますが、主要登山道である真道山千本桜林道は中町黒張から胡川に沿ってあります。

2014-04-03 002 080 
中町迫田の農道から見上げた真道山です。

2015-08-27 007 
中町から江田島湾を挟んだ対岸である、江田島町津久茂から見た真道山です。
手前の海上に浮かぶ建物は、国民宿舎「能美海上ロッジ」です。

2016-01-22 065 
真道山頂上に建つ展望台と、その手前には「五省」の書かれた石板が建ちます。

真道山は中世、亀山城(現在の中町八幡神社)の後備えあるいは見張り所となる砦がおかれていたと云います。

また、戦前は海軍兵学校生徒の心身鍛錬の場として、登山競技などに利用されました。

五省の碑石板には

 五 省

一 至誠に悖(もと)るなかりしか
(誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか)

二 言行に恥づるなかりしか
(発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか)

三 気力に欠くるなかりしか
(物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか)

四 努力に憾(うら)みなかりしか
(目的を達成するために、惜しみなく努力したか)

五 不精に亘(わた)るなかりしか
(怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか)

     栗田健男 書

注:(かっこ)内の現代訳は「海上自衛隊幹部候補生学校ホームページ」よりの引用です。

石板裏面には

「五省」縁起
書は最後の海軍兵学校校長、栗田健男中将の筆になるものである。
「五省」は昭和七年、時の兵学校教頭であって当能美島出身の三川軍一大佐が起案し校長松下元少将が裁可して訓育に活用されるに至ったものである。
かって海軍兵学校に於いて夜の自習時間の最後に生徒が目を閉じて一日を反省自戒した「五省」は兵学校出身者にとって戦中は勿論戦後も復興発展の心の支えとなってきた。
米国に於いても日本駐留中「五省」に感銘を受けたアナポリス海軍兵学校長ウイリアム・p・マック中将が一九七六年この英訳文を同校に掲げ生徒の反省修養の銘となし今日に及んでいる。
戦後五十年玆に「五省」を記念碑として眞道山に留め杖を曳かれる旅人が江田内の碧に映える生徒館と対面しつつ暫し黙誦されんことを希うものである。
   平成七年三月吉日
海軍兵学校出身者有志
世話人 鹿山 譽

ちなみに、栗田健男中将はレイテ沖海戦で第一遊撃部隊を指揮して参戦、レイテ突入を前に「謎の反転」と呼ばれる離脱行動?が戦後の戦史研究で注目されました。

さらに最頂部には

海軍兵学校
同 期 の 千 本 桜  碑

海軍兵学校連合クラス会
平成四年三月建立
が建ちます。

側石には
昭和十一年十一月、昭和天皇の海軍兵学校行幸を記念して、在校生八八四名は真道山一帯に吉野桜千本を植えたが戦後の山火により焼失した。
平成二年、花と緑の万国博覧会の年にちなみ能美町、大柿町のご協力と、財団法人日本さくらの会のご支援を得て、再び同期の千本桜の植樹を行い、もって地元の「花の里」の実現を希い、散華された幾多の、先輩盟友を偲び、海軍兵学校の精神が次の歌と共に、後世に語り継がれんことを期し、ここに同期の千本桜の碑を建立する。

貴様と俺とは  同期の桜
同じ兵学校の  庭に咲く
咲いた花なら  散るのは覚悟
見事散りましょ 国の為
海軍兵学校連合クラス会

さらには

「 平 和 の 祈 り 」
2004.8.22贈
姫路商工会議所 青年部
「夢の架け橋」委員会
第一回JTS参加者一同
の、石柱もあります。

100329 086 
砦風展望台から見た南の方角、大原湾と大柿町水畑・大附あたりが見渡せます。

2016-01-22 043 
南西の方角、能美町鹿川と大黒神島の全容が見えます。

2016-01-22 045 
北西の方角、ふもとに中町の街並みが、遠く能美町高田、右に津久茂の瀬戸、さらに遠くには本土廿日市市が靄って見えます。

100329 050 
ほぼ真北の方角です。

江田島湾を挟んで、中央に尖った山が古鷹山、そのふもとに白く旧海軍兵学校です。

2016-01-22 105 
栗田中将が最後の校長を務めた旧海軍兵学校の全景です。

現在は、海上自衛隊幹部候補生学校・第一術科学校と名称を改め、自衛隊員の教育訓練の場となっています。
校内には旧海軍時代の由緒ある建物や歴史資料の展示館があり、定時に見学することができます。

2016-01-22 050 
東の方角です。
大柿町飛渡瀬と江田島町江南、音戸の瀬戸が見えます。

2016-01-22 090 
江南から峠を越えた先、江田島町秋月にある株式会社フルサワ(船舶解体工場)で解体を待つ、「SUPER LINER OGASAWARA」(スーパーライナーオガサワラ)です。

東京~小笠原航路に投入され742名の乗客を乗せて、38ノットの高速力で運行する予定でしたが、燃料費の高騰による採算割れが判明、一度も航路を走ることなく廃棄処分とされました。
全長140m、総トン数14.500トン、2005年、三井造船玉野事業所で建造されました。
ちなみに建造費は115億円、その後の維持保管費用なども入れると・・・(^_^;)です。

その向こうは、三ツ子島埠頭株式会社の所有する、メキシコ産工業塩の貯蔵施設で、日本の工業塩の75%を担っているそうです。

100329 080 
頂上から千本桜林道を経由して中町へと下る階段です。
江田島湾に浮かぶカキ筏の向こう、三角形の山は津久茂山です。

中町 宇根山(野登呂山)

2)江田島町南部 宇根山 
宇根山(旧名は野登呂山)は能美町中町と沖美町畑の境界にあり、江田島市内でもっとも標高の高い(541.8m)山です。
しかも、広島県内でも17ヶ所(猿政山・一峰寺山・女亀山・道後山・阿佐山・彦山・鷹ノ巣山 ・大黒目山・龍王山・岡田山・宇根山・臥龍山・堂床山・野貝原山・小田山・冠山・星居山)だけにしかない一等三角点を持ちます。

2015-03-20 055 
水ぬるむ3月、数年前まで、「かんぽの宿 安芸能美」があった、松ヶ鼻の高台から見た宇根山です。

手前、海に浮かぶ建物は「国民宿舎 能美海上ロッジ」です。

2014-04-03 002 030 
4月のはじめ、菜の花とソメイヨシノが満開となった迫田農道から見上げた宇根山です。

2014-11-15 020 
宇根山(野登呂山)登山道の入り口付近は、かって一面のみかん畑でしたが、平成に入った頃より多くの畑が手入れされないまま放置され始め、それまでの豊穣のみかん畑は次々に雑木林へと変身していきます。

宇根山のもともとの山名を知りませんが、戦後?「野登呂山」と命名登録されました。 が、近年になり国土地理院通達?により「宇根山」と山名を改めることとなりました。
よって古いパンフレットや市内の案内板などに旧山名の「野登呂山」と表記されている場合が多くあります。

画像の左向こうが古鷹山で、右に見えるのが中町の街並みです。

2015-09-23 217 
みかん畑の急坂を過ぎたあたりの登山道脇に、縞模様の美しい大きな石が置いてあります。
この巨石は宇根山登山道路を切り開く際に発見された宇根山山系からの転石で、玖珂層群由来の層状チャートです。

江田島市のすべての陸地は広島型花崗岩の大岩盤ですが、江田島町の津久茂山、沖美町の砲台山、そしてこの宇根山山系には、その基盤となる花崗岩の山に帽子を被ったように玖珂層群の海洋堆積岩が乗っかっています。

この直径2m近いチャートの大岩は、中生代ジュラ紀に海底に降り積もったケイ酸質プランクトンの死骸が主な成因となっています。
さらにこの海底堆積物には複雑な褶曲があることから、海洋プレートの沈み込みと共に海溝に落下した後、付加体となって大陸側にある日本列島にせり上がったと考えられています。

2014-11-15 068 
登山道7合目あたり、雑木の途切れた間に、ふもとの高田地区が一望できます。
江田島湾を挟んで、対岸左に津久茂山、中央のとんがりが古鷹山です。

2015-09-23 208 
林道脇の雑木の枝からはアケビやムベがぶら下がります。
葉っぱが3枚ですので、ミツバアケビ、右下に見える7枚の葉っぱはムベです。

ちなみに、アケビは同種類の花粉では実をつけません。
家庭で栽培する場合は、3葉のミツバアケビと5葉のアケビを近くで育てるか、他種の雄花で人工授粉をする必要があります。
ムベは自家結実性ですので、1本だけ植えても実が着きます。

2015-09-23 153 
八合目あたりに差し掛かると、アスファルト道路一杯に山栗の実が散乱しています。
このまま放置するのも気が引けますので、おにぎりの入っていたレジ袋に満杯まで詰め込みます。

近くには「寺屋敷慰霊碑」と彫られた石碑が建ちますが云われは知りません。

2015-09-23 195 
尾根を上り詰めたあたりで、アスファルト道路の左に細い獣道があって、「宇根山山頂へ」と板切れに表記されています。

アスファルト道路はさらに上へと続いていますが、なぜか?鉄条網で封鎖されています。

足を引っかけないように注意してさらに進むと、なんだぁ~~~???

TVの中継塔???、それにしては厳重に囲ってあるし、監視カメラがあちこちに設置してありますし・・・
付近の電柱に目をやると、「第F40種 接地埋設標 防衛施設庁」の銅板が打ち付けてあります。

な~んだ、そうゆうこと ・・・(^_^;)ですか。

位置的にみて、岩国基地と呉基地を結ぶ軍事用電波中継塔???かも???

2014-11-15 033 
アスファルト道路を後戻りし、先ほどの「宇根山頂上へ」とある、獣道に分け入ります。

入口付近は雑草が繁茂し、いや~な感じでしたが、少しはいると人の手が加わった、りっぱな?登山道です。
クリの木もあるし、島内ではあまり見ないコシアブラの黄色く透ける葉っぱや、ジイゾブらしいつる草もあります。

2014-11-15 046 
山頂広場の入り口に巨大なコンクリートの八角柱が建ちます。

2014-11-15 035 
鉄製のプレートがはめ込まれ「第??号 天測点 地理調査所」とあります。

天測点は全国に48点(現存43点)が設定され、昭和29年から5年間、天文測定がおこなわれました。
これにより、三角測量の位置座標を規正し、国土測量の精度が向上しました。

2014-11-15 043
山頂広場の中央にある一等三角点の近くに、見慣れない石柱が立っています。
これは旧日本軍の軍用地を指定する石柱で、二重波線があることから「海軍境界標石」と呼ばれるものです。

周囲360度が見渡せる高地ですので、先の大戦中には見張り所とかがあったのかも???です。

現在、宇根山山頂の周辺はびっしりと木々に囲まれていて視界がまったくききません。
植林されただろうと思えるヒノキの大木が育っていることなどから、おそらくは私有地であって勝手な伐採や登山道整備ができないのだろう。と?・・・(^_^;)です。

中町 ため池

中町 ため池  
中町地区の農業生産性は島内随一を誇りますが、そのためには安定供給のできる農業用水が必要です。
当地は東に真道山が西には宇根山があって、雨水を集めやすい地形ではありますが、勾配が強く降った雨は流域の農地を潤すだけの間もなく、一気に江田島湾へと流れ下ります。

そのため、わずかであっても雨水の集まりそうな場所には、大小問わず農業用のため池が作られました。

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迫田川の上流に、島内でも最大級のため池があります。

農業不振の昨今、多くのため池が放置され自然に回帰する中にあって、この池だけは今もなお十分な管理がなされています。

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水面にうつる桜の花が春風にゆらぎます。

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堤防はウツボグサやサイヨウシャジンの花で飾られます。
これらの花は人や草食動物が定期的に草を刈り取ってくれるような、日当たりのよい場所を好んで繁殖します。

2015-08-03 046A 
初夏の訪れとともに、たくさんのトンボが乱舞します。
アジアトトンボ? 上が雄で下が雌です。

2015-08-29 036A 
ウスバカゲロウの仲間でツノトンボの雄です。
トンボによく似ていますが触角がとても長いです。

2014-08-01 038
迫田川の支流を留めてつくられた、灌漑用ため池です。

100311 029 
3月初旬、陽だまりから順に芽吹きが始まります。

2016-01-11 011 
江田島市役所の東、国道487号線が防波堤代わりとなる、その内側に大きな調整池があります。
満潮時には海面下となり塩水が逆流しますので、防潮蓋を取り付けて塩水の流入を防ぎ、大雨で雨水の流入が多いときは排水ポンプを運転して浸水を防ぎます。

通りすがりに聞いた話では、もとは江田島町津久茂地区の有志が、この地を埋め立てて農地とする予定であったが、昔の技術ではうまく行かずに工事途中のままに終わったとか・・・

蛇足となりますが、中町、高田の対岸である江田島町津久茂(村)は大正14年2月1日、安芸郡江田島村に編入替えされるまで、中村や高田村と同じく佐伯郡に属していました。
そのためもあり、耕作地の少ない津久茂村の住人は高田村や中村の地に多くの農地を開墾、所有していました。
その後、昭和30年4月1日、中村、高田村・鹿川町が合併して能美町が発足、地名を中町、高田、鹿川、に改めました。

2016-01-11 012 
塩水が混じりアシの類しか育たない調整池も、水鳥にとっては楽園、冬場はコガモ?の越冬地となっています。

2014-07-22 063 
真道山森林公園の入り口にあるため池です。
野鳥や水鳥をよく見ますが、目が合えば瞬時に飛び去って行きます。

2015-08-07 180A 
池のほとりの草むらに、モノサシトンボの雄?です。

110706 019A 
胡川上流にあるため池です。
飼育鴨のようですが、写真を撮ろうとすると全力で遠ざかります・・・(*^。^*)です。
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