真道山への登頂には4本のルートがあります。
千本桜の並木道を登る千本桜林道林道は真道山の北、胡川河口が登山口です。
その千本桜林道の延長でもある鹿川林道は真道山の南、鹿川水源地に登山口があって、この2本は山頂間近まで車で上ることができます。
能美遊歩道は真道山の西、真道山森林公園に登山口があり、森林公園管理者により整備されています。
東の飛渡瀬遊歩道は古くからあった登山道ですが、廃道寸前となっていたものを近年になり地元の有志が再開通させました。
千本桜林道がもっとも美しいのは4月初旬のソメイヨシノが満開のころです。
ただ、この時期は車が頻繁に行き来しますので、のんびりと散策するにはちょっと・・・(^_^;)かも。
画像は山桜が咲き始めた3月の下旬、8合目あたりからみた津久茂の瀬戸方向です。
1月中旬、7合目あたりの桜並木、まったくの枯れ木状態です。
スローペースで往復3時間、鳥の声が聞こえただけで、猫の子一匹見ることもなく下山しました・・・(*^。^*)です。
能美遊歩道登山口のある、真道山森林公園です。
公園にはバーベキュー台や炊事場、トイレやシャワーを完備しています。
遊歩道入口付近にある千手観音です。
古くは遊歩道沿いに数十体の観音様が建てられ、ミニ札所巡りができましたが、現在残るのは数体の観音様だけです。
距離は短いのですが、その分急坂となります。
沿道の木々は鬱蒼とし、森林浴にはよろしいのですが遠視界はありません。
千本桜林道と交差する位置に大きな石碑が建ちます。
「 鳥 群 魚 躍 」???
傍石に
早稲本臥石先生、名は武雄大正四年一月十六日当地中村五八八番地に生誕される。
長じて広島県師範学校に進まれてより勉学に思索に詩歌に更には書の道絵画の道にと情熱を注いで精進され大いにその稟性を錬磨される。
昭和九年師範学校を卒業されるや郷里中村尋常高等小学校訓導に任じられ爾来能美町内小中学校や大柿・三高各中学校を歴任、鹿川小学校長を最後に三十九年間に亘る教職を退かれる。
その後も能美町公民館長或いは、各種講座講師として教導に尽瘁され、生涯をかけて教育発展に大きく貢献される。先生は性まことに質朴円満にして尚志剛毅の人、芸術の師人の道の師として心より敬慕する者数知れず。
先生傘寿を迎えられるに当たり有志相集い、茲に先生の墨跡を刻して碑となしその高潔なる仁徳と大いなる事蹟を讃えるものである。
平成五年十月
早稲本武雄先生記念碑建立世話人会
と、・・・です。
飛渡瀬遊歩道の6合目あたりです。
降り積もった芝で足元は悪いのですが、踏みしめる落ち葉の匂いが気分を爽快にします。
真冬の透き通る日差しを受け、タマミズキの真っ赤な実がめいっぱいに光り輝きます。
タマミズキは、普段まったく目立たない木ですが、この時期だけは他の木々を圧倒してその美しさを表現します。
8合目あたりに、一体の寶性地蔵(ほうしょうじぞう)が建ちます。
寶性地蔵は六地蔵の一つで、無縁諸精霊、或いは継承者のいない精霊の菩提を弔う仏様とされます。
台座には昭和十五年四月建之 寄附者 小尻和作・石工 山木宝一とあります。
足元に花入れはありますが、最近のお参りがあった形跡はありません。
ただ、お花がおかれる位置に、朝露のごとく光る透明な水晶が立て掛けてありました。
深~~~く、合掌・・・です。
9合目くらいの位置に花崗岩の標柱が立ちます。
一辺に「海兵養地」と彫られています。
江田島市観光ガイドに・・・以下コピペ・・・m(__)mです。
真道山は旧江田島海軍兵学校生徒の訓練場として、また同校に「昭和十一年十一月十五日真道山山頂五千坪ヲ本校養浩館ニテ購入、桜千本楠楓栗六十九本ヲ植ユ」と記録に残されているように、生徒の憩いの場としても使用されていました。しかし、この憩いの空間も戦中戦後の荒廃・山林火災などで消失し、旧海兵出身者たちが、かつての美しい山への懐旧の念に燃え、能美町と協力して登山道に沿って全国各種の桜千本を植栽しました。春には、真道山千本桜で桜並木を楽しむ人々も多くいます。
と、の記載がありますので、かって(今も?)この標柱から上は「海軍兵学校養浩館」の所有地であったのでしょう。
宇根山(旧名は野登呂山)は能美町中町と沖美町畑の境界にあり、江田島市内でもっとも標高の高い(541.8m)山です。
しかも、広島県内でも17ヶ所(猿政山・一峰寺山・女亀山・道後山・阿佐山・彦山・鷹ノ巣山 ・大黒目山・龍王山・岡田山・宇根山・臥龍山・堂床山・野貝原山・小田山・冠山・星居山)だけにしかない一等三角点を持ちます。
水ぬるむ3月、数年前まで、「かんぽの宿 安芸能美」があった、松ヶ鼻の高台から見た宇根山です。
手前、海に浮かぶ建物は「国民宿舎 能美海上ロッジ」です。
4月のはじめ、菜の花とソメイヨシノが満開となった迫田農道から見上げた宇根山です。
宇根山(野登呂山)登山道の入り口付近は、かって一面のみかん畑でしたが、平成に入った頃より多くの畑が手入れされないまま放置され始め、それまでの豊穣のみかん畑は次々に雑木林へと変身していきます。
宇根山のもともとの山名を知りませんが、戦後?「野登呂山」と命名登録されました。 が、近年になり国土地理院通達?により「宇根山」と山名を改めることとなりました。
よって古いパンフレットや市内の案内板などに旧山名の「野登呂山」と表記されている場合が多くあります。
画像の左向こうが古鷹山で、右に見えるのが中町の街並みです。
みかん畑の急坂を過ぎたあたりの登山道脇に、縞模様の美しい大きな石が置いてあります。
この巨石は宇根山登山道路を切り開く際に発見された宇根山山系からの転石で、玖珂層群由来の層状チャートです。
江田島市のすべての陸地は広島型花崗岩の大岩盤ですが、江田島町の津久茂山、沖美町の砲台山、そしてこの宇根山山系には、その基盤となる花崗岩の山に帽子を被ったように玖珂層群の海洋堆積岩が乗っかっています。
この直径2m近いチャートの大岩は、中生代ジュラ紀に海底に降り積もったケイ酸質プランクトンの死骸が主な成因となっています。
さらにこの海底堆積物には複雑な褶曲があることから、海洋プレートの沈み込みと共に海溝に落下した後、付加体となって大陸側にある日本列島にせり上がったと考えられています。
登山道7合目あたり、雑木の途切れた間に、ふもとの高田地区が一望できます。
江田島湾を挟んで、対岸左に津久茂山、中央のとんがりが古鷹山です。
林道脇の雑木の枝からはアケビやムベがぶら下がります。
葉っぱが3枚ですので、ミツバアケビ、右下に見える7枚の葉っぱはムベです。
ちなみに、アケビは同種類の花粉では実をつけません。
家庭で栽培する場合は、3葉のミツバアケビと5葉のアケビを近くで育てるか、他種の雄花で人工授粉をする必要があります。
ムベは自家結実性ですので、1本だけ植えても実が着きます。
八合目あたりに差し掛かると、アスファルト道路一杯に山栗の実が散乱しています。
このまま放置するのも気が引けますので、おにぎりの入っていたレジ袋に満杯まで詰め込みます。
近くには「寺屋敷慰霊碑」と彫られた石碑が建ちますが云われは知りません。
尾根を上り詰めたあたりで、アスファルト道路の左に細い獣道があって、「宇根山山頂へ」と板切れに表記されています。
アスファルト道路はさらに上へと続いていますが、なぜか?鉄条網で封鎖されています。
足を引っかけないように注意してさらに進むと、なんだぁ~~~???
TVの中継塔???、それにしては厳重に囲ってあるし、監視カメラがあちこちに設置してありますし・・・
付近の電柱に目をやると、「第F40種 接地埋設標 防衛施設庁」の銅板が打ち付けてあります。
な~んだ、そうゆうこと ・・・(^_^;)ですか。
位置的にみて、岩国基地と呉基地を結ぶ軍事用電波中継塔???かも???
アスファルト道路を後戻りし、先ほどの「宇根山頂上へ」とある、獣道に分け入ります。
入口付近は雑草が繁茂し、いや~な感じでしたが、少しはいると人の手が加わった、りっぱな?登山道です。
クリの木もあるし、島内ではあまり見ないコシアブラの黄色く透ける葉っぱや、ジイゾブらしいつる草もあります。
山頂広場の入り口に巨大なコンクリートの八角柱が建ちます。
鉄製のプレートがはめ込まれ「第??号 天測点 地理調査所」とあります。
天測点は全国に48点(現存43点)が設定され、昭和29年から5年間、天文測定がおこなわれました。
これにより、三角測量の位置座標を規正し、国土測量の精度が向上しました。
山頂広場の中央にある一等三角点の近くに、見慣れない石柱が立っています。
これは旧日本軍の軍用地を指定する石柱で、二重波線があることから「海軍境界標石」と呼ばれるものです。
周囲360度が見渡せる高地ですので、先の大戦中には見張り所とかがあったのかも???です。
現在、宇根山山頂の周辺はびっしりと木々に囲まれていて視界がまったくききません。
植林されただろうと思えるヒノキの大木が育っていることなどから、おそらくは私有地であって勝手な伐採や登山道整備ができないのだろう。と?・・・(^_^;)です。
中町地区の農業生産性は島内随一を誇りますが、そのためには安定供給のできる農業用水が必要です。
当地は東に真道山が西には宇根山があって、雨水を集めやすい地形ではありますが、勾配が強く降った雨は流域の農地を潤すだけの間もなく、一気に江田島湾へと流れ下ります。
そのため、わずかであっても雨水の集まりそうな場所には、大小問わず農業用のため池が作られました。
迫田川の上流に、島内でも最大級のため池があります。
農業不振の昨今、多くのため池が放置され自然に回帰する中にあって、この池だけは今もなお十分な管理がなされています。
水面にうつる桜の花が春風にゆらぎます。
堤防はウツボグサやサイヨウシャジンの花で飾られます。
これらの花は人や草食動物が定期的に草を刈り取ってくれるような、日当たりのよい場所を好んで繁殖します。
初夏の訪れとともに、たくさんのトンボが乱舞します。
アジアトトンボ? 上が雄で下が雌です。
ウスバカゲロウの仲間でツノトンボの雄です。
トンボによく似ていますが触角がとても長いです。

迫田川の支流を留めてつくられた、灌漑用ため池です。
3月初旬、陽だまりから順に芽吹きが始まります。
江田島市役所の東、国道487号線が防波堤代わりとなる、その内側に大きな調整池があります。
満潮時には海面下となり塩水が逆流しますので、防潮蓋を取り付けて塩水の流入を防ぎ、大雨で雨水の流入が多いときは排水ポンプを運転して浸水を防ぎます。
通りすがりに聞いた話では、もとは江田島町津久茂地区の有志が、この地を埋め立てて農地とする予定であったが、昔の技術ではうまく行かずに工事途中のままに終わったとか・・・
蛇足となりますが、中町、高田の対岸である江田島町津久茂(村)は大正14年2月1日、安芸郡江田島村に編入替えされるまで、中村や高田村と同じく佐伯郡に属していました。
そのためもあり、耕作地の少ない津久茂村の住人は高田村や中村の地に多くの農地を開墾、所有していました。
その後、昭和30年4月1日、中村、高田村・鹿川町が合併して能美町が発足、地名を中町、高田、鹿川、に改めました。
塩水が混じりアシの類しか育たない調整池も、水鳥にとっては楽園、冬場はコガモ?の越冬地となっています。
真道山森林公園の入り口にあるため池です。
野鳥や水鳥をよく見ますが、目が合えば瞬時に飛び去って行きます。
池のほとりの草むらに、モノサシトンボの雄?です。
胡川上流にあるため池です。
飼育鴨のようですが、写真を撮ろうとすると全力で遠ざかります・・・(*^。^*)です。