中町 いいとこ撮り(風景) 3/6

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2011-07-06
中町桟橋に係留されているのは「レインボーのうみ」380tです。
江田島市営フェリーとして、「ドリームのうみ」397tと共に宇品・中町間航路を就航していましたが、2011年3月31日をもって市営の交通船事業が廃止されたため、新たな船主を求めて就活中の姿です。

この年の3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生、姉妹船であった「ドリームのうみ」は4月下旬から宮城県気仙沼市の大島汽船へ復興支援船として無償貸与をされており、画像の2011年7月現在、大島島民の足となって大活躍中・・・(*^。^*)でした。

ちなみに、ドリームのうみは翌2012年3月まで気仙沼で活躍、その後江田島市に返還されたのち、しばらくは宇品、三高航路(江田島汽船KK)で使用されていましたが、2014年10月20日をもって引退、のちに売却されました。

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2012-09-22
最近は草焼きの煙を見ることは稀なこととなりました。

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2012-12-13
高下地区の冬の名物? 大根の短冊干し・・・(*^。^*)です。

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2014-04-03
迫田地区から見た春真っ盛りの宇根山です。

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丘の上に柿の木が二本 ・・・(*^。^*)です。

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迫田大池のソメイヨシノです。

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迫田地区の真面目なお百姓さんの畑です。

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2014-04-03
さくら は ええなぁ~~~。

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2014-04-03
みかん山だった小丘を、さくら山にしちゃいました・・・(*^。^*)です。

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2014-04-03
さくらの花吹雪が舞う段々畑 ・・・(*^。^*)です。
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中町 いいとこ撮り(建物) 2/6

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2012-09-22
私の好きな縁側のあるお家です。

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2014-09-03
このお家にも縁側が・・・(*^。^*)です。

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2014-11-06
うなぎの寝床みたいに、ながぁ~~~い造りのお家です。

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2014-11-06
道路沿いに間口を、ひろぉ~~~く開けた商店です。

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2014-12-10 
家族の笑い声が道行く人に筒抜けなお家・・・(*^。^*)です。

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2015-06-02
先の、石臼が並べてあったお家です。
石好きなご主人が特注した?、特大の束石兼くつ脱ぎ石が据えられています。

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2015-06-02
高台にあって、とても見晴らしの良い場所に建ちますが・・・

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2015-07-23
中二階の母屋と、左右に蔵と納屋を持つお家です。
このような構造の中二階は養蚕の為に使われることが多いのですが、デザイン的にもなかなか・・・(*^。^*)です。

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2015-09-23
入母屋の一階屋根にさらに入母屋の二階を載せた、妙に気を引くお家・・・(*^。^*)です。


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2015-11-11
石の上に柱を立てる、束石工法で建てられたお家です。

ちなみに、古代からの掘建て工法では、土中に埋めた柱が腐りやすいのですが、平安時代に束石を据え、その上に柱を立てる束石工法が普及しました。

その後1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒に発生した関東大震災の教訓から、布基礎工法が発案され多くの民家で採用されるようになりました。

ところが、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に発生した阪神・淡路大震災で多くの布基礎で亀裂などの不具合が見つかったことにより、今ではベタ基礎工法が主流となっています。

今回、2016年(平成28年)4月14日21時26分以降に連続して起こった熊本地震による教訓はどう生かされるのか?、断層の直上であっても被害のない新しい住宅の建築工法が登場することを期待します・・・(^_^;)です。

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2015-12-28
広いお庭に大きなザクロの老木があるお家です。

中町 いいとこ撮り(建物) 1/6

能美町中町グーグル地図A 
中町は江田島市内にあっても、古くからの伝統や風景をより多く残した落ち着きのある地域です。

その原因の一つには生活道路の幅が狭く、しかも曲がりくねっていているために、大型車の出入りが不便で、他所の地区よりも家屋敷の改築改造が遅れぎみとなったことも関係します。

ただ、生活道自体の総延長は他の地区よりもむしろ長く、各家々と農地、幹線道路とを、くもの巣状に結んでいます。
農作業や物資の輸送に牛や馬を引いて歩く分にはなんらさしさわりはなく、むしろ戦後になって車社会が訪れるまでは、島内でもっとも陸上交通網が発達していた地域でした。

というわけで、老年者のお散歩コースとしては最適な環境・・・(*^。^*)です。

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11月6日
背後にそびえる大きなイチョウの木が、時どきの四季を奏でてくれる、一昔前の中町(中村)を代表する造りのお屋敷です。

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3月17日
冬枯れたイチョウの枝の先端にも春は芽吹きます。

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9月23日
まだイチョウの葉っぱは青々と、里芋の葉っぱも青々として初秋の陽を受けます・・・(*^。^*)です。

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4月、お屋敷の土塀の前の畑にダイコンの花・・・(*^。^*)です。

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5月、シュンギクにも花が咲きました・・・(*^。^*)です。

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お家の前にずら~~~り・・・。

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石臼です。
小麦を挽いて小麦粉を作る為の挽き臼ですが、右の目の粗いのは大豆用かも?です。

用途により、米粉や蕎麦粉、抹茶、などを挽く専用の石臼もあり、戦後もしばらくは多くの家庭の台所付近にセットされていました。

その後、商品として小麦粉や麺製品、簡易調理が可能な粉製食品など、メーカーで製造調整された製品が大量に安価で店先に並ぶようになり、あえて台所で臼を挽く光景は途絶えて無くなりました。
しかし近年になり、自然志向もあってスローライフな石臼の利点が見直され始めてはいます。

ちなみに、戦後しばらくは島内でもサトウキビ栽培が行なわれており、牛の力で石臼を回して糖蜜を搾り採っていました。

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お食事処「今福」さん・・・(*^。^*)です。

私もツル物植物が好きで、家の周りにアケビやムベ、ブドウやサルナシ、イタビカズラやスイカズラを育てていますがここまでは・・・(^_^;)です。

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農家風の建物が多い中、超洋風で華やかな建物がありました。
元は歯医者さん???とか???だったのかも?・・・です。

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和洋折半的なお家・・・(*^。^*)です。

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平屋建ての母屋に曲がり屋が取り込まれた感じですが、スッキリとまとまった安定感のあるお家です。

お家の前の畑では、インゲン豆と柿が色づき、収穫の時期を知らせています。

中町 津島織物製造・津田酒造・御堂岡呉服店

津田・島津・御堂岡 
中町小学校の廻りには、戦前の匂いがする建物が沢山見られましたが、追々に最新式の太陽光発電パネルを乗せた、オール電化住宅に建て替えられています。

数少なくなった歴史を刻む建物としては、小学校の裏手に島津織物、北側には旧中町郵便局舎、東に津田酒造、東南に御堂岡呉服店、少し離れた南に元広島警察署第三邏卒分屯所が残ります。

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中町小学校のすぐ裏手、細い路地を挟んで島津織物製造株式会社の工場があります。

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工場への門を入ってすぐ左に事務所風の建物が見えます。
この建物、平屋建てですが、明治7年に作られた広島警察中村邏卒分屯所の造りにどこか似ています。

ちなみに、島津織物製造さんのHPには・・・

明治23年
 津島織物工場 創業
 創業者 津島小太郎木綿織物を始める
 大正年間紗織りのふすま紙の製造を開始
昭和14年
 紙布のを開始
 帽帯の生地を生産
昭和23年6月2日
 津島織物製造株式会社を設立
 設立者 津島芳松
昭和35年
 紙布壁紙製造工場を新設
 三代目 津島澄人本格的に紙布壁紙の製造を始める
昭和44年4月
 四代目 津島一登 就任現在に至る
と、あります。

津島織物の創業以前から、この地域では綿花栽培が盛んに行われており、さらに家内工業として多くの家庭で木綿織物が作られていました。
この地域で生産された木綿織物は広島はもとより遠く大阪まで運ばれており、品質、生産量にばらつきがないことから、当時すでに能美木綿として広くブランド化されていました。
また、そのような手先の器用な女子労働力を当てに、明治30年、大柿町大君に朝日紡績が設立されました。

広報えたじま56号2009年06月 
江田島市広報に掲載された、津島織物の工場内部の画像です。

製造ラインを見学したことはありませんが、おそらくは、こより状に捻った細い紙を縦横挟んで一枚の紙布とするのでしょう。

触感や風合い、吸湿性に優れており、主な用途は室内の高級壁紙や襖紙として、丈夫なことからバッグや帽子、さらには和服の素材としても使われたとか・・・(*^。^*)です。

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前回訪れた折には、ガチャガチャと織機の音が風に乗って聞こえていましたが・・・。

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中町小学校のすぐ下に、白壁に焼き杉板を巻いた巨大な長屋蔵があります。
これらは津田酒造さんの酒蔵です。

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長大な酒蔵を守る庇の角で、真上から射す太陽光がプリズム色に分解します。

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残念ながら今は営業されていない様子???ですが・・・
津田酒造さんは、清酒「島の香」を全国の飲んべえに届けた、能美を代表する名酒造です。

近年になり島内の耕作放棄されていた田畑を、再度耕す気風も生まれています。
島育ちの優良米を使い、新たな「島の香」が香しいく島風に漂うことを期待しています。

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いらかの上に突き出た煙突「清酒島の香」、まだまだ・・・大きく伸びます。

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たまたま入り込んだ細い路地。
えぇ~~~っ。 これってアーケード???。

市内に道を一本覆うアーケードは、たぶん、此処だけ・・・(*^。^*)です。
お店の看板は見当たらないのですが、グーグル地図には御堂岡呉服店と表示されます。

たしかに。
アーケード入口に架かる看板に「全国きもの指導者協会認定 山根洋子きもの着付教室 能美分会??」とあります。

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もう一つビックリしたのは、アーケードとショーウインドーとを結ぶ部分がアール状にカーブさせてあることです。

先の、警察邏卒分屯所や、島津織物の事務所とも似ています。

能美町誌にいう、ドイツルネッサンス様式??? ・・・。
あるいは、中町の大工さんが発案した、能美ルネッサンス様式かも?・・・(*^。^*)です。

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いつまでも残しておきたい、すてきなお店です。

ちなみに、隣町の鹿川にも「御堂岡呉服店」さんがありますが、同じ系列のお店なのか?私は存じません・・・(^_^;)です。

中町 麓城(堀城・亀山城・新蔵城)・旧石井屋敷

麓城・旧石井屋敷
能美町誌によれば、中町には麓城の他、堀城、亀山城、新蔵城と平家落人が隠れ住んだと云われる狸城が記載されています。

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見浪川の中流から見上げた麓城のあった小山です。

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城山のすぐ下までは農地ですが、そこから山頂に登る道は藪となっていますし、登っても山頂からの見晴らしはききそうにありません。

この麓城は、堀城(二宮神社)の後詰めであったと云います。

中町には、麓城、堀城の他にも、亀山城が中村八幡神社におかれ、その後詰めとしては真道山に新蔵城が築かれていたと云います。

亀山城は天平20年(1365)河野通堯をかくまった中村重郎左衛門尉久枝の居城であったと云われます。

その後、戦国の世となり、堀城を水軍城、麓城を後詰めとして能美縫殿允仲次が大永5年(1523)に入城したと云われます。
さらには、児玉就忠 天文15年(1546)、能美左馬亮 弘治元年(1555)、大野次兵衛 天正10年(1582)、 松田善之進 天正19年(1591)と、この時代には目まぐるしい城主の交代がありました。

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城山の廻りの畑には沢山の石が積まれています。
もとはお城の防護用に使われていたものなのかも???・・・(*^_^*)です。

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麓城山の中腹から見た中町港、その先に能美海上ロッジ、さらには江田島町鷲部、遠くには呉市の最高峰である灰ヶ峰の頂上も見えます。

使ったかどうかはともかく、のろしとかの煙は良く見えそう・・・(*^。^*)です。

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旧石井屋敷の石垣です。
見浪地区の旧道沿いに大きな石を正確に組み上げてつくった、立派な石垣がのこります。

たまたまその近くでお会いした、昭和初期生まれであるご婦人の話では・・・

私が子供の頃、爺さんに聞いた話であると前置きし、このお屋敷にはお白洲の場として使われた大きな石が敷かれており、時どき広島から御用船を仕立てたお役人が立ち寄って、「遠山の金さん」みたいな感じで、訴状や科人の吟味が執り行われていた・・・と。

屋敷内には牢屋もあったそうで、まあ、今でいう、留置所や簡易裁判所のような業務が行われておったようじゃ。
「悪い子は牢屋に連れていく」と、よう脅されよった・・・と。
その当時の立派なお屋敷は取り壊されてしまったが、現在も縁者の方がお住まいである。・・・とか、(^_^;)です。

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石垣の中央あたりにはめ込まれた、特大の飾り石(約2m×1m)です。
おそらくは江戸中期以降の造りだと想像しますが、それにしても立派な石組です。

中町 元広島警察署第三邏卒分屯所

2)江田島町南部 旧警察 
先の三重吉文学碑のある下田屋敷の前にある四差路を南西に100mばかり進んだ、ため池の手前に一風変わった一軒のお家があります。

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普通の民家にしては凝った作りだと見上げておりますと、玄関の前を掃除されていた御婦人と目が合い怪訝な表情をされます。

失礼を詫び、お話をお聞きしますと、明治のころに建てられた警察の建物であるが詳しい話は聞いていないそうです。

ただ、ここまで古くはなっているが、内部は今もしっかりしており、もともとが丈夫な造りだったんだろう・・・と。

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時期は不明ですが、広島県からの払い下げを受けたもので、その後、生活に便利なように手が加えられてあるそうです。

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軒下の白塗りは独特のカーブが付けられていて土蔵造りのような雰囲気ですが、能美町町誌によれば、ドイツルネッサンス様式を取り入れた和洋折衷木造建築だそうです。

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この建物は、明治7年(1874年)に江能地域を管轄する広島警察署第三邏卒分屯所として建てられました。
当時最新の建築様式であって、腰弁当にちょんまげ姿のおじいさんを始め、遠方からは小舟を仕立た人々が大挙し見学に訪れたと云います。

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構造的に修理が難しい性もあったでしょうが、建築当初からの姿がほぼそのままに残されており、現存する木造の警察関連建物としては最古のものであると云われています。

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外壁や屋根の傷みは、はや最終段階にも見えます。

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おそらく、建築当初からの屋根瓦だと思います。

とくに、警察を表わす紋章や図柄は見当たりませんが、年代を感じるどっしりと落ち着いた鬼瓦が乗っています。



日本警察の紋章 
ちなみに警察のシンボルマークである、旭日章(きょくじつしょう)は、昇る朝日と陽射しをかたどった紋章で、日本の警察や、多くの日本の国家機関のシンボルマークとして用いられ、日章(にっしょう)、旭影(きょくえい)、朝日影(あさひかげ)、桜の代紋とも呼ばれております。

原型となるのは明治8年(1875年)、「円形万筋彫込(えんけいまんすじほりこみ)」の意匠が採用されましたが、戦後に廃止され、現在の五角形紋章である「日章」は、昭和23年(1948年)になり正章として採用されました。

以上、説明文、画像ともにウィキペディアよりのコピペ・・・m(__)mです。

中町 鈴木三重吉文学碑

2)江田島町南部 鈴木三重吉文学碑 
中町の中心部を南北に貫く旧街道の、もっとも賑わったあたりに、「鈴木三重吉文学碑」の標柱が立ちます。

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標柱には「鈴木三重吉『千鳥』文学碑」「文学散歩・三重吉の叙情『千鳥』の故地」とあります。

旧街道に面して積まれた石垣は三重吉が逗留した廻船問屋下田家のものです。
ちなみに、この下田屋敷には明治7年から大正9年まで「中村郵便局」が置かれていました。

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敷地内には当時のお屋敷は残っていませんが、その私有敷地の一部が一般にも開放(あくまでも私有地ですので最大限の配慮が必要です)されています。

ちなみに、鈴木 三重吉(すずき みえきち)、1882年(明治15年)~1936年(昭和11年)は、広島県広島市中区紙屋町出身の小説家・児童文学者であり、日本の児童文化運動の父とされます。

1901年(明治34年)東京帝国大学文科大学英文学科に入学し、夏目漱石の講義を受けました。
しかし1905年(明治38年)23歳の時、神経衰弱を煩い静養のために大学を休学して、能美町中町の廻船問屋下田家で過ごしました。

この間に『千鳥』の題材を得て、1906年(明治39年)3月、短編小説『千鳥』を完成。夏目漱石の推薦を受けて雑誌「ホトトギス」の5月号に掲載されました。
以上、ウィキペディアからのコピペ・・・m(__)mです。

小説「千鳥」は、主人公の淡い恋心を能美島の情緒や風景を交えて空想した短編で、その内容からは明治時代後半の能美中村の様子を多く読み取ることができます。

たとえば、番船、馬、蜜柑、馬鈴薯、麦、平茎、鳥貝、嫁の皿、蟹、豆腐、饅頭、切芋、白木綿、カナリヤ、カンテラ、下駄、郵便、などなど・・・(*^。^*)です。

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敷地内に建つ石板には「鈴木三重吉作 小説千鳥 記念碑」とあり、さらに「親のそばでは泣くにも泣けぬ 沖の小島へいって泣く 三重吉」と、あります。
これは、能美島滞在中の心境を友人に書き送った手紙の一節です。

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さらにその奥には、「千鳥」で主人公が涙をこらえて足を洗ったとされる井戸がほぼ当時のままに残されています。

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当時、蜜柑や馬鈴薯を背負った馬が頻繁に行き来し、夜、店先にカンテラの灯る豆腐屋や饅頭屋があった通りを、一台の軽トラが静かに通り過ぎていきます。

三重吉も賑やかな処は嫌いだと、言っていたような・・・(*^。^*)です。

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