鹿川 龍神社・お地蔵様

龍神社・地蔵仏 
江戸時代中期に書かれた「能美島志(宝暦13年)1763年」によれば、当時の鹿川村には

大将軍社 鹿川村にあり、毎年9月11日これを祭る。
薬師堂 鹿川村宮地にあり。
阿弥陀堂 鹿川村古地蔵堂の跡にあり。
堺神 鹿川村と飛渡瀬村の堺山上にあり。
今宮 鹿川村郷中にあり、未だ初め何神を祭りしを知らず。
顕徳寺 鹿川村郷中にあり。
佛乗寺 鹿川村原にあり。
鬼崎城 鹿川村海岸にあり、未だ何人の築く所なるやを知らず。
若宮 鹿川村海岸にあり、未だ初め何神を祭りしを知らず、岸上に砦あり、土人これを左門館という。

が、記載されていますが、大将軍社と薬師堂の他はその後の詳しい掲載書がなく、その故地を尋ねることができませんでした。

以下の社仏が「能美島志」記載の古い寺社仏と、どのようなかかわりがあるかは不明ですが、鹿川地区を徘徊中に目にした今世の社仏を列挙します。

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鹿川の水源池を支える堤防の北側に小さな社があります。
御名は見えませんが、水源池を守る龍神様あるいは水神様の社であろうと思います。

この鹿川水源池が完成したのは、昭和16年(1941)です。

戦雲急を告げるなか、江田島町本浦にある海軍兵学校の生徒、職員の人数はうなぎ上りとなり、生活飲料水を古くからの江田島奥小路水源だけで賄うことはできなくなりました。
そのため新たな水源として、この鹿川水源と沖美町三吉の三高水源を開発することとなり、江田島町矢ノ浦の山上に濾過池、配水池を作るとともに、その間を繋ぐ送水管の敷設を突貫で行なうこととなりました。

敗戦後しばらくは連合軍への給水施設として使用されましたが、のち鹿川町に移管され、現在は江田島市企業局水道施設課が管理をしています。

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この龍神社?水神社?、の由緒は不明ですが、古来より清き水のあるところはすべて龍神様のお住まいになる処として、たとえ祠や社はなくとも人々に敬われていました。

子供に対しては、竜や蛇、河童や猿猴の住む処であるから、その場を汚したり、悪さなどしないように教えていました。

ところが、どうしたことか近世の池や沼地は手入れがされないだけならまだしも、外来生物が派手に泳ぎまわり、家電や廃材の投棄場所ともなっています。 

近年の頻繁なる豪雨災害は龍神様のお怒りのしるしなのかも・・・m(__)mです。

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この鹿川貯水池がいつまでも、清らかであることを願います。

深く、ふか~~~く、一礼 ・・・m(__)mです。

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中郷の高台にある勝善寺から、さらに小道を登った先にお地蔵様が置かれています。
仏具は整頓され季節の花も生き生きと・・・(*^。^*)です。

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文久新開、後浜調整池の西の端の大矢へと続く道路脇に、赤い寺幕を垂らした祠の中でお釈迦さまが立たれます。

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祭壇は、こぼれんばかりの菊の花・・・(*^。^*)です。

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東浜の南の端、旧道の脇に彩色されたお大師さまの立像が置かれています。

海風で喉が渇くのを癒すためでしょうか?、たくさんのペットボトルが供えられ、強風にも耐えられるように、屋根が補強金具で増し止めされています・・・(*^。^*)です。
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鹿川 長塚山石仏

4)能美町・沖美町南部 長塚山石仏 
かって、南蛮樋と云われる汐留水門のあった永田川の右岸に、長塚山と呼ばれる小山があります。

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江戸中期には鹿川干拓事業の最前線であったこの付近は、複雑に絡む水利権や流水誘導の目的もあり、狭い間隔をもって3本の水路が平行し流れ下ります。

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長塚山は河川整備や道路拡張のために一部を削り取られましたが、その崖下には一枚の大石板が建てられており、長塚山石仏の縁起が詳しく語られています。

長塚山石仏縁起
現在ここに架かる橋「古樋橋」の名が示すように、かってこの橋の下には、十七世紀末頃、築造された当時としては新式の南蛮樋の遺跡がありました。
当時はこの辺りが鹿川湾の最真部だったのです。
江戸時代中期から後期、飢饉や疫病が流行する度に多くの死者がでたり、行き倒れて漂着する死体も多かったようです。
この南蛮樋門辺りにも死体が流れ着くことがあり、それを目にするこの村落の人々は、死者を哀れと思い無縁仏として手厚く供養し、見晴らしの良い長塚山頂上に立つ大松(長塚松といった)と、風雨に耐え海を見下ろすように立っていたしだれ桜の傍らに葬りました。
この無縁仏を祀る習わしは後々まで受け継がれて、いくつもの墓石が並び、あたりにはきれいな小石を敷きつめ慰霊の願いを込めた石仏が数十体安置されていました。
人々はそこに敷きつめられた小石を、「ゴイシ」と称して持ち帰ると罰が当たると言い伝え、子どもが持っていったりすると返しに行かせるほどでした。
しかし、昭和二十年代に長塚山一帯で道路工事が行われた際、敗戦後の混乱した社会情勢からか、墓石が石積みにされたり、石仏も草陰に放置され、二体のみ残されたまま時が移りました。
その工事の頃、樹齢三百年と言われた長塚松は既に枯れていましたが、固い肥え松の中心部だけが残り、それでも直径三十センチ以上ありました。
「神宿る木」とされていたので、切り取って近所の人が預かったが、細工物にすることもならず近所の人達で丁寧に御祓いをして燃やすと、大変な勢いで燃え真っ黒い煙が天高く舞い上がったそうです。
長塚山石仏とそこに込められていた先人達の心情はいつしか今住む人々の視野からも胸の内からも遠く消えていったのでした。現在の長塚山石仏とその一帯は、この語り伝えられてきた石仏にまつわる古里の先人たちの美しい心情を今明らかにし、末永く受け継ぐよすがとして平成十六年初夏、現在の姿に復元したものです。

平成十八年五月吉日
鹿川文化掘り起こし同好会
と、・・・ m(__)m です。

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崖の裏手に廻ると、長塚山頂部へと登る細い参道があり、新規に植えられた桜の下に「長塚山石仏之碑」が建ちます。

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長塚山の頂部、白いゴイシを敷いた中に、お地蔵様が2体、西方を向いて建てられています。

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長塚山は高さにして20mばかりの小山ですが、思った以上に鹿川の町を見通すことができます。

北東の方向、中央の山が真道山(286.6m)、その下に勝善寺の大屋根、さらに手前が鹿川小学校校舎となります。

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東の方向、文久新開から中浜、さらにその小山の向こうには鹿川水源地があります。

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南東の方向、永田川河口部の向こうは後浜、さらに鹿川湾、大原湾、そのはるか先に陀峯山(438m)が大きな山容を見せます。

鹿川 薬師堂

4)能美町・沖美町南部 薬師堂 
鹿川の郷地区、国道487号線のすぐ傍に鹿川薬師堂が建ちます。

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薬師堂の鎮座する小丘は、鹿川湾の干拓事業が本格化する江戸時代の中頃までは、砂州で陸と繋がった小島で、砂浜に引き上げた小舟を境内から垂れる松の枝に繋いだと云います。

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薬師堂の正面です。

境内には由緒書きが立てられており

薬師堂
江戸時代中頃の話、ご本体は山根氏の漬物石であったという。
その石は、漬物用に重ねておかれていても毎朝下におちていて、不思議に思っていたが、ある夜夢枕に立ち「私は薬師如来であるから、祀ってほしい」とお告げがあったので、早速郷地区の人達に話して皆んなで今の場所にお堂を建て、これをお祀りしたと伝えられている。
以来、毎年旧1月8日に子ども達が中心になってお祭りが行なわれている。
古く明和年間(1764)頃までは、この辺りまで海であって、境内の松には舟がつながれており、大原村の祭礼には薬師堂から舟で行ったとも伝えられている。
(鹿川国郡志御用付下志らべ書出し帖による)
昭和58年1月改築

と、あります。

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昭和58年に改築されたお堂の正面、アルミの引き戸をそっと開けて、合掌。

中央に置かれた観音開きの厨子に御本体様が衣をまとわれて安置されています。
由緒書きに漬物石であったと云われるとおり、衣の中は角ばった普通の石?、いや恐れ多くも薬師如来様にあらせられまする。

ふか~~~く、一礼。

厨子の左右には、中国新聞の大正12年3月5日の記事「佐伯郡能美島紹介号」が立て掛けられており、新聞紙面には能美島の風土や郷土名士の紹介記事が載せられています。

さらに、「本四国藤井山岩本寺御霊砂」と書かれ、上面に砂を乗せた六角柱が台上に置かれています。

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木立の枝葉に囲まれ視界はききませんが、長年にわたる埋め立てで今は遥か遠くに退いた海岸からザワザワと波の音が聞こえてくるような???

いや、木の葉が風に揺れる、そのざわめきかも??? ・・・(*^。^*)です。

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お堂の横には、お地蔵様も置かれます。

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お堂の最上位に乗る宝珠、この位置からなら遠くの海岸線もその先の広い海も、人々の病苦も心の奥に巣くう闇だって、み~んな、光背に透かして見ることができかも?・・・

ちなみに、薬師如来とは・・・
薬師如来が日本に伝播された時期ははっきりしませんが、鑑真が唐招提寺を創建したのが天平宝字3年(759年)、鑑真の死去後弟子の手により唐招提寺金堂が建ち(西暦781年頃と云わる)、堂内に盧舎那仏、薬師如来、千手観音、梵天、帝釈天、四天王の像が建てられたと云われます。

薬師如来の正式名は薬師瑠璃光如来で大医王仏とも呼ばれ、人々の病気を平癒し身心の健康を守るなど、現世利益性が強く、かつ難しい宗教教義を求めなかったこともあって古くから多くの信奉者を集めました。

以上、ネット上資料のつぎはぎ・・・m(__)mです。

鹿川 勝善寺

4)能美町・沖美町南部 勝善寺 
鹿川の中郷地区、旧道から少し山手に登った高台に浄土真宗本願寺派「勝善寺」が建ちます。

寺誌によれば、もとは法林山慈恩寺と称す禅寺として廿日市市玖島(村)にあり、のち真宗に改宗(1506年)、勝善寺の寺号を得ました。
明治12年3月、当時説教場(中村徳正寺)のみで寺院の無かった鹿川(村)へ移転、藁ぶき民家を買い取って布教活動をはじめました。

昭和9年4月、火災により焼失するも、玖島より持参したケヤキ造りの薬師如来像のみは無事に持ち出すことができました。

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昭和初期に建てられたものとは思えぬ風格を持ち、威厳と落ち着きのある山門です。

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山門をくぐりますと、本堂の大屋根が大きく庇を広げ眼前を圧倒します。

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合掌。
ふか~~~く、一礼。

余計な付属物や備品などを一切置かず、手入れの行き届いた境内や本堂には、禅寺のような雰囲気を感じます。

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奥を透かして見ても、当然、塵一つ見つけることはできません・・・(*^。^*)です。

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頭貫の木鼻には獏が深く彫り込まれています。

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白壁のまぶしいお経堂の入り口は、重厚なな唐破風で守られています。

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昭和初期に植えられたであろう老桜のむこう、きっちりと組まれた花崗岩の台座には、鳳凰が羽を広げたようにも見える一廻り大きく造られた瓦屋根を被せ、気品漂う鐘楼が建ちます。

その鐘楼のそばには、戦没者慰霊碑と刻まれた巨大な石碑が鹿川の町を背後にして建ちます。

戦没者慰霊碑
明治二十七年日清戦争以来数度他国ト戦火ヲ交エ此間同郷ノ士許多国難ニ殉セラレ平和日本建設ノ礎石トナリタル。
各位ノ芳名ヲ後世ニ傳エ之ヲ記念センガ為慈ニ慰霊碑ノ建立ヲ見ルニ至リ多年ノ願望成就ス。
英霊ノ永久ニ安カナランコトヲ念願ス。
昭和三十年十月二十三日

鹿川町建立
曽根田弥太郎書

と、一礼・・・m(__)mです。

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山門の破風に付けられた重厚な蕪懸魚(かぶらげぎょ)です。

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高台から見た本堂の側面です。
大入母屋破風(おおいりもやはふ)と呼ばれる様式で作られており、これは寺社建築でよく用いられます。

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密集する家々の甍のなかにあっても、大きさで他を圧倒して勝善寺本堂の大屋根が輝きます。

鹿川湾へと延びる山尾根の斜面を削り、高い石垣を築いた境内は、地域住人の協力があって造られました。
本堂を支える大石垣の下に一つの石碑が建ちます。

本堂再建記念
田と畑を道に遺して 永久に 一つは世の路 一つは子乃道

参道寄附者
故津田友次郎 相続者喜次郎
昭和十三年八月吉辰建之

と、・・・m(__)mです。

鹿川 胡子神社

4)能美町・沖美町南部 胡子神社 
鹿川漁業協同組合の北隣、東浜漁港を前にして鹿川胡子神社が建ちます。

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創建は昭和6年10月とされますが、のち昭和57年11月当地に移転再建されました。

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新しさの残る胡子神社の境内には「波止場 建設記念碑」が建てられています。

廣島??副議長 加藤俊夫書
昭和五年十一月二十日竣工
世話人 ???
と、十数名の芳名が刻まれていますが判読できませんでした。

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鹿川漁業協同組合の側から見た胡子神社です。

境内には、丁寧に仕立てられたマキやモッコクなどの庭園樹が多数植栽されており、日ごろの手入れも行き届いています。
また、境内前面には松枯れ被害の拡大とともに、最近ではあまり見ることのなくなった大松が元気に枝を広げています。

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胡子神社と深く彫られた石柱には、昭和五十七年十一月吉日 臥石書 と、あります。

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正対し、二拝二拍手一拝・・・m(__)mです。

境内に建つ「魚之碑」は、瀬戸のさざ波が模様となって浮き出た不思議な黒御影石です。

「奉碑文」として
鹿川漁業協同組合 組合長 吉岡定雄

この世に生を授かるもの・・・(以下、波模様に掻き消され?判読できません・・・m(__)mです。)・・・大きな恩恵に対し感謝し心からの冥福を祈る

昭和?十七年十一月
鹿川漁業協同組合 組合員一同建

が刻まれています。

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神殿の奥に寄付者芳名と由緒の刻まれた銅板が建てられています。

弐拾円 内藤芳松・鈴木千太郎・名島峯太郎・寺本和一郎
拾八円 鈴木久次
拾七円 前坂勘一
拾五円 吉岡千代太郎・勝間喜太郎
拾参円 木葉初一
拾円 山本政太郎・三笠保太郎・白地市太郎・白地谷松・内藤若一・石川菊太郎・名島仲太郎
(広島)木村常太郎・角見正義
八円 南波宇一
七円 井上円次郎・上牧和一郎
(深江)吉田鉄三
六円 木多清太郎
五円 内藤正七・静間茂一・内藤広一・内藤関太郎・山本友一・南部倉一・山根賢一・静間伊佐一・幸野吉太郎・白地勝太郎・上林銀松・三笠猪太郎・静間小一・木葉佐太郎・脇坂勘一・勝間繁太郎・高田喜一・山本元一・山本力太郎・南波平次郎・福島重次郎・南波重太郎・静間富一・新家宏一・渕辺正吉・上林順一・白地鷹次・粟田松一・小国正一・二宮実・内藤小市
(江田島)上田伊勢市・上田清五郎・山岡実之助・三浦勝次・鈴木富士一・上岡商会・沖田宇吉・上田宇一
(柿浦)岡本忽一・山本兵太郎・山本五郎
(小用)伊藤金一

世話人 勝間喜太郎・名島仲太郎・内藤芳松・内藤若一・名島清太郎・鈴木千太郎・前坂勘十・白地市太郎・吉岡千代太郎・鈴木久次

昭和六年拾月吉日

この胡子神社は昭和6年10月に上記地元有志の寄附を以って建設され50年が経過した
こんにち著しく老巧損傷したのでここにあたらしく移転改築し漁民の守護神として永久に祀る

参百万円 三菱商事株式会社
壱百万円 五洋建設株式会社
五拾万円 三菱運輸商事株式会社 代表取締役 吉岡壽一
参拾万円 大柿町株式会社久栄建設 代表取締役 山野久志
〃 新家建設株式会社 代表取締役 新家博
〃 大柿町平井ブロック株式会社 代表取締役 平井勝
〃 江田島町古澤鋼材株式会社 代表取締役 古澤秀忠
〃 大柿町山勝建設株式会社 代表取締役 山野勝
拾五万円 呉市 丸正産業株式会社
拾万円 呉市 神垣建設株式会社
〃 広島市 天満冷凍機株式会社
五万円 沖美町 沖漁業協同組合
〃 安芸津町 海光ネット船具株式会社
〃 江田島町 三浦誠
壱百万円 白地水産(株)社長 白地純三
五拾万円 井上漁業 代表 井上要
〃 (有)白地海産 社長 白地信行
〃 吉岡定雄
参拾壱万円 山本早人
参拾万円 粟田誠・木葉秋夫・前武
弐拾万円 井上秀昭 内藤俊彦 藤田秋夫
拾五万円 木葉巧造
拾万円 粟田誠二・粟田松夫・池本豊・勝間譲・木多斉・幸野丈一・白地輝夫・白地弘・白地良行・名島岩雄・内藤小市・内藤輝昭・内藤義博・南波才一郎・渕辺順三・前盛夫・三笠政行・山根勝博・山根安男・山本辰生
五万円 芦原利秋・井上博文・井上正義・井上実・上牧輝夫・上田茂・岡本賢治・木多幸則・木葉政秋・木葉芳憲・寺野鷹夫・白地勝美・白地定人・白地忠信・白地司・白地広一・新家重義・新家早人・静間忠雄・静間鶴馬・静間正治・静間良輝・鈴木玉吉・名島秋人・名島郁雄・名島司・名島常一・名島交・名島年夫・名島正人・名島恵・名島吾一・内藤高博・内藤康時・内藤丈一・南波明・林光明・渕辺強・渕辺政成・藤田松芳・三浦正志・三笠一彦・三笠久志・三笠広文・三笠力夫・三笠六一・盛生文彦・山崎鈴人・山崎博・山根誠・吉岡勉・吉岡富士男・吉岡美則
参万五千円 木多耕三
参万円 粟田粂一・粟田構治・磯辺季律・井上重夫・久保澤子・佐野登・沢野政行・塩津松市・白地武司・白地谷松・白地鉄夫・白地利明・静間定・静間富夫・高田高義・内藤関太郎・中本勝明・浜本勉・渕辺五男・本家京三・前敏夫・柳生薫・脇坂伸三
弐万五千円 木多杉人・木葉勉・木葉正義・白地慶三・白地直一・白地八雄・白地輸一・南波七郎・前坂悦夫・山田民夫・柳生秀敏
弐万円 粟田勝馬・粟田国光・井上在実・上林一明・木多学・木葉徹・小国正一・沢野新三・白地千鶴雄・静間村一・高田悦夫・高田嘉一・名島勇・名島砂夫・名島一成・内藤相之助・中下兼秋・南波薫・三笠保・山根数男
壱万五千円 平本信男・山本清志
壱万円 粟田広矛・井上曽根一・上牧登志一・江浜キミコ・加藤和子・加藤銀蔵・金田スズエ・木多正三・木葉明・木葉克巳・新家正義・静間勲・高田一秋・名島幸正・中下兼一・南波伊勢一・南波秀雄・林秀夫・三浦淳・柳生登・脇坂美敏
五千円 小林昭治・森本一二三
参千円 白地重信

胡子神社再建委員
委員長 吉岡定雄
委員 三笠政行・白地直一・木多斉・三笠久志・内藤康時・白地勝美

世話人
鹿川漁業組合理事 井上要・南波才一郎・内藤義博・前盛夫・白地信行・粟田誠・勝間譲・白地純三・山本辰生
幹事 井上秀明・木葉巧造・内藤俊彦

昭和五拾七年拾壱月吉日

誤字脱字ありましたら・・・m(__)mです。

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