高田 浜地蔵

2)江田島町南部 浜地蔵 
能美町誌に浜地蔵の記事があります。

ところが、高田の町を何度訪れてもそれらしいお地蔵さまにお会いすることができませんでした。

で、運よく出会ったご婦人にお尋ねしますと、「えっ。浜地蔵???。お地蔵さんならその先のお家にあるんだけど???。昔は子供らを集めてにぎやかなな地蔵祭りがあって・・・。」

そう、そうです。そのお地蔵様です。

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で、・・・。

てっきり家と家との間の細い路地に入るのだと思ったのですが、な、なっ・・・なんと、路地じゃなくって民家のお庭じゃないですか。

しかも、お庭の最奥に安置されています。

「こんにちわぁ~~~」

ご不在のようですが、失礼して・・・、きれいに手入れされたお庭に入らせていただきました・・・m(__)mです。

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お庭の最奥まで入り込み、ふか~~~く、一礼してシャッターを切らせていただきました。

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江戸時代の中頃、石炭問屋であった浜屋にいつも石炭を満載して出入りする船があった。
その船の船主がなくなって、後、浜氏が眠っていると、船主の家族が枕神となって現れ、「どうか船主を祀ってくれるように」とお告げがあったので、享保8年(1723)8月24日、お地蔵様を建立したと伝えられている。
その時以来8月24日を浜地蔵祭とし、盛大に祭る習慣が続いている。

以上、能美町誌に記載の浜地蔵さまの由緒・・・m(__)mです。

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苔のむした大きな庭石の隙間に植えられたサザンカの枝から、花びらがヒラリ足元に舞い降りてきました。

今一度一礼・・・m(__)mです。
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高田 光泉寺地蔵堂

高田グーグル地図D・光泉寺 
「光泉寺地蔵堂」は「光源寺」と同じ空地区にありますが、光源寺からはさらに農道を10分ばかり登った先の小さな丘の上に建ちます。

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大きく育ったソメイヨシノの枝下、木漏れ日を受けて建つ光泉寺地蔵堂です。

江戸時代に書かれた「能美島志」宝暦13年(1763)に、光泉寺は高田邑にあり、今延命地蔵像あり、これを堂に安んず、傍に樹あり、其葉茶の如し、然れども其の名を識る者なし、土人これを無名木(ななしぎ)という。と伝わります。

今もこの小丘には多種の木々が鬱蒼としますが、無名木がどの樹を指すかは不明です。

光源寺由緒に云われる、畑地区の山中にあった禅門道場がこの地に移りて光泉寺となり、その法師受玄が浄土真宗光源寺二代目となった寛文元年(1661)以後、光泉寺(禅寺?)は解かれ、跡に堂を建てて延命地蔵が置かれたことになります。

ちなみに、わが国における喫茶の始まりは「日本後記(815年)」にある、嵯峨天皇に大僧都永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った。であると云われます。

その後臨済宗(禅宗の一派)の開祖である栄西(1141-1215年)は宋に学び、茶の専門書である「喫茶養生記」を著して、お茶の効能を説きました。

光泉寺のもとは禅門道場にあると云われますので、あるいは特別な茶?を飲用、あるいは平家一門だったころに海外から移入した茶葉に似た珍な植物を育てていた?のでは???・・・(*^。^*)です。

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光泉寺地蔵堂は昭和60年3月に再建されたばかりですが、地蔵堂としては随分と立派な、しっかりした造りとなっています。

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お堂の廻りを囲う木々が大きく育ち、境内からの展望はまったくありませんが、四方からツクツクボ~ウシ ツクツクボ~ウシ、と大合唱・・・(*^。^*)です。

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格子戸の奥、赤い座布団を敷いて座位の仏像(延命地蔵尊?)が置かれています。

ちなみに江田島市内で唯一の禅寺である曹洞宗「嶺雲山 宝持寺」の御本尊は延命地蔵尊です。

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地蔵堂のある小丘の直下で枝垂桜が満開です。

小丘だけですと寺を結ぶには手狭ですので、あるいはこちらに光泉寺本堂が建っていたやも?・・・(*^_^*)です。

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境内にはいつ誰が植えたのか、古木となった柿の木が春に緑に萌え、秋に赤く落葉するを繰り返します。

高田 光源寺

高田グーグル地図D・光源寺 
高田の空地区、間所川の急流が緩み始める位置に、浄土真宗本願寺派「海谷山 光源寺」が建ちます。

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開基が天正十三年(1585)であると云われる光源寺は、高田の街並みや江田島湾、遠く呉の山々を見通せる高台にあり、年代を感じさせる野面に積んだ石垣で囲われています。

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改築されたばかりの山門です。

光源寺HPによれば、旧山門は弘化元年(1844)に建立されたもので、平成22年に大修復をしたと記されてあります。
部分的に使える旧部材はそのままうまく生かして組み直された様子が見えます。

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海谷山光源寺本堂です。
先ずは姿勢を正し、両手を合わせて ふか~~~く一礼 ・・・・m(__)mです。

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正面の大きな寺額からは「海谷山」の文字が黄金の輝を放ちます。

海谷山光源寺の沿革として、「光源寺」HPより引用し要約しますと

そもそもの起こりは文治元年(1185)壇の浦の戦いで敗れた平家の一族である伊地宗顕が、一門の菩提のために高田畑地区山中の寺屋敷とよばれている地に草庵を結び、禅門道場としたことに始まります。
その後、高田空地区(現 地蔵堂光泉寺)に移り、一宇を建立して光泉寺と号したと云います。

時代は下り浄土真宗を手厚く庇護した毛利氏に続き、福島氏、浅野氏と続いた安芸藩主も浄土真宗を深く信仰、これにより安芸国各地隅々まで浄土真宗が浸透し、人々は競って安芸門徒へと回心しました。

この大きな教化の波の中、光泉寺(禅寺?)の法師であった受玄は寛文元年(1661)浄土真宗に帰依しました。
受玄は当時すでに僧善了により天正13年乙酉(1585)に開かれていた光源寺に入寺し、開祖である善了を継いで第二代の光源寺住職となりました。

受玄の帰依により光源寺は広島仏護寺(浄土真宗本願寺派)の末寺となり、山号を「海谷山」寺号を「光源寺」として開山するに至りました。

それ以来、光泉寺は廃寺となりましたが、今は地蔵堂光泉寺となって残っています。
また、平家一族伊地宗顕が開いた禅門道場は、宇根山林道の7合目付近にあって「寺屋敷慰霊碑」の石碑が建ちます。
と、・・・ m(__)mです。

2016-09-12 014 
鐘楼の大鐘とは別に、本堂の右隅に一つの小鐘が提げ置かれてあります。

これは喚鐘と呼ばれるもので、 勤行や法会など集まりの開始を報じるために木槌でもって連打します。
火災や水害などの非常事態を知らせることもありますが、現代では島内各所に立てられた防災無線からのスピーカーによる放送がその役を担っています。

この梵鐘は直径約40cm、高さ70cmで、元禄十一年(1698)に市良右衛門の寄進であると刻まれています。

2016-09-12 022 
本堂の右側、広い階段をもうけた書院風の建物が何の違和感もなく寄り添います。
てっきり本堂創建時の設計により建てられた、門徒の控室あるいは有力者を招いての宴席場?なのかなぁ~って思っていたのですが・・・

実はぁ~~~「小・学・校」だった。の・・・(◎_◎;)でしたぁ~~~。

明治7年8月、高田小学校の前身となる「日新舎」が本堂を教室として開校されました。
明治9年2月に本堂南側に学校場が付設されて現在の姿になったといいます。
ちなみに初代校長は12代住職である晃耀法師で、教場には「午前8時昇校、午前3時降校之事」と書かれた木板が今に残るそうです。

ちなみに、この光源寺小学校(日新舎)は明治19年12月に中村簡易小学校と合併するまで、長く高田村児童の修養就学の場としての重責を担いました。

2016-08-27 075 
本堂の脇に植えられた百日紅が、海浜から山門を抜けて吹きあがる微風にゆらぎ、夏の暑さを和らげます。
な~んて、訳はなくやっぱ夏は暑いのですが・・・(◎_◎;)です。

いつ訪れても境内は清掃がされた直後のようで、サルスベリの花びら一つ落ちてはいません。

毎日の手入れで掃き清められた境内の中央に建つ光源寺本堂は、文化14年(1817)3月に再建されたもので総欅作りであると云います。

2016-09-12 020 
そそぎ降る日差しを遮り、大きく四方に張り出した庇が魅力の鐘楼です。

明治12年(1879)に建立されましたが、初代の梵鐘は戦時の金属類回収令により供出されました。
二代目となる梵鐘は、昭和25年(1950)蓮如上人450回大遠忌のおり奉献されたもので、四方の柱は山門と同じく平成22年の大修復で取り換えられました。

2014-04-30 002 037 
白壁もまぶしい経蔵です。
経蔵は大正14年(1925)に建立され、仏典『大蔵経』全巻のほか、古書類多数が納められています。

2014-04-30 002 048 
本堂大屋根と直立する杉の対比、光源寺の前身ともいえる禅寺をおもわせる凛としたシルエット・・・(*^。^*)です。

2015-04-23 145 
高台から見た光源寺全景と廻りを囲む高田空地区の家々です。

光源寺に伝わる希少な伝統として、正月のご正忌法要と秋の報恩講には「立華」飾ります。
松を主体とした盆栽風の生け花ですが、高さは2m近くあって迫力満点のお供え花です。

また、光源寺の清らかな境内を利用し、毎年数回の「えたじま手づくり市」が開かれており、島の数少ない賑わいの場となっているとか・・・(*^。^*)です。

以上、主には、光源寺HPからの引用ですが、誤記蛇足などありましたら・・・m(__)mです。
詳しくは「浄土真宗本願寺派 光源寺」をご覧ください。
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