高田 手押しポンプ

水道基幹管路(H18) 
画像は「江田島市の水道」江田島市企業局水道事業(平成18年ごろ?)からのコピペ・・・m(__)mです。
  
昭和40年6月26日、太田川から天応を経由しさらに海底送水管(1,840m)を通過した用水が江田島町小用の前早世浄水場へと注ぎ込まれ盛大な通水式が執り行われました。

前早世で浄水された水は、時を置かず江田島町から、大柿町、能美町、沖美町へと送られ、それにより島内の水事情は一変、電気、ガス、水道がそろった本土並みの文化生活へと移行しました。

もちろんそれまでも、各地区、あるいは各水系ごとに簡易浄水道設備はあったのですが、各家庭にお風呂を置き、水をだしっぱなしで洗濯機を回すだけの水量は望むすべもありませんでした。

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高田地区を散策中偶然にも、現役で使用中の手押しポンプを見ました。

今までにも手押しポンプを見ることはありましたが、使用できる状態の手押しポンプはほぼ皆無、しかも、オールドファッションのこの優美な姿に一目ぼれ・・・(*^。^*)です。

検索しますと、東邦工業社製のTB式自在口共柄ポンプ「ガチャポン35」と呼ばれるもののようです。

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手押しポンプは本来なら能美町鹿川地区の項で説明すべきでしたが、うっかり・・・(^_^;)でした。

上に見るポンプは、ひし形内に大臣と書かれたマークをもつ、ケーボー号「津田式」ポンプで、明治21年(1881)7月11日に鹿川村で誕生した津田喜次郎氏(旧姓 前)により、改良された手押しポンプです。

大正9年(1920)10月の広島発明品展覧会に出品された津田氏の改良手押しポンプは、時の藤沢商工大臣に大称賛され、「津田式ポンプ大臣号」と名付けて生産販売を開始しました。
高い性能が認められ全国的にも広く普及しましたが、生活用水の多くを井戸水に頼る当地においては特に女性や子供らの水汲み労働の軽減に多大なる寄与がありました。

ちなみに「津田式ポンプ製作所」は昭和45年(1970年)に倒産、その後特許・販売権を興陽産業製作所に譲渡、商表名を「KOYO」として継続製造されましたが、平成22年(2010年)2月に工場を閉鎖、これによって「津田式ケーボー号」の生産は終了しました。

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上記ケーボ号とよく似たポンプですが、CONDITION JAPAN ???そしてダルマさんのマークがあって、ひし形内にHB のマーク?が、・・・です。

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まったくタイプの違う手押しポンプですが、鋳物作りの柄の部分に津田式ポンプとあり、本体にはひし形内に大臣のマークと大きく津田式と文字が浮き出ています。

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鹿川将軍神社に併設する郷土資料館に展示の、シリンダーが連結式となった手押し消防ポンプです。
文字は読みにくいのですが二連式ケーボー号??? 津田式と書かれているようです。

(ちなみに名にある「ケーボー号」の意味や由来は不明・・・m(__)mです。)

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昭和45年に倒産となった「津田式ポンプ製作所」から特許・販売権を引き継いだ「興陽産業製作所」が製造した「KOYO」コーヨーポンプです。
下部にMADE IN JAPAN の刻印が打たれています。

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釣瓶桶から手押しポンプへ、さらには電動井戸ポンプへと・・・。

津田式ポンプが大活躍したのはほんの一瞬間でしたが、そんな 時代も あったねと ♪ ♪ ♪ ・・・(*^。^*)です。

夢の海底トンネル 
蛇足となりますが・・・

画像と下記文章は、平成27年3月発行の情報誌「海陽彩都」よりのコピペ・・・m(__)mです。

太田川の水を江田島へ、「 夢 の 海 底 ト ン ネ ル 」

島で急傾斜地の多い江能地区(当時の江田島町、能美町、沖美町、大柿町)では、永年、水不足に苦しんできた。
元々水源が乏しいうえに、わずかな湧き水も明治21年の旧海軍兵学校の設立以来、軍用水道として使われてきた。
家庭では個人の井戸や共同井戸、井戸のない家はもらい水をしたり、風呂をわかしたら近所に伝えて風呂に入るのをすすめたそうじゃ。
夏場や渇水期には飲料水も足りないこともたびたびで、雨水に頼ることもあった。
伝染病の恐れや水汲み労働の開放など、上水道の創設は島民の命にかかわる切実な願いじゃった。

昭和36年、広島県で呉市の工業地帯まで送る工業用水道が計画された。
これに江能4町で便乗して水道敷設に取り組むことになった。
つまり「太田川から海底トンネルで水を運ぶ」という壮大な計画。
島民の誰もが目を丸くしたじゃろう。
取水口は広島市東区の牛田の水門。
山沿いに水道を敷設して、呉市天応町と旧江田島町高須間の海底水道管を敷設した。
深いところでは水深38m、距離は1840m。
水道管は海中で接続して海底に沈めた。
海底にはヘドロが堆積しているので、鉄筋を打ち込みそれにくくりつけて動かないようにした。
この大工事が約3年で完了したことには本当に驚く。
前早世に通水記念碑が立っとる。

そして昭和40年6月から家庭に給水された。
本管から家庭につなぐ支線の施設費として各家庭で自己負担金約8,000円が必要だった。
月々の貯金を呼び掛けたが、「貯金をしてまで・・・」「井戸があるから」など進展しない。
困り果てた当時の土木課長がひらめいたのが、主婦の力を借りようという案じゃった。
台所をあずかり水の不自由に泣いている主婦なら、水道の必要性を十分に理解してくれるだろう、と。
婦人会に相談したところ、江能上水道事業に賛成し、貯金の世話を引き受けてくれた。
婦人会が各家庭を回って集金したそうじゃ。

誤字脱字などありましたら・・・ m(__)m です。
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高田 井戸・ため池

高田グーグル地図D 
高田地区の背後には宇根山山系から北へと伸びる堆積岩の尾根がそびえます。
また標高200m付近からは傾斜が緩くなる地形ですので、他地区の土壌に比べれば保水力もあって、地下水にも恵まれた環境にありました。

とはいっても、戦中から戦後の農地造成に伴う農業用水の確保や急激な人口増加による生活用水を宇根山山系からの自然水だけで賄うのは大変な苦労であり、高田地区を流れる川の整備状況を見ればいかに水資源が大切であったかを一目で知ることができます。

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高田地区で唯一?、今も現役で使用されている井戸です。

電動ポンプが据え付けられており、蛇口をひねればいつでも水が出るようになっています。

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民家の庭先に、井戸の周りを煉瓦で囲んだモダンな井戸があります。

雨よけの屋根に鋳物製の滑車が取り付けてありますが、ここしばらく使われた形跡はありません。

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お庭の中ほどに円形の井戸があり、傍にはコンクリート作りの流し台が残ります。

もとは、水屋となる建物で囲われており、近所の方々にも開放された共同井戸だったのでは?と想像します。

隣家の敷地から伸び出た枝先には、黄色く色付いた夏ミカンが・・・(*^。^*)です。

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高台にある宗崎集落のさらに上に作られた農業配水用のため池です。

眼下は津久茂瀬戸、対岸は津久茂山(御鉢山263m)です。

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中地区の田んぼに配水するために造られた灌漑用のため池です。

深い池の廻りを自然石で垂直に積みあげて造られており、先人の巧みな技が感じられます。

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同じく中地区にある小さな池(井戸?)です。

まもなく春も本番となり、池の回りに植えられた黄スイセンやムスカリの花々が咲き乱れ、水面にはソメイヨシノの花吹雪が舞うことになるでしょう。

高田 小方川

高田 川・池 
小方川の源流部は尾根をまたいで原地区の上部にまで伸びます。

ちなみに島内を流れる川は全長が短いこともあって一つの谷を真っすぐに流れ下ることがほとんどですが、高下川、二谷川、空川、小方川は中流域から流れを北向きに変えています。

もしや~~~?ですが、津久茂の瀬戸から高田、中町、鹿川、深江島戸瀬戸にかけ南北に延びる隠れ断層とかがあるんじゃないか?、と???・・・(^_^;)です。

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小方川の源流近くに作られたため池です。

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小方川ため池の土手からは下方に小方地区を見ることはできません。

眼下には原地区、間所地区が下流部であるかのように見え、実際一部の水流は人工的に原地区へと流れるように水路が枝分かれをしています。

想像ですが、これだと水利権をめぐっていろいろとあっただろうなぁ~、って???・・・(^_^;)です。

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原地区とは尾根をまたいだ北側、小方地区の最上部です。

尾根を横切って流れ出た小方川の清水をつかって、ごく最近まで田んぼが作られていましたが、残念ながら・・・

青い海は江田島湾の出口となる津久茂瀬戸、対岸は江田島町津久茂となります。

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小方川の中流域になります。

イノシシ対策のためにミカン畑の廻りには金網が張り巡らされています。
そうでなくとも人手のかかる傾斜地でのミカン栽培、イノシシの他にもアナグマやカラス、ヒヨドリ・・・

お米作りには八十八の手間がかかるといいますが、島の段々畑で作る蜜柑には・・・(^_^;)です。

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小方川は急流のまま一気にふもとへと流れ下ります。

干拓事業が始まる前は遠浅の芦原だったろう小方干拓地ですが、大型土木機械の無い時代、ほぼ人力のみで造られた干拓地は地表面も低く、台風や高潮による塩害は日常茶飯事、干拓後も少しずつ表土を盛り上げ肥料をすき込んで改良し作り出したギリギリの農地です。

先人の多大な努力の末に作り出された干拓農地ですが、後継者が・・・

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小方干拓地の中央を流れる小方川です。

植物による光合成から生まれたエネルギーは人に優しく美味しく蓄えることもできますが、直接モーターを回したり、車を走らせたりはできません。

ソーラーパネルからは最も利用に便利な電気エネルギーを直接に得ることができます。

本当に本当はどっちが良いんでしょうねぇ~・・・(*^_^*)です。

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小方川は国道487号線に架かるコンクリート橋をくぐり抜けて江田島湾に注ぎます。

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干潮で海水面が海砂の下となった小方川河口部です。
目の前は津久茂瀬戸、はるか遠くのとんがり部は古鷹山です。

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北風が気になりだした11月、小方干拓地の調整池には例年通りに水鳥(コガモ?)がやってきました・・・(*^。^*)です。

高田 間所川・原川

高田 川・池 
高田地区の中心部を抜ける空川は原川と間所川の流れを取り込んで、江田島湾に注ぎます。

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間所川の上流部です。
昭和の後期まで、両岸はすべて黄金色の稲穂に埋め尽くされていましたが、平成に入りセイタカアワダチソウの黄金花で埋められ、さらに進んでクズやススキの原にと・・・です。

ちなみに、源流はさらに山深くへと伸びますが、道は雑木に埋もれ近づくことはできません。

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人家近くになるとしだいに川面が見え始め、サラサラと水の流れが聞こえてきます。

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中流域に入りますと、あきらかに人の手が感じられます。
年に数度は区民総出の川掃除がなされている様子です。

高田地区の川には他所で見るような灰色をした塩ビ管をまったく見ません。

塩ビ管の発明は計り知れなく有用で画期的なことではありますが、零細な農家が共同作業によって辛うじて農業生産を維持している地域においては、個人個人が塩ビ管により簡単に「我田引水」をすることになり、共同作業でなければ不可能な水源や水路の管理、農道や路肩の整備などに無関心となり、ひいては地域共同体の崩壊に繋がります。

「我が家はべつに農道を利用しなくても家の周りが農地だし、水は我が家の裏山から塩ビ管で引きますので、利用することのない農道の整備や川掃除には参加しません。」って、ことに・・・(^_^;)です。

なにより、川岸を数十本の「我田引水」用の塩ビ管がのたうつ姿はとても醜く、それはもう川じゃないし・・・です。

ちなみに日本で塩ビ樹脂が生産販売されたのは1941年、塩ビ管が普及し始めたのは1951年頃だといわれます。

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田んぼはほとんど見なくなりましたが、手入れされた川からの清水を利用して、サトイモやダイコン、小菊などの花き栽培がおこなわれています。

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庭の木々を潤して・・・

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間所川は個人宅の庭の中央を分断して流れます。
原川とはこのすぐ先で合流します。

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原川と合流した間所川は、この地点で空川に合流します。

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原川の源流付近から見た、カキ筏の浮かぶ江田島湾です。

源流付近のわずかな清水を利用して、ごく近年まで田んぼ(標高約180m)がありました。
高田地区の語源になったかも?の高地に作られた田んぼです。

宇根山の東側山腹、中町から高田にかけ標高200m付近以下で傾斜が緩くなる河岸段丘的?な地形となっています。

この緩くなった地形と、その上部に乗る古生層(玖珂層群)から染み出す水と養分を最大限に利用して多くの畑や田んぼが作られました。
海岸部の干拓が進む以前から宇根山東側山腹には江田島市内では稀な高地集落、高下、畑、宗崎の開墾が始まっていました。

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原川源流からの水量は少なく、農業全盛のころにはほぼすべての表層水は農地に吸収され、原川には大雨で溢れた余剰水のみが流れ下っていた時期もありました。

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原川の細い水路は、家の土台下や庭の中を蛇行して通り抜け、この先で間所川と合流します。

大量の生活排水が流れ込むようになり、コンクリートで塗り固められた排水路と変わる前は、原地区の人々にとってもっとも大切な天からの恵みであり命の絆でした。

いま下水道の整備が進み、まさに再び原川の清水が天の恵みになろうとしています。
土手に植えられた花木や草花がその恩恵を真っ先に感じ始めています・・・(*^。^*)です。

高田 空川・光泉寺池

高田 川・池 
空川は支流である原川、間所川と合流して江田島湾へと注ぎます。

高田地区の干拓が始まる江戸時代以前にはこの三本の川はそれぞれに別れた流れを作っていたかも?・・・です。

光泉寺池は空川と間所川の間にあり、これらとは別の水脈を利用して造られています。

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画像は畑集落です。
空川の源流は高田地区で最も高い位置にある畑集落からさらに登った、奥深い谷間にあります。

この空川源流付近には江田島花崗岩と堆積岩である玖珂層群が接触変性して生じた鉱脈があり、鉄鉱石を主体に銅なども産出した畑鉱山がありました。

この畑鉱山から産出した黄銅鉱、磁硫鉄鉱は今も筑波の地質標本倉庫に眠ります。

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畑集落から急流のまま流れ下った空川は空地区に入り、少し流れを緩くして蛇行します。

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流れの脇には定番の柿の木と、その根元を飾るツワブキの黄金花・・・(*^。^*)です。

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多くの家々は川の流れにより沿うように、配置されています。

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どのお家も空川と並走する道路の方に向かって草花を手入れし、花木の枝を川面に張り出して道行く人々の目を和ませてくれます。

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空川はこの付近で間所川と合流します。

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間所川と合流した空川はさらに川幅を広げます。
この日、間所川沿いの光源寺で催し物があったようで、その道中はいつもにない人出が・・・(*^。^*)です。

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空川は高田商店街の中心部を抜けます。

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空川の河口部です。
前方に見える国道487号線に架かる橋を抜け、高田荒神社の脇で江田島湾に注ぎます。

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雨の日の光泉寺池です。
この光泉寺池はとても水源があるとは思えぬ尾根筋先端部の崖下にあります。

地上には水の入り込む水路は見当たりませんので、地下に地層の境界面か?あるいは断層面?があってその隙間から清水が集まる特殊な場所なのかも?・・・(*^。^*)です。

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光泉寺池の土手から見る高田の町と、その先のクレーンは中谷造船所、江田島湾の向こうに旧海軍兵学校(現海上自衛隊)と古鷹山、さらに遠く呉市の山々までが望めます。

左の鬱蒼と木々が繁る小山には光泉寺地蔵堂が乗ります。

高田 二谷川

高田 川・池 
高田二谷地区最奥の深い谷を源流とし、二谷地区、下井田地区の田畑を潤した二谷川は沖南胡子神社の脇から江田島湾へと注ぎます。

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二谷川の河口部です。
青い橋の左に沖南胡子神社の銅板葺き屋根が見えます。

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二谷川は国道487号線の下をくぐり、食料品・雑貨・たばこを商う池田商店の脇を抜けます。

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川に沿って、農道兼生活道路が並走しますが、軽自動車の離合にも苦労する狭い道幅です。

農地の確保が最優先の時代に作られたもので、車社会の到来はまったくの想定外、造られた当初は広すぎるって、苦情が出たりしたんじゃ・・・(^_^;)です。

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庭先に植えられた柿の木です。

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ザクロの木もよく植えられています。

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収穫時期を過ぎても残された柿の実は、山鳥の大御馳走になります。

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お米が作られなくなってもう何年もたった農地ですが、今でも草刈りがされており、川もきれいに手入れがされています。

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川もきれい、農道もきれい、でも田畑に出て作業をする人を見ません。

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二谷川の源流はこの先に見える山間の谷にあります。

その深い谷間の両岸にも小さな棚田が何重にも重なっていましたが、今は人の手をはなれ自然へと回帰しつつあります。

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二谷川源流近くの元は田んぼだった湿地に、小さなベニイトトンボが数羽、真夏の陽光に揺らいでいました。

ベニイトトンボ発生状況 
今年の夏の江田島市内でのベニイトトンボ発生状況です。

そもそもは江田島町切串地区にあった昔からの水田跡地に造られたビオトープでベニイトトンボの発生が確認されたことに始まります。

当初はビオトープに植栽された水草に紛れ外部から持ち込まれたものだろうといわれていましたが、その後の島内探索で各所に群生地を発見、地域の方々からも「そのトンボなら昔からおるよ」ってお話を聞きました。

希少種と呼ばれたベニイトトンボですが、近年広島県内でも各所で新(再?)発見が相次ぎます。
農薬や生活排水が流れ込むような池ではまったく見ませんので、近年の下水道普及率に比例して生息範囲を広げているのかも?・・・(*^。^*)です。

高田 高下川

高田 川・池 
高下川(こうげがわ)の源流は中町高下地区にあり、その中流部以下が高田清能地区を流れ下ります。

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今回たどり着けた高下川の最上流部です。
左右に積まれた石組には何世代もの労力をかけて開墾した田畑の痕跡がしのばれますが、今は完全にイノシシのなわばりに取り込まれてしまいました。
イノシシの防衛線は強固で、イバラや笹竹を何重にも組んで人の侵入を固く拒みます。

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辛うじて人間の縄張りである最上流にコンクリートの頑丈な橋が架かり、山城跡かと紛う石垣が積まれています。

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石垣が積み上げられた最上部には、なぁ~~~ンとお城じゃなくって、ため池(高下池)がありました。
古くに作られた池でしょうが、灌漑用としてはまったく使われていません。

ただ、ここまで私が来れたのは、どうやら消防団?の方々が地域防災のための非常用水確保を目的に進入路を整備された直後だったから?・・・のよう・・・m(__)mです。

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高下池から枯れ枝や蜘蛛の巣を払いながら4,5百m下ってやっと高下地区の人家が見える場所に立つことができます。

眼下、江田島湾の向こうに古鷹山、さらに呉市の山々までが一望・・・(*^。^*)です。

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川沿いに進む道がないので迂回路をいきますと、お、おぉ~~~、風格の漂うモミジの大木が色づき始めています。

推定ですが、樹齢300年?、江田島市ではもっとも大きく古い?モミジだろうと思います。
谷沿いに流れ下る高下川の川霧に包まれて、ここまで大きく成長したのでしょう。

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老モミジの枝下をくぐり、再び高下川の川沿いに出ます。

転落防止用の白いガードレールには毎年12月頃、目一杯に切干大根が下げられています。
今は11月、左に見える畑では、切干用の大根が晩秋の太陽光を浴びてグングンと大きく育ちます。

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左右には広い田畑が広がりますが、今利用されているのはその5分の1?、あるいはそれ以下です。
高下川は少しだけ川幅を広げ、手を振るススキに送られたださらさらと流れ下ります。

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人家の庭先に川へと降りる石段が残ります。
人と川とが本当に仲良く過ごせたのは・・・いつごろまでだったでしょう。

夏休み、どんな小さな川にも竿や網やバケツを手にした子供らであふれていたのですが・・・。

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高下川、ここらから高田清能地区にバトンタッチ・・・(*^。^*)です。

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流れも緩やかになり水量の増えた高下川の水はハウス栽培に利用されます。
ハウス内には小さな蕾を持った、たくさんの小菊がみえました。

お正月前後に出荷するのかも?・・・(*^。^*)です。

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高下川の河口部です。
振り返ればはるか江田島市最高峰の宇根山、その尾根に降った一滴一滴の雨水が・・・。
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