高田 旧街道 2/2

高田(国道・旧街道・農道) 
高田から中町を結ぶ街道は平地でもあり古くからの主要道でしたが、高田から北、沖美町三吉(三高)への道にはたくさんの小さな岬や断崖が多く、おそらくは牛馬の通行がやっとという、気象条件に左右される険しく細い海岸道だったことでしょう。
それでも、芸藩通史(1825年)には山越え道ではなく、海岸道となって記載されていますので、陸路による往来もけっこう盛んではあったと思われます。

ちなみに、能美町誌によれば、三高村から高田、中村、鹿川、大柿を経由して飛渡瀬村に達する道路(約17km)が佐伯郡郡道に指定されたのが大正9年(1920)4月、同時に中村から飛渡瀬間(約6,6km)も群道指定がされました。

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高田旧街道をさらに北上すると、さんぱつ屋「シモイダ」さんがあります。

玄関前の駐車スペースに沢山の水槽が並べてあります。
中は覗かなかったのですが、ご主人様の趣味でメダカとかが飼育されているのだと思います。

のぼり旗には「赤ちゃんの筆」・・・へぇ~、赤ちゃんの髪の毛を使って筆を作ってくれるみたい・・・(*^。^*)です。

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通りに面する窓に細い格子を取り付けたお家があります。

二階も通り側一面がすべてガラス戸で、手すりの高さまでの格子があります。
旅館業とか?小料理屋さんとか?だったのかも??? ・・・(*^。^*)です。

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市内ではもっとも大きくて洒落た造りをした農業協同組合「JA呉 高田支店」です。

もともとこの位置には高田港の船着き場の一面を占有して、高田農業協同組合があり、何隻もの番船を仕立て廿日市や宇品へ農産物を送り、帰りは肥料や農業資材、生活用品を満載した船が着く広い荷揚げ場でした。

農産物の生産量減少や、トラック便輸送が増えるにつれ番船の出番はなくなり、さらに高田港の埋め立て移転事業により、農協と船との縁は完全に立ち消えてしまいました。

今、農協購買部のショーケースに並べるパンやケーキは、ヤマザキ製パンの工場から直接トラック便で届けられます。

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食料品、雑貨のフレッシュ・スーパー「セルフ つだ」商店さんです。

元はお店の直前まで港があり、早朝から夜遅くまで忙しく出入りする船で賑わっていましたが、新しくなった高田港は、はるか遠く200mばかり離れた沖合にまで離れてしまいました。

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お米、お酒の「丸橋酒店」さんです。

荒くれ船乗りの胃袋を常にアルコールで満たしていた港の酒屋さん、しかし近年になり国土交通省より酒酔い操縦には厳しいお達しが・・・

海上交通における飲酒対策について(平成18年9月29日)

1.一般船舶に対する対策について

(1)安全マネジメント制度に基づく対策
 海上運送法及び内航海運業法に基づき、本年10月から安全マネジメント制度がスタートし、安全管理規程が運航事業者から届出られることとなっている。これに合わせ、当該規程において、呼気1リットル中のアルコール濃度0.15mg以上の状態における当直の禁止を明示するように指導を強化するとともに、その違反については安全確保命令の対象とする。

(2)船員法に基づく対策
 船員法に基づく航海当直基準においては、現在においても酒気帯び状態での当直は禁止されているところであるが、対策の推進のため、呼気1リットル中のアルコール濃度0.15mg以上の違反については上記安全管理規程の基準と合わせて船員法の戒告の対象とする。

2.小型船舶に対する対策について
 酒酔い操縦の判定基準の一環である数値基準について、船舶がふくそうする水域(港則法及び海上交通安全法上の航路)又は遊泳者等の付近を航行する場合は、呼気1リットル中0.5mg以上から0.15mg以上に引き下げる。

3.対策の周知徹底について
 上記措置については、国土交通省海事局から関係業界へ周知徹底するとともに、現場レベルにおいても、地方運輸局が港湾管理者及び管区海上保安本部と連携して関係者へ周知徹底を図る。

と、・・・(^_^;)です。

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お食事処、大衆食堂の「岡食堂」さんです。
港に出入りする船乗りさんの、あったかい憩いの場です。

高田1986 
高田港埋め立て事業の始まる前、昭和61年6月の高田港付近(国土地理院)です。

岡食堂さんも、丸橋酒店さんも、つだ商店さんも、船頭さんの大声、けたたましいエンジン音、漂う磯の香りと、重油の焼ける匂いの中にありました。

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行き交う機帆船で大波小波がたっていた高田港の奥部は大きく埋め立てられ、そこには潮風や日照りに負けることなくしっかりと土中に根をはった、ハナスベリヒユ(ポーチュラカ)が一面を覆って咲きそろい日差しに赤く輝いています。

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街道は高田港を通過し小方、湯田をへて、さらには沖美町三吉へと続きます。

品のある小窓が並び、ショーウィンドウが残りますが、さて何を商ってたお店でしょう?
かって、高田の主要産業でもあったレンガを使った塀が緑の草木に映えます。

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最近のただ真っすぐに伸び、交差点に当たっては止まる単調な道路とは違い、旧街道は微妙な曲線をもってうねりながら長い調べを奏でて流れます。
るぅ~るるる~、るぅ~るるる~♪ らぁ~ららら、らぁ~らぁら~~ら♪・・・(*^。^*)です。
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高田 旧街道 1/2

高田(国道・旧街道・農道) 
高田から中町、鹿川へとつなぐ街道は古くから主要な動脈路となっており、高田港で荷揚げされた最新の商品を街道沿いの商家に並べ、在所近隣から多くの購買客を集める他、陸路中町から鹿川近辺へ、あるいは対岸の津久茂へと商品販売路を広げていました。

昭和48年には、能美、江田島と本土(倉橋島)とを結ぶ早瀬大橋の完成もあり、本島にも急激な勢いで車社会が到来、平成に入り高田市街の沖側には幅広のバイパス道も完成、のち国道487号線へと昇格しましたが、その便利な陸路が在所購買客の大流出につながる結果となり、さらに本土からの商品は船や港を利用しなくても直接陸路を通って入り込むこととなりました。

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国道バイパスの南端、高田旧街道への別れ際に建つ食料品、雑貨、たばこの「池田商店」さんです。

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旧街道に面して今ものこる、元高田駐在所の建物です。
いまの高田駐在所は、島内随一のモダンな造りの駐在所として高田港に面する国道沿いに移転しました。

近くには高田郵便局もありましたが、これも近年になり国道側に新築移転しました。

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旧街道をさらに行くと、Panasonic「山野井デンキ」があります。
右隣の敷地には、・・・えっ、大きな白い船のマストが据え付けられています。

軍艦並み(対空用?、対水上用?)に上下2段に分かれてレーダーアンテナが装備されています。
さらにマスト頂部には方向探知用ループアンテナがあり、信号灯もまだ使えそうです。

きっと、江田島上空に飛来するUFOを監視し信号灯を点滅させて連絡を取り合っているのかも???・・・(*^。^*)です。

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元高田小学校(2014年3月廃校)の正門前にあるお店です。
おそらくは文房具屋さん?・・・だった?のかも?。

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元高田小学校とは路地を挟んで並び建つ、小さな小さなお肉屋さん「肉ノ山下」さんです。

もう、お肉の販売は止めたようですが、赤いネット袋に入った蜜柑が300円で出されています。
中央の柱には「110番の店・家」江田島警察署のステッカーも貼ってあります。


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街道をさらに北へと進むと、中国新聞・朝日新聞・毎日新聞・NIKKI日本経済新聞の看板が掲げられたお店があります。

小さなショーウィンドーにメリークリスマスと書かれたタペリストが下げてありますが、色あせており、数年前のクリスマスに出されたもののようです。

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元はクリーニング店、タバコ屋さんも兼ねての商売をされていた様子です。

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間口の広いお店が二軒続きますが、どんな商いをされてたんでしょう?、呉服屋さん???・・・かなぁ~。

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ガラス戸に張られたポスターを見ると、薬屋さんのようです。

化粧品とかも商ってたんでしょうか?
私はまだ必要とはしませんが、資生堂の発毛促進剤アテノゲンって文字も見えます・・・(^_^;)です。

高田1990 
画像は平成2年12月の高田地区航空写真(国土地理院)です。

高田街道のバイパス道路(国道487号線)の工事が完成間近な様子です。

高田 沖南港・南港

高田 S22-H25 
画像左のモノクロは昭和22年の高田間所~沖南~南地区、右は平成25年のものです。(国土地理院より)

戦後もしばらくは高田港以外に防波堤を築いた港は無く、台風など自然の猛威を避けるには砂浜に引き上げるくらいしか方法がありませんでした。

その砂浜も干拓事業で奥行きが狭くなり、船もエンジン付きで重く大型化したため簡単に引き上げることはできません。

戦後まもない昭和20年9月17日の枕崎台風による甚大な被害はもとより、昭和26年10月14日のルース台風では、高田地区だけでも機帆船19隻が沈没し遭難者21名を出す大惨事となりました。

平素は穏やかな江田島湾内であても、防波堤なくしては船を安全に維持することはできません。

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画像は「沖南港」に停泊中のタグボート「第十大徳丸」「第二十大徳丸」です。

北側の防波堤は花崗岩の切り石を丁寧に組んで作られておりますので、まだ石材事業が全盛のころ(昭和36年以前?)に作られたようです。

南側防波堤主材はコンクリートで昭和40年頃?に作られたようです。

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沖南港はタグボート専用港というわけではないと思いまが、停泊船の多くが小型タグボートで占められています。

港中央部の桟橋には大型の「第八金福丸」(赤色のマスト)を中心に左が「第七金福丸」、後ろに第五、第三、第二、・・・全八隻?の金福タグボート船団が繋がれています。

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第八、第七金福丸の後方に繋がれた、一回り小型の金福タグボート船団です。
黒い網籠状の形象物を揚げたマストが6本も見えます。

ちなみに「丸・ひし形・丸」と繋がった形象物は、本船は「操縦性能制限船」であるから、本船を回避して航行せよ・・・(*^_^*)です。

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後日、江田島湾への入り口である津久茂瀬戸を、親船「第八金福丸」の後を追っかけて、カルガモのように一列縦隊で通過する金福船団を見ました・・・(*^。^*)です。

沖南港へと帰る、カルガモ船団を護衛?している灰色の船は、海上自衛隊第一術科学校所属の練習船です。

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こちら「南港」には牡蠣養殖業者さんの専用船が多くとめられています。
防波堤が造られたのは「沖南港」よりも古い様子で、昭和36年よりも以前となります。

画像の「明宝丸」は牡蠣の養殖作業でもっとも重要な働きをする、牡蠣船です。

マスト型のクレーンを使い、沖の筏で養殖した長さが9mもある牡蠣連を船内に揚収し、その牡蠣を満載し、打ち子さん(牡蠣剥き作業をするお姉さん)の待つ港の牡蠣打ち作業場まで高速で運搬します。

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海の家?・・・
じゃなくって、海上移動式の牡蠣養殖用作業小屋です。

真夏の直射日光、突然の夕立のもとにあっても、沖に設置してある竹筏に牡蠣連を取り付けるなどの作業に必要な洋上作業小屋です。

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日よけのブルーシートが張られた中で、杭打ち垂下式の牡蠣養殖用垂下連が作られていました。

東北、北海道方面から取り寄せたホタテ貝殻の中央に穴をあけ、間にプラスチックパイプを入れて互い違いにワイヤーに通し、ネックレス状にします。
杭打ち垂下式だと連の長さは1.6mが標準のようです。

えっ。
後姿だとまったく気づきませんでしたが、会話の内容がまったく聞き取れません。
皆さん外国からの牡蠣養殖研修生の方々・・・(*^。^*)でした。

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牡蠣連作り用のホタテ貝が準備されまもなく作業開始の様子です。
日よけのテントが張られていますが、なんと広島県立江田島高等学校と書かれています。

江 田 島 高 等 学 校 とは・・・

1948年「広島県呉竹高等学校江田島分校」として江田島町中央地区(旧江田島中学校内?)に開校。
1949年「広島県呉三津田高等学校江田島分校」と改称。
1951年江田島町小用地区へ移転。
1968年「広島県立呉三津田高等学校江田島分校」と改称。
1972年「広島県立江田島高等学校」として独立。
2010年3月31日 閉校。広島県立呉三津田高等学校へ統合。
 分校創立からの卒業者数は合計5,086名です。

以上ウィキペディアからの要約・・・m(__)mです。

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桟橋に置かれたステンレス製の巨大な機械???

奥の円筒型機械は水揚げした牡蠣を水洗いするドラム型洗濯機?で、手前はベルトコンベアー、それらを結ぶ複雑な配管と交差する電線・・・まるで野外工場ですね。

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近年になっての新技術で、牡蠣の養殖場や揚収後の蓄養、洗浄作業にマイクロ(ナノ?)バルブとなった空気を通すと生育や衛生面で非常に良い結果が得られるとか???

手前の黒い網籠や空色のエアータンク?、それらを結ぶ配管はそのための最新秘密?装置だと思います。

もとは波静かな入り江に投げ込んで置く(石蒔き式養殖法・地蒔き式養殖法)だけだった牡蠣の養殖法が、ヒビ建て養殖法に、そして現在の杭打ち垂下式養殖法・竹筏を利用した沖合垂下式養殖法へと大きく進歩してきました。

いやいやいや・・・漁師さん家業もたいへんだぁ~~~・・・(*^。^*)です。

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港のすぐ沖ではイワシ漁の船が重そうな網を引き揚げていました。

きっと、大漁なのでしょう。
カモメの群れがおこぼれを頂戴しようと、水面下で足をバタバタしています・・・(*^。^*)です。

高田 高田港桟橋

高田・中町航路図 
高田港は地形に恵まれたせいもあって、古くから本土である廿日市や宇品とを結ぶ多くの船便がありました。
とは言っても、定期船としてほぼ時間どおりの旅客船事業を始めたのは、明治38年(1905)沖村の岡田岩吉氏が蒸気船「海勝丸」62tを貨客船として就航させたのが始まりとされ、さらに明治40年に「能美汽船株式会社」を設立し、蒸気船「浅見丸」58tをもって江能の各浦々と本土とを周回する蒸気船航路を創設、その利便性が認められ関係する町村からの補助を受けることもできました。

のち、発動機エンジン「神座丸」、「能美丸」、「中吉丸」、「上田丸」、「日乃出」、「天竜丸」など船も船主も雨後の竹の子のように現れては消えしましたが、昭和3年当時の能美、宇品航路は一日6往復であったと云います。

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現在の、「中町(一部能美ロッジ寄港)・高田~宇品」航路を往くのは瀬戸内シーラインの高速艇「ロイヤル千鳥」です。

他に「ニュー千鳥」と「スーパー千鳥」の三隻をもって運行、ともに速力は26kt、船便は一日23往復(平日)です。

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高田港桟橋に横付け中の「スーパー千鳥」です。

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高田港桟橋を出港、宇品港へと向かう「ロイヤル千鳥」です。

赤灯台は港から出るときには船の左舷(左手側)に見るのですが、高速艇が発着する高田港桟橋は港の外(赤灯台のある防波堤の左外側)にあります。

高田港赤灯台には、「安芸中田港 小方北 防波堤灯台 初点 平成3年3月」海上保安庁と記されています。

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高田港桟橋待合所です。

高田港でも数年前までは車が搭載可能なカーフェリーの発着がありましたが、現在では車が搭載可能なフェリー桟橋は沖美町三吉の三高港(瀬戸内シーライン)と江田島町切串の切串桟橋(上村汽船)、吹越桟橋(さくら海運)、江田島町小用の小用桟橋(瀬戸内シーライン)のみとなりました。

乗船誘導待機場所に車を止めても車ごとでの乗船はできません・・・(^_^;)です。

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高田港桟橋待合所内の壁に「ありがとうドリームのうみ」と大書された寄せ書きが掲げてあります。

「気仙沼大島のためにいっぱい働いていただき本当にありがとうございました。今後も皆で頑張ります。」
「広島からわざわざ私達のためにありがとうございました。本当に本当に助かりました。もう乗れなくなるのはさみしいですが、これからも前を向いて頑張りまーす。」

宮城県気仙沼市大島の皆さんからの寄せ書きです。

2011年( 平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って 発生した大津波により、壊滅的被害を受けた大島島民の方々の足となるべく、当時の江田島市が所有するカーフェリ「ドリームのうみ」を貸し出したことに対するお礼の寄せ書きです。

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画像は、2012年(平成24) 3月14日、気仙沼大島での輸送任務を終え中町港桟橋へと着岸する「ドリームのうみ」を出迎える田中江田島市長です。

以下は、気仙沼市産業部商工課作成の「 記 者 発 表 資 料 」(平成24年2月24日)のコピペ・・・m(__)mです。

カーフェリー「ドリームのうみ」の返還について

広島県江田島市の御厚意により大島汽船株式会社に無償貸与いただいておりましたカーフェリー「ドリームのうみ」(397 トン)が、平成24年2月29日(水)をもって最終運航となります。
平成23年4月27日(水)の運航開始以来、大島地区住民の通勤・通学・通院のための交通手段として、また生活物資・支援物資の輸送に加え工事車両の搬送などに大活躍し、大島の復旧・復興に大いに貢献していただきました。
「ドリームのうみ」は、平成24年3月2日(金)に気仙沼を出港し、広島県内で点検
整備を受けたうえで江田島市へ返還されることになりますのでお知らせします。

           記

1 最終運航便 平成24年2月29日(水) 18時20分・エースポート発
2 出港日 平成24年3月 2日(金) 9時30分・魚町二丁目地先岸壁発
3 その他
・「ドリームのうみ」の運航開始にあたっては、公益社団法人Civic Force からも仲介や各種協力など多大な御支援をいただいております。
・貸与期間について、当初は10月15日まででありましたが、大島汽船:白幡昇一代表取締役社長が10月5日に江田島市を訪問し、田中達美市長、同市議会、同自治会連合会に期間延長をお願いし、本年3月15日まで延長することでご快諾いただきました。
・「ドリームのうみ」の運航終了に伴い、これまでカーフェリー2隻で運航されてき
た大島航路は、平成24年3月1日から1便ごとに旅客船「海来みらい」と「フェリー亀山」が交互に運航することになります。

※旅客船「海来」は、津波で浦の浜に打ち上げられたものの修理を終え9月末から運航可能でありましたが、「ドリームのうみ」借用期間中は復旧工事車両の搬送を優先し、カーフェリー2隻による運航体制となっておりました。(一部を省略)

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画像は「本瓦造船株式会社」HPよりコピペの「ドリームのうみ」です。

以下は、「ドリームのうみ」の要目です。

建造所    本瓦造船株式会社(広島県福山市鞆町後地1717番地)
起工    2004.9.6   
進水    2004.11.25   
引渡    2005.1.31   
全長    47.3m   
垂線間長    42.0m   
全幅    11.0m   
深さ    3.7m   
喫水    (dext(summer))2.6m   
国内総トン    (JG)397T   
載貨重量    (design)118.29t (summer)116.05t   
試運転最大速力    14.605kn   
速力    14.5kn   
航続距離    約970浬   
主機関    YANMAR 8N21A-EN×2   
出力    (M.C.R.)1,324kW×900min-1 (N.O.R.)1,125kW×853min-1   
プロペラ    5Blades FPP×2(スキュー付)   
乗組員数    3   
旅客数    300   
燃料油槽    34.7立方メートル   
清水槽    11.8立方メートル   
航路    中町~高田~宇品   
その他    運航者:江田島市
(新造船要目データベースより)

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画像及び下記文章は、気仙沼大島「島おとめ」さんのプログよりのコピペ・・・m(__)mです。

広島県江田島市に感謝!! 2011-04-27 17:27:13 記

本日より広島県江田島市より無償貸与して頂いたカーフェリー「ドリームのうみ」が気仙沼~大島に就航しました。
これで物流の道がひらけ大島の復旧・復興が前進すると思います。
全国の皆様、江田島市の皆様に心から感謝申し上げます。

ちなみに江田島市の市営船事業撤退にともない「ドーリムのうみ」は姉妹船である「レインボーのうみ」とともに余剰船として売却されました。

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高田港から中町港へと疾走する「ニュー千鳥」です。

以下、能美町誌より・・・

昭和24年公営船の運行が始まる。
昭和31年鋼製旅客「能美丸」が進水する。
昭和30年高田村、中村、鹿川町が合併し能美町となる。
昭和33年高田港に接岸施設が完成する。
昭和39年鋼製フェリーボート「第5のうみ」運行する。
昭和42年高田フェリー接岸施設完成する。
昭和43年高田港桟橋待合所が完成する。
昭和47年新鋭高速艇「千鳥」就航する。
昭和57年高田港埋め立て工事着工
昭和61年新高田港桟橋待合所が完成する。

利用客の急激な減少や、燃料費の高騰、新造船問題などの悪条件が続き、能美町町営から江田島市市営、三セク事業移管当々、市民の足となる宇品航路の維持に多くの努力がなされましたが、結果として完全民営化により航路を維持することとなりました。

現在、中町から高田を経由し宇品とを結ぶ航路(一部が能美ロッジ寄港)を維持するのは、瀬戸内シーラインです。

高田港 石船(新栄丸・日栄丸・共栄丸)

高田港砕石運搬船 
画像はグーグル2014年11月4日撮影の高田港です。

高田港には3隻の砕石運搬船(石船)「第二新栄丸」「日栄丸」「共栄丸」が舫ってありました。

この3隻がいつごろまで現役で稼働していたのかは不明ですが、日本の高度成長期である昭和30年ごろから、平成へと変わる前までは瀬戸の海を東へ西へ、重い砕石を目一杯に積み海水が木造甲板を洗うのをものともせずに全速力で走り回ていた石船船団が存在していました。

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「第二新栄丸」です。
要所を鉄板で補強されてはいますが、生粋の木造石船です。

石切り場で切り出した砕石を船橋の前の平らな甲板が海水に浸かる寸前まで満載し、全速力で埋め立て地に向かう石船船団最後?の生き残りです。

埋め立て地の砕石投入ポイントに到着するや、すぐさま甲板上のもっとも大きな砕石にワイヤーを掛けクレーンで持ち上げて左右に振ります。
その反動で船は大きく傾き、甲板上の砕石は一気に海中へと落とし込まれます。

反動が弱ければ甲板の砕石をうまくポイントに落とすことができませんし、強すぎれば大石もろとも一瞬で転覆です。

後には分業や共同経営もありますが、基本は夫婦で船長と機関長となって石材を運搬し、父母や兄弟子供が地主から借り受けた浦々の石切り場でダイナマイトを使った砕石作業をおこなうという、危険でそのうえ資金力もない零細な家族経営、只々深い家族愛と度胸一本だけでなり立つ生業です。

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長い年月を目いっぱいに働いたのでしょう。

熟練の船大工さんが最大の強度で仕上げた船体も、ギシギシ、ガタガタ、ボロボロに・・・m(__)mです。

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船首に描かれた模様には魔よけの意味があるといいます。

おそろしく危険な航海を数千、数万回と乗り越え、無事この港に帰ってこれたのですから、魔よけのご利益は絶大だったようです。

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これだけのダメージを受けているにもかかわらず、まだ船内に海水が入り込む僅かな隙間もありません。

画像は2014年10月16日、私がこの石船、第二新栄丸の雄姿を見た最後でした。

ちなみに、山田洋次監督制作(1972年)の映画「故郷」では倉橋島を舞台に石船による砕石運搬を生業とする家族の様子が、当時の瀬戸の穏やかな風景とともに深く鋭く描かれています。

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岸壁に繋がれた「第二新栄丸」の他にも、沖へと延びる浮桟橋には戦友である「日栄丸」と「共栄丸」が舫ってあります。

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手前に繋がれている「日栄丸」です。
木造船体の周りすべてを鉄板で覆い補強がされています。

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甲板上は搭載した石材が大波や船の進路変更の動揺で滑り落ちないよう、食い込みの良い木造のままとなっています。

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日栄丸の船橋です。
分厚い踏板が一枚、甲板と船橋とをつないで渡されています。

他所の港で船を岸壁に繋ぐ場合は岸壁との間をこの踏板一枚だけで繋ぎます。
明りの無い夜中の2時3時、たとえ一升、二升を飲んでふらつきながらでも阿波踊りの要領でバランスをとり、ヨイヨイヨイって渡り切ります。

落ちたら三途の川(海)・・・(^_^;)です。

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沖側に繋がれた「共栄丸」、まだ十分に現役復帰ができそうです。

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日栄丸とは姉妹船のようで、船橋の造りもそっくりです。

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共栄丸の船橋部分です。
手すり部分の支柱、凝ってますねぇ~~~。

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最後部に梯子が取り付けてあります。
まさかその上がサンデッキってことはないと思いますが・・・(*^。^*)です。

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2015年6月の高田港です。

「第二新栄丸」が舫ってあった場所にはなにもありません。
満ち潮で小さなさざ波が寄せるだけです。

浮き桟橋に繋がれていた「日栄丸」も「共栄丸」も・・・・・・・です。

高田 高田港

高田・中町航路図 
江田島湾の南西部、高田地区の小方から高田港、沖南港、南港そして中町地区の中町港を含めて大きくは中田港といいます。

最北に位置する高田港を除くこれらの港は元々は河川からの堆積土で遠浅となっており、毎日砂浜に引き上げる木造の伝馬船には最適の環境でしたが、船が大型化し、さらには船長一人のみで漁労に従事する省力化漁業が一般化するにいたり、毎日船を砂浜へと引き上げることははできなくなりました。
上げ下ろしの手間を省き、船を海上に浮かべておくためには、桟橋を沖へ出して、その周りを頑丈な防波堤で囲う近代的港湾が必要となります。

高田 S22-H25 
左の画像は昭和22年、右は平成25年のものです。(国土地理院より)

中田港内にあって、唯一高田港(間所)のみは自然の天恵に恵まれており、古くから大型船の出入りに便利な着岸施設と防波堤の整備が進んでいました。

そのため本土とを結ぶ船便の数も多く、帆船全盛の古きころから、中村(中町)や遠くは鹿川からの乗船客もあったようです。

s-2012-09-10 002 008 
高田港に停泊中の給油船です。
事前の取り決めや電話連絡を受けて指定場所(洋上あるいは他港)まで出向き、燃料やオイル、場合によっては水や食料品なども運搬し給油する、海上のガソリン・重油スタンド?です。

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給油船の甲板です。
桟橋や船舶への横着け時に必要な防舷物(緩衝材)や油送ポンプ、給油ホースが所狭しと並べ置かれています。

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小型タグボートです。
大型船の出入港支援や、バージ(はしけ)をけん引したり押したりするのが一般的ですが、当地では主に牡蠣筏の移動や設置作業に使われます。

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潜水作業支援船です。

手前の船(船名景虎)は潜水作業員(ダイバー)を輸送したり、搭載のコンプレッサーで水中作業中のダイバーにエアーを送ったり、また水中通話装置などを装備しています。

緑色のクレーン船(船名KOORYU)は潜水作業員の指示を受けて、海中に重量物を投入したり移動、回収したりするために使います。

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用途不明の船が2隻係留してあります。
NAKATANI 5 との船名がありますので、近くの中谷造船所で使用する特殊作業船だろうと思いますが???な船です。

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第十政福丸、牡蠣作業船です。
牡蠣筏に吊るした、長さ9mもある牡蠣養殖の垂下連(ホタテ貝の殻にワイヤーを通した巨大ネックレスのようなもの)をクレーンを使って筏に設置したり、成熟した牡蠣を洋上の筏から揚収して、牡蠣うち作業場まで運搬したりの作業を行う専用船です。

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個人所有のヨットや、プレジャーボート、釣り船なども係留されています。

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牡蠣作業船第三睦栄丸が入港してきました。
今日の筏での作業が終了したのでしょうか?
それとも作業資材の補充に立ち寄ったのでしょうか?

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大きなバージを押してタグボート(プッシャボート)も入ってきます。

チョット見はのんびりした港の風景ですが、右から左からエンジン音が聞こえては遠ざかり、風の向きで排ガスのにおいが流れて来てはまた消えます。

松原遠く消ゆるところ 白帆の影は浮かぶ
干網浜に高くして かもめは低く波に飛ぶ ♪ ♪ ♪ (*^。^*) です。
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