岡大王 大黒神島

江田島市地図グーグル・大黒神島 
大黒神島(おおくろかみしま)は、岡大王と畑地区の沖合約4㎞に位置し周囲が約12km、面積は約7.25km2で、現在は瀬戸内海で最大の無人島です。

この島は山が険しく、全島が森林におおわれていましたが、天保の大飢饉(1832~1840)のころから新たな耕作地を求めて移住する者が現れ、白瀬川を境に北西側が畑村に、南東側が岡大王村の所属地となりました。
最盛期には水田13町5反、畑12町6反ほどがあり、米や甘藷、西瓜などがよく採れたと云います。

大正中期のころよりは子供の学業などの利便性から能美島に移り、農耕船に牛馬を乗せ櫓をこいで黒神島に渡る、通い農業をする者も多くいたと云います。
昭和50年代までは人の気配があったようですが・・・。
ただ、まったくの無人島と云う訳ではなく、島の南西側では数社が大規模な砕石事業をおこなっており、もと島民が山菜取りなどでときおり訪れている様子です。

現代の生活には不便なこの島も、かっては原生林に近い鬱蒼とした山林があり、産出する木材は寺社や学校建築の用材、建設費用の捻出に大きく貢献しました。

原生林は戦後の山林火災で焼失しましたが、港湾整備や埋め立て事業に必要な石材が大量に眠る宝の島であることに変わりはありません。

この宝の島の帰属をめぐっては、過去に何らかのトラブルもあったようで、その一話として「ふるさとの民話 江田島・能美島」に以下の伝承が記されています。

大 黒 神 島 を 深 江 村 と 取 り 合 っ た 話  (要約)
昔、まだ時計もなく、鶏の鳴き声を夜明けの合図にしていたころの話です。

ある日、大黒神島で大王村の人が畑を耕し、野菜を作ろうとしていたところへ、深江村の人が現れ、「うちの村の土地でなにごとけぇ。この島はうちのもんじゃないけぇ」と言い張ります。
「わしは前々からここでものを作りよるじゃ。どしていけん。早いもん勝ち言うじゃあなぁか」と、争いが始まりました。

深江村の人は「この島は、うちの村の目と鼻の先にあるんじゃけぇ、近い方のもんじゃ。遠くの者がそう言うのはおかしなことじゃ」
一方、大王村の人は「んにゃ見てみい。この島はうちの村の真沖にあるじゃあなぁか。あっちの村の者が、こっちにある島を我がもんじゃ言うて、それこそおかしな話じゃ」
「これじゃあらちあかんけぇ、用意ドン!で競争し勝った方の島にしよう」
「んなら、一番鶏が鳴いたら舟を漕ぎ出し、先に島に着いた方が勝ちじゃあ」ということでまとまり、深江村では鶏にしっかり鳴いてもらおうと、うんと餌を食べさせ、一方の大王村では漕ぎ手が負けんように御馳走を食べさせ早く寝せました。

さて、あくる朝、腹を減らせた大王村の鶏はいつもより早く一番鳴きをはじめ、それを合図に、大王村の漕ぎ手は待ってましたとばかり、一生懸命に沖へと漕ぎ出しました。

一方、うんと食べてぐっすり眠った深江村の鶏は、二番鶏になってしまったのです。
遅れをとった深江村は大急ぎで舟を出し、懸命に漕いだのですが、深江村の人たちが飛び降りた浜辺には、すでに大王村の人たちの草鞋が投げ捨てられており、以後大黒神島は大王村のものになったと云います。

よく似た伝承に、同じく舟での競争で抜きつ抜かれつの接戦の末、大王村の漕ぎ手が船上から投げた草鞋が先に砂浜に落ちたことで大王村の勝ちとなったとも。

他にも「黒神島へは犬を連れ入ってはならぬ」とも云います。

蛇足です。
日本で最大の無人島は、北海道松前郡松前町に属する火山島、渡島大島(おしまおおしま)で、面積は約9.73km2、です。

s-2012-12-07 002 085 
黒神島(大黒神島)の命名由来ははっきりしませんが、是長地区の沖にも同じく黒神島があり、大きさの違いで大小、黒神島として区別されています。

沖美町史によりますと、「安芸国神名帳(鎌倉時代)」に佐西郡興津黒神明神と記される社があり、「芸藩通史(江戸時代)」に黒神島に三興津黒神明神の御社(みやしろ)と呼ばれる地があったと記されます。
島の東に突き出た宮城鼻(みやしろばな)付近がその御社跡では?といわれます。

s-IMG_20140409_0054 (2) 
沖美町史よりコピペの「黒神島の地図」です。
地図の上方向が東側となりますので、地図の右上に宮城鼻があります。

大黒神は南東部が岡大王地区、北西部が畑地区と二分され、最高峰の櫛ノ宇根(459.9m)は岡大王地区に含まれます。

s-DSCN0725.jpg 
花き栽培用のビニールハウス、専念寺の本堂の向こうに見る大黒神島です。

s-2015-03-13 047 
江田島バスKKの「大王神社前」バス停から見た大黒神島です。

s-2016-02-05 113 (2) 
是長地区の農道から見た大黒神島です。

s-2016-02-05 173 (2) 
畑地区の渚から見た大黒神島です。

s-DSCN4707.jpg 
海図「広島湾1/7500」昭和5年5月16日刊行 水路部長 米村末喜、6月7日印刷発行 水路部、のコピペ・・・m(__)mです。

海図であっても主要な山には標高が記載されるのですが、呉軍港付近の山々は故意に標高表示が削除されています。
古鷹山も宇根山(旧名 中村山・野登呂山)も、呉市の灰ヶ峰、休山も・・・(^_^;)です。

海図左下に、艦船速力試験距離と書かれた破線があります。
大黒神島の山裾に白い標識が立てられており、艦船がその2点間(1海里)を通過した時間を計測し、速力測定やプロペラの回転数(翼角)調整などを行います。

最近では電波発信機やGPSによる計測に変わりましたが、白い三角の標識は今も設置されています。

s-2012-12-07 002 061 (2) 
神秘的山容で横たえる大黒神島です。

ちなみに奈良県にある黒髪山のクロカミは、「クラオカミ」の転じた言葉だとされ、恵みの雨を降らせ、長雨を止める龍神様として信仰されるとか・・・

大黒神島の山容を、龍神にたとえるなら、小黒神島はその龍神の手に乗る玉となるかも・・・(*^。^*)です。
スポンサーサイト

岡大王 正光川・大森川・流田川・大石川

岡大王防災マップ川 
上記画像は江田島市作成の「ハザードマップ 沖美町畑・岡大王」をコピペしました・・・m(__)mです。

岡大王地区を流れる主な川には南から正光川、大森川、上流部で大森川と合流する流田川、そして大石川があり、さらには、畑地区から流れ下る大坪川が岡大王との境界となって畑漁港に注ぎます。

s-2016-02-05 049 
農道から見た大王地区集落です。

江田島市最高峰である宇根山の南西斜面は極めて急峻で、さらには深くノコギリの歯状となった谷筋が無数に並びます。
そのため、尾根付近に降った雨は保水される間もなく、わずか数十分のうちに海岸まで流れ下り海へと放たれます。

広島県西部では北東から南西方向の古い断層が無数にあり、さらにこれに直交する断層もあって、複雑な断層谷が形成されています。
江田島市においてもその断層帯の延長となる地形で、大きくは南北方向に3分割、東西方向に3分割された数個のブロックとなって海上に浮きます。

南北方向の断層谷が川となって残るのが江田島町切串の長谷川、沖美町三吉の木ノ下川、能美町鹿川の永田川、大柿町大原の八幡川で、市内では南北の断層帯が著明に残り、それに直交する断層谷や河川は短く急峻です。

s-DSCN0696.jpg 
沖美町の農道でよく見る、農業用水専用の導水管空気弁の蓋です。

沖美町の沖地区(岡大王・畑・是長)は江田島市内にあっても特別に急峻な地形で、耕作地の確保はもとより、短く、しかも滝のような急こう配で流れ下る川から生活用水や農業用水を確保できるかどうかは、村落の命運をも左右する重大事でした。

それまで井戸水や、集落ごとに谷川の水を集めた簡易水道で辛うじてまかなっていた生活用水は、昭和40年6月、広島太田川より海底導水管を通し江田島町小用の前早世浄水場ろ過沈殿池が満水となることでやっと本土並みの生活が見えてきました。

前早世で浄水された太田川の水は江能上水道組合(のち江能水道企業団さらに江田島市企業局水道事業)の手により能美町鹿川との境にある才越峠の第三配水池に揚水され、そこから岡大王・畑・是長へと送られます。

これにより生活用水に不自由することはなくなりましたが、水道水ではお米やミカン、キュウリを育てることはできません。

おりしも、不自由な水環境にもめげずにミカンやキュウリ、イチゴやキクやスイトピーなどの栽培に熱心な沖美地区が県営畑地帯総合整備事業に取り上げられることとなりました。
天水にたより、例年の水不足に悩まされていた当地に農業用水の安定供給は夢のまた夢でしたが、その沖美町内には三吉地区に旧海軍が建設した三高ダムがあります。

この三高ダムは大東亜戦争による江田島海軍兵学校生徒や職員の大激増に伴い、その生活用水を確保すべく、1943年から1944年の僅かな期間で造られたもので、戦後のどさくさに紛れてダムの設計図も残っておらず老朽化が懸念されていました。

この二つの県営事業の組み合わせにより、三高ダムの補強拡張事業と、沖美地区の農業振興事業とが相乗し、ついに平成14年11月、ダムの有効貯水容量を今までの21万8000m3から55万4000m3に倍増した、新三高ダムが完成、沖美地区全域への農業用導水管が敷設されることとなりました。

s-DSCN0701.jpg 
農業用導水管は、正光川の源流に近い大王地区の農地、推定標高150mにあるミカン畑までをも潤します・・・(*^。^*)です。

s-DSCN3913.jpg 
大森川河口部です。
あと数メートルで海へと注ぐのですが、それでもスベリ台以上の傾斜があります。

夏場はウオータースライダーとして開放されています。ってウソ・・・(^_^;)です。

s-2015-03-13 141 
大森川(流田川)中流部です。
三段峡・・・(^_^;)です。

s-2015-03-13 142 
先の撮影場所から下流部を写したものです。
海岸から400mで標高が40m、家々の屋根越しに海が丸見え・・・(^_^;)です。

s-DSCN0724.jpg 
右が大森川、左が流田川、二つの川の合流部です。
大雨時には怒涛の流れがぶつかる合流部は、整流効果???を出すために船首のように鋭角となって・・・???。

s-2016-09-15 027 
大森川の最上流部です。
川の源流部付近から、その川の河口部が見通せる急流川はそう多くは無いと思いますが?・・・。

s-2016-09-15 030 
大森川源流部近くに残る、貯水槽の石垣と、その水槽を覆うトタン屋根です。

太田川からの水が通ずるまでは、この地域での最重要施設であった簡易水道の貯水槽が今もそのままに残してあります。

s-DSCN3921.jpg 
大石川の河口部付近です。
大切な川の堤防は家々の土台よりも丁寧に、僅かな隙間もなく石積みがなされています。

s-2016-02-05 238 
大石川中流部です。
長年の浸食で細い流れでも深く深く刻まれます。

「雨垂れ岩を穿つ」・・・(*^。^*)かな?

s-2015-03-13 046 
沖美町の下水道マンホールの蓋です。

上水道の普及により、各家庭ごとにお風呂を沸かし、全自動洗濯機は油汚れを数分で真っ白い生地に漂白し、お米のとぎ汁もみそ汁の残りカスもじゃぶじゃぶ水で濯いで脇を流れる川へと流し込んでいました。

上水道が普及したことにより最大の被害を被ったのが、なんと、いままで最大限大切にされていたすぐ家の脇を流れる川だったのです。

雄大な自然の壮大なサイクルであっても、なにげもないほんの僅かな歪みで、と~んでもないことに・・・(^_^;)です。
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!