是長 古地図(芸藩通志)

是長芸藩A 
画像は「芸藩通志」文政8年(1825)をコピペし、地名を書き加えたものです。

コピペ精度不足により読み取りが不能となった文字は未記載、あるいは創作して書き加えています。
正確には「芸藩通志」をご覧ください・・・m(__)mです。

是長芸藩A南西 
地図の東南部分を拡大したものです。

是長芸藩A北西 
地図の北西部分を拡大したものです。

小黒神島の山名は残念ながら読み取りできませんが、「留 小???山」あるいは、山頂に小さな祠があって、「チ????山」???。
やっぱ、「留(留山) 小クロカミ山」でしょうね? ・・・(*^。^*)です。

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「芸藩通志」コピペの元画像です。
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是長 いいとこ撮り 2/2

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是長地区からはどこからでも素敵な海を見ることができます。
往還道からみた是長集落と海の向こうは、小黒神島、さらに宮島の方向です。

ちなみに、是長地区から見える海域のほぼすべては広島湾南部海域と呼ぶのが正しく、北は美能岸根鼻までで、南は倉橋島大向鼻から来島海峡、周防大島(屋代島)までとイメージ以上に広大な海域です。

できればもう少しコジャレタ名前があれば、なぁ~~~ ・・・(*^。^*)です。

広島湾海域 
上記画像は「広島湾再生プロジェクト(広島湾とは)」よりのコピペ・・・m(__)mです。
(画像中の、阿多田島、大黒神島、柱島とかの位置が南の方向にずれて記載されていますが???まっ、愛嬌・・・(*^。^*)ですか。)

美能地区の岸根鼻よりも北の広島湾や江田島湾、大君地区早瀬瀬戸より北の呉湾を含めて広島湾北部海域と呼びます。
たまたま?なのかもですが、広島湾北部海域は、呉軍港と広島湾への敵国艦船進入を阻止するために、明治20年に計画(明治30年着工)された「広島湾要塞(音戸瀬戸・早瀬瀬戸・那沙美瀬戸・大野瀬戸)」と同一海域となっております。

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往還道からみた大黒神島の方向です。

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大黒神島です。

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屋根の向こうにも大黒神島です。

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ビニールハウスの向こうにも大黒神島・・・(*^。^*)です。


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これも大黒神島。

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これは阿多田島です。

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菜の花の向こうの大黒神島です。

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これは~~~、甲島(かぶとじま)、その左はるか遠くに尖がった山は周防大島嵩山です。

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小石の浜の向こうに大黒神島です。

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イワシ漁に使う網を運搬中の「大井丸」、向こうは阿多田島です。

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護衛艦「さざなみ」と甲島(かぶとじま)、灯台は白石、その間の小さな島は姫小島です。

是長 いいとこ撮り 1/2

s-是長地図グーグルBB 
是長の地は、頼杏坪の「松と鶴」でもたとえられたように、南北に長く引き延ばされた山地の西側斜面です。

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山の斜面に平地を作り出すためには石を積み上げるほかはありません。
重い石を積み上げた汗の結晶が、紅白の鮮やかな花となって春を告げます。

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一つづつ向きとバランスを考えて積み上げられた石垣の、ランダムだけど規則的な模様は、ほんと素敵なアートです。
冬でも緑の葉っぱが茂るイヌマキは、冬の北風からミカンを守るために植えられています。

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石垣は昼間の太陽熱をため込む蓄熱機です。
夜もやさしくあっためられた水仙の球根からは、太陽のような明るい花が開きます。

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こっちの石垣にも水仙・・・(*^。^*)です。

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瓦の再利用。

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沖十万石?にふさわしく長屋門を構えたお家が何軒もあります。

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昔なら籠か馬が用意してあるのでしょうが、今はやっぱ車の方が便利だし・・・(*^。^*)です。

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庭先に川があって、自家専用の橋を持つ・・・私の理想とする最高の立地条件なんですけど・・・。

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今はさびれてしまいましたが、是長の商店街通りです。
大福食堂・資生堂チェーンストア川中・曽根時計店・ヘァーサロンニシカワ、の看板が見えます。

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真っ赤なフォルクスワーゲン、もう一度走らせてほしいなぁ~ ・・・(*^。^*)です。

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道路脇に落っこちてました。

キャラクターのリスは林野庁が1974年に制作した山火事防止啓発用のアニメ映画「リスのまとい」で登場したのが最初であるといわれます。
ちなみに、ネット上では「まといリス」などの名前でよばれますが、正式名称は決められていないとか・・・(*^。^*)です。

下記に注意
上記は「withnews(ウィズニュース)」よりのコピペ・・・m(__)mです。

是長 十万石の石垣

s-是長 石垣 
是長地区には10万石の城下町にも負けないくらいの立派な武家屋敷???が何軒も建ち並びます。
それも、家老職とか侍大将とかの上級武士の屋敷が・・・(*^。^*)です。

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是長港から遠くない段々畑の上に、お城と見紛うような長大で緻密な石垣が立ちはだかります。
石垣の角は、熊本城の石垣でも頑丈さが証明された算木積みが施されています。

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その石垣の上を漆喰の土塀で囲んだ中に是長の名家、野間家があります。

文政初期のころ、島を訪れた儒者「頼杏坪」が泊まったとされ、そのときにみた掛け軸「松と鶴」を愛で、この村に宿りてこの絵のかかれるを見てたわむれに「くびながし くちばしながし すねながし よはひはさぞや 是長のさと」と詠みました。

上記「芸南地方 瀬戸の島」よりの要約・・・m(__)mです。

頼杏坪_近世名家肖像[1] 
画像は「谷文晁」作の「頼杏坪」、ウィキペディアよりのコピペ・・・m(__)mです。

頼 杏坪(らい きょうへい)は、頼山陽の叔父に当たります。
文政13年(1830)まで、三次町奉行の職を勤め天保5年(1834)79歳で病没。
「芸藩通志(1825)」などの藩史編纂にも携わったとされます。

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石垣で囲われたお家が野間家だけなら、まあ、まあ、すっごいな~~~、と感嘆詞の一言あるいは二言で終わるのですが・・・。

是長地区の石垣屋敷の多さには、おどろき、びっくり、ぎょうてん、ぶったまげ、日本版マチュピチュ?、世界遺産登録?も夢じゃないかも・・・(*^。^*)です。

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このお家、是長地区でもずいぶん高い位置にあります。
これら沢山の大石、山から転がり落とした石には見えないし、いったいどこから・・・。

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このお家もまたすっごい。
積まれた石垣の量は、たぶん野間家よりも多いかも。
ず~っと、ず~っと先が見えなくなるくらい先までびっしり積まれています。

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このお家もまたまた、すっごいなぁ~~~。
石に着いたコケや、継ぎ目で芽生えたシダが・・・ええなぁ~~~。

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石垣が積まれているのは屋敷ばかりじゃありません。
ミカン畑も、タケノコ林も・・・

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丁寧に積まれた石垣の上には、普通にキンシバイの花が植えてあり、普通にウメの木の枝が垂れ下がっています。
その裏っかわには、たしかムギが植えてあったと (^^;) ・・・。

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耕作地と、道路の路面以外はすべてが石垣です。

是長地区で五万石、畑と岡大王とで五万石、全部の石垣を集めれば、十万石に匹敵するお城と城下町が造れるんじゃないでしょうか???

♪♪♪ 沖の石垣 十万石 全部合わせりゃ 城がたつ ♪♪♪ ・・・(*^。^*)です。 

是長 鹿田港

s-是長・鹿田港 
この付近の地名を、砠(そうわ)といいます。

砠のいわれは不明(辞書には石山・土山)ですが、御子祖山との付け根に船隠しのような入り江があり、「鹿田港」と呼ばれます。

この港は昔、村上水軍の監視人とされる佐村久右ヱ門が居住していたとされます。
南からの強風を遮る避難港として重要であり、芸藩通志には二反帆の船7、8隻が泊まれたと記されています。

上記「沖美町の文化財をたずねて」より引用・・・m(__)mです。

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上記掲載画像は、HP「風の馬 るんた」から「三反帆(さんだんぼ)で熊野川(2010年12月11日)」の記事をコピペ・・・m(__)mです。
熊野川を航行中の三反帆船で昭和30年ころまでは使われていたそうです。

ちなみに、画像の三反帆船は川船ですので、芸藩通志にいう二反帆船とは船型なども違うと思います。

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昭和50年2月の鹿田港付近です。
港に転倒船(石材運搬船)が1隻みえます。

県道はアスファルト舗装がされ、別荘用地にも家々が建ち始めています。

s-グーグル鹿田港 
現在の鹿田港です。

港の左に放射状に沖へ伸びるのは桟橋ではなく、船首を陸側に固定し停泊中の大型石材運搬船(プッシャーボート)です。
積載量は推定?ですが左が1,000t?、右は3,000t?くらいだろうと・・・???です。

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鹿田港港内からみた別荘地の方向です。

この付近には雨水を運ぶ大きな川もなく、水質は常に良好ですのでスキューバダイビングの練習ポイントともなります。

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小型底引き魚船「五洋丸」が、陸に引き上げられています。

すでにプロペラが外されていますので、おそらくは解体場へと運ばれるのでしょう。
水線下の部分にはグラスファイバーが巻かれていますが、基本は木造船のようです。
お疲れ様でした。

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鹿田港から別荘地へと続く小道は、昔懐かし海岸沿いの小径・・・(*^。^*)です。

昔々は、浦々へと通ず小径はみんなこんな感じだったような・・・(*^。^*)です。

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波静かな瀬戸の砂浜に、こ~~~んなに大きな流木が・・・。

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木造の小舟が朽ち果てる寸前で、入り江の奥に収まっています。

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大きすぎて港に入ることのできない、沖泊まりの船との通船???
それとも、むかしむかしの、船隠しにひそむ海賊船が幻影となって現れ出たのかも???

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夏の一時期をのぞいては、今も、むかしむかしの静寂をたもつ、砠(そうわ)の里海・・・(*^。^*)です。

是長 是長港

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是長地区には集落の前面に是長港があり、入鹿鼻の北側には鹿田港があります。

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昭和37年5月の是長港付近の画像(国土地理院)です。

ほぼ同じような大きさの船が十数隻、水深の浅い港にはすべての船が入港するのは無理のようで、半数は港の外で係留されています。

これらの船は転倒船ともよばれる石材運搬船です。
最盛期の昭和40年ころには沖地区だけでも5、60隻はあったといわれます。
積載量約50tくらいのディーゼル船で、乗員は2名、船長と機関長を夫婦で分任し、埋め立て地に運んだ石材を、船を大きく傾けることで一度に海中に投入する離れ業をやってのけました。

能美町高田港で最後まで残っていた転倒船「新栄丸・日栄丸・共栄丸」です。

s-是長港S5002 
昭和50年2月の是長港付近です。

戦後の20年間、是長港の改築はまったくの手付かずでしたが、昭和40年代に入りやっと一回り大きな防波堤で囲われることになりました。

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現在の是長港です。

一時期は転倒船で溢れかえった是長の港も、昭和45年ころよりはプッシャーボートで一度に数千トンの石材を運ぶ方式に変わり、徐々にその隻数を減らしていきました。

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是長集落の前で寄せる大波を固くグロックする最新防波堤です。

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もと、宇品・沖航路連絡船用の桟橋で、これからタコ漁に出かけるという漁師さんが大忙しで準備作業をされています。

仕事の邪魔にはなると思いましたが、「タコたくさん獲れますか?」「だめだなぁ~、年々獲れんようになりょ~るが」豊穣の瀬戸内海であっても、専業の漁師さんで生活するのは、なかなか厳しいようです。

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赤い浮き桟橋の手前にあるスベリは昭和50年に運行が開始された、沖・宇品航路連絡船の桟橋として作られたものですが、残念なことに昭和57年には連絡船航路が廃止されました。

スベリ型桟橋は耐久性は高いのですが、波による影響を強く受けるために連絡船への乗降には不便な施設です。
いつ航路が再開されても間に合うよう?赤い浮き桟橋が整備されましたが、いまは航路再開の予定がありません。

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連絡船用に作られた「是長桟橋待合所」です。

まだ十分に使える姿で残してありますが、内部は新聞や雑誌、ダンボールなどのリサイクル資源一時集積所となっていました。

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是長港防波堤の沖をゆく護衛艦「うみぎり」基準排水量3,550トン  全長137m 出力54,000PS  最大速力は30ノットです。

洋上訓練を終わり、母港である呉港に帰る途上のようです。

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戦前からある???、旧防波堤内には今も小舟が舫われています。

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花崗岩石を丁寧に積み上げて造った防波堤で、少なくとも70年、あるいはそれ以上の年月を耐えてきました。

ここまで古くなれば、人工物か自然物であるかの判断もできません。
自然岩の空隙であると勘違いしたハマナデシコが、防波堤の占有を開始しました・・・(*^。^*)です。

ちなみに、港から道路を隔てた陸側正面には「JA呉 是長支店」が建ちます。
是長は漁村ではなく農村なのです。

背後に控える広大な農地(耕して天にのぼる)から生産された膨大な量の農産物は、すべてがこの是長港から船に積み込まれていました。
そんな・・・時代も・・・ありました。

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船を舫うロープを巻き付ける係船柱(ボラード、ビットとも)です。

一般には鉄で作られますが、この防波堤上にある7本の係船柱はすべて花崗岩石柱です。

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石積防波堤の先端部は後年の港改築で短く切られて積み直されましたが、すてきな曲線に仕上げてあります。

鉄筋コンクリートだと再利用はほぼ不可能ですが、石積だと好きな形に組み替えて再び利用することができます。

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近代的で機能的な造りとなった是長港にあっても、石積防波堤は港の主要ポイントとなってのこります。

是長 サンビーチおきみ

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元の入鹿海岸あらため、「サンビーチおきみ」となって宿泊施設も完備した海水浴場があります。

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江田島市内では他に見ない、立派な建物が白い砂浜の向こうに建ちます。

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いらっしゃいませ サンビーチおきみ

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全室オーシャンビューの公共の宿「サンビーチおきみ」です。

江田島4町の合併前に沖美町主体で作られた施設で、台風被害や海水浴客の減少など逆風を受けながらも、展望大浴場(循環型天然温泉)をそなえ、洗練された瀬戸の味を前面に江田島の魅力を残らず堪能できる宿泊施設として運営されています。

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ビーチの中央付近に大きな羽釜がセットされていますが、この巨釜は海水浴に訪れた方々のお昼ごはんを用意するものではありません・・・m(__)mです。

建てられた説明板によれば、「え、えぇ~~~。せ、説明板がなぁ~~~い。」

てっきり羽釜の説明板だと思ったのに、文面には羽釜のハの字もなく、その向こうにあるごく普通の岩の由来が説明されています。

弁慶岩
鎌倉初期の僧、武蔵坊弁慶がこの岩を厳島弥山、海抜530mの山頂から、沖の平家軍船に目掛けて投げたところ力余ってここまで届いたといわれ、以後もここに鎮座し、弁慶自慢の力もさすがと弁慶をしのぶ縁となっております。・・・と。

弁慶岩よりも羽釜の方が気になるんですけどぉ~。
もしかしたら、冗談じゃなくホントにお昼ご飯を焚く巨釜なのかも・・・ (^^;) です。

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2004年(平成16年)9月7日、山口県西部をかすめて北上した台風第18号は広島市においても14時20分に、観測史上第一位となる南の風60.2m/sの最大瞬間風速を観測しました。

この台風による風と高波のため国宝厳島神社の平舞台は波にあおられ四方に流れ去り、本殿の檜皮葺屋根は大きく剥がれ落ち見るも無残な状態となりました。
沖美町においても港湾などに大きな被害をうけたうえ、完成まもなかった「サンビーチおきみ」においても、船舶係留桟橋の崩壊、ビーチ砂浜の流出など一時はサンビーチ自体の存続も危ぶまれる惨憺たる被害に合いました。

画像は翌年4月、重機を投入し夏を前に急ピッチで砂浜の復旧工事を始めたころのものです。
(夫婦岩も、この18号台風の高波をまともに受け倒壊しました。)

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復旧工事が終了し、もとの静かな瀬戸の渚となりました。

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この沖はひっきりなしに船が行き交う主要航路、豪華巨大客船も大型タンカーも、外国の旗を揚げた軍艦も、潜水艦も、三本マストの大きな帆船も・・・です。

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長い長い砂浜に小さな小さな波が きらきら キラキラ きらめきます。 

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是長の北に伸びる海岸には、何故かすべてにカタカナの名前がついています。
カーサブルビーチ・ブルービーチ・グリーンビーチ・ニューブルービーチ・・・
以上、グーグル地図より・・・(*^。^*)です。

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続く、続くよ、ビーチはつづく ・・・です。

是長 入鹿鼻・四郎五郎

入鹿鼻・四郎五郎  
是長地区の長い海岸線には、背後に急峻な山がせまり僅かな平地しかないのですが、反面、自然美あふれる豊かな景観が今も各所に残ります。

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サンビーチおきみの白い砂浜から海岸をさらに北へと行った所の、断崖の先に特異な容の大岩が見えます。

今でも特徴のある大岩ですが、十年ばかり前に台風の大波を受けて破壊されるまでは、大岩の上にさらに二本の大石柱が高くそびえ立っており、その姿を夫婦が寄り添う姿にたとえ「夫婦岩」と呼ばれていました。

この付近の岩山は古くより砕石場となっておりましたが、さすがの石工さん達もこの「夫婦岩」に手を下すことは無く、江戸後期の「芸藩通志(1825年)」にも「メウト石」となって記載されております。

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上部の三分の二が台風の大波に折られてしまいましたが、いまも残った二つの大岩はしっかりと寄り添い支え合っています。

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「夫婦岩」よりさらに北へと進んだ先に、なんと「やもめ岩」があります。

先年の台風にも耐え、一人だけが寂しく残った「やもめ岩」です。

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夫婦岩ほどの大迫力はありませんが、岩盤にしっかりと根をはり気丈に立ちます。

入鹿鼻の沖を行き交う船や、カモメの群れを追いつつさらに幾百年、穏やかな瀬戸、荒れ狂う怒涛の瀬戸をただ一人見つめ続けることとなります。

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幾百年、幾千年、幾万年も不動かと思える花崗岩の岩山も、それは人の思う時間軸に当てはめてのことであり、人には無限とも思える時間も自然界にとっては一瞬間でしかありません。

目の前にみる花崗岩が、地下十数キロの深さでマグマ状の巨大な塊から、冷え固まったのが1億年ばかり前のことです。

その後比重の軽い花崗岩は次第に地表へと浮き上がり、さらにその上部を覆っていた堆積岩が浸食されて、ついさっき江田島市の基盤となって地表に現れたばかりです。

ついさっき現れた硬い硬い花崗岩が、もうすでに、台風の大波に打ち砕かれ、松の木の根っこで割られて崖下に落ちています。

その崖下に落っこちた花崗岩の大岩にウミウが羽を休めます。

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崖から落っこちた大岩の角が波に削られ丸くなるには、人にとっては長い長い歳月ですが・・・

さっき、その大岩の上に羽を休めたウミウは、わずか数秒でまたどこかへ飛び立っていきました。

で、余計なことですが、鵜飼に使われる鵜はカワウではなくウミウが使われるとか・・・(*^。^*)です。

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画像は昭和37年7月、県道の開通から2年後の様子です。

その後も何度か拡張改良工事が施され、西能美の動脈路となりましたが、その県道36号線の途中に「四郎五郎」とよばれる岬があります。

今はNPO法人所有の「夢来来」なる、休息&展望施設となって道行く人々の憩いの場とされていますが「四郎五郎」なる地名は、古く江戸時代の書にも記載があります。

「夢来来」の前に張り出された説明板によれば、安芸灘に出没する海賊に対抗し、鹿川の一郎、沖の二郎、畑の三郎、是長の四郎、美能の五郎らが協力し西能美の守りを固めてていました。

神出鬼没の海賊集団に対しては、より早い発見と迅速な現場到着は必至で、この岬は海賊を見張るための砦の一つとして、是長の四郎と美能の五郎とが共に利用したとされます。

彼らは個々に水軍を所有しており、のろしや松明、鐘や太鼓やほら貝などで互いに通報し合って協動、いち早い行動と勇猛な戦いは能美水軍の名を一挙に広めたと云います。

ちなみに、現在も伝えられる見張り場所として、鹿川との境である才越峠の南の「物見石」、畑港の防波堤付け根の「見張石」があります。

県道から谷に沿って分け入った先に「四郎五郎水源池」があります。

今はまったく使われることもありませんが、昭和40年6月江能水道組合が供給する太田川を水源とする上水が通ずまで、「四郎五郎水源地」からの水源は美能地区の人々にとってはかけがえのないものでありました。

是長地区で集水された水が隣の美能に供給されるきっかけは昭和31年に沖村と三高村が合併し沖美町が誕生したことや県道整備の進捗によりますが、美能地区の人々が切望する四郎五郎水源池からの給水が始まったのは昭和も34年となってからで、他に主水源をもたない美能地区の念願がやっと叶いました。

四郎五郎水源池が大切にされたのは僅か6、7年のことでしたが、その恩恵は計り知れないものでした。

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「四郎五郎」岬の先端部はナイフで切られたように垂直な断崖となっておりますが、その崖の一部には天然記念物に指定されてもおかしくない摩訶不思議な花崗岩の産状(崖の左上部分)がみえます。

わたくし的には摩訶不思議なその球体を「球状花崗岩」としましたが、岩石の専門家的には、球状花崗岩の特徴である白と黒の縞模様が見られないことから、捕獲岩としては特異な産状ではあるが「江田島花崗捕獲岩」とすべきで、詳しくはさらなる研究が必要うだろう。・・・ (^^;) と。

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赤い岩肌に直径が約10cmの球体が煎餅を並べたように何十個も繋がります。

この球体捕獲岩(江田島花崗捕獲岩)は長石質の赤い岩盤を割って貫入した岩脈で、岩脈の幅が1mくらい、長さは視認できる範囲で5mくらいあります。
岩脈は他にも何本?かあって海中に向かう脈も視認できます。

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わたくし的に「球状花崗岩」、専門家が「江田島花崗捕獲岩」とする球体のアップ画像、直径が12cmです。

はたしてどんなメカニズムでこんな奇怪な石ができるんでしょう。
自然は不可思議なり・・・(*^。^*)です。

是長 小黒神島・俎礁

小黒神島(厳島神社) 
小黒神島は是長地区の海岸からやく3km沖合に浮かぶ無人島で、周囲が約2km、山頂の標高は130m、島岸から数十mで水深が一気に30m前後と急激に深くなっており、また潮通しも良いため絶好の釣りやダイビングポイントとなっています。

俎礁(まないたしょう)は、小黒神島の北方やく1kmにある岩礁で満潮時には赤い灯台が見えるだけです。

小黒神島の島名由来などについて記された資料がないことを幸いに?、以下は私の勝手な妄想・・・ (^^;) です。

上記地理院地図に赤線を引いてみました。
厳島神社、小黒神島、大黒神島がほぼ一直線になります。

厳島神社は、推古天皇の御代に「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」を祀って建立された神社です。

宗像三女神は
1)福岡県宗像市田島の辺津宮に祭られている「市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)」
2)大島の中津宮に祭られている「多岐津比売命(たぎつひめのみこと)」
3)沖の島の沖津宮に祭られている「田心姫命(たごりひめのみこと)」
とされます。

厳島は、1)の市寸島比売命、イチキシマがイツクシマにあたり、2)の多岐津比売命、3)の田心姫命を海上の島にあてはめる必要があります。

宗像三女神は玄界灘を北へと一直線に1)宗像市田島、2)大島、3)沖の島と並びます。
つまりは宗像三女神を祀る厳島には当然沖へと一直線に伸びる2)と3)の島が必要となります。

厳島から、小黒神島、大黒神島へと南下する直線は、宗像大社から北の朝鮮半島に伸びる直線とは真逆となりますが、沖へと向かう直線であり、全くの模範では恐れ多きこととして、あえて逆向きの直線を作ったとも思えます。

黒神は黒髪にも通じ女性を意味しますし、大黒神島の最高峰は「櫛ノ宇根」で、これも女性をイメージしますし、さらに大黒神島には「宮城」「王泊」なる地名も残ります。

小黒神島あるいは大黒神島を探査すれば、あるいは沖ノ島で発見されたと同じ金の指輪が眠っているかも?ですが、島に分け入るなら神罰には十分にお気をつけください・・・m(__)mです。

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グーグルで見る宮島弥山山頂からの小黒神島(多岐津比売命?)、大黒神島(田心姫命?)への直線です。

この直線は夏至のころの太陽が南中する方向とも、ほぼ同じでは、???と、思うのですが???・・・(*^。^*)です。

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小黒神島と宮島の間は呉港や広島港に出入りする大型船舶の唯一となる航路です。

2014年1月15日、この付近をほぼ並走して航行していた、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ(8.900t)」とプレジャーボート「とびうお(5tくらい?)」ですが、運動性能に勝る「とびうお」が常識では考えられないような奇妙な航行を繰り返したのちに「おおすみ」と衝突し転覆、「とびうお」船長と乗船者のお一人がお亡くなりになりました。

運動性能の高い小型船の操縦者は、他船と見合い関係となる前に早め早めに転舵変速を行い、大型船等の航行を妨害しないように注意して、自船はもちろんのこと、すべての船が安全に航行できるよう譲り合いに努めましょう。

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ハマダイコンの花咲くビーチの向こうに小黒神島のしるえっと。

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砲台山登山道の中腹から見た、小黒神島と俎礁です。
俎礁(まないたしょう)は画像右の松の枝葉の間に針の穴よりも小さく写っています。

俎礁岩礁は干潮時以外姿を現すことは無く、黒地に赤い横帯の灯台が一本立つだけです。
ちなみに、灯台名は「安芸俎礁灯標」初点灯は昭和35年11月24日だそうです。

まだ灯台などなかった、日露戦争の当時、病院船ロヒラ丸がこの岩礁に乗り上げて動けなくなりました。
その救出作業中にさらなる不幸が襲い、2名の作業員が犠牲となりました。
「ロヒラかわいや、まないたの上で、一寸きざみにきざまれる」と、はやり歌もあったとか。

小黒神島にはその2名の霊を弔い地蔵様が置かれ、いまも付近の航海安全を願っているといいますが・・・。
「とびうお」遭難者2名の霊も合祀し、合掌・・・m(__)mです。

s-ろひら丸 
上記掲載画像および下記説明文は、HP「なつかしい日本の汽船」よりのコピペ・・・m(__)mです。

ろひら丸
ROHILLA MARU  3,081G/T
Lpp 117.75m B 12.29m D 8.15m 600NHP/3,386IHP 14kt
進水 1880.4.27(明13)
竣工 1880.6.2(明13) Caird & Co.,Greenock
1900(明33)東洋汽船(東京)に売却、ろひら丸と改名
1904.2.2(明37)日露戦争に参加。陸軍の病院船となる。
1905.3.30(明38)尾城汽船(東京)に売却
1905.7.7(明38)糸崎から宇品へ向かう途中能美島で座礁、船体両断して沈没

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美能外海漁港から見た俎礁です。
その向こうの砂浜は宮島青海苔海岸、浜の右奥に青海苔浦神社も見えます・・・(*^。^*)です。

是長 流川・林山川

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是長集落を流れ下る主な川として、流川と林山川があります。

南北に長い山肌と海岸線をもつ是長地区ですので他にも小さな谷筋を流れる川(水路)は両手ではとても数えられないほどになりますが、いずれの川も三日間の日照りで干上がってしまう細い細い水量でしかありません。

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人は電気やガス、ガソリンとかは無くてもまあ何とか生きていけますが、水がなければたとえその地が争い事のない穏やかな天国であっても、風光明媚な楽園桃源郷であっても、呑めや歌え踊りにあけくれる竜宮城であっても、そこで生活することはできません。

是長地区においても、川は人々に最も大きな恵みを与えるものとして、とても大切にされていました。
流川の川底はまさに、豪華日本庭園に敷き詰められた石畳以上に頑丈にそして美しく並べて作られています。

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中流域も・・・。

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集落の中央部も・・・。

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そして、そのまま碧い海まで流れ下ります。

しかし、先人が知恵の限りを出し合って作った美しい川の流れも、ひとたび生活排水が流れ込めばそれは一夜にして、どぶ川となります。

近年になり下水道整備が急速に進み、一時のどぶ川はしだいしだいに桃源郷是長の本来あった姿に戻りつつあります。

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いかに水をきれいに、そして有効に利用すべく努力しても、限られた面積に降る雨の量を増やす技術はありません。

しかも、降った雨水には強力な地球重力が作用し、あっという間に瀬戸の塩水に交じり合ってしまいます。

そこで考え出されたのが、水を溜めそれを必要に応じて有効に分配するシステムです。
古来より「水を制する者は国を制す」とかいわれ、つねに社会の最重要課題ではありました。

それが近年の大型土木機械や、送水装置、配管などの能力向上で、よりたやすい事業となりましたが、そのような大規模事業には賛成者もいれば、絶対反対と唱える人々も多くあって、なかなか・・・(^^;)です。

で、途中の経緯は知りませんが、沖美町地区の農業用地のほぼすべてに三高ダムからの水が常に継続供給されるシステムが完成しました。

アジサイの花咲く山際の細い農道にも、三高ダムから配送された農業用水が高い水圧をもって流れています。

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江戸時代につくられた往還道の地下にも、大口径の農業用水配水管が埋まっています。

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このマンホール蓋の下に埋まっているのが、水道管なのか農業用水管なのか下水管なのかは分かりませんが、水利用の大問題に常に真剣に取り組んだ沖美町の念願の結晶がこのマンホール蓋のデザインとなって現れ出ました。

カラー塗装のマンホール蓋は元沖美町役場の玄関にも飾ってあります。
「畑 元沖美町役場」 ・・・(*^。^*)です。

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365日、常に水不足に嘆く「瀬戸内海型気候」の島にあっても、ひとたび想定を超える雨量があれば、その勢いは凄まじいものとなります。

先年の大雨で砲台山の山肌が大きく崩壊、巨岩、巨木を巻き込んで一気に砠(そうわ)地区の田畑を押し流し、民家に迫る寸前で止まりました。

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広島県農林水産局、平成28年度予防治山事業渓間工事、工事番号No.7谷止工事業によってコンクリートの頑丈な砂防ダムが完成しました。

もっとも必要とされる水が、なぜに、もっとも恐ろしきかな・・・m(__)mです。
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