美能 美能外海漁港

美能集落の南にあるのが「美能外海漁港」です。

砲台山林道の中腹から見た美能集落と外海漁港です。
外海漁港は冬の北風には強いのですが、台風による南からの風波はまとも影響します。
今に見る防波堤が完成したのは平成14、5年の頃ですが、その直後の平成16年(2004年)9月に発生した台風18号の記録的な破壊力により防波堤先端付近の巨大なコンクリートブロックが根こそぎ倒壊、あらためて台風の恐ろしさを思い知らされることとなりました。
(翌年修復され、より堅牢な防波堤とされました。)

美能漁業協同組合です。
玄関脇に、代理業務のご案内として、沖美町収納代理金融機関・中国電力電気料金収納事務取扱店・日本電信電話公社収入金収納事務取扱店・日本放送協会送受信料収納事務取扱店・水道料金収納事務取扱店と書き出されています。
美能農業共同組合や簡易郵便局が業務休止となった今、頼れるのは美能漁業協同組合のみとなっています・・・(*^。^*)です。

港の背後には小径を挟んで、美能漁業協同組合と美能農業協同組合(現在休業中?)の建物が並びます。

元は長大な砂浜だったところですが、外海漁港を作るにあたり大きく埋め立てて荷揚げ場兼作業場ともなる大広場をつくり、その一角に漁協(JF)の燃料給油ステーション(兼ガソリンスタンド)も作られました。
さすがにJFの給油ステーションです。
船に給油するために岸壁まで燃料パイプを延長し、船から見える位置に燃料給油量の電光表示盤が取り付けてあります。

さらには給油ホースが浮き桟橋まで延長されており、カード式決済が可能なセルフ給油ができるようになっています。

昭和57年7月15日まで運行されていた高速連絡艇、「沖・是長・美能・三高・大須・似島・宇品」航路の美能桟橋待合所です。
内部はまだ綺麗で待合所として使えなくもないのですが、今現在は回収した新聞紙などリサイクル品の一時保管庫となっていました。

在りし日の、沖・宇品航路(畑港沖)を疾走する高速連絡艇「千鳥」です。
「第一千鳥」の要目です。
進水 昭和47年3月
トン数 27.03T
馬力 282PS
定員 34人
船体 鋼製・軽合金
船価 2,120万円
建造 三保造船所
昭和55年1月に日商岩井(株)に売却・・・です。
そもそも明治38年(1905)沖村の岡田岩吉氏が鋼鉄製62トンの蒸気船「海勝丸」を運行したのが当地近代定期航路の始まりであるとされますが、以後昭和57年の沖・宇品航路廃止までにはいつの時代にも様々な問題が多発、地域住民の誰にとっても有効となる交通の便を計るのは今も昔も一筋縄ではいかぬようです。
画像は沖美町史よりのコピペ・・・m(__)mです。

港の最奥に、電機モータ巻き上げ式のスベリが設置してあります。
漁船の船底掃除(カキ落とし)や船底用塗料の塗り替え、推進装置や舵の点検に使用されます。

港内の様子です。

牡蠣筏も余裕で係留できる大きな港です。

荷揚げ岸壁のほぼ中央部に魚魂碑が建てられています。
衆議院議員 灘尾弘吉 書
大海原をふるさととする魚介も等しく生命あり。
我等はこの生命の上に生活を築き、今日の繁栄をみる。
願はくば魚介の霊よ安らかに。
ここに追弔の誠と感謝の意をこめて碑を建立す。
昭和五十六年三月吉日
美能漁業協同組合
組合長理事 三浦裕直

昭和50年1月の美能外海漁港です。
連絡船着岸岸壁となる、スベリ傾斜のある防波堤がみえます。
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