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美能 広島湾要塞(大奈佐美島砲台)

s-DSCN1807 (2) 
人の本性はカマキリさんと同じです。

これは生物として形作られた最初の遺伝子情報に組み込まれおり、以来そのままに引き継がれている本性です。
攻撃があれば守りを図る、余力があれば反撃に出る・・・。

人類誕生のはるか以前から、生きとし生けるものが営々飽きることなく繰り返す生物の本能本性です。

ただ人間には仮想敵を予測しそれに対応する方策を予め準備できる能力が備わっています。
出たとこ勝負がよろしいか、それとも・・・です。

s-広島湾要塞 
「広島湾要塞」は直接には日露戦争(1904年2月8日~1905年9月5日)に備えたものとなりましたが、計画自体は明治新政府の富国強兵に始まり、具体的には1887年(明治20年)1月には、早瀬瀬戸・那沙美瀬戸の防禦計画が出されていました。

以下、ウイキペディアよりのコピペ・・・m(__)mです。

1897年(明治30年)3月 大那沙美島砲台着工・5月 鶴原山砲台着工・8月 鷹ノ巣低砲台着工

1898年6月 岸根砲台着工・7月 鷹ノ巣高砲台着工・10月 室浜砲台着工

1899年3月 三高山堡塁着工・室浜砲台竣工・5月 大君砲台着工・10月 早瀬第一堡塁・早瀬第二堡塁着工・11月16日 呉要塞砲兵連隊本部並びに第二大隊は、広島市段原村(現在の南区比治山本町)で事務を開始

1900年3月 大那沙美島砲台鶴原山砲台・鷹ノ巣低砲台・鷹ノ巣高砲台竣工・4月 呉要塞司令部設置・6月11日 呉要塞司令部が広島市段原村に開庁・6月 大君砲台竣工・8月 早瀬第二堡塁竣工・9月 休石砲台着工・岸根砲台竣工・12月 高烏堡塁着工

1901年3月 休石砲台・早瀬第一堡塁・三高山堡塁竣工

1902年4月 大空山堡塁着工 ・6月 高烏堡塁竣工


1903年1月15日 要塞司令部は移築工事のため広島市の野戦砲兵第5連隊営舎に移転・3月30日 要塞司令部は広島市段原村の新庁舎に移転・5月1日 広島湾要塞に名称変更・12月 大空山堡塁竣工

1926年(大正15年)8月1日 廃止

ちなみに、これら要衝は古来より防御や見張りの拠点として海賊が砦を築いたり、ペリーの来航以前にも広島藩による砲台の設置場所とされたり、先の二次大戦においても多くが軍事施設となって重用されました。

s-奈佐美砲台敷地図 
カマキリの投影図のようにも見える大奈佐美島(大那沙美島)砲台敷地図です。

大正15年に砲台としての役目は終わりましたが、その後も軍用地として残されており、一部は戦艦長門や、重巡古鷹などの予備品置き場とされていたようです。

s-奈佐美砲台・水雷衛所敷地図 
昭和十年ころの軍用地図です。

島の右側三分の一が水雷衛所、残りが大那沙美島砲台敷地として分けられています。
水雷衛所の役目は、海底に仕掛けた爆雷を敵艦船の通過に合わせて大爆発させることですが、先の二次大戦においてどのような役目を負ったかは不明です。

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大戦末期(昭和19年5月2日)大奈佐美島北部海岸にあった、「大那沙美兵器格納場之圖」です。
場内には「長門砲塔付属品箱物」「陸奥砲塔付属品箱物」「古鷹砲塔付属箱物」などが保管されていた様子です。

ちなみに戦後はGHQにより集められた大砲の砲身が山となって積み上げられていたと云います。

上記図面は「アジア歴史資料センター」よりのコピペ・・・m(__)mです。

s-S40奈佐美
昭和40年の大奈佐美島です。
島には農地の痕跡が見えますが、まだ緑豊かな瀬戸の島でした。

戦後払い下げられた国有地には、食料増産のための開拓団が入島して田畑を耕したと云いますが、雨水のみに頼る農業経営は過酷を極め、昭和45年ごろ土石採取業者に転売されました。

高度成長に伴い広大な工業用地を確保すべく、広島宇品近辺の浅海埋め立て事業が盛んとなり、大奈佐美島はその捨て石となって島は大きく蚕食されました。

s-S50奈佐美 
昭和50年の大奈佐美島砲台付近です。
赤〇内に砲台跡らしき影がうっすらと見えます。
大規模な土石採取も砲台跡までは及ばなかったようです。

船を手配しなければ入り込めない離島ですので、人為的な破壊は少なかっただろうと想像しますが、鉄材などはすべてはぎ取られており、また小舟で横付けしても砲台跡までの道は藪に塞がれ容易には近づけない状態であると聞きます。

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美能内海魚港の左が鶴原山、その右に砂州で繋がった小さな岸根鼻、奈佐美瀬戸で隔てられた先に大奈佐美島です。

ちなみに、「広島湾要塞備附砲兵器具不足品調査表(明治36年6月調)」によれば、大那沙美砲台の装備砲は「24加砲」が4門、岸根鼻砲台は「27加砲」が4門・「斯加式9速加砲」4門、鶴原山堡塁には「24加砲」6門・「9珊加砲」2門、三高山堡塁は「9珊加砲」4門・「28榴弾砲」6門・「9珊迫砲」4門がありました。

さらに大那沙美の守備隊97名、馬2匹、五十石積和船5隻、三十人乗り小舟1隻を運用、三高山附近(岸根鼻・鶴原山・三高山)の守備隊は196名で、馬2匹、五十石積和船12隻、三十人乗り小舟2隻を運用していました。

また訓練による緊急配備では民用汽船の徴用手配が出来ず、手漕ぎ船での配備であったために5時間のロスタイムが生じた。
物資、人員の迅速な移動を得るために、美能~中村(中町)間の道路整備を急ぐ必要がある。などなど・・・(*^。^*)です。
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