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三吉 三高恵美須神社

s-三高恵美須神社 
「三高恵美須神社」は貴船神社の沖に広がる干拓造成地の中、高祖地区との境界にあります。

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東を向いて建つ社殿の前には、「恵美須神社」「豊漁祈願」と刻まれた標柱が建ちます。

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社殿前にて「二拝二拍手一拝」・・・m(__)mです。

三高恵美須神社は昭和58年4月、三高漁協が中心となり新しく祀られました。
ご神体は木彫の恵比須様像で、美保神社(島根県美保関)の分神であります。
祭日は10月10日の頃とされており、祭事には中町八幡神社より神官を招いて執り行われます。

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台座や境内を囲う玉垣は花崗岩で組まれており、社殿の左右には阿吽の狛犬が配されています。

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神殿の沖側には昭和後期に大きく改築された三高漁港が広がり、その長大で頑丈な防波堤は台風や季節風による大波を一切寄せ付けません。

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昭和56年(1981)9月の三高漁港です。

後に三高恵美須神社となる用地は埋め立て工事が完了していますが、沖の防波堤はまだ工事中の様子です。

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平成初年には埋め立て造成工事が終わり、長大な防波堤も完成した現在の三高漁港です。

円形防波堤の高祖東漁港は跡形もなく埋め立て地の下に隠れてしまいましたが、昭和58年4月に完成した恵美須神社は防風林となる木々の間に白く輝いています。
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三吉 山神社

s-山神社地図 
木ノ下川両岸に並ぶ民家が途切れた先、古戸集落の最上流部、是長へと通づる古道の脇に「山神」と呼ばれ小さな社殿が建ちます。

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雨風を和らげるため、廻りを鉄骨トタン張りの小屋で囲み、イノシシなどの獣害を防ぐため、鉄柵の垣がめぐらしてあります。

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山神さま社殿の前に立ち「二拝二拍手一拝」・・・m(__)mです。

花生けには榊がさし入れてあり、神前にはビールが供えられています。
扉で仕切られた社殿内部は見えませんが、ご神体には石が据えられているとききます。

脇には先代の社殿と思われる、千木と鰹木を乗せた銅葺きの屋根が残してあります。

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山神社境内のすぐ下は、三吉から高松峠を越えて是長へと結ぶ旧道です。

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この付近は木ノ下川に沿って吹き上げる北風の通り道なのでしょう。
社殿の両サイドには、強風をさけるための厚いベニア板が打ち付けてあります。

山神社古地図 
芸藩通志「三吉村」絵図よりコピペの「徳正寺」と「山神」付近の拡大図・・・m(__)mです。
(黒く太い線は木ノ下川で、右が上流、左が北側で下流となります。右下の山には「藪?」と書かれていますので、矢竹用のお留山???、木ノ下川対岸の地名は「大ツケ」とあります。)

徳正寺の位置は今と変わりませんが、山神社は当時三高山の中腹付近に有ったようです。

山神社 
木ノ下川対岸の大附地区から見た、三高山(砲台山)と道路わきに建つ山神社です。

山神社が元あった地点は三高山中腹と云います。
その付近は下部からの花崗岩(深成岩)と、その上部に被さる玖珂層群(海底堆積岩)との境界部です。

一般に堆積岩の下部に花崗岩が上昇し接触しますと、高温高圧の熱水により花崗岩や堆積岩中の重金属が濃縮する傾向にあります。

江田島市でいいますと、江田島津久茂鉱山、高田畑鉱山において少量ですが金、銀、銅、鉄が産出されました。
また、木ノ下川上流には鉄山が、さらに三高ダムの右岸には良質の石灰岩が産出し、ごく少量ではあるが金が採取されたとのうわさ話も耳にしました。

と、すれば・・・この地に「山神社」が祀られたそもそもは、遠い遠い昔、三高山中腹において金銀が採掘されていたのでは?・・・。

高祖宝原川の水源近く、神の久保と呼ばれる谷の奥に、財宝が土中深く隠されているとの伝説も、まんざらのつくり話じゃないのでは???・・・(*^。^*)です。

三高山はいま黄金色に染まろうとしています。

三吉 荒神社(寺山観音堂跡)

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「荒神社」は木ノ下川の左岸、千城原集落の中心部にあります。

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荒神社の社殿は一般民家の庭先、母屋の真正面に建ちますので、「こら~、下着どろぼ~~」とか叫ばれたらどうしましょう。って、ヒヤヒヤしながらお参りをさせていただきました・・・(*^。^*)です。

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今の社殿名は「荒神社」となっていますが、かってこの位置には「寺山観音堂」があって、いまだにこの付近を「かなんどう」と呼ぶ人も多いといわれます。

観音堂から荒神社へと変わった時期は不明ですが、それまで堂内に置かれていた観音像は古刹徳正寺の経堂にて安置されています。
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正面より拝する荒神社の全容です。

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社殿に乗る瓦は近年になり新しくふき替えられた様子ですが、その下に付けられた懸魚など木造部は積年の風雪を受けて深く彫りとられ削りとられています。

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小さな社殿ですが、細部にわたり手の込んだ装飾がなされています。

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上に乗る重量物を受けとめる肘木にも丁寧な細工がほどこされています。

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円の内に彫られているのはアゲハチョウのようです。

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拝殿と本殿とを仕切る格子戸です。

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格子戸を開きますと台上に本殿が据えられていましたが、ご神体には目隠しがされております。

まぶしさに目がくらむといけませんので、目隠しはそのままで「二拝二拍手一拝」・・・m(__)mです。

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荒神社社殿の横には、お地蔵様が二体仲良く並んで置かれています。
その足元には、春の柔らかい日差しが注ぎ、一緒に添えられた菜の花とねこやなぎが賑やかにはしゃぎ合っていました・・・(*^。^*)です。

三吉 島神社

s-島神社 
三吉地区は西能美島の中央部を南から北へと流れ下る「木ノ下川」と、そのすべての支流域を占有しており、江田島市内にあってはもっとも水量の豊かな地域です。

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「島神社」は西に隣接する高祖地区との境界線ともなる、「柳之前川」の上流部に建てられました。
その創建は新しく、昭和も後期となってからのようですが、・・・。

島 神 社
御祭神 信行大神(のぶゆきおおかみ)また御名を天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
相殿 大山祇(おおやまづみ)大神・木花咲耶(このはなさくや)姫尊・他十一神を合わせ祭る
御 由 緒
当社は宇宙全圏の獨神天之御中主大神様を御祭神として奉斎してあります。
その昔三高水源地の奥に滝があり、竜神様を祭る社があったと云われています。
第二次大戦中、鉄の不足により滝のあった山が鉄山ということから一帯を掘り起こし跡形もなく消えてしまい、現在は草に埋もれた石積の社の跡が残っているだけになっています。
古人の話によると、この里には井原という郷族が住んでおり、後に南郷という郷族が入って来て支配したといわれます。
入江を多くもつ能美島は水軍の根拠地と適しているためいろいろな種族の水軍が奪いあった島であろうと推測されます。
大君の王泊には石棺等が出土し、山の尾根尾根にはのろしを上げたであろうと思われる所に宮の跡や地蔵様を残す所、多数見あたり城の名のついた所、戦いのあった跡を示す地名も数多く残っており、強者達が上陸し去って行ったという古い歴史の跡が伺われます。
当社の初代社主は南郷という郷族の血を受け継ぎこの里で誕生しすぐに朝鮮に渡って成長、戦後長崎に帰って来ましたが、度重なる不幸に合い神仏に救いを求めたのが此所に入った始まりであります。
いろいろな信仰の門をたたき歩き神道教教祖古賀天明管長の尊い導きにより信行大神様に一心におすがりしている時に「余は竜神なり三吉の里にて大神を祭られよ 余も助ける人の身救うて我身救わるものなり」との御託宜があり、滝の跡地より谷を一つ西北に移すこの地を求め「天地?・・・せる神天の中平にあって天地一切を主宰する神?・・・天地創主唯一絶対神」であります。
天之御中主大神様を鎮祭されたことに始まります。
「大自然の動きの中に人は皆悉く神の子として生かされ自然に逆行する生き方は不幸を招くゆえに大自然の中に自我を捨て無理なく生きることこそ人の道(道理)であり人の道が神の道である。」という。
誠の信仰を私達に伝えんとして、あらためて御降臨になられ信行大神と別名を自らなのられました。
故に天之御中主大神を信行大神と唱え奉斎し、相殿に大山祇大神・木花咲耶姫尊を配祀してあります。
昭和五十九年甲子年霜月吉日
神道信行教 島神社社務所

以上、判読が不能な文字は未記載です。誤字脱字ありましたら・・・m(__)mです。

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鳥居の傍には山水が引き込まれており、大岩の上から流れ落ちるように設計されています。

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鳥居をくぐる前に、龍口より溢れ出る手水をいただきました。
山水の落ちる大岩の下では滝修行もできるように、滝つぼにはお立台となる大石が据えられています。

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鳥居を潜りぬけると直ぐに急こう配の石段となります。

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急な石段を登り終えると左右に長く羽を拡げたように拝殿があり、その中央奥に本殿が見えます。
拝殿の庇に提げられた大きな鈴を鳴らし、「二拝二拍手一拝」・・・です。

ちなみに、神社と鈴の関係についてプログ「神社ナビ」よりコピペをさせていただきました・・・m(__)mです。

神社によっては鈴を吊るしていないところもありますが、この鈴は本坪(ほんつぼ)鈴とも呼ばれており、鈴を鳴らすための紐は鈴緒(すずお)といいます。
お参りをする人が鈴を鳴らすようなったのは江戸時代後期となってからですが、それ以前より神社と鈴とは深い関わりを持っておりました。
神楽舞にも鈴が用いられており、古くは巫女が神憑りするために鈴を用いて神楽を舞ったのが始まりとも言われています。
発祥地、発祥時期は不明ですが、土鈴と呼ばれる鈴は金属が用いられる以前からすでに土を焼いて作られており、日本でも縄文時代の遺跡や古代の祭祀遺跡から多くが発見されています。
鈴の清らかな澄んだ音色には、悪いものを祓う力があると信じられてきました。
拝殿前に吊るされた鈴も、お参りする人が鳴らすことで祓い清めるという意味を持っています。
巫女による神楽舞も神憑りのためであったものが、現在は神様に奉納することでお慰めするという意味合いが強くなり、神楽舞の後で鈴振りを行うことで参拝者を祓い清めるとともに、神様のご加護をいただくという役割を果たしています。
それ以外でもお守りに小さな鈴がついていたり、干支を象った土鈴などには魔除けや厄除け、開運などの意味が込められます。

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拝殿前の広場は木の葉一枚残さず綺麗に掃き清められています。

それにしても、このような左右に長い廊下のような造りの拝殿は初めてみました。
とても斬新的で素晴らしい発案だとおもいます・・・(*^。^*)です。

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拝殿へは左右に付けられた階段を上ります。
拝殿からですと、まじかに本殿を仰ぐことができます。

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幣殿前に貼られたしめ縄の下にて、再度拝させていただきました・・・m(__)mです。

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左右に細長い拝殿を横切り、その右側に付けられた階段より広場へと降りてきました。

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境内の前は高祖から三吉中心部へと繋ぐ農環道が横切っており、満開となった桜の枝下には、はるかな沖に大奈佐美島や宮島が遠望できます。

ちなみに、「柳之前川」に架かるこのコンクリート橋、高祖側の欄干に付く名板には「こうそばし」とあり、三吉側の欄干には「柳之前橋」1979年3月 広島県 道示(1972)一等橋 と、二つの違った名板が付けられています???・・・(*^。^*)です。

高祖 古地図(芸藩通志)

s-高祖村AAA 
画像は「芸藩通志」文政8年(1825年)をコピペし、地名を書き加えたものです。

コピペ精度不足により読み取りが不能となった文字は未記載、あるいは創作して書き加えています。
正確には「芸藩通志」をご覧ください・・・m(__)mです。

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芸藩通志記載「高祖村」の原画(コピペ)・・・m(__)mです。

現在の地名である鶴原、亀原、豊作原、宝原は表記されていません。

高祖(切り取り) 
「高祖」地区の拡大です。

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芸藩通志「高祖村」集落部の拡大図です。

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画像は昭和56年(1981)9月27日の高祖地区航空写真(国土地理院)です。

この当時、すでに農業は次第に衰退の方向へと向かっていましたが、農道の整備は大いに進展しました。 

オレンジや牛肉の輸入は、政策により昭和39年のころより順次輸入量を増やす傾向にありましたが、いわゆる日米貿易摩擦やウルグアイラウンドによる規制緩和、農産物の自由化により一挙に推進されることとなりました。

島内の劣悪な農業環境であっても、より高品質なものをより低コストで生産しなければ競争に勝てない状況となり、ならば、機械化による省力農業を果たそうと、山を削り谷を埋めて農道を整備しましたが・・・。

ただ、近年になり三高ダムより給水される安定した農業用水が沖美町全域で利用される環境が整い、一筋の光明がしだいに何本にも枝分かれし始めています・・・(*^。^*)です。

高祖 いいとこ撮り 2/2

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高祖農道から見た高祖宝原(こうそほうはら)地区と、海の向こうに霞む対岸は広島市五日市方面です。

ちなみに、先に紹介した美能地区の西半分が鶴原、東半分が亀原、そして高祖地区の西半分が豊作原で東半分が宝原と呼ばれます。
鶴、亀、豊作、宝と、この地域の地名には、とてもおめでたい名が付けられています。

さらに、宝原川(ほうはらがわ)の水源付近、神の久保と呼ばれる昼でも暗い谷の奥には、財宝を三つの水瓶に分けて土中深く隠されているとの伝説も残ります・・・(*^。^*)です。

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沖に見える左右に両翼を広げた島は似島で、安芸小富士の頂部が見えます。

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満開の梅の花と三高港、右奥は似島です。

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桃の花と、沖には大奈佐美島が見えます。

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ビニール温室の向こうは三吉地区、島神社に植栽されたソメイヨシノが満開です。

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段々畑で作られている野菜は、キャベツ、ハキサイ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ、・・・早生エンドウもツルが伸び始めています。

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山の中腹に残された、マチュピチュ遺跡にも匹敵するくらいに貴重な高祖の段々畑です。

かって、昭和の時代には山の頂近くまで迫った耕作地も、今や、その9割9分までが元の自然状態へと回帰し、イノシシやアナグマ、タヌキの楽園となっています。

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高祖地区の背後にそびえ、沢山の山桜で彩られた三高山(砲台山)、標高は401,8mです。
山頂部から右に下がる緩やかなスロープが三高山堡塁(砲台跡)となります。

 
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民家の屋根越しに見た三高山と、三高山堡塁です。

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農家の納屋(裏側)です。

石垣で囲われた半地下の部分は、山から集めた落ち葉や稲藁などに、家畜の糞尿などを混ぜて発酵させ、たい肥を作る「こなしや」または「落としばんや」と呼ばれる部屋です。

ちなみに当地において化学肥料が全盛となったのは昭和40年代となってからで、江戸の昔より不足分の肥しは広島市内に求め、ゴミ船、肥船を仕立てて大量に運び入れていました。

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農作業小屋の壁に特殊車両が展示?されていました。

稲や麦を刈り取り束ねることのできる革命的な農作業支援機(小型コンバイン)だと思いますが?・・・(*^。^*)です。

高祖 いいとこ撮り 1/2

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高祖地区を東西に走る県道36号線沿いに、誰もが疑問に思う赤煉瓦造りの地下壕があります。

地下壕には赤煉瓦で補強装飾した入り口が三つあり、この日道路側の一番大きな地下壕内には小型ボートが一隻と、前後に大きな籠を装着したママチャリが一台、展示(格納?)されていました・・・(*^。^*)です。

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この地下壕の入り口は、アーチ状に煉瓦を積み上げて丁寧に造られてはいますが、軍事用としては入り口が三つもあるのに内部空間は僅かしかなく、使用目的がはっきりしません。

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で、たまたまお会いした近所にお住いのご婦人にお話を伺いますと、「防空壕です。壕が掘られている小山の上にお住いの方の私有地で、主にはその方が主導して造ったもので、非常時には近隣の人々も一緒に防空壕内に退避しました。」と。

なるほどぉ~。
小山の上にお住いの御主人、子供時代の秘密基地づくりの感性、遊び心を大いに発揮し、だれにも遠慮することなく嬉々として掘り進んだのでしょうね。
平時ならきっと奇人変人扱いですが、戦時下ならご近所さんも手助けをしてくれて・・・(*^。^*)です。

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画像は赤レンガ地下壕の、すぐ近くに建つ民家を囲う赤レンガの塀です。
江田島市内においては今でも、家の土台や壁、塀などに多くの赤レンガが残ります。

沖美町史によれば、能美近隣におけるレンガの製造は、高祖の住人である三浦小太郎氏が大阪で学んだ技術をもとに、明治30年頃より始めた輪環式煉瓦製造業が成功をおさめたことに始まるとされます。
初期の高祖地区に開いたレンガ工場に加え、現三高中学校地と木ノ下川下流西側との二ヶ所にも工場を増設し、年間1080万個の赤レンガを製造、従業員が270人にも及ぶ県下最大のレンガ工場を成しました。

その後、昭和初期に始まった世界恐慌のあおりを受けしだいに衰退する状況にありましたが、昭和9年ごろより耐火レンガの製造を開始、月産量500トンにまで業績を回復、第二次大戦中は軍需によりフル操業での生産を要求されましたが、敗戦後の昭和21年、大量の生産余剰品を残しすべての工場が閉鎖されることとなりました。

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高祖西漁港の近くに花崗岩石材を巧みに組み上げ、アーチ状の門を開けた石垣が残ります。

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この石垣が造られた当時、その沖側には砂浜?が、あるいは干物干し場?が広がっていたか、それとも、雁木(石段)があって、直に船からの荷下ろしが出来るように作られたものか???です。

くぐり抜ければ別世界へと通づ、不思議の国のアーチ門・・・(*^。^*)です。

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秋風が流れ下る石垣の小径に、コスモスや百日草が絶え間なく左右に揺らぎます。

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宮崎駿氏の作品「となりのトトロ」に出てきそうな雰囲気が漂う、超ノスタルジックなお家です。

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高祖地区を横断する幹線道路県道36号線は、市内でも稀なくらいに狭くて曲がりくねっています。

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狭く曲がりくねった県道36号線ですが、昭和の時代にはその狭い道の両側に各種商店が軒を連ねていました。

その中には電気屋さんもあったのでしょう。
ヒロシマランプと書かれたブリキの看板が軒下から取り外され、側溝のひび割れた箇所に蓋代わりに置かれていました。

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県道36号線のネックとなっていた高祖地区を横断する狭い道路も、今、海岸沿いに新しくバイパスとなる道路の工事が着々と進行中です。

高祖 カキ養殖抑制棚

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西に隣接する美能地区から、高祖、東の三吉地区にかけての海岸線には遠浅の地形が多く残っており、その遠浅の海域を利用してカキ養殖のための「抑制棚(よくせいだな)」が広く設置されています。

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高祖海岸に設置されたカキ抑制棚です。

画像撮影の時期は2013年の9月中旬、ホタテ貝の表面に付着したカキの幼貝が抑制棚にぎっしりと吊り下げられています。

カキ養殖における「抑制棚」の役割は、カキの成長を抑制して出荷時期の調整を行ったり、環境適応力のある強健なカキを生産することにあります。

カキの養殖法には多種ありますが、近年の一般的養殖においては、7~9月ごろにホタテ貝の貝殻を海中に入れ、かきの幼生(約0.3mm)を付着(採苗)させます。

採苗ができた連(ホタテ貝を針金で綴った120cmくらいの連で採苗器とも呼びます)を上記画像のように抑制棚に吊るし、風雨や日光に当てて環境の変化に強い丈夫なカキをつくります。

出荷する時期に合わせて採苗棚から取り外し、ホタテの貝殻(幼カキの定着した)約40枚を一組として、9mくらいの長さの筏用垂下連に作り替え、水深のある沖の筏に吊り下げて本養殖を開始します。

翌年の年内に出荷(イキス)する場合は秋に、翌々年の春に出荷(ヨクセイ)する場合は採苗翌年の春先に抑制棚から取り外し、筏垂下(本養殖)に切り替えます。

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上記説明図と説明文は広島市水産振興センターHPよりのコピペ・・・m(__)mです。

ワ カ
昭和18年から43年頃まで行われていた方法で、一年以内に収穫ができるのでワカ(若い)と呼ばれます。
イ キ ス
採苗、本垂下後、1シーズンの育成期間を経て収穫する方法です。主にシーズン前半~半ばに出荷されます。
ヨ ク セ イ (早吊、早通しを含む)
その名の通りイキスより長い抑制期間を経て本垂下する養殖方法です。ヨクセイは主にシーズン後半に出荷されます。
ノ コ シ
ヨクセイ養殖のかきを翌シーズン最初の出荷時用に残しておく養殖方法。
フ ル セ (残し種・種残し)
イキスは採苗した種を9~10月に本垂下しますが、フルセは種のまま、もう一年抑制を行ってから本垂下する方法です。収穫パターンはイキスと一緒です。

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上記及び以下の抑制棚の画像は2015年7月のものです。
採苗連(採苗器)は筏による本垂下用にすべてが取り外された跡の状態で、海面には抑制棚の骨組みだけが残ります。

もうしばらくすれば採苗連(採苗器)がびっしりと隙間なく取り付けられるはずです。
ちなみに、2014、2015年は6,7,8月の降雨量が少なく採苗が不良の年だったと云われています。

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左の島影は大奈佐美島、沖を行く護衛艦のシルエットは「さみだれ」です。

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アート・・・(*^。^*)です。

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・・・(*^。^*)です。

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・・・(*^。^*)です。

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沖のカキ筏と抑制棚との間をカキ作業船が何度も行き来します。

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・・・(*^。^*)です。

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新しいカキ筏を設置したり、筏の移動作業を専門とする作業船「第三十二大生丸」です。
後部クレーンに巨大なコンクリート製のアンカーを吊り下げ、指定位置へと運搬中です。

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三高港沖の安渡島と似島の間を三高発、宇品行きのフェリー「入船」が滑るように沖へと進みます。

春の海 ひねもすのたり のたりかな ・・・(*^。^*)です。
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