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その8 天狗の足跡と水晶 (大柿町大君)

江田島市の最南部、陀峯山山系の東側に「天狗岩」と呼ばれる、おどろおどろしい岩山があります。

この岩山が天狗岩と呼ばれる由縁は奇怪な姿形からだけではありません。

山頂近くの硬い岩盤には直径が3、40cmの穴が無数に開いており、それらの穴は天狗様が引島を引っ張り寄せるときに踏ん張った足跡だと云います。

この岩山、元々は今の陀峯山よりも高くそびえており、遠く広島の町や港、四国松山までもが見渡せる高く険しい山じゃったそうな。

それゆえ全国から体力自慢の修行僧が集まり、日夜素足で岩山を駆け巡り、また大きな岩塊を持ち上げては海に投げ落としたりと互いに力を競っていたそうな。

地元大君の住民は、彼ら修行僧が夜中に大岩を蹴っ転がす音や不意の甲高い奇声に悩まされていましたが、修行のために集まり鍛錬を重ねる姿には文句も言えず、千度にわたる彼らの奇行を天狗になぞらえ、「なんせ天狗様のなさることじゃで、しょうがなぁ~のぉ~、こらえにゃ~のぉ~」

でもまあ、天狗様が夜中でも奇声を上げて走り回っているものですから、山賊、海賊の類も恐ろしがって寄り付くこともなく、それなりの平和が保たれており、むしろ他所からの移住者も増えてきました。

当時の人々や産物の行き来には船が一番なのですが、あいにくと大君には良港といえる船着き場がありませんでした。

とくに台風などの南風はまともに当たりますので皆が往生しておりました。

すると誰いうこともなく、「力自慢の天狗様に防波堤を造ってもらやぁ~のぉ~」
「そうじゃ、そうじゃ、天狗様ならええごとにやっちくれるじゃろうて」

で、恐る恐る岩山まで出かけ天狗様に相談を持ち掛けてみました。

「おお、よ~ぉわかったで」「わしが一人でも、まあなんとかなるじゃろう・・・よし、やってみるかのぉ~」

と、まあ話はとんとん拍子に進み、今の江田島町江南の南に突き出た秀崎の半分に縄を掛け、遠くが見渡せて足場のしっかりした岩山(のちの天狗岩)の上から引っ張ることになりました。

始めは一番の力自慢を誇る天狗様が一人で引っ張ってみたのですが、顔を真っ赤にして頑張っても、うんともすんとも。

「おい、おい、われらもてご~せんかいや」で、近くにいた4、5人の天狗様が加勢して引っ張ってみたのですが、まだまだ・・・。

「こりゃあいけんのぉ~、もち~っと呼んでこいや~」で、国中の天狗様が集まり縄を引き始めますと、やっとのことで秀崎の先端が動き出し、少しずつですがこちらへと寄せてきます。

大君の人々もみんな集まり加勢しますと、秀崎は餅のように伸びながらも少しずつ寄ってきます。
「もちっとじゃ~、きばらんかぁ~い、そぉ~~~れ」

ぶっ、つ~~~ん。

ここまで秀崎を引っ張って来た縄は山野に轟く大音響とともに切れ飛んでしまい、秀崎の先端は柿浦の沖を通り越し大君の集落にやっと届いた場所で動かなくなりました。

国中の天狗様が力を入れて踏ん張ったせいで岩山自体が大きく沈み込み、足場となった岩山は陀峯山よりもうんと低くなりました。

のち、この岩山は天狗岩と呼ばれるようになりましたが、天狗岩付近の硬い岩盤には天狗様が踏ん張り足がめり込んだ穴の跡が無数のこりました。

この大騒動で強く踏み固められ縮んでしまった天狗岩から絞り出され晶出したのが水晶であるとされ、戦後この地を遠足で訪れた小学生らは各々ポケットが破れんばかりに水晶を拾って帰ったと、地元古老の自慢話となっています。

全国の天狗様が秀崎から引っ張ってきた島を「引島」と呼び、大君の集落からは少し北に外れますが、その後は立派な防波堤となって台風を防ぎ、ごく最近までは市営桟橋もあって多くの人々に利用されました。

とうない七ふしぎ その8「天狗の足跡と水晶」、足跡は果たして天狗様が島を引っ張ったときの足型なのでしょうか?、水晶はこの時の大騒動で天狗岩から絞り出されて晶出したものでしょうか?

江田島町江南の秀崎を大勢の天狗様が引っ張って来たのが引島であるとするのは眉唾な話ですが、地元大君には他にも鬼が引っ張ってきたとする話も残っています。

が、地質図から判断しますと、風化に耐えて秀崎を形成する花崗斑岩の岩脈は、柿浦沖では海底に沈みますが、そのまま真っすぐに南下し、引島まで続いています。

天狗様や鬼が引っ張って来たわけではありませんが、何千万年か前に後の日本国となる骨格自体が引っ張られたおりに生じた亀裂に沿って貫入した花崗斑岩の岩脈が江南の秀崎から大君の引島まで真っすぐに続いています。

ちなみに、江田島市内の山の尾根、○○鼻(岬)、○○崎などには、廻りの花崗岩を引き裂いて新たに貫入した花崗斑岩が風化に耐えて残ることが多いようです。

では、天狗岩の岩盤に開いた無数の天狗様の足跡は?、となりますが、これは晶洞と呼ばれるもので、とくに足跡の多く集まる部分は花崗岩質マグマが固結する際に最後まで残った液状成分がこの付近に集中し沢山の気泡とかを含んで固結、のち沢山の気泡は昌液で満たされ、それぞれに小さな水晶や長石の結晶をつくり出しました。

それでは、戦後間もなくの天狗岩周辺で、なぜ沢山の水晶が取れたのかについてですが、それは、この地が軍の管理下にあって、一般人の立ち入りが禁止されていたことによります。

ちなみに、当地のことを記した江戸時代に書物「芸藩通志」には、「水精 国郡志曰 佐西郡能美島産水精 今在大原村山中・・・」とあり、この付近の山中で水晶が取れることは古来より自明のことでありました。

ところが、江戸時代も末期、国内各所に黒船が現れるころとなると、内海とは言え海に面した広島藩、水道などの要所には見張り台をもうけ、さらに砲台までも設置することとなります。

まあ、このころは入山までをも禁止することはなかったようですが、やがて明治政府となり富国強兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、大東亜戦争へと続きます。

此の地が呉要塞あるいは広島湾要塞として音戸瀬戸・早瀬瀬戸・那沙美瀬戸・大野瀬戸に要塞砲台の設置が検討された1877年(明治20年)から、そう間を置くことなく付近一帯の山々は一般人の入山をかたく禁止することとなりました。

大東亜戦争に敗れ軍が解体となるまで、ここらの岩山に入って水晶を掘り出すなんて大それたことをする人は誰もいませんでした。

と、言うか、そのころは全国各地で数百の鉱山が稼働しており、多くの鉱山では鉱石に付随して産出する水晶なんて普通でただの石、せいぜい子供のおもちゃ、わざわざ水晶だけを目的に穴を掘るのはほんの僅かで、よほどの高品位水晶でないかぎりは価値がありませんでした。

まあ、そんなこんなで天狗岩の水晶は大砲を構えた軍隊によって厳しく守られていました。

戦後、軍の遺構とか管理地の開放があり、珍しさも手伝ってか小学校の遠足コースとなりました。

たまたま訪れた天狗岩で沢山の水晶ガマ(晶洞)を発見、水晶が半分むき出しで埋まっていたのをわんぱくな学童らが木の枝で掘り起こし、ポケットにぎゅうぎゅう詰めにし、校歌を歌いながら意気揚々、天狗様の隠し置いたお宝を持ち帰っていきました。

綺麗な水晶が沢山詰まっていた水晶ガマは、天狗様の足跡があったところから少し上った天狗岩の頂上付近で、このあたりの岩山は天狗の足跡がある付近よりも、もっと固く締まった岩質で水晶となるケイ素成分がゆっくりと供給され長い時間をかけて固まったようです。

ちなみに天狗山の元となる花崗岩は1億年ばかり前に地下10km付近に直径10kmくらいで風船のような形をしたマグマから発生しました。

このマグマが熱いまま上昇し地表に到達すれば巨大な火山となるのですが、上部に玖珂層群と呼ばれる厚い堆積岩があり、たとえるなら圧力釜の蓋をされた状態でおおよそ1億年をかけてゆっくりと冷やされました。

その間に日本列島の骨格は中国大陸から分離、日本海ができたり瀬戸内海ができたりと・・・。

ちなみに、同時期である1億年ばかり前に、勢い余って地表まで達し火山噴火したのは呉市の焼山~野呂山のあたりです。

話が前後しますが、一般的マグマの直径が10kmとはいっても、その中には沢山の小球体を含んでおり、まあ、数百数千のタマネギを大きな袋に入れたような状態、そのタマネギの一つが天狗岩です。

水晶がつくられる晶洞はそのタマネギの下部や中心部にできることは無く、タマネギの頂部の皮1枚目とか2枚目3枚目くらいのところに発生するのが普通です。

その皮と皮との間にできた晶洞と呼ばれる空間の中で、数万年単位の時間をかけて水晶はゆっくりとつくられるのです。

天狗岩の頂上は今まさにタマネギの皮で3枚目くらい、もっとも晶洞のできやすい場所だったのです。

この皮一枚が風化によって剥がされて行くのには数百年はかかると思いますが、また別の山の頂では新しい皮が現れその皮の下には未知の水晶が眠っているのでないかと・・・(*^。^*)思います。


地質調査所発行5万分の1地質図(江田島町江南の秀崎から大柿町大君の引島・天狗岩の地質図です。花崗斑岩の細い岩脈が秀崎から引島まで真っすぐに伸びています。江田島市は、江田島花崗岩・音戸花崗岩・呉花崗岩の深成岩からなり、宇根山周辺と津久茂山頂部に玖珂層群と呼ばれる海底堆積岩が乗っかっています。)
無題 

20200228(天狗岩頂上部付近には、天狗様の足がめり込んだ跡となる直径30cmくらいの穴がボコボコと無数に開いています。って、実はこれらの穴は晶洞と呼ばれるもので、その穴の中には水晶や長石の結晶がたくさん入っています。ただ、この付近の晶洞は結晶の成長にはあまり条件が良くなかったようで、内部は不完全な水晶片やボロボロとなった長石がほとんどのようです)
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20200228(天狗様の足跡付近から天狗岩の頂上部を写したもので、いかにもおどろおどろしい岩山となっています。戦後地元の小学生がポケットに詰め込んだ水晶は天狗岩頂上部付近の固い岩盤から出たもので、今もこの付近には当時のわんぱく学童が掘りちらかした水晶片などが残っています)
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20200228(天狗岩の頂上から南の方向を写したものです。眼下は恐ろしいほどに切り立っており、南へ長く伸びる白い砂浜は長浜海水浴場、対岸は倉橋島です)
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20170503(秀崎の側からみた引島北端部の灯台です。引島は東西の幅は50mですが南北には300m近くまで引き延ばされた特異な島で全島が花崗斑岩からなり、大君の元市営桟橋の沖合200mに浮かびます)
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20160328(丘の上から見た大君の元市営桟橋付近と、その沖合200mで防波堤となって風波を遮る引島、対岸右は倉橋島、引島の後方は呉市の工場地帯です)
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20160328(元市営桟橋の近くで係留されたままの「平安丸」です。1968年11月の竣工で総トン数が135t、僚船「こがね丸」とともに大君から柿浦経由で元の呉海軍工廠であった、IHI呉造船所や日新製鋼所への通勤船として運行され、最盛期には毎日七、八百名もの工員さんを送り迎えしたそうですが、2009年4月をもって大君や柿浦から呉方面への航路は全廃となりました)
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20170410(大君の街並みとその先に浮かぶ引島、はるか遠景は呉市となります)
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20091125(天狗岩と同じような条件のタマネギ岩は陀峯山山系には他にもたくさんあり、たまたまその中のひとつが風化により皮が剥がれたあとに黒紫の連晶水晶が頭を出していました。天狗様が隠し置いた天狗岩の晶洞には、もっともっと大きくて立派な水晶があったことでしょう。その大きくて立派な水晶は、きっと遠足で学童たちを引率した教頭先生のポケットに入り、いまは立派なお屋敷の床の間で天狗様のお面と共に飾られているんじゃないかと?・・・(*^。^*)です)
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その7 四郎五郎の見張り台 (沖美町是長)

沖美町是長の海岸をくねくねと縫うように走る県道36号線を北上しますと、美能の少し手前に四郎五郎と呼ばれる鼻(当地ではこのような海に飛び出た地形を岬とは呼ばずに鼻と呼びます)
があります。


能美島の西海岸沖は商業都市広島宇品港への南の出入り口として、また早瀬や音戸を通過できない大型船舶の必須航路として昔も今も多くの船舶が間断なく往来します。

いつの頃でしょう・・・ずぅ~っと昔の話、都では権力闘争に明け暮れる日々が何年も続き、地方の諸事などまったく顧みることのない時代がありました。

都の騒動は当然のごとく地方に波及、より一層の修羅を見ることとなります。

日照りが続き水不足となれば、村々あるいは個々で我先にと水利を争うこととなりますが、公平な権力行使のできる分配者がいないとなれば、皆が力ずくでとなり、それに敗れれば敗者集団を組織してさらなる力ずくに及ぶことは必至です。

敗者集団となった、山賊野盗一味、海賊一味、それら山賊海賊の集団を追い払い利権を守るには、各村々や浦々で対抗組織をつくる必要があり、それで足りなければ、その村々浦々が連携した、さらに大きな集団を組織しなければならなくなります。

そのようにして大きく大きくなったのが、まあ、日本国となるのでしょうが・・・平和の続く今となっても皆に公平な分配ができているのかとなると・・・なかなか(^_^;)ですね。

このような過程から生まれ出た敗者集団である山賊や海賊が悪い奴らだとは決していえませんが、その海賊から能美の浦々を守るための防衛団を組織するのもまた、やむえないことであり、そのようにして必然的に生まれでた防衛団団長として、鹿川には一郎、沖に二郎、畑に三郎、是長に四郎、美能に五郎と呼ばれる首領(団長)が選出され、相手海賊の勢力によっては浦々が協力し合って防戦に当っていました。

そんななか、是長と美能との境界近くにあって、のち「四郎五郎」と呼ばれる鼻(岬)に見張り所となる砦が築かれました。

お互いに気が合ったせいもあり、四郎と五郎の両軍で美能沖から畑沖までの見張りにあたることとなりました。

まあ、気が合えば当然のごとく、では一杯ってことになります。

鼻(岬)の下は岩場になっており、アワビやサザエ、タコなんかも取れますし、うまい具合に追い込めば岩の下にもぐり込んだメバルなんかも手づかみで取れます。

そんなこんなで見張りもおろそかになり、ある夜、密かに侵入した海賊一味に美能の浜で精製した塩をごっそりと持っていかれました。

その時は、ほら貝やかがり火を振って、三郎、二郎、一郎に急を知らせ、彼らの協力により逃げる途中の海賊船に追いつき、盗まれた塩も取り戻すことができましたが、・・・大失態。

汚名返上を図るべく思案を重ねるさなか、今は砲台山と呼ばれる山上からときどき近くの浜へと塩汲みに現れる修行僧に相談することとなりました。

「なるほど、さすれば見張りの数を増やして進ぜよう」と、やおら海岸に降り立つ修行僧、鼻(岬)の先端に屏風のように広がる切り立った岸壁に向け、海水につけて塩をたっぷりと含んだ大筆を何度も何度も力強く投げつけ始めました。

「なんともおかしなことをする坊さんじゃ」と思いながらも、相談に乗ってくれただけでもありがたいことじゃ、と、今晩一杯呑むつもりで取っておいたサザエやアワビを差し上げました。

お坊さんも山の上の庵(いおり)へと帰り、夕日が沈むころになって、美能の塩つくり職人たちがにわかに騒ぎ出たてます。

「し、しまったぁ~、変な坊さんに付き合っている間にまた海賊らが塩を盗みに来たんじゃ~」

「わしらはもう美能の浦にはおられんようになるぞ~」と、鼻(岬)の奥に隠し置いていた早舟に飛び乗り、櫓(ろ)も折れんばかりに漕いで美能の塩浜へとたどり着きました。

が、海賊などいません。

すると、塩づくりの親方が出てきて、「四郎殿、五郎殿、ようやった。ようあれだけの見張りを集めたもんじゃで、こげぇ~に数がおったら、なんぼ大海賊が現れても一目見ただけで、尻に帆を掛けてじゃ~。いやいや四郎殿、五郎殿、たいしたもんよのぉ~」

「いや、いや、いや・・・」と、小声で否定しながら、さっき漕ぎ出してきた鼻(岬)の方を振り返ると・・・「お、おぉ~」、鼻の先にある20mの断崖絶壁に何十何百もの目ん玉が現れ、夕日の沈む海面を隅から隅まで、まばたきもせずに見張っています。

塩を含んだ大筆を岸壁に投げつけ、アワビやサザエをもって山へと帰ったお坊さんは、その後再び浜へ降りてくることはなくなりましが、のちに五郎の手下が四国の金毘羅山にお参りしたおり、ふもとの満濃池で大勢の農民を集めて工事の指図をしていたお坊さんが、あの時の修行僧にそっくりであったと云います。

何はともあれ、その後この辺りに海賊が現れたり、美能の浜から塩を盗み出す者もいなくなりました。

そのうちに大きな丸太で作った見張り用の砦も朽ちてしまいましたが、お坊さんが投げつけた大筆の跡は今も赤い夕陽に染まる岸壁に何十何百と張り付き残っています。

やがてこの見張り場は四郎五郎の鼻と呼ばれるようになり、お坊さんが庵(いおり)を構えていた山も四郎五郎の山と呼ばれていましたが、明治になり軍の砲台が築かれたあとは単に砲台山とよばれています。

そのような出来事など知る由もなく幾百年、江田島市の全海岸線を走破探索すべしと美能の塩田跡から歩き始める一人の老人がいました。

潮が満ちる前に100mでも先へと、足元のごろた石に張り付く牡蠣殻に注意しながら進んでいると、何やら人の気配というか、殺気とまではいかないけれど・・誰かに見られているような・・・

廻りをみまわし、海岸に生い茂る草や木々の向こうを透かし見ても・・・だぁ~れもいません。

目の前は大きな岸壁が立ちはだかり人など隠れようがありませんし・・・。

「え、えぇ~~~」
「な、なんだよ、あれは・・・」

岸壁には足元から20mの最上部まで、数百の目ん玉が埋め込まれており、それらの目ん玉が全部私を見つめています。

のちに、これら巨大な目ん玉は「江田島球状花崗岩」とよばれる自然の産物であると知るのですが、いやはや・・・世にも不思議な場面にまったく突然遭遇することとあいなりました。

とうない七ふしぎ その7「四郎五郎の見張り台」には数百人分の目ん玉が埋め込まれた史上最強の見張り台ですが、その目ん玉は「江田島球状花崗岩」とよばれる、摩訶不思議な自然産物でできていました・・・(*^。^*)です。

ちなみに、この「江田島球状花崗岩」の名称について、国内の他産地で見る「球状花崗岩」には同心円構造が見られるが、「江田島球状花崗岩」には同心円構造が見られない。さらに核となる中心部の質の違いなどから、とりあえずは「江田島花崗捕獲岩」とし、今後の研究結果を待って適正な名をつけるべきとの意見もあります。

他にも愛知県豊田市猿投山の近くにお住いの方からは、二度ほど江田島を訪ねて観察したが、国の天然記念物に指定されている猿投山の球状花崗岩に似ており、また岩壁に張り付く産出状態は見事であって、その点ではむしろ此方の方が勝っているのでは、と、のお話も聞いています。

現在考えられている「球状花崗岩」の成因としては、アプライトと呼ばれる長石や石英からなる白っぽい岩石の一部が溶けた状態で岩脈をつくり、さらにその中の固体状態の部分が核となって雪だるまのように転がりながら球状部を形づくるのですが、回転時期を数度に分けて回転するために同心円構造が現れる。と、されています。

「江田島球状花崗岩」には同心円構造が見られないので、一度の回転だけで直径10cmくらいまで一気に大きく成長したと考えられます。

つまり、数度に分けて回転し同心円の残る球状花崗岩よりも、一度の回転だけで直径10cm以上にまで安定して成長した「江田島球状花崗岩」の方が他所よりもよほど珍しいのでは・・・。

いずれにしろ、しっかりとした学術調査がなされ、「江田島球状花崗岩」となる成因、自然原理を詳しく知りたいところ・・・(^_^;)です。

まだまだこの先も四郎五郎のミステリーは続きます。

ちなみに、四郎五郎の鼻はNPO法人所有の「夢来来」なる休息&展望施設となっており、道行く人々の憩いの場とされています。

地理院空中写真(昭和50年1月31日撮影)
四郎五郎の見張り台 

20081101(四郎五郎の鼻の岩壁に見える「目ん玉」は弘法大師さまが投げつけた筆で書かれたものではありません。「江田島球状花崗岩」と呼ばれるもので、当地の平均的球状花崗岩は直径が12cmくらいで、ほぼ真円となります)
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20081101(高さ20m近い岩壁の角の部分で、上へと伸びる球状花崗岩を含む岩脈は幅が1mくらい、上の方は見えませんが10数mくらいありそうです)
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20080917(中心部は長石、球体本体には角閃石の微粒子が多く含まれており薄黒く見えます)
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20080917(球状花崗岩の廻りは粗粒の長石と石英です。岩盤面は西を向きますので夕日が当たると崖全体が真っ赤に輝きます)
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20080917(球状花崗岩を含む岩脈は1mくらいの幅で10mの長さに伸びるものが1つ、他に数mの短く途切れた岩脈が2つ、海中にも1つ以上の岩脈があるみたいです)
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20160208(画像中には最大直径が15cm近い球状花崗岩を含め十数個見られます)
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三重県総合博物館所蔵の球状花崗岩(直径5cm)です。
2002年9月に三重県で初めて産出が確認され、同心円構造から最大3回繰り返し発達しており、球状部分の中心部は粗粒な角閃石であるとされます。
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その6 ソライロタケ (江田島町古鷹山林道)

ソライロタケは、青色をした珍しいキノコでイッポンシメジ科イッポンシメジ属のキノコです。

日本固有の種だと言われており、夏から秋にかけての時期、アカマツの茂った針葉樹林や広葉樹と針葉樹の混じった混成林などの腐葉土が重なっている地上に発生します。

カサは鮮やかな空色で表面には繊毛が有り、直径は20~35mm、円錐形で中央が尖ったような形状です。

柄の長さは40~70mm程度、色は空色で表面には少しねじれたような繊維状の模様が見られます。

発生から1週間くらいは鮮明な空色をしていますが、その後は黄変して消滅します。

アカイボカサタケやキイボカサタケなどと近縁であるといわれておりますが、まだこれらが混生する場面には遭遇していません。

ただ発生環境や時期はソライロタケとよく似ており、付近数メートル以内でならこれらを同じ日に見ることは普通にあります。

ソライロタケのソライロはカメラでは表現できない深みがあり、それは江田島の秋の空、江田島の冬の海と同じ、宇宙へと突き抜ける神秘に満ちた空色、地球の裏側にまで吸い込まれていきそうな深い海を見るような・・・とくべつなソライロです。

全国でも希少種とされるソライロタケが、瀬戸内海の小島の、しかも1978年(昭和53年)に発生した全国的にも例を見ない大規模な林野火災(消失面積947ヘクタール)で、2昼夜にわたって燃え盛ったその中心部に姿を見せたのは、・・・なぁ~~~ぜ、なのでしょう。

とうない七ふしぎ その6「ソライロタケ」は、40年前の大規模林野火災で焼き尽くされ、未だ復興途上にある貧弱な雑木林に発生した、ありえないような美しい空色をした小さな小さなキノコ・・・(*^。^*)でした。

ちなみにソライロタケとアカイボカサタケとは近縁であるとされ、キイボカサタケやシロイボカサタケはそれらよりもやや遠い遺伝子関係にあるといわれています。

江田島市内ではキイボカサタケやそれに酷似したシロイボカサタケは普通に見ますが、アカイボタケの発生は少ないようです。

20161003(古鷹山林道の道路脇で初めて見た発生初期のソライロタケです)
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20161009(上記と同じ場所で6日後の撮影です。3本ありました)
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20171012(上記と同じ場所で1年後の撮影です。計3本ありました)
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20180928(上記発生場所はイノシシに荒らされて皆無。近くを探索し、200mばかり離れた別の場所で5本見つけました)
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20180928(画像中に3本。付近にもう2本ありました)
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20180928(上記のソライロタケです)
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20180928(同じ日、上記場所から20mくらい離れたやや湿気た環境で、アカイボカサタケを5、6本見ました。色は違いますがとてもよく似ています)
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20171011(キイボカサタケは古鷹山系では普通にみます。ソライロタケとほぼ同じような生育環境に発生しますが、やや湿気た感じのところで多く見ます)
s-DSCN2865 (2)キイボカサタケ 

1978年6月2日、呉市天応付近から見た江田島古鷹山系を呑み込み焼き尽くす紅蓮の焔です。画像は消火活動や支援作業に全力で対処に当たった「海上自衛隊第1術科学校」のHPより拝借しました・・・m(__)mです。
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その5 ライオンの舌 (沖美町是長)

沖美町是長入鹿鼻の手前にある砂浜(サンビーチ沖美)の奥に嘉慶元年(1387年)創建の「入鹿明神社」があります。

その入鹿明神社の拝殿前にほぼ等身大に模した木彫りのライオンが置かれていますが、・・・さて、・・・。

入鹿明神社創建にかかわる由緒では、宮島から榊葉をくわえた鹿が泳ぎ着いたこの地に海の神「上津綿津見神」を祭ったとされており、ライオンとの関りはどこにもありません。

入鹿明神社とは関係なさそうなライオン・・・実は江戸時代に書かれた「能美島志(1763年)」に記された「社後峻巌千尺、小松森々タリ・・・」の中にひそんでいるのです。

峻厳(しゅんげん)とは、おごそかであり非常に厳しいさまであり、千尺とはおよそ300m、そこに小さめの松が、盛んに茂っている・・・と。

入鹿明神社の背後は当時とほぼ同じですが、岩山はもっとも高いところで127 mですので、倍以上の誇張があったようです。

ただ、多少は誇張のある江戸時代の書にも、背後の岩山にライオンが住んでいるとは一言も書かれていません。

では、そのライオンはどうやったら見られるのでしょう。

神社の境内からだと、木彫りのライオン以外は見ることができません。

鳥居を出て、そのまま砂浜を歩き波打ち際まで行って後ろを振り返ると・・・。

峻巌千尺小松森々の中にはっきりとライオンの姿を見ることができます。

でも・・・見ようによってはトラにもネコにも、ウサギ、いやネズミかも?・・・いやいやこれはライオン、ライオンですよ。

拝殿の前にあった木彫りのライオンと、まったくもって、そっくりそのまんまではありませんか。

まあしかし、人それぞれに感じ方も違うでしょうし、もっと近くから見ればライオンだってはっきりするのでは、と、「峻巌千尺小松森々」の岩山へとよじ登ることにしました。

峻巌千尺、高さに誇張はありますが、地形はまさに断崖絶壁、小松の根元を両手で掴みながら地を這うような姿勢で次々と隣の松へと移動、10mを進むのに10分間かかる場所もあります。

で、ライオンの顔をほぼ真横から写せる場所に到着しますと、・・・

顔の目の部分にはスズメバチの巣があって、瞳となっており、吠えかかる口の中には舌が見えます。

えぇ~、超リアル~~。

口の中の舌は上にも下にも隙間があって風が吹けばゆらゆらと動き出しそうな感じ・・・、ちょっとした地震でも起これば、即座に滑り落ちていきそうな雰囲気です。

こっわぁ~~~。

とうない七ふしぎ その5「ライオンの舌」とは、入鹿明神社背後の峻巌千尺小松森々に隠れ住むライオンの口から今にも滑り落ちそうな巨大な石の舌・・・(^_^;)でした。

さらに云えば、この入鹿明神社には古くからの言い伝えがあります。

「神域において、もしも石を盗ることがあれば神罰現然たり」と。

うっわぁ~~~、それってライオンが吐き出した、巨岩の舌がビュウ~ンとぶっ飛んでくるってことですよね。

くわばら、くわばら・・・この神域近くで水晶を拾うなんてこと・・・もう絶対にしません・・・m(__)mです。

20150325(沖美町是長の入鹿明神社です)
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20150325(入鹿明神社拝殿の横に、大きな木彫りのライオンが寄贈されています)
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20150325(入鹿明神社背後の峻巌千尺小松森々にひそむライオンです)
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20150325(トラ?ネコ?ウサギ?ネズミ?いえいえライオン・・・(*^。^*)です)
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20170225(神社背後の峻巌千尺小松森々に分け入りライオンの調査を・・・)
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20170225(ライオンの口の中には今にも滑り落ちそうな巨大な舌が・・・)
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20170225(ライオンが舌を吐き出せば、浜辺に駐車中の車10台くらいは間違いなくペッチャンコとなります・・・(^_^;)です)
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20071004(神域からは遠く外れており、ライオンさんからは見えない入鹿鼻で見つけた水晶・・・(*^。^*)です。)
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その4 保育園の赤い糸 (江田島町小用)

2012年7月23日(月曜日)学校は夏休みに入ったばかり、晴れてはいますがまだ梅雨が続いているかのような、もわぁ~~~っとした熱気に汗が吹き出します。

お散歩に出てはみたものの、・・・♪腕を振って 足をあげて ワン・ツー ワン・ツー 休まないで歩け~♪・・・なんて気にはとてもとても・・・。

江田島町小用公園のワシントンヤシの下に、園児20人くらいの小用保育園がありました。
(数年前に廃園となり、現在は更地・・・土地の購入者を募集中・・・(^_^;)です)

その横の細い路地をだらだら歩いていますと、白い塀に園児の服からちぎれたであろう赤い糸クズがくっ付いています。

後方から息苦しくなるような、湿気を含んだ風がむわぁ~~っ・・・すると、その赤い糸クズがふわふわ~~~っと飛んでいきます。

え、えっ・・・糸クズじゃないや、トンボだ、イトトンボだ、でもこんな赤くてちっちゃなトンボは初めて見ます。

汗ばんだ手をポケットに突っ込み大慌てでカメラをとりだします。

トンボはこちらの仰々しい気配を察してか、少しずつ距離を置いて止まります。

に、に、に、逃がしてなるものかって距離を詰めるとまた数メートル先へ、詰めると先へ、ピントなど合わせる余裕もなく、なんとか数枚シャッターを切った時点で、あぁ~あ、見失ってしまいました。

でも、暑いのを我慢してお散歩に出た甲斐がありました。

さっそくに画像をPCにとり込みましたが、まあなんとか見れる画像は一枚だけであとはすべてがピンボケでした。

その一枚を頼りにネット検索を始めると、「ベニイトトンボ」「希少種」・・・やった~~~江田島市内でベニイトトンボが見つかるなんて、大発見だぁ~~~(*^。^*)です。

しかし、画像が一枚だけでは・・・よぉ~~~し、再度挑戦・・・翌日、水筒をもって再び保育園へと出かけました。

で、・・・保育園の廻りの草むらを1時間ばかりゴソゴソと動き回って、やっと一匹を見つけることができました。

水筒を首にぶらさげた爺さんが、保育園の廻りをうろうろ、うろうろ・・・保育士さんとかに見つかっていたら間違いなく不審者として通報されていたでしょうね。

数枚の画像が撮れたので一安心、あらためてネット情報を精査すると・・・なんと、小用保育園とは古鷹山を越えた反対側、同じ江田島町内の切串地区につくられたビオトープでの発見例がヒット、しかもベニイトトンボはビオトープづくりのために他所から移入した水草などに付着した幼虫などが原因ではないか?・・・と、・・・。

で、・・・7月27日、山越えをしてその切串ビオトープを訪ねますと、いました・・・2匹もいました・・・なぁ~~んだ。

がっくり・・・です。

ベニイトトンボへの興味が一気に薄れてしまいました・・・(^_^;)です。 

で・・・、2013年はベニイトトンボのことは一切忘れていたのですが、翌2014年・・・なぁ~んと、小用保育園とは直線距離で300m、江田島町秋月のため池の廻りでベニイトトンボが数十匹ブンブン?と元気に飛び回っており、ハート型にくっ付いた数組のカップルもいます。

なぁ~んてこった。

ビオトプに移入された水草にたまたまくっ付いていたベニイトトンボが、こんな短期間でこんなに沢山に増えるわけがないじゃないか。って思っていると・・・さらなる朗報、江田市の最南端大柿町深江のさとうみ科学館から、事務室に迷い込んだベニイトトンボを捕まえた。って情報をいただきました。

切串につくられたビオトープは江田島市内でも、もっとも人里はなれた位置にある昔からの田んぼの跡ですし、ベニイトトンボが永年世代交代を繰り返していたとしても、不思議ではなく、素直にうなずける場所です。

じゃあ・・・似たような場所を探せばベニイトトンボは他の地域でも生き残っているはずです。

市内の彼方此方、小川やため池廻りの草をかき分けて探索していますと、稀にですが、「こいつなんだよ、何やってるんだろう」っていかにも不審者をとがめる雰囲気をもった方にお会いします。

第一印象は不審者であっても、お話を始めるきっかけにはなりますので、此方としてはありがたいことです。

「実は・・・ベニイトトンボをさがしているんです。赤い色をしてるんですが、歌にある赤とんぼみたいに胴体が太いのじゃなく、つまようじよりももっと細い胴体をした真っ赤な糸とんぼです。」・・・で、2、3人の方から、「おお~、おったのぉ~、わしらがこまいごろにみたがのぉ~、あのごらぁ~ここらぁ~みんな田ぁつくりょったがのぉ~」

やっぱ、ベニイトトンボは昔から江田島市内にいたんだぁ~。

とうない七ふしぎ その4「小用幼稚園の白い塀にくっ付いていた赤い糸クズ」はベニイトトンボでした。

決して水に恵まれているわけでもない、瀬戸内海に浮かぶ小島になぜ他所よりも高い密度でベニイトトンボが生息しているのかは今も解りませんが・・・

ネット情報では近年、江田島市以外でも各地でベニイトトンボがよく見られるようになったとか・・・、十年ばかり前までは、ほとんど見つかることのなかったベニイトトンボが急速に生息地を広げたわけは・・・生物の増減にはほんのチョットしたことが引き金となるみたいです。

最近ではサンマとかイカとかが急激に減少したり・・・人間だって、わ・か・ら・ん・ぞぉ~~~(^_^;)です。

祇園精舎の鐘の声
   諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
    盛者必衰の理をあらわす
  おごれる人も久しからず
     ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
       偏に風の前の塵に同じ

20120723(小用保育園の前で初めて見たベニイトトンボです)
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20120724(翌日、草むらを1時間探して再会したベニイトトンボです)
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20120724(在りし日の小用保育園、今は更地となっています)
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20120727(江田島町切串の、田んぼ跡につくられたビオトープです)
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20120727(切串ビオトープで見たベニイトトンボです)
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20140720(小用保育園から300m、秋月地区のため池で大発生していました)
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20190608(江田島市の最南端、大柿町深江のため池で見たベニイトトンボです)
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2016年6月15日~7月21日の間に見たベニイトトンボの確認地です)
ベニイトトンボ発生地160721aa 

その3 アスファルトに咲く花 (江田島町津久茂)

もとは農道としてつくられた道、アスファルトで舗装されていますが両側から木々が生い茂り路面にはわずかな木漏れ日しかあたりません。

20年、いや30年・・・もっと前だったかもですが、サツマイモとかコムギとかを育てていた畑にはコナラやヤマハゼ、アカメガシワ、ヤブツバキやツブラジイ、カゴノキ、カクレミノの木々が大きく成長し、場所によっては路面のアスファルトを破って孟宗竹の大きなタケノコが伸び出す状態です。

とは言っても、僅かに残された畑の手入れや、イノシシ罠の点検、道に迷って入り込んだ釣り人?の乗った車が日に数台は行き来しますので道の真ん中を、ぼ~~~っと歩くのは危険・・・(^_^;)です。

そんなこんなのアスファルト舗装道路なのですが、いったいなにを好んでアスファルトの隙間を広げて可憐な花が芽を出すのでしょう。

道路の廻りは、ほぼ原生林に近い状態、その落ち葉でふかふかのところに生えたほうがよほど幸せだと思うのですが・・・。

その可憐で不可思議な花とは・・・ラン科植物のギンランです。

さすがにわだちの内側で芽を出すことはありませんが、軽トラが作ったわだちから20cmばかり外側のアスファルトの路面で花を咲かせています。

小さな白い花ですので、車の中から気づくことはありませんし、ほんの少しハンドルを外側に切れば間違いなくタイヤの下敷きとなる位置です。

ギンランは希少種ではありませんが、やたらとそこいらに見る植物ではありませんし、江田島市内でもおそらくは数ヶ所?・・・私は当地以外で見たことはありません。

ちなみに、ラン科植物は日本に75属230種があるといわれますが、私が江田島市内で見たことのある野生ランは、シュンラン・ネジバナ・コクラン・オオバトンボソウ・カキラン・シュスラン、そして当地のギンランのみです。

ラン科植物は植物分化の過程ではまだ新参者とされます。
そのためかどうか、他の植物とは違った特殊で微妙な形態、たとえば特定の昆虫との共進化を見せるものがあったり、根や種子の発芽に菌との共生あったりと、短期間で急速な適応放散がみられ、現在もなを進化を続けている特異な存在であるとされます。

ラン科植物の共生菌は主に担子菌ですが、それ以外の菌群とも複雑に絡んでいるのではとされており、また、特定の菌群に対して高い特異性を示すなど、ラン科植物は環境の変化に弱く、そのことがさらなる分化の原動力ともなりうるといえます。

そんな微妙で多様な発展段階にあるラン科植物ですので、なかにアスファルトが大好きな種が出てきてもおかしくはありませんし、さらに発展してアスファルト以外の場所では生育が困難な種の出現も考えられます。

  涙の数だけ強くなれるよ♪ アスファルトに咲く花のように♪
     
     見るものすべてにおびえないで♪ 明日は来るよ君のために♪

とうない七ふしぎ その3、「アスファルに咲く花」は発展段階のラン科植物、ギンランでした。
しかし、このラン科植物の本当の不思議はまだまだで、解明が必要とされる分野は山ほどあります。

そう遠くない将来、アスファルト道路のセンターライン用として、白や黄色い花色のラン科植物が咲き乱れる時代が・・・(*^。^*)です。

20150502(道路側溝から30cmくらいのアスファルト路面で咲くギンランです)
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20150502(道路側溝から30cmくらいのアスファルト路面で咲くギンランです)
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20150502(アスファルト路面まで逃げ出しても、まだそれを追ってくる虫がいます)
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20130505(道路路肩のアスファルトが崩れた中で咲くギンランです)
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20130505(道路路肩のアスファルトが崩れた中で咲くギンランです)
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20120509(道路路肩のアスファルトが崩れた中で咲くギンランです)
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20191205(大柿町深江・スミレの仲間もアスファルトが好きみたい・・・(*^。^*)です)
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その2 はちかめ (大柿町大原)

承平元年(九三一年)創建と伝えられる「新宮八幡宮」は陀峯山より流れ出た清流八幡川に削り出された亀甲山に鎮座します。

大原の古社、新宮八幡宮の拝殿には手作りの額に収められた「はちかめ」が奉納されています。

額の左縁には「はちかめ」と名があり、右縁に大柿町 酒井 ?、下側に昭和26年八月と書かれた額の中央には、何やらおどろおどろしい物体が今にも風に飛ばされそうな状態でぶら下がっています。
(注:奉納者のお名前が読めません。画像では「大ユ」と見えるのですが、・・・ご教示お願いします)

判別が不能なくらいに傷んでいる「はちかめ」と呼ばれる奉納品、実は「はちかめ」とはカブトガニのことです。

カブトガニの生態を十数年調査研究している「江田島市 さとうみ科学館」のお話では、現在、江田島市内でカブトガニが見られるのは江田島湾内のみで、年間の発見個体も数匹から数十匹、年によってはまったく見つからないこともあるそうですが、「はちかめ」が奉納された昭和26年ころまでは大原湾近辺においても稀に網にかかるなどしていたのでしょう。

ちなみに、ネット検索で濁音を付けずに「はちかめ」と呼んだのは、山口県防府市大道の70才台男性(2013年)のみで、各地での呼び名調査をされた笠岡市立カブトガニ博物館の資料でも「はちかめ」と呼ぶ地域は記載されていません。

同資料などによればカブトガニを「はちがめ」と濁音で呼ぶのは山口県~大分県~福岡県~佐賀県~長崎県だそうで、広島県では一般に「だんがめ」と呼ばれていたそうです。

他には、岡山県「どんがめ」、徳島県・和歌山県「びぜんがに」、愛媛県「かめごうら」「がわら」、香川県「がんざめ」、福岡県や佐賀県などでは「はちがめ」の他に「がめ」「うんきゅう」、大分県で「うんぺこ」「はちがんす」、鹿児島県で「ひがんがに」と呼ばれていました。

「はちかめ」を漢字表記すればおそらくは「蜂亀」でしょうが、「鉢」とか「瓶(カメ)」とかも候補にあがります。

で、・・・現在一般に通用している「カブトガニ」名の起源は・・・

大和本草(1709年)に、「鱟魚(ウンキウ)」「カブトガニ」との記載がのこります。

江戸時代の本草学者の間ではすでにカブトガニが一般名だったようですが、各地でさまざまな呼び名が残るのは、おそらくカブトガニは誰もが食べたり利用する流通物ではないので一般の庶民には呼び名など必要がなく、各地の浜や入江ごとにそれぞれ呼び名をつけ、食糧難のときにだけ救荒食として利用したのでは?・・・。

ちなみに、現代版大和本草ともいえるウィキペディアではカブトガニの漢字表記として、甲蟹、兜蟹、鱟、鱟魚が記されています。

カブトガニの生育には、産卵用の細粒砂浜と、体を隠し餌を捕らえることのできる微細粒底質で遠浅の海が必要です。

そのためには河川からの新しい砂の補充は重要な要素になるのですが、護岸や河川堤防のコンクリート化、砂防ダムや取水ダム、堰などにより砂の流出が止まってしまった現代は・・・カブトガニにはちょっと住みにくい世の中・・・(^_^;)かも?です。

とうない七ふしぎ、その2「はちかめ」とは、カブトガニのことでした。

生きた化石とされるカブトガニの生態それ自体に不思議を感じた方は、大柿町深江にある「さとうみ科学館」を訪ねてみてください。

さとうみ科学館には十数年にわたるカブトガニの観察記録が保管されており、飼育や採卵、孵化などの研究もされています。

さらに能美図書館で先月発刊された児童文学誌「小鳥」第15号には童謡「チビカブちゃん ~てのひらのカブトガニ~」が作詞作曲されて巻頭を飾っています・・・(*^。^*)です。

20130214(新宮八幡宮に奉納されている「はちかめ」)
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20100314(さとうみ科学館で飼育中のカブトガニ)
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20121129(さとうみ科学館で飼育中のカブトガニの腹部)
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20090307(さとうみ科学館で展示されているカブトガニの脱皮殻)
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20100314(さとうみ科学館で展示されているカブトガニの脱皮殻)
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20120914(江田島湾内でカブトガニの幼生を発見)
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国立科学博物館に展示された「大和本草」・左下の図がカブトガニです
s-大和本草(国立科学博物館) 


その1 七色に輝く竹やぶ (大柿町飛渡瀬)

その日は快晴だけど風の冷たい冬の日でした。

そこは、お散歩で月に2、3度は通る、なじみの農道です。

その農道の脇に、しばらくは誰も入った形跡のない竹やぶがあり、冬の日射しは背の高い竹に遮られて日中でも薄暗くなります。

特にキョロキョロとするわけでもなく、まあ普通に歩いていますと、えっ・・・、竹やぶの中が虹色に輝き始めました。

まさか、竹やぶだからって、かぐや姫が現れることはないでしょう。

目の焦点を合わせ直すと虹色の輝きは竹やぶからではなく、その先にあるため池からのようです。

そうかぁ~、ため池の水面に沢山の竹の葉が落ち、それが分解して油分が水面を覆ったんだろう。

その油膜に太陽光が反射してゆらゆらと虹色に輝いているんだろう。

光りは微風でゆらゆら揺れますし、カメラを向けてもきれいには撮れないだろうと思いつつも竹やぶ越しに数枚の画像をカメラに収めて持ち帰りました。

で、パソコンで画像を拡大してみると、おやおや、思ったよりも幻想的に撮れています。

こらならいけるかもって、NHK広島放送局の写真投稿番組に応募しました。

すると、番組スタッフの方から、光り輝くのは油膜じゃなく「ヒカリモ」の可能性があるのでは?・・・って教えていただきました。

なるほど・・・、そのときは虹色に光る原因は油膜以外にはないと思いこんでいましたから、ため池の水面を詳しく観察するなんてことはしませんでしたが、・・・いわれてみれば油膜とは少し違うような雰囲気もありました。

ネット検索の結果「ヒカリモ」は藻の一種であり、球形の単細胞生物の組織がうまい具合に光を反射して七色や黄金色に光るのだ、そうです。

水面が虹色に光るのは油膜なのか「ヒカリモ」なのか?、数日後の晴天時を選んで再び神秘の竹やぶを訪ねてみますと、おぉ~~、この日の竹やぶも七色の光に満ち溢れていました。と、言うか、竹やぶのむこうにあるため池の水面が太陽光を反射して虹色に輝いています。

竹やぶをくぐり抜けため池の水を手ですくってみましたが、油膜とはまったく違います。

水面を広く覆っているのは黄色っぽい色をした微生物の集まり、おそらくは「ヒカリモ」あるいは「ヒカリモ」と同じような構造の単細胞生物です。

それら微生物の浮遊体に竹やぶの隙間から絶妙な角度で注ぎ込む太陽光が反射して、虹色に輝いているのでした。

太陽光線とは別の角度から観察しますと、虹色に輝くことはありませんが、水面に大量の微粒子が浮かんでおり薄い褐色の膜にみえます。

とうない七ふしぎの一つ「七色に輝く竹やぶ」、実はため池の水面に繁殖した藻の一種だと思われますが、その正体はいまだになぞのまま・・・(*^。^*)です。

あっ、そうそう先日変な夢をみました。

虹色に輝く水面に、突然白い髭を長く伸ばした神様が現れ、金銀銅や鉄やアルミなど様々な金属で造られた斧を抱えています。

で、静かな口調で、「お前が池に落としたのは、どの斧だ」っておっしゃいます。

こういう場合どう言ったら良いんだろう。
たしか、昔の童話では金だと嘘をついたら・・・

そもそも、神様ともあろうお方が、池の中で拾った斧が誰のものなのかも分からないなんて・・・

「斧なんて落としたことはありません」と言うべきか?「金の斧を下さい」って言うべきか・・・悩んでいる間に・・・目が覚めてしまいました・・・(^_^;)です。


20200118(竹やぶの中が七色に輝いています)
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20200118(実は竹やぶの向こうに農業用ため池があり、太陽光がまともに水面に当たり反射しています)
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20200118(水面に直射日光が当たり、竹やぶの向こうが虹色に見えるのは午前10時前後の1時間くらいです)
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20200129(ネット情報などから、「ヒカリモ」が大量に発生するのは冬~春くらい?、直射日光には弱い?ようです。
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20200129(竹やぶで強烈な太陽光や、真冬の強風を遮断できることでヒカリモ?もしくは類似の微細生物発生を手助けしているのでしょう)
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20200129(太陽光から90度ずらして撮影した水面)
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20200129(褐色で微細な生物?が粉を撒いたように水面を均一に覆っています)
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おそらくは「竹取物語」の作者も、これと同じ場面に遭遇、かぐや姫の出現をこの七色に輝く竹やぶとしたに違いありません・・・(*^。^*)です。

以下は追加記事です。

後日(2020年4月2日)同じ「ヒカリモ現象」を能美町中町の池でも見ることができました。

20200402能美町中町
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20200402能美町中町
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20200402能美町中町
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と う な い 七 ふ し ぎ ( 目 次 )

 と う な い   ふ  し  ぎ 
目   次
・・・実話事例などを参考としたフィクションです・・・
s-s-IMG_4297 (2) その1 七色に輝く竹やぶ(大柿町飛渡瀬)
s-s-100314 002 (2) その2 はちかめ(大柿町大原)
s-2015-05-02 071 (2)aa150 その3 アスファルトに咲く花(江田島町津久茂)
s-s-IMG_7698 (2)150 その4 保育園の赤い糸(江田島町小用)
s-2015-03-25 231 (2)150 その5 ライオンの舌(沖美町是長)
s-s-2016-10-09 173 (1280x960) その6 ソライロタケ(江田島町古鷹山林道)
s-CIMG2739.jpg その7 四郎五郎の見張り台(沖美町是長)
s-s-20191005 (20) その8 天狗の足跡と水晶(大柿町大君)
s-s-DSCN3179 (2) その9 オノミチキサンゴ(江田島町津久茂)
s-100405 030 その10 兵学校の赤煉瓦(江田島町国有無番地)
―――作成途中・・・(^_^;)です―――
―――作成途中・・・(^_^;)です―――
―――作成途中・・・(^_^;)です―――

追4)アリタソウ

アカザ(ヒユ)科アカザ属の1年草で花期は7~11月

中南米~メキシコ南部が原産地、日本では大正時代から見られるようになり、市街地の道ばたや荒れ地などに繁殖、草丈は60~100cm、全体に特有のにおいがあります。

葉っぱは互生し、長楕円形で3~10cm、縁に粗い鋸歯があります。

花は白く径1~2mm、両性花と雌花が混じり、枝先に円錐状の花穂となります。

江田島市内では農道脇や荒れ地などでみます。

20121001江田島町秋月
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20110916江田島町秋月
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20111014江田島町秋月
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20191122江田島町秋月
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20200202江田島町秋月
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20200202江田島町秋月
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