鷲部 畠神山荒神堂

2)江田島町南部・鷲部荒神社 
鷲部の地名は、全国広しと言えども当地だけのようです。
残念ながら、鷲部の地名由来は不明ですが、貞和2年(1346年)から河野水軍の流れをくむ、久枝氏が居住した亀山城を、元亀元年(1570年)に土居氏に譲り渡したのち、「芸藩通志(1825年)」に「鷲部城江田島にあり、鷲部は城主の氏なりや、今所伝なし」とあります。

それまでは鷲部の地名は見当たりませんので、土居氏の御先祖名あるいは屋号???で、あったかも・・・(^_^;)です。

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鷲部地区の鎮守、鷲部荒神堂です。
狭小な土地にあるため、長い石段や鳥居はありませんが、落ち葉も、枯草もきれいに掃き清められ、大切に管理されています。


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宝永7年(1710年)の古書に「一小堂あり」と記され、長く荒神堂として祀れらていましたが、明治43年江田島八幡神社に合祀されました。
のち、昭和11年11月8日、再びもとの位置に大堂を再建し、現在に至ります。
 

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中央の顎には、「畠神山荒神堂」とあります。

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昭和11年奉納の「楠木正成・桜井の別れ」画を修復してあります。

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会館落成記念となっていますが???
昭和25年の奉納です。

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奉納額には、

日清戦役

明治27年5月 東学党徒蜂起

明治27年8月1日 宣戦布告

 

戦場大略

韓国 京城・・・

清国 九連城・・・

 

明治28年4月17日 日清講和条約調印

出征軍人 歩兵・・・

従軍者 ・・・

日清講和条約結成凱旋

と、あります。

ちなみに、東学党徒蜂起とは、

甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)のことで、1894年(甲午)に朝鮮で起きた農民の内乱です。

関与者に東学の信者がいたことから「東学党の乱」とも呼ばれます。

 

この戦争の処理を巡って、日本と清国の対立が激化し、日清戦争(明治277月から283月)に発展することとなりました。

 

この札には「日清講和条約結成凱旋」となっていますので、皆さん無事に凱旋されたようです。


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もう一度、二拝二拍手一拝・・・(*^。^*)です。

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境内から見る江田島湾です。
湾の先、右にこんもり見えるのが津久茂山(御鉢山)で、眼下には鷲部の家並みが広がります。
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