鷲部 亀山城

2)江田島町南部・鷲部・亀山 
亀山城、あるいは鷲部城とも呼ばれます。

1346年(貞和2年4月)四国松山の河野氏一族である、秀清、通重兄弟が北上し、兄秀清は能美島の松尾山に、弟秀清が当地江田島の亀山城に入り、名を久枝忠三通重と称しました。


2012-12-27 002 008 
中央のこんもりした小山が亀山城跡です。

今は、海岸線が埋め立てられていますが、古くは江田島湾に突き出た半島のような地形で半島の根には江ノ口と呼ばれる自然の良港もありました。

竹藪に覆われ、全貌はわかりづらいのですが、三方を急傾斜に守られ、本丸と思われる高台と、それに続く二の丸、周りには空堀が掘られ、規模は小さいのですが実戦的な機能を備えています。
 

2012-12-20 002 014  
室町末期の1570年(元亀元年)まで城主を務めた久枝氏ですが、名を吉原と改めて下城し、亀山城を土居氏にゆだねました。

2012-12-20 002 016 
久枝氏の跡を継いだ土居氏は、亀山城主として、江田島湾を出入りする船の取り締まりにあたり、下城した吉原氏(久枝氏)は、本浦(中央)に住み、明治初年まで、代々庄屋として善政をしきました。

今に残る土居家の長屋門は、亀山城を背負って南面を向き、300年の風雪を耐えてきましたが、今まさに朽ち果てる寸前となっています。


2012-12-20 002 020 
重厚な門扉も、虫食いで無数の穴が開き、工匠が打ち出した飾り釘はさびで覆われています。

100607 172 
この長屋門には、左右に男部屋、女部屋があり、明治7年創設の鷲部小学校の前身、浸潤舎は、この長屋門を教室に当てました。

2012-10-07 002 012 
積まれた石垣には、割石を作るために打ち込んだ、くさびの跡が等間隔に残っています。

2012-10-07 002 007 
亀山城本丸跡は、樹木が鬱蒼として近づけませんが、その下の二の丸跡に残る、土居氏一族のお墓です。

2012-12-20 002 025 
かって、お屋敷のあった部分はすでに竹林となり、最後まで残った長屋門の屋根にも歪みが見えます。
なお、この亀山には黄金伝説も残っています・・・(*^_^*)です。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!