中央 江田島八幡神社 1/2

1)江田島町北部・江田島八幡神社 
江田島町の中心部として、古くから人々の集まった地であり、八幡神社境内や裏山などから、平安末期ごろと思われる土器類が発見されています。 

2012-10-24 002 026 
大鳥居をくぐり、急峻な百八つの石段を登り切った先に、五本の鰹木と両端に千木を乗せた八幡神社の拝殿が あります。

拝殿の千木先端部は垂直に切ってあり、外削ぎと呼ばれ男神を祀る社殿に用いられます。
ちなみに、水平に切ったものは内削ぎと呼び、女神を祀る社殿とされます。
また、千木からさらに外側に飛び出した、棟木のような材は鳥ふすまと呼ばれます。
 

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千木が外削ぎである江田島八幡様は、応神天皇を主祭神とし、厳島明神、熊野権現が奉祀されています。
建立時期は不明ですが、元和2年(1616年)丙辰2月6日再興と記された棟札が残されています。


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今の拝殿は、天保11年(1841年)に改築されています。

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拝殿回廊には江田島銘醸の四斗樽が・・・

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正面には立派な書額が奉納されています。
大正4年11月・・・ 


2012-10-24 002 014 
享保12年(1728年)8月17日安芸国藩主浅野吉長が、大正13年(1924年)7月17日高松宮殿下が・・・

2012-10-24 002 016 
文政10年(1827年)丁亥2月・・・??? 吉原信春拝
画は、第一回帝国議会開院式? 岩倉大使訪米???

2012-10-24 002 012 
昭和20年7月28日、小用沖で大破着底した戦艦榛名の生還乗員一同による奉納です。


奉納写真の説明文を記載します。


大破着底した榛名・・・戦後、米戦略爆撃調査団の撮影したもので、広角レンズによる撮影であるため船体は非常に長大に見えるが、艦は相次ぐ攻撃により浸水がひどく海底に鎮座し、やや左舷に傾斜している。

主砲塔、艦橋部にはマダラ模様の迷彩塗装がほどこされているのが見える。

砲塔、艦橋部、煙突ふきんには大戦中増強された機銃、高角砲の砲座が見えるが、大戦中、本艦の対空兵装は12.7センチ連装高角砲6基、25ミリ3連装機銃30基、連装機銃2基、単装機銃28基に達した。


昭和20年7月24日、同28日の両日にわたる米艦載機の攻撃により、榛名乗員71柱が召されました。


2012-10-24 002 011 
本殿は最も奥にあって、正面からは見えませんが明治42年に改築された、切破風造りの銅板葺きです。

千木は拝殿とは違って、四角い風穴が開けられ、先端部は凹字形に加工してあります。

千木の云われは他にもありますが、一説では、東風をコチといい、疾風をハヤテ(古語ではハヤチ)といったように、チギは風木だとも云われます。

さらに、千木には強い風を避ける為として、いくつかの穴があけられています。

この穴や、先端部を強風が通り抜ける、ピュウ~~って音、いかにも神様が現れ出るような雰囲気に・・・(*^_^*)です。

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