中央 観音堂

2)江田島町南部・中央・観音堂 
中央地区のすべてが見渡せる小山の上に、長年の風雨に蝕まれながらも、重い瓦屋根をやっとの力で支えて今に建つ、小さな観音堂があります。

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地盤が緩み、水平を保つことができなくなった、小さな石段をのぼります。

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かって、境内には何本もの松の大木があったと言われますが・・・

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観音堂の正面には「東栄山」の山号額が掲げられています。

久枝家の古記録では、今の教法寺のある寺山に、東栄山洞仙寺があったとされますが、初代忠三道重が来島した1346年にはすでに廃寺となっていました。
亀山城主時代の久枝家は、七代にわたり、この寺山に墳墓を構えていました。

この観音堂は、久枝氏が亀山を下城し、吉原と改名した30年後の慶長5年(1600年)、久枝家八代にあたる吉原次郎左衛門重宗が、東栄山洞仙寺の御本尊であった、十一面千手観音を安置建立しました。
のち、この地を吉原家の墳墓としたことから、祖先の埋葬地である「東栄山」の山号額を掲げたのだろうと?・・・(^_^;)推測です。


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お堂の内部を、ガラス戸越しに写して見ました。
白く靄ってはっきりしませんが、これは、カメラを向けるなってこと・・ ・m(__)m です。

ちなみに、堂内に安置されている十一面千手観音立像は、鎌倉時代の作で桧の一木造り、高さ102cmであると云われます。 

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小鳥が落とした種から芽生えただろう、クロガネモチが大きく育ち、屋根瓦に当たる日差しを和らげます。

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お堂の裏手には、久枝氏、吉原氏、と刻まれた古い墓石が並びます。

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「文化七庚午八月十九日」と読めます。 

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観音堂の裏道は切通しとなり、石を端正に積んで補強されています。
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