中央 古鷹山

1)江田島町北部・古鷹山 
標高392m(あるいは394m)、高い山ではありませんが雑木林や竹林の中を進み、尾根筋を歩いたり、岩場を登ったり?と変化のある登山道で、眼下には青い海景色が満喫できます。

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かっては、この付近までミカンを植えた段々畑が続いていました。
さらに、この上の方にもイモ畑やラッキョ畑があって、背負子を肩にしたお百姓さんに道を譲ったことも有りました。
今は段々畑のげしも崩れ、コナラやハゼノキやリョウブの雑木に覆われ、秋の登山道は赤や黄色い落ち葉が敷き詰められます。


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道幅が30cm、雨が降れば水路となる登山道です。
固い花崗岩の山とはいえ 、風化の進んだ山肌では、人の踏み跡が雨水に削られて奇妙な造形美を見せます。


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7合目あたりにある、博打岩と云われる洞窟です。

久枝氏が来島し鷲部に亀山城を築く以前のお話ですが、見晴らしが良く雨露を凌げる大岩の下は、この近辺を拠点とする海賊の見張り所として利用され、戦利品を集めて毎夜賭場が開かれたとか・・・。
花崗岩の天井には、今もたき火の黒い煤が残っていると云われます。

また、この博打岩のすぐ上にある岩の隙間からは、天宮の水と呼ばれる清水が湧き出していましたが、近年になり水脈が変わったのか、水量が少なくなりました。

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古鷹山頂上です。

伝説によりますと、大時化の海で方向を見失った船が、大鷹の導きで無事江田島湾に避難することが出来、その大鷹が舞い戻った山頂に御鷹神社を祀り、付近を航行する船舶の安全を祈願しました。
その故事が今の古鷹山の由来となります。

長くこの場所に御鷹神社が祀られていましたが、いつのころか本浦の小高い丘に移され、さらに明治19年、本浦地区が海軍兵学校用地となって、一時、江田島八幡神社に預けられることになりました。
のち中郷地区、山ノカミに社を建立しましたが火災により焼失、再び八幡神社に合祀されていましたが、やっと平成18年、八幡神社境内に「古鷹神社」として再建されました。

いま、古鷹山頂の御鷹神社跡地には海軍兵学校八方園(元、御鷹神社のあった丘)にあった方位盤のレプリカが据えられています。
他にも、兵学校で用いられた五つの訓戒「五省」や石柱、案内板などが雑多に配置され、神聖な山頂も俗っぽさがムンムンです。

頂上を示す石柱と、目立たない位置に小さな説明板の一つもあれば、それで十分だと思うのですが・・・(^_^;)です。


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山頂のもっとも高い位置にある花崗岩の岩に「標高392米 古鷹山頂上 江田島町」と彫り込まれています。

が、国土地理院の地図では、394mです。
他にも古鷹山376mと記した地図を見ることもあります。
 376mというのは、古鷹山頂の東200mの位置にあるピークで、国土地理院の二等三角点の標高を記載した間違いですが、394mと392mの違いがなぜなのか???です。

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眼下南面には、日の光を反射する波静かな江田島湾と、手前に旧海軍兵学校(現海上自衛隊幹部候補生学校、第一術科学校、他)が一望できます。

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西面は、均整な山容から御鉢山とも呼ばれる津久茂山263mと、津久茂の瀬戸を挟んで能美の山々、さらにその先には宮島や遠く中国山地の山々が霞みます。

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太陽を背にして、順光で眺める北面の景色もすばらしく、オカカ入りのおむすびが、一気に三ツ星にグレードアップ ・・・(*^。^*)です。

気分は風に乗り、眼下の切串の街並みから、広島市街地、遠く中国山地へ一跳びで吹き抜けます。


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もう一つの?古鷹山の由来?・・・
中央の古鷹山頂が鷹の頭に、左の白い大岩が鷹のくちばしに、左右の山々を大きく広げた翼と見ることもできます。
 
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追記画像(古鷹山頂上394mの北、約20mの位置にあるもう一つのピーク)です。

古鷹山の標高が394m、あるいは392mと伝わる理由について、NHK広島TVの番組「お好みワイド」あなたの声コーナー(担当者 山口さん)で調べていただきました。
取材された古老の話では、測量技術の未熟?からか、昭和11年の古鷹山頂の写真には392mの標柱が建っており、兵学校生徒や、地元の人々も疑うことなく、392mと信じていたそうです。

ですが、明治大正期の測量技術が未熟?、しかも2mも誤差があるとは信じがたく・・・

たとえば、東に約200mの位置にあるピークは、二等三角点として1899年(明治32年)大日本帝國陸地測量部により正確に376,0m(古鷹山)と測量されています。
なのに、もっとも高い地点である古鷹山頂は、故意に正確な測量がされず、392mよりは少し高いようだが、392m(御国あるいは美国)とした方が語呂がいいからって、392mとしたんじゃ・・・。

さらに、昭和11年10月27日、昭和天皇が軍艦愛宕にて江田島を訪問されたさい、古鷹山登頂計画があり、昭和天皇に地史などを説明をするのに古鷹山の標高を語呂合わせで御国(392m)とした方がよいだろうと?・・・。

ま、当時は三角点でもない山の高さが、2mくらい違ってもどうってことはない、あるいは、古鷹山頂を392m(御国)と呼びたいために、わざわざ三角点を別の尾根に持っていったんじゃ・・・(*^_^*)です。

ということで、392mは古鷹山の美称「御国古鷹」であって、実際の標高は国土地理院地図にも表記される394mです。

ちなみに、上の画像に写る北のピークは標高が392m?くらいで、昭和天皇の登頂(実際には雨天のため中止)を記念して、大岩になにやら刻み込まれていましたが、現在は判読不明となっています。
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