中央 いいとこ撮り 1/3

2)江田島町南部・中央地区 
中央地区(本浦・中郷・向側・矢ノ浦・山田)は江田島町(村)の中心として古くから賑わい、行政の中心地でもありました。
干拓が進み唯一の平地であった本浦(現国有無番地)は、明治21年海軍兵学校用地として接収されましたが、同時に多くの海軍関係者が移入することになり、文化経済教育インフラ整備など、他の市町村に先がけた発展を見ることができました。

2012-12-27 002 009 
海軍の用地造成による、土石採取のために切り崩された半島切羽面に残る高台、東西南の三方がはるか下方に見渡せる場所に、お城のようなお家が建ちます。

2013-02-20 002 019 
現代の山城(半島高台)から南を望む景観です。
右には遠く飛渡瀬に続く江田島湾が広がり、饅頭のような姿の中世の山城、鷲部亀山城が眼下に見えます。

2013-02-20 002 013 
島内には、まだまだたくさんの防空壕が残りますが、ほとんどは入口を塞がれて立ち入ることはできません。
この、手掘り?の個人防空壕には電線が引っ張り込まれていますので、いまだ現役なのかも・・・(*^。^*)です。 


111204b 025 
温州ミカンは手入れが悪いとすぐに枯れてしまいますが、夏ミカンの樹はあるていど放任されても・・・(^_^;)です。

2013-03-21 002 046 (800x598) 
まもなく雑木に覆われ、樹下に埋もれそうな山裾の夏ミカン畑です。

2012-10-24 002 030 
向側から山田に抜ける峠道に、なんとも風情のあるお墓を見つけました。

CIMG0978.jpg 
こんな素敵な場所だったら、悠久の時をゆったりと過ごせそう・・・(*^。^*)です。

2012-11-19 001 028 
北風を古鷹山に遮られた山裾に、旧江田島町役場、現江田島市江田島支所が民家の瓦屋根を圧倒してそびえます。

2013-01-15 002 021 
江田島市の未来を背負い、五色に光り輝く江田島支所の雄姿 ・・・(*^。^*)です。
 
ちなみに明治11年11月、郡区町村編成法により、同年12月から江田島村と呼称されました。
発足時の村役場の位置は不明ですが、昭和初期には現海上自衛隊第一術科学校校内の体育館がある付近に、神田川と対面してありました。
が、昭和17年海軍兵学校の拡張により、神田川は南に流路を変えられ、村役場は江田島八幡神社の北方、現在は廃園となっている江田島向側幼稚園の場所に移築され、昭和26年10月1日からの町制施行により、建物はそのままに江田島町役場と改称しました。

のち、江田島小学校が統合移転した跡地を受け、昭和51年(1976年)9月、鉄筋コンクリート地下1回地上3階の江田島町庁舎が完成、平成16年(2004年)11月1日、江田島町、大柿町、能美町、沖美町4町の合併による、江田島市制に移行するまで江田島町発展の舵とりを担いました。

蛇足となりますが、礎石の下にはステンレスボールのタイムカプセルが埋められ、その中には現金(C号券と呼ばれる、聖徳太子が印刷された1万円紙幣で、1958年から1986年まで発行されました)他が、ギッシリと詰め込まれているとか?・・・(*^。^*)です。

110405b 100 
江田島支所の裏門に残る一本の老桜、昭和44
年9月までこの地にあった、旧江田島小学校校門前に植えられていた桜だと思います・・・(*^。^*)が?

昭和10年の江田島村役場 
昭和十年当時の江田島役場、警察署、江田島八幡神社を示す概略図です。

この貴重な回想図は、山田在住の浜本達司氏が「昭和10年頃 矢ノ浦区概略図」として作成されたものの一部をコピーしたもので、「ふるさと交流館」にも同じものが掲示されています。

2012-12-24 002 012 (800x519) 
上記略図を遡る、大正初期の写真は、「せんだん」 江田島従道小学校の記録、からの拝借画像・・・ m(__)m です。

兵学校との境界、南進する神田川沿いに多くの民家が並びますが、画像が不鮮明のため役場があるかどうかは???です。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!