国有無番地(旧海軍兵学校) 気になる建造物 3/3

旧海軍兵学校グーグル地図・ASU84 
見学コースではありませんが、塀の外、御殿山のミカン畑から見下ろすことができます。
また、特別な行事(花火大会・トライアスロン競技)等が有れば、より近くから見ることもできます。 

2012-12-23 002 022 
戦前に作られた、水上飛行機の格納庫だと思ったのですが、敗戦時連合軍に引き渡した建物図面に記載がありません。
 
1948年4月の米軍航空機撮影写真では、それらしいのが確認できますので、彼らが造った特大倉庫なのかも???・・・(^_^;)です。

2013-02-25 002 028 
建物の屋上に、レーダーアンテナがズラリ並んでいます。
ミサイル迎撃用とか、気象観測用とかには見えませんので、おそらく電子関係を学ぶ学生の教材だと思います。

呉港に停泊する護衛艦のマストにも、同じようなレーダーアンテナが取り付けてあります。

84号特務船 
特務艇84号(ASU84)です。
主には、特別警備を学ぶ学生の臨検訓練に使われるため、自衛艦塗装色から、民間船っぽく塗りかえてあります。

ちなみに特務艇84号は大分県臼杵鉄工所で建造、1972年9月13日に就役し、呉地方隊佐伯基地を母港として、洋上支援業務に従事、平成13年9月14日除籍となりました。

その後江田島湾に回航し、第1術科学校学生の訓練教材として使用されています。

特務艇84号が係止される以前は、戦後初の国産護衛艦「はるかぜ」1.700tが係止されていました。

兵学校位置図 大正13年水泳場

大正13年、水泳場を作るために提出?された構内図です。
こじんまりした敷地に船着き場(ポンド)が大きく山裾まで入り込んでいて、瀬戸内情緒の残る景観が想像できます。

 

当時、兵学校生徒を世界水準、それ以上の海軍士官へと教育鍛錬するため、国内の有能な教授を多く招致したのは分かりますが、それにしても沢山のりっぱな官舎群が目立ちます。

海上からみれば、巨大リゾートのコテージハウス?


記:図面は、アジア歴史資料から・・・m(__)mです。

兵学校敗戦時青図 
敗戦後、構内施設を進駐軍に譲渡するため作られた図面です。

昭和12年ごろから20年にかけて、南の海面を大きく埋め立てています。

また、瀬戸内風情の残るポンドも埋められて、新たな船着き場(ポンド)が沖に作られました。


記:図面は、アジア歴史資料から・・・m(__)mです。


1948-04-07.jpg 
1948年4月7日、米軍機による空撮です。

南の埋め立て地に、進駐軍仕様のハウスが沢山建築され、正門の位置はすでに小用方面への向きに変えられています。

 

記:国土アーカイブより・・・m(__)mです。

1975-02-24.jpg 
1975年2月24日(昭和50年)の空撮です。
まだ、お百姓さんが元気で、ミカン山が全盛のころです。
全国的に、松枯れが猛威を振るい始めた頃でもありますが、構内の木々は青々と・・・(*^。^*)です。。

 

記:国土アーカイブより・・・m(__)mです。


1977-07-26 (S Y)  
1977年7月26日の空撮です。

画像右端の防波堤に係止されている艦は「いかづち」1.070tで、川崎重工業神戸造船所で建造されました。
1956年5月29日に就役、呉地方隊に配属され、20年間、海上防衛の任を果たし、
1976年3月31日、搭載武器の旧式化にともない、保管船となって、江田島湾に回航、学生の訓練教材として、1983年3月30日までこの地にありました。

戦後この位置に係止された艦艇には 、米海軍から貸与の、PF「もみ」、PF[けやき」、そしてDE「いかづち」、DD「はるかぜ」、ASU「84号」などなど、そうそうたる艦艇が最後の輝きを放つ場となりました。

蛇足になりますが、この空撮の1年後、1978年6月1日、撮影機直下のミカン畑から出火した炎は、折からの強風にあおられて、3日間にわたり燃え広がりました。
この未曽有の林野火災により、江田島町全山林の80パーセントにあたる、1.000ヘクタールが跡形もなく灰燼に帰すこととなりました。

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