国有無番地(旧海軍兵学校) 記念碑、野外展示物 1/4

旧海軍兵学校グーグル地図・屋外展示物、記念碑 
構内には、おおむね4ブロックに分かれて記念碑や展示物が建立、設置されています。

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教育参考館の館内見学が終わり、まず目に付くのがこの戦艦大和主砲砲弾です。
この砲弾は、戦艦大和と武蔵の45口径46cm主砲用に作られた、91式徹甲弾と呼ばれるものです。
全長1950mm、全重量1470kgの砲弾で、装薬360kgと共に砲身に込めて発射します。
その初速は780m/s、最大射程が42000mとされます。

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大和砲弾と並んで展示されている、全長975mm、全重量450kgの砲弾は、フランス カネー社製38口径32cm砲用の砲弾で、日清戦争直前フランスで作られた防護巡洋艦松島、橋立、および厳島(横須賀海軍造船所で起工)に搭載されました。
装薬220kgを装填し、初速650m/sで、最大射程が8000mとされます。


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1941年12月8日未明(ハワイ時間127日午前755分)の真珠湾攻撃に使用された特殊潜航艇です。

 

参加した特殊潜航艇は、酒巻(稲垣)艇、岩佐(佐々木)艇、横山(上田)艇、広尾(片山)艇、古野(横山)艇の全5隻、10名です。

 

酒巻艇は羅針儀の故障により湾外の浅瀬に座礁し、艇長の酒巻少尉は米軍捕虜となりました。艇は一時期フロリダ州のキーウエストにある灯台博物館にありましたが、現在はテキサス州の「チェスター・ニミッツ提督記念太平洋戰争博物館」で展示されています。

 

岩佐艇は湾内に突入し魚雷を発射しますが戦果は不明。

駆逐艦にモナハン激突されて損傷し沈没。

二週間後に引揚げられ、調査されたのち損傷が酷いために地中に埋められました。

艇内からは大尉の袖章が見つかり岩佐艇だと特定されました。

 

横山艇は2004年、艇を三分割された姿で発見されました。

船体にはロープが巻きついていたことから、一度引き揚げられ、再度海中に投棄されたものと判断されます。

巡洋艦セントルイスの戦闘日誌では、湾外の入り口近くで、小さな潜水艦から二本の魚雷攻撃を受けるも、その魚雷はサンゴ礁に激突して爆発。

魚雷発射で艇首が浮き出た艇が発見され、セントルイスの攻撃を受けて沈没。

戦時中に引き上げられましたが、資料価値がないと判断され、海中投棄されました。

この艇が横山艇とされるのは、魚雷発射を母艦に打電した時間と、セントルイスの魚雷発見が同時刻だったためです。

 

広尾艇?は2002年8月、真珠湾の沖4.8km、水深400mの海底で司令塔に4インチ砲弾の被弾痕跡を残して発見されました。

この艇を撃沈したのは、当時、真珠湾の入り口近くで警戒に当たっていた、駆逐艦ワードで奇襲攻撃の1時間前(0645)に、小型潜水艦を確認し直ちに砲撃を開始、二発目が、小型潜水艦の司令塔に当って沈んだと日誌に記載されています。

この潜航艇は魚雷を装填したまま、今も当時のままに海底にあって、海底史跡として現状保存されます。

 

古野艇?は1960年(昭和35年)7月15日、真珠湾口から3000m、水深40mの湾外で発見され、現在、当地に保存展示されている艇だと思われています。

艇には着彈の痕はなく、推進器に爆雷によるものと思はれる軽度の損傷がありました。 また 魚雷は裝填されたまま引き揚げられましたが、艇内に乘組員の姿はなかっそうです。

 

ただ、諸説があり、広尾艇だとの説もあって確定はされていません。


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全長23.9m、排水量46t、水中速力19kt、魚雷2本を搭載し、艇長と操縦員の2名が搭乗します。
水中速力6ktだと、150km航行可能です。

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二重反転プロペラの後ろに展示されているのは、600馬力の推進用直流モーターで、原動力は発進前に充電したバッテリのみです。

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特殊潜航艇「海竜」です。
全長17.28m、排水量19.3t、水中速力10ktで、安全潜航深度が250mもあります。
また、自動車エンジンを搭載しているため、水上なら800km航行可能です。

敗戦時、東日本を重点に100隻あまりが配備されていましたが、実戦での使用はありませんでした。
 

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この展示有翼潜航艇「海竜」は搭乗員の訓練教材として山口県柳井の潜水学校(分校)で使用されたものです。
司令塔横の主翼?と船尾の横舵、縦舵を使用し、飛行機と同じ操縦方式で、航行します。 

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海竜の搭乗員は2名で、潜望鏡が覗ける位置に艇長が座り、その前で艇付(操縦員)が飛行機と同じ操縦桿を握ります。
なを、呉市の海事博物館に展示の海竜(海龍)は、静岡県網代の特攻基地に実戦配備されていた艇で、昭和20年、米艦載機のロケット攻撃を受けて沈没、昭和53年5月に引き上げられました。

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昭和15年1月20日に就役した駆逐艦「雪風」2.033tの錨です。

雪風は大戦中、何度も激戦区に投入されましたが、すべての作戦を無傷で生還し、「奇跡の駆逐艦」と呼ばれました。

戦後、台湾海軍に引き渡され「丹陽」と改名されましたが、中華民国海軍の第一線艦として長く活躍しましたが、1965年に退役、以後保管船として係留されていました。

日本に譲渡の話もあったようですが、1969年の暴風による被害が甚大で解体が決まり、1971128日、中華民国政府より舵輪と錨が返還され、舵輪は参考館内に展示、錨は桜花の枝下に置かれることとなりました。


ちなみに、天号作戦で戦艦大和と共に出撃した沖縄水上特攻でも、ほぼ無傷で帰還しました。


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36cm一式徹甲弾です。

 

この砲弾は、昭和17年(1942年)10月13日夜、ガダルカナル島飛行場の砲撃に参加した第3戦隊の「榛名」、または「金剛」が発射した918発にのぼる主砲砲弾の一つです。

 

ちなみに、榛名は昭和20年7月24日、28日の呉地区大空襲のさいは江田島町小用沖に停泊、三式弾の射撃などによって2機のB-24(タロア号、ロンサムレディー号)を撃墜しました。
しかしながら、米艦載機による20発以上の命中弾を受けて大破浸水、28日午後5時過ぎ遂に着底しました。


慰霊碑は戦死者71名を留魂し小用公園メモリアルヒルに建立されています。

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