大原特借宿舎 海上自衛隊官舎

1)江田島町北部・大原特借宿舎 
昭和初期のころまで、当地には津久江と呼ばれる入り江があり、石風呂川からの堆積土砂を覆って葦原が広がっていました。

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昭和5年5月16日、日本海軍水路部刊行の海図です。
小規模な塩田とかはあったかも???ですが、農地としては未開です。

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敗戦前夜?の海軍兵学校大原分校(現大原特借宿舎地区)の見取図です。

海軍兵学校大原分校は海軍士官の戦時増員を目的に、昭和十九年十月一日に開校され 敗戦後の昭和二十年十二月一日付で閉校となりました。

 

生徒は 七十四期(昭和17年12月1日入校・昭和20年3月30日卒業) 七十五期(昭和18年12月1日入校・昭和20年10月1日みなし卒業) 七十六期(昭和19年10月9日入校) 七十七期(昭和20年4月10日入校)の合計で四千二百有余名に及ぶとされます。

 

また敗戦時には、江田島本校、大原分校、岩国分校(久賀に移転)、舞鶴分校、及び針尾分校から防府分校へ移転した七十八期(予科)生徒(昭和20年4月3日入校)を含め、15.129名の生徒が在籍していました。

(見取図は図書「海軍兵学校・海軍機関学校・海軍経理学校」1984年からのコピペ・・・m(__)mです。この図面は大原分校完成予定図であり、敗戦処理による進駐軍への引き渡し当時には図左上の埋め立て地や、水雷講堂より南の諸施設は未完のままでした。)

兵学校大原分校S20AB 
敗戦後、連邦軍への引き渡し物件を記した図面です。
今の「青年の家」付近には対空用に高射砲や機銃が設置されていました。

(アジ研資料のコピペ・・・m(__)mです。)

兵学校大原分校S20BB 
「大原分校防空壕要図」です。
図の左、津久茂山の東面や「江田島青年の家」付近には、多数の防空壕が掘られています。

(アジ研資料のコピペ・・・m(__)mです。)


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旧海軍兵学校大原分校の正門付近と、それに通ず、石風呂川に架かる橋です。
大原分校時代を残す史跡はありませんが、画像中央、カイズカイブキの枝下に「海軍兵学校 大原分校之碑」が建立されています。


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国道487号線を爆走?する軽トラと、石風呂川を挟んで大原特借宿舎地区内に建つ三棟の海上自衛隊官舎です。

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古鷹林道から眼下に見る、大原特借宿舎地区(海軍兵学校大原分校跡)です。
事項で説明しますが、この大原特借宿舎地区には、宿舎以外に海上自衛隊の秘密?基地(施設)が紛れ込んでいます。
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