津久茂 品覚寺

1)江田島町北部・品覚寺 
浄土真宗本願寺派観海山品覚寺の開山は天承5年(1577年)僧円寿(俗名 板垣竜之進)が地蔵を本尊として真言宗海見山地蔵院品覚寺としたのが始まりです。

二代浄信のとき、浄土真宗本願寺派となって雲海山と号し、のちに観海山と号します。
ご本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代(1185~1333年)の作、地蔵菩薩像は東大寺大仏建立に尽力した大僧正行基(668~749年)の作と云われます。


2012-10-15 002 038 
品覚寺は、津久茂の家々を見下ろす、津久茂山(263.0m)の南東面、標高80m付近にあります。
急斜面の狭小地に、高く石垣を築き山門や鐘楼堂が配置されています。

蛇足として、南東と東南の言い回しについて・・・
南と北を先にする表し方は西洋から、東西を先にする表し方は中国からの慣わしです。
方位を言う場合は、西洋式に北・南が優先で、北東・南東・北西・南西を使います。
で、地名とかを言う場合は、東北地方、東南アジアとか、西南戦争、都の西北とか・・・(^_^;)です。


2013-04-12 003 044 
急な石段を登ると、石垣からはみ出さんばかりに山門が被ります。
門柱には「浄土真宗本願寺派 観海山(なぜか草書体?) 品覺寺」と表札が掲げられています。


110524 030 
山門から見下ろす津久茂の家々、江田島湾とカキ筏、さらに対岸に宮ノ原、国有無番地(旧海軍兵学校)、鷲部、江南の地が一望できます。

2013-04-12 003 039 
山門の横には、ずっしりと重々しく鐘楼(鐘つき台)が建ちます。

2013-04-12 003 041 
宝暦5年(1755年)に作られた村民自慢の梵鐘は、昭和16年8月30日勅令の、「金属類回収令」で供出、現在の梵鐘は昭和30年10月に寄進されたものです。

ちなみに、「金属類回収令」とは、日中戦争の長期化による物資不足を補うため、官民が所有の金属類を回収するため、昭和16年8月30日勅令、同9月1日から施行されました。

が、戦火は収まることなく、太平洋戦争に突入、さらに回収を進めるために、18年8月12日さらに強制力を強めた「金属類回収令」に置き換えられました。

 

これにより、お寺の梵鐘は言うに及ばず、学校の二宮尊徳像、台所の鍋釜まで、あらゆる金属が没収されることとなりました


2013-04-12 003 038 
鐘楼横には、白壁もまばゆい宝蔵が並びます。


品覚寺には、寛政(1789~1801年)末期のころ、僧叡石泉が滞在し「観海山記」、「三帖和讃観海編」を編修、その後も多くの学僧が訪れたと云います。

また、兵学校が移転以来、多くの生徒がここを訪れ、記名帳に落書署名した、「津久茂帳」なる綴りが寺宝として残ると云います。



2013-04-12 003 037 
眼下の江田島湾が借景となり、狭小な境内が極楽浄土の金雲となって、浮かびます。

2012-10-15 002 035 
あろうことか、昭和56年7月4日の早朝、前夜から続く激しい雨が、やっと小雨に変わったその時、突然品覚寺裏山の土石が、轟音とともに本堂を押し倒しました。
本堂には朝参りの門徒さんが、集まっていたのですが、一瞬にして大屋根の下敷きとなり、門徒集4名の尊き御霊を送る大惨事となりました。

元禄10年(1697年)建立の本堂は見る影もなく、やっと山門と、鐘楼を残すのみでしたが、昭和58年10月28日、本堂を再建、亡くなられた方々の名を銘記した碑を建てました。


2013-09-06 002 004 
小島に建つ、津久茂住民先祖代々のお墓の向こう、最上部に、品覚寺大屋根が見えます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!