大須 大須荒神社

1)江田島町北部・大須荒神社 
大須地区は江田島町の最北西端に位置します。
交通の便が悪く、離島振興対策として道路網が整備される以前、小学校教師には特別に僻地手当が支給されたと云います。

ちなみに、海岸農用道路(津久茂から差須浜、大須)の開通は昭和48年5月、大型車の周遊が可能となったのは昭和54年9月、差須浜港に橋が架かってからになります。
 

2012-10-01 002 094 
大須地区は、長く海上に伸びた鼻グリ岬により、東の大須と西の差須浜に分断されています。
荒神社は大須地区の東側斜面を削って開かれた高台にあり、建立は天保元年(1830年)だと云われます。
なを、現在の本殿は大正14年に江田島本浦にあった明神を譲り受け、そのさいに中門と拝殿が合わせて造営されました。


2012-10-01 002 098 
拝殿に続く中門の奥に本殿が鎮座します。
古くは木仏三体が、また明治初期のころは穀物の神とされる宇賀魂神が祀られていましたが、現在は軍艦「摂津」の艦内で祀られていた御神体と、差須浜(サスハマ)荒神社の御神体が併祀されています。

ちなみに軍艦「摂津」は、1912年に就役した排水量21,443トン、河内型の戦艦でしたが1923年10月1日のワシントン海軍軍縮条約により退役、のち誘導標的艦として使用されていました。

1945年7月24日、米軍機による呉軍港空襲のおり、差須浜の西、アナジトマリ沖で大破着底、そのまま終戦を迎えました。

除籍となったのは、同年11月20日です。


2013-12-23 004 029 
本殿は、庇を長く前方に突き出し中門に繋げてあります。

2012-10-01 002 095 
拝殿の天井に、滑車を使って吊り上げられた大太鼓・・・(*^。^*)です。

2012-10-01 002 099 
この位置なら、雨風も最小限でしょうし・・・
大太鼓を運搬するための湾曲した担ぎ棒がまたすばらしいアイデア・・・(*^。^*)です。


2013-12-23 004 022 
拝殿に掲げられた奉納画です。
「花と龍」昭和46年8月 大松森一 作、と読めます。


2012-10-01 002 103 
拝殿脇に「三盛亀甲に花菱」をアレンジした鬼瓦が・・・。
近年になって拝殿屋根瓦の修復があったようです。


2012-10-01 002 104 
大須荒神社の境内から見た、大須地区の家並です。
右上に鉄筋コンクリート三階建ての旧大須小学校、その先には大型船の行き交う大須の瀬戸が広がります。


江田島古地図(芸藩通史A) 
江田島町史掲載の古地図(芸藩通史1825年)です。
シシアカリ、大オウス、鼻グリ、サスハマ、油石、アナシトマリ、姥子岩、サカウ田、長濱、大江、江ノ内越、小濱の地名が見えます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
02 | 2017/03 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!