大君 平家口碑・荒神社・胡子神社

5)大柿町南部 平家口碑・荒神社・胡子神社 
江田島市の東南端に位置する大君町には町名でもある「大君(おおきみ)」さらには「王泊(おうどまり)」、「匿宮山(かくれみやま)」と、いわくありげな地名が残ります。

100415 032 
地名「大君」の発祥由来を示す「平家口碑」が、倉橋島、音戸大橋を介し本土とを結ぶ早瀬大橋のたもとに建ちます。

平 家 口 碑
安徳天皇と三種神器を奉じた平宗盛の率いる軍勢は、源義経の急追を逃れ軍船を連らねて長門国壇浦に向う途次、当地(多海 - 大美)に上陸した。 当地の豪族秀栄は快く一行を迎えた。 宗盛は大いに喜び、地名を「大君」と改めるように命じた。 それ以来全国的にも珍しい地名が生まれた。 そのほかにも王泊、匿宮山、御立山など、往古を偲ぶ地名が現存している。
昭和五十六年四月
大柿町
大柿町観光協会

以下はウィキペディア等からのコピペ・・・(^_^;)ですが、大君、大泊の地名発祥に関わるとされる、安徳天皇について紹介します。

 

81代安徳天皇は、第80代高倉天皇と平清盛の娘徳子との間に誕生、在位は治承4422日(1180518日)から、寿永4324日(1185425日)で、諱は言仁(ときひと)です。

 

治承21112日(11781222日)に生誕

治承21215日に立太子

治承4221日に践祚

治承4422日に即位

治承4年に福原行幸、半年後に京都に還幸

寿永2725日源義仲の入京に伴い、三種の神器とともに都落ちする。

寿永298日後鳥羽天皇が践祚(元暦元年)

寿永27月の都落ちの後、大宰府を経て屋島に行宮を置いた。

寿永4年(元暦2年)219日(1185322日)の屋島の戦いに敗れ厳島を経由、彦島へ逃れる。

寿永4年(元暦2年)324日(1185425日)壇ノ浦の戦いに敗れ入水す。

 

安徳天皇が都を落ち、大宰府、屋島、厳島、彦島と流浪したのは寿永27月から寿永43月までの二年弱です。

その間に屋島での行宮(仮宮)はありましたが、大方は源氏方の急襲を恐れて瀬戸の島々を漂浪する船上生活であったと思われます。

 

よって、早瀬瀬戸の急流に守られ源氏方には手出しが難しい、能美島の南東端である此の大君の地を安徳天皇の一時休息の場としたことは、十分に考察できる範囲です。

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大君荒神社です。

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平成十二年十月に建替えられたばかりで、まだ新建材の香が漂います。

ちなみに、石碑には「魂」 平成大改修
平成十二年十月吉日
施主
荒地栄一
荒地ヒメコ
亀本孝
亀本正美
荒地賢二 と刻まれています。

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この先も大君の地名が残る限り、この街の甍を見続けてくれることでしょう。

101005 088 
大君胡子神社です。

今は沖の方まで埋められ小川の岸となりましたが、昭和の30年ころまでは波止の先端に在って早朝の暗闇を灯明で照らし、あわただしく出入りする漁船を眼下に収めていました。

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小川をはさんで対岸には、元広島県立大柿高校大君分校(2009年廃止)の校舎が残ります。

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真新しい紙垂が、川面を抜ける春風に揺らぎます。

1948-01-07 USA-M2-6-10 (794x608)
画像は国土地理院アーカイブ、昭和23年1月7日(1948年)、米軍航空機による撮影です。

画像中央上部に、元大君小学校(2009年廃校)、ほぼ中央部に元の大君漁港、右に整然と並ぶ建物が紡績工場です。

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