大君 大君港・大君桟橋

5)大柿町南部 大君港・大君桟橋 
なぜか?、大君桟橋は港や街の中心部から少し外れた場所、引島の正面にあります。

1948-01-07 USA-M2-6-10 (637x1024) 
昭和23年の国土地理院アーカイブ画像で見ても大君桟橋は現在と同じ位置、引島の前にあります。

画像中央部に四角く見えるのが、大君小学校で、その下にある入江が当時の大君港ですが、現在は水路部分を残して、大柿高校大君分校(廃校)用地として埋められています。

その右の大きな施設が紡績会社(現 株式会社ユウホウ)、今はその沖側を埋めて国道487号線が走ります。

2014-06-12 002 (9) 
大柿高等学校大君分校(2009年3月廃校)の正門前に残る旧大君港の石組護岸と、下に降りる石段です。

2014-06-12 002 (3) 
大君小学校(2009年3月廃校)の沖を埋め、平成10年(1998年)、近代的な浮桟橋を備えた大君港が港築されました。

2014-06-03 002 049 
大君定期船桟橋とその桟橋の沖に浮かぶ引島です。

平成21年ころまでは定期船航路として使用されていたようですが、今は通勤通学客がこの桟橋に立ち寄ることはありません。

2012-11-09 002 029 
プレハブの待合室前に椅子が出されていますが、誰が利用するんでしょう・・・

2012-11-09 002 030 
一本のアラカシの木の下に公衆電話が残ります。

もしもし、とおさぁ~ん。
なにやっとぉ~ん。

今日は一便早いので帰るゆうとったじゃろ~。
もぉ~~~、ええかがんにしてえやぁ。

はよぉきてや!
ガチャン・・・

この電話を利用した女学生さんも、今は自分の息子や娘に・・・(^_^;)でしょうね。

2012-11-09 002 023 
桟橋の隣に大昭汽船の「第二平安丸」が舫われています。

2012-11-09 002 022 
呉市にある造船所や製鉄所に、職工(工員)さんを送り迎えするために作られた専用船です。

1968年の竣工で総トン数が135t、僚船「こがね丸」とともに大君から柿浦経由で元の呉海軍工廠(戦後はIHI呉造船所、日新製鋼所)への専用航路船として運行されていました。
最盛期には毎日七、八百名もの工員さんを送り迎えしたそうですが、2009年4月をもって廃止となりました。

2012-11-09 002 018 (800x600) 
今は浮桟橋の代用として使われているようです。

2014-09-04 015 
初代「平安丸」と「こがね」の画は、柿浦出身の郷土史家「奥本久雄」氏の風土記及び自伝である「雲のごとく -私の歩んだ道ー 」の挿絵(奥本氏自筆)をコピペしたもの・・・m(__)mです。

第二平安丸が竣工したのが、1968年(昭和43年)とされますので、まさに間一髪で描かれた初代「平安丸」です。

2014-09-04 016 
最近の機能的でスマートな船もわるくはないけど、昔の船型もいいなぁ~ ・・・(*^。^*)です。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
02 | 2017/03 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!