大君 大君低砲台跡

5)大柿町南部 大君低砲台 
日清戦争のあと、急速に関係悪化を深めた帝政ロシアの脅威に備え、海軍の拠点である呉と、日清戦争当時大本営が設置された軍都広島を防衛するために、江田島市周辺には沢山の砲台が設置されました。

江田島市(能美島・大奈佐美島)においては「大君低砲台(1899)・三高山堡塁(1899)・鶴原山砲台(1897)・岸根砲台(1898)・大那沙美島砲台(1897)」

廿日市市(厳島)においては「鷹ノ巣低砲台(1897)・鷹ノ巣高砲台(1898)・室浜砲台(1899)」

呉市においては「大空山堡塁(1902)・高鳥堡塁(1900)・休石砲台(1900)」

呉市(倉橋島)においては「早瀬第一堡塁(1899)・早瀬第二堡塁(1899)」

(注):数字は着工年ですが、土木工事は驚くほど速く進められ1年から2年で竣工、大君低砲台が1900年6月、最も着工が遅かった大空山堡塁でも1903年12月の竣工です。

ちなみに日露戦争とは、帝政ロシアの容赦ない南下政策を危惧した日本政府が1904年2月6日、ロシアに対し国交断絶を通告。
1904年2月8日、ロシア旅順艦隊への日本海軍駆逐艦の奇襲攻撃によって開戦となりました。

終結は1905年9月5日で、アメリカ合衆国の仲介によるポーツマツ条約です。

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現在はよほどのマニアでないと訪れる人はありませんが、かって(旧大柿町制時代)砲台など軍事遺跡を観光資源にしようと画策し、観光用道路や展望台施設などが作られました。

長浜海水浴場に向かう峠道に「砲台跡」とある案内板の横を草を掻き分けて南進すると、軽トラがやっと通れるほどの山道が現れ、さらに南へと続きます。

時折木々を揺さぶるイノシシや、足元に厚く積もった落ち葉、幾重にも絡む蜘蛛の巣に注意しながら3百メートルばかり進むとY字路があり、すぐ目の前にレンガ作りの「発電所」と呼ばれる建物が見えます。

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この建物には発電用の設備があって、探照灯(アーク灯)用の電力をまかなっていたと云います。

(注):この付近の土地や建物はすべて私有財産ですので、人影を見たら此方から大声で挨拶しましょう。
また、建物の内部に入ったり、器物にさわったり、野菜畑などには絶対に踏み込まないで下さい。

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屋根の頂部です。
普通なら花崗岩の切石とかが乗せられるのでしょうが、突貫工事で・・・。

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建物の裏に煙突が見えます。
デザイン的には今でも十分に使えるとゆうか、むしろお手本にしたいくらい・・・(*^。^*)です。

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私有地をさらに進むと「砲側庫」と云われる半地下式の弾薬庫?が連なります。

通路脇に張られた線は、見学者の転落防止用ではなく、イノシシの侵入防止用に張られた高圧電線です。
うっかり触れたりすれば、電気ショックで硬直し「砲側庫」のある地下へと転落することになります。

この砲側庫とほぼ同じ造りをしたものが、沖美町三高山堡塁に残され、観光用に整備ていますのでそちらの方で、ゆっくりとご堪能ください。

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高圧電線に気を付けながら、手だけを半地下倉庫の方に出してシャッターを切りました。
まだ、雨漏りとかもないようで、庫内には私有物品の一部が見えます・・・(*^。^*)です。

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大君低砲台の竣工は1900年(明治33年)6月ですが、この位置にクルップ式12cmカノン砲4門が据え付けられたのは1901年12月です。

当時大砲が据え付けられていた砲座は腐葉土を盛り上げて野菜畑として活用されています。
手前に見えるのはサヤインゲン?かな・・・

先史を見ても遺構を過去へと保存するには土に埋めるのが一番、数万年先になってインゲン豆の化石とともに砲台跡が発見されたら、「日本軍砲兵隊?の主食はインゲン豆であった。」、と・・・(*^。^*)です。

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ウィキペデアからのコピペ画像です。

大君低砲台には、クルップ式12cmカノン砲4門が据え付けられたと云われますが、当時の画像がありません。

画像の大砲はM1877 6インチ カノン砲と呼ばれる、当時の敵国である帝政ロシアで使用されていたものです。
口径は152mmですので、大君低砲台の120mmとは一回り大きくなりますが、この大砲の車輪を取り外し、左右上下に自在回転ができるような台座を取り付ければ、当時の大君低砲台に設置された大砲と、ほぼ外見が同じものとなります。

ちなみに、帝政ロシアで1877年に正式採用となった、このM1877 6インチ カノン砲の要目を・・・
口径:152.4mm
砲身長:3,200mm(21口径)
重量:5,300kg
射程距離:9,300m
このカノン砲は日露戦争はもとより、のちの第一次世界大戦、フィンランド内戦にも多用されたと云います。

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私有地を離れ、もとのY字路を右の小丘(常ヶ石崎)の方へ登りますと、小山をくり抜いた「電灯台」と云われる、格納式のアーク探照灯が設置されていた遺構が、ほぼそのままに残ります。

昔の人は、良い仕事してますねぇ~。
右の壕は待機所で、その奥に昇降装置をもった探照灯があったようですが、金属部分はすべて持ち去られていますので、どのような構造だったのかは不明です。

左の石段は小山の頂部へと続き、探照灯の整備をしたり、見張り所などもあったのでは???

CIMG4573.jpg 
画像は2006年12月23日に、カシオの200万画素カメラで写したものです。

当時は見学用の通路も綺麗に整備されていて、電灯台の小山の上(常ヶ石崎)には安芸灘の向こう周防大島までが見通せる展望台がありました。

一年でもっとも早く沈む夕日が眼下の海面を斜めに照らし、カキ筏の連が黒くシルエット状に写ります。
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